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[25266] 月より舞い降りた錬鉄の英霊 (東方XFate)
Name: 石・丸◆054f9cea ID:35c81b6c
Date: 2011/01/06 21:44
 
 東方/Fate 1 
 
 その光景をどう表現したら良いのだろう。
 それはあまりにも不可解で、あまりにも怪異で、あまりにも美しかった。
 夜空に輝く紅い月。舞い散る赤は鮮血の色。視界の全てが朱色に染まった世界に君臨しているのは、まだ年端もいかない一人の少女だった。
 
「言ったでしょう? こんなに月も紅いから本気で殺すわよって」
 
 透き通るような綺麗な声。それでいて、震えが来るほどに冷たい。
 彼女の声は、染み入るように場に行き渡っていた。
 
「どうしたのかしら? まさか、私一人に怯えているの?」 
 
 少女がクスクスと楽しそうに笑う。
 けれど、この状況下で笑えることが既に異端だ。何故なら、彼女は大勢の“敵”によって囲まれているのだ。
 
 少女を取り囲む者達は一様に鎧を纏い、手にはそれぞれ武器が握られている。
 それは剣だったり、槍だったり、或いは弓だったりしたが、全てが“妖怪”をも切り裂く程度の力を秘めている。だが、それらの武器も当たらなければ意味はない。
 僅かの攻防を経て、既に幾人もの敵が少女の手によって倒されていた。
 
「……キサマ、一体何者だ?」
 
 得体の知れぬモノに対する恐怖からか、僅かに包囲網が広がる。
 少女はそんな光景を面白そうに眺めながら、ゆっくりと小さな両腕を広げていった。
 
「────私の名前はレミリア・スカーレット。地獄に堕ちたのなら閻魔にでも語って聞かせなさい」
 
 悪魔のように微笑みながら、悠然と相手を見下す少女。
 その優雅な仕草からは、彼女の絶対の自信と優越感が見て取れた。
  
 
 俺は彼女の足元で膝を付き、うずくまりながらも、必死になってレミリアと名乗った少女の姿を目に焼き付けていた。
 
 
 
  
 
 ──────幻想郷。
 
 
 そこは僅かな人間と、数多の妖怪が共存する不思議な世界である。だが“外”の世界とは特別な結界によって隔離されていて、例え妖怪と云えど自由に出入りすることは出来ない。
 そんな幻想郷においては、外の世界の常識は非常識となり、非常識が常識となる。妖精や幽霊が存在し、果ては鬼や天狗などという幻想の中にのみ存在するモノまでいるのだ。
 
 ────そう。
 
 ここでは、現在では失われてしまった様々なものが“在る”のだ。
 だから、俺のような異質な存在もここでは許容される。
 
「……ぐっ! 思ったより傷が深い……な」
 
 鋭い痛みが走る脇腹を押さえながらも、俺は全速力で駆けていた。
 幾度もの戦闘行為を経験した身体は疲労困憊していて、全身には掠り傷から致命傷になりかねない大きな傷まで刻まれている。それでも俺は止まる訳にはいかないのだ。
 
「……ああ、そうさ。俺はまだ止まる訳にはいかない」
 
 右手に握りこんだ硬い感触。
 確かめずとも分かる馴染んだ品。それは赤い宝石をあしらったペンダントだ。
 
 ゆっくりと右手を開き、そっと視線を落とす。
 これは俺が彼女によって助けられた証だ。十年間、一日も休まず注がれた思いと引き換えに助けられた。
 だからこそ俺は走っている。
  
 今一度強くペンダントを握りこむ。 
 
「必ず助ける──────凛ッ……!」 
 
 その為に俺は、この幻想郷まで来たんだ。
 
 

「さて、何とかして彼女に接触しないとな……」
 
 何処に行けば会えるのか。
 何処まで走れば辿り着けるのかは分からない。だけど、間違いなくこの世界にいる。
 
 罪と引き換えに地上に堕とされたという────月の賢者が。
 
「だが、まずは傷の治療が先決か……」 
 
 乱立する木々を避けながら、注意深く辺りに視線を巡らせる。
 
 月の羽衣を纏って幻想郷に突入する際、この場所が湖に浮かぶ島であることは確認していた。その際に、湖畔に建物らしき影も発見している。だから今は、その場所を目指して走っているところだ。
 別に知り合いがいる訳じゃないし、助けを請おうという訳でもない。傷の状態から考えて、一度休まなければ危険だと判断したのだ。
 また、何かしら利用できるものが手に入るかもしれないし、情報が得られるかもしれない。追われているという現状を鑑みれば、身を隠すのにも最適だろう。
 
「……何とか振り切れたか?」
 
 追われる者だけが抱く焦燥とした気持ち。俺は祈るような気持ちで後ろを振り返ってみた。
 その祈りが通じたのだろうか、延々と林が続くだけで誰の姿も見えないし気配も感じなかった。そのことを確認してから僅かに安堵する。
 完全に“敵”を撒けたとは思えないが、僅かでも時間が稼げたのなら幸いだ。
 
 そう考えた時、突然視界が開けた。
 続いて耳に届いたのはさざなみのような優しい音。月から降りてくる淡い光が頬に当たるのを感じる。それらを目の当たりにして、林を抜けたのだと理解した。
 
 そして──────真紅に彩られた不気味な館が俺の前に立ち塞がった。
 
 それは西洋風の洋館を思わせる巨大な宮殿だ。
 真っ赤な壁の色を見ていると、不思議と血の色を連想させる。
 
「…………」 
 
 少し近づいてみようと足を踏み出してみた。
 草木を踏み締めるやわらかな感触。あの歩みに合わせるようにして、ボーンという低い音が響いてきた。一瞬、侵入者に対する結界でも張ってあるのかと思ったが、よくよく聞いてみれば時計の奏でる音なのだと理解出来た。
 きっと館には、時計台でも設置されているのだろう。
 
 どこにあるのだろうか、そう思って僅かに視界を上げた時、左腕に鋭い痛みが走った。
 
「────ぐぅッ!」
 
 裂傷に続いて吹き出る鮮血。
 慌てて振り返って見れば、弓を構えながら俺に狙いを付けている敵がいた。
 
「逃げ切れると思ったのか、裏切り者」
「ちぃッ!」 

 敵が番えていた矢を放つ。
 その矢は光の粒子を纏いながら、俺を刺し貫くべく飛来した。
 
「────“投影、開始”……!」  
  
 言葉を鍵に、意識を急速に自身の中に埋没させる。
 
 瞬間、俺の両手に白と黒の双剣が生み出された。
 俺は双剣────干将莫耶を眼前にかざし急場の盾として行使した。刹那、眼前で光の矢が着弾するや激しい衝撃が全身を揺らす。その圧力は凄まじく、俺は遥か後方まで吹き飛ばされることになった。
 
「ぐうぅ──────ッッ!!」
 
 吹き飛んだ先にあったのは赤い壁。
 受身すら取れず吹き飛んだ俺は、激しい勢いのまま壁にぶつかって地面に崩れ落ちることになる。強く背中を打ち付けた為だろう。うまく呼吸が出来ない。けど、そんなことに構っている暇は無かった。
 俺は痛む身体に鞭打って態勢を立て直すと何とか前を見据えて────その光景に愕然とすることになる。
 
 なぜなら、既に大勢の敵に囲まれていたのだ。
 
 敵である男達は軽装ながら鎧を身に纏い、その手には各々武器を持っている。
 そして身に纏っているのは明確な殺気だ。
 彼等の正体は月が誇る精兵であり、本来“俺”もそこに所属するはずだった。云わば元の味方ということになる。だが現在は裏切り者の烙印を押され、狩られる立場に変わっていた。
 
「脱出する隙は見当たらない……か」
 
 包囲網の綻びを探して逃げ道を模索するが、敵も甘くはないらしい。
 体調が万全なら切り抜けることも可能だろうが、今は満身創痍の状態だ。両手に握る宝具の重さも堪える。やはり、ランサーとライダーの二人を同時に相手したのは失策だったと臍を噛むしかない。
 
「もう鬼ごっこは終わりだ。さあ、貴様が預かった“キー”とやらを渡してもらおうか」
 
 包囲する人垣から一人だけ進み出てくる。
 彼の手には、鋼鉄すら断つという剣が握られていた。
 
「……キーだと? 悪いが私には何のことを言っているのか見当がつかないな」
「とぼける気か?」
「惚けるもなにも、持っていない物を渡すことなどできまい。それとも何か、君はそれが何か説明が出来ると?」 
「さあな。手紙なのか宝具なのか、あるいは知識なのかは分からない。だだ俺はそれを取り返すよう命令されているだけだ」
「…………命令?」 
「フン。喋りながら時間を稼いで魔力でも回復させる気なのだろうが、こちらに問答する気はない。もう一度だけ通告するぞ。大人しくキーを渡せッ!」
 
 剣を構えながら歩み寄る男。
 月の兵士達は皆かなりの技量を有しているが、本来なら敵わない相手ではない。しかし、奴の背後にはまだ幾人もの敵がいて、対抗する手段が無いのだ。
 それほどに魔力を消耗し疲労している。今の俺では戦い抜くのは難しいだろう。ならば何とかしてこの場をやり過ごせないかと算段し始めるが、考えを纏める間もなく敵が眼前まで歩み寄ってきた。
 
「喋りたくないならそれでも良い。お前を殺してから、ゆっくりとその身体を探るだけだ」
「舐めるな……よ!」
 
 せめて一矢。
 俺は双剣を握り締めながら、何とか攻撃を受け止めるべく構えを取ろうとして……不意に全身の力が抜けた事に愕然とする。
 
「……なっ!?」 
 
 無様に崩れ落ちる身体。いくら踏ん張ろうとしても足に力が入らない。
 一瞬地面が揺れたのかと錯覚したが、何の事はない。俺の体力が限界に達しただけだった。 
 
 無慈悲に振り上げられる敵の剣。
 白刃が月光を照り返す様が目に飛び込んでくる。
 それでも何とか受け止めようと双剣を頭上にかざした瞬間──────何の前触れも無く、音すらたてずに、剣を握っていた敵の腕が千切れとんだ。
 
「な……にっ!?」
 
 それは正に一瞬の出来事。
 
 男は呆然としながら失ったと腕先を見つめている。そして現実に戻ってきた時には、既に首を切り裂かれていた。
 刹那にして視界が赤一色に染まる。
 そして、鮮血が雨のように降りしきる世界に、少女が舞い降りてきたのだ。
 
「────勝手に私の庭に入り込んで、一体何をしているのかしら?」
 
 夜の闇から染み出すように。ふわり、ふわりと舞いながら、少女は音も無く俺の前に降り立った。
 
 透き通るような白い肌。吸い込まれそうなほどに深い紅の瞳。
 青みががった紫髪は夜目にも鮮やかで、その身に纏ったピンクの衣装が月明かりに映えている。
 けど、何よりも印象に残ったのは、彼女から感じる闇色の気配だろう。それは何者をも寄せ付けないほど強力で濃密な魔力。
 
「今宵は満月。そんな日に紅魔館に乗り込んでくるなんて、なんて────愚かな人間なのかしら」

 突然の闖入者である少女を前にして、月の兵士がどよめく。
 仲間が殺られた事実よりも、彼女の圧倒的な雰囲気に呑まれて。 
 
「……幻想郷の…妖怪…か? まさか貴様、既に手を組んでいたのか!?」
 
 敵の言葉を受けて、少女が初めて気付いたという風に俺に視線を落とした。
 その視線が這うように俺を眺め、全身の傷を確認する。それから独り言のように言葉を紡いだ。
 
「────死ぬわね」
「……え?」 
「放っておいたら、すぐに死ぬわ────あなた」
 
 死という言葉が胸を貫く。
 意識してなかった訳じゃない。だけど、考えたら実現してしまいそうで明確には思考しなかった。だって俺には、死ぬ前に果たさなければならない約束がある。 
 
「……死ぬ、か。残念だが私はまだ死ねない身でね。その言葉には頷けない……」
「どうして? その傷だと手当しない限り助からないわ。仮に手当てする当てがあるのだとしてもこの男達に殺される。そういう“運命”なのよ」
 
 ────運命だと、少女が言放つ。
 
 決定事項で覆らない。そう諭すように。
 だけど、今更言われるまでも無く死が近いことは十分に理解していた。
 避けようがない事実。早く楽になってしまえと理性すら訴える。
 だが、苦しくても、辛くても、受け入れられる話じゃないんだ。俺にはどうしても果たさなければならない使命がある。願いがある。だから最後まで足掻いてやる。
 
 例え敵が────運命だとしても。
 
「……ここで死ぬ運命なんて受け入れられない。もしそれが運命によって定められているというなら、この俺が覆すっ!」
「そう。運命を覆す────ね。あなた、それがどれほど難しいことなのか分かって言っているの?」
「難しいとか、不可能とか、そんなのは関係ない。やるべきことがある。守るべき約束がある。それだけだ……!」 
 
 相手を射抜けとばかりに瞳に力を込めて少女を見やった。
 紅い悪魔と呼ぶのが似合うほど闇色に染まった少女。
 彼女がどれほど強大な力を持っているのか分からない。けれど、少なくとも今の俺を殺すくらい訳ないだろう。
 
 ────なら、この少女に助けを求めてみるか?
 
 馬鹿な話だ。
 少女に俺を助ける理由などない。笑われるか、無視されるか。殺されるのが関の山だ。
 なのに少女は
 
「────フン。よく、言ったわ」
 
 ゆっくりと俺に背中を向けると、敵である月の兵士に向き直ったのだ。
 
「悪いけどこの男は私が貰った。だからアンタたちは大人しく引きなさい。そうすれば見逃してあげるから」
 
 武装した大勢の男達を前にして、楽しい玩具を見つけたから邪魔しないでと啖呵を切った。

 
 
 ────結論から言えば、この交渉は決裂する。
 
 それも当然だろう。
 俺を追ってきた者達に要求を呑む理由はないし、敵が一人増えただけだ。
 しかし、その選択は結果的には間違いだった。
 少女と男達は戦闘状態に突入するのだが、誰が見ても分かるほどに戦力差は圧倒的だったのだ。
 
 夜空には鮮血が舞い、辺りに悲鳴が木霊する。一人対多数の戦いながら場を圧倒していたのはレミリアと名乗った少女の方だ。
 誰一人として彼女の姿を捉えられず、誰一人としてレミリアを傷つけることが出来ない。
 
 まるで夜空に紅の軌跡を描くように舞うレミリア。
 出血の影響だろうか、だんだんと意識が薄くなっていく中で、俺は彼女の戦う姿を最後まで見つめていた。
 
 
 
 
 
  
 
 遥か遥か高台の上。
 常人では辿り着けないほどの高みから、一連の戦闘行為を眺めている存在がいた。
 深遠を絵にしたような闇色と、見る者を圧倒するような美しさを兼ね備える一人の女性。
 
 彼女の名前は八雲 紫。
 境界を司る“妖怪”である。
 
 紫は音の無い世界にじっと佇み眼下を見据えていた。
 行われているのは紅い悪魔と月の兵士達との戦い。しかし、レミリアが敵を一蹴したのを見届けると、おもむろに虚空に向かって腕を伸ばし始めた。
 
 その腕に、何処からともなく二羽の鴉が舞い降りる。
 
「さあ、行きなさい。神酒を手に、晴れを越え、雨を越え、嵐を越えて。────そして賢者を探しなさい」
 
 紫の声を受けて、二羽の鴉が虚空へと飛び立つ。
 それをしっかりと確認してから紫は視線を戻した。その瞳はレミリアの従者によって館へと運ばれる男の姿を捉えていた。
 
「遂に始まるのね」
 
 そう。これは始まり。
 
「美しき幻想の戦い。──────第二次月面戦争が」
 
 かつて彼女の手によって起こされた戦いの、次の幕が上がるのだ。
 紫は含むように笑ってから、そっと境界の中へと姿を消して行った。
 
  
 



[25266] 第二話
Name: 石・丸◆054f9cea ID:5cdb65c1
Date: 2011/01/06 21:45
 
 東方/Fate 2 
 
「どうやら、気が付いたようね」
 
 目覚めるや、品のある女の声が降ってきた。
 まだ意識は朦朧としていたが、覚醒していくにつれ視界から様々な情報が脳に送られてくる。
 まず目に入ってきたのは赤色の天井で、全身に感じる柔らかい感触と合わせて、どうやら俺はベッドに寝かされているのだと理解した。
 
 続けて、ぐるりと視線を巡らせて見る。
 
 広い室内にはテーブルや椅子、クローゼットなどの調度品が置かれていて、普段は客間として機能しているのだろうと推察できた。また壁際には大きな窓も設置されていて、今はそこから気持ちの良い風が吹き込んでいる。
 
「起きられる?」
 
 再度掛かった声に視線を動かせば、銀色の髪をした若い娘が液体の入ったコップを差し出していた。俺が辺りに視線を這わせている間に用意したのだとしたら、随分と手際の良いことだ。
 
「心配しないで。毒なんて入ってないわ」
 
 表情に愛想はないが敵意も感じられない。
 瀟洒なメイド服を着ているところを見ると、この館の使用人なのだろう。
 
 俺は彼女からコップを受け取ろうと身を起こしかけて────全身に走った痛みに顔を顰めた。その様子を見たメイドが俺の背中を取ってゆっくりと身体を起こしてくれる。
 
「……すまない」
「気にしなくて良いわ。これが私の役目だもの」
 
 コップを手渡しながら、メイドが自分は十六夜咲夜だと名乗った。
 
「十六夜……咲夜?」
 
 不思議と聞いたことがあるような名前だったが、記憶には無い。俺は幻想郷に来たことがないから知らないのも当然なのだが、何処か違和感を感じた。 
 しかしその違和感はすぐに消え失せて,頭に代わりの疑問が湧いてくる。
 
「ここは……何処だ?」
「それは今いる場所が何処かという問い? それともこの世界が何処かという問いかしら?」
 
 フフっと笑ってから、咲夜がベッドから離れる。
 それからテーブルまで取って返し、そこで何かを掴み取った。
 
「ここは紅魔館。レミリアお嬢様が当主として支配する館よ」
 
 レミリアという名前を聞いて、真っ先に敵に襲われたことを思い出した。
 俺は満月の夜に瀕死の重傷を負いながらも、何とか幻想郷まで辿り着き、そこで一人の少女と出会った────?
 
「私は……助かったのか……?」 
 
 ハッっとして自身の状態を確認してみれば、至る箇所に包帯が巻かれていたり、細かな傷が手当てされていたりと完璧な処置が施されていた。あの時の状況から考えてレミリアという少女の手によって助けられたのだろうが、その理由が思いつかない。
 
 俺は僅かに警戒心を呼び起こしながら、咲夜が何をしようとしているのかを観察し続けた。だが当の彼女は特に俺を警戒する様子もなく無造作に近寄ってくる。
 見知らぬ俺を敵だと認識していないのか、それとも怪我人の一人など取るに足らない相手ということだろうか。 
 
「……咲夜と言ったか。君は怖くないのか?」
「なんのこと?」
「何って────君からしたら私など得体の知れない人間だろう。そんな男を警戒するのは当然の話だ。なのに君からは警戒心というものが感じられない。……単純に不思議だと思ってね」
 
 なんだ、そんなことねと言いながら咲夜がベッド脇に立つ。
 
「お嬢様があなたを助けろと仰った。お嬢様があなたは敵じゃないと言ったの。なら私はその言葉に従うだけ。────メイドなんてそういうものでしょう?」
 
 僅かに口元を綻ばせながら、でもね、お嬢様はワガママだから付き合うのは結構大変なのよと付け加える。
  
「当分は痛むと思うわよ。何せあなた、三日間も眠りっぱなしだったんだもの」
  
 はい、と咲夜が何かの錠剤を手渡してきた。
 
「薬よ。飲んでおきなさい。────ああ、ちゃんと人間用に調整されてあるから心配しないで」
 
 世界に人間と妖怪が居るように、薬にも人間に効く薬と妖怪に効く薬がある。妖怪用に調整された薬は人間に対しては毒になる。逆もまたしかりだ。
 そのことをこの女は知っている。
  
「…………」 
「なんだか複雑そうな顔ね。まあ、色々と訊きたいことがあるのでしょうけど、それはこちらも同じこと。けれど、私があなたに問答する訳にはいかないわ」
 
 そう言うと、咲夜が俺に背中を向けて歩き出した。
 彼女の行き先にあるのは部屋の外に通じるだろう扉だけ。
 
「……何処に行く?」
「もちろんお嬢様を呼んで来るのよ。何せお嬢様は、あなたが目を覚ますのを“とっても”楽しみにしていたのですから」
 
 大人しく待っていなさい。そう告げてから、咲夜は部屋を後にして行った。
 
 
 こうして、俺一人が部屋に残される格好になった。
 
 このまま待っていれば、お嬢様────おそらくレミリア・スカーレットが連れてこられるのだろう。ならば咲夜の言うように大人しく待つべきだろうか。それとも何らかの行動を起こすべきなのか。
 
 ふと、壁に掛けられている時計を眺めた。
 幾ら広い屋敷といえど、少女一人を連れてくるのにそれほど時間はかからないだろう。なら、悩んでいる時間はあまりなさそうだった。
 ゆっくりと瞳を閉じて瞑目する。
 しばらくは、時計の奏でるカチカチという音だけが耳に届いていた。
 
 
 
 
 ガチャリ、という音と共に扉が開く。
 
 結局俺は行動を起こさず大人しく待つことにした。俺に危害を加えるつもりならわざわざ手当てなどしないだろうし、正直に言えば、まだ満足に動ける状態じゃない。
 ここを逃げ出すにしろ、戦うにしろ、最悪の状態になってからでも遅くはないはずだ。
 そう思って、俺は咲夜が戻ってくるのを待ったのだ。それに悪魔めいた強さを持つレミリアという少女に、少なからず興味が湧いたのも確かだ。
 
「ようやく目を覚ましたのね。待ちくたびれたわ」
 
 フンっと鼻を鳴らしながらレミリアが先頭になって入ってくる。その後に二人の人物が続いた。
 一人は先ほど会ったばかりの十六夜咲夜。後の一人は初めて見る顔だ。
 
 初めて見た人物を観察してしまうのは、もう癖みたいなものだろう。俺はなるべく凝視しないように気をつけながら、新顔の少女に視線を這わせる。
 
 まず目に付くのは驚くほど長い紫色の髪だろう。腰下よりも長いが乱れてはおらず、丁寧に手入れされているのが伺える。また、頭の上には三日月をあしらったナイトキャップのような帽子を被っていて、何処かしら眠そうな印象を受ける。
 その少女は、レミリアに付き添うようにぴったりと後ろにくっつて歩いていた。
 
「私がこの館の当主レミリア・スカーレットよ。そしてこちらのメイドが十六夜咲夜。紅魔館の実務全般を取り仕切っているわ。そして────」
 
 レミリアが背後を振り返って紫髪の女を見やる。
 それを受けて少女が前に進み出てきた。
 
「この娘がパチェ────パチュリー・ノーレッジ。魔法使いよ」
 
 よろしく、とパチュリーと呼ばれた少女が会釈する。
 
「魔法使い……か」 
 
 魔法使いとは魔法に魅入られた妖怪の総称で、魔法が身体の原動力になっている者を指す言葉だ。人間が魔法使いになることもあるが、これは稀な例である。故に、パチュリーと呼ばれた少女も妖怪なのだろう。
 
 もっとも、幻想郷でいう魔法使いとは“別の魔法使い”の存在を知っているが────出会うことはまずない。
 
 そのパチュリーの紹介を終えて、これでやるべきことは終わったとばかりにレミリアがベッド脇まで近寄って来る。そして備え付けの椅子を引っ張り出すや、ドカっと座り込んだ。
 レミリアの左右に、パチュリーと咲夜が控える格好になる。
 
「さて、私達は自己紹介を終えたんだから、あなたの名前を聞かせてもらいましょうか」
 
 最初に来るだろうと思った質問。やはりというか予想通り何者かと尋ねられた。
 しかし、俺はその質問に即答することが出来ない。名乗れない訳じゃなく“どちら”の名前を名乗るべきか迷ったのだ。それ以上に、その後に続くだろう質問の答えに窮するのは明白なのだ。
 
 何処まで話すのか。或いは、話したとして信じてもらえるのか。
 俺が直面している事態は、如何に幻想郷の妖怪だとて信じがたいものだろう。それほどに荒唐無稽な話なのだ。少し様子を見るべきだと俺の経験も告げている。
 
「あら、だんまりなの? でもそれは命の恩人に対してあんまりな対応じゃない?」
「……助けてもらったことには感謝してる。手当てしてもらったことにも。だが、それとこれとは関係ないと思うが」
「フフン。言いたくないってワケ? でも、無理やりにでも聞きだすことはできるのよ? なら、痛い思いをしない内に答えたほうが身の為だわ」
 
 冷笑を浮かべてながら、じーっと俺を注視するレミリア。彼女の紅い瞳が真っ直ぐ俺を貫いている。
 俺はその視線から逃れたい衝動に駆られたが、ここで視線を逸らすのは負けを認めるようなものだと思い、意地だけで彼女の視線を受け止めた。
 いつもの俺なら皮肉の一つも返しながら煙に巻くのだろうが、何故か意地を張りたくなったのだ。
 
 静かに、時計の音だけが流れる。
 
 それからしばらくは、互いに相手のことを観察するように睨み合う時間だけが過ぎていった。
 先に根を上げたほうが負け。そんな子供じみた睨み合いに終止符を打ったのは、結局俺でもレミリアでもなく、パチュリーと呼ばれた少女だった。

「────あなた、月の人間よね?」
「な……にっ!?」
 
 あまりにも予想外で唐突な言葉を受けて、驚愕がそのまま表情に出てしまった。
 慌てて取り繕うとするが、それより先にレミリアがパチュリーを振り返る。
 
「月の人間ですって? もしかして知っていたの、パチェ?」 
「ただの推測だったのだけれど、今の彼の反応で確信したわ」
 
 しまったと思うが、もう遅い。
 
「ふーん、月の人間────ねえ」
  
 レミリアが興味深そうに瞳を輝かせながら俺を覗き込む。
 それは、手に入れた玩具が本人の予想を越えて面白かった時の子供の反応に似ていた。
 
「さて、いったい何のことなのか私には見当が付かないが……月の人間かだって? 馬鹿馬鹿しい。君は月に人間が住んでいるとでもいうつもりか?」
「────ええ。幻想郷の妖怪なら誰でも知っているわ」
 
 今度こそしまったと思った。
 幻想郷では妖怪と人間が共存している。そして、その世界では月人が存在するのは当たり前なのだ。それらに関する知識をムーンセルから受けてはいたが、咄嗟に外の世界の常識で答えてしまった。
 
「今更しらばっくれても駄目よ。満月の夜、レミィに殺られた敵は間違いなく人間だった。そして、幻想郷に居る人間とは明らかに違った武器を持っていたのよ。それをどう説明するのかしら」
 
 パチュリーの言う通り、月の技術力は幻想郷は元より外の世界のそれすらも凌駕している。 
 例えば俺が幻想郷に来る際に用いた『月の羽衣』などは、月の光を編み込んで作られたゼロ質量の飛行装置であり、誰でも月の都から幻想郷まで至ることが出きる。
 
「本来なら外の世界から偶然迷い込んだ人間という可能性もあるのだけれど、あれだけ大勢の人間が一度に迷い込むとは考えられない。なら後は、月の都から来たとしか思えないわ」
「……だが、外から来た可能性を完全に否定できる材料ではあるまい。それをどう説明する?」
「確かに確立はゼロではないわ。けれど限りなくゼロに近い数値なのは間違いない。それに────例え貴方が何処から来たのだとしても、只者じゃないのはハッキリしているでしょう?」
「…………む」 
「ならここで問題になってくるのは、彼がどういう目的で幻想郷に来たのかということになりますね。その辺りはどうお考えなのですか、パチュリー様?」
 
 咲夜がパチュリーに伺いを立てる。
 言葉遣いなどから判断すれば、パチュリーという少女はレミリアと同じくらいの立場にあるようだと感じた。
 頭の回転も速く、目端も利くようだ。敵に回せば厄介な相手になるだろう。
 そのパチュリーが説明するよりも先に、レミリアが口を開く。
 
「あれだけ大勢の敵に追われていたんだから、穏便に済む話じゃないわよねぇ?」
 
 レミリアの紅い瞳が、心の奥底を覗き込むように細められた。
 
「…………」 
「あなた、一体、何を目的に幻想郷に来────────!?」
 
 突然、少女の言葉が途切れる。
 レミリアがそこまで口にした時、突然、紅魔館全体が揺れたのだ。それは一瞬の出来事だったが、遠くから激しい轟音が続いているとあっては、何か大事が起きたのは間違いない。
 
「……今の揺れはなに?」
 
 怪訝そうにレミリアの眉根が寄る。それを受けて咲夜の表情が厳しくなった。
 彼女達は辺りに視線を這わせ、五感から情報を得ようと精神を集中させている。
 
「……玄関の方から何やら音が響いてきますね」
「玄関ですって? 美鈴は何をしているの?」
「そうですね。美鈴が何かミスをした……という可能性も捨て切れませんが、常識的に考えて────」
「ここまで来れない何かが起こった?」
 
 咲夜の言葉をパチュリーが補足する。
 それを聞いたレミリアがすっと椅子から立ち上がった。
 
「いいわ。確認しに行きましょう」
「待って下さい、お嬢様。すぐに私が様子を見て参りますので、どうかこの部屋でお待ち下さい」
 
 主に万一の危険があってはならないと、咲夜がレミリアを推し留める。
 しかし、レミリアは咲夜の提案を却下した。
 
「私は紅魔館の主よ? 何が起こったのか確認する義務があるわ」
「ですが……」
「レミィのそれは義務というよりただの好奇心でしょう。もう病気みたいなものよね」
 
 フフっと笑いながらパチュリーがレミリアをからかう。
 それに対して憤慨してみせたレミリアだが、好奇心には勝てないのか、ズンズンと扉に向かって歩き出した。
 
「……ほら、早く行くわよ咲夜!」
「は、はい!」
 
 大慌てでレミリアの後を追う咲夜。
 二人が行ってしまって、室内には俺とパチュリーだけが残された。
 
「────さて、あなたはどうするの? この騒動に心当たりがあるのではなくて?」
 
 今だ断続的に響いてくる大きな音。
 その間隔はだんだんと短くなってきていて、只事じゃない事態が起こっているのは感じ取れる。
 
「ここで隠れてる? 別にそれでも構わないけれど、臆病者の烙印は押されるわよ」 
 
 挑発するようなパチュリーの言葉。
 それを受けた訳じゃないが、情報は得ておきたい。
 
「分かった。私も行こう。だが行道が分からないのでね、すまないが連れて行ってくれると助かるのだが……」
 
 その答えに満足したのか、パチュリーは大きく頷いてからそっと手を差し出した。
 
「案内してあげるわ。付いてらっしゃい」
 
 こうしてパチュリーと俺は、二人で紅魔館の玄関に向かうことになった。
 そこで待ち受けているものも知らずに。
 
 
 



[25266] 第三話
Name: 石・丸◆054f9cea ID:5cdb65c1
Date: 2011/01/08 22:46
 
 東方/Fate 3 
 
 紅魔館の玄関は大きいホールのような構造をしていた。
 
 外側から重厚な扉を開けば広いロビーが迎える格好になっていて、正面と左右に廊下へと続く扉が見て取れる。それとは別に二階へと上がる階段も設置されていて、それを登ればホールを見渡せるテラスに出ることが出来た。
 
 俺とパチュリーは二階の廊下からテラスへと出ていて、そこからその惨状を目撃することになる。
 
「────美鈴」
 
 パチュリーの視線の先には、緑の服に身を包んだ赤毛の女が立っていた。
 彼女は薄く血の滲んだ頬を腕で拭いながら、厳しい視線を玄関に向けている。
 
 その玄関は何か大きな力で破壊されたようにひしゃげ、砕け散っていて、その破片がホールの至るところに散乱していた。
 それだけではない。
 豪華な装飾を施された美術品や調度品などが無残に破壊され、床に無造作に転がっていた。
 
「これはどういうことなの美鈴? 説明しなさい」
「……お嬢様? それに咲夜さんまで……」
 
 俺達より先に出ていたレミリアと咲夜が、美鈴と呼ばれた女に歩み寄っていく。その様子を見た美鈴は、厳しい表情を軟化させて二人を迎えた。
 
「怪我してるじゃない。大丈夫?」 
「大したことはありません。ただ、その……突然敵に襲われてしまって……」
「敵────ですって?」
 
 美鈴の言葉を受けて、レミリアが玄関に視線を投げかけた。
 そこには、砕けた玄関を塞ぐようにして立ちふさがる幾人もの人影があった。 
 
「────フム。中々に手荒い歓迎をしてくれる。さすがは幻想郷の妖怪というところか。しかし、噂には聞いていたが、客人のもてなし一つ満足に出来ぬようだな」
 
 武装した大勢の男達。
 その中から人込みを掻き分けるようにして男が進み出て来た。
 その男は周りの者達とは違い武装しておらず、漆黒の法衣を纏い悠然と立っている。だが、魔力というのだろうか。全身から放たれている雰囲気は異質で、明らかに周りの者達と一線を画していた。
 
「あの黒衣の男……指揮官面をしてるわね。さながら部隊長っていうところかしら」 
 
 パチュリーの言葉は的を射ていた。
 あの男と俺に“直接”の面識はないが、あの顔を忘れるはずがない。
 
「言峰────綺礼」
「知っているの?」
 
 俺の呟きを拾ったのだろう。パチュリーが相手の正体を確認してくる。
 
「……知り合いという訳じゃない。ただ、あの男の元になった人間を知っているだけだ」
「元になった────? 不思議な言い回しね。それは一体どういう意味なのかしら?」 
 
 興味深そうな瞳を向けてくるパチュリー。だけど、どう答えたら良いものか。
 長々と説明している時間はないし、何処まで話して良いのか判断も付けづらい。しかし、こういう事態に陥ったのなら、もう月の関与を否定する理由は無くなったことになる。
 だから俺は、簡潔に事実だけを話すことにした。
 
「そのままの意味さ。彼は言峰綺礼という人間を元にして作られたホムンクルスだろう。いわゆるコピー人間だ」
「そんなことが可能なの?」
「ムーンセルの力を使えば可能だ。だが────驚くほど似ているな。元となった人間は既にいないが……一体誰の知識から再現したのやら」 
「……へえ。ムーンセルね。その言い方だと、もう月から来たことを惚けないのね」
 
 俺の答えを受けて、パチュリーの表情が少しだけやわらかいものに変化する。対して俺は、肯定の意味を示すように頷くに留めておいた。それで納得した訳じゃないだろうが、パチュリーは特に追及することもなく視線を階下に戻す。
 今はそちらの状況の方が優先するということだろう。
 
 
「客ですって? ここを紅魔館と知ってその台詞を吐いているの?」
「残念だが紅魔館など知らないな。いや、知る必要がないと言い換えたほうが正確か。なにせ、私にとっては踏み潰すべき障害に過ぎないのでね」 
「────何ですって!?」
 
 言峰の言葉にレミリアが敵意を剥き出して応える。それに倣って咲夜と美鈴も構えを取った。
 階下の状況は、いつ戦いが始まってもおかしくない一触即発の雰囲気になっている。
 
「随分と尊大な態度じゃないの。それで、アンタ達は一体何様? 目的はなに?」
「ふむ────月よりの来訪者だといえば伝わるか」
 
 言峰の言葉にレミリア達が目を剥く。
 奴は月よりの来訪者だとはっきり口にしたのだ。
 
「月……?」 
「私の目的は一つだ。この屋敷に男を一人運び込んだろう。その男をこちらに引き渡してもらおうか」
「知らないわねぇ、そんな話は。アンタ、どこか別の場所と勘違いしてるんじゃないの?」
「浅はかな答えだな、娘。私がこうして訪ねてきた段階で問答は意味を成さない。答えはYESかNOか。もっとも、大人しく引き渡すのなら命だけは助けてやるぞ」
 
 そう宣言した言峰がそっと右腕を掲げる。それに合わせて、一つの巨大な影が進み出て来た。
 
 一歩一歩が大地を震撼させるような重厚な歩み。ゆっくりと、ゆっくりと現れる漆黒の体躯。人型だが、断じて人間ではない。
 その姿を見たレミリアの瞳が、すっと細められた。
 
「妖怪────いいえ、違うわね。もっと異質な存在…………牛頭半人って、まさかミノタウロスッ!?」
 
 ミノタウロスとは、神話上に登場する牛頭人身の怪物の名前である。
 
 この場に現れたモノは、その名前が示すとおり真っ黒な体躯に強靭な筋肉の鎧を纏った牛の化け物だった。
 岩のような硬質な肌。腕回りや太ももなど大人が一抱えしても届かない。奴は削岩機のような馬鹿でかい斧を両手で持ちながら、眼下にレミリア達三人を見据えている。
 ミノタウロスは天井に届くほど大きく、奴の前に佇むレミリアなど、簡単に踏み潰されそうなほど小さく見えた。
 
「幻想種────ここの流儀に習うなら式神になるか。作り物だがね、その力は本物だ。君も妖怪の端くれならば感じるだろう。相手が“鬼”だろうと“吸血鬼”だろうと、粉砕する力がコレにはある」
  
 鼻息を荒くして高ぶる化け物。
 後は言峰の命令さえ受ければ、この場を殲滅するまで暴れまわるだろう。
 
「最初に通告するが、こちらと事を構えるということは“月”を敵に回すということと同義だ。言うならば、君の判断に幻想郷の命運がかかっているといって良い。心して判断しろ。一千年前、幻想郷が月に敗れ去ったのを知らぬ訳ではあるまい?」
 
 かつて月面戦争と呼ばれる幻想郷と月の都との戦争があった。
 幻想郷に居る古参妖怪が手勢を集めて月に攻め入ったのだ。
 
 結果は────幻想郷の惨敗。
 
 月の高い技術力の前に妖怪は撤退を余儀なくされたという。
 何の目的で妖怪が月に攻め入ったのか理由は明確に語られていないが、その時妖怪を率いた者は今も生きているはずだ。レミリアがその事実を知らないはずがない。
 
「……お嬢様」
 
 咲夜がレミリアの判断を伺うように視線を落としている。美鈴はいつでも動き出せるように態勢を整えながら、辺りに向かって気を配っていた。
 そして当のレミリアは、何かを考えるようにじっと瞑目しながら言峰の言葉に耳を傾けていた。
 
「娘、何を悩む必要がある? 幻想郷の命運と見知らぬ男が一人。もはや、天秤に掛けるまでもあるまい」
 
 悔しいが奴の言うことは至極当然で、レミリアが悩む必要性など微塵も感じられない。俺は彼女にとって降って沸いた災いであり、何のよしみもないのだ。
 なのに彼女は、瞳を閉じて考え込んでいる。
 
「戦力差は決定的。例えこの場を逃げ延びても月からの追っ手に怯える日々が待っているのだぞ。よほどの愚か者でない限り答えは導き出せるはずだ。──────それとも、私の手で殺されるのをご所望か?」
 
 言峰の力は未知数だが、奴を再現している以上、サーヴァントとまではいかなくてもそれなりに戦えるのは間違いない。それよりもミノタウロスの力が脅威だろう。
 例えば、俺が宝具を撃ち込んだとして、果たして一撃で殺しきれるかどうか……。
 
「さあ、最後にもう一度だけ機会をやろう。あの男をこちらに引き渡せ。君も無駄に命を散らしたくはないはずだ」
「────貴様、お嬢様を侮辱するなっ!」
  
 言峰の恫喝に対して咲夜が動く。しかし、当の彼女を制止したのは他ならないレミリアだった。
 
「お…お嬢様っ!?」
「待ちなさい、咲夜。勝手な行動は許さないわ」
「しかし……」
 
 従者を制しながらも、再び瞑目するレミリア。
 そんな彼女の気持ちを代弁するかのように、パチュリーが呟いた。
 
「別にあなたを庇っている訳じゃないと思う。レミィは考えているのよ、この幻想郷のことを」
「……尚更分からないな。私を差し出せば済む話だろう」
「あら? 差し出されたいの?」
「そんな訳があるまい。だが……納得するだけの理由がないだけだ」 
「私にもレミィが何を理由に要求を拒んでいるのかは分からないわ。気に入った玩具を取られるのが嫌なのか、相手に言われるがまま行動するのが嫌なのか。それとも彼女に義理立てしているのか────」
 
 パチュリーがミノタウロスと言峰を視界に収め、それから周りにいる武装兵士を捉えた。
 
「戦うのが怖いとは思えないけれど、どちらにしろ悩むなんてレミィらしくないわね」  
 
 そう思ったのは、パチュリーだけではなかったらしい。
 行動を起こさないレミリアに業を煮やしたのか、その少女は問いかけるような声と共に闇より現れた。
  
 
 
 
『──────“何を考えているの、お姉さま?”──────』
 
 
 
 一階と二階を繋ぐ階段。その中間点に彼女はいた。
 
 風に靡く金色の髪。レミリアと同じ紅色の瞳。年端もいかない少女のように小柄な体躯は細く、強く抱いたら折れてしまいそうだ。
 だけど何よりも印象的だったのは、彼女の背中で光る七色の不思議な翼だろう。その翼は闇の世界の中で、一際強く輝いて見えた。
 
「何故なの、お姉さま? どうして考える必要があるの?」 
 
 不思議で堪らない。そんな気持ちが込められた問いかけ。
 圧倒的なまでの存在感は、とても少女が放つものとは思えない。
 
「そんなの────お姉さまらしくないわ」
「フラン……?」
 
 音も無く、フランと呼ばれた少女が開かれたままの右手を突き出した。
 その手の先にいるのは、牛頭人身の化け物の姿。
 
「フフフ……」
  
 ミノタウロスを眺め、笑みを浮かべる少女。
 一体何が行われるのか。
 そう思った時、フランは開かれていた右手をぎゅっと握り込んだ。
 
「────どっかーんっっ!!」
 
 同時に呟いた稚拙な掛け声。
 だがその瞬間、言峰の側にいたミノタウロスが文字通り“吹っ飛んだ”!
 
 
『きゃはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは────────ッッッ!!!!』 
 
 
 ホール中に響く黄色い笑い声。
 狂気に満ちた声と絶叫が合わさったフランの笑い声は、一瞬にして場の全てを飲み込んでしまった。
 
「なに……が……?」
 
 目の前に惨状に硬直する月の兵士達。それは言峰綺礼ですら例外ではなかった。 
 しかし、それも無理のない話しだろう。彼等は目前でその行為を目の当たりにしたのだから。
 
「…………殺した…だと? 馬鹿な……一体どう……やって…?」
 
 体内から爆発したみたいに無残に飛び散った黒い化け物。
 四肢は無残に吹き飛び、血肉が辺りに散乱する。完全に爆散だった。
 そんな光景に一同が唖然とする中、フランと呼ばれた少女がゆっくりと場に降り立つ。
 
「アハハハハハハッッ!! ねえお姉さま。私達は一体誰なのかしら?」
 
 一歩、一歩と、確実に歩みを進めるフラン。
 彼女の瞳には姉であるレミリアしか映っていない。
 
「私の名前はフランドール・スカーレット。なら、お姉さまの名前はなあに?」
「────私の名前?」
「そう、名前。幻想郷の命運? 未来? そんなものが私達に何の関係があるっていうの? 紅魔館に挑む者は例外なく弾幕で応える。それが五百年続いた私達の歓迎の仕方でしょう? 違う、お姉さま?」
 
 フランドールはレミリアの隣まで歩むと、寄り添うようにして止まった。
 それから彼女達の“敵”である月の兵士達を紅い瞳で見据えるのだ。
 
「いっぱい、いっぱいいるわ。ねえ、お姉さま。わたし、遊んでもいいかな?」
 
 期待に満ちた声。狂気を秘めた声だった。
 けれどレミリアには、自分を後押しする声援に聞こえた。
  
「……そうね。ありがとうフラン。“思い出したわ”」
 
 レミリアもフランドールに倣って敵を見据える。
 
「私の名前はレミリア・スカーレット。あなた達は踏み入ってはいけない場所へ土足で入ってきたの。その無礼を許すわけにはいかないわ。代償はきっちり払ってもらう──────あなた達の命でね」
 
 レミリアとフランドール。二人の姉妹は背中を合わせて敵を見据える。
 その視線を受ける恐怖は如何ほどのものなのか。想像するだけで身の毛が弥立つ。 
 
「妖怪が……愚かな真似を。自ら月と戦争になる道を選ぶというのか?」
「ごちゃごちゃと煩いわね。もう、そんなことは関係ないの」
「な────にッ!?」
「殺すって言っているの。分からないかしら?」
「チッ!」 
 
 交渉は決裂した。
 そう判断した言峰は、控える大勢の兵士に命令を下す。
 
「構わん。この場にいる者を皆殺しにしろッ! 全員だ!」
 
 主の声を受け、一連の行為に動揺していた兵士達にも力が戻ってきた。彼等も戦う者だ。殺せと言われて躊躇う者はいない。
 その証拠に、建物を揺るがすほどの大声をあげて武器を構える兵士達。だが、その一段に向かって動く一つの影があった。
 
「────美鈴!?」
 
 疾風となって踏み込む美鈴。
 彼女は兵士の一人に狙いを定めると、自身が纏っていた“気”を一気に開放した。 
 
 
『────────“撃符・大鵬拳”────────!!!』
 
 
 ショートレンジからのアッパーカット。
 中国拳法でいう揚炮の型のように天に向かって右腕を突き出す彼女。
 その威力は凄まじく、圧倒的に体格差のあった大男を問答無用で吹き飛ばした。
 
「八極拳か────ッ!?」
 
 言峰が吹き飛ばされた兵士を目線で追う。いや、追ってしまった。
 奴が目を離したのはそのほんの一瞬だけ。
 一秒にも満たない刹那の間。なのに奴が目線を戻した時、彼の眼前にはレミリアの姿があった。
  
「────散れ」
 
 奴とて歴戦の戦士である。
 言峰綺礼はレミリアの姿を認めた瞬間、あらゆる回避行動を取ろうとした。相手が妖怪といえど遅れを取らない自信もあったろう。けれど奴は、少女の軌跡すら追うことが出来なかった。
 
「………………グッ!!!」
 
 口元から赤色の泡を吐きながら崩れ落ちる言峰。
 それも無理からぬことだ。
 奴を駆け抜けるように過ぎ去ったレミリアの手の中には、未だ脈打つ言峰の心臓が握られていたのである。
 
 胸をぶち抜かれ絶命する言峰を見据えながら、レミリアが掲げた心臓を────握り潰す。
 瞬間、雨のように降り注ぐ鮮血。それらを全身に浴びながら彼女は従者に命を下した。
 
「咲夜、美鈴。一人として逃がすな。月の人間に────紅魔館の掟を教えてやりなさい!」
「はい! お嬢様ッ!」
 
 その後に行われたのは、もはや戦闘行為と呼ぶのもはばかれるくらいの一方的な殺戮だった。
 人数だけなら月の兵士が勝る。しかし、咲夜や美鈴。そしてフランドールに敵う者など誰一人としていなかった。
 そして、それが当然であるように、僅かな時間で紅魔館における戦いは終了する。
 
 
 
「……ひどい有様。霊夢にはあまり見せられない光景よね」
 
 惨状を目の当たりにしたパチュリーが誰となく呟く。
 戦闘が終わったのを確認した俺とパチュリーは、並んで階下へと降りていた。
 
「先に喧嘩を吹っかけてきたのは向こうの方よ。それとも逃がしてあげればよかったの、パチェ?」
「別に咎めている訳ではないわ。ただ、これで本当に戦争になるかもしれないわよ。どうするのレミィ?」
「もちろん、これから考えるのよ。けど、その前に────」
 
 ニヤっと笑うなりレミリアがとてとてと俺の目の前まで走り寄って来た。
 そして
 
「さて、今度こそ話を訊かせてもらうわよ」
 
 そう、楽しそうに言い放ったのだ。
 
 



[25266] 第四話
Name: 石・丸◆054f9cea ID:5cdb65c1
Date: 2011/01/11 23:29
 
 東方/Fate 4 
 
「飲み物は紅茶で良いかしら? 何ならコーヒーも用意できるけど」
 
 咲夜がお茶請けとしてのクッキーをテーブル上に用意しながら、軽く俺に視線を向けてくる。
 気配りというのだろうか。色々と作業しながらでも、周りにいる人物の様子を事細かに観察しているのが分かる。今もクッキーを用意し終わるや、横目で時計の針を確認していた。きっと次の作業にかかる時間を逆算しているに違いない。
 小さなことの積み重ねが事をスムーズに運ぶ。咲夜はメイドとしてはかなり優秀な部類に入るのだろう。
 
「……どうしたの、そんなに見つめて。もしかして紅茶もコーヒーも駄目だった?」
「いや、随分手際が良いものだと思ってね。私も些か執事関連のスキルには自信があるが────君も中々のものだ」
「へえ、良く見ているわね。────というか、こんな手際が幾ら良くたって誰も褒めてくれないから、ちょっと嬉しいわ。ねえ、お嬢様?」
「一体なんの話よ?」 
 
 ほらね、と咲夜が苦笑交じりに嘆息する。それからどっちにするか決めた? と俺に答えを促してきた。俺がその質問に答えようとした矢先、レミリアがクッキーに手を伸ばしながら口を挟んでくる。
 
「コーヒーにしときなさい。咲夜の紅茶はちょっと……アレなのよ」
「アレとは何ですか、お嬢様。心配なさらなくても、お嬢様の紅茶はいつも通り私の特別製ですよ」
「普通の紅茶でいいわ」 
「────特・別・製・ですっ!」 
「……うー」
 
 何ともいえない表情でクッキーを頬張るレミリア。
 ここだけ見れば、年相応の少女に見えるから不思議だ。 
  
「なら、コイツにも特別製を淹れてやりなさい。これは当主としての命令よ!」
 
 俺を指差しながら、何故か勝ち誇るレミリア。
 それを確認した咲夜は、はいはいと頷いてから紅茶を淹れる為に部屋を後にした。そんな一連の光景を見ていたパチュリーは「……はあ。道連れを作ったわね、レミィ」と小さく呟いている。
 
 
 
 言峰達との戦闘後、俺達は紅魔館内にある応接室に移動していた。
 
 複数の客人を迎える為に館内には幾つかの応接室が備えられているらしい。この部屋はその内でも狭い部類に入ると言っていた。それでも一通りの調度品は揃っているし、内装の豪華さも手伝って、この室内を見るだけでも紅魔館の質の高さが伺える。
 
 現在この室内にいるのは、俺を除けばレミリア・スカーレットとパチュリー・ノーレッジの二名だけだ。
 紅美鈴は戦闘の後始末と警護があるとのことでロビーに残っていて、フランドール・スカーレットは戦闘後に何処かへと姿を消している。
 十六夜咲夜はたった今、紅茶を淹れる為に部屋を出た。
 
「じゃあ、咲夜が戻ったら本格的に話を始めるとして────まずは、あなたの名前を訊かせてもらいましょうか」
 
 レミリアの紅い瞳が楽しげに細められた。
 応接室の中央にはテーブルが置かれていて、それを囲むようにソファーが設えてある。レミリアはちょうど俺の正面に座っていたので彼女の表情の変化は良く見えた。

「この期に及んで名前を言えないなんてことはないでしょう?」
「……確かに隠す意味はないな。だが、それを訊いてどうする?」
 
 質問に対して質問で返すというのはマナー違反だろう。だが、敢えて俺はそのマナー違反を慣行した。
 
 ────相手の反応を見る為にだ。
 
 ちょっとした仕草や言葉の傾向から相手の性格が掴めることもある。
 しかし今は、レミリアがどういう反応を返すのかが気になっていた。接した時間は長くないが、レミリアは何処となく彼女に似ている気がしたのだ。
 あいつなら、ちょっと怒りながら俺に詰め寄ってくるに違いない。
 予想通りというか、レミリアは口を尖らせて抗議の意思示し、パチュリーは軽く嘆息した。
  
「……もっと信用してくれても良いと思うのだけれど。私もレミィも伊達や酔狂でアナタを助けた訳ではないわ」
「パチェの言う通りよ。それに、あなたが月の関係者なのはバレているのよ。────もう月人との戦闘も経験したし、話の内容によっては手助けできるかもしれないじゃないの。これでも言えないのかしら?」
 
 確かにレミリアは二度に渡って月人と戦闘を繰り広げ俺の命を救ってくれた。
 それは結果的にそうなったに過ぎないが、助けてもらった事実は変わらない。
 その思いには応えたいと思うが……。 
 
「まあ、レミィに関しては“何だか面白そう”という好奇心が大半だろうけど、私達を頼っても損はしないわよ。────貴方が本当に困っているのならね」
「何よパチェ。それじゃ私が何も考えてない子供みたいじゃないの!」
「事実、そうでしょ?」
「それ、本気で言ってるの?」
「逆に聞くけど、レミィは冗談だと思うの?」
  
 半ばじゃれあうようにレミリアとパチュリーが言葉を掛けあう。
 こうして見ると仲の良い姉妹に見えなくもない。そう思うと同時に、激しい戦闘行為を経験した直後だというのに落ち着き払っていることに感心した。
 
 ──────幻想郷の妖怪、か。
 
 きっと、彼女達も修羅場には慣れているんだろう。切り替えが早い。
 そう考えながら、不思議と自分が“安心”している事実に気づき、驚愕した。
 
 幻想郷は敵地だと思っていた。妖怪は恐ろしい存在だとも。だけどこうして接してみれば、彼女達も人間とそう変わらない。
 楽しければ笑うし、理不尽なことには腹を立てる。それぞれに価値観があり、大切なものもあるのだろう。
 人と妖怪という在り方は違う。けれど、魂の在り方は似ているんじゃないか。
 そう、思った。
 それでも、俺が他人の前で気を許すことなど滅多にない。些細な綻びから破綻することがあるからだ。なのに彼女達の前では、かつて冬木の街にいた時にような純粋な気持ちでいられる。
 
 何故だ?
 
 それはきっとレミリアやパチュリーに“裏”がないからだ。
 ないと感じるから、嫌な緊張感が発生しない。
 彼女達だけじゃなく、咲夜や美鈴、フランドールだってそうだろう。特にレミリアなんかは、思ったことをそのまま口にしている節がある。それは見ていて気持ち良くなるくらい眩しい光景だった。
 
 完全に心を許すことは無い。
 警戒を怠ることもない。それはもう癖みたいなもんで今さら抜けるようなものじゃない。
 
 それでも────それでも、少しは信用して良いんじゃないか。
 
 そんな風に考えてしまった。
 
「…………衛宮士郎だよ」
「え?」 
 
 掛け合いに夢中になっていた二人が同時に振り返った。
 
「……今、あんた何て言ったの?」
「名前だよ、名前。衛宮士郎。それが俺の名前だ」
「エミヤ────シロウ?」
 
 反芻するように、レミリアが口の中で繰り返す。
  
「エミヤシロウね。うん、響きは良くないけど────気に言ったわ」  
「────そうか。もっとも、今の私には“アーチャー”という名前の方が相応しいがね。出来るならこちらで呼んで欲しい」
「アーチャー? へんなの。名前が二つあるってわけ?」
「二つ名みたいなものじゃないですか。お嬢様でいう“永遠に紅い幼き月”みたいな」
「……咲夜!?」
 
 会話に割り込んで来たのは十六夜咲夜。
 いつの間に現れたのか、きちんとトレイに人数分の紅茶を載せて戻ってきていた。
 
「二つ名ねぇ。そういえばレミィは“スカーレット・デビル”なんて呼ばれてたこともあったわね」
 
 何が可笑しいのか、パチュリーがクスクスと笑いながらレミリアの方を見ている。
 対するレミリアは、ちょっと罰が悪そうに下を向いてしまった。
 
「ほう。スカーレット・デビルとはまた仰々しい名前だな。まあ、あれだけの力を備えているのだから、名前負けしているということはないが────」 
「違う、違う。レミィのそれはそんな大層なものじゃないわ。単に大量の血が吸えずに飲み零した血液で服を真っ赤に染めるから付いた仇名よ」
「……なによ。ちょっと少食なだけじゃない」
「違うわ。行儀が悪いだけね」  
「────もう、どうでも良いじゃないそんなのっ! そ・れ・よ・りっ!」  
 
 レミリアが矛先を俺へと向けてくる。
 
「これからアンタはアーチャーって呼べば良いのねッ!」
「ああ。それで構わない」
「……フン! じゃあ、次! あなたがここに来た目的を教えなさい」
 
 俺の淡白な反応が気に入らなかったのか、レミリアは憤慨したようにそう言い切った。それから口を尖らせながらプイっと横を向いてしまう。
 まるで子供のような反応だが、不快感はまったく感じない。むしろ好感が持てる。
 そんなレミリアを補足する為だろうかか、パチュリーが話の後を受けた。
 
「さっきは少し茶化しちゃったけど、私達も興味本気で訊いているわけじゃないの。最悪の場合、幻想郷と月との戦争になるかもしれない。それは理解してるわよね」
「無論、理解している」 
「なら、これからの行動指針を立てる為にも情報は必要よね。そして、それは貴方にも言えることだと思うの」
「確かにな。私がこの先どう行動しようと情報は得なければならない。それに私が君達を巻き込んでしまったとの自覚もある」
「じゃあ、一緒に解決しましょう」
 
 彼女の言葉は正論だ。
 お互いが情報を欲していて、それを話し合える場も設けられている。後は俺が彼女達を信用するか否かというだけだ。
 
 改めてレミリアとパチュリー、咲夜の三人を見つめる。
 思えば出会ってから誰もが、見知らぬ俺を邪険に扱うことなく一人の人間として接してくれていた。それは彼女達の余裕のなせる業なのか、それとも性格に拠るものなのかは分からない。
 だけど、心地よい対応だったことは確かだ。
 
 俺は三人を見つめながら、そっと右手を外套のポケットに忍ばせて、中にあるペンダントを握りこんだ。
 言えないことはある。だが、一人の力で解決できないからこそ俺は幻想郷まで来たはずだ。
 
「……運命か。だとしたら、まったくろくでもない運命だよ、これは」 
 
 こうしてレミリアに出会った巡り合わせが何を意味するのか。
 それを確認する為にも踏み出すしかない。俺は覚悟を決めて正面からレミリアを見つめた。 
 
「レミリア。実は人を────探しているんだ」
「喋る気になったのねっ!」
 
 拗ねていたレミリアの顔色が輝く。
 きっと彼女は退屈が何よりも嫌いなんだろう。停滞よりも能動を。安全で平和な生活より危険だが動きのある日々を選ぶに違いない。
 そういう点でも彼女に似ている。そう思いながら、俺は改めてレミリアの紅い瞳を見つめた。
 
「ああ。俺がこの幻想郷へ来た目的はある人物と接触する為だ」
「ある人物? 私の知ってる妖怪かしら?」
「いや、妖怪じゃない。月人だよ。彼女の名前は──────」
 
 ふと、そこで妙な違和感を感じた。
 水面に小石を落とした時に波紋が広がるような感覚。突如として室内に異質なものが混ざったような。
 
「……何だ?」 
 
 その根源は、室内の壁際から感じられた。
 
「────誰ッ!?」
 
 違和感を感じたのは俺だけじゃ無かったらしい。
 レミリアが壁に向かって振り返りながら声を荒げる。
 
 
 
『────“フフフ、その話に私も加えてもらおうかしら”────』
 
 
 
 闇より響く妖艶な声。
 続いて何も無い空間に亀裂が走った。瞬間、室内の空間と闇の亀裂とが繋がり、中から音も無く一人の女が進み出てきた。
 
「……空間……転移?」
 
 闇色の隙間から覗く数多の目。そんな不気味な空間を越えて現れたのは妙齢の女性だった。
 紫陽花のような紫色のドレス。金糸を編みこんだような美しい髪。見る者を虜にするような妖艶な瞳。
 その佇まいは、幻想の中から具現した闇の女神を思わせた。
 もちろん面識はない。だが、レミリア達には見知った顔だったようで、彼女達は声を揃えてこう言った。
 
 ────八雲 紫と。
 
   



[25266] 第五話
Name: 石・丸◆054f9cea ID:5cdb65c1
Date: 2011/01/14 23:08
 
 東方/Fate 5  
 
 床に降り立つ音はしなかった。
 そして、それが当然だとばかりに彼女は一歩を踏み出した。
 優雅に、しなやかに。ゆっくりと歩む彼女の佇まいからはある種の気品すら感じられる。
 先程の空間転移を見れば彼女も妖怪なのだと推察できるが、レミリア達が歩みを止めないところを見ると敵ではないのだろう。だが歓迎している雰囲気でもない。
 
 ────何者だ?
 
 しかし、彼女に対して考えを巡らせる暇も無く、女はレミリアの傍まで歩み寄る。
 そしてにこやかに微笑みかけた。 
 
「ごきげんよう、レミリア。元気にしてたかしら?」 
「あ……あんた、紫っ!? 一体なにしに来たのよ……っていうか、どっから入ってんのよ。玄関はあっちよ」
「まあまあ、折角尋ねて来た友人相手に固いこと言わないで頂戴。寂しいじゃないの」
「────フンっ! アンタが寂しがるようなタマかっての」 
 
 憤慨したようにそっぽを向くレミリア。
 そんな彼女を紫と呼ばれた女が可笑しそうに眺めている。だがすぐに視線を切ると、今度は対面にいる俺に青紫色の瞳を向けてきた。
  
「ふうん。貴方が“アーチャー”ねぇ……」
 
 不思議な話だわ、と首を傾げる紫。
 しかし、今の問い掛けはおかしい。
 俺がアーチャーだと名乗ったのはつい先程が始めてだ。そして、その場にいたのはレミリア・スカーレット、パチュリー・ノーレッジ、十六夜咲夜の三名だけ。部外者である彼女が知っているはずがない。
 そう感じたのは俺だけではないのだろう。レミリアがキツイ口調で問いかける。
 
「どういうことよ、紫?」
「何の話?」 
「惚けないで。コイツの名前を知ってるってことは……聴いていたのね。だとしたら、アンタいったい何時から“居た”のよ?」
「あらあら、怖い顔ねぇ、レミリア。でも、そんなに怒るようなことかしら?」
「────良いから答えなさい」
 
 レミリアの紅い瞳が紫を射抜く。しかし当の彼女は、そんな圧力など何処吹く風とお構いなしだ。いつから持っていたのか、右手にある扇子を口元にかざし、ころころと笑ってさえいる。
 
 それを見て、素直に怖い女だと思った。
 
 レミリアが叩きつけている視線には圧力────いわゆる怒気が含まれている。
 
 魔眼とまではいかなくとも、見る者を萎縮させる効果は抜群だ。それは彼女のカリスマが成せる業なのだろうが、怒気を含んだ視線を受けながら平静を保つのは、かなりの胆力を要するだろう。
 その視線を受け止め、あまつさえ笑って受け流すなど並の精神力では出来ない芸当だ。そんな状況下でも紫は、ぐるりと一同を見回して回りの反応を見ている。その視線が、再びレミリアの前で止まった。 
 
「それよりも────レミリア。やってくれたじゃないの。正直、困るわ」
「煙に巻く気? 質問してるのはこっちよ」
「────あまり舐めないで欲しいわね、吸血鬼。私が“知らない”とでも思っているの?」
 
 紫の一言で室内の空気が凍りく。
 何故だが判らないが、レミリアも咲夜も、パチュリーでさえも、苦虫を噛み潰したような厳しい表情に変わっていた。特にレミリアなどは、一番知られたくない事を一番知られたくない奴に知られたとばかりに、歯を食い縛って紫を睨み付けている。
 
「…………そう。アンタ、あの戦いを見てたのね。納得したわ」
「本当、困ったことをしでかしてくれたわよね。これじゃあ幻想郷と月の都との間で戦争が起こってしまうじゃないの。どう責任を取るつもりなのかしら?」
「何よ、わざわざ説教にでも来たの!? 言っとくけど私は間違ったことはしてないつもり。敵が襲ってくるっていうのなら、かたっぱしから片付けてやるわ!」
「……何も理解していないのね、レミリア。これは貴女が思っているほど簡単な事実ではないわ」
「フンッ。そんなだから月の民にコテンパンにされて逃げ帰る羽目になるのよ。知ってるのよ? 妖怪を率いて月面戦争を起こした張本人ってアンタなんでしょ」
「──────」
 
 その一言は、八雲紫という人物の逆鱗に触れる行為だったのかもしれない。
 重苦しい緊張感が走り、冷たく凍り付いていた室内の温度が更に下がった心地がした。咲夜などは空気の変化を敏感に感じ取り、紫に対していつでも迎撃できる姿勢を取っている。
 当の紫は、相変わらず口元を扇子で覆っているので表情は定かではないが、視線に険しさが募っているように感じた。
 
 一触即発か。
 
 そんな事態の中で最初に動いたのはパチュリー・ノーレッジ。
 彼女は冷静に事態の推移を観察していたようだ。
 
「落ち着いて、レミィ。紫もあまりレミィをからかわないで。それでなくても頭に血が上りやすいんだから」
「なに言ってるのよ、パチェッ! だいたい紫の方から突っかかてきたのよっ!?」
「良いから聞いて。紫は最初にこう言ったわ。“その話に私も混ぜなさい”って。きっと彼女は咎めに来たのでもなければ、喧嘩を吹っかけに来た訳でもない。もちろんレミィをからかいに来たのでもね」
「……どういうことよ?」
「きっと彼女は直接会いに来たんでしょう。騒動の元凶たる────彼に」 

 パチュリーの言葉を受けて全員の視線が俺に集まる。そして、その言葉を肯定するように八雲紫が静かに頷いた。
 
「へえ。流石は紅魔館の頭脳たるパチュリー・ノーレッジ。“動かない大図書館”の異名を取るだけのことはあるわね。彼女の言う通り私は会いに来たのです。月から降りてきたという彼に────ね」 
 
 見た目は美しい女性だが、内に秘めているのは獰猛な獣か。
 八雲紫という人物に対しては僅かな隙も見せられない。そう直感した俺は、敢えて何も応えなかった。逆に言えば、心を平静に保つのに精一杯だった訳だが、この場はそれが正解だったようだ。
 俺と紫とを交互に眺めていたレミリアが先を促す。 
 
「……アーチャーに会いに来た? 月人だから?」 
「ええ。レミリアは最初にこう言ったわよね、何しに来たのかって。これがその答え。──────幻想郷の“大事”に私が動かないはずないでしょう?」
 
 八雲紫の宣下。
 このたった一言で、場の主導権が彼女に移ったのだと悟った。
 その紫が、矛先を俺に向けるべく歩き出す。レミリアを基点として時計回りに。対面にいる俺に向かって。
 
「ねぇ、レミリア。ちょっとそこの彼と話させてもらって良いかしら? 別に取って食べようって訳じゃないから」
「────ええ、構わないわ」
 
 一呼吸置いた後にレミリアが頷いた。だが彼女は、場の主導権を簡単には渡さないつもりらしい。
 レミリアはぴっと人差し指を紫に向かって突きつけるや、彼女に待ったをかけた。
 
 まったく、負けず嫌いなところまであいつに似ているとは、苦笑せずにはいられない。
 
「けれど、その前に一つ私の質問に答えてくれたらね」
「質問? 別に構わないけれど……なにかしら、レミリア?」
 
『────月面戦争────』
 
 レミリアの呟きに対して、ほんの数ミリだが紫の瞼が動くのが見えた。先程も感じたが、彼女にとって月面戦争という単語は特別な意味を持つらしい。
 
「千年前だっけ? アンタは最強の妖怪軍団を率いて意気揚々と月まで攻め入った。けれど敵わなかった。幻想郷は月の民相手に────負けた」
「──────否定はしないわ」
「そこに疑問を持ったのよ。私はさっき月人と戦ったわ。確かに油断出来ない相手だったけど、特別脅威だとも思わなかった。数で来られると厄介だけど……対処はできる」
「あんなのは単なる先遣隊よ。月の都の力はあんなものではないわ」
「それでもよ、紫。私はアンタの力を知ってる。そしてアンタの眼もね。八雲紫が選び抜いた妖怪と共に攻め込んだのに尻尾を巻いて逃げ帰ったなんて、笑い話にもならないわ。けれど事実アンタは負けた。何があったの? 何が起こったの? その話とさっきの敵がどうにも結びつかないのよ」
 
 レミリアの疑問はもっともだろう。それだけの力を彼女は備えている。紫の力は定かではないが、レミリアが認めているのだから地力は想像できるというものだ。 
 
「お嬢様。月面戦争に負けたのは不慮の事故だった、という話も聞きましたが……」
 
 口を挟むのがはばかれるのか、咲夜が申し訳なさそうに呟く。しかし、レミリアはきっぱりと否定した。
 
「そんなの方便でしょう。どうなの、紫? 答えて」
「────そうね」 
 
 レミリアの詰問に対して、紫が考え込むそぶりを見せる。
 昔の記憶を思い起こしているのか、質問の答えを吟味しているのか。いまや、室内にいる全員が八雲紫に注目していて、彼女の次の言葉を待った。
 
 どれくらい時間が経っただろうか。
 思案していた紫がおもむろに手にしていた扇子を閉じた。その音がやけに小気味良く耳に届く。
 
「──────サーヴァント・システム」
  
 囁くような声は室内に染み渡るように溶けて消えた。
 だが、聞き違いでなければ彼女はサーヴァントと口にした。幻想郷の妖怪である彼女が。
 
「サーヴァ……なに?」
「外の世界をも凌駕する進んだ科学力。地上の民には手に負えない未知なる業。月の都の戦力はそれこそ計り知れない。そんな月の防衛機構の一つにサーヴァントシステムというものがあるわ」
 
 かすかに心臓が跳ねる。やはり聞き違いではない。
 八雲紫は“サーヴァント”の存在を知っている。
 
「レミリア。貴女も外の世界から来たのなら聞いたことがあるでしょう。歴史に名を刻む英雄や英霊といった人間達の話を」
「なによ、また質問なの?」 
「今度ははぐらかす訳じゃないから安心して」 
「そうね……英雄って竜を退治したーとか、神様に喧嘩売ったーとかいう人間の話じゃないの?」
「ええ。アーサー王とかヘラクレスとか割と有名よね。そういえば貴女はヴラド・ツェペシュの末裔なんですって? もしかしたら彼もそういうカテゴリーに入るのかもしれないわ」
「……フン。相変わらず回りくどいわね、紫。言いたいことがあるならハッキリ言ってちょうだい」
 
 結論を焦らされるのはごめんだとばかりに、どんどんレミリアの機嫌が悪くなっていく。文字通り急降下だ。そんな彼女の様子が可笑しかったのか、紫がクスクスと笑っている。
 
「そういった英雄や英霊といった人間をある枠組みに当てはめて召喚、使役するのがサーヴァントシステム。言わば月人が行使する式神というところかしら」
「式神……ねぇ。で、そのサーヴァントってのは強いの? そこが重要よ」
「英雄とは生前に偉業を成し遂げた者に与えられる称号よ。その中には強大な敵を討伐したという事例も多いわ。それが何を意味するか分かって、レミリア?」
「え? 戦いに慣れてる……戦闘技術に長けてるってことでしょ?」
「────はい、三十点」
「さ、三十点って何よっ!? 赤点じゃないのっ!」
 
 憤慨したとばかりにテーブルを叩いて立ち上がる紅の悪魔。
 そんな彼女をパチュリーが嗜めた。
 
「……なによパチェ。あんたなら分かるっていうの?」
「簡単よ、レミィ。私も本の中の知識でしか知らないけれど、重要なのは英雄と呼ばれる彼等は“既に難行を終えている”ということね。強大な敵────それが竜なのか神なのか、あるいは“妖怪”なのかは分からない。けれど実際に戦って駆逐している。これは大きい事実だわ」
「ご名答。当然、その中には吸血鬼を討伐した者も存在してるでしょう。言うなればサーヴァントとは、存在そのものが妖怪の天敵たり得るの。理解できた?」
 
 八雲紫の言うことは、あながち間違ってはいない。
 サーヴァントとは等しく英雄であり、英霊だ。反英雄という者も存在するが、その力が劣るということはない。全てのサーヴァントがヒロイック・サーガを背負っている訳ではないが、人外討伐を成した者も多いだろう。
 単純な戦闘力を取っても妖怪に劣るものではない。
 
 しかし────詳しすぎる。
 
 宝具の存在まで知っているかは分からないが、サーヴァントに関してかなり深い知識を有しているのは間違いない。
 話し方や、立ち居振る舞いを見ても浅慮なところは見受けられない。
 
 深遠をかたちにしたような女────八雲紫。
 
 彼女は十分警戒に値する人物のようだ。
 そんなことを考えていたら、レミリアが小刻みに震えているのが目に入った。
 
「お、お嬢様……?」
「レミィ?」
  
 咲夜とパチュリーもレミリアの変化に気づいた。すぐさま咲夜が駆け寄るが、すぐに心配そうだった表情が軟化した。
 初めは俺も恐怖感を抱いて震えているのかと思ったが、何の事はない。彼女は笑っているのだ。
 
 少し考えれば分かることだった。
 レミリアはそんな“タマ”ではない。
 
「ククク……アッハッハッハッ! 面白いっ! 面白いわ、紫! ──────サーヴァントね。ふふん、是非、戦ってみたい相手だわ」
 
 武者震いだったのだろう。レミリアは来る戦いに胸を焦がし笑ったのだ。
 その様子を見て、咲夜はほっとしたように胸を撫で下ろし、パチュリーはレミィらしいわと苦笑を浮かべている。
 
「────フフフ。貴女ならきっとそう言うと思ったわ」
 
 そして紫は、テストに合格した生徒を見るような目でレミリアを見ていた。しかしすぐに視線を切るや、俺に向かって扇子の切っ先を向けてきたのだ。
 
「レミリアも納得したみたいだし、それじゃあそろそろ“本題”に入りましょうか、アーチャー?」 

 それは戦いの火蓋を切って落とす宣言だったのか。
 俺にはこれから腹の探りあい────八雲紫との舌戦の予感を感じずにはいられなかった。
 
 



[25266] 第六話
Name: 石・丸◆054f9cea ID:5cdb65c1
Date: 2011/01/17 23:14
 
 東方/Fate 6 
 
 ──────閑話。
 
 これは、八雲紫が紅魔館を訪れるよりも少し前のお話。
 衛宮士郎が月の羽衣を纏って幻想郷を訪れる直前の出来事である。
 
 
 
 幻想郷は外の世界とは隔絶された世界であり、その中には、普段あまり人間が足を踏み入れない危険な区域が幾つか存在する。
 
 霧雨魔理沙ら魔法使いの多くが居を構えるといわれる魔法の森。
 霧の湖には紅魔館が存在し、湖畔には多くの妖精や妖怪が集まることで有名だ。河童や天狗が独自の社会体制を築く妖怪の山などは、真っ当な人間なら近づくことすらしないだろう。
 これら全ての場所が人外の者のテリトリーであり、人間の力の及ぶ場所ではない。
 そんな危険区域の一つに迷いの竹林と呼ばれる場所があった。
 
 一年中深い霧に覆われた竹林には目印になる物が少なく、成長速度の速い竹が乱立しているせいで眺めている景色すら変化する。更に地面には緩やかな傾斜がかかっていて、侵入する者の方向感覚を狂わす手助けをしていた。
 故に、迷いの竹林。
 ここは人間だけではなく、時には妖精すら迷うという危険な場所なのだ。
 
 そんな迷いの竹林の奥の奥に、永遠亭と呼ばれる場所がある。
 広大な敷地の中に悠然と建てられた古めかしいお屋敷。平屋建ての趣きのある佇まいは、訪れる者に古き良き日本を想像させる。しかし古風な様相に反して、壁や柱や梁などといった建築物は、まるで昨日建てられたかと錯覚するくらいに真新しいものだった。
 
 多くの兎たちが住むと言われる永遠亭。
 満月の夜は特に賑やかで、兎たちの奏でる大合唱が竹林に響くという。
 そんな永遠亭には一つの特別な仕掛けが施されていた。
 
 それは────永遠亭に存在するあらゆる物の“歴史”を止めて、一切の変化を拒むという永遠の魔法。
 
 この魔法の影響下では誰もが老いることはなく、形ある品物であっても壊れることがない。文字通り、存在する全ての歴史を止めてしまう魔法なのだ。
 だが、永遠の魔法もある事件を境にして解かれてしまっている。現在の永遠亭では、茶碗を落とせば割れてしまうし、寿命のある者はいずれ年を取って死んでしまう。
 そんな地上の一部となったのだ。
 
 
 
「例月祭は今回も順調のようね」
 
 純和風の建物である永遠亭のほとんどは和室であり畳敷きだ。当然部屋と部屋は障子によって仕切られていて、彼女も外の様子を伺う為に障子を開いて、廊下から庭の様子の覗きこんでいた。
 今宵は満月。
 空から降る淡い月の光が、腰まで届く彼女の黒髪を照らし気品を際立たせていた。
 
 ────彼女の名前は蓬莱山 輝夜。
 
 この永遠亭のお姫様であり、歴史上に名前を残すかぐや姫その人である。
 
 輝夜は歌いながら餅をついている兎達をひとしきり眺めてから、そっと障子を閉めて室内に戻った。それから、部屋の中央で書き物をしている人物を振り返る。
 
「このまま何も起こらず無事に終了すると良いのだけど」
「そうねぇ。けれど、そううまく事は運ばないかもしれないわ」
 
 落ち着いたアルトな声。
 輝夜の問い掛けに返答したのは美しい妙齢の女性だった。
 
 透き通るような銀の髪と、サファイヤのような青色の瞳。穏やかな口調は、彼女の声を聞く者に安心感を与えるだろう。
 女性にしては身長は高いほうだろうか。センターを中心にして赤と青に色分けされたチュニックと、色合いが逆になったスカートを纏っている。
 彼女の名前は八意永琳。
 輝夜の従者であり、永遠亭では医者を営んでいた。
 
 その永琳が書き物の手を止めて輝夜に視線を合わせる。だが、永琳の表情に僅かな翳りがあることを輝夜は見逃さなかった。
 
「何かあったの、永琳?」
「あったといえばあったし、無かったといえば無かったかな」
「はっきりしないのねぇ……」
 
 小さな溜息を零しながら、輝夜がぺたんと畳の上に座り込む。
 それから手近にあった菓子入れの中からせんべいを一枚つまみ上げた。
 
「……で、何があったのよ?」
「────月光が生み出す影に大きな変化が現れているわ。見た目に分かるくらいはっきりと」
「大きな変化? 私には分からなかったけど……?」 
「普通に見るだけじゃ分からないから。その影だけど、少しずつ質量を持つようにもなってる。これはあまり良くない兆候ね」 
「あら、じゃあ鈴仙が言っていたのは本当だったのかしら?」
 
 輝夜の言う鈴仙とは、永琳の弟子でもある妖怪兎、鈴仙・優曇華院・イナバのことだ。
 鈴仙は元々月の兎だったが、ある事情から地上にある永遠亭でやっかいになることになったのである。
 
「鈴仙は何と言っていたの、輝夜?」
「なんでも月に新しい勢力が生まれて月の都を支配しようとしているって。月の兎たちがどっちについていいのか分からなくて大慌てだって言ってたわ」
「本当に?」
「うん。なんだったら鈴仙に確認してみたら?」 
「……そうねぇ。けれど兎たちは大げさで嘘つきだから、何処まで本当なのかしら」
 
 永琳がいったん輝夜から視線を外し、窓の方へと視線を向けた。
 窓といっても、この部屋にあるものは天窓に近いものなので外の様子は伺えない。ここから見えるのは闇夜に浮かぶ明るい月だけだ。
  
「満月────地上と月との距離がもっとも近くなる日」 
 
 八意永琳も蓬莱山輝夜も元々は地上の人間ではなく、月の人間だった。
 だが月では大罪とされている蓬莱の薬を飲んだ輝夜は、穢れが満ちるという地上に落とされることになってしまう。その原因を作った永琳もまた、輝夜に付き合う形で地上に残ったのである。
 永遠亭に張られた魔法は、月の都の目から逃れる為に張られていたのだ。
 
 しかし、その魔法も既に無い。
  
 月の賢者と呼ばれた八意永琳。彼女はその瞳に何を映しているのだろう。
 彼女はしばらく天窓から月を眺めていたが、やおら視線を切ると再び輝夜の方へと顔を巡らせた。
 
「────月の都の人間は表の月は弄れない。なのに、人間によって突き建てられた旗が引き抜かれたらしいの。これについて輝夜はどう思う?」
「旗? それって外の世界の人間が自己顕示欲の為だけに突き建てたってアレ?」
「ええ、そうよ」
 
 永琳の答えを受けて、輝夜の目が丸くなる。
 
「不思議な話ね。確かアレって月の都の誰にも抜けなかったって話じゃない。それが引き抜かれたということは……」
「尋常ではない事態が月の都で起こった。或いは、現在も起こっている。この事象と合わせて考えれば、鈴仙の話も眉唾ではないのかもしれないわ」  
「本当なら、あまり歓迎できる話じゃないわね。月の民は地上の者など何とも思っていないから……」
 
 つと、輝夜が視線を上げる。
 今度は彼女が天窓から月を見上げる番になった。
 
 月の民にとって他の生き物など全て下賎な存在だった。
 人間だろうが妖怪だろうが、自らに仕える兎たちだろうが、全てはただの道具に過ぎないと。それほどに月の民は高貴な存在なのだと自負していたのだ。
 蓬莱の罪を犯して地上に追放された輝夜でさえも、地上の民は道具だと思っていたのである。
 竹取物語にあるように老夫婦に拾われた輝夜。自身を匿ってくれた老夫婦に感謝と愛情のようなものは芽生えていた。それでも自分は高貴な月の民なのだという思いは消えなかった。
 
 しかし、時が流れそんな心もいつしか変化していく。その事を輝夜は強く自覚していた。
 地上の民も、地上の兎も、妖怪すらも対等の存在として彼女は受け入れ始めている。
 そんな変化は、彼女の従者である八意永琳にも見受けられた。
 
 ────私達も幻想郷の影響を受けているのかしら?
 
 幻想郷では人間と妖怪が対等に暮らしている。
 それを輝夜は不思議な光景だと思った。
 担う役割こそ違うものの人間と妖怪に差別といったものは見受けられない。それどころか、新しいものも古いものも────月の技術でさえも受け入れる世界。
 幻想郷では、自らを高貴な者だと呼称しても笑われるだけであろう。
 
 友人────いや、宿敵と呼べる存在も出来た。里の者との交流もある。ここでは誰も輝夜を特別視しない。
 
 そんな生活を、輝夜は気に入り始めていたのだ。
 
「お月様、お月様。まあるい、まあるいお月様……」
 
 朗々とした響き。小さな呟きにも似た歌声。
 輝夜は満月を目にしながら何を思っているのだろう。
 
 何の不自由もない栄達した日々。それ故に地上の生活に憧れた月の都での生活だろうか。
 それとも、地上の民の羨望を一身に集めていた“かぐや姫”としての思い出だろうか。
 
 月を眺めながら歌う輝夜の姿を、永琳は静かに眺めていた。
 
 やがて輝夜の歌も終わり室内に静けさが戻ってくる。
 そのタイミングを待っていたかのように、永琳が輝夜に声をかけた。
 
「良い歌でした、姫様」
 
 拍手は無くても心は伝わる。
 輝夜は永琳に答える代わりに、ゆっくりと振り返り彼女を見つめた。

「────永琳。今まで誰にも抜けなかった旗が引き抜かれてしまった。それは表の月に月の民が侵入したことを意味するわ」
「表の月、外の世界ね」 
「なら、ついに始まるのかしら?」
 
 何が始まるのかと言われなくても永琳には分かっている。
  
「始まるのでしょうね。月の覇権を巡った戦い、増長した月の民同士の争い──────月面戦争が」
 
 月面戦争という言葉を受けて、僅かに輝夜の身体が強張った。
 その答えを予想していなかった訳じゃないが、実際に永琳が口にすると魂が震えたのだ。
 
 だって彼女は、月のお姫様なのだから。
 
「……なら確実に降りてくるわね。月の都からの使者、あるいは咎人が。だってムーンセルに関しては永琳が一番詳しいもの」
「願わくば、鈴仙のような子が降りてきてくれると嬉しいのだけど……」
 
 言葉を紡ぎながら、永琳が障子に遮られていた廊下の方へと向き直った。すると、それに合わせるようにしてドタドタという足音が響いてくる。
 程なく、永琳の見つめていた障子が音をたてて開かれた。
 
「失礼しますっ! お師匠様……って、あれれ、姫様もご一緒でしたか」
 
 慌しく入ってきたのは紺色のブレザーに桃色のスカート、そして兎耳姿という女の子────鈴仙・優曇華院・イナバだった。
 何用で尋ねて来たのか、鈴仙はお団子の乗ったお盆を抱えている。
 
「あらあら、噂をすれば何とやらね」
 
 そんな鈴仙を見て輝夜が朗らかに笑った。
 鈴仙はといえば、笑う輝夜と部屋の主である永琳を交互に見やり、どうしたものかと廊下で立ち往生している。
 
「……えっと、お話中でした? もしかして邪魔しちゃいました……わたし?」
「ちょうど終わったところよ。で、鈴仙。何か用があって来たんじゃないの?」
 
 永琳が手招きしながら鈴仙に先を促す。 
 
「あ、そうでした! お師匠様、例月祭はつつがなく無事終わりましたよ。その報告に来たんです」
 
 鈴仙に言われて、永琳は先ほどまで続いていた兎たちの歌が止んでいるのに気づく。歌が止んでいるということは、彼女の言うように例月祭は終わったのだろう。
 
「そう、ご苦労様。でも随分と早く終わったのね。まさか手を抜いたりしてないでしょうね?」
「と、とんでもないですっ! お師匠様に言われた通りキチンと終わらせましたから! ……本当ですよ?」
「冗談よ。疑ったりしてないわ。────あ、そうそう。イナバ達の様子はどうだった?」
「地上の兎達ですか? 美味しそうに団子を食べてましたよ。てゐは私に後始末をぜ~んぶ押し付けて遊びに行っちゃいましたけどねっ!」
 
 ぷうっと頬を膨らませる鈴仙。
 その怒りっぷりを見て、輝夜も永琳もころころと笑った。
  
「笑い事じゃないですって! 本当に大変だったんですから! てゐが消えちゃうとつられて他の兎もどっかに行っちゃうもんですから、最後の方なんて私一人で片付けてたんですよ……」 
「ごめんなさい、鈴仙。別にあなたを笑ったわけじゃないわ。それより私達の分のお団子はないのかしら? 私もうお腹ぺこぺこで……」
「────あれ、輝夜? たった今せんべい食べてなかった?」
「姫様……まだ食べるんですか?」
「お団子は別腹よ。いいから出しなさい」
 
 困ったお人だなぁ、なんて言いながらも鈴仙は用意していたお盆を差し出す。
 
「じゃーん! つきたてですよ~! あ、姫様には三色団子をおまけでつけときましたからっ!」
「えらい! なら、ちょっとこっちへいらっしゃい。頭撫でてあげるわ」
 
 えらい、えらいと鈴仙の頭を撫でる輝夜。
 永琳はそんな二人のやりとりを聞きながら、鈴仙が開いたままの障子から庭を眺めてみた。
 その瞳が驚きに見開かれる。
 
 彼女が見たものは青白い光の帯。
 庭の外、はるか東の空から舞い降りてくる月の羽衣の描く光の軌跡だった。
      



[25266] 第七話
Name: 石・丸◆054f9cea ID:5cdb65c1
Date: 2011/01/22 00:35
 
 東方/Fate 7 
 
 コツコツという軽快な靴音が響いている。
 足音の主は十六夜咲夜。彼女はテーブルを周るようにして各々の前にあるカップに琥珀色の液体を注いでいく。それに伴って、室内にベルガモットの持つ柑橘系の香りが漂いだした。
 香りから判断すればフレーバーティの一種、おそらくアールグレイのアイスティーだろう。
 
「ミルクは入り用かしら?」
「いや、このまま頂こう」  
 
 カップに紅茶を注ぎながら問いかける咲夜に対して、俺は軽く手を上げて遠慮する旨を伝えた。咲夜はストレートでも十分美味しいものね、と頷きながら最後に八雲紫の元へと歩いて行く。
 その紫は咲夜の給仕する姿を眺めつつ、全員分の紅茶が用意されたのを確認してから、そっと目の前にあるカップに手を伸ばした。
 
「あら、良い香りねぇ」
 
 香りを楽しむようにカップを揺らしてから、薄紅に塗られた唇をそっと付ける。
 そして十分に味を堪能した後に、紫は満足そうに頷いて見せた。
  
「うん。味も風味も申し分ないし、ほんのり甘い後味も気に入った。こうして飲んでみると紅茶も悪くないわねぇ────今度、藍にでも教わりに来させようかしら?」
    
 暢気な様子で紅茶を楽しむ紫。しかし、誰も彼女の言葉に答えようとはしなかった。
 だが、それも当然だろう。俺達は談笑している訳ではない。単に話が一段落したので、レミリアが仕切り直しに飲み物を用意させただけだ。
 
 ここで各人の立ち位置を確認しておこう。
 
 レミリアは相変わらずテーブルを挟んで対面側に座っている。けれど一時の上機嫌は何処へやら、今はあまり機嫌はよろしくないようだ。咲夜が用意した紅茶にも手はつける様子はない。そのレミリアの後ろに控えているのが十六夜咲夜。
 彼女にとって何よりも優先するのは主であるレミリア・スカーレットの安全なのだろう。今も八雲紫の挙動に注意しながら、何時でも動ける体勢を整えていた。
 その紫だが、彼女はレミリアの隣に腰を落ち着けている。それがレミリアの不機嫌な理由になっているのか、あまり両者は顔を合わせようとしていない。形としては俺の正面にレミリアと紫が座る格好になった。
 パチュリー・ノーレッジはテーブルの端側、少し離れた場所から全体を見渡せるような位置に陣取って優雅に紅茶を飲んでいる。
 
 
「それじゃあ“本題”に入りましょう。宜しくて、レミリア?」
 
 紫はカップをソーサーに戻すのと、隣に座っているレミリアに伺いを立てた。
 話題提供の主導権は紫にあるが、紅魔館の当主であるレミリアの立場を立てたのだろう。その辺りはレミリアも理解しているらしく、彼女は静かに頷いて了承の意思を示す。
 形式上、必要な儀式という訳だ。
 それを確認してから、紫がゆっくりと俺に向き直る。
 
「改めて自己紹介しましょうか。私の名前は八雲紫。境界を操る程度の能力を持つ────妖怪ですわ」
「境界を操る────妖怪だと?」
「大した能力ではありません。精々遠くに移動したり、ここにない品物を持ってくるくらいしか出来ない些細な力です。月人の未知なる力には遠く及びませんわ」 
 
 自身の言葉を証明する為か、紫が何も無い空間から扇子を取り出した。境界────個別にある違う空間同士を繋いだということか。だとしたら、先程の空間転移もこの能力を使ったものなのだろう。
 しかし、些細な力だと言う彼女の言葉を額面通り受け取る訳にはいかない。
 レミリアの態度や話からも、八雲紫という女の力は伺える。更なる能力を隠しているか、或いは、境界を操るという能力が規格外に凄まじい可能性が高い。
 何処まで応用が効くのか分からないが、戦闘面に措いても油断出来る能力じゃないのは確かだ。
 まあ、どちらにしろこの場で深く詮索するのは無粋だろう。まずは名乗られたのだから名乗り返すのが礼儀というものだ。
  
「便利な能力だと思うが……さて、既に知っているようだが、私の名前はアーチャーだ。危うい場面をここにいるレミリアに救われてね。────こうして厄介になっている」
「結構。状況は理解しています。けれど貴方の名前がアーチャーだなんて不思議な話ですわ。少々、私の持っている知識とは異なります」
「何?」 
 
 扇子の切っ先を頬に当てながら小首を傾げる彼女。
 確か最初に現れた時にも俺の名前に反応していた記憶がある。その時は話の流れで追求できなかったが、何処かで見知ったことがあっただろうか。
 いや、その可能性は極めて低い。
 俺には八雲紫という女と出会った記憶はないし、これほど特徴的な女だ。見忘れるということは考えられない。ましてや彼女は幻想郷の妖怪だ。外の世界で出会うなど在りえない。
 
「────君と顔を合わせるのは始めてだと思ったが、何処かで面識でもあったか?」
「いいえ。そういう意味ではありません」
 
 やはり、会ったことは無いと首を振られた。
 ならば何故俺の名前に反応する?
 
「……判らないな。一体君は何をそんなに不思議がっている? 私の名前がアーチャーだと問題があると?」
「そうね。問題というより懐疑かしら。私は単純に知識の齟齬を埋めたいと考えているのよ」
「ほう、その言い方だとまるで私が嘘を吐いているように聞こえるが────誓って偽りは述べていないのでね。君の期待には応えられそうにない」
 
 その言葉を聞いて、紫が含むように笑った。
 受けて立つ────戦闘開始だとばかりに、彼女の雰囲気が変化する。 
 
「偽りは述べていない。けれど真実も述べていない。その可能性はないかしら?」
「この期に及んで名前を偽る必要性を感じないな。偽名を使って私に何のメリットがある? 悪いが君の言葉には無理があるぞ」
「何処に無理があるというのかしら。例えば貴方が私達を騙している場合。先程の戦闘行為を含めて狂言だったとしましょう。ほら、偽名を使う必要性が出てきました」
「それは単なるこじつけだ。納得出来る理由ではない。子供の我侭と大差ない言い分だな」
「幾つかある可能性の一つを示しただけですわ。────あと勘違いなさっているようですけれど、貴方が偽名を使っているとは思っていません。貴方がアーチャーだという事実が不思議だと言っているのです」
「……尚更分からない話だ。会った事も無い男の名前にどうしてそこまで拘る必要がある? 私には理解できない心理だな」
「そう思っているのは貴方だけではなくて? ここは幻想郷。外の世界の常識は通じません」 

 視線に火花が散るとはこのことか。丁々発止言葉を交わしながら、互いに相手を射抜くべく睨み合う格好になっていた。
 それだけじゃない。紫からの視線が身体の節々に突き刺さるのを強く感じる。言葉からだけじゃなく、僅かな仕草さえも見逃さないという思いがはっきりと伝わってきた。
 彼女ほどの者ならば、相手に感づかれずに観察する術くらい心得ているはずだ。
 ならば意図的に俺に気付かせているということか。
 
 そうならば────随分と舐められたもんだ。
 
 精神的に圧力をかけて相手にボロを出させる。鎌を掛けて求める言葉を誘導する。尋問の常套手段だ。
 この女ならば、僅かな綻びからでも答えに繋がる糸を掴みあげることが可能だろう。
 だが俺とて、伊達に幾つもの修羅場は潜ってない。
 この場を利用して、逆に八雲紫という女の本心を欠片程度でも掴んでやりたいものだ
 
 
「ちょっと待って、紫。コイツの名前がアーチャーなのがそんなに問題なの? さっきから訳分かんないんだけど。もっと私達にも分かるように説明して欲しいわ」
 
 どうやって攻略の糸口を掴もうかと思っていた矢先、レミリアが口を挟んできた。
 隣にいながら会話に参加できない。意味の判らない会話が飛び交う光景に嫌気がさしたのだろう。しかし俺にとっても紫にとっても良いアクセントになったようだ。
 小休止とばかりに、紫がほうっと妖艶な吐息を漏らす。
 
「確かにこのままだと貴女達は蚊帳の外かもしれないわねぇ。じゃあ、レミリア。先程私が説明したサーヴァント・システムの話は覚えてるかしら?」
「英雄を召喚して使役するとか言ってたアレね。勿論覚えてるわ」
「結構。一種の式神に当たるサーヴァントだけれど、さしもの月の都も英霊その者を召喚するのには無理があったのでしょう。負担を軽減する為に、召喚に際して彼等にあるクラスを設けることにしたようね」
「クラス? それって役割みたいなもの?」
「役割というより枷でしょうね」
「……そういえば確か、さっき紫はある枠組みに当て嵌めて英霊を召喚すると言っていたわ」 
 
 パチュリーが記憶を遡り、レミリアの疑問を補足する。
 正解という意味だろうか。紫が静かに頷いた。
 
「サーヴァントの基本クラスは七種。まずは最優と呼ばれる剣士────セイバー」
 
 紫が言葉を紡ぎながらゆっくりと扇子を翻す。それに合わせて、何も無かった空間が縦目に裂けた。
 無数の目が覗く闇の空間。その闇の隙間から現れたのは七枚のカードだった。
 淡い光を放つ七枚のカード。それらは空中に静止したまま落下する気配がない。けれど紫が扇子を一振りするや空中からカードが一枚、テーブルに向かって舞い降りていった。
 ふわり。ふわり。
 皆の注目を集めながらカードがテーブルへと至る。その面に刻印されていたのは剣を持った騎士の姿だった。
 
「次に槍兵を意味する────ランサー。騎乗する者────ライダー」
 
 言葉と共に扇子が翻り、都度カードが舞い落ちる。
 二枚目は槍を携えた男の姿が。三枚目には古代ギリシャ時代に出てくるような、馬を利用した戦車に乗る人物が描かれていた。 
 
「狂いし獅子の如き存在────バーサーカー。深い知識を有する魔術師────キャスター。暗闇から命を刈り取る暗殺者────アサシン」
 
 四枚目、五枚目とテーブルに並びゆくカード。
 それらは全て“サーヴァントの理”を表していた。
 
「そして最後に──────」
 
 紫がゆっくりと扇子を翻す。
 その切っ先が俺の目の前への空間へと突き立てられた。
 
「射抜き貫く者────アーチャー。これがサーヴァントと呼ばれる者達の総称よ」
 
 最後のカードはテーブルの中央ではなく、俺の目の前に舞い落ちた。
 場に居る全員の視線を引き連れて。 
 俺はそのカードに手を伸ばし、刻印されている絵柄を確認した。
 
「……弓を番えた女性の絵。なるほどアーチャーのカードだ」 
 
 自嘲気味に呟くも返答はない。代わりに、咲夜やパチュリー、そしてレミリアの三人が俺を見つめているのに気づいた。
 非難しているという感じではない。驚いている────いや、どちらかと言えば観察されているといったところか。
 何とも不思議な感覚だった。
 
「サーヴァントとは英霊。即ち既に存在しない者。その在り方は幽霊や亡霊、私たち妖怪に近い。なのに貴方────人間よね?」
 
 紫の言葉が胸を突く。
 だがこれで、彼女が何を疑問に思っていたか、何を問いたいのかが理解できた。 
 
「……なるほど。八雲紫といったか、君は人間である私がサーヴァントのクラス名であるアーチャーと同名なのが気に入らない訳だ。人間なのだからサーヴァントではない。なのに名前はアーチャー。これは如何なものかと」
「気に入らない訳ではないわ。疑問が残ると言っているの。事態は幻想郷全体に及ぶかもしれない大事よ? 些細な情報でも齟齬があるなら追求したい。私の言っていることは変かしら?」
「いや────その点は同意する。しかし、やはり君の期待には応えられそうにない。確かに私はアーチャーと名乗ってはいる。だがこれは私の戦闘スタイルが遠距離射撃に特化している為だ。文字通りただの弓兵という意味だよ」
 
 何一つ嘘は言っていない。
 ただ、必要以上に多くを答えていないだけだ。
 
「偶然同じ名前になってしまったと言うのかしら、貴方は?」
「そう取ってもらって構わない。それに本当の名前は別にある。レミリア達には名乗ったが────私の名前は衛宮士郎だ。アーチャーという通り名が気に入っていてね。人前ではこちらを名乗るようにしているだけさ」
「サーヴァントにも真名と呼ばれる名前がある。貴方も月から降りてきたなら当然知識はあって然るべきよね」
「さあ、どうかな。どちらにしろ私は人間だ。君の言うサーヴァントとは幽霊に近い存在なのだろう? なら偶然同名になったという説の方が信憑性があると思うがね」 
 
 これでこの話題は終わりだと、大きく肩を竦めながら嘆息する。
 対する紫は沈黙で答えてきた。扇子で口元を覆っている為、表情が読めない。
 
 ────何を考えているのか。
 
 悟られないように紫を観察してみる。
 憤慨している様子はない。かといって呆れている様子も無ければ、苛立っている様子にも見えない。
 ただじっと見つめられている。
 それは不気味なほど嫌な気配を伴った沈黙だった。
 全て八雲紫という女の掌の上で計算された寸劇で、俺は配役を演じさせられていたような錯覚すら受ける。これが彼女の業なら完全に術中に陥っていることになるが、それについて考えを巡らせる前に、紫が扇子をテーブルに置いた。
 
「────そう。あくまで意見は変えないのね。本当、強情なのか喰えないのか……判断が付きかねるところ」
 
 ソファに深く座り直し両手を挙げてみせる彼女。
 その表情に再び色が現れた。
 
「これ以上この話題を続けても水掛け論になるだけね。良いでしょう。一旦保留して次の話へ行きましょうか。勿論、付き合ってくれるのよね、アーチャー?」
 
 この女と話すのは精神的に疲れる。そう思っても付き合わないわけにはいかない。
 だが、俺が答えるよりも早く紫に声をかけた者がいた。
 
「待って、紫。ちょっと話を聞いていて疑問に思ったことがあるのだけれど────」
 
 落ち着いた声で待ったをかけたのは、パチュリー・ノーレッジだった。
    



[25266] 第八話
Name: 石・丸◆054f9cea ID:5cdb65c1
Date: 2011/01/27 00:51
 
 東方/Fate 8 
 
「疑問に思った……? へぇ、それは興味深いわね。で、一体何について疑問を持ったというのかしら、パチュリー・ノーレーッジ」
「端的に言えば、貴女の本当の目的についてよ、紫」
「私の────目的?」
 
 すっと紫の青い瞳が細められた。
 彼女が抱いたのは疑念か懐疑か。紫はパチュリーを見つめ彼女の言葉の真意を図ろうとしている。その視線をパチュリーは真っ向から受け止めていた。
 僅か二、三言葉を交わしただけ。それでも場の主役が、一瞬にして紫とパチュリーの二人に取って代わられた。
 
「何を言い出すのかと思えば私の目的とはねぇ。私はそこの彼と話しに来ただけですよ。それは貴女もご存知でしょう?」
「ええ、そのようね。最初にレミィと交わした会話も、先程アーチャーと質疑した内容も貴女の本心からくる言葉だったのでしょう。それは疑っていない。けれど、それは言わば隠れ蓑────」
 
 パチュリーの言葉を受ける紫の視線が、一層険しいものになっていく。
 そこに危険な揺らめきがあるのを俺は見逃さなかった。
  
「話に来ただけ────それは嘘だわ。八雲紫という妖怪はそんなに甘い存在ではない。あなたは見極めに来たのでしょう? アーチャーが幻想郷にとって“敵”となるのか否かを」
 
 ────敵という言葉が胸を打つ。
 
 現状、俺には彼女達と敵対する意思はない。
 体調は万全ではないし、何よりこれから先どう行動しようとレミリア達の助けは必要なのだ。レミリア達も俺を助けてくれるようなことを言っていたし、事実助けてくれた。
 しかし、突然押しかけた格好になる俺よりも、旧知である八雲紫との結びつきの方が強いのは明白だ。例えば紫が俺を敵と認識したならば、レミリア達が俺を保護する理由はなくなる。
 
「敵────ね。どうしてそう思ったのかしら、パチュリー?」
「あなたは現れた時から彼のことを気にかけていた。初めは異邦人であるアーチャーを注視しているだけかと思ったけれど、それにしては意地悪な質問の仕方とか返しをしている。意図的に彼を怒らせようとしている場面も見受けられたわ」
「良く見てるわねぇ。────それで?」
「人間は怒った時に本質が現れやすい。裏を返せば、その人にとっての情報を得ようとすれば感情を爆発させれば良いわけね。危機対処能力。どの程度で感情の制御が効かなくなり決壊してしまうのか。話す際の僅かな仕草や声のトーン。返答するまでの時間や他人に対する配慮など。様々な角度から彼に対する情報を深めていく」
  
 レミリアも咲夜も黙ってパチュリーの話を聞いている。
 紫もまた話の腰を折らず受けに徹しているようだ。
 その沈黙が意味するものは何なのか。言い知れぬ恐怖感が身を襲ってくる。
 
「あなたが語った言葉に嘘はない。ただ目的が別にあったという訳ね」
「……貴女の言う“私の本当の目的”がどういうものかは理解しました。その真偽はさて置き──────それを語って、貴女は何を望んでいるのかしら? 私にどうして欲しいと?」
「紫。あなたは次の話題にいきましょうと言ったわよね。それは即ちまだまだ情報戦が続くということ。あまり歓迎できない事態だわ」
「何故?」
「彼────アーチャーはこう見えて結構重傷なのよ。ずっと眠っていて先程目を覚ましたばかり。あまり無理させるのも酷な話よね。だからもっとシンプルにいきましょう。私や咲夜なら平気だけど、難しい話が続くとレミィが眠っちゃうわ」
 
 少しおどけて見せるパチュリーに対して、レミリアが“眠るわけないでしょっ!”と息巻いている。だが、当然の如くパチュリーには無視されてしまった。
 その行為に、少しだけ場が和んだ気がした。心に圧し掛かっていた負荷が軽くなる。
  
「そうねぇ。確かにレミリアだと退屈しちゃって眠っちゃうかもね。でも別に良いじゃないの。会話を交わすだけなら彼の体調にもそれほど影響は無いでしょう。それとも少ない情報量で判断を下しても良いのかしら。幻想郷にとって有益なのか否かを」
「その前に訊かせて。もしアーチャーが不利益をもたらす者、幻想郷の敵だと認識したとしたら、あなたはどうするの? 彼を殺す?」
「訊かなくとも判るでしょう、パチュリー。幻想郷に仇名す者は全て私の敵。それは貴女達も同じ考えではなくて? だって私達は皆、幻想郷に住む妖怪なのですから」
 
 冷笑。見る者を凍りつかせるような冷たい笑みを浮かべながら、ゆっくりと紫が俺に向き直る。その際に、口元を覆っていた扇子を折り畳み、切っ先を真っ直ぐ俺に向けて突き立てた。
 その行為に身体が勝手に反応する。
 体内の魔術回路が起動し、いつでも投影できる準備が整う。戦闘体勢を取れと心が命じたのだ。
 
「……殺す、か。だが、そう簡単に事が運ぶと思うなよ」 
 
 と、強がってみたものの、先程パチュリーが言った通り俺の身体は満足に戦える状態じゃない。仮に万全だったとしても戦って勝つのは難しいと思う。
 それほど“彼女達”の力は強力だ。一対一でなら何とか戦える。だが四人全員を相手にするなど自殺行為に等しい。
 しかし、この考え自体が無用なものだった。この場に措いて“俺”と“紫”だけが大きな思い違いをしていたのだ。
 その事実をレミリアがはっきりと口にする。
 
「────紫。アンタは一つだけ大きく間違ってる。勘違いしてるわ。少し話しが噛み合わないって思ってたけどやっと分かった。私とアンタとじゃ前提が違うのよ」
「……どういうことかしら、レミリア。前提が違うですって?」
「そう、前提。アンタはアーチャーを私が助けた。紅魔館が保護してるって思ってるようだけど全然違う。彼はね────私が拾ったの。いわば私の所有物」
 
 自信満々に胸を張るレミリア。
 心の底からそう思っているという気持ちがありありと伝わってきた。
 
「それは保護したということではないの?」
「全然違う。保護っていうのは脅威から一時的に守ってあげることよね。だけど彼は私の物なの。自分の物を取られそうだから守るのに一々保護なんて理由付けは使わない。だから私達はアーチャーの敵には回らない。コイツ自身が敵となる道を選ばない限りはね」
 
 まあ、主人に逆らっても力ずくで連れ戻すだけだけど。とレミリアが付け加える。
 その言葉は紫をしても予想外だったらしい。険しい表情のままレミリアに詰め寄っていく。
 
「レミリア。貴女は自分が吐いている言葉の意味を理解してる? 事は幻想郷全体に及ぶかもしれない話なのです。軽々に物事を捉えないで」
「十分過ぎるほど理解してるわ。そりゃ私だって幻想郷に住んでるんだから決められたルールは守る。けどね、紫。私は尊厳まで売り渡したつもりはないの。────紅魔館は誰の挑戦でも受ける。それが月人だろうと妖怪だろうと人間だろうと。例えそれが八雲紫だとしてもね」 
 
 気持ちの良い啖呵の切り方。
 レミリアは一切の臆面すらなく、俺を自分の物だと言い張ったのだ。
 
 帰宅する際、道端で壊れた玩具を拾った。持ち帰ってみれば自分の興味を強くそそる品であり、いたく気に入ってしまった。だから自分の物にした。他人には譲らない。 
 子供じみた幼い思考だ。だが彼女は、自分がそう主張することで生じる責を全て負う覚悟で言葉を放っている。考え無しに突っ走っている訳ではない。
 レミリアは、彼女なりの理で動いているのだ。
 それは紫も感じ取ったのだろう。彼女は異論を挟む前に、パチュリーと咲夜の意見を伺おうと対する相手を変えた。
 
「と、レミリアは言っているけれど、貴女達の考えはどうなのかしら。聡明な二人なら違う考えを持っているのではなくて?」
 
 紫に言われてパチュリーと咲夜が顔を見合わせて嘆息した。 
 言いたいことは分かる。けど、無理なのよと。
 
「レミィは一度言い出したら聞かないからね……本当に我侭。思考もお子様そのものだし、付き合う羽目になる私達のことも考えて欲しいとも思うわ。それでもレミィはここの当主なの。ねえ、咲夜?」
「パチュリー様の言う通りですね。お嬢様はこうと決めたら梃子でも動きませんから。その点はもう諦めてます。私はお嬢様の従者ですから。命令には黙って従うだけです」  
 
 苦笑を浮かべながら咲夜が答える。
 言うならば、彼女達はレミリアが俺の味方をすると決めたから従う────パチュリーの言葉を借りるなら、付き合ってやっているということ。
 逆に言えば、レミリアが俺を排除しろと命じれば、咲夜など躊躇いもせず俺を殺しに来るのだろう。
 レミリアを頂点とした絶対の信頼関係が構築されているという事実。その枠に紅美鈴やフランドール・スカーレットも含まれているに違いない。それ等全部を合わせて紅魔館なんだと思う。
 確かな信頼と絆。その光景は俺にはちょっと眩しいくらいだ。
 だから、そんなものを見せ付けられれば皮肉の一つも返したくなってくる。
 
「まったく……人の意思を無視して好き勝手言ってくれるな。私がいつ君の所有物となったというのだ? 第一私は物ではなく人間だぞ」
「あら、不満なの? けれど異論は認めないわ。最初に言ったはずよね。あんたは私が貰ったって」
「悪いが意識が朦朧としていたのでね、よく覚えてない。仮にそう言ったのだとしても了承は得ていまい?」
「あんたに選択権は無いわ。だって決定事項なんですもの」 
 
 何を当たり前のことをとレミリアが踏ん反り返る。 
 
「……やれやれだ。だが現状満足に動ける状態でないのを考慮すれば、異論はあるが甘んじてこの境遇を受け入れるしかないのだろうな。……異論はあるが」
 
 本当に困った。そう見えるように大げさに肩を竦めてやった。 
 けれど本当は悪くない気分だった。仲間が出来たような不思議な感覚。見せ掛けだとしても悪くないと思った。
 その意味を悟ってか、半ば同情するようにパチュリーが頷いている。
 
「まあ、貴方もそのうち慣れるわよ。今回の件は不運だったと思って諦めなさい」
 
 レミリアと出会った事実が幸運なのか不運なのか。それはこの先の事態で決定するだろう。だが、後悔はしていない。幻想郷で最初に出会ったのがレミリアで良かったとさえ思う。
 だけど今は、一種の言葉遊びを繰っているようなものだ。だから俺はこう返答しておいた。
 
「私には女難の相があるらしいからな。毎度、毎度、女と関わると碌な目に遭わない。特に赤い女との相性は最悪だ」
「じゃあお嬢様は相手としては駄目ですね。ご愁傷様」
「聞こえてるわよ、咲夜っ!」
 
 咲夜もレミリアも乗ってきた。今この部屋で蚊帳の外なのは紫だけ。
 そんな彼女も遂に諦めたという風に、盛大な溜息を吐いた。
 雰囲気に呑まれた訳じゃなく、一歩引いた方が得策だと判断したのだろう。
 
「……参ったわね。相変わらず意固地なんだからレミリアは。これじゃ私が悪役みたいじゃないの」
「悪役というより最終ボスじゃないの? いつも後ろから糸を引いて誰かを操っているくせに」
「もう、人を納豆みたく言わないで頂戴。まあ、彼についての判断は追々下すことにしましょうか。今は彼の目的を解決する方が先決ね。私にも力になれることがあるかもしれない。そう思って訪れたのも事実なのよ?」
 
 切れるようだった紫の雰囲気が柔らかいものに変化している。
 言葉だけじゃなく、一瞬で内面すら切り替えたのだ。 
 
「確か────ある人物と接触したいという話よね?」
  
 紫の言葉を聞いて、レミリアが思い出した! というように机をバシっと叩いた。
 
「そうよっ! 確かあんた誰かに会いに来たって言ったわよね? 名前を言いかけたところで誰かさんが割って入っておざなりになっちゃったけど」
「妖怪じゃなく月人だと言っていたわ」
 
 全員の視線が俺に集まった。
  
「ああ。私が探しているのは、かつて月より地上に堕とされた人間。幻想郷では八意永琳と呼ばれているはずだ」
 
 
 
 
 八意永琳という名を聞いた瞬間、俺を除く全員が顔を見合わせた。
 誰もが微妙な表情を浮かべている。
 その反応が気になったものの、知らないという感じじゃない。どちらかといえば関わりたくないという風に見てとれた。
 
「……八意永琳って、確か竹林に住んでいる宇宙人ですよね、お嬢様?」
「ええ、そうね。あの悪党面は忘れられそうにないわ」
「────し、知っているのかっ!?」
 
 レミリア達の会話を受けて、思わず声が上ずってしまった。
 
 名前しか知らない彼女。
 始めて訪れる幻想郷に知り合いはいないし、土地勘もない。一切の手懸りも無い雲を掴むような話だった。
 敵には追われ傷ついていても、彼女に会うまでは死なないと誓った。這い蹲ってでも辿り着くと。それでも何処か心の冷静な部分が不可能だと告げることもあった。
 ただ、頷けなかった。だから無様でも足掻いたんだ。
 その彼女の情報がこんなにも早く見つかるとは……動揺するなという方が無理な話である。
 
「本物の月が隠されるって異変の際にちょっとね。アンタは月から降りてきた。永遠亭の連中も月から降りてきた。なるほど……関連性はあるわけね」
 
 納得したように頷くレミリア。
 そこに紫が補足を加える。 
 
「幻想郷で生きていく為には人間か妖怪かを選ばなくてはならない。あの月の民達は妖怪のルール下には入らず人間の社会に入ろうとしている。即ち、人間であることを選んだ。そこに訪れた月よりの使者────無事に会えたとしても、果たして貴方の望む答えが得られるかしら?」
 
 痛いところを突いてくる。
 月の賢者が今の事態に対してどんな判断を下すのか俺には分からない。最悪敵対される可能性すらあるのだ。
 それでも俺には  
 
「……私と彼女との間に面識はないからな。どんな答えが得られるのか予想の範囲外だよ。ただ私には彼女────八意永琳に会うという選択肢以外は存在しない」
 
 そう。全ては彼女と会ってからの話。
 その為にはレミリア達の力が要る。
 
「レミリア。私を八意永琳の元まで案内してくれないか? 助けてもらった上に図々しい願いだが────頼む」 
 
 真っ直ぐにレミリアを見据え、深々と頭を下げる。
 その願いを、レミリアは快く引き受けてくれた。
 
「勿論、構わないわ。面白そうだし付き合ってあげる。ただ厄介なのは……迷いの竹林よね。永遠亭の連中が里まで降りてくるのを待つって手もあるけれど、うまく捕まえられるとは限らないし。出来るだけ早く会いたいのよね、アーチャー?」
「ああ。今すぐにでも動きたいくらいだ」 
「なら、道案内の彼女を頼りましょう。彼女に頼めば永遠亭まで連れて行ってくれるはずよ」
 
 紫が迷いの竹林は大変な場所だから道案内が必要なのよと教えてくれた。
 その言葉を受けて、レミリアの柳眉が寄ってくる。
 
「……もしかして、紫。アンタ付いて来る気?」
「当然でしょう。私はアーチャーを見極めなければならないの。その為には彼と離れるのは得策ではないわ」
「……むむむ」
 
 出来れば断りたい。けど断っても無駄。それを理解しているからか、レミリアの表情がどんどんと不機嫌なものになっていく。
 どうやら二人とも旧知の間柄のようだが、基本的にあまり仲がよろしくないようだ。
 そんなレミリアを和ませる為なのか、紫が極上の笑顔を浮かべた。
 
「どちらにしてももうすぐ日が昇るわ。永遠亭を尋ねるにしろ話を詰めるにしろ、もう一度日が落ちてから────今晩辺りが最適でしょう。だから」
 
 喋りながらも紫は空中に境界を開くと、ゆっくり右手を差し込んでいく。その手を動かし何かを探る様子を見せる彼女。
 暫し後、戻された右手には……一升瓶が握られていた。
 その光景に唖然とする一同。
 
「……お酒?」
「知り合いの鬼のところからちょいとね。日が昇るといってもまだ少し猶予があるし、皆で酒盛りをしましょう」
 
『…………はあっ!?』
 
 まったく紫の意図するところが掴めない。そんな感じに皆の目が点になる。
 
「古来より仲を深めるには黙って酒を酌み交わすのが一番と決まっているの。これから少しご一緒する仲なんですもの。宴会くらい良いわよね?」
「先程まで物騒な話を交わしていたのに……開いた口が塞がらないとはこのことね」
 
 紫の掲げる「銘酒────鬼殺し」というラベルを見ながらパチュリーが苦笑する。
 
「紫……そのお酒ってもしかして……」 
「正確に言うなら知り合いの鬼が厄介になっている神社から拝借したものだけど、物は確かよ。安心して」
 
 一ミリも悪びれる様子のない彼女。
 それを受けて、レミリアも決断したようだ。
 
「……確かに考えようによっては粋な計らいと言えなくもないわね。うん、私も覚悟を決めたわ」
 
 そして、決断すればレミリアの行動は早い。
 矢継ぎ早に各自に指示を飛ばしていく。 
 
「アーチャー、アンタお酒はいける口かしら?」
「全く問題ない。こう見えて酒場で働いたこともある身だ。なんなら酒に合う肴でも作ってみせようか?」
「へえ。それは興味深いわね。なら咲夜と一緒に簡単に摘めるものでも作ってもらおうかしら。その間に私はフランと美鈴を呼んでくるから。パチェは……そうね、酒蔵から適当に見繕って持ってきてよ。一本じゃ足りないでしょ?」
 
 こうして、八雲紫の音頭による予想外の宴会が開始される運びとなった。
 紅美鈴やフランドール・スカーレットを加えての大宴会。それはある面で俺を助ける結果となる。
 
 傷ついた身体を休めようにも、彼女に繋がる手懸りを得た今、興奮して眠れそうにない。
 酒の力を借りなければ休むことも出来なかったろうから。
  



[25266] 第九話 番外編 ~酒宴~
Name: 石・丸◆054f9cea ID:5cdb65c1
Date: 2011/02/01 00:02
 
 東方/Fate 9 番外編 ~酒宴~ 
 
「きゃはははははははッッ!!」
 
 甲高い笑い声が耳元で木霊している。
 陽気にはしゃいでるのはレミリアの妹であるフランドール・スカーレット。彼女は何故か俺の背中に負ぶさり、両手を首元に回す格好でぶら下っていた。
 
「ねえ、アーチャー! 次はアレ、アレが食べたいっ!」
 
 背中から問答無用で指示を飛ばすフランドール。彼女が指し示したのは俺が酒の摘みにと用意したカナッペだった。だがカナッペには幾つかの種類があって、フランドールがどれを所望しているのか要領を得ない。
 
「……アレでは分からん。もっと明確に言ってくれ、フランドール」
「アレだ! アレ! ほら、あの赤い魚の乗ってるやつ!」
 
 彼女の視線を追えば、スモークサーモンとオニオンを乗せたカナッペがあった。仕方ないので俺は彼女の所望するカナッペを一つ掴むと、肩越しに背中に張り付いているフランドールへと渡そうとした。
 しかし……
 
「────タベサセロ」
 
 フランドールが“あーん”と大口を開いて待っているではないか。
 しかも満面の笑み付きで。
 
 ────何を考えているんだ、この女は。
 
 だがレミリアの妹の頼みとあっては無碍に断る訳にもいかない。
 俺は手まで食われないように注意しながら彼女の口の中にカナッペを放り込んだ。それを美味しそうに咀嚼するフランドール。一口サイズのカナッペとはいえ、小さい身体で良く食べる。
 そんな俺達の様子を見ていたレミリアが、珍しいものを見たという感じで感嘆した。
 
「はぁ……本当に良く懐いてるわねぇ。一体アンタの何処がそんなに気に入ったのかしら?」
「……レミリア。関心していないでコレを何とかしてくれないか。君の妹だろう?」
「う~ん、何とかって言われてもねぇ……」
 
 手にしたグラスを傾けながら、肩越しにフランドールを見やるレミリア。
 そのフランドールは興が乗ったのか、はたまた何も考えていないのか。俺の頭を楽しげにぺしぺしと叩いている。
 少女の細腕とはいえ、かなり痛い。
 
「私は怪我人だぞ? 姉としてコレを管理監督する義務が君にはあるはずだ」
「そんなことはフランに直接言いなさいよ」 
「言っても無駄だから姉である君を頼っているのだ。……というか、平たく言うと助けてくれ」
「もう、仕方ないわね。ほら、フラン。降りて来なさい」
「────ヤダ!」
 
 ぷいっとそっぽを向くフランドール。
 威厳ある姉の提案は即効で却下されてしまった。
 
「だってアーチャーはお姉さまのものなんでしょう? お姉さまのものは私のもの。私のものはお姉さまのもの。だからコレは私のものだっ! きゃはははははっ!」
 
 ぺしぺしぺしぺし。
 ぐりぐりぐりぐり。
 
「────およ?」
 
 感触が気に入ったのか、今度は俺の髪の毛をわしゃわしゃと弄び始めるフランドール。
 もはや頭上は彼女の独壇場になっている。
 
 ────正直、勘弁してください。
 
 だがレミリアにとったら完全に他人事なのだろう。妹の説得は早々に諦めて酒と食を進めることにしたようだ。
 レミリアはテーブルに並んでいる料理群からカナッペを一つ選ぶと、上品に口元へと運んでいく。
 
「あら、美味しいじゃない。バゲットにオリーブオイルを塗ってから軽くトーストしたのね。こうすれば素材の味を活かして楽しむことができる。お酒に合うわ」
「……満足したのなら良かった。その調子でフランドールを引っぺがしてくれると嬉しいのだが……」
「残念ながら私に説得は無理ね。ここはフランの自由意志を尊重しないと」
 
 ────自由意志か。
 
 なら、俺の意思は尊重してくれないのだろうか?
 
「まあ、アンタには悪いと思うけどもうちょっと付き合ってあげてよ。普段フランには寂しい思いをさせてるからね……楽しそうにしてるフランを止めるのは忍びないのよ」
 
 などと殊勝な事を言っているレミリアだが、本心は別にあるのは明白だ。
 大方、フランドールに纏わり付かれて酒を呑むのを邪魔されたくないに違いない。要は体の良い身代わりな訳だ。
 
「アハハッ! アーチャー、次はアレが食べたい!」
 
 しかし今の俺は重傷を負っている身。
 普段ならともかく、現状のまま少女を一人背負い続けるのは骨が折れる。しかもフランドールは暴れまくるのだ。
 
「早く取れ、アーチャー!」
 
 バシバシッとおでこが叩かれる。更には髪の毛も毟られる。
 このまま放置すれば傷に差し障りが生まれるのも時間の問題だろう。姉であるレミリアが頼れないとするならば、ここは別の人物を探すほうが得策か。
 そう思った俺は室内をぐるりと見回してみた。
 
 酒を飲むなら応接室は無粋だろうということで、フランドールと美鈴を加えた俺達は手近なリビングに移動していた。
 だが、そこは紅魔館。リビングといっても内装は豪華で調度品は高級感に溢れている。手狭な方だとレミリアは言っていたが、七人いても窮屈な印象は抱かない。
 こんな部屋がまだ幾つもあるようだが、設えの豪華さに驚くよりも先に掃除が大変だろうと思ってしまうのは性分なんだろうか。
 
 酒宴が始まった当初は全員同じ卓についていたのだが、宴が進むにつれて各々が飲みやすい場に移動し誰かと歓談するという雰囲気に変わっていった。
 現在では、レミリアは目の前にフランドールは頭の上にいる。残る人員の中で事態を打開するに相応しい人物といえば……やはりここはパチュリー・ノーレッジが妥当だろう。
 彼女の冷静さと紅魔館における立場を考えれば、フランドールを説得してもらうには最適だ。
 そう思って彼女の姿を探してみる。
 
 程なく、彼女の姿を見つけることが出来た。
 パチュリーはサイドテーブルに陣取って、美鈴と何やら話しをしているようだ。俺はフランドールを背中に担いだままパチュリーの元まで行くことにする。
 
 
 
 
「だぁ~れぇ~がぁ~っ紫もやしなのよぉ~っ!!」
  
 何というか、すっかり出来上がっていた。
 
「そりゃ身体は貧弱だし喘息持ちよ……でも、だからって“もやし”はないでしょう、もやしはぁっ!!」
 
 真っ赤に染まったお顔で絶叫なさるパチュリーさん。
 ふとサイドーテーブルに目を落としてみれば既に空になった瓶が幾つも転がっていた。あれを全部一人で飲んだのだとすれば、尋常ではない量を身体の中に収めたことになる。
 
 ……これはヤバイ。
 
 そう本能的に直感した。
 
「あらぁ~? 誰かと思ったらアーチャーじゃないの~。……あははっ。何その格好? フランを背中に乗っけて何かのお遊びかしら? それともレミィに罰ゲームでもやらされているの?」
 
 古今東西、酔っ払いという人種には一切の常識が通用しなくなる。
 彼等は相手の状況などお構いなしに、自らの都合だけを押し通す迷惑な存在と成り果てるのだ。
 
 ────いや、そういう概念すら消し飛んでしまうのだろう。
 
 故に彼等と互角に渡り合うには、自らも同じ土俵────つまり酔っ払ってしまうしか方法はない。
 俺にその選択肢を選ぶ勇気はないし、ここは大人しく退散するのが賢明だろうか。
 そう思った矢先、パチュリーに着席を命令された。
 
「……まあ、いいわ。美鈴以外にも話し相手が欲しかったところだし、ちょっとそこに座りなさい」
 
 そう言って空いた椅子を指差すパチュリー。
 隣には緑色の衣服を纏った美鈴が置物のように鎮座なされている。
 
「……君は確か紅美鈴と言ったか。こんなに飲ませた犯人は君か?」
 
 横目で散乱っする酒瓶を見やる。
 それを受けて慌てて美鈴が首を振った。 
 
「ち、違いますよ! 私も飲みすぎなパチュリー様を諌めようと声をかけたら……」
「拉致られた────という訳か。疑って悪かった。君も災難だな」
「ちょっと、何を二人でコソコソ話しているの? 早く座りなさーいっ!」
「……………………はい」
 
 酩酊者には逆らうべからず。
 これは俺が人生の中で得た教訓の一つである。
 
 俺はパチュリーに言われた通りに腰を下ろす。その最中、フランドールが俺の身体をよじ上っていくのが気配で分かった。座ると背中が窮屈になると思ったのだろう。
 肩を跨いで頭を太ももで挟むような格好────要するに俺がフランドールを肩車するような姿勢になった。
 
「じゃあ、まずは一杯いきましょうか……って、あら、グラスがないわねぇ……」
 
 キョロキョロと辺りを見回すパチュリー。
 今彼女が飲んでいるのは琥珀色の液体だった。色から判断すればウイスキーかブランデーか。まあどちらにしろラッパ飲みという訳にはいかない。
 俺は慎重に魔術回路を起動すると投影を開始し、パチュリーが持っているグラスを二個複製した。
 得意分野は武器────主に剣の複製だが、グラス程度なら問題なく作り出すことが出来る。俺は作り出したグラスをテーブルの端に配置すると彼女が気づくのを待った。
 
「……あぁ、あった、あった。じゃあ今から用意するからちょっと待っててねぇ~」
 
 普段の彼女なら突然出現したグラスに違和感を覚えただろうが、酔っ払いは細かいことなど気にしない。
 パチュリーはグラスを手に取るやなみなみと酒を注ごうとする。しかし、その行為を美鈴が制止した。
 
「パ、パチュリー様っ! そのような些事は私がこなしますから、どうぞでーんと構えててください」
「あらそう? なら美鈴にお願いしようかしら」
 
 パチュリーからグラスを受け取った美鈴が中に氷を放り込む。そこにお酒を少量入れてからマドラーでかき回し、溶けた分の氷を更に足す。後は水で割って完成だ。
 きっと俺達の体調を考慮して間に割って入ってくれたのだろう。中々良い手際だった。
 
「……どうぞ」
「ああ、すまない」 
 
『────んんっ!』
 
 俺が美鈴からグラスを受け取るのを見て、頭上からぬっと腕が伸びてきた。
 自分にも寄越せというフランの意思表示だろう。勿論俺に断る権利はない。無言でグラスを掲げあげて姫に酒を献上する。
 
「じゃあ改めて乾杯といきましょう~。かんぱーい!!」
 
 四つのグラスが空中で奏でる甲高い音。 
 そこから二人の女による無双が始まった。パチュリーもフランドールもまったく手を緩めずにかっぱかっぱと杯を空けていく。美鈴が薄めに作っているとはいえかなりのハイペースだ。
 案の定、更に酩酊したパチュリーが絡んできた。
 
「……って訳なのよ。酷いと思わない、アーチャー?」
「君らしくもないな、パチュリー。何のことに対して同意を求めているのか分からなければ、肯定も否定も出来ないぞ」
「何よぅ、私の話聞いてなかったの?」
 
 ぷうっと頬を膨らませる彼女。
 しかし、酔っ払いの与太話に耳を傾けるほど余裕がある訳もなく、彼女の話も要領を得ていない。断片的に訊き取った言葉を合わせれば、何やら物を盗まれて困っているという感じだったが……。
 
「だから私の本を勝手に持って行く人がいるの。これって酷いことよね?」
「本だと?」
「────そ。紅魔館には大きな図書館があるのだけれど、そこの本を勝手に持っていく人がいるのよ。魔道書とかも保管してあるから、実際困ってるのよね」 
「……ふむ。常識的に考えれば他人の物を勝手に持っていくのは窃盗に当たる。最もこれは外の世界の常識だ。幻想郷にそのまま当てはめるのはどうかと思うが……犯人は分かっていないのか?」
「判明はしてるわ。けれど本人に盗んでるって意識が薄いのよ。相手は人間なのだけれど“私が死ぬまで借りてるだけだぜ”みたいに止めてくれる気配もなくて……ね」
「────知人か。これは少々厄介だな」
 
 一番良いのは友人関係の解消だろうが、これが出来るなら当にしているだろう。進入を防止するというのも一つの手だが、今の紅魔館に忍び込めるのならばこれ以上警戒しても意味がない。
 しかも本人に悪気がないのであれば尚更だ。
 世の中には、他人の持ち物だろうと気に入ったものは自分の物だと言って憚らない英雄王のような男もいる。この犯人がそこまで独善的だとは思はないが、困った相手なのは確かだ。
 やはり口頭で注意を促すか、さもなくば本を盗むのは割りに合わないと相手に思わせるしかない。
 
「パチュリー。犯人が判明しているのなら何とか現場を押さえて罰を与えるというのはどうだろう?」
「罰っていうと……お仕置き?」
「そうとも言うが、要は相手が紅魔館に行くと痛い目に遭う。出来れば行きたくないという風に仕向ければ良い訳だ」
「それは……困るけれど、お仕置きするというのは魅力的な案だわ」
 
 何故だろうか。
 天啓を得たという感じにパチュリーの瞳が爛々と輝いた。
 
「そうよね……相手に非があるのだから多少お仕置きしても許される。あーんなことや、こーんなことや、そーんなことをしても──────大丈夫っ!?」
 
 一体何を想像しているのやら。パチュリーが彼女には似合わない含み笑いを漏らしている。
 大人しい彼女が何を考えているのか興味はあるが、詮索して火の粉を被るのは遠慮したいところだ。当初の目的であるフランドールを説得してもらうというのも無理そうだし、そろそろ潮時か。
 幸いパチュリーは思索に耽って楽しそう……じゃない。忙しそうなので、俺が席を立っても咎められることはないだろう。
 
「────悪いが後は頼む。相当酔っている様子なので面倒をかけるが……」
「はい。任せてください。貴方も妹様の相手をよろしくお願いします」
 
 美鈴が行ってらっしゃいという風に手を振って送り出してくれた。
 俺は少し大人しくなったフランドールを背負い直すと、美鈴に礼を言ってからその場を後にした。
 
 
 
 こうして席を立ったものの、頼るべき相手は八雲紫と十六夜咲夜の二人しか残っていない。
 幸いというか、二人揃って壁際で談笑している様子が見て取れた。俺はフランドールを担いだまま二人の元へと歩いていく。
 
「あら、アーチャー。その様子だと話しは終わったみたいね」
 
 様子を見ていたのか、こちらが声をかける前に咲夜が話しかけてきた。
 その際に冷たい水の入ったグラスを渡される。酔い覚ましだろう。
 
「お嬢様や妹様、パチュリー様の相手は大変だったんじゃない? お役目ご苦労様」 
「まあ、良い経験をさせてもらったよ」 
  
 グラスを煽って彼女に返す。
 そこで酒宴を開いた張本人である紫が小さな溜息を零した。
 
「本当、優雅さの欠片も無い飲み方ですわ。これでは吸血鬼の品位も知れるというものです」
「……普段はもう少し大人しいんですけど。今日は色々あって興奮していたのかしら?」
「まあ、それだけが理由じゃないようだけれど────どちらにしろ、もうお開きね」
 
 紫が俺を見やってから視線をゆっくりと動かしていく。
 それを辿ってみれば、レミリアはソファでうつ伏せになって眠っているし、パチュリーはサイドテーブルに突っ伏している。あの後すぐに潰れたのか「むきゅー」と唸っている声まで聞こえた。
 背中のフランドールはといえば、小さな寝息を立てながら気持ち良さそうに瞳を閉じている。
 少し前から大人しいと思っていたが、どうやら寝落ちしていたようだ。
 そんな面々を眺める紫の表情が、何故だか儚げに見えた。
 
「妖怪は長く生きているとどうしても受動的になってしまう。活動が活発じゃなくなる。けれどあの吸血鬼達は私が忘れてしまった心を持っている。少し────羨ましいわ」
「……何か言ったか?」
 
 最後の呟きだけが拾えなかった。
 彼女がハッキリと物を言わないのは珍しかったので、思わず問い返してしまう。
 
「私には都会の喧騒が必要だということよ。さあ、レミリア達を寝室に運んでしまいましょうか。このままじゃ流石に可哀想よね」
 
 紫の言う通りこのままという訳にはいかない。
 もうすぐ夜も明ける。
 再び日が落ちた時、俺はどんな一歩を踏み出すことができるのだろうか。
 楽な道のりはあり得ない。だから俺も今は眠ろう。
 
 その前にフランドールを寝室まで運ぶ仕事が残っている。幸せそうな表情で眠っている彼女は年相応の少女に見える。その面影にかつて救えなかった一人の少女を見た気がしたが、その光景は咲夜の声に掻き消されてしまった。
 
「私がお嬢様を運ぶから、美鈴はパチュリー様をお願い。アーチャーはそのまま妹様をお願いできるかしら?」
「分かった。何処まで運べば良い?」
「案内するわ。付いてきて」
 
 月が地平に落ちて日が昇る。
 
 ────もうすぐ、次の幕があがる。
 



[25266] 第十話
Name: 石・丸◆054f9cea ID:5cdb65c1
Date: 2011/02/05 00:28
 
 東方/Fate 10 
 
 
 ────幻想郷の夜は暗い。
 
 満足な明かりもなく、街灯に当たる明かりも疎らだ。
 そもそも民家の数が限られているので、夜景を見る楽しみなども無く、特別な用事がなければ人間は夜に出歩かないのが基本となっていた。
 また、夜道を往けば妖怪や獣人に襲われる危険もある。無力な人間では妖怪に抗うことも出来ずに殺されてしまうだろう。
 空に在る月の輝きだけでは、人間には足りないのだ。
 
 ましてや月明かりさえ届きにくい竹林の中に、人間が足を踏み入れる訳はない。なのに彼女は、それが当然であるという風に竹林の切れ間から夜空を見上げていた。
 
「……なんだ、あれは?」
 
 腰まで届くような長い髪。それは光の在りようによっては銀色に見えるほど綺麗な白色をしていた。
 その白髪を彩るように大きなリボンが頭頂部に一つ、髪先には小さなリボンが幾つかあしらってある。それは男勝りなモンペを履いている彼女にとって、とても可愛らしいアクセントになっていた。
 
 彼女の名前は藤原 妹紅。
 蓬莱の薬を口にしたことにより不老不死となった、人間の少女である。
 
 その妹紅が見上げる空には、一筋の光の帯が地上に向けて落下する様が見て取れていた。 
 
「あの方角にあるのは霧の湖────落ちたのは、紅魔館のある場所か?」
 
 妹紅は知らないが、彼女が見たものこそ月の羽衣が描く光の軌跡。
 月の羽衣が降りてきたということは、それを使って誰かが地上にやってきたということだ。
 
「空から降って来るなんて、まさか、月からの使者……なんてことはないよね」
 
 冗談で呟いてしまった言葉。
 だけど妹紅は、自分が放った言葉の意味を考えて一抹の不安を抱いてしまう。彼女と月との間に直接の関係はないが、妹紅の良く知る人物と月とは、切っても切れない深い関係にあるのだ。
 
「────蓬莱山輝夜。私の宿敵……」 
 
 輝夜が月へと帰る際に残した物の中にあった蓬莱の壷。その中に収められていたものこそが、人を不老不死へと変える力を持つ蓬莱の薬だった。
 その壷を、妹紅は奪い取った。
 不老不死になりたかった訳ではない。妹紅と家族の人生を狂わせた輝夜に対する、純粋な復讐心からくる嫌がらせだったのだ。
 今にして思えば幼稚な意地だったと彼女は思う。
 けれどその時は、輝夜が残した宝物を奪い取ってやることこそが復讐であり、自分の溜飲を下げる唯一の行動に思えたのだ。
 
 結果、妹紅は望まずして不老不死となってしまった。
 助けてくれた恩人を、その手にかけてまで。
 
「────私が不死になってから、千三百年くらい経つかな?」
 
 最初の三百年、妹紅は不老不死になったことを死ぬほど後悔した。
 泣いても、喚いても、嘆いても、何をしても後の祭り。死ぬほど後悔しようが、どうやっても死ぬことが出来ないのだ。
 死なず、年も取らない少女など世間では生きていけない。
 身を隠さなければ自他共に迷惑を掛けるという、悲しい時間だけが積み重ねられる日々。
 
 次の三百年は世の中を恨み、暗い感情を妖怪等にぶつけることによって自己を保った。
 相手の事情などお構いなしに、見つければ問答無用で退治してきたのだ。
 
 そんな生活も長く続けば飽きてくる。妹紅は次第に無気力になっていき、最後には生きるだけの存在に成り果ててしまった。
 ちょうどそんな頃である。妹紅は幻想郷まで流れ着き“宿敵”と再会を果たしたのだ。
 
「……あいつ、月に帰りたいなんて思ったりするのかな?」
 
 不老不死の本当の恐怖とは“永遠の孤独”である。
 生きているだけで罪の意識に苛まれ、それでも死という選択肢を選べない彼女はずっと一人だ。妖怪は長寿だが、それでも永遠の存在ではあり得ない。
 もしそんな世界を共感できる者がいるとするなら、それは同じ不死という境遇にある者だけだろう。
 だから、彼女等は互いを必要としていた。例え、出会えば殺しあうような間柄でも。 
 
「まあ、私が幾ら考えても所詮は詮無いことよね────」
 
 相手の心を慮れても、答えが得られる訳じゃない。
 そう結論付けて、妹紅は家路につこうと竹林を進み始めた。
 
 
 
  
 妹紅の家は竹林の中にある。
 家といっても隠れ家に近く、生活に必要な最低限の調度品しか置かれていない。寝具も備えられていたが、普段の妹紅は壁に背を預けて眠る癖があり、それらを利用することは少なかった。
 今も片膝を立てて壁際で眠っている。
 
 その彼女がふと目を覚ました。
 
 未だ半覚醒状態なのか、辺りに視線を這わせキョロキョロと見回している。
 家の中には蒼い月の光が差し込んでいて、今が夜なのだということを彼女に教えてくれていた。
 
 妹紅が月の羽衣の軌跡を目にしてから数日が過ぎている。
 
 その間彼女はいつも通りの日常を過ごし、いつも通りに眠っていた。だが、今夜は何故か目が覚めてしまったようだ。もう一度眠ろうと思ったものの、意識が冴えてしまって眠れそうも無い。
 仕方ない、と妹紅が立ち上がる。それと同時に軽い空腹感を覚えた。
 不精をして夕食を抜いた所為で目覚めてしまったのか────そう思い、食べるものが無かったか室内を見回してみる。だが、食料を切らした為に夕食を抜いたのだということを思い出して、妹紅は軽く嘆息した。
 
 不老不死である彼女は、どれだけ餓えたとしても死ぬことはない。けれど、食べなければお腹は空くし、怪我をすれば痛みを感じる。
 その辺りは普通の人間とまったく同じなのだ。
 
「しょうがない。兎でも採れれば嬉しいんだけど……」
 
 多少の苦痛なら我慢する性質の妹紅だが、何となく外に出てみる気になった。
 夜風に当たりたいと思ったのかもしれないし、胸騒ぎを覚えたのかもしれない。そのまま食べ物が見つかれば御の字だし、見つからなくても少し散策すれば気分も落ち着くだろう。
 そう思って、妹紅は夜の竹林に繰り出して行った。
 
 
 
 ────迷いの竹林とはよく言ったものである。
 
 年中深い霧が立ち込めていて視界が悪く、成長の早い竹の性質によって目印が付けにくい。容易に方向感覚が狂ってしまうのだ。
 また竹林に住む妖精の多くは悪戯が好きで、足を踏み入れた者────妖怪、人間を問わず故意に道に迷わせたりもする。
 故に迷いの竹林。
 だが妹紅が道に迷うことは無い。
 ここに住んでからの時間も長いし、何より彼女はこの辺りの妖精に顔が“利く”のだ。
 
 妹紅はそんな竹林に迷い込んだ人間の護衛をしたり、里まで送ったりと、彼女なりに社会に適応しようとしていた。また、竹林特有の食材を求める人間も多く、彼等にとって妹紅の存在はありがたかったし、妹紅も人間から感謝されるのは素直に嬉しかった。
 
 他人から感謝されるなど昔では決してあり得なかった出来事。
 不老不死の娘でも恐れない幻想郷の人間達。その存在が何よりもの心の支えであり、生きがいの一つになっている。だから彼女は、散策の途中で人影を見た時にも、不審に思うよりも先に助けてやろうと思ったのだ。
 
「まったく、不用意にこんな時間に出歩くなんて……妖怪に見つかったら喰われてしまうぞ」
 
 完全に自分の事を棚上げした言葉。そのことに気づいた妹紅が苦笑を浮かべる。
 
「……まあ、私は強いからな。どんな怪我をしても死なないし」 

 言い訳じみた言葉を呟きながらも、悠然と足を進める妹紅。
 実際に彼女は妖怪とも渡り合える術を持っているし、その自信もあった。だが、人影が垣間見られる距離まで到達した瞬間、余裕を持っていた心が一瞬にして凍り付く。
 
「なん────だ? この……圧迫感は……?」
 
 ドクンドクンと心臓が高鳴る音がする。ヒリヒリとした緊張感が肌に纏わり付き、自然と身体が戦闘体勢を取ってしまう。
 彼女がそうしてしまう程に“人影”は異常だったのだ。
 
「……あれって人間だよね。なのに……どうして?」
 
 人影はちょうど二人分。未だ遠目だが、妹紅の言う通り姿形は人間そのものである。
 それなのに妹紅の焦燥は一向に収まる気配を見せず、それどころか、彼等の姿が明確になるにつれて増していくばかりだ。
 
 彼女は直感していたのだ。
 彼等は人間に似て在らざる者。その存在自体が異質な者なのだと。
 
「…………でも、ここまで来て戻るって訳にもいかないよね」
 
 ぎゅっと拳を握りこんでから、ゆっくりと歩みを進める妹紅。
 万一、彼女の直感が間違っていて彼等が単なる迷い人だとしたら、見捨てたことに対して相当寝覚めが悪くなるのは間違いない。それに好奇心がないかと言われれば嘘になる。
 妹紅は気配を消しながら、慎重に彼等の元まで歩いて行った。
  
 
 
 そこはちょっとした広場のようになっていた。
 まるでエアポケットのように竹林の中に突然現れた空間。彼等はそこに並んで佇んでいる。
 
 一人は長身痩躯の優男。
 里の者が着ているような紫の羽織に袴姿。線の細い整った顔立ちと女性のように綺麗な髪の毛の持ち主であり、月下に佇む様は一枚絵と見紛うばかり。
 最初に目にした時、妹紅も麗人かと思ったくらいである。
 しかし、その手には自身の身長よりも長い日本刀が握られていた。
 
 もう一人は中国風の衣装を身に纏った偉丈夫で、燃えるような赤い髪が特徴的な男だった。
 先の男とは異なり一見して何も持っていないと分かる。いわゆる無手状態だったが、妹紅の意識はより強く赤髪の男に奪われてしまっている。
 それ程この男から放たれている“気”は尋常ではなかったのだ。先の男の殺気が鋭利な刃物だとしたら、この男は削岩機。或いは暴風雨そのものか。
 触れる者は全て打ち砕いてしまう。そんな直接的な力を妹紅は感じ取っていた。
 
「────ふむ。妖怪かとも思ったが人間、それも少女か。しかし少し毛色が違うか?」
 
 侍姿の男が妹紅の姿を認めて振り仰いだ。
 その言葉から随分前から接近に気づかれていたのだと妹紅は悟った。恐らく自分が気づいた時に相手も気づいたのだろうと。そうなのだとしたらこの場に誘導されたのかもしれない。
 そう彼女が思ってしまうくらい、ここは戦闘に適した場所だった。
 
「人間だと思えるが────確かな力を感じる」 
「そうか。だが儂は残念だな。折角、幻想郷の妖怪と拳を交えられる機会だと心躍らせていたものを────現れたのが娘が一人とは。肩透かしも良いところ」
「外見で判断すると痛い目に遭うことになるぞ。特に幻想郷の妖怪は幼い姿の者も多いと聞く。努々、油断はせぬことだ」
「────呵呵呵呵呵呵ッッ! 面白い冗談だ。儂が相手の実力を見誤るとでも言うのか。そこまで言うのなら、二人がかりで殺ってみるか?」
 
 豪快に嗤い上げる赤髪の男。
 そこに垣間見られるのは自分に対する絶対の自信と、誰を相手しても揺るがない心の強さだった。
 その嘲笑に侍姿の男が答える。 
 
「無粋なことを言う。その気もないのによく回る口だ。────神槍李とは信念の中に武を見出した義侠の徒だと聞いていたが……まるで血に飢えた窮奇そのものではないか」
「今の儂は“ランサー”ではなく“アサシン”なのでな。この程度の余興には目を瞑れ」
 
 場の状況に緊張している妹紅に比べて、二人の男から切迫したものは感じられない。それどころか落ち着いて状況を見据えている。
 あの二人が敵なのか味方なのか。直感的には相容れない存在だと彼女は思った。だが、それを判断する材料が少なすぎる。
 だから妹紅は、率直に尋ねてみることにした。
 
「……あんた達は誰だ? ここで何をしてる?」
 
 妹紅も答えが返ってくるとは思っていなかったが、何かしら状況打開の糸口になればと声をかけてみたのだ。
 しかし意外にも男達は素直に質問に答えてくれた。
 
「名を問う時は自ら名乗るもの────とはいえ、この状況で異質なのは我等の方か。ならば先に名乗るが礼儀。私はアサシンのサーヴァント、佐々木小次郎」
「……サ、サーヴァント……?」 
「知らぬが通理よ。気にするな娘。儂は同じくアサシンのサーヴァント、李書文。少々道に迷ってしまってな。難儀していおったところよ」
「道に……迷った?」
  
 先に侍風の男が。後に赤髪の男が答えた。
 サーヴァントという単語に聞き覚えは無かったが、道に迷ったという言葉は確かに聞いた。だから妹紅は、里の人間が迷い込んだだけだと言い聞かせ、僅かに表情を軟化させる。
 
「そ、そうか。夜は一際迷いやすいからね。私の名前は藤原妹紅だ。ここで道案内のようなことをしている。困ってるなら里まで送ってあげるよ」
 
 一歩、二歩と近づいていく。
 しかし 
 
「有難い申し出だが、儂等が目指している場所は人間の里などではない。悪鬼住まう魔の館────この竹林の何処かにある永遠亭という場所よ」
「────え?」
 
 妹紅の動きが止まった。
 
 永遠亭────それは、蓬莱山輝夜の住んでいる場所。
 
「知っているか、娘? いや────自ら道案内をしていると豪語したのだ。知らぬ訳はあるまい?」 
「そ……れは……」
 
 気圧されたように妹紅が半歩後退した。相手の気に呑まれたというよりも、彼等が放った永遠亭という言葉に対して気後れしたのだ。
 得体の知れぬ相手が輝夜の住む場所を目指している。その事実が彼女の心を抉る。
 
 ────まさか、月から来た?
 
 この間の光景が蘇ってくる。
 空から地上に降りていく光の軌跡。それが想像通り月からのものだったとしたら?
 彼等の目的と合わせて考えれば、輝夜を迎えに来たとも考えられなくはない。
 
 ……でも。
 
 それにしては彼等から放たれる殺気が気になった。
 並の妖怪など比較にならないほどの明確な力の片鱗も感じ取れる。それ故に、妹紅は彼等と輝夜を会わせてはいけないと思った。自分がここで出会ったのも何かの運命。だから踏みとどまらなければいけないと。
 
 力を両足に込めて、今度は一歩だけ前進した。
 相手の要求を拒絶する為に。
 
「サーヴァントというのが何かは知らない。あんた達が何を目的に行動してるのかも詮索しないさ。けどね、残念だけど私は永遠亭という場所は知らないんだ。だから案内したくてもしてあげられない」
「────ほう、道案内なのに知らぬと?」
「ああ。代わりと言ってはなんだけど里までは案内できる。それで手を打たないか?」
「あくまで知らぬと言うか」 

 睨み合う妹紅と李書文。
 共に気を漲らせ、いつでも戦闘に移る態勢を維持しながら視線に火花を散らす。
 
 妹紅は穏便に済ませたかったら手打ちにしろと要求し、それを李書文が真っ向から受け止めている状態。拳は交えていないが、これも戦いだった。
 その戦いの最中に李書文が豪快に笑い出した。
 
「────呵呵呵呵呵呵ッッ! 中々に良い殺気を見せるな娘。妖怪ばかりが力ではないか。だがッ! その程度の気で儂を呑み込むことなど出来ぬよッ!」
「────く!?」
 
 交渉は決裂した。
 そう察した妹紅が構えを取った。それを受けて李書文も構えを取る。
 
「知らぬ存ぜぬで通すのならば、無理やりにでも吐かせるまで。────だが、本当に二人で掛かる訳にもいくまい。お主が行ってみるか、小次郎?」
 
 視線は妹紅から外さず、小次郎に対して言葉だけを投げかける李。
 自分こそが妹紅と戦う。その思いを抱きつつも一応相方も立てたという訳だ。その辺りを汲んだ訳ではないだろうが、小次郎はゆっくりと首を振った。
 
「────フッ。それこそ無粋な申し出だ。私は無手の者に振るう刀は持っておらぬ」
「くはははッ!! それは儂に対する当て付けか? 何なら今から儂と仕合ってみるか小次郎。同じアサシンのサーヴァント同士。退屈はさせんぞ」
「それも一興。だが────今は新たな客の相手をするとしようか」
「何? 客だと?」
 
 振り返る二人のサーヴァント。
 そこには小次郎の言った通りに客────この場に割って入ってくる四人の姿が見て取れた。
 
 現れたのは男が一人と女が三人。
 
 一人は紅魔館の当主であるレミリア・スカーレット。
 もう一人は衛宮士郎。
 そして残る二人は紅美鈴と、二本の刀を携えた魂魄妖夢の姿だった。
 
 



[25266] 第十一話
Name: 石・丸◆054f9cea ID:5cdb65c1
Date: 2011/02/10 23:29
 
 東方/Fate 11 
 
 ────逢魔が時。
 
 地平に太陽が沈み行き、闇が訪れるまでの束の間の時間。世界は茜色一色に染め上げられる。
 それは幻想郷でも例外ではない。
 辺りに夕闇が満ちて、建物も人も大きな湖でさえも真っ赤に彩られる。そんな黄昏の世界に八雲紫が佇んでいた。
 場所は紅魔館の屋根の上。
 彼女はたった一人、遥か高みより沈み行く太陽を眺めていた。
 
「陽が沈めば月が昇ってくる。これからは闇夜をも見通す妖怪の時間帯。なら、そろそろレミリア達が目を覚ます頃合かしら」
 
 今夜、アーチャーを伴って永遠亭────正確に言うならば、八意永琳を尋ねる手筈になっている。
 
 彼がどういう目的で永琳に接触しようとしているのかは紫でも分からない。それでも、会わせてみようと彼女は思っていた。
 アーチャーが幻想郷に居る限り、無理に邪魔をしてもいずれは出会ってしまうのだし、保護者気取りのレミリアも乗り気だ。それこそアーチャーの存在を完全に消し去ってしまわない限り接触を断つのは無理だろう。
 
 紫も一度はその方法を考えはしたが“彼以外”にも侵入者が居るとあっては意味がないと思い直した。それよりもアーチャーの存在を使って脅威を取り除く方が先決だと考えたのである。
 唯一の気がかりは、彼と賢者が接触することで紫の思惑を超える事態が発生した場合だ。その齟齬をどう埋めるかということが重要なのだが、要は最終的に幻想郷が守られれば良いのである。
 その為に出来る限りの布石は打っておかなくてはならない。
 
「まったく、早寝早起きが身上の吸血鬼なんて……真面目なのやら不真面目なのやら。昨日のお酒が残ってなければ良いのだけれど」
 
 仮にも“鬼”である。酒に呑まれるなんて事態はないと思うのだが、レミリアに関しては一抹の不安は拭いきれない。
 彼女を残して出発するなんてことは断じて認めないだろうし、万一にでもレミリアが二日酔いで動けないなんてことになったら、出発の延期は必死だ。
 それでは予定が狂ってしまう。
 
「まあ、あの娘はお祭り好きだし、遠出を楽しみにしてる子供みたいなものよね。案外一番先に起きて皆を叩き起こしてる最中なのかもしれないわ」
 
 そう自分で言いながら“レミリアがアーチャーの布団を引っぺがしている”場面を思い浮かべてしまい、紫は思わず苦笑いを浮かべてしまった。
 僅かな時間しか会話を交わしていないが、どうも彼は苦労を背負い込むタイプの人間に思えた。それもレミリアのような娘に引っ張りまわされて、望まず貧乏くじを引いてしまうような。
 女難の相があると言っていたのを思い出した紫は、当たってるかもしれないわねぇと一人ほくそ笑む。
 ちょうどその時、嘶きのような鋭い鳴き声が響いてきた。 
 
「────さて、来たわね」
 
 他愛の無い思索を楽しむのはここまでと、紫がゆっくっりと視線を上げた。
 その瞳が空を舞う一羽の烏を捕らえる。
 
 ────紫が放った式神だ。
 
 紫は優雅に右腕を伸ばすと、二の腕に式が降りてくるのを待った。
 やがて、烏が紫の腕に舞い降りる。その烏の瞳を覗き込む紫。たったそれだけで両者の意思疎通が図られたようだ。
 
「偵察ご苦労様、前鬼。大変だったようね────後鬼よりも給料を二割り増しにしておくわ」
 
 そう言って紫は、再び烏を空に放つ。
 前鬼と呼ばれた烏はしばらく紫の頭上で旋回していたが、やおら何処へともなく飛び去って行った。
 烏が飛び退る姿を視線で追う彼女。それも見えなくなった頃、今度は左腕を虚空に向かって伸ばし始めた。
 
「お帰りなさい────後鬼」
 
 今度はさっきとは“別の烏”が紫の腕に舞い降りてきた。
 その烏とも意思疎通を図ると、紫はにやりと怪しい笑みを浮かべる。
 
「良い成果だわ。前鬼よりも給料を“二割り増し”にしてあげる────引き続き偵察をお願いね」
 
 後鬼と呼ばれた烏も空に放つ紫。
 その直後、彼女は自分が通れるほどの境界を眼前に開き始めた。
 
「────想定内とはいえ調整は必要。これから色々と忙しくなりそうね」
 
 小さな呟きが消えた時、紅魔館の屋根の上には誰の姿も無くなっていた。
 
 
 
 
「……で、何でアンタがここにいるのかしら?」
 
 不機嫌な調子で口を尖らせているのは、さっきまで目を輝かせていたレミリアだ。今から八意永琳を尋ねる為に出かけるのだが、彼女なりに出発を楽しみにしていたのだろう。
 だが、自分の意図してない人物の登場によって、折角の楽しみを邪魔されたとばかりに雲行きが怪しくなっている。
 
「何でと言われても私にも分かりません。私は頼まれただけですから」
「はぁ? 頼まれたって……一体誰に何を頼まれたと言うのかしらっ!?」
「勿論、紫様に。そこの彼を道中護衛するようにと。怪我をしているのですよね?」
 
 そう言って彼女────魂魄妖夢が俺の方へと視線を移した。
 
 白髪を肩の辺りで切り揃えたボブカット。
 緑色のベストを羽織っていて、スカートも同じ緑色で統一してある。首元には紺のリボンネクタイとまるで学生のような井出達だ。見た目も年若い少女そのもので、一見しただけだと人間に見える。
 しかし、彼女の姿で一番印象的なのは携えている“獲物”だろう。
 それは二本の刀だった。
 一本は彼女の身長程もある長刀で、妖夢は鞘ごと背中にそれを背負っている。もう一本は小太刀のような短刀で、こちらは抜き身の状態で腰に挿してあった。
 どうにも危なっかしい印象を受けるが、二刀を選択するのは良い判断だと思う。先程出会って自己紹介されたばかりだが、彼女もきっと妖怪なのだろう。その証拠に、妖夢の周りに半透明の幽霊のようなものが一匹纏わり付いていた。
 非常識な光景だが、素直に受け入れている自分に少し驚きを覚える。
 レミリア達と接している間に俺も幻想郷という世界に慣れてきたということだろうか。そう思うと自然に笑みが浮かんできた。
 苦笑という奴だ。
 だが、自分が笑われたと思ったのだろう。妖夢が怪訝な表情で俺に問いかけてくる。
 
「……どうして笑ったのです? 私に何か可笑しなところでもありましたか?」
「いや、別に君を笑った訳ではないさ。気を悪くしたのなら謝ろう。それよりも件の八雲紫の姿が見当たらないようだが────遅れているのか?」 
 
 今俺達が居る場所は紅魔館の玄関を少し出たところである。
 
 この場にいるのは俺とレミリアと美鈴。そして十六夜咲夜と魂魄妖夢の五名だけだ。付いて来ると言っていた八雲紫の姿はない。ちなみにパチュリーとフランドールは館に残っていて、咲夜も見送りに来ているだけだ。
 流石に紅魔館を空にする訳にはいかなかったのだろう。
 
「紫様は所用を済ませてから向かうと言ってました。先に出発してて欲しいとのことです」
 
 そう言ってから、妖夢が事の経緯を説明し始めた。
 
 
 
  
 時間を少し遡って、夕刻の白玉桜。
 
 白玉桜とは冥界に存在する広大なお屋敷の名前である。持ち主は西行寺家と呼ばれる冥界にとっても特別な家系で、主の計らいなのか屋敷の庭までなら一般に公開されていた。冥界という場所柄、転生を待つ幽霊達がこぞって観光に訪れたりと、常時かなりの賑わいを見せている。
 魂魄妖夢はこの白玉桜で庭師兼剣術指南役として住み込みで働いていた。
 
「────さて、大方捏ね終えたかな?」
 
 台所でお団子を捏ねていた妖夢がふうっと一息吐いていた。
 彼女なりに会心の出来といって良い大量のお団子が皿の上に鎮座なされている様は、まさに圧巻の一言。後はお酒の用意をすればお月見の準備が整う。
 満月は過ぎてしまったが“お月見”をいたく気に入った彼女の主が、今夜の晩酌にと似た趣向を用意させているのだ。
 
「さてさて、今日は熱燗にしましょうか。それとも冷酒の方が良いでしょうか」
 
 どちらにしてもお銚子が必要だろうと、妖夢がおもむろに振り返る。すると、目の前に居るはずのない人物が突然現れたので、彼女は悲鳴を上げながら尻餅を付いてしまった。
 
「痛ぁ……」
 
 顔を顰めながら腰をさする妖夢。
 そんな彼女の前に立っていたのは、隙間を通って現れた八雲紫だった。 
 
「あら、妖夢。そんなところで転んで何を遊んでいるの?」 
「……誰かと思ったら紫様じゃないですかぁ。もうっ! 突然みょんなところから現れるから驚いちゃいましたよ!」
「なぁんだ。遊んでいた訳じゃないのね」
「当たり前ですっ!」
  
 それよりも幽々子様に何か用ですか? と憤慨しながらも妖夢が立ち上がる。
 だけど紫の返答が予想外のものだったので、素っ頓狂な返事を返してしまった。 
 
「そうね。幽々子にはもちろん話は通すけれど、まずは当人に話しておこうと思って」
「────へ? 私に用があるんですか?」
 
 一体どんな用なのだろうと頭を捻る妖夢。しかし、紫の視線があらぬ方向を向いているのに気づいて彼女も視線を合わせてみた。
 そこにあったものは、さっき彼女自身が捏ねたばかりの大量のお団子の姿が。  
 
「……付かぬ事を訊くけれど、妖夢。誰か他に客でも来ているのかしら?」
「え? お客様ですか? 紫様の他は誰も来ていませんけど────何故そんなことを聞くのです?」
「何故って……」
 
 じーっとお団子を見つめる紫。
 彼女の見立てでは優に十人前はあろうかという月見団子の群れ。とても二人で食べられる量ではない。日持ちする食材でもないし、だから先客でもいるのだろうと紫は思ったのだ。
 しかし、深く詮索するのは得策ではない。そう考えた紫は話題を切り上げ改めて妖夢に向き直った。
 
「まあいいわ。今日尋ねて来たのはね、貴女にお願いがあるからなの────妖夢」
「幽々子様にじゃなく、私に……ですか?」
「そう。貴女にしか頼めないのよ」  
  
 急に声のトーンが落ちた。
 そう妖夢が感じるくらい、紫の問い掛けは真摯なものだった。
 
 
 
 
「……という感じでお願いされてしまったので、道中よろしくお願いします」
 
 ぺこりと品良くお辞儀する妖夢。
 どうやら同行するというのは彼女の中で既に決定事項のようである。押しが強いというよりは使命感が強いと言ったところか。言葉遣いも丁寧だし、いつかの夜に土蔵で出会った彼女を思い出してしまう。
 
「どうせ駄目だって言っても付いて来るんでしょう。分かったわ。アンタの同行を認めてあげる。けど護衛って……ったく、紫の奴なに考えてるのよ!?」
 
 妖夢の同行を認めたものの納得はいってないのだろう。レミリアが何やらぶつぶつ呟いている。
 そんな彼女を咲夜がフォローした。
 
「まあ、良いじゃないですかお嬢様。彼女ならこちらの行動を阻害することもないと思います。人数が多いほうがきっと楽しいですよ」
「護衛っていうのが気に入らないのよ。私じゃ力不足だっていうの?」
「そういうことではないと思います。護衛する事態が発生するか否かはさて置き、きっと八雲紫は自分の代わりに誰かを目付けとして置いておきたい。そこで彼女に白羽の矢を立てた。護衛というのは方便────私はそう思うのですが?」
「ますます気に入らないわっ!!」
 
 憤慨したとレミリアが吼える。
 
「それならそう言えば良いじゃないの! 嘘を吐く必要性が感じられない!」
「嘘というよりも建前でしょうか。直接的に伝えるよりも物事をスムーズに運べることもあるのです」
 
 咲夜の言う理屈は最もだが、レミリアに対しては逆効果だったようだ。
 
「回りくどいったらないわね。私はそんなの認めないわ! フンッ!」
 
 軽く鼻を鳴らしてからレミリアがいかり肩でズンズンと歩き出す。
 出発するぞという意思表示だろう。そんな彼女の様子を見て、残された面子が自然と視線を合わせ嘆息した。
 
「────じゃあ美鈴、お嬢様をお願いね。私は同行出来ないんだから気合入れてよ?」
「分かってます、咲夜さん。大船に乗ったつもりでドーンと任せてください!」
 
 ぐっと拳を握り締めてから、美鈴がレミリアの後を追っていく。その美鈴の背中を見送りながら“返事だけは良いのよねぇ”と呟く咲夜の声が聞こえた。
 もしかしたら、咲夜が妖夢の同行を押したのもこの辺りに原因があるのかもしれない。
 即ち、レミリアの我侭に付き合うのは大変だから、もしもの時に備えて人数は多い方が良い、と。
 
「何してるのかしら、アーチャー! アンタが主役なんだから早く来なさい!」
 
 突っ立って動かない俺に業を煮やしたのか、レミリアが大声で催促してくる。
 もちろん頷く以外の選択肢はない。
 俺はゆっくりとレミリアを追って歩き出す。その背中に咲夜が声をかけてきた。 
 
「アーチャーもお嬢様のことお願いね。単純な戦闘力なら怪我をしてる貴方よりもお嬢様が上だけど、色々と駄々をこねるかもしれないから」
「アレでも一応命の恩人だからな。蔑ろにはしないさ。子供の扱いは心得ているつもりだ」
「期待しているわ。じゃあ────いってらっしゃい」
 
 納得した訳じゃないだろうが、咲夜は笑顔で見送ってくれた。
 
 そして、俺が歩き出したのを見て魂魄妖夢も歩き出す。こうして俺とレミリア、美鈴と妖夢という四人での出立となったのだ。
 だがこの時の俺は、この一歩が激闘の幕開けであることをまったく予見できていなかった。
  
  



[25266] 第十二話
Name: 石・丸◆054f9cea ID:5cdb65c1
Date: 2011/02/16 22:11
 
 東方/Fate 12 
 
 迷いの竹林と呼ばれる秘境の奥深くに、目指す永遠亭は隠されている。
 隠されてという言葉通り、永遠亭の存在が一般に知られるようになったのはつい最近のことらしい。それまでは誰も永遠亭の存在すら知らず、ひっそりと歴史の闇の中に埋もれていたことだろう。
 だが今では、里の人間との交流も進み幻想郷内でも広く知られるようになってきていた。
 
 即ち、風変わりな人間達が住む屋敷として。
 
 その永遠亭に、月の賢者────八意永琳がいるはずだ。
 
「……妙な感じね」
 
 竹林に入った辺りからだろうか。レミリアの表情が目に見えて変化した。
 道中やかましいくらいにお喋りだった彼女の口数が少なくなり、頻りに周囲を警戒している様子が伺える。竹林に入る前に“とても迷いやすいから単独行動は気を付けて”と念を押されてはいたが、そのことを気にしているのだろうか。
 しかし、道に迷ったような雰囲気ではない。
 今も“道案内”に長けているという人物の家に向かっている最中なのだが……。
 
「どうした、レミリア? 何か気になることでもあるのか?」
「……そうね。気になるというか、変なのよ。分かりやすく言えば前に来た時と印象が違うの」
「印象が────違うだって?」
 
 ふと足を止めて周りを見渡してみた。
 
 辺りに漂う微かな夜霧。空から月明かりも降りてきているが、鬱蒼と茂る竹の群れが視界を遮り見通しは最悪だ。地面の傾斜も手伝って迷いの竹林と呼ばれるのも頷ける。
 俺はここを訪れるのは初めてだし、これが通常の状態だと思っていたのだが違うのだろうか。
 その点をレミリアに確認してみる。しかし彼女はゆっくりと首を振った。
 
「竹林はいつもと同じで意地悪な作りをしてる。けれど────妖精の姿が“視えない”のよ」
「……妖精だと? まさか小さな身体と羽を持っているようなアレじゃあるまい?」
「あら、良く知ってるわね。概ねそんな印象で間違いはないわ。中には大きな娘もいるけれど大体は手のひらサイズかしら」 

 幽霊や吸血鬼、果ては魔法使いまで存在しているのだ。
 妖精の一人や二人いたとしても不思議ではないが。 
  
「ここが迷いやすいのには二つの理由があるの。一つは特別な地形が邪魔をして方向感覚を狂わせること。もう一つが妖精の悪戯ね。湖に住んでる氷の妖精なんか、訪れてはしょっちゅう迷ってるらしいけれど……」
 
 改めて辺りを見回してから、レミリアが隣を歩いている美鈴を見上げた。 
 
「美鈴は何か感じない? 気の扱いには長けてるでしょ?」
「言われてみれば、何か圧迫感のようなものを感じますね……。気が乱れてるといいますか、この竹林が持っている本来の静寂の中に異物が入り込んだみたいな違和感────妖精達はそれに怯えて隠れているのかもしれません」
「嫌な気配の元凶がいるってこと?」
「そこまでは分かりませんが……可能性はあると思います」 

 確かに竹林に足を踏み入れた時から妙な違和感は感じていた。
 外とはまるで違う空気が、直接肌に突き刺さるような感覚。まるで魔術師が張った結界の中に飛び込んでしまったような嫌な感じ。
 しかし、この感覚こそが迷いの竹林の持つ本来の“モノ”だと思っていた。だが、レミリア達の言葉を借りれば“違う”のだろう。
 
「────ふむ」
 
 強く、意識を集中してみる。
 自身の持っている感覚を外へ外へと伸ばしていき“何か”を探る為に瞳を閉じた。
 
 ────単純に集中力が増すのだ。
 
 まず感じたのはレミリアと美鈴、そして魂魄妖夢の気配。
 彼女達なりに違和感の正体を探ろうとしている様子が手に取るように分かる。ならば近場は彼女等に任せて、俺はもっと遠くを探ることにしよう。
 そう思って、感覚の網を広げていく。
 暗闇の中で広がるのは静寂のみ。時折感じる動きは野兎などの小動物だろうか。人間や妖怪と思える気配はなく、この世には俺一人しか居ないのではないか。そんな焦燥を抱いてしまうほど何もない世界。
 だが、前触れも無く、感覚の網が何者かの存在を捕らえた。
 
 瞬間────心臓が大きく跳ねる。
 
「……これはっ!?」
 
 血液が全身を巡る漣のような音が聞こえる。緊張感が全身を包み込み、第六感が戦闘態勢を取れと命じてきた。
 その中で視えてきたものは、妖怪でも人間でもない、俺と関わりの深い────
 
「どうしたの、アーチャーッ!?」
 
 俺の様子に変化を感じたのか、レミリアが声をかけてくる。
 しかし、今は彼女に答えるよりも気配の正体を確かめるほうが先決だ。
 俺は瞳を開けるや、何者かの正体を確かめるべく身体の向き変えてから目を凝らした。
 
 アーチャーの肩書きは伊達ではない。
  
 その気になれば、かなり遠くまで見通せる目を持っている。鷹の目と呼ばれる所以だが、その目が二人の人物を捕らえた。
 成程、先程感じた違和感に覚えがあったのも頷ける。
 気配の正体────彼等は俺の良く知る人物だったのだ。
 
「レミリア、違和感の正体が分かったぞ」
「えっ!?」
「──────サーヴァントだ」
 
 レミリアの紅い瞳を見つめながら、純然たる事実だけを告げる。
 当初彼女は、ぽかんと放心しているように見えた。心ここに在らずというか、俺が何を呟いたのか分からないという風に。
 しかし、言葉の意味を理解するにつれ彼女の表情に色が戻ってきた。
 最初に現れたのは単純な驚き。だがそれはすぐに鳴りを潜め、続いて現れたのは────歓喜。
 
 八雲紫との話を聞いて彼女もサーヴァントの何たるかは理解しているはずだ。その上で、全てを知った上でレミリアは不敵にも笑ったのだ。
 
「……そう。サーヴァント。サーヴァントねっ! アッハッハッハッッ!! ここで“あのサーヴァント”が現れるなんて最高じゃないの!」
 
 闇夜に響く少女の笑い声。狂気────いや、狂喜か。
 本当に愉しそうに笑っている。
 思えば紫からサーヴァントに関する話を聞いた時から、レミリアは出会うことを願っていたのだろう。出会って戦うことを想像していたに違いない。
 そういう娘だ、レミリア・スカーレットという少女は。
 予想通りというか、彼女は一頻り笑った後、輝く瞳をまっすぐ俺に向けてきた。
 
「アーチャー。一つだけ確認しておくけれど、サーヴァントは“敵”という認識で良いのよね?」
「────ああ。本来のサーヴァントならかなりの自由意志が約束されているのだが、ムーンセルに召喚された者達は一種の縛りを受けている状態でね。彼等は間違いなく私の敵だよ」
「それだけ聞ければ十分よ」
 
 一度認識してしまえば気配の元を辿れるのだろう。レミリアは嬉々とした表情のまま歩き出した。勿論、サーヴァントの居る方角に向かって。
 しかし、何も正面切って戦うことはない。
 サーヴァントの力は俺が嫌というほど知っているし、今の目的は彼等ではなく八意永琳だ。けれど、サーヴァントを無視して迂回しようと言っても彼女は聞きはしないだろう。 
 
 ならば────今、この場で俺が選択出来るのはこの方法だけだ。
 
 
『──────“I am the bone of my sword”──────』
 
 
 詠唱と同時に弓と“矢”を投影する。
 それから矢を番えると、サーヴァント達がいる方向に向けて狙いを定めた。
 
「剣……?」
 
 矢を番える俺の姿を見て、妖夢が怪訝な表情をしている。
 彼女の言う通り、俺が番えている矢は“剣”だった。それも最強の幻想と言われる宝具に分類される聖剣。
 
「何をしているの、アーチャー!?」
 
 妖夢の呟きを拾ったのだろう。レミリアが振り返るや、俺を射抜くように睨んできた。
 その意図は分かるが、今は構っていられない。

「以前言った通り私の本業は弓兵だ。悪いが、レミリア。ここから奴等を──────狙撃するっ!」
「待って────ッ!」
 
 怪我の影響で接近戦は出来ずとも、魔力は十分に回復していた。
 俺はレミリアの制止を無視して宝具に魔力を流し込んでいく。狙いは二人のサーヴァントの中間点。そこで宝具を爆散させる。
 
「勝手な行動は許さないわ、アーチャーッ!」
 
 迸る魔力に嫌な予感を感じたのか、レミリアが俺に向かって駆け寄ってくる。しかし、矢を放つ方が一瞬早い。
 俺は奴等に向かって狙いを定めて────結局、矢を放つことが出来なかった。
 
「……なっ!? 人……間だと?」
 
 宝具を放とうとした瞬間、視界の中に人が現れたのだ。もし構わずに撃っていたら、彼女も一緒に巻き込んでしまったことだろう。
 仕方ないと、俺は一旦弓矢の狙いを外すことにした。
 
「人間? 誰か現れたのですか、アーチャー?」
「……ああ。長い白髪の少女だ。頭に大きなリボンを結っていて、もんぺを履いている」
 
 妖夢の問いに答え、軽く息を吐く。加えて、実際の光景が視えているのは俺だけなので掻い摘んで状況を説明した。
 すると、俺を除く三人がハッと顔を見合わせる。
 
「白髪の少女……それって、もしかしてお嬢様?」
「もしかしなくても私達が探してる“道案内”の彼女でしょうね。本当、良いタイミングで現れてくれたわ」
 
 クククと含み笑いを漏らすレミリア。
 それから俺の腰辺りをバシバシっと叩いてから、咎めるような視線をぶつけてくる。
 
「まったく、アンタの所為で楽しみが一つ減るところだったわ。良いかしら、アーチャー。アンタは私の所有物なの。今後はその辺りを弁えて私の邪魔をしないこと。しっかりと肝に銘じなさい」
「……君の所有物になった覚えはないと伝えたはずだが────まあいい。話の流れからすると、あの彼女が俺達が尋ねようとしていた人物なのかな?」
「ええ、そうよ。彼女の名前は藤原妹紅。サーヴァントと友好的という雰囲気でもなさそうだし、これで正面から行くしかなくなったわね」
 
 ニヤリと満面の笑みを浮かべるレミリア。
 走り出したら止まらないとはこのことか。最早俺には、彼女を止める手立てなど何一つ残されていなかった。
 
 
 
 
 そこへ至った時、竹林を抜けたのかと錯覚した。それくらい開けた場所だったのだ。
 場に佇んでいたのは藤原妹紅という少女と、二人のサーヴァント。もちろん妹紅という少女と面識はないが、二人のサーヴァントの存在は知っている。
 
 一人は俺がまだ半人前の魔術師だった頃に見えた敵だ。
 羽織り袴姿の優男。手にした刀は彼の身長を優に超えている。
 
 忘れもしない、アサシンのサーヴァント────佐々木小次郎。
 
 直接に刃を交えたのは彼女だったが、その流麗な剣筋は当時の俺を畏怖させるには十分だった。もっとも、あの時の俺は剣線すら見えず右往左往するだけの子供で、彼女がいなければ一刀の下に殺されていたに違いない。
 あれで一人前の口を叩いていたのだから、今にして思えば苦労をかけていたと思う。
 それでも必死だった。
 生き残る為にじゃない。勝つ為でもない。ただ、理想に近づく為に。
 
 もう一人は赤髪が特徴的な偉丈夫、八極拳の使い手────李書文。
 
 図らずも参加することになった二度目の聖杯戦争で出会った敵。
 獰猛と勇猛。そして侠気が合わさったような男だったが、人間としては一本筋の通った武術家である。本来のクラスはランサーだが、あの時はアサシンとして呼ばれていた。
 現在が“どのクラス”なのかは分からないが、槍を手にしていないところを見るとアサシンなのだろう。ならばこうして姿を見せている今は好機と言って差し支えない。
 奴の『圏境』を破るのは至難の業だ。
 
 ただ、二人共俺のことなど覚えていないに違いない。
 忘れているという訳ではなく、記憶がない状態で召喚されているのだから知らないが通理だ。召喚後に付与された情報はあるだろうが────どちらにしろ、強敵であることには変わらない。
 
「くははは────ッッ!! それは儂に対する当て付けか? 何なら今から儂と仕合ってみるか、小次郎。同じアサシンのサーヴァント同士、退屈はさせんぞ!」 
「それも一興。だが────今は新たな客の相手をするとしようか」
「何? 客だと?」
 
 こちらを振り返る二人のサーヴァント。
 その中で、李書文の目が驚愕したように見開かれた。
 
「────呵呵ッ! これは何という巡りあわせか! まさか貴様がここに現れるとはな、セイバーのマスター! あちらに向かったアーチャーはとんだ貧乏籤を引いたものよ!」
 
 愉しそうに顔を歪めながら俺達の様子を観察する李書文。
 その獣のような眼が俺からレミリア、そして美鈴、妖夢へと移動していく。
 
「ひい、ふう、みい────四人か。道案内の娘と合わせると総勢五名。これはこれは、予想外に楽しめそうな展開だぞ、小次郎!」
「それは僥倖。元より我等は戦う為だけの存在だ。私は自身が修めた剣技、お前は生涯を費やした拳技を以って死合える相手を求めている。セイバーのマスター、よもやお前もここに至って話し合おうなどとは言うまい?」
 
 小次郎が俺だけを見据えながら強く言い放つ。
 奴の言う通り、サーヴァントとは戦う為だけに呼び出された存在だ。そこに一切の例外はない。その事実を知っているからこそ、俺は既に宝具を手にしているのだ。
 
「アサシンのサーヴァント佐々木小次郎。そして李書文か。やれやれ、やっかいな相手が降りて来ていたものだ」
 
 牽制のつもりで言葉を放つ。正体を知っているということがサーヴァントに対してはプレッシャーになるのだ。
 しかし、奴等に対してはあまり効果は無かったようだ。
 どちらも悠然と俺の言葉を受け流す。
 
「ほう。七度、死線を潜り抜けた男は言うことが違うな。我等の事などお見通しと言う訳だ。ムーンセルより情報を盗み出したか────或いは姫より享受したか。どちらにしろ“知っているなら”分かっているのだろう?」
「勿論、話し合えるなどとは思っていない。────が、幾つか疑問はある。恐らく満月の夜に幻想郷に来ていたのだろうが、今まで何をしていた? どれくらいのサーヴァントが“ここ”に入り込んでいる?」
「私を失望させるな、セイバーのマスター。そのような繰言に答えるはずもあるまい。どうしてもと言うのなら──────己が剣で問うが良い」
 
 音も無く、小次郎が一歩、前に出た。
 その動作を場の全員が注視する。
 
「しかし、いきなり切り結ぶのも雅に欠ける。一つだけ答えるならば────我等サーヴァントとて元は人間だ。如何にムーンセルより枷を嵌められてるとはいえ、魂まで縛ることは出来ない。命令だけを遂行する人形ではないということだ」
「────呵呵呵呵ッッ!! そういう意味で言えばアーチャーなどは正に人間よ! 王の気概か知らぬが儂に言わせれば市井の民と何も変わらぬっ!」
 
 今度は李書文が大きく一歩、足を踏み出した。
 瞬間、大地を踏み抜く大きな音が辺りに響き渡った。中国武術で言う震脚だろう。
 
「衛宮士郎。その様子だと、未だ賢者には出会えておらぬようだな。ならばっ! 二姫から預かったという“キー”諸共儂が粉砕してくれよう!」
「────そう簡単に事が運ぶと思うな、李書文!」
 
 奴の気に呑まれないように干将莫耶を構え、視線を真っ向から受け止める。
 中国拳法の中には相手を気で呑み込む技があるはずだ。俺は腹の底に力を込めて全身に鞭打った。しかし、そんな俺の前にスっと小さな影が立ちはだかる。
 
 ────レミリア・スカーレットだ。
 
「勘違いしないで欲しいわ。あんた達と戦うのはこの私────レミリア・スカーレットよ」
「……少女、いや、その紅い瞳は……妖怪か?」
 
 レミリアの登場に李書文の気勢が僅かに削がれる。彼女の容姿に戸惑っているのだろう。
 妖怪といえど年端も行かぬ一人の少女。それがどれほどのものなのかという侮りが見て取れた。
 しかし、一瞬後にその考えが間違いだったと奴は思い知らされる事になる。
 
「フフン。ごちゃごちゃと喚いて見苦しいわね。サーヴァントだか何だか知らないけれど、要はあんた達も戦いたいだけでしょう? なら“私と同じ”じゃないの────」
 
 怪しい笑みと優雅な仕草。レミリアは宴の始まりを先刻するように、ゆっくりと両腕を広げていく。
 その仕草が終わった途端、彼女を中心にしてとてつもない魔力の波動が巻き起こった。
 
「────これはっ!?」
 
 巻き起こった風が地面を疾り、草花が舞い上げられる。
 紅い魔力の波動は竹林を吹き抜け、暗雲すら吹き飛ばした。
 
「月の衛兵よ。紅い月に恐れを抱かないのなら────かかって来なさい! 私が纏めて喰らってあげるわっ!」
 
 彼女の言葉を合図にして、場の全員が一斉に戦闘態勢を取った。
       


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