NEOOITA

2002・11 Vol.46
 

これからのアジア交流と九州府構想



フィールドワークの勧め
平 松 梅棹先生とは、一度お会いしてお話を伺いたいと思っていました。先生は、以前、高崎山のサルの研究で大分を訪れていますね。
梅 棹 一九六〇年のことです。
平 松 当時、先生が話をされた大分市の上田保市長は私の義父です。私も、義父から先生の話を聞いたことがあります。
 先生は、高崎山のサルを餌付けする方法として、市長がホラ貝を吹いたと『日本探検』の中で紹介されていますね。そのサルが、いまやもう一八〇〇匹以上になりました。
梅 棹 そうらしいですね。いや、本当に懐かしいです。
平 松 当時、その様子が火野葦平さんの『ただいま零匹』という小説で紹介されましたね。
梅 棹 上田市長には、お話を伺ったほか、ジャングル公園なども案内していただきました。
平 松 先生は、朝鮮半島から始まって、モンゴル、中国、東アフリカ、ヨーロッパなど世界中を調査、探検されたフィールドワークの実践者です。アジアや世界中を歩いてこられて、独特な見解でいろいろ分析されています。そして『文明の生態史観』では、西欧文明と日本文明は、ほぼ同じ歩みで進化したという「平行進化説」を打ち出されました。私は、大学時代に先生の『文明の生態史観』を読んで目からうろこが落ちる思いがしました。
 先生が世界中を歩いてこられて、一番魅力のある、もう一度行ってみたいところはどこですか。
梅 棹 モンゴルです。私の心のふるさとみたいなものです。
平 松 なぜモンゴルなのですか。
梅 棹 私は、学生時代、動物学を専攻し、家畜の生態を研究するためにモンゴルに行きました。ところが実際に行ってみると家畜より、その家畜を飼っている牧畜民の方が面白そうだった。それで人間の研究に変わってしまったのです。モンゴルでの研究は、民族学を始める転機となりました。
平 松 先生は、現在、日本ローマ字会の会長も務められていますね。
梅 棹 私は、日本語のローマ字化を早急に行うべきだと考えています。今の漢字かな混じりは、非効率的なシステムで、これでは大情報時代を乗り切ることはできません。漢字は確かに優美な字です。しかし、今の文字システムでは、正確に読み書きができるまでに長い年月がかかります。
平 松 確かにワープロで、かなで入力した文字を漢字に変換すると、同じ音の文字がいくつも出てきて、選ぶ作業も大変です。
梅 棹 今では、ワープロ入力のほとんどがローマ字入力です。ローマ字化というと英語になるのではと心配する人がいますが、それは違います。もともと漢字は漢語、すなわち中国語に合うようにできています。日本語と中国語では言語の系統も構造も全然違います。今でも中国語と日本語の二重言語と言われるくらいで、これに英語が入ったら三重言語になります。
平 松 日本語を守るために、漢字をやめなければいけないということですね。ただ、ローマ字にすると同音異義語の問題があります。
梅 棹 それは大丈夫です。ローマ字化すれば、同じ発音で意味の違うものがたくさん生じ、最初はとても不便に感じるでしょう。しかし、そこで初めて言い換えを考えるわけです。今のままでは、言い換えを考えません。私は長年ローマ字で書いていますし、慣れれば誰でもできます。


西太平洋同経度国家連合
平 松 二十一世紀はアジアの時代と言われています。大分県では、留学生と日本人学生が半々の立命館アジア太平洋大学(APU)を別府市に誘致しました。今、中国がダイナミックに経済発展していますが、これからは、九州から韓国、中国、タイ、ベトナム、インドネシア、フィリピンなど東シナ海を囲んだ国々との交流が盛んになると思います。いわゆる環東シナ海経済圏が形成されるのに備え、アジアの学生を別府に迎えて、日本の学生とともにアジア太平洋学を学んでもらう。日本文化も理解してもらい、自国に帰っても将来にわたりいろいろな交流をしていただきたいと考えています。かつて、岡倉天心は「アジアは一つ」と唱えましたが、先生はどうお考えですか。
梅 棹 私は逆に、「アジアはひとつひとつ」と思っています。アジアを文化でひとまとめにするのは難しいと思います。アジアの国々のそれぞれの文化は別のものです。しかし、連携はできます。それぞれ歴史や文化も違うし、決して同質のものではありませんが、お互いに経済的には連携できるし、交流もできます。
平 松 日本の国でも封建時代は小藩分立で小さな文化がたくさんありました。それが一つにまとまって日本ができているわけで、やはり一つひとつの文化は違っても、一つの大きな交流圏の中で「九州経済圏」や「東アジア経済圏」などができるのではないかと思います。アジアの国々とは宗教も違うし言葉も違います。しかし、一つの東アジア経済圏という、同じ経済圏の中で、これからは交流していかなければならないと考えています。
梅 棹 文化圏の成立はちょっと難しいと思いますが、経済圏はできるでしょう。私は、これからの日本は、西太平洋島嶼(しょ)国家連合で行くべきと考えています。
 冗談で「ニチドネラリア」とよく言っていますが、ニチは日本、ドネはインドネシア、ラリアはオーストラリア。要は、日本と西太平洋諸国家の連合です。
平 松 なるほど。海を通じた経済連合体ですね。
梅 棹 私はオーストラリアを二度まわっています。この国と日本の文化は全然違いますが、経済的に手を結ばざるを得ないでしょう。例えば西オーストラリアで、鉄鋼石の露天掘りをやっています。掘った鉄鉱石は、十トントラックで港まで運ばれ、港には日本の輸送船が待っています。それが何日か後に日本に着きます。シーレーンでつながっているのです。
平 松 大分の新日鉄の工場にも鉄鉱石が運ばれています。
梅 棹 それです。日本とオーストラリアは、運命的につながっていかざるを得ない。それで、お隣のニュージーランドや、シーレーンの途中にあるインドネシアなどとも連合すべきです。いままでの日本は、大陸との間で共栄圏をつくろうとするなど、大陸を向いていたでしょう。でも大陸に手を出したら、ろくなことになりません。それは歴史が証明しています。これからは、海洋国家でいこうということです。
 南へ、南へ伸びていく。日本人の若者たちには、南にいくらでも活躍の場があります。南を向けば、同経度でしょう。西太平洋同経度の島嶼国家連合というのが私のアイデアです。
平 松 大いに賛成します。これからは海を通じた交流を盛んにしないといけません。先生のアイデアは、APUの開学精神にも合致します。


関西独立論と九州府構想
平 松 先生は国立民族学博物館の館長を長年務められました。二〇〇五年度、福岡県に九州国立博物館が完成します。
梅 棹 私は、九州国立博物館の建設に最初から関わってきました。長いことかかりましたが、やっと着工しました。
平 松 ただ、コンセプトが難しいですね。先生がつくられた大阪の国立民族学博物館は、民族学ということで、もちろんアジアも入ってますが、今度のはアジアに特化した民族博物館になります。
梅 棹 これは大変ですよ。アジアは多様ですから。東シナ海文化圏というか、やはり韓国や中国を含めた東アジアとの交流がテーマになると思います。その中で九州の役割みたいなものが出てくれば面白いですね。
平 松 昨年の一月、カンボジアのフンセン首相に招待されて、一村一品運動の講演をしてきました。そこで銀製のカボチャをプレゼントされたのですが、カボチャの語源はカンボジアなのです。それが最初に渡って来たのが十六世紀の大分県。キリシタン大名・大友宗鱗の時代です。当時、インドシナ半島の国々とも、文化から食材に至るまで様々な交流があったわけです。そういう文化の交流を考えていくと面白いと思います。
 日本の中をみても、いろいろな盆地によって文化とか風土がみな違います。米山俊直先生が書いた『小盆地宇宙と日本文化』という本があります。日本文化は、戦争を経てどこもみんな同じ町、同じ文化になったように感じますが、封建時代から徳川の末期ぐらいまでは、それぞれの地域で藩ごとに文化ができ、風土による文物があり、非常に栄えていました。
梅 棹 そのとおりです。
平 松 今の県は、明治維新の廃藩置県で思い切った線引きをしたから、昔の県境とかなり違うところがあります。それをもう一回元に戻して、地域独自の文化圏ごとに、新しい分権国家を作ろうというのが私の考えです。日本の中でも地形的、歴史的な経済圏、文化圏というものに一つの行政区域を設定して、そこに権限をみな移すというようにしていけばいいのです。
梅 棹 現実に、だいたいそういう方向に向かっているのではないですか。
平 松 市町村の合併についても、例えば大分県の一番北にある中津市と隣の吉富町は昔は中津藩でひとつだったのが、今は、山国川で分けられています。
 今でも吉富町から中津市の高等学校に通う学生が大勢います。しかし行政区域は福岡県と大分県とに分かれています。
 昔は、大和盆地とか、日田盆地とか、それぞれの盆地ごとに小宇宙があり、独特の文化がありました。行政圏を文化圏と同じにしていくことが分権を進めるうえでも好ましいと思います。もう一度そういう観点で見直した、連邦制みたいなものをつくるべきです。
梅 棹
今の体制は、かなりの部分が
明治政府が作り出した
フィクションです。
それで弊害も
たくさんあるうに思えます。
平 松 
九州はいまの七つの
県ではなくて、一つにまとまって、
その中で固有の文化で
連合した連合文化体みたいに
しておけばいいわけです。
梅 棹 私は、ずっと連邦国家説です。私もだいぶ過激で、関西独立論者です。東京政府は信頼できないから(笑)。
平 松 関西については、私も同感です。九州も独立して、九州一本でやる九州府構想というのが私の持論ですが、九州の文化というのを、もう一度みんなで考えないといけないと思っています。
梅 棹 そうですね。九州は独立できますよ。
平 松 そうすると人口が千百万人になります。ベルギーと同じぐらいだから、主要国首脳会議にも参加できます。
梅 棹 一つの独立国家で、その中に多様な文化が存在する。その上で一緒に連合を組めばいいのです。知事がおっしゃるように今の体制は、かなりの部分が明治政府が作り出したフィクションです。それで弊害もたくさんあるように思えます。これは再編を考えた方がいいですね。
平 松 九州府構想とあわせて、「廃県置藩」も考えた方がいいと思います。廃藩置県じゃなくて、廃県置藩です。
梅 棹 それも一つの考え方だと思います。
平 松 九州はいまの七つの県ではなくて、一つにまとまって、その中で固有の文化で連合した連合文化体みたいにしておけばいいわけです。関西もそれでいいのではないでしょうか。
梅 棹 とにかく関西は、独立した方がいいというのが、私の考えです。東京政府の規範からの離脱です。
平 松 同感です。東京までいちいち予算陳情にいかなくても、九州で独立した政府をつくって、九州の予算は九州の人で考えて分けるようにする方が日本のためにもなると思います。
梅 棹 もともと大宰府は、そういう独立政府でした。
平 松 九州国立博物館が、アジアにおける九州のアイデンティティを確かめる博物館になって欲しいと思います。

 

梅棹忠夫(国立民族学博物館顧問)
1920年 京都生まれ(82歳)
1943年 京都大学理学部卒業 理学博士
大学では主として動物学を専攻したが、内蒙古の学術調査を通じて民族学に転じ、アフガニスタン、東南アジア、東アフリカ、ヨーロッパなどフィールドワークを精力的に行う。1957年の『文明の生態史観』では、西欧文明と日本文明は、ほぼ同じ歩みで進化したという「平行進化説」を打ち出す。国立民族学博物館の創設に尽力し、1974年から93年まで初代館長、退官後は顧問となる。若い頃からエスペラント、ローマ字などの言語運動にもかかわり、現在も日本ローマ字会会長を務める。1988年朝日賞、1991年文化功労者、1994年文化勲章、1999年勲一等瑞宝章を受章。主な著作は『文明の生態史観』『知的生産の技術』『地球時代の日本人』『情報の文明学』など。その膨大な著作は「梅棹忠夫著作集」(全22巻・別巻1)に収められている。


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