阪神大震災:発生から16年、被災地の心は一つ

2011年1月17日 9時44分 更新:1月17日 12時19分

「1・17のつどい」会場に浮かび上がった文字=神戸市中央区の東遊園地で2011年1月17日午前6時30分、小松雄介撮影
「1・17のつどい」会場に浮かび上がった文字=神戸市中央区の東遊園地で2011年1月17日午前6時30分、小松雄介撮影

 6434人が犠牲になった阪神大震災の被災地は17日、発生から16年の朝を迎えた。地震が起きた午前5時46分に合わせて各地で追悼行事が営まれ、鎮魂の祈りに包まれた。16年たっても、遺族をはじめ、震災の痛手を負い続けている人たちがいる。「同じ苦しみを繰り返してほしくない」。その思いで被災地の心は一つになれる。昨年1月のハイチ大地震の被災地では今も約81万人がテントで暮らしている。この1年でも、中国・青海省地震や奄美豪雨などで大きな被害が出た。いつ起こるか分からない自然災害による悲しみを減らすため、あの日を心に刻み、備え、伝え続けたい。

 神戸市中央区の東遊園地では、同市などが主催する「阪神淡路大震災1・17のつどい」があり、約5100人が訪れた。参加者数は震災15年で日曜だった昨年の約6割だった。

 「1995 1・17」の形に並べられた竹灯籠(とうろう)に、公園内のモニュメント「1・17希望の灯(あか)り」の火が次々にともされた。参加者は午前5時46分の時報と同時に一斉に黙とうをささげた。

 大阪市東住吉区の主婦、鍵谷ゆき子さん(70)は、神戸市の病院で検査技師として働いていた次男卓司さん(当時25歳)を失った。震災前日に友人と行くはずだったスキーを取りやめ、全壊した同市東灘区の自宅アパートの下敷きになった。

 「卓司の代わりになりたい」と思い続けた16年だった。しかし最近になり、「卓司が命の大切さを教えてくれた」と思えるようになったという。ろうそくを前に、これからは力強く生きると誓った。

 犠牲者の名前を刻んだ「慰霊と復興のモニュメント」前では、震災で弟を亡くした歌手、森祐理さんが復興応援歌「しあわせ運べるように」を独唱。遺族代表の小河昌江さん(47)=神戸市西区=は、亡くなった母をがれきから救出してくれた若者への感謝を込め、「あの日私の心に感謝の種がまかれた。私も誰かの心に種をまくことができればうれしい」と涙ながらに語った。

 被災地を歩く「メモリアルウォーク」は、西宮市役所や神戸市須磨区などを出発点に、当時をしのび、生まれ変わった街を歩いた。

 震源地に近い兵庫県淡路市の北淡震災記念公園では、慰霊モニュメントの池に島内の犠牲者63人と同じ数のろうそくの火をともした竹筒が浮かべられた。午前5時46分に合わせて追悼行事があり、近くの住民ら約200人が1分間黙とうした。

 正午前からは、兵庫県などで作る「ひょうご安全の日推進県民会議」が神戸市中央区の人と防災未来センター前で「1・17のつどい」を開催し、井戸敏三知事は「私たちの経験とそこから得た教訓を伝え、生かしていくことが被災地・兵庫の責務」とあいさつした。【震災取材班】

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