ここから本文エリア

現在位置:asahi.comマイタウン山口> 記事

依存症克服 気づきから 【医のかたち】

2011年02月10日

写真

断酒を誓う「心の誓い」。例会の最初に必ず朗読する=広島市西区

写真

  酒や薬、ギャンブルなどの依存症で、人生の歯車が狂う人が後を絶ちません。「だらしないから」と思われがちですが、禁断症状が出るなど、自分の意思だけではコントロールできない「病気」です。アルコール依存症で家まで手放した後、自助グループで断酒を続けている男性や、専門家の話などから、依存症克服の道を考えます。
(錦光山雅子)

◆酒に支配されていた

  1月下旬、広島市西区の区地域福祉センターの会議室。アルコール依存症の患者や家族でつくるNPO法人「広島鯉城(りじょう)断酒会」の例会が始まった。冒頭、誓いの言葉を読み上げる声が響く。

  「多くの仲間が立ち直っているのに、私が立ち直れないはずはありません」

  20人ほどの参加者が酒害の過去や現在を赤裸々に語り、断酒を誓った。

  「酒を飲めば例会は来られない。出席が治療」。司会を務めた男性(59)が言う。

  自身も酒を断って8年目になる。亡くなった父親もアルコール依存症。専門病院への入退院を繰り返す姿に、絶対ああなるまいと思っていた。

  母の死を機に、30歳で実家へ戻った。酒漬けの生活を続ける父の面倒をみながら、翌年結婚。子どもが2人生まれ、自営業に精を出した。

  40歳になる前、父が亡くなった後から酒量が急増。ビールの大瓶を1日5本程度飲むようになった。「皮肉な話だが、父が生きている間も隠れるように飲んでいた」。46歳で妻を白血病で亡くして5年ほどたつと、仕事をほとんどせず、ビール7〜8本を1日かけて、ご飯も食べず、ただただ飲む生活になっていた。

  50歳を過ぎて生活に行き詰まり、家を売った。そう告げると、子どもたちは下を向き、涙を流した。「売った金で田舎に家を買い、好きなだけ飲もうと思っていた」

  52歳で肝硬変や栄養失調で入退院を繰り返した。依存症は治らず、後は専門病院に行くしかないところまで来た。

  父親が亡くなるまで世話になった病院に、自分が入るかもしれない。「とてもじゃないが、恥ずかしくて耐えられない」。断酒を決めた。

  2003年暮れ、子供に「何が起きても放っておいてくれ」と言い、トイレの脇にスポーツ飲料と布団を持ち込んだ。年明けから断酒会に参加した。以来、例会には出席を欠かさず、酒も飲んでいない。宴会の1杯が引き金になるので酒の場には行かない。「断酒の時間が長くなるほど、自分の思考が酒に支配されていた怖さが分かる」

  子どもと時々会うが、酒を飲んでいたころの話は一切しない。

◆自助グループ参加を

  「飲酒をコントロールできないのは、意思が弱いからではなく、依存症の症状なんです」。アルコール依存症の専門治療プログラムがある「草津病院」(広島市西区)の精神保健福祉士、菰口陽明(こもぐちようめい)さん(30)は言う。

  厚生労働省の研究班の推計(04年)によると、国内の患者数は214万人。自殺との関連性も指摘されている。

  菰口さんによると、一度依存症になると、やめようとしても不安やイライラが4〜8時間後に出てくる。重度になると半日から2日で幻視に苦しむこともある。断酒しない限り、仕事や家庭よりも「どうやって飲むか」が優先される。一時的に酒を断っても、何かの機会に口にした途端、症状が戻る。その際は病気の再発と考え、冷静な対応が大切という。

  どうしたら回復するのか。

  飲酒後に激しい不快感を感じさせる「抗酒剤」を併用する断酒治療もあるが「特効薬はない」。最も大切なのが断酒会などの自助グループだという。「ある自助グループでは『90日90回のミーティングに参加しろ』という言い方があります。その中で、飲酒でどれだけのものを失ったのか認識し、酒が一番という考え方や行動を直すことが大切」

  もう一つカギを握るのが職場だ。飲む機会が多い職場は、飲み過ぎを助長したり、飲酒の態度を不問にしたり、「酒に寛容な土壌がある」。職場が依存症の芽をつくり、定年後に一気に深刻化する場合もある。菰口さんは「産業医などが飲酒状況をフォローするなど早めの気づきが大事」と指摘する。

◆はやる気を改め禁煙

  昨年9月末に禁煙外来を受診し、「ニコチン依存症」と診断された山口総局の大井穣記者は、11月上旬からほぼ禁煙を続けている。取り組んだ日々を自ら振り返った。

  1月28日の最後(5回目)の受診。医師から「ニコチン依存は抜けつつある」と言われた。あと3カ月、1本も吸わなければ、卒煙証書がもらえる。禁煙補助剤「チャンピックス」は11月上旬から飲まずに済んでいる。吸いたい欲求が消えた。未練はもうない。

  決め手になったのは、考え方を変えたことだろう。

  記者として禁煙治療を報告するのが目的だったこともあり、最初は「早くやめねば」と義務感が強かった。だが、治療に健康保険が適用される間なら、途中で吸ってもまたやめればいい、と思い直した。「急がず、ゆっくり」という医師の助言も効いた。

  電子たばこや禁煙パイポに頼るのもやめた。たばこに似たものを続けていると、やがては「本物」が恋しくなる。

  実は年明け、実家で幼なじみと会った時、2カ月ぶりに1本だけ口にした。吸い込むと、目の前がグルグル回るような頭痛がしばらく続き、立ち上がるのもつらかった。ひどい二日酔いに似た感じだ。「たばこは毒」。ようやくわかった。
(大井穣)

【追伸:記者より…】
  実は私も3年前まで喫煙者でした。自分の意思で吸っていたつもりでしたが、実はニコチンに支配された生活=依存症だったと、今は実感しています。禁煙の苦しみを想像すると「仕事に手が着かなくなる」と不安だったのに、本当にやめられたと自覚した時の、安堵(あんど)感と解放感と言ったら!
やめて分かる、依存症の恐ろしさです。
(錦光山)

■□■中国5県の主な依存症自助グループ■□■
  【アルコール】
  広島鯉城断酒会(082・293・3885)
  山口県断酒会 (090・9855・3399)
  アルコホーリクス・アノニマス(AA)中四国セントラル・オフィス(082・246・8608)
  【薬物】
  岡山ダルク(0869・24・7522)
  広島ダルク(082・258・1256)
  鳥取ダルク(0857・72・1151)
  【ギャンブル】
  ギャンブラーズ・アノニマス(GA)連絡はメール(gajapan@rj9.so−net.ne.jp)かファクス(046−263−3781)で

PR情報
朝日新聞購読のご案内

ここから広告です

広告終わり

マイタウン地域情報

ここから広告です

広告終わり