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社会

「風見鶏の館」元は何色? 神戸・北野の異人館 

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窓枠やベランダなどが緑色で塗られた建設当時の設計図(写真、広瀬毅彦さん提供)

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修理中の風見鶏の館。現在は茶色の塗装が施されている=神戸市中央区北野町3

 神戸・北野のシンボルとして親しまれている異人館「風見鶏の館」(神戸市中央区)が明治時代の完成時、建物全体が茶色の現在とは異なり、外壁の一部が緑色だった可能性のあることが分かった。ドイツ人の館主(建設時)の子孫が「緑色塗装」をうかがわせる資料を保管。芦屋れんが博物館館長の広瀬毅彦さん(50)=芦屋市大原町=が渡独した際、確認した。同館は今月1日から保存修理のため閉館中で、広瀬さんは「オリジナルの色でよみがえらせて」と訴えている。(内田世紀)

 風見鶏の館は、ドイツ人建築家ゲオルグ・デ・ラランデが設計し、明治時代に建てられた。茶色に塗られたのは、1983年末から1年余りかけて行われた大改修時。78年に国の重要文化財に指定されたのを受け、「可能な限り完成時の状態に戻す」ため、木造部分の塗装膜を耐水ペーパーで徐々に落とし、完成時の色を調べた。その結果、表層から順に灰、ベージュ、白、淡緑、深緑、茶、朱‐の7色を確認。下塗りに朱色を使用し、茶色で仕上げ塗りをしたと判断したという。

 緑色塗装をうかがわせる資料は、彩色が施された同館の設計図。ドイツ建築を研究する広瀬さんが2008年9月、ドイツを訪れた際、初代館主のトーマスの孫、クリスタ・ヘーレさんから見せてもらったという。クレヨンでカラフルな外観と間取りが描かれ、デ・ラランデのサインがあった。

 広瀬さんは「設計図の色が完成時の色と考えるのが自然。塗膜調査でも緑色の層が確認されており、修理を機に緑に塗り替えるべきでは」と話している。

 こうした訴えに、神戸市教委文化財課は「緑色の時期があったのは間違いないが、設計図通りに塗装されたとは限らない」と説明。その上で「『完成時は茶色』と判断した市の調査結果を尊重したい」として、色の変更はしない考えを示している。

 【近代建築に詳しい足立裕司・神戸大大学院工学研究科教授の話】建設当時の潮流やデ・ラランデの作風を考えると、緑色だった可能性は高い。再調査する価値はあるが、長年慣れ親しんだ色であることや景観も重要。人々の思い出や周囲とのバランスに配慮する必要がある。

 【風見鶏の館】1905(明治38)年、ドイツ人貿易商G・トーマス邸として、建築家ゲオルグ・デ・ラランデが設計し、建てられた。9年後にトーマス家が離日して以降、所有者が次々と変わり、建物の塗り替えが度々行われた。異人館ブームに沸いた70年代後半は灰色だった。完成年は従来、1909(明治42)年とされていたが、広瀬さんの研究により3年前、それ以前だったことが分かった。

(2011/02/20 08:50)


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