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【あの人は今こうしている】

「戸惑いはもちろん、忸怩たる思いがあったのは事実です」

【芸能】

2010年12月20日 掲載
●嵯峨聖子さん
 市川海老蔵殴打事件で大張り切りの芸能リポーターの面々。そこに梨元さんがいないのは寂しい限りだが、きょう登場の嵯峨聖子さんはとりわけ美人の誉れ高いリポーターだった。86年に歌手からリポーターに転じて以来、日本テレビやテレビ朝日のワイドショーで活躍。著名人が死亡した際の落ち着いた葬儀リポートには定評があった。今どうしているのか。

「お待たせしました~ッ」
 福岡市天神そばのFBS福岡放送ロビー。午後5時を過ぎ、ハンドバッグを手にした嵯峨さんが駆け足でやってきた。
「今年6月14日から生ワイドショー『めんたいワイド』の芸能コーナーにゲストコメンテーターとして出演してるんです。最初は週1だったんですが、芸能コーナー強化のために10月以降は月・木曜の週2回に増えました。その合間に取材と資料整理をしなくてはならず、けっこう忙しくしてます」
 自宅は都内にあり、基本的に放送日の午前と夜の飛行機で往復している。
「今の仕事は芸能リポーターの大先輩で8月に亡くなられた梨元(勝)さんのご紹介がきっかけです。レギュラーだった梨元さんが6月に入院されたため、ピンチヒッターとして声をかけていただきました」
 嵯峨さんがリポーターデビューしたのは86年。当時、梨元さんがレギュラー出演していた日本テレビのワイドショーで知り合い、それ以来の付き合いだったとか。
「あと、毎日新聞の葬儀情報サイト『毎日@葬儀 風のあしあと』で亡くなった有名人の方のエピソードをつづった『嵯峨聖子のあの人を偲ぶメモリアルコーナー』を月1連載してます。機会があったら、お読み下さい」

●故梨元勝さんの紹介で芸能コーナーでコメンテーターを
 さて、嵯峨さんは76年の全国高校サッカー選手権のテーマソング「ふり向くな君は美しい」を歌った「ザ・バーズ」の一員として芸能界デビュー。その後、81年、シングル「シンデレラリバティー」でアイドル歌手の仲間入りをし、83年から85年まで、先日亡くなったシルビアさんの後継女性ボーカルとしてロス・インディオスで活躍した。
「ロス・インディオスを抜けた後も歌手活動を続け、今でも紅白歌合戦に出場するのが夢だし、歌うことにはこだわりを持っています。それだけに、取材を受ける側から一転してマイクを向ける側に回り、戸惑いはもちろん、忸怩(じくじ)たる思いがあったのは事実です。リポーターになってしばらくは歌番組を見られませんでした」
 当初は辞めることばかり考えていたとか。
「でも、93年に2時間枠の『ザ・ワイド』(日本テレビ)のレギュラーに起用され、考えが変わりました。誰にも負けないリポーターになろうと決心し、5年間はボーイフレンドをつくらずにガンバろうって心に誓ったんです。困ったことに、ボーイフレンドは今になってもできません、ハハハ」
 年明けの1月12日から大阪・読売テレビの情報番組「朝生ワイド す・またん!」の芸能コーナー出演が決まっている。
「関西は小学校から高校まで育った第二の故郷ですから、今から楽しみ。これからも経験を生かし、丁寧な取材とリポートを心がけていきます」
 もったいないことに、ずう~っと独身だ。
~2010年12月20日以前の記事~

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