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必然の成り行きといっていいかもしれません。

パフォーマンス時代から、衣裳がないし、インパクト的にもいいじゃんだのなんだのと、脱ぐことにはあまり抵抗がなく、人づてに舞踏系の方々が経営していったトップレスのショーパブで踊りだしたのがそもそもの「たまよ」誕生のキッカケでありました。

水商売は、あまり肌に合わず、そこのバイト仲間に「だったら、劇場のがいんじゃん?」と薦められたのが、ことの始まり。

当時、ステージでかなりの緊張しいだったので、いっちょ武者修行にもよい按配であるし、何よりステージで踊ってお金がもらえるとは、とても素晴らしいことではなかと、喜んでロックの門を叩いたものでありました。

現場は、とても面白かった、、、、、。

踊り子の業界は、いわゆる
芸人の世界。しかも女の業界。
いろんな意味で、私が入ったときには、そんなに厳しくはなかったけれども、やはり上下関係や舞台上、楽屋でのあり方等々、きちんとしなければいけないところが沢山あって、なかなか大変。しかし、ある意味、私はここで、舞台人としての基礎を学んだ気がします。
本当に、ものすごく勉強になった。

ちょっとで辞めるつもりが、
思わず3年もがっつりやってしまったのも、あの「兄さん、姐さん」な芸人な業界にはまってしまったからでありました。

よく脱ぐことに抵抗はないのか?と言われますが、確かに脱いでいるんですが、あくまで公に見せている裸であって、プライベートな裸ではないから、全くはずかしい気持ちはなかったです。

つまり、空気一枚着ているとでもいえばいいのでしょうか。

ただ、この空気布を客がすぐ破いてしまえる お手軽なものにするか、けっして触れられないような世界観を作って、空気布を厚いものにするかは、踊り子ひとりひとりにゆだねられているので、自由な分、緊張感があって面白かったなー。
人間として、女として、
落ちようと思えば、簡単に落ちることのできる現場なだけに。

ただ、どんな業界でも、職場でも、ダメなやつはいるわけで、ただちょっとこの業界が特殊なだけで、なんら他と変わりないいわゆる「社会」であったと思うわけです。
むしろ、踊り子の世界に身を投じている女の子の方が、自分に正直に、ちゃんと前を向いて、きちんと生きようとしていると思います。

泣いたり、笑ったりしながら、目の前にあることは、とりあえず、ちゃんとやっていく。

シンプルなことだけに、なかなか難しいもんです。

そんなこんなで、自分でいうのも何ですが、かなり
真面目に仕事してました。

その踊り子仕事のご縁から、「ピーピー兄弟」で映画デビューするわけだから、本当に何でも真面目に
やっているもんだと、辞めた今も、つくづくそう思うわけです。