経済・IT【産経抄】2月18日2011.2.18 03:18

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【産経抄】
2月18日

2011.2.18 03:18

 「君、テープレコーダーの研究をやらないか」。ソニーの前身、東京通信工業の創業者、井深大から声がかかった。外出先で、GHQが持ち込んだ録音装置を初めて見たという。「やりましょう」。バラック建ての工場で、木原信敏さんは即座に答えた。

 ▼2年前に入社したばかりの若手技術者が目を付けた素材は、蓚酸(しゅうさん)第二鉄だった。取締役だった盛田昭夫と神田の薬問屋を駆けずり回って、ようやく見つけた。紙テープへの塗りつけに成功するまで、試行錯誤が続く。「本日は晴天なり」。最初の試作品から再生した声が聞こえてくると、工場に駆けつけた井深は、木原さんと抱き合い喜んだ。

 ▼昭和39年に結婚した木原さんの披露宴で、井深はこんなスピーチをしている。「今日、この会場でみなさまが8ミリ撮影をしておられますが、われわれの夢は、このような簡単な、どこの家庭でも買えるようなVTRを供給したいと思っています」。8ミリビデオ開発を急げという、井深からの新たなミッションだった。

 ▼井深が思いついたアイデアを、木原さんが形にする。そんなことを繰り返していくうちに、取得した特許は約700にも及ぶ。役員定年になっても、井深に引き留められ、「ソニー木原研究所」で最先端の研究を続け、人材育成に努めた。

 ▼「井深さんと盛田さんが、そしてわれわれソニーの技術屋がモノづくりに懸けた情熱は、二十一世紀の日本が進むべき方向を指し示しているようにも思う」。晩年の著書にある記述だ。

 ▼技術屋の誇りを持ち続け、技術立国日本の行く末を心配しながら、13日、84歳の生涯を終えた。今ごろかつての上司2人と、技術談議に花を咲かせているかもしれない。

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