知られざる対北報復作戦の真実(下)

 ところが一行は翌日午後4時ごろ、偵察中に、地雷の埋設作業にやって来た北朝鮮軍と鉢合わせになった。将校と下士官を狙撃すると、北朝鮮軍は逃げ出した。その際、手りゅう弾6発を投げつけた。この最初の交戦で敵軍13人を殺害した。2泊3日の作戦期間中、味方に負傷者は出ず、無事に帰還。李大尉は最初の作戦を経て、共産ゲリラ出身者をさらに信頼するようになり、次の作戦では北朝鮮軍の師団長を狙おうと計画した。

 2度目の作戦決行は10月14日だった。全要員6人のうち3人を選び直し、今回も李大尉が引率することになった。当初は陸軍某師団に隣接する北朝鮮軍GPを襲撃し、師団長の動線を確認して射殺しようとしたが、待ち伏せしていた敵軍と遭遇したことから、周辺地域を偵察するにとどまり帰還した。

 それから4日後の10月18日夜、一行は3回目の作戦を決行した。最初の作戦で大きな功績を挙げた隊員を補強するなど、再び4人でチームを組んだ。ところが、過去2回の侵入で北朝鮮軍の警戒は大幅に強化されていた。李大尉は、陸路ではなく水路を選んだ。臨津江を泳いで渡り、匍匐(ほふく)前進で休戦ラインを越え、北朝鮮軍GPにぴたりと張り付いた。静かに息を殺して攻撃のチャンスをうかがった。警戒がおろそかになった早朝、GPを襲って機関銃を乱射し、手りゅう弾8発を投げ込んだ。この交戦で殺害した北朝鮮の兵士は20人。しかし作戦の直後、集結場所には要員の一人が現れなかった。GPでの激しい交戦で犠牲になったのだ。残る3人はこれ以上敵地にとどまることができず、部隊に帰還しなければならなかった。

 李大尉は次の作戦の準備をしていたが、それ以上北朝鮮地域に侵入することはなかった。事後に戦果報告を受けたユン准将や、陸軍士官学校(陸士)の先輩に当たる全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)、権翊鉉(クォン・イクヒョン)中領(中佐に相当)らが「これ以上はだめだ。本当に死ぬ」と李大尉を制止したからだ。防諜隊の「対共処長」だったキム・ギョリョン大領(大佐に相当)は、一線の前方部隊に「609特攻隊」が来ても北朝鮮に入れないようにと指示していた。

 陸本軍史研究室に保管されていた資料には「“膺懲(ようちょう=懲罰)報復作戦”で北傀武装共匪(北朝鮮の共産ゲリラのこと)の挑発が下火になった」という内容と共に、当時李大尉の身辺を調査したファイルが含まれていた。「大尉31歳李鎮三、死生観:わが短き人生、息が続くその日まで、永遠なる祖国のため投げ打つのは命のみ! 軍人観:任務を完遂できない軍人は、死ぬ資格もない。一に任務! 二に任務! 三も任務!」

姜訓(カン・フン)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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