知られざる対北報復作戦の真実(中)
その日の夜、ソウル・洪陵に近い609特攻隊本部に戻ってきた李大尉は、すぐさま作戦計画を練り始めた。609特攻隊は防諜部隊長の直轄部隊で、別名「防諜隊の防諜隊」とも呼ばれた。部隊員は30人。特攻隊長には、陸軍の全部隊から隊員を優先的に選抜できる「特権」が与えられていた。武術の有段者で編成される「空輸部隊」から主に隊員を選び出した。捜索隊で軍隊生活を始めた李大尉は、「越南派兵機動隊長」としてベトナムで服務し、韓国に戻った直後、それまで少領(少佐に相当)が担当してきた609特攻隊長に任命された。そんな李大尉を、ユン准将はことのほか気にかけていた。
李大尉は、報復作戦に投入すべき隊員を選抜するに当たり、北朝鮮の地理や言葉に詳しく、難度の高い訓練をこなしてきた北朝鮮の元武装共産ゲリラを起用することにした。同年4月から7月までに捕らえられた共産ゲリラのうち、転向の意志を表明した15人の中から厳正な審査を経て、最終的に6人を選抜した。いずれも年齢は20代前半から半ばで、江原道旌善や忠清北道槐山などで捕らえられた共産ゲリラだった。李大尉は「韓国の戦士」となった元共産ゲリラたちに、ナイフ投げなど特殊訓練を施した。自宅に呼んで食事を振る舞うなど温かく接し、訓練の過程を見守る中で、李大尉は、彼らは決して自分を裏切らないという確信を得た。
しかし李大尉は、こうした作戦準備の過程をすべて秘密にした。ユン・ピルヨン准将にも「事後」報告した。当時、軍事境界線を越えるには味方の部隊の協力が必要だったが、「609特攻隊長」の要請はユン准将の指示として受け止められたからだ。最初の北派作戦には、李大尉と要員3人が参加することになった。
決行は9月27日の日没直後だった。別名「錦城川作戦」。周囲が暗くなると、最前線の陸軍某師団の作戦地域に北朝鮮軍の服装をした李大尉ら4人の要員が現れた。各自、北朝鮮製の機関銃や手りゅう弾、弾倉4本(弾薬200発)で武装し、アメやコチュジャン、塩などの非常食を準備していた。一行は黄海道開豊郡の錦城川に沿って北朝鮮の地域内4キロの地点まで侵入した。地雷の埋設が難しい峡谷ルートをあえて選んだが、1キロ前進するのに2時間以上かかった。
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