2011年2月18日0時2分
米軍嘉手納基地を抱える沖縄県嘉手納町で20年間にわたって町長を務めた宮城篤実氏(74)が17日、勇退した。巧みな弁舌で政府や米軍と渡り合い、騒音軽減策を約束させるなど、その政治手腕は注目を浴びてきた。しかし、胸中には、悔しさが募る。
「とても対応できなかったのが基地問題。何も動かせなかった」。14日、仲井真弘多知事に退任あいさつをした宮城氏はそう言って唇をかみしめた。
初当選は1991年。町の面積の8割以上を米軍基地が占める現実を前に、拳を振り上げる運動よりも、政府や米軍との「交渉」に、活路を見いだそうとしてきた。
騒音の悪化や事件・事故、新たな米軍機の配備など、問題が起きるたびに基地に足を運び、司令官に抗議を重ねた。司令官との直接交渉で、騒音源となっていた駐機場所を、住宅地から離れた場所に移動させたこともある。
政府に対しては、橋本龍太郎政権下で沖縄と深くかかわった元官房長官・故梶山静六氏らとの太いパイプを築いた。町の再開発のために町予算規模の3倍を超える200億円余りの予算を引き出した。「爆音を生身で感じて仕事をしてもらいたい」と那覇市にあった沖縄防衛局の町内への移転も働きかけ、十数年がかりで実現させた。
ただ、日米両政府は何度も嘉手納の騒音被害の軽減を約束し、訓練移転など様々な対策を打ち出したが、深夜未明の離着陸が今もやまず、騒音は減らなかった。
「日米地位協定で米軍は使いたい放題。協定の改定という根幹に踏み出さなければ、被害は変わらない」。宮城氏の結論だ。
自民党政権時代、防衛官僚が「沖縄にいくらつぎ込んでいると思いますか。(米軍普天間飛行場の県内移設は)一歩も進まない。沖縄県民はずるい」と愚痴るのを聞き、本土との温度差を痛感した。