2011-02-19
わたしが怒っている理由
まず最初にお断りしておくが、これから悪口雑言罵詈讒謗のオンパレードが始まるわけではない。それには期待しないで下さい。それから、おれは伊藤剛さんに対して怒りは感じていない。不意打ちにされてびっくりはしているけどね。こう書くとまた伊藤さんは「無神経野郎」といらつくだろうなあ。
長くなります。
お暇な方だけお読み下さい。
1、おれが唐沢俊一の検証を始めた理由。
ことの発端は、もう何度も書いているけれど、2007年6月4日の裏モノ日記だった。
オノからメールで、サイト『漫棚通信』の運営者さんから『新・UFO入門』の一部が、当該サイトの文章に酷似しているとの抗議があったとの知らせ。これにはショック。山川惣治氏の作品の紹介部分で、まったく思いもよらなかったが、確かにあのサイトは参考にしている。ストーリィ紹介の部分なので、つい文章に、コピーと取られる類似性を持っていた。すぐさまその意の無かった旨返信をし、謝罪。しかしこういうときにメールがなかなか送れぬのは踏んだり蹴ったり。担当編集にその旨を知らせ、善後策検討。サイトにも大至急、その旨を書いてアップする。
http://www.tobunken.com/news/news20070530155748.html
論旨の方にばかり気をとられ、紹介部分の原稿チェックを怠っていたのが原因。迷惑をかけたことに対してはひたすら陳謝のみ。向後はこういうことのないように厳につつしまないとと自分を諌めることしばし。
おれは、この言い分を信じた。類似しているのは偶然という言い訳ではなく、参照にしたことを認め、きちんと謝罪しているように読めたからだ。当時、おれは唐沢俊一のファンでもあったし、トンデモ本大賞のイベントにも参加し、山本会長や唐沢と話したこともあった。特に山本会長とはメールで幾度もやりとりして、情報の交換もしていた。したがって、この時点では、毛ほども盗作の疑いなんか抱いてはいなかった。
おれが「?」と思ったのは、被害者漫棚通信さんのblogを見たときだった。
この文章は長文なのでリンク先を見ていただきたい。まあ、いまおれのblogを読んでいる方のほとんどは充分ご存知だと思うけれど。
おれは驚いた。これは唐沢が書いているような「論旨の方にばかり気をとられ、紹介部分の原稿チェックを怠っていたのが原因」なんて代物ではない。全文をコピペして、言い回し、語尾などを自分のオリジナルに見えるように改竄した、つまり盗作以外のないものでもないものだったからだ。唐沢がこの事件をどう乗り切るかが気になった。つまり、この時点でも、おれは唐沢が断罪されるべきだとは思っていなかった。はやくこの問題を解決して、次の本を出してくれないかと本気で思っていた。
『QJ2月号』で、唐沢はこの件についてこう語っている。
元の本読んでもらえればわかるけど、あれって盗作してどうなるって部分じゃないんです。他の本の内容を要約した部分で、あんなところわざわざ盗んでどうするという。もちろん謝罪の上、あれは単なる引用ミスだと、僕は説明すればわかってくれると思っていたんですけど、ネットの叩きを面白がってやっている人にとっては、そんなことどうでもいいんですね。とにかく、人を叩けば面白い、というアンチが湧いて出てきて。
これって結構説得力のある文章だよね。具体的に盗作事件の内容を知らない人が読んだら「そりゃそうだ」と思うかもしれない。いや可能性大だけど、そのことに関しては後で述べる。この言葉に漫棚通信さんはこう反論している。
唐沢氏が盗んだのは、わたしの時間と労力です。単行本三巻分の大長編「絵物語」を読んで、エピソードを取捨選択してあらすじにまとめてごらんなさい。どれだけ時間とアタマを使ってるか。
その通り(普段からコピペで文章を書いている唐沢には、オリジナルの文章を書くための労力とか能力に、一切考えが及ばないのだろう)。
さて、おれは能天気にも唐沢が、きちんと盗作を認めて全面的に謝罪、そうしてあらたな執筆活動に入ったなら、応援してやろうと思いながらことの経緯を見守っていた。
ところが話は全然進行しない。その上幻冬舎の法律顧問なる人間まで登場し、漫棚さんにいろいろクレームを付け出したのだ。そして、二週間もたたないうちに、週刊新潮にこの件の扱った記事が掲載され、それはこんな文章で締められていた。
唐沢氏の知人が言う。
「ネット上では様々な意見が出て“祭り”状態ですが、資料なしに最初から盗用を意図していた、と唐沢氏に認めさせろという雰囲気。おかげで先方もかなり強気で、話し合いがなかなか進まない。対応に苦慮しているという状態です」
身から出たサビとは言え、これが、ネット社会の怖さでもある。
(強調は引用者)
「漫棚通信ブログ版」はけっこうマメに読んでるので、騒動の最初からウォッチしてたわけですが、いた週刊新潮6月21日号の記事、『朝日新聞“書評委員”に浮上した「ブログ盗用疑惑」』の書きっぷりはちょっとひどいんじゃないかと思った。
まるで、匿名クレーマーの地雷をうっかり踏んで大変な目に遭ってる被害者に同情するかのような論調。全然そういう性格の問題じゃないと思うんですが。もうひとつ、週刊新潮の記事で謎なのは、唐沢氏が「書評委員をつとめる朝日に対しては、当分、原稿を自粛したいと申し入れた」という一節。「裏モノ日記」を読むと、出稿・出演を自粛しない媒体もたくさんあるようなので、なぜ朝日新聞だけ特別に自粛するのか意味がわからない。世間を騒がせると新聞の書評原稿は自粛するのが社会常識なんでしょうか?
(強調は引用者)
的確な指摘である。そうして、この件を境に、おれの中に唐沢に対する不信感がムクムクと芽生え始めた 。
唐沢が引用ミスと言い張ったまま時間は経過し、さすがにそれはおかしいだろうと、おれは何回か自己のサイトで指摘した。はっきり書いておくが、この時点で、唐沢に対する不信感を公にしていたのは、前記の大森氏とおれだけだった(漫棚さんのblogのコメント欄は別にして)。そして、七月に入って交渉が決裂したときに、伊藤剛さんが「伊藤剛のトカトントニズム」で、町山智浩さんが「ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記」で、唐沢に批判的な記事を書いた。
それでも、唐沢は強引にこの事件の幕引きをした。サイトに謝罪文を掲載したのだ。その文章はこう結ばれていた。
読者の皆様、また『新・UFO入門』に好意を寄せたメッセージをお送りいただいた多くの皆様には、今回の件で多大な心配とご迷惑をおかけいたしました。心よりお詫び申し上げると共に、向後、このような事態のおこらぬよう、厳しく自分をいましめて今後の活動にあたるつもりです。よろしくお願い申し上げます。
2007年8月1日 唐沢俊一
おれはこの時点でこの事件は終了したと思った。ついに盗作は認めなかったが、唐沢は正式に謝罪したし、交渉が決裂した段階で訴訟に持ち込むか判断するのは、漫棚さん本人の問題だと思ったからだ。おれは自分のサイトから唐沢関係のエントリを削除した。このことは後に2ちゃんねるで散々非難の対象となったが、間違ってはいなかったと思っている。
詳細は省くけど唐沢は、この2007年8月1日の段階で、すでに新たなパクリをやっていた。
さて。総てが終了したと思ったその年の暮れ、唐沢が『社会派くんがゆく!』で、交渉決裂に至る経緯に関して、卑劣きわまりない発言をしたのだ。まあ、皆様とうにご存知だとは思うけど。
このままでは交渉が継続できない。担当者から、そのような行為を続けた場合は法的措置をとる可能性もある、と指摘したところ、先方は、これは恫喝である、とまたまたブログで主張。さらに通常の、このような場合の謝罪のレベルを大きく超えた範囲の要求までしてきた。これを認めると、今後、単純な引用ミスをおかしただけの同業者が、これを前例として相手に過大な謝罪を要求されるという事態を招きかねない。私自身の反省や意識だけでどうこうという問題をすでに超えてしまったのである。ついに、こちらの法務担当の、これは通常の法的交渉をする気が相手にないという判断をもって、交渉を決裂させるに至った次第である。
なんかコピペしただけで殺意が芽生えるような文章だな。「謝罪のレベルを大きく超えた範囲の要求」というのは、実はこういうことだった。唐沢は慰謝料、初版在庫の断裁、謝罪文掲載の条件として、漫棚さんに「未来永劫、この件に関して、書いたり発言しない」という念書を書かせようとしたのだ。それはさすがに幻冬舎の弁護士からも無理だと言われたのに切れて、前記の謝罪文にこう書きなぐった。
今後の対応措置についての合意書の締結を拒絶されました。これは、漫棚通信氏の謝罪要求に対する無限の譲歩を意味することであり、当方としては合意書の締結なしに、漫棚通信氏が要求される謝罪条件のみを無条件で履行することは困難であると判断いたしました。
(強調は引用者)
余りに酷すぎると思った。なんら落ち度のないアマチュアの文章を盗み、誹謗し、悪質なクレーマーと貶めたのだ。こんな無能で卑劣な人間が、「雑学の神様」と称して大手を振って歩いているのが許せなかった。漫棚通信さんに土下座して謝罪させてやる。おれはそう思い、唐沢俊一の徹底検証を再開したのだ。
唐沢俊一という興味深い人間をウォッチするのが目的ではない。
2、おれはなにをしてきたか。
おれはまず、唐沢を潰すと宣言し、広告代理店の力を使うと公言した。それは、それまでの2ちゃんねるの雰囲気から、代理店の力が過大評価されていることを知っていたからだった。絶対に非難されるのは分かっていたが、唐沢をびびらせるために手段は選んでいられなかった(追い込んで謝罪させるのが目的だからね)。
次に、山本弘「と学会」会長から、唐沢はこれまで引用元を明らかにしていたから、今回は単なるミスであるという私見を戴いていたので唐沢のこれまでの著作を徹底的に検証し直した。まあ、そうしたら出てくるわ出てくるわ、パクリとガセの山。
さらに唐沢が連載を持っている出版社に、手紙&メールを出した。唐沢が盗作常習者と知ってるのか、もし知ってるのならなんで使うのか。そのとき、一通一通にキイワードを仕込んだ。例えば『創』の編集長には「直接唐沢を問い詰めると言いくるめられる恐れもあるので、まずは自分で調べてみてください」という一文を添えた。すると、その『創』の岡田斗司夫との対談の中で「なかには直接唐沢を問い詰めると言いくるめられる恐れもある、なんて書いてきた奴もいて、あれには笑った(主旨)」と発言し、ああ、ここの編集は駄目だという判断材料になった。唐沢先生にご注進した編集は、『月刊創』と『週刊新潮』。
それから、唐沢を出演させている番組のプロデューサー宛に、同様なことをやった。また出演者のマネージャーにも同様に文章を送った。無視されたのがほとんどだったが、朝のワイドショーで唐沢と同じくコメンテーターを務めていた某氏のマネージャーからは、丁寧な返事を頂いた。唐沢は日記で某氏とのコラボでイベントを行うと公言したが、それが実現しなかったのにはこうした工作があったからだ。
それでも唐沢はレギュラー番組を持ち多くの連載を持った売れっ子のままだった。一方、おれに対しては匿名の嫌がらせメールが殺到した。考えてみればおれは直接の被害者でもないし、こんなことをしても一文の得もない。一時の正義感から突っ走っても、敵を作るだけではないか。それでも、誰かがやらなきゃならない。そう信じて自分を鞭打っていたとき、mixiのコメント欄に、著名なミステリ作家からこんな言葉が寄せられた。
自己満足などとご謙遜される必要はなく、意義のある社会的振る舞いだと思いますよ。ふつうはわかっていても、わざわざ憎まれたり敵視されたりするのがイヤで、めんどうで、自分に影響がないかぎり黙視してしまいます。私も含めてですが。誰かがかわって発言してくれるなら、それでいいやという横着さもあるでしょうね。なかなか、その「誰か」にはなりたがらない中で、立派なことだと思います。遠くからの応援だけで申し訳ありませんが、正直な気持ちです。
おれは泣いた。心の底から嬉しかった。どれほどこの一文に勇気付けられたろうか。今でも感謝の気持ちで一杯だ。
それから、おれはコツコツ唐沢を追い詰めていった。具体的なことは3月になったら書く(まだサラリーマンなんで)。そのうち、ポツリポツリと同調者が現れ、ついに、2ちゃんねる唐沢俊一スレッドの常連だったkensyouhan氏が、唐沢俊一検証blogを立ち上げたのだ。
その後の経緯は皆様ご存知の通りだ。唐沢の連載は次々に切られ、イベントは中止、電波媒体でのレギュラー出演もなくなった。個人名義の単行本も出版できず、自慢たらたらの日記は追討記事と杜撰な映画紹介で埋まっている。
唐沢の離婚問題や浮気問題に関しては、奥さんやお母さん、あるいは当事者である女性に迷惑が及ぶだろうから、そこでの突っ込みはしない。当初、ゴーストライター説が出たとき、ひょっとして妻か母親が資料を集めていたのではと思い、「唐沢にとって大切な人を傷つけるかもしれないので」追求しない旨をサイトに書いたら、2ちゃんねるに「それは山本弘のことか」と書いた奴がいて脱力した。
しかし、おれ(おれ一人の力では、全然ないけれど)は、一種の空しさを感じ始めていた。それは「唐沢はどんなに追い詰められても謝罪なんかしない」という気がしてきたからである。
だったら、もう引導を渡すしかない。そしてその想いはkensyouhanさんが今年の夏コミでウォッチャーをやめるようなことをほのめかしたことで、一層強くなった。
3、おれはなにを怒っているのか。
そう、問題の『クイック・ジャパン』である。
一読して、心臓が揺れるようだった。これはセカンドレイプではないのか? 唐沢の盗作(癖)は広く知れ渡ったといっても、一部の業界内だけだろう。取り上げてくれた雑誌、単行本もあるが、それは失礼ながら、マイナーなものばかりだった。それが、初めてメジャーな雑誌で取り上げてもらえたのに。
おれが何年もかかって、コツコツ積み上げてきた小さな山を、ドタ靴で踏まれ崩されたような気持ちだった。目の前で山を崩されたときに「なにをするんですか君は?」なんて言えるか(『八月の濡れた砂』じゃないんだから)。「おい、こら、なにしやがんだ!」という反応が普通じゃないか。それに対して、これがボクのやり方です。盗作を批判するのが目的ではありませんなんて返されたって、到底納得は出来ない。無神経なやり方には罵声を浴びせる、それがおれのやり方だ。
それだけのことだ。
世間の影響でいえば、むしろ「唐沢のアンチって怖い」になっちゃったと思いますよ、あなたのツイートで。
大きなお世話。世間の影響でいえば、むしろ「『クイック・ジャパン』て甘い」になっちゃったと思いますよ、あなたの記事で。
最後に一言。見苦しい言訳だけど。おれは吉田光雄が吉田豪とは知らず、無責任な第三者だとずっと思っていた。途中で気付いたが、もう言いたいことは言っちまったあとだった。その点だけはお詫びします。
以上。
今回の記事で、引導を渡すのは難しくなったなあ……。
※付記
今回も、藤岡さんの一時の感情のせいで漫棚さんの主張の流通可能性は大きく減ったと思っています。
これを読んで漫棚さんにお詫びのメールを出したら、次のような返事を頂いた。
おはようございます。漫棚通信です。いつもお世話になっています。
いえいえわたし自身は、検証班さんたちの記事、藤岡先生の検証、今回のツイッターでのやりとりも含めて、おもしろがって読んでいます。
時間がたってしまったので、どちらかというと「読者」モードが優先してますね。
ありがたいことだと思っておりますので、もしご負担でなければ今後も「検証」を続けていただいたほうがうれしいです。
迷惑などとはとんでもありません。
ご心配なさらないようにお願いします。
今後ともよろしくお願いします。
免罪というわけではないけれど。
- 564 http://twitter.com/
- 284 http://www.fujiokashin.com/
- 136 http://togetter.com/li/102418
- 91 http://d.hatena.ne.jp/kensyouhan/
- 90 http://twitter.com/shinfujioka
- 60 http://twipple.jp/
- 54 http://togetter.com/li/102281
- 42 http://www.movatwi.jp/url?url=http://bit.ly/gW6lRg
- 39 http://z.twipple.jp/
- 35 http://twitter.com/WORLDJAPAN
今回のQJのインタビュー記事が藤岡さんには不本意というのは良くわかりますが、世の中というのは中立的な醒めたスタンスからの意見の方が「客観的」に見えやすいゆえに受け入れられやすいということもあり、唐沢問題を大勢の人間に関心を持ってもらうためにはそんなに悪くはなかったと考えています。各所で述べましたが「引用ミス」という唐沢さんの出鱈目な説明を信じるQJ読者はまずそんなにいないと思います。
伊藤さんは長い間自分の正論がわかってもらえなかったという経験ゆえに「正しいからといってそれだけでそれが受け入れてもらえるとは
限らない」と考えたがゆえにああいう発言をされたのでしょう。
繰り返しますが、今回の件について私の意見は藤岡さんの意見と異なりますが、これは藤岡さんのスタンスを否定するということではありません。漫棚通信さんも言われているのだから、これからも「検証」を続けていってほしいと思っています。
一般論としては充分に理解しています。誤解して欲しくないのは、わたしは吉田豪に「糾弾インタビュー」をやれと言っているのではありません。コツコツ積み上げることが如何に大変かも分からずに足蹴にしていく神経が堪らなかったのです。あの方から見たら、わたしなんか、考慮するに値しない存在なのでしょうが。
文章を人に見せることのある人間として、何をしちゃだめなのかを、彼の対応を見ながらずっと考えてきたのです。
そういう意味では唐沢の問題は他人事ではまったくなくて、私は自分が「加害者にならない」
ために何をすべきかとか、すべきでないかとかを、この問題を通じて、若い頃よりももっと
いっそう深刻に、考えるようになりました。
つまり「自分が盗作されたとしたら」というのとはまた別に、逆に、
「自分の書くものが問題を起こさないようにするには」
「問題を起こしてしまった場合できるだけ早く、自分の書いたことが原因で
個人や社会に害が及ぶのを小さく抑え、原状を回復するには」をより深く、考えさせられたのです。
茶化して遊ぶような話でも本来なかったし、よく中二病みたいな子がネットで
「俺は唐沢なんて興味ない。ただお前らが正義を振りかざすのが気に入らないだけ」
みたいなことを書きますが、正義を振りかざそうなんて大層なことでもない。
いろんな意味で私には《他人事じゃない》のです。
ただ、心には余裕があった方がよかろうと思うので、ふざけたことも書いていますが、
真剣に怒っている人を目の前にして茶々を入れるつもりなど毛頭ないのです。
もしそういうことで私のコメントにイライラされたことがあるとしたら、大変失礼いたしました。
先生方はつまらない枝葉を伸ばす喧嘩をすべきでもないし
続けるべきでもないです。つまらないので。
そんなつまらないきっかけで二正面三正面作戦をはじめたら
勝てる戦も勝てませんよ。
伊藤先生も、持って回った言い回しで場外乱闘してみせたり
別の話に飛び火させてみたりせずに、水面下でそれこそメールなりで
意図を述懐すれば事足りることですよ。
双方共に暗に「おれのことはわかってるだろ!?なあわかってるだろ!?」
だとか「どうだ言いくるめてやった!」という行間に見られる、男の悪癖を
滲ませてはなりません。
串刺しになった豚がこんがり焼けるまで囲んで談笑すべきですよ。
伊藤先生や私などのような被害者も藤岡先生のような義憤の士も。
皮肉の言い合いや喧嘩なんかしていたら豚を食いっぱぐれますよ。
「踏みたるは釈迦とも知らず蟻の死よ」鶴彬
ありがたい説法をしながら、わたしという蟻を踏んでいるわけで。個人に対する怒りではなく行為に対する怒りです。
>お遊戯王さん
わたしの伊藤氏に対するツイートを見ていただければ分かると思いますが、豹変した相手に「どうしたんだよ、きゅうに?」って応じているだけで喧嘩なんかしたつもりはありません。「どうしたの?」「無神経!」じゃ喧嘩にもなりません。
端的にこれは両先生方の甘えに起因するものです。
無礼な物言いを御容赦下さい。
伊藤先生は外聞や体裁に細心の注意を払いたいと思ってらっしゃるはずで
そのように行動してくれない方に苛立ちを感じたということ。
対する藤岡先生は義憤ゆえ追及の手を緩めたくないと思ってらっしゃり
そのように行動してくれない方に苛立ちを感じたということですよね。
どちらもそうなって止む無い積年のなにがしかは共通しているわけであります。
そうしてどちらもが「わかっているはずなのに」という姿勢でいるから
こうしたことが起こるのです。
ここで両先生方が皮肉の言い合いを続けるのは人材の無駄遣いであり
それはある種の、言ってみれば先生方自らへの冒涜に近い行いです。
私は目的を反れて同岸の文士が切り結んでいる姿を
彼岸の亡者に笑われる事態だけは避けた方が絶対によいと思います。
犯罪者の言い訳をそのまま載せるくらいなら、最初からその件には一切触れなきゃいいのに、と思いますけど。
わたしは伊藤さんと争うつもりはありません。でも伊藤さんはガサツな人間が嫌いだと言う理由でわたしとは友好関係を結ぶ気はないようです。
>トンデモブラウさん
吉田豪には100%そんな気遣いはないでしょう。自分には係わり合いのない問題です。嫌な言葉ですが、こっちが舐められたってことなんでしょうね。
伊藤先生の物言いが、一方の無神経を指摘しながら根本の無神経を
視界から除くものに見え、そんな矛盾を強く憤ってしまったからでしょう。
そこはもう意見の相違として置く以外の道はないですよ。
名前を挙げて話題にしたり、食って掛かったり、相手の言葉尻を捕まえて
皮肉を言う等は、どちらが嫌な人間として優れるか競うようなもので不毛です。
相手がやり続けるなら自分はやらないという太い構えでいてください。
>他の本の内容を要約した部分で、あんなところわざわざ盗んでどうするという。
私はこの発言がそのまま掲載されている時点で、「雑誌(および聞き手)のスタンスは中立」とは到底思えないです。
「要約」というのはかなり高度な知的作業です。ですから、入試現代文などにも要約問題が出題され、大学で(私もよく出しますが)本の要約などがレポート課題として課されるのではないかと。新書本のある一章だけの要約レポートでも、大半の学生は悪戦苦闘し、鼻紙にもならないような酷いものを提出してきます(それでも自分の言葉で書くだけ唐沢よりゃはるかにマシですが)。ましてや漫棚通信さんが「盗まれた」のは本三冊分の要約というものですからなおさらです。そこをスルーされるのでは「ああ、この人も同類なのかな。まともな労力費やして文章を書いたことがない人なのかな」と思わざるを得ません。
すみませんが、わたしは伊藤さんに関しては昨日から、もう全く言及していません(このエントリの冒頭だけです)。
>儒学者さん
吉田さんはtwitterでのやりとりで検証側にわたしが迷惑をかけたと再三指摘されるのに、自分がやったことには「なんで考慮しなければならないか分からない」というスタンスですから。
>さかなやさん
わたしもそのつもりです。
これからも頑張ってください。
新作も気になるので、頑張ってください。
自分がやったことを反省する能力の全くないあなたは足を引っ張るだけなので黙っていた方がよろしいでしょう。