2011-02-19
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で知ったんだけど、その元ネタであろうという
津田大介おじさんのこれ。
これは全くもって正しい。
「面白い人が面白いことをする」
こっから当てはまってないから。
だってTwitter自体「面白い人が面白いことをする」ものじゃないからね。
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まぁあれだよね。
ネットやコンビニ等の社会インフラを利用するというのが、単に「与えられるだけ」であることに気づくかどうか?という。
一人で生きてる気分に浸ってる人間の「何も与えなさ加減」について考えてみたいものである。
まぁなんつぅことはねぇんだけど
"「お互い様」の欠如"
でしかない。例によって例のごとく
ネット社会に慣れた人は「待たない、確実を求める、我慢ができない、何かあれば他罰的、自己中心的で共感しない」という態度になる。これが自己愛性格を培養する。これは大量消費社会の消費者の態度でもある。対人関係の原型が匿名の客と店員になっていて、他人には傲慢で共感不全であると映ることになってしまう。母と子、店員と客、コンピュータとユーザーの関係で生きていることが、自己愛性格を培養していると考えられる。
インターネットとこころの悩み 新橋心療内科編集室:新橋心療内科/品川心療内科-Sonalion:So-net blog
捻れて腐った自己愛の仕業。
そんな捻れて腐った自己愛の持ち主がネットで負け惜しみ。
実に醜悪ですな。
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うん、あー…総じて
第五は、一時的、部分的関わりしか持たないということです。人格的に付き合うのではなくて、ただ手段としてだけ、道具と
してだけ付き合うのです。対象は自分にとって手段でしかなく、主体はあくまで自分だと捉えていますから、全能感は失わずに
済むのです。それにスミスは、近代市民社会は市場経済ですから、互いに私利を追求し合えば、後は神の見えざる手が働いて調
和と繁栄がもたらされると説きました。しかしそれでは人間同士の人格的な交わりによる充実感や幸福は得られません。
これか。
うーん
今はネットとかコンビニとかかつては考えられなかった社会インフラの登場で現在の日本ではかなりの人間は一人で生きられる時代になったんじゃねーか、どうしてそれがいけない事みたいな話になってんだ
なんつぅんだろう?ネットやコンビニとか、その社会インフラってやつを利用してれば「生きてる」と思い込めるそのチンケな思考回路が問題なんじゃないかな?
「無縁」ってよりも「無能」が開き直っちゃってるだけでしかない。
ほんっとその程度で生を実感できるチープさってハンパない。
そういうのって、生きてる実感の薄さがなせる業なんじゃないだろうか。
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この人には「生き馬の目を抜く」とか「勝たなきゃ誰かの養分」的な考えがないのだろうな。
たしかにテレビ向きではない。
しかし負け惜しみの捨て台詞をネットに垂れ流して自分を慰めるしかなかった哀れさには同情を禁じ得ない。
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今回はローソンの参加はナシ?
またあれか…
オタクとかいう汚らしい生き物が傍若無人な振る舞いで地域住民に迷惑をかけるのか。
でも今回は先回りで観光協会が頭下げまくってんだろうな。
本来ならお前らがやらにゃならんとこだけど、オタクとかいう汚らしい生き物にはそういう習性がないんだ。
だからいつも他人様に迷惑をかけるだけ。
エヴァといえば箱根ですよね!!!
それが誰の努力によって成し遂げられたものであるか、箱根に向かう車中で考えてみちゃどうだい?