<開戦 始>
場違いに思えて仕方がない。
ここは海の底。SE.RA.PFの上層階。並みいるウィザードの中でも一部だけが参加を許されたサバイバルゲーム、のはずだった。
ウィザードはサーヴァントと呼ばれる英霊を使役してお互いを打倒する。同業者たちを食いつぶして、自らの命も賭けてまで戦いに参加するのはムーンセル・オートマン、願いを叶える聖杯を求めて。
これがただの戦争だった方がよほどマシだった。
そちらの方が生き延びるのが高い確率だろう。この戦争は、この聖杯戦争は、生存を勝者一人だけにしか許さず、その道は蜘蛛の糸のように儚い。
生きたいのなら、自分以外のすべてを殺さなければならない。殺す覚悟も殺される覚悟もない臆病者でも、生を諦めないのなら剣を取るしかなかった。
この結論も何度、この数日の間に繰り返したか分からない。
何度も考えた。何度も自分の生まれを呪った。いっそ、何も知らないまま予選で死んだ方が良かった。
目の前で打ち鳴らされる剣戟。
およそ、現実とは思えない力の衝突。そして今まで馴染みのなかった正体不明の力、魔力といった力の残滓が周囲に花火のような彩色の火花を散らしている。
敵サーヴァントは殺意をむき出しにこちらを見据え、殺気という形のない覇気を容赦なくぶつけてくる。
勘弁して欲しい。
こっちは善良な人間なんだ。殺される謂れなどない、と叫びたくなる。
勿論、そんな話は相手が聞き入れるはずもなく。言うだけ無駄というのも己は弁えている。
なぜなら、ここで交わされるのは殺し合いであり、命の危険にさらされているのは相手も同じなのだから。
真剣勝負。
同じ土俵、両人にとって命がけの場。
自分が殺されるだけの立場ではなく、殺す立場であるということに怖気が立つ。
生とは、誰かが奪っても良いほど安くはなかったはずだ。
そこに、どのような理由を並べたところで、許されない行為であるべきはずなのだ。
誰しも生殺与奪の権利を放棄すれば、それで平和の完成。そんな単純なことなのに。
それが不可能だったから、こうして自分たちは……。
「マスター。命令を」
「……」
敵サーヴァントはこちらの準備を待つことなく、容赦なく攻撃をしかけている。当然だろう。既にゴングは鳴らされている。
セイバーは敵の槍による攻撃を巧みに受け流していた。
しかし、受け流すだけだ。決して攻勢には転じようとせず、セイバーは自分の身を守るためだけにその剣を添える。
相手が手を止めればセイバーも剣を引く。それくらい彼にはやる気がない。
「なんだ? 立派な装束をしている割に腰が引けているではないか」
敵サーヴァントが刺突の合間に言う。
「西教の武者とはこの程度なのか? それとも、女は斬れぬという口なのかな?」
「それが肉親だとしても斬れる。女だからと言って酌量はしない」
ランサーの挑発にセイバーは淡々と答える。
とは言っても、決して攻撃の意志を見せなかった。彼は待っているのだ。宣言通り、自身のマスターの声を。
「真剣にやる気がないのなら、さっさと首を差し出しなさい」
彼女(敵マスター)が挑発してみせる。
「だ、そうだけど?」
覚悟を決めるしかなかった。
この一戦だけではなく、これからの六戦を。
敵を殺し、自らを生かすために。
道徳とか言っていられる状況ではない。
思えば、いつだって、自分には選択する権利がなかった。
流されるのもいつものことか。
そして、呆けているのもこれで最後にしよう。
ここは、紛れもない戦場。奪い合うことが節理。
死を押し付けて遊ぶ、遊技者たちの墓場。月が紡ぐ聖杯戦争。
<一日目 朝>
毎日、続く退屈の日々。
学校、学校、学校。
こうして登校するのもいつまで続く? ざっと計算して見ると600日以上あった。
それが多いか少ないかは人生経験半ばの自分には判断が付かないわけで、馬鹿なことを言っていないでせっせと授業を受けようという結論になる。
ありがちな学生の頭の中。だから、この朝の登校にも疑問の挟む余地はなかった。
気持ちの良い朝だった。それが分かる程度には目が覚めている。
学校の門の周辺には急ぎ足の学生たち。
門から先は学生たちの幼い秩序がまかり通る学び舎。
笑い声がどこでも響いている、外の世界よりは和やかな平和の箱庭。
今日も代わり映えのしない一日かと思いきや、出先にちょっとしたイベントがあるようだった。
校門の辺りが騒がしい。
「どうしたんですか?」
後列に並んでいた知り合いに尋ねた。
「ん? あ、田城?」
振り返ったのはクラスメイトの柴木トオル。髪を赤に染めて耳にピアスをした典型的な不良、っぽい優等生。成績優秀者で学費も一部免除されている秀才。
だけれど不良。
「どうって、風紀強化月間だってよ。これってさぁー、俺に対する陰謀じゃね? 狙い撃ちかよ?」
列から顔を出すと、生徒会が学生の服装チェックや荷物検査をしているのが見える。
柴木を見ると、彼はだらしなく学ランをはだけさせ、目立つ髑髏のシャツをその下に着ている。
いつものファッションだ。彼にとっても、周囲にとってもそれは日常の範疇だったが、その当り前は今日から許されなくなるようだった。
「もう、さっきから死刑台を登る囚人の心持なわけよ? これっておかしくねぇ?
人殺しなんてしてないっての。それどころか俺、授業も欠席したことないし、この学校にボランティア活動している学生がどの位いるんだっつーの」
友人に向かって喋るように砕けた口調で柴木は言った。
本当に見るからに不良だったが、彼の言葉は本当で、授業をさぼったりしない真面目な生徒だ。ボランティアをしているかは知らないけれど。
「確かに。その服装も改めれば推薦も狙えそうなんだけど」
「馬鹿言うなっての。試験は真剣勝負の場だぜ? 学校で一番楽しい行事じゃねえの。推薦なんか貰うなんて、勝負から降りるようなもんだろ」
話していると、横から人影が入った。
「その心意気は買うが、柴木。服装の乱れは心の乱れという。今の内に矯正しておかなければいつしか綻びようというものだ。今日という今日は観念してもらうぞ」
柳洞一成。
生徒会が主催する服装検査。生徒会長である彼も当然いた。
「げっ! 柳洞! まだ順番回ってきてないだろ!」
「お前は特例だ。自ら引導を渡してやらねばなるまい。今まではその素行から強くは言えなかったが、それも今日まで。神妙にお縄につけ」
「へっ。学ランはこれしか持ってないぞ。裸で授業すりゃーいんですかぁ?」
開き直る柴木。
青筋立てたくなる物言いで、いつもの生徒会長なら怒声を響かせることも辞さないはずだったが、今日は違った。
「案ずるな。この日の為に工藤先生が用立ててくださった。先生の自腹だ。感謝しろ」
そう言って取り出したるは新品の学生服。これには柴木もたじろいだ。
「おいおい……。工藤センセ? マジかよ。教師の安月給で学生服買うとか、どんだけだよ……」
「深く感じ入れ。今までの己を恥と思い、身を改めるのがお前の最低限、出来ることだろう」
「そうか……。なら仕方がない」
観念したのか柴木は学生服を受け取った。
そんなある日の一幕。ただの服装検査が大ごとになる日常風景。
<一日目 昼>
「うおー! 昼休み! あー、下駄箱に手紙とか入ってね―かな。そうだ、確認しに行こうぜ田城!」
三限の授業が終わったなり、テンションの高い柴木トオル。朝、生徒会長に説教で絞られていたはずのその姿はすっかりいつも通りで……。
「あれ? おかしいな、その格好」
違和感がなくて、危うく見逃しそうになった。問題なのは違和感がなさすぎることだった。
「あん? 何か?」
「服装が戻ってる。着替えたんじゃなかった?」
ホームルームの時には、まるで似合わないきっちりした格好をしていたはずだ。それがもう、でっかいドクロが露出している。ボタンも弾け飛んでいる。
「ああ。新品だ。イケてるだろ。新入生の頃を思い出す。これからは清く正しく生きて行こうと思ってる」
「それ、思っていませんよね。あ、これ、もう壊してる? 先生、泣きますよ」
特に上着がひどかった。腕の裾がびりびりに破けている。パンクなお年頃にも限度がある。
「なんだよー。良いじゃん。俺なんてまだ可愛いもんだろ? 他にもっと奇天烈な格好してる奴がいるし。さっきだって、通路でアロハシャツがいたぜ?」
「アロハシャツ?」
そんなのがいたら柳洞は喉を壊してしまうだろう。
「本当にそんなのがいたの?」
「ん? あれ? いたような……」
覚束ないことを言う。
よりにもよって風紀強化月間中にそんな反逆的な格好をしている奴がいるわけがない。
「とにかく、お腹が減ったから、その話は後にしておこう」
<一日目 夕刻>
「放課後! 今日こそあの野郎を締めてやる! 体育館裏に来い! 田城!」
以前にもましてテンションが高くなっている。教室で注目を浴びまくっている。
白い視線や呆れた視線。色々な物を集めながら、当の本人はただ人間には似つかわしくない馬力のエンジンを搭載しているが如く声を張り上げる。
そして、教室のドアが開き、柴木の声など霞むほどの一喝が響いた。
「柴木ぃ! そこに直れぇ!」
生徒会長だった。おそらく、柴木の制服の件が彼の耳に入ったのだろう。
「うわっ! やべっ!」
一目散に逃走する柴木。
生徒会長が現れた扉とは反対側の扉を、乱暴に開け閉めして飛び出して行った。
「柴木ぃ! もう許すまじ! 三度の仏顔も、とうに過ぎておるわぁー!!!」
怒声が追尾していく。
残されたのは嵐が過ぎ去ったかのような教室。
にも関わらず、クラスメイトたちに動揺はない。既にこういった過剰なやり取りも日常風景なのだった。
かく言う自分も、荷物をまとめた鞄を背負って、悠々と教室を後にする。
帰宅部はさっさと帰ろう。
玄関に差し掛かると、柳洞に襟首を掴まれていた柴木を見かけた。生徒会長に首を絞められている不良の図は中々シュールだったが、一切関わるまじ、と周囲の生徒や教師は見て見ぬふりをしている。自分も彼らに倣って通り過ぎた。
校門を潜れば喧騒は遠くに聞こえる。
―――喧騒と静寂の間際。だからだろうか、その声は嫌に響く。
「なんて、儚くて脆い奇跡なのかしら」
ぎょっとして振り向いた。そこには、この場にまるで似つかわしくないお姫様がいる。
「本当に楽しそうね。いつかの記録。過去のものとなってしまった平和。これは、知らずに享受したかったわ」
「貴方は……」
「あら?」
社交的とは言えない自分が、つい声をかけてしまうほど、彼女は異質だった。
青い傘。
青いドレス。
丁寧に整えられた金の髪。
宝石のように深い色の瞳。
何より、彼女から滲みでる雰囲気のようなものに自分は足を止めてしまうほど圧倒されていた。
「こんにちは。……どう? 学生生活は楽しいかしら?」
「え?」
意図の掴めない言葉に固まる。
彼女の目がこちらを捉えていた。ただその事実だけで、上手く思考が回せなくなっている。
「ええ、いいのよ。貴方が正解。私は、不正解ね。けれど、私はどんなポジションだったのでしょうね? 留学生かしら?
うーん、でも、制服ってあまり雅ではないわね」
彼女の瞳が違う方へ向いた隙に詰め寄ろうと、前へ踏み出すが、いかなることか、青い貴婦人の姿はその瞬間に幻と消えてしまった。
途端にグラウンドに居る運動部員たちの歓声が戻ってくる。
熱を熱と感じられるほどの余裕が戻ってくる。
赤い日差しは校舎を赤くしている。
逢う魔が時、魔性に出会った。