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【土曜訪問】

詩人の枝に連なる仕事を 随筆「永遠の故郷」を完結 吉田秀和さん(音楽評論家)

2011年2月19日

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 吉田秀和さんを自宅に訪ねる前に、肩書は「音楽評論家」でいいのかなと考えた。音楽だけではなく美術や文芸にも深い造詣があるから、ではない。どの音楽家がいいとか、どの録音が優秀だとかいった段階を越えたその評論には、人間にとって芸術とは何かという根源的な問いや、人間が創造した芸術を通して人間そのものを見つめ直す哲学的な精神が息づくからだ。

 九十七歳。半世紀近くをともに生きた愛妻バルバラさんが二〇〇三年に亡くなった後に休筆していたが、〇六年から文芸誌「すばる」に『永遠の故郷』を執筆し、集英社より順次刊行してきた。ヨーロッパの芸術歌曲をはじめ、幼少からこよなく愛する歌の精髄を、自らの人生の追憶に重ねて伝える随筆。終章を収めた「夕映(ゆうばえ)」の巻が一月に出て、全四巻が完結した。

「一生音楽を好きで暮らして、まもなく死ぬわけだけれども、音楽のことと引っかけながら、半分自伝みたいなことを書いたらどうかなと思いまして」。神奈川県鎌倉市の自宅。吉田さんは書斎の椅子にゆったりと座って話す。言葉を選びつつ、明晰(めいせき)な語り口だ。

 文芸誌で音楽について執筆するうえで、二つの冒険をしたという。一つは歌詞と楽譜をそのまま載せること。しかも譜面は自身の手書きで。楽譜を載せれば読者が嫌がると、音楽誌でさえ敬遠するきらいがある中、異例の試みだった。

《こうして写しているだけで、私には、まるで最高の唐画でも見るみたいな濃淡の複雑な筆遣いを通じて、静けさが姿を現わしてくる場に居合わせているような心地がする》(『永遠の故郷 夕映』より)

 フランスの作曲家ラヴェルをめぐる記述だ。音楽の美と魅力を言語で説くのに、楽譜そのものの姿にまで立ち戻って観察し、検討し、論じる。吉田さんならではの稀有(けう)な方法である。

 もう一つは、外国語の歌を紹介する際、原詩の味わいを感じられる言葉で伝えること。原語を機械的に日本語に置き直したようなものではなく、もともとの言葉の肉体性、響き、強さといったものを生かした新たな訳を工夫して読者に問うたのだ。理由がある。

「明治以来の日本語の詩は、非常に不幸なあり方をしてると思うんです。日本語はそれこそ万葉集のころから古今、新古今のころを経て今日に至るまで、素晴らしい詩人を出している。今日の日本で、素晴らしい小説家がたくさん出ている、それと詩人たちの働きもほとんど見劣りしないものがあるんだろうと想像するけれども、実際のあり方としては、生活の中でも、現代の詩人のある種の表現が、そのまま生活の中で大事な土台になっていることは、あんまりないような気がしましてね」

 若き日々、中原中也や吉田一穂ら当代最高の詩人からじかに薫陶を受け、自らの言語感覚を磨いた人ならではの指摘であろうか。詩の現状を直視しつつ、「詩を通じて日本語を豊かにしてきた人たちの、一つの枝に連なる仕事をしてみたい」と願って書き継いだ『永遠の故郷』だったのだ。

 足かけ五年の連載の最後に選んだのが、シューベルトの「菩提樹」。ドイツの文豪トーマス・マンも『魔の山』の終章、戦場の修羅場で登場させたこの名曲に託して、吉田さんは自分が体験した戦争を書いた。

 出征こそしなかったものの、戦争は「生涯の中で最も大きな、強い経験だった」という。「ただぼくはね、それを語るとしたら、軽々には語れないような思いがどうしてもあります。戦争は、人類の歴史の中で最も重大な、軽々に語ることのできない体験だったんじゃないでしょうか」

 ここで吉田さんはNHKの大河ドラマに言及した。新番組が始まり主人公が変わるたびに「信長の戦法に学ぶ」だの「今こそ竜馬の戦略を」だのと語られるあの<国民的番組>だ。

「侍のことばっかり、と言っちゃ悪いけど、ほとんど侍のことばっかり出てくるってのは、どういうことかと思って。人殺しの話ばっかりですよ。これはね、ぼくは『日本人、戦争好きなのかな』と思って」

 吉田さんは少し沈黙し、さらに語った。「そしていつまでも、世界のどっかでは、できるだけ大勢の人を、できるだけ効果的に殺しちゃう方法は何かということを、本気で、英知のすべてをささげて、研究しているのでしょう?」

 懐かしい歌の数々を生んできたのは人。恐ろしい兵器を開発して殺しあうのも人。人間とはいったい何なのか−。言葉少なになった吉田さんの見事な白髪を、二月の夕暮れの光がやわらかく包みこむ。 (三品信)

 

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