103系掲示板
(国鉄・JR通勤形電車総合掲示板)

103系に関する掲示板です。日本全国どこの103系でもOK。どんどん書いちゃってください。
でも・・・みんなを不愉快にする書き込みは書かないでくださいね。
あなたは人目のお客さんです。
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[21787] 201系900番台塗装変更日

TKさん、前納さん、201系トタH1編成さん、こんばんは。

前納さんと201系トタH1編成さんが詳細を書かれていますので、201系試作車の黄色への塗装変更日を記載します。

クモハ200−901(昭和61年4月8日)
クモハ200−902(昭和61年4月11日)

クハ201−901(昭和61年4月8日)
クハ201−902(昭和61年4月8日)

サハ201−901(昭和61年4月8日)
サハ201−902(昭和61年4月8日)

モハ201−902(昭和61年4月8日)
モハ201−903(昭和61年4月8日)
モハ201−904(昭和61年4月11日)

参考文献:国鉄新性能電車履歴表

余談になりますが、中央・総武線の201系は、千葉〜三鷹間で、平成2年のATS−Pを導入時に、クモハ200にATS−Pを搭載できない関係から、量産車の1本(クハ201−103・104編成)をばらして、試作車の先頭車は中間封じ込めとなり
クモハ200を先頭とする試作車だけの編成は、異彩を放っておりましただけに、先頭に出ていた姿が目撃できなくなったのは、惜しい限りでした。

その他、同線の201系は、試作車の他、初期車の3本・量産車の他、軽装車と22本の在籍の割には、バラエティに富んでいましたね。


投稿日 2011年02月18日(金) 04時22分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp(修)(修)]


[21786] 201系試作車の黄色化について

皆さんこんばんは、久しぶりに投稿いたします。


201系試作車の黄色化についてですが、少なくとも61−3改正から1ヶ月程度は朱色のままで
営業していると思われます。

*鉄道ピクトリアル2007年11月号47ページに「15B 西船橋」の表示を出し、かつ誤乗防止ステッカー
 を貼ったまま営業に入っている試作車の写真があること(撮影が1986.3になっています)

*鉄道ファン86年6月号に前納さんがおっしゃった、クハ201−901が朱色のまま別の量産車編成に組み込まれて
 営業に入っている写真があること



なお余談ですが、鉄道ファン05年2月号に「JR」マーク付きで、全てが201系試作車で統一された編成の
写真もあります。

上記の写真は1987年4月から約2年程度しか見られなかった珍しい写真です。


投稿日 2011年02月17日(木) 23時54分 投稿者 201系トタH1編成 [p1108-ipngn1001marunouchi.tokyo.ocn.ne.jp]


[21785] 20l系試作車の黄色化

TKさん、みなさん、こんばんは。

昭和61/1986年3月3日改正で、三鷹区の担当が中央線快速から中央総武緩行線に変更されたことに伴い、特殊仕様のため三鷹区に残る試作車は中央線快速から緩行線に転用される形になりました。この時点では試作車だけの編成で、そのまま塗装変更されています。ダイヤ改正後の早い時期に黄色化されていたと思います。(朱色の10連では運用入りしていなかったかも知れません。)
なお、他の量産車編成のクハに不具合が生じたためか、クハ20l-90lのみ、朱色のまま別の量産車編成に組み込まれて、ごく短期間運用されました。当時の鉄道ファン誌に写真と記事があったと思いますし、私も一度だけ見ました。


投稿日 2011年02月17日(木) 19時55分 投稿者 前納浩一 [i222-150-47-3.s04.a013.ap.plala.or.jp]


[21784] 201系900番台試作車、中央・総武緩行線仕様塗装変更時につきまして

TKと申します。
201系のことでお聞きしたいことがありましてこちらに書き込ませていただきました。
201系900番台試作車の事ですが、中央・総武緩行線仕様に塗装変更をした時には、試作車両のみで組成した編成で塗装変更を実施したのでしょうか?それとも一旦編成を解き、量産車両と組み合わせた晩年までの編成で実施したのでしょうか?
当方で調査も考察しましたが、国鉄電車編成表は所有しておりますが、あいにくJR電車編成は全く持ち合わせておりません。恐れ入りますが、JR電車に関してお詳しい方からご教示願います。


投稿日 2011年02月17日(木) 19時03分 投稿者 TK [jig120.mobile.ogk.yahoo.co.jp]


[21783] 今日の環状線ブルー編成

みなさん、こんにちは。

今日は14運用に入っています。
なかなか、近モリ車に出会えません。

では、また。


投稿日 2011年02月17日(木) 14時52分 投稿者 永尾信幸 [EM114-51-148-180.pool.e-mobile.ne.jp]


[21782] 103系山手線量産1期生車両全滅間近?

JR西日本に多く残っていた、
山手線量産第1期生車両は、
105系に編入された車両も含めて、
ここ数年の間に廃車が進展し、
今日現在で車籍があるのは、
ほんの数両になったのではないかと思われ、
遅くとも年内には全滅かと言われています。
クハ103−1においては、
数年前に車両保全のための床材張替えを実施したとかで、
その時点から向こう5年前後は、
使用延長かと思われたのですが、
結局はこの春のダイヤ改正をメドに引退という事になりましたね。



投稿日 2011年02月16日(水) 18時36分 投稿者 くもはゆに [143.159.210.220.dy.bbexcite.jp]


[21781] 関西の103系を追い求めて2011−2

皆様、こんにちは。今回から「スーパーこばんこ」から「甲武こばんこ」へ改名します。宜しくお願いします。

日根野区の103系の話題で盛り上がっている中、私からも103系の報告があります。(多少話題が逸れる部分があります。)

多忙で日数が経ち、運用報告など細かいことは割愛しますが、日が浅いうちに報告します。
12日夜−(ヨ)13日の1泊2日の行程で、イベントの予定もあり大阪へ行ってまいりました。
阪和線をメインにチェックしたく、宿泊先は天王寺にしました。

まず12日夜に大阪環状線にて大阪−天王寺(外回り経由)へ向かう際、
スカイブルーになった元モリ5編成(Tc831-Tc239,M36にて)に遭遇、そして乗ることができました。
そして到着した天王寺で当編成を撮影しました。阪和線ホームではヒネK612編成(Tc265以下6連・A27)も撮影しました。

(ヨ)13日に朝は再びヒネK612編成(A28)を目撃、再撮影、ヒネK609(A26)、205系ヒネH402(72A)も撮影しました。
ちなみに阪和線205系1000番台を見る、撮影するのは初めてのことでした。

私が訪れる前に阪和線103系混色編成が組み替えられて消滅したのは残念ですが、
その代わりに環状線でスカイブルー103系8連に会えたのでその分価値がありました。

余談ですが、しかしながらクハ103-1,2のワンツーが引退する、というのは残念ですが以前撮影しており悔いはないです。
103系の中で47年という最長寿、関西は阪和線で天寿をまっとうするであろう。さすがに寄る年波には勝てないですね。

朝の環状線外回りにて弁天町へ向かう時、モリ6編成(Tc835-Tc842,M08)に乗りました。
その編成に組まれている、「モハ103-777」に乗車しました。「7」号車に組まれていることもあり、
「今後いいことありますように!」とゲンを担ぐ、願いを込める感じで乗車しました。

せっかく来たのでイベントの前に「鉄道科学博物館」を訪れました。
こちらでは詳細は割愛しますが(イベントの件も含め)とても気になっていた車両があったのでそれを見たさに。

夕方の戻りの弁天町−大阪にはモリ4編成(Tc829-Tc802,14M)に乗車しました。
乗車したモハ103-771では今回乗った中で唯一高音モーターMT55A搭載車で、爽やかなモーター音が久々に聞けました。
重みのある低音モーターのMT55もしかりです。

また余談ですが、今回の旅はイベントの関係でタイトなスケジュールでした。
12日昼に横浜のイベントに行き、その日の夕方直接新横浜から新幹線で大阪(新大阪)へ送り込む、という行程でした。

しどろもどろで長くなりましたがとりあえず以上です。それでは。


投稿日 2011年02月15日(火) 12時25分 投稿者 甲武こばんこ [28.net059085074.t-com.ne.jp(修)(修)]


[21780] 61-11以降の天ヒネ103系編成表

みなさん、こんにちは。

>林さん

詳細な情報ありがとうございます。
ホント、懐かしいです。このあたりの編成表の内容はよく覚えています。
クモハ103の編成も4連化されたり、同編成のM+M’ユニットが他の編成に組み込まれたりとまだまだ目まぐるしい動きがありましたね。また、非冷房車の冷風車化などが行われていくんですよね。
混色編成も数多く、あわただしさもありました。




投稿日 2011年02月14日(月) 07時00分 投稿者 akeyan [dsl042-030.kcn.ne.jp]


[21779] 86年11月1日現在の日根野区103系編成表(天方クモハ103編成)

←天王寺

 Mc   M   T   M    M    Tc
 34 123 360 140 261 517(クハ103−517、大井工の改造の銘板)
 61 163 392 272 427 554(モハ103−272のユニット大井工改造の銘板)
 82 197   1 122 217 591(クモハ103−82のユニットとクハ103−591も大井工銘板)
 95 216   3 118 205  89(クモハ103−95のユニットもクハ103−89も上記同様)
109 237 317 125 226 546(モハ103−125のユニットも上記同様)
110 242   8 123 220 567(モハ103−123のユニットも上記同様、年度末リフレッシュ工事61年)

・6連非冷房車編成

 Mc  M    T    M     M   Tc
 24 106  67  83 107 535
 26 111  65  71  71  86
 28 113   4  72  72 521
 30 117  88 109 178 534
 41 134   6  82 104   8
 48 145  71 112 190 536
117 254  25  95 139 516

・4両編成(下記の冷房改造施工のクモハ103+モハ102+クハ103は富士重工で冷房改造で銘板は大井工場、天井化粧板取り換え)(上記の大井工銘板の車両も、昭和51年度下期、阪和線完全新性能化時、下十条→鳳18両首都圏で冷房改造、浦和→鳳は冷房改造車3両が転入してます。)

 Mc   M    T   Tc
118 256 310 589
119 257 284 602
127 273 260 598
129 276 365 616(クモハ103−129+モハ102−276は大井施工特別保全車)
132 281  26 609
133 282 285 610

 77 186   5 590(非冷房車)

・羽衣線用

 Mc   M  Tc
  5  78 541
  6  79 545

 
     

 

投稿日 2011年02月14日(月) 00時14分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp(修)(修)]


[21778] 86年11月1日現在の日根野区103系編成表(両端クハ103編成)

←天王寺

 Tc   M   M   M   M  Tc 
 17  17  17  18  18  18
 23 486 642 487 643  24 
 31  31  31  32  32  32
 33  33  33  34  34  34
 51  51  51  52  52  52
117 192 347 193 348 118
119 194 349 195 350 120
133 220 375 221 376 132
149  16  16  99 151 148(クハ103−149・148は関西線色表示ウで冷房改造予定車)
167 168 319 148 277 166(クハ103−167・166は朱色1号で冷房改造予定車)
205 309 465 310 466 206
823 7632020 7642021 830
825 7652022 7652023 832
827 7672024 7682025 834

 53 244 399 245 400 134(非冷房かつクハ103−134は関西線色・その他は朱色1号の異色編成)
2051169 322 166 312 194(非冷房編成)

・4連
 Tc  M    M    Tc
  15  15  15    16
 29  29  29    30
 45  45  45    46
 87 108 174   96
115 190 345 116
121 196 351 122
135 129 238   2(クハ103−135は関西線色ウ表示で冷房改造予定車
137 216 371 136 
193 160 294 508(クハ103−193も冷房改造予定車)(モハ103−160ユニットは富士重工大井銘板) 

2052 60  60   6(非冷房編成)   
   
 

投稿日 2011年02月13日(日) 23時57分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp(修)(修)]


[21777] Re:61-11改正前後・・・

akeyanさん、みなさん、こんばんは。

>akeyanさん
国鉄最後の昭和61年11月1日ダイヤ改正では、通勤型のうごきが凄まじい動きをしたと鉄道ファンの転属フローチャートに書かれていましたが、その中でも日根野の103系は同区に103系が配置されて以来、主に61年6月頃から11月のダイヤ改正直前までかなり車両が動き、編成も61年4月の時点と大きく異なってますね。また、同年4月の編成と11月とではかなり顔ぶれも変わっておりますので、比較ということもあり、4月の時点と11月の時点での編成表を記載させて頂きました。

朝・夕以降運転の運用効率が悪い貫通8連の消滅と4両編成の普通の誕生、その4両と4両の併結した「快速」運用開始。

McMTMMTc編成から、McMTcの3連は奈良へ青22号のままの転属車も多く、同区へ転出した編成中残ったMMが他の編成と組んでを組成したケースも多く見られますね。

天王寺ー和歌山間の普通の誕生と快速の東岸和田停車、前後しますが「くろしお」の日根野への回送を「ホームライナーいずみ」としてひっそり運用していましたが、同改正から、381系を使用した「はんわライナー」が和歌山まで延長され、鳳・和泉府中・東岸和田・熊取・和泉砂川・和歌山の順の停車で途中普通連絡があり、他地区のライナーと比較しまして、緩急接続は大変便利で、料金も安かったですね。


投稿日 2011年02月13日(日) 23時23分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp(修)(修)]


[21776] 61−11改正の前後・・・

みなさん、こんばんは。

>林さん

61年4月時点での天ヒネの103系編成表、ありがとうございます。まさしくこの時期から勤め始めていましたので、その当時がよみがえります。編成ごとの車両の車番や特徴などもなんとなく覚えています。あの当時はまだまだ非冷車が多くて、いつも通勤に使っていた区間快速は夏場には暑くてたまらなかったのを覚えています。
この後、61−11改正に向けての編成の組み換えがあったわけですが、8連貫通編成以外の6連の編成についても組み換えがありましたよね。ホント、目まぐるしく変わっていたように記憶しています。

>前納さん

なるほど、そういう事情があったんですね。
片町線7連化用に転属したサハ103にはサハ103−290があったと思います。ちょうど林さんの書かれた編成表のうちのクハ103−115の編成中にありますが、私の記憶ではこの編成も8→6連化されて浮いたサハ103のうちの290が大ヨトへ、3がクモハ103−95の編成中にある312と差し替え、312は他区へ転属だったと覚えています。
61−11改正前後には、クモハ103−95の編成中のサハは3になっていたのはよく覚えていましたので。(なぜなら、出勤時にこのサハ103−3が入っている編成にのると、仕事上で失敗するなどその日はろくでもない日が多かったので余計覚えています・・・)

まぁ私の失敗話は別として、複雑怪奇な編成組み換えがあったこの時期、ちゃんとメモしておいたらよかったと思っています。


投稿日 2011年02月13日(日) 22時18分 投稿者 akeyan [dsl042-030.kcn.ne.jp]


[21775] 浦和区に残っていたクモハl03冷房改造車

akeyanさん、林さん、みなさん、こんばんは。

61-11改正の件ですが、日根野区の8連貫通編成(全車冷房車)が7本あったのに対し、当時、浦和区のクモハl03とクハl03-500番台の冷房改造車は6輌ずつが残っていました。そのため、6組は単純な差し替えになったのに対し、残る1編成は非冷房の6連と絡めた差し替えになったものと思われます。具体的には、MM'59が日根野区から浦和区に転属し、代替にMc77のユニットが浦和区から日根野区に転属となっています。この改正の際は、武蔵野線輸送力増強や青梅線の附属編成の8連化、先に話題になった中原へのサハl03-774転出分の補充車として、日根野区から首都圏にサハが転用されています。l5−l6の8連は6連に戻し、外れたサハが首都圏への転用対象になったのではないかと思われます。(その他、片町線7連化用に転用されたサハもあったと思います。)


ついでの余談で恐縮ですが、前にも書きました通り、JR電車編成表のモハ205・204-502l・5022の改造種車の番号は、あべこべに記載されてしまっています。l46⇒502l、l50⇒5022となっていますが、502lがMG装備車、5022がSIV装備車で、l46はMG無し、l50はMG付きですので、

l50(MG付き)⇒502l(MG装備車)
l46(MG無し)⇒5022(SIV装備車)

というのが正しいです。また、改造から日が浅いうちに、現車の車体に残っている旧番号の文字跡をチェックしており、上記の通りとなっているのを確認しています。(日時が経過した現在では無理だと思われますが。)

編成表を参考にしたと思われる出版物で、その間違いがそのまま反映されていましたので、気になりました。


投稿日 2011年02月12日(土) 22時05分 投稿者 前納浩一 [i121-115-117-114.s04.a013.ap.plala.or.jp]


[21774] 86年4月1日現在の日根野区103系編成(天方クモハ103先頭)

←天王寺 

 Mc  M   T   M   M   Tc
 13  86 106 99  151 518
 23 105   7 118 205 546
 27 112  26 148 277 504
 31 118 140 160 294 508
 32 120   8 168 319  26
 34 123 360 140 261 517
 61 163 392 272 427 554
 82 197   1 122 217 591
 95 216 312 125 226  89
109 237 317 129 238   2
110 242 278 123 220 567

・6連クモハ103編成非冷房車
 Mc  M    T   M   M   Tc
  6  79  25  82 104 534
 24 106   6 109 178   8
 26 111  65  71  71  86
 28 113   4  72  72 535
 30 117  88  95 139   6
 33 122  67  81 103 521 
 41 134   5  83 107 516
 48 145  71 112 190 536

・羽衣線用
 Mc  M   Tc
  5  78 541
117 254 545
        
   
 


投稿日 2011年02月12日(土) 21時25分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp]


[21773] 86年4月1日現在の日根野区103系編成(両端クハ103)

←天王寺

・快速8連貫通編成

Tc    M   M    T   T  M   M   Tc
15   15   15   80 361 16  16   16 
29   29  29  365 372 30  30   30 
45   45  45  260 261 46  46   46
87  108 174  285 309 132 241  96
115 190 345    3 290 191 346 116 
121 196 351  284 287 197 352 122
137 216 371  310 388 217 372 136

・6連両端クハ103の編成

←天王寺
 Tc   M   M   M   M   Tc
 17  17  17  18  18  18
 31  31  31  32  32  32
 33  33  33  34  34  34
 51  51  51  52  52  52
117 192 347 193 348 118
119 194 349 195 350 120
133 220 375 221 376 132
823 7632020 7642021 830
825 7652022 7662023 832
827 7672024 7682025 834 

・6連両端クハ103非冷房編成

 Tc   M   M   M   M   Tc
 59  59  59  60  60  60
193 296 452 297 453 194


投稿日 2011年02月12日(土) 21時03分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp]


[21772] レスです。

akeyanさん、みなさん、こんばんは。

>akeyanさん
いいえどう致しまして。また、サハ103−80とサハ103−361は仰るように同一編成に組み込まれておりました。モハ103−16は、61−11改正後も日根野に残りましたが、多少組み換えをして首都圏へ転出していたようです。また、ドアのガラスの部分に「ゆびをつめないように」の赤の楕円のステッカーを貼ってましたね。そして、首都圏へ転属後もサハ103−80は青梅線で同ステッカーを転入当初は同ステッカーを貼ってあったと記憶してます。

以下に両端クハ103編成とクモハ103編成に分けてカキコします。
参考文献:JRR編成表86年版(同年4月1日現在)




投稿日 2011年02月12日(土) 21時02分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp]


[21770] 61−11改正での103系の動きをみて思い出したこと

みなさん、こんばんは。

>林さん

詳細な動きの紹介、ありがとうございます。
ちょうどこの時期は今の職場に勤め始めたこともあって、この車両の動きはよく覚えています。
特に当時は阪和線ユーザーだったので、103系の8連貫通編成が4+4連になったことも印象深いです。
何ゆえ貫通編成をばらす必要があるのか、って当時は思っていましたが・・。

北ウラからやってきたクモハ103−129+モハ102−276は、確かに大井工保全車だったのでこういう車両もやってくるんだと喜びましたが、例えばクモハ103−118+モハ102−256の窓ゴムなんて茶色く変色していたのであまりいい状態じゃないものもあるんだなと思ったものです。

そういえば後年、東京へ出張した際に利用した京浜東北線でサハ103−309に乗車したのですが、天鉄局特有の『ゆびをつめないように』の赤い楕円形のステッカーをはがした後が残っていたのも覚えています。

ところで、8連貫通編成の和歌山方のT+M+M’が関東へ移籍しているようですが、そのうちサハ103−80とサハ103−361は確か同じ8連貫通編成に組み込まれていたように記憶しているのですが、・・・。私が気がつかないうちに組み変えされたのかな・・・。



投稿日 2011年02月12日(土) 19時07分 投稿者 akeyan [dsl042-030.kcn.ne.jp]


[21769] 秩父鉄道1009にさよならヘッドマーク

少し、掲示板の流れから外れてしまいますが、
既報のとおり、秩父鉄道1009編成(関西線色)は来週2/19にさよなら運転をもって離脱する予定です。

昨夜、熊谷22:54着1566列車を見かけたところ、既にさよならヘッドマークが取り付けされていました。
本日は名残を惜しむかの様な雪が降る中、1503→1518→1503→107→108→1527→1538→以下未確認 列車に充当されていました。

後ほど画像板に貼っておきます。

広瀬河原の奥には、昨年12月に離脱したカナリア色1012編成が辛うじて形を留めていました。(あまり見たくないのではっきり見ておりませんが、1012の前面窓や方向幕、ライトレンズなどは無い感じでした。)

クハ1201(ブルー)やクハ1209(ウグイス)を見ると、現在話題になっているクハ103−2000・2050がWAU102で冷房改造されていたらこんな感じだったのかと思います。


投稿日 2011年02月11日(金) 23時31分 投稿者 やまとじライダー1号 [121.123.113.221.ap.yournet.ne.jp]


[21768] 61−11改正での103系車両のうごき

日根野→浦和 
 M M  T
 30 30  372
 46 46  261(昭和60年度吹田特保車塗り屋根でないタイプのサハ103)
132 241 309 
191 346 312
197 352 287
217 312 388
 81 103 106(モハユニットは非冷房車、サハ103は吹田特保、グレーの塗り屋根車、鋼製ドア)
 59  59   7(モハユニットは非冷房車、サハ103は金枠式ドア)
        278(冷房のランボードは201系タイプの斜めの車両)

 
         
浦和→日根野
 Mc  M  Tc
129 276 610(クモハユニットは大井工施工の特保車)
133 282 598
132 281 616
119 257 609
127 273 602
118 256 589(転入当初モーター高音)
 77 186 590(非冷房車、転入当初モーター高音)

奈良→浦和
 M   M
227 382(ウグイスのまま)

日根野→奈良
Mc  M  Tc
13 86  518(全て青22号)
23 105 26 (全て青22号)
27 112 504 (全て青22号)
31 118  (全て青22号)  
32 120  (全て青22号)
33 122  (全て青22号)

Tc  M   M   M   M  Tc
59 296 452 297 453 60(全て青22号)

明石→豊田
Tc  M   M   M   M Tc
13 286 441 661 817 14 (全て青22号で、クハ103−13・14は吹田特保でグレーの塗り屋根車)

明石→日根野
Tc   M   M   M   M  Tc
23  486 642 487 643 24
205 309 465 310 466 206(阪和線初の第1次改良冷房車)

明石→淀川
Tc   M   M   M   M  Tc
211 300 456 315 471 212(本線明石から淀川へ転入し、捻出のクハ103−167〜が日根野へ転出)

日根野→淀川
T
290(青22号のまま)

淀川→日根野
Tc   M   M   M   M  Tc 
167 244 399 245 400 166(編成毎朱色1号)

豊田→日根野
Tc
53(朱色1号) 

森ノ宮→淀川
Tc   M   M  T   M   M  Tc
191 294 450 64 295 451 192
森ノ宮→蒲田
T
63(朱色1号・非冷房車・金枠式ドア)

浦和→中原
 Mc  M  Tc
116 253 587

豊田→中原
T
774

奈良→中原
 M   M
226 381(ウグイスのまま)

浦和→豊田
 Mc  M  Tc
126 272 99 (全て青22号)


日根野→豊田(3両とも青22号のまま)
T
80(青梅線Mc編成の3連→4両化用・昭和58年吹田特保・天井化粧板交換車・妻面「保」印あり)
140(青梅線Mc編成の3連→4両化用・金枠式ドア)
361(武蔵野線用)



投稿日 2011年02月11日(金) 22時55分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp(修)(修)]


[21765] 昭和61年11月1日ダイヤ改正の103系の動き

永尾さん、akeyanさん、ほりぽんさん、やまとじライダー1号さん、みなさん、こんばんは。

昭和61年11月1日改正で、103系の関西→首都圏への2回目の大規模な転属が行われましたが、61−11では、首都圏から関西への転属車も多く、国鉄ダイヤ改正の最後を飾るのにふさわしい改正でした。(関西→首都圏への第1回目転属は昭和59年2月改正)関西国電の吹田特保などの特徴のある車両が転属してきた改正でもありました。

同改正での103系の東西の主な動きは、昭和58年10月ダイヤ改正から阪和線103系の朝・夕方以降の環状線同様の8連編成は長駆和歌山までの運用もありましたが、運用効率が悪いという点とデータイムは4連で普通運用に朝・夕方以降は4連+4連の分割編成となり、日根野と浦和の間での車両交換が行われました。

この交換は同年6月頃から交換を開始しましたが、転属数は少なかったものの、吹田保全車が浦和転属で京浜東北線で運用されたり、逆にクモハ103−129+モハ102−276は、日根野へ転属当初は大井工の保全車のままの運用に入り、見どころ満載な転属で記憶に残る広域移動でした。

上記に同改正での転属した動きを記載致します。



投稿日 2011年02月11日(金) 22時12分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp(修)]


[21763] 天王寺駅での衝突事故 他・・・

みなさん、こんにちは。101系改造の103系の話から昭和61年11月改正の頃の話がでて、とても懐かしく拝見しています。あの頃は103系以外もいろんな動きをしていましたが、身近な103系の動きが一番気になっていました。
私が現在利用している大和路線の普通列車が103系の3連で運転されたことがあったのもこの時期だったと思いますが、そこまで編成両数を削減しなくても、って思ったものです。

>こうやライナーさん
天王寺での衝突事故は台風がやってきた日だったと思いますが、事故車両はここで話題の上がっているクハ103−2051でした。新聞でも「事故の原因は国鉄の分割民営化に際して、他の形式から改造された車両であり、ブレーキ系統が異なっていた」なんていうことが書かれていたように記憶しています。それを見ながらホントかなって思っていましたが・・・。
ちなみに、同車は事故後復旧されたものの、営業復活せずにモハ103−83+モハ102−107のユニットとともに日根野区の片隅に長らく留置されていました。(1990年に開催された花博のステッカーも貼られていたのに)



投稿日 2011年02月11日(金) 07時35分 投稿者 akeyan [dsl042-030.kcn.ne.jp]


[21762] Mc103-116編成

ご無沙汰しております。
チラッと南武線の事が出てきましたでので書かせて頂きます。

南武線初のオール非冷房となった編成は、

Mc116 M'253 T774 M226 M'381 Tc'587

でした。

TMM'が中原区に回送されて、見学させて貰った際に見た 天ナラ 表記は、マジマジ考えさせられたのが懐かしいです。

その後、総武緩行の程度のいい101系と入れ替わりに、松戸区の冷房改造予備確保で転属になりましたが、この時改造後に中原へ再転属になるのは決まっていたようです。


投稿日 2011年02月10日(木) 22時58分 投稿者 ほりぽん [ZK109073.ppp.dion.ne.jp]


[21761] Re:ご参考までに

クハ103−2000&2050、少し懐かしい話ですね。

クモハ103−79+モハ102−191+クハ103−527と編成を組んでいた、日根野区から転入したクモハ103−47+モハ102−143+クハ103−538は羽衣支線の予備車捻出(3両×3本→2本に削減)で生み出されました。前年度にクハ103−194がATS−BS併設となったのは、後のクモハ123(−5・6)投入計画を見据えてのことかもしれません。
2002・2003が冷房クモハユニットと編成を組んでいたのは、当時のちに編成を組むこととなったクハ103−538・585が冷房改造中だったので暫定編成を組んだためでしょう。その後、2002・2003はスカイブルーで転入したクモハユニットと以下の編成になりました。
 クモハ103−79+モハ102−191+クハ103−2002
 クモハ103−47+モハ102−143+クハ103−2003
一方冷房改造されたクハ2両は以下の編成になりました。
 クモハ103−31+モハ102−118+クハ103−538
 クモハ103−32+モハ102−120+クハ103−585

どことなく「その場しのぎ」のイメージがぬぐえないこれらのクハは、2051が1989年の天王寺駅車止め衝突(1982年にも油圧式導入前に発生※)以降使用停止→廃車、2000番台が207系投入で1992年全廃、2052が訓練車を務めて1993年に廃車となって消滅しました。

※余談:この時に衝突したのはクハ103−115ではなかったかな、と思います。


投稿日 2011年02月10日(木) 22時30分 投稿者 こうやライナー [softbank220017171040.bbtec.net(修)]


[21760] ご参考までに

クハ103−2001を初めて見た時(昭和61年4月7日)
クモハ103−39+モハ102−131+クハ103−2001+クモハ103−40+モハ102−133+クハ103−585
ちなみに翌日4/8には前後の順序変わり、2001が先頭になりました。
2001以外は、下記ブルー3両と共に61−3/24豊田区発で貸し出し、4/1付けで転属及び限定での運用開始。
クモハ103−79+モハ102−191+クハ103−527
この8両の回送もとれいん誌に掲載ありました。

クハ103−585は青梅線デジタル無線試験に使われた車輌。

クハ103−2003・2004を初めて見た時(昭和61年10月中旬の改正前・日付失念)
クモハ103−32+モハ102−120+クハ103−2003+クモハ103−33+モハ102−122+クハ103−2004
6連固定で使用。クモハユニットは61−10/13付けで日根野区から奈良区へ転属、ブルーのまま

クハ103−2002を初めて見た時(昭和61年11月1日改正当日)
クモハ103−31+モハ102−118+クハ103−2002+クモハ103−13+モハ102−86+クハ103−518
6連固定で使用。2002以外は61−10/28付けで日根野区から奈良区へ転属、ブルーのまま

2002・2003は冷房クモハユニットと編成を組んでおり、おや?と思ったことを覚えております。


投稿日 2011年02月09日(水) 23時44分 投稿者 やまとじライダー1号 [129.5.152.122.ap.yournet.ne.jp]


[21759] 追記

黒本のクハ103−2001の改造日ですが、吹田工場改造で昭和61年3月26日付けとなってます。


投稿日 2011年02月09日(水) 23時10分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp]

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