第134回  大船に乗ったタコ


 富戸の港に定置網漁の船が帰ってくると、船倉の魚は大きな網ですくい上げられてクレーンで選別台の上に開けられます。そこで漁師さんがアジはアジ、ホウボウはホウボウ、スルメイカはスルメイカと魚種ごとに籠の中に仕分けて行くのです。ところが、それらの籠の脇に人知れずひっそりと佇む寂しげな籠があります。傷ついた魚、ハリセンボンの様に売り物にならない魚などがポイポイと投げ入れられていくのです。

 でも、これこそが僕にとっては千両箱なのです。

 「今日はどんな珍しい魚が揚っているんだろう」

と物欲しげな顔でこの籠の中をチラチラと覗きこんでいます。そんな僕の姿を徐々に覚えてもらって来たのか、漁師さんの中には、商品価値のなさそうな見慣れぬ魚を見たら、

 「ホイッ」

と手渡してくれる方もいます。そして、この日最初の「ホイッ」がこれでした。


 オオサルパです。漁師さんには馴染みのない生き物なのか、

 「これ何だ?」

と不思議そうです。

 「サルパです」
 「サルパ? クラゲの仲間なの?」
 「いや、クラゲとは全然違う生き物でどちらかというとホヤの仲間
  で・・・」

なんて事を話しながら僕の視線はオオサルパの体内に釘付けです。いつか見てみたい生き物の中に、オオサルパの中で暮らすアミダコというタコが居ます。タコがサルパの中に居ついているんですよ。一体どういう組み合わせなんだろうと思いませんか。

 (掲示板 #587#616 参照)

アミダコは主に外洋性らしいのでダイビング・エリアで見つけられる可能性は低いかも知れません。それならば定置網に入ったサルパででもと思っているのですが、未だにその望みは叶えられぬままです。

 その時です。近所の民宿の顔見知りのご主人が、

 「ほらほら」

と、別の雑魚箱を指差してくださいました。何々? と覗き込んで

 「う、うわっ!」

とビックリしました。


 「タコブネだぁっ!」

こんな物が富戸で見られるなんて思ってもいませんでした。残念ながら既にお亡くなりになってはいましたが、初めて見ました。

 イカやタコは貝類が進化した姿なのだそうで、その証拠に、イカは甲として貝殻の名残を体の中に抱えています。スルメイカなんかをさばいたら細く薄っぺらなプラスチックフィルムの様なのが出てきますよね。あれです。一方、タコはその甲すらも捨ててしまったのです。ところが、このタコブネだけは貝殻の名残をしっかりと残したのです。しかも、体の中ではなく、体の外にその貝殻を作り出したのであります。そこで、「貝殻という船」に乗った「タコ」だから「タコブネ」と言う訳です。

 このタコブネが不思議なのはその見た目だけではありません。暮らしぶりはもっともっと不思議なのです。

 イカやタコの雌雄を見分けるには、オスだけが持っている交接腕(精子のカプセルをメスに受け渡す為に一部の吸盤が無くなった腕)を確かめます。

  本コーナー  でも、タコブネの場合はその必要がありません。上の写真を見ただけで即座に雌雄が分かってしまうのです。なぜならば、タコブネの内、貝殻を持っているのはメスだけだからです。オスはスッポンポンの状態で外洋を漂っているのです。しかも、オスはメスの1/10程度の大きさしかないのだそうです。チョウチンアンコウを思わせるような極端な体長差ですよね。ちなみに、自然状態で泳いでいるタコブネのオスというのはまだ発見されていません。

 しかし、驚きはそれだけではありません。オスは、精子カプセルを持った交接腕をメスに挿入すると、その腕を自分で切り離してメスの体内に残してしまうのです。外洋を漂う生活なので、数少ない雌雄の出会いを確実に生かそうとする知恵なのでしょうね。昔の学者さんは、メスに残された交接腕を寄生虫か何か別の生き物と考え、「ヘクトコチルス・オクトポディス」という学名まで付けてしまったんですって。

 さて、こうして受精が進むと愈々産卵となります。我々がダイビング中に見るマダコやスナダコなどは、岩穴や場合によっては投棄瓶の中に卵を産み付けます。ところが、タコブネは定住生活者ではありません。そこで、メスは自分の貝殻の中に卵を産みつけるのです。つまり、メスだけが貝殻を持っているというのはポータブル産卵床としての意味があったのです。


 つづいて、タコ自身を貝殻から引っ張り出してみました。すると、第1腕(一番背中側にある腕。背中は漏斗があるのと反対側)の先が奇妙な形をしているのに気付きました。何だか広い膜の様に広がっているのです。実は、この膜にもタコブネの秘密が隠されているのです。


 上は、黒潮コメッコのおまけについていたタコブネのフィギュアです。実はこれを見ても何処がどうなっているのか理解できていませんでした。しかし、今回実物を見て漸く分かりました。貝の口から外に大きく伸ばしているのが第一腕です。そしてその先の膜(上の写真でピンクの部分)で貝殻を広く覆っているのです。実は、この膜の部分で貝殻を作って行くのだそうです。過去には、メスだこがおよそ1時間で全ての貝殻を作り上げたという記録もあるのだそうです(本当かな?)。


 さて、タコブネで最も目を惹くのはやはりこの貝殻の美しさです。貝殻というには余りに薄っぺらで強く握れば簡単に壊れてしまいそうです。それ故なのでしょう、タコブネの仲間は英語では Paper Nautilus と呼ばれています。「紙の様な貝殻を持ったオウムガイ」という事ですね。でも、タコブネとオウムガイは似ているようで大きな違いがあります。オウムガイは雌雄共に貝殻を持っています。また、その貝の中は幾つかの部屋に分かれており、それが浮力の調整に役立っています。ところが、タコブネの貝殻は簡単な覆いに過ぎません。

 (はてなの定置網 第119回 「オウムガイの謎」参照)

 この貝殻は種の同定にも役立ちます。日本近海では、タコブネの3種の仲間が知られています。今回の場合は、貝殻がほぼ純白であること、トゲトゲ部分がかなり鋭いことから「アオイガイ」でないのかなと思われます。「タコブネ」は貝殻がもう少し飴色でとんがりも丸みを帯びています。ただ、アオイガイの貝殻は25cm程度になるのに対し、今回は5cmしかないのが少し疑問です。子供なのかな?

 さて、

 「やっぱりそうか」

そう、やっぱりそうなります。

 「ところで、このタコは美味しいの?」

ウッ、憧れのタコを食べるなんて卑し過ぎるのかも知れません。でも、好奇心も抑え難い。あ、いけない。箸が、箸が勝手に動いてしまう〜。


 で、モグモグ。うん、新鮮なせいか歯応えもよくジンワリとした旨味も出て、イカタコ好きには応えられない味わいでした。でも、いくら美味しくてもこんな小さくて、数が少ないのでは売り物にはなりませんね。

 そして、最後に、

 「ぺっ」


 小さな小さなカラストンビが出て来ました。

これにて、初めて見たタコブネを文字通り隅から隅まで味わい尽くす事ができました。あとは、この不思議なタコが泳いでいるのを海の中で見るだけです。果たしてどんな風に海を漂っているのでしょうか。
  

参照:
  ・「日本近海産貝類図鑑」 奥谷喬司 編著
  ・「CHEPHALOPODS A WORLD GUIDE」 M. Norman
  ・「タコは、なぜ元気なのか」 奥谷喬司・神崎宣武 著

2004/05/05 記
   

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