8−5(金)、映画「暗闇坂の人食いの木」報告と、南波杏さん |
南波杏さんの名前を、最近よく耳にするようなった。自身のブログに島田作品をよく取りあげ、推薦的に語っている、だから映画「暗闇坂の人食いの木」に、ちょい役でいいから使ってあげてください、というような書き込みが、SSKサイトにも現れるようになった。ついでに口さがない人たちの、それを目的とした計算行動だといった声や、どこかに仕掛け人がいる、といった声も聞くようになった。
吉祥寺のミステリー専門書店「TRICK+TRAP」で、明大のミステリー研の人たちと会って話したら、この時にも南波さんのことが話題に出て、述べたような声について言ったら、作家志望の女子大生が、そんなことはないと思う。彼女が御手洗作品を好きなのは計算でも演技でもなくて、純粋に本当だと思う。だってずいぶん前から「占星術殺人事件」のこととか書いていましたから、と言った。
別れてから家で「南波杏」で検索してみたら、彼女のブログが見つかり、本当に拙作のことを何回も好意的に紹介してくれていたから、大変嬉しかった。言葉遣いが上品で、おちょくりふうの言い廻しはいっさいなく、非常に感じがよかった。彼女自身の写真もたくさんあったが、大変顔立ちの可愛い人だった。
映画「暗闇坂の人食いの木」についてということなら、進行状況を読者諸兄に報告する必要をずっと感じている。けれどこれは主演俳優が決まるまではということで、香月プロデューサーに口どめされている。言えることはごくわずかだが、この機会に読者のために特別にリークすると、監督は「TRICK」の堤氏にほぼ内定して、彼は意欲を持ってくれている。主演は現在ある大物男優と交渉中で、彼は有名な大所帯のエイジェントに所属しているが、この会社のナンバー2氏は、脚本を読んで非常に乗り気になってくれており、残るハードルである社長と当人を口説き続けると約束してくれている。
障害は、彼で似たTV企画が進行しており、果たして御手洗もやってもいいものかどうか迷うこと、そして来年出演予定の映画企画が、もっか三部作に膨らんでいて、そうならこの仕事が2006年いっぱいかかる可能性が出てきていること、などによる。そうなら、実現となっても撮影は2007年になりそうな気配も出始めた。これらの先行企画がつぶれないと、なかなかむずかしいかもしれない。しかしぼくは、この人ならよい御手洗になると考えている。香月氏があげた複数の候補者の中からぼくが選んだ人で、人が複数集まれば、自然にリーダーシップが取れるタイプの人と感じる。
概して日本映画の役者は、読者にすでに定着しているヒーローのシリーズものには、極端に慎重になる傾向がある。成功すれれば原作がよかったからだと言われ、コケたら問答無用で主役1人のせいにされ、当れば当ったでイメージが固定してしまって、他の役がやりづらくなる。いいことは何もない、当人というより、周囲がそう考えるようである。現在日本映画が力を落としていることも、こういう傾向を助長する。だから、たとえば金田一耕介とか、明智小五郎と言われると、ピークを少しだけ下っていないと、役者はやらないものらしい。
暗闇坂の人食いの木」の脚本は、最近ぼくが冒頭から結部まで、完全に書き直した。であるから、もっかのところは、かなりよいものだという自信を持っている。けれどこれは、前任のベテラン脚本家、Nさんの仕事ぶりを拒絶したわけではなくて、彼の作った場面進行の段取りや、巧みなシーンのつなぎ方、各場面のちょっとしたアイデア等には、この道のプロらしいとてもよいものがあったから、そういうものにはできるだけ手をつけず、生かすことを心がけて手を入れた。だから自分としては共同執筆のつもりでいる。Nさんの優れた先行作業がなければ、仕事の合間の短時間では、到底このようには直せなかった。ただ、レオナが登場する場面に関してはそうもいかなくて、まったく新しいシーンを、いくつも書いて加えた。
南波さんの話がだんだん耳に大きくなるので、この脚本が製本されてあがってきたおりに、香月プロデューサーに南波さんの話をして、作中でレオナの母親が怪我をして入院するのだが、病院で母親に付き添う看護婦さんの役を南波さんにやってもらってはどうかと提案して、彼の了解を取った。映画はスポンサーや視聴率のくびきからは開放されているので、小さい役なら特に抵抗は来ない。ただ、メジャー・デビューということなら、あまり小さい役では意味がないだろうと思う。しかしこの役をもっと膨らませ、セリフを増すなどすると、案外抵抗勢力が現れる可能性もある。
南波さんのことは、講談社の新担当のS村氏が、過去フライデー編集部にいた関係もあって詳しく、彼自身ファンのようだった。南波さんに「暗闇坂」に出てもらうというアイデアを話すと、大いに賛成し、動員力というと未知数だけれど、話題作りには絶対だし、一部芸能記者は必ず取材に集まりますよ、と保証する。大変な美人で、どうしてヴィデオ界にいるのか不思議だ、通常の映画やテレビのフィールドでも充分にやっていける人だろう、などと感想を言った。
そんな経過でぼくは、次第に南波杏さんという女優さんに会う必要を感じた。その理由の第一は、まずは「暗闇坂」に本当に出てくれるのかということ。こちらがいくら段取りを整えても、当人が嫌かもしれないし、出られない理由があるかもしれない。これを確かめておきたい。
第二に、島田荘司に会いたいから彼女はブログに書いている、島田を利用して何かやりたいことがあるのだ、と言う人がいる。もしもそうならこれはブログには書けないだろうから、当人から直接希望を聞く義務が、自分にはあるように感じた。
彼女のブログに対する感想を少しだけ言うと、ひたすらに明るい口調を心がけ、あえて深いことは書いていないが、他の女優さんたちのブログとはあきらかに違って感じられた。下世話さや乱暴な言辞が嫌味なく避けられており、謙虚だし、自分、自分と言いつのるような幼児性も見当たらない。それらによってこちらは他世界の人という違和感がなかったし、表現に何ごとか矜持を持っているように受け取れて、これを彼女の知性の質と了解した。それはたとえて言うと、猥雑な海に毎日漬かっていて、その水温も充分に楽しんではいるのだが、精神の奥では冷静さが維持されており、たえず遠くを見ているような感性、五木寛之氏ふうに言うなら、そんな感想だった。
旺盛な読書家らしい様子から、知識欲が強く、内面は知的発展を強く欲していて、いずれ高度な文章が書けるようになる人では、という期待も湧いた。だから女優業でと言うより、むしろ書きたい人なのでは、といった印象も持った。むろん考えすぎているかもしれないが、だからぼくは「暗闇坂」にというよりも、むしろ作家に興味が向いているのでは、というような感覚を受けた。A井さんに話してみると、お祭り男の彼は、解りました、さっそく連絡してみましょうと言った。
南波杏さん、そして彼女のマネージャー氏と待ち合わせたのは、新宿の喫茶店、ニュー・トップスだった。談話室・滝沢がなくなってしまったから、新宿での待ち合わせに、またここを使うようになった。20年も昔、よくそうしていたが、なんだか事態が当時に戻ってしまった。新宿は、案外待ち合わせの喫茶店に苦労する街だ。
時間より早めに着いてしまったから、一階の入り口そばの席で、法医学者、押田茂實氏の「死人に口あり」を読んでいた。近くこの先生に会えるかもしれないからだ。南波さんは仕事先が遠いので、少し遅れるという話だった。だからまずはA井さんを待つつもりですわっていた。そうしたら彼が現れ、ちょっと2階を見てきますと言って、2階に上がっていった。すぐに戻ってきて、もういらしていましたと言うから驚いた。今降りていらっしゃいますから、自分はちょっとこれ、清算してきますと言って、テーブルの上のぼくの伝票を持って、レジに向かっていった。
本をカバンに入れたりしてから立ち、ちょっと奥まったコーナーだったから、椅子と壁の間を抜けてゆっくりとフロアに出たら、マネージャーらしい男性がすでにそこにいて、こちらにお辞儀をしてくれた。そして、「うわー」という小さな声が後方でしたから見ると、そこに南波杏嬢が立っていた。
彼女の第一印象は、ブログなどで目にする写真とはまるで違うということだった。これらの写真では彼女はひたすら可愛く、しばしばベビーフェイスだが、本物の彼女は、小柄だがすっかり成熟したおとなの美人女性だった。ぼくは実のところヴィデオという世界のことをよく知らないこともあり、彼女への先入観というものは白紙だった。特にネガティヴな方向でのものは皆無だったが、彼女の発散する空気は、たまに作品のファンですと言って会ってくださる多くのインテリ女性たちと、まったく変わるところはなかった。ほっそりとして、非常に知的な印象で、かといって威張ったり、気取ったりしているふうは全然なく、謙虚でシャイで、性格が可愛かった。
「ニューヨークに行ってきたんですね?」とぼくは尋ねたのだが、すると彼女は、「あ、はい」と言って、言葉少なにそのことについて語り、そして、「あ、緊張して……」、と恥ずかしげにうつむいた。
そこからA井さんも合流して、目の前のアドホック・ビルにある、「隠れ房」というお酒と食事の店に行った。その短い歩行の間、南波杏さんの輝いていることは驚くばかりで、ちょうど小さなランタンのようだった。顔のあたりが白くぼんやりと光っているふうで、だから新宿の人ごみにの中にいても、寿司詰めのエレヴェーターの箱に入っても、彼女の姿を見失うことはなかった。これがスターというものなのだろうが、盛りにある存在が放つ、特有のゆるやかな光芒を感じて、これはうまくすれば大きくなる筋の人だという、ほとんど確証のような手ごたえを得た。
隠れ房の奥まった席で向かい合い、まずマネージャー氏と名乗り合った。彼は表(おもて)氏という非常に珍しい名前の人だった。カメラを出し、撮ってもいいですかと杏さんに訊いたら、「はいいいです」と彼女は言い、彼女自身もカメラ付きの携帯をバッグから出して、あちこちを撮っていた。「いつもブログの写真は、あなたが撮るんですか?」と表氏に尋ねたら、彼が応える前に、「あ、いえ、こうやって自分でやってるんです」、と彼女が横から言い、実演して見せてくれた。
携帯のスクリーンをぐるりと回し、自分の方に向けて表情を確かめながら、カメラを持った右手を天井の方に高く掲げ、自由な左手ではピース・サインを作って、なんだか鏡を覗くようにして撮っていた。なるほど、こうしているのかと知った。ぼくは本が出るたび、著者近影の写真をくれと要求され、いつもそこではたと思い出してあたふた探して苦労をするのだが、そうか、こうやればよいのかと知った。
暗闇坂の人食いの木」の話をして、映画が撮影に入ったら、ちょっとだけ、小手調べに出てくれませんかと言ったら、「あ、はい……」と杏さんは控え目に言った。計画通り、と言いたげな気配など、微塵もなかった。こちらとしては、現状ではあまりにちょい役で申し訳ないから、これから様子を見てまたセリフを書き足しますよ、というようなことも少し言ったのだが、彼女は別にそんなことが目的ではないと言いたげで、話題に乗ってくるふうはなかった。持っていた暗闇坂の脚本を出して、表紙に杏さんのサインをしてもらった。だがそれだけで、中味を見せる機会もなかった。
ここではただ世間話をして、お互いに仕事のフィールドについてなど、何も語らなかった。新宿には詳しいのですかと訊いたら、意外にも杏さんは、新宿はいつも通り抜けるだけなので何も知らない、と応えた。表氏は、イオン・プロモーションには大勢タレントがいて、社長はまだ29歳で、自分より若いんです、というようなことを言った。二人とも非常に礼儀正しく、たとえばキャバクラやパブの女性の一部にあるような、乱暴な言動態度などはいっさいなかった。杏さんは、自分の名前にちなんで、杏酒を静かに飲んでいた。
隠れ房を出て、A井さんが最近ひいきにしている、「ラウンジ櫻」という区役所通り界隈の店にもう一軒だけ行った。明日からは津山、倉敷方面に取材旅行なので、あまり遅くはなれない。
靖国通りの横断歩道を並んで彼女と渡りながら。「たとえば女優、歌手、作家、と3つの方向を考えたら、あなたはどの方向に最も魅力を感じますか?」とぼくは尋ねた。このことを訊きたくて、ぼくは彼女に会ったのだ。
彼女は困ったようにして、しばらく考えていたが、結果として、よく解らない、ということになった。悩みながら彼女が洩らす言葉の端々から、実際に思いが混沌としている様子がよく伝わり、こちらを利用して何かを、といったような気配はなかった。そういう感じは、拍子抜けがするくらいになくて、南波杏さんも、これまでに会ってきたたくさんの読者たちとまったく同じ、純粋な存在だった。
自分の内に潜む資質や、その方向性を、彼女も自分では充分掴んでいないように見え、彼女の場合も、そういう点では多くの日本の若者たちとおよそ同じふうだった。過去、自分にも覚えがあることで、ぼくの方には思っていることもあったのだが、押しつけるようになってもいけないと思い、何も言わなかった。
櫻に入ると、これまでに何度か会っている女性たちが、杏さんを見て、「なんか、見とれちゃいますねー」などと言った。
この店でだんだんにアルコールが入ると、2人は徐々にエンジンがかかっていくふうで、ではと表氏が立ちあがり、カラオケを歌い、かつ踊ってくれた。彼はどうも昔、この方面を目指したこともあるらしくて、なかなか見事なエンターテイナーぶりであった。A井氏も顔色を失うようなダンサーである。
杏ちゃんもまた、ぼくなどが全然知らない曲を、たくさん歌ってくれた。そして次第に本領発揮で、歌い終わると、「ローリング、それローリング!」と自らはやし、グラスを持って飲みながらその場でぐるぐる回る。われわれ周りは拍手をしてはやすのだが、それだけでよいのかと思っていたら、やんわり腕を持って立たされ、こちらも「ローリング」をやらされた。はじめての経験であったが、やってみると、目が回るから酔いもたちまち回り、安く上がりそうで、なるほどこういう飲み方もあるのかと知った。
杏さんが語ってくれた彼女の過去について少しだけ洩らすと、育ちは群馬だが、もともとは長崎の出身なのだそうである。オランダ人の血が入っているらしく、お婆ちゃんは外人の顔をしていたと語った。このお婆ちゃんの時点がハーフだったらしい。彼女の美貌の秘密の一端は、そういうところにもあるらしい。
酔うにつれ、彼女の華麗さはさらに匂い立つようで、客観的に見て魅力がある。また親しく話すにつれ、頭のよさが際立っていく感じもあった。とても楽しそうで、表氏が、横ではしゃぐ彼女に、「よかったね」と言っていた。そして、「このところ彼女、ちょっと落ち込み気味だったんですよ」と言った。
かなりくだけてきたので、そろそろ本心も言えるかと思い、本を書いてみたいという気持ちはあるのかともう一度問うと、これはあると言って頷いたが、以前から強く決意しているといったまでのことでもなくて、「うーん、はい、書いてはみたいんですけど……」と、やはりそのくらいの様子だった。
「将来は何を?」ともう一度訊いたら、「いろいろ考えたいんですけど、当分ヴィデオ、辞めさせてくれそうもないから」、と言い、その言葉がしばらく印象に残った。
しかし女優南波杏が、非常によい資質を持つ優れた素材であることは確かで、いろいろな方向に発展が可能な、稀な逸材と感じた。このくらい美人で頭脳のある女性がヴィデオの業界にいたら、それはさぞもてはやされるだろうと思う。もったいないと言う気はないが、その先にいる自分にもきちんと視線をすえ、離さないでいて欲しいと願う。
別れる時、「夢のような一日でした」と言ってくれた。こんなふうに、彼女の好ましさは際立っていた。
こちらも、まれなよい一夜をすごさせてもらった。もう会うことはないかもしれないが、自分の書くものにしばし共振してくれた彼女に、さらにさらに発展を遂げてもらいたいと、祈りたい思いがした。さまざまな外野の声に負けず、誘惑や怠惰に、軽々に流れることはせず、いつかは、日本を代表するような存在に育ってもらいたいと願っている。 |