関西独立論と九州府構想 |
平 松 先生は国立民族学博物館の館長を長年務められました。二〇〇五年度、福岡県に九州国立博物館が完成します。 |
梅 棹 私は、九州国立博物館の建設に最初から関わってきました。長いことかかりましたが、やっと着工しました。 |
平 松 ただ、コンセプトが難しいですね。先生がつくられた大阪の国立民族学博物館は、民族学ということで、もちろんアジアも入ってますが、今度のはアジアに特化した民族博物館になります。 |
梅 棹 これは大変ですよ。アジアは多様ですから。東シナ海文化圏というか、やはり韓国や中国を含めた東アジアとの交流がテーマになると思います。その中で九州の役割みたいなものが出てくれば面白いですね。 |
平 松 昨年の一月、カンボジアのフンセン首相に招待されて、一村一品運動の講演をしてきました。そこで銀製のカボチャをプレゼントされたのですが、カボチャの語源はカンボジアなのです。それが最初に渡って来たのが十六世紀の大分県。キリシタン大名・大友宗鱗の時代です。当時、インドシナ半島の国々とも、文化から食材に至るまで様々な交流があったわけです。そういう文化の交流を考えていくと面白いと思います。
日本の中をみても、いろいろな盆地によって文化とか風土がみな違います。米山俊直先生が書いた『小盆地宇宙と日本文化』という本があります。日本文化は、戦争を経てどこもみんな同じ町、同じ文化になったように感じますが、封建時代から徳川の末期ぐらいまでは、それぞれの地域で藩ごとに文化ができ、風土による文物があり、非常に栄えていました。 |
梅 棹 そのとおりです。 |
平 松 今の県は、明治維新の廃藩置県で思い切った線引きをしたから、昔の県境とかなり違うところがあります。それをもう一回元に戻して、地域独自の文化圏ごとに、新しい分権国家を作ろうというのが私の考えです。日本の中でも地形的、歴史的な経済圏、文化圏というものに一つの行政区域を設定して、そこに権限をみな移すというようにしていけばいいのです。 |
梅 棹 現実に、だいたいそういう方向に向かっているのではないですか。 |
平 松 市町村の合併についても、例えば大分県の一番北にある中津市と隣の吉富町は昔は中津藩でひとつだったのが、今は、山国川で分けられています。
今でも吉富町から中津市の高等学校に通う学生が大勢います。しかし行政区域は福岡県と大分県とに分かれています。
昔は、大和盆地とか、日田盆地とか、それぞれの盆地ごとに小宇宙があり、独特の文化がありました。行政圏を文化圏と同じにしていくことが分権を進めるうえでも好ましいと思います。もう一度そういう観点で見直した、連邦制みたいなものをつくるべきです。 |
梅 棹
今の体制は、かなりの部分が
明治政府が作り出した
フィクションです。
それで弊害も
たくさんあるうに思えます。
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平 松
九州はいまの七つの
県ではなくて、一つにまとまって、
その中で固有の文化で
連合した連合文化体みたいに
しておけばいいわけです。 |
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梅 棹 私は、ずっと連邦国家説です。私もだいぶ過激で、関西独立論者です。東京政府は信頼できないから(笑)。 |
平 松 関西については、私も同感です。九州も独立して、九州一本でやる九州府構想というのが私の持論ですが、九州の文化というのを、もう一度みんなで考えないといけないと思っています。 |
梅 棹 そうですね。九州は独立できますよ。 |
平 松 そうすると人口が千百万人になります。ベルギーと同じぐらいだから、主要国首脳会議にも参加できます。 |
梅 棹 一つの独立国家で、その中に多様な文化が存在する。その上で一緒に連合を組めばいいのです。知事がおっしゃるように今の体制は、かなりの部分が明治政府が作り出したフィクションです。それで弊害もたくさんあるように思えます。これは再編を考えた方がいいですね。 |
平 松 九州府構想とあわせて、「廃県置藩」も考えた方がいいと思います。廃藩置県じゃなくて、廃県置藩です。 |
梅 棹 それも一つの考え方だと思います。 |
平 松 九州はいまの七つの県ではなくて、一つにまとまって、その中で固有の文化で連合した連合文化体みたいにしておけばいいわけです。関西もそれでいいのではないでしょうか。 |
梅 棹 とにかく関西は、独立した方がいいというのが、私の考えです。東京政府の規範からの離脱です。 |
平 松 同感です。東京までいちいち予算陳情にいかなくても、九州で独立した政府をつくって、九州の予算は九州の人で考えて分けるようにする方が日本のためにもなると思います。 |
梅 棹 もともと大宰府は、そういう独立政府でした。 |
平 松 九州国立博物館が、アジアにおける九州のアイデンティティを確かめる博物館になって欲しいと思います。 |