2010年05月
2010年05月31日
憤怒の沖縄
28日夕方に着いて31日の今日まで、沖縄はずっと泣いています。4日間雨でした。
29日、夕方、沖縄那覇空港について普天間移設反対集会が行われている県庁前広場に行きました。集会は6時30分からで、飛行機が着いたのは6時40分、タクシーで行きましたが、もうほぼ終わりかけていたところで、これからデモ行進に出発するというところでした。雨の中およそ1500人の人が、傘やビニールコートの胸に「怒り」の文字を付けて歩き出そうとしています。「怒」の文字は、私たち怒ってますの「怒り」ではなく「憤怒」の「怒り」なのだと思います。集会では、民主党から沖縄選出の衆議院議員・瑞慶覧長敏さんが挨拶をしました。わたしは瑞慶覧さんが挨拶をした直後に会場に着いたのですが、ブーイングの中での挨拶だったそうです。気の毒です。悪い事をした親のことで子どもが怒られているようなものです。
30日、12月に沖縄・うるま市であった難民支援チャリティ寄席実行委員会の方々と懇談しました。その中で沖縄の人の今の心を表す言葉としてうちなぁぐち(方言)をおしえられました。「ちるだい」という言葉です。「ちるだい」=全身の力が抜けくだけ落ちるような状態を言うのだそうです。「鳩山さんの言葉に期待していたのにちるだいやっさー」私たちが使う「がっくり」の最上級の言葉だと思います。
31日、那覇中央教会で祈りのときを持ちたいと思い出かけました。那覇中央教会はは5度目の訪問です。いつも物静かに聖日礼拝をしている方々で、わたしが行くと「あぁよくおいでくださいました」と笑顔で迎えてくれます。この日もいつもと変わらないのですが、礼拝が終わった後、愛餐会といって、みんなで昼食をとる予定になっていました。200円を出してカレーライスを食べ終えると「今野さん今の状態を説明してください」と言われました。期せずして政治集会のようになってしまいましたが、あらためて沖縄の方々の「憤怒」を感じました。
「鳩山さんの言葉は軽すぎるが、ではなぜそのような人を民主党は代表にし総理にしたのか」
「鳩山さんが、最低でも県外と言ったことに期待していた。その言葉を言った鳩山さんをなぜもっと励まさないのでしょうか」ひめゆりの一員だったという高齢の女性が持つマイクはブルブルとふるえておりました。
2010年05月21日
日本の森を元気に
日本の山の多くは、その土が酸性になっているそうです。農水省は木々の立ち枯れを虫のせいだと考えて大量の農薬を散布したり木に注入してきたたそうですが、それは的外れな無駄使いになってしまっているわけです。山を元気に緒する方法を実践している森びとプロジェクト委員会では、間伐材を炭にして山に撒くということをやっているそうです。そうすると森は元気を取り戻すということです。議員連盟としては、メンバーで山に入り炭を焼いたり実際にその炭を山に散布したりしてみたいと思っています。
2010年05月18日
遺骨奉還追悼式
そうした歴史の中で日中戦争が起き、日本は朝鮮半島の人々にさらなる犠牲を強いました。半島の人々を日本軍の軍人や軍属として連合国の捕虜の監視に当たらせたり、日本本土に連れてきて空港や鉄道の建設、炭鉱の工夫などとして強制的に働かせたりしたのです。半島から連行された人は1939年から1945年の間で70万人とも80万人とも言われています。戦後、軍人軍属として軍事裁判にかけられ処刑された人や病死した人などの遺骨は、厚生労働省が目黒・祐天寺に委託して管理してきました。政府は遺族が判明した遺骨は返してきましたが、韓国政府の要望もあって遺族が判明しない遺骨もまとめて返すことにしました。去年は204柱の送還を果たし、今年は、219柱の遺骨にお帰りいただくことになり、本日遺骨のお見送りといってもいい追悼式が行われて、わたしも列席したのでした。60年以上も祖国に帰れず、日本のお寺の片隅におかれていた遺骨にはただただ申し訳なくて、ひたすら哀悼の思いを送り、頭を下げることしかできませんでした。
それでも、こうして軍人軍属の方の遺骨は何とか送還の道があるのですが、民間の方々の遺骨はどのようになっているか調査は行われているものの送還の目途が立っていません。その多くは当時の政府が強制的に徴用してきた、云わば拉致してきた人々です。北朝鮮との間にある拉致の問題も人道的に大問題ですが、日本自身が過去に犯した70万人とも80万人とも言われる人々の拉致について解決しなければ「拉致された日本人を返せ」とはとても言えないのではないでしょうか。
先日9日の日曜日、親しい友人達に「なんで民主党なんかにいるのかわからない」と言われてショックを引きずっていましたが、こういう問題に出合うと、これらを放置してきた自民党政権に戻すわけには行かない、政権党・民主党ににいて解決を急がなければと思います。
去年の追悼式には副大臣どまりだった外務省の参加でしたが今年は岡田外務大臣が来て弔意を表していましたし、細川厚生労働省副大臣も列席し哀悼の辞を述べていました。こういうところも前政権ではなかったことです。
2010年05月16日
牡丹の花
民主党も今は大変苦しい時期です。政権党になり雇用を増やし、国民の皆さんの可処分所得が増えるように政策を実現してるのに、政治と金の問題、普天間問題に足をとられて正常に評価してもらえない状態です。国民の皆さんの評価が乾いています。
こういう時期があるから花が咲き実を結ぶときが来るのだと信じたいところです。
2010年05月06日
ニューヨークから東京へ
ニューヨークではNPT(核不拡散条約)再検討会議が開かれており日本から広島市長をはじめ100人を超える人が来て核廃絶を訴えています。写真は会議の会場となる国連の向かい側の歩道でデモンストレーションを行う人々です。会議に先立ってオバマ大統領がロシアとの間で新戦略兵器削減条約に合意して軍縮の流れを作ってはいます。条約が核を持つことを認めている5か国の中の他の3カ国(英、仏、中)は、米ロが削減条約を結んだからといって自国も軍縮を急ごうという流れにはなっていません。米ロが削減に踏み込んだからといって、その削減幅は、核削減のムードを作るほど大きくないからです。そんな中で、ニューヨークで会った2,3の日本からの参加者からもっと政府が本腰を入れるように言ってくださいと言われました。広島と長崎の悲劇は、日本に核の悲惨さと軍縮の必要を訴える資格を与えました。日本こそが核のない世界を訴えなければなりません。
ニュージャージーで
1996年韓国系アメリカ人の選挙での投票率は5%以下でした。キムさんは自分達の権利を獲得するには選挙への関心を高めなければならないと考え行動しました。その結果、2008年には65%の人が投票するようになるまで意識を高めることに成功しました。アメリカ議会での従軍慰安婦決議など人権問題に深く関わり大統領ともコンタクトできる有力な人です。
大変行動的な人というイメージがありましたがですが、会ってみると意外に物静かな方で、あまり直接的な表現はしない方なのかなと思いましたが、米軍基地の問題については「民主党の考え方を支持します」とはっきり言ってくださいました。