重い肝臓がんの男性(82)が、横浜市の自宅でベッドにいた。看護師の早出(そうで)ミエさん(76)は、男性の鼻から管を入れ、たんを機械で吸い出した。オムツを外して便を取る。おなかをさすって声をかけた。「全部出していいんですよ」。男性は答えた。「どうもありがとう。どこから来てくださったんですか」。昨年12月24日、クリスマスイブの朝だった。
男性は息子夫婦と孫2人の5人で暮らしていた。がんの痛みがひどくなり、昨年10月に入院。何日か自宅で過ごしたいと望み、12月に一時退院を許可された。だが、腹水がたまって足は腫れ、自力で歩けない。がんは肺に転移し、たんの吸引も欠かせない。家族だけで世話をするのは難しかった。
看護に来てくれる人はいないか。息子の妻(50)は地元の居宅介護支援事業所に相談したが、「訪問看護師は数が少なく無理です」と断られた。インターネットで検索して何件も電話をかけ、有償の訪問ボランティアに取り組む看護師の会「キャンナス」(本部・神奈川県藤沢市)に所属する早出さんに何とかたどり着いた。
介護支援事業所の仲介などで看護師を派遣する「訪問看護ステーション」は約5500カ所あり、看護師や准看護師約2万7000人が働く。所属する看護師は介護保険などから報酬を得て、自宅や老人ホームなどの患者を訪れる。体温や血圧などを測って病状を確かめ、注射や点滴、感染防止につながる口の中のケアなどをする。高齢化が進み、国が在宅医療を推進する中、欠かせない支援だ。
だが、圧倒的に人手が足りない。1人で訪問するために責任が重く、病院勤務より希望者が少ない。09年度は全国で323カ所が休・廃止に追い込まれ、うち152カ所は人員不足が理由だ。
早出さんたちはステーションができない仕事を引き受ける。「たいていのステーションは人員不足で休日の体制が組めない。毎日の看護を頼んでも、土日は無理。がん患者の一時帰宅など短期の仕事も難しい」。この10年、正月三が日は必ず看護に出てきた。
横浜市の男性は、病状が許せば1週間は自宅にいたかったが、早出さんたちが看護を引き受けられるのは3日間だった。12月23日に帰宅し、26日に病院に戻る計画にした。
妻は話す。「看護に来てもらえて安心しました。たんの吸引は病院で教わったけれど、慣れない家族がやると父を苦しめないかと心配でした。帰宅して呼吸に異常が出たときも家族は気づけず、早出さんに教えてもらって医師に相談できた」。男性は25日未明、自宅で息を引き取ったが、「家に帰れて、ほっとして亡くなったんでしょう」と振り返る。
東京大の村嶋幸代教授(地域看護学)らの推計によると、08年には全国で約32万人が訪問看護を受けたが、必要なのに受けられなかった患者が約26万人もいたとみられる。25年には、受ける患者が約53万人に増えるが、受けられない患者も約44万人に達する見通しだ。【高木昭午】
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毎日新聞 2011年2月18日 東京朝刊