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「ISS司令官、若田さんしかいない」 日本の悲願達成

2011年2月17日11時43分

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写真:ヒューストンからテレビ会議システムを通じ、会見する若田光一さん=17日午前10時35分、東京都千代田区、遠藤啓生撮影拡大ヒューストンからテレビ会議システムを通じ、会見する若田光一さん=17日午前10時35分、東京都千代田区、遠藤啓生撮影

写真:ヒューストンからテレビ会議システムを通じ、会見する若田光一さん(画面)=17日午前10時17分、東京都千代田区、遠藤啓生撮影拡大ヒューストンからテレビ会議システムを通じ、会見する若田光一さん(画面)=17日午前10時17分、東京都千代田区、遠藤啓生撮影

図:  拡大  

 若田光一さんが国際宇宙ステーション(ISS)の司令官に決まった。ISS計画に参加している日米ロ欧カナダの5極のうち、まだ司令官が出ていないのは日本だけで、宇宙航空研究開発機構にとって日本人司令官は悲願だった。そして、「その大役を担えるのは若田しかいない」(宇宙機構幹部)と言われていた。

 若田さんは自ら設計に携わったロボットアームの腕は達人級で、欧米を含む飛行士の教官でもあった。一昨年夏、初めての長期滞在から帰還した際、普通は筋力が弱って立つことすらままならないのに、数時間後の会見に歩いて現れた。毎日2時間のトレーニングのたまものだった。

 世界には100人を超える現役宇宙飛行士がおり、少しでも早く飛ぼうと激しく競争している。狭い場所で長期間過ごす飛行士は、何より協調性が求められると言われる。

 司令官には、強い指導力が求められる。これまで司令官の大半は、軍人のパイロット出身者が務めてきた。元高校球児の若田さんは、いつも笑顔を忘れず、人望も厚い。長期滞在の後、先にISSを離れる際、当時司令官だったロシア空軍の大佐は泣いて見送った。

 日本はこの2年、ISSに実験棟「きぼう」を完成させ、補給船「こうのとり」を連続成功させた。世界の有人宇宙開発にとって、日本はもはや欠かせない存在だ。前回の飛行から2年弱での決定は驚きの早さとはいえ、若田さんの司令官就任は、5極の責任者会議で満場一致で決まった。(東山正宜)

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