編集長日誌〜本の御しるし
★編集長日誌17★
2月1日(火曜日)
昼休みに神保町モールを覗くと社長の田中隆志さんがいて、四階の三省堂古書館が二月一杯で撤退して本館に移り、それにともない神保町モールは現在の五階と四階の2ホールに拡大するという。三省堂古書館は丁度創設一年で新たな方向転換をするのだろうか。実質的な運営は「ニュー源氏」の主宰社紫式部で、出店数は三十三軒だ。これが減るのか増えるのか、どうなるのだろう。
河上徹太郎の『新聖書講義』が届いた。垂水書房・1963年刊行。問題の「政治と宗教」は戦前のまま掲載されていた。冒頭を「噂によると、近頃(註・昭和十六年)」としただけのようだ。巻末に簡単な「あとがき」があり「聖書の人物や物語を私流にフィクション化したり、現代社会風俗の中に聖句のパロディを設定したりすることがテーマになっている。然しそのために今に至るまで読者を愉しませることが出来たのなら、それは私の予期しなかった喜びであり、又光栄である。」としている。これは戦後の思想信条の自由になった時代の感想で、戦中にはおそらくかなり真剣な気持ちで書いたものだと私は考える。
神保町モールでは志田延義著作集の付巻『歴史の片隅から』(昭和57・至文堂)を購入した。これは様々な短文類を集めた「随筆評論集」で興味深いテーマが沢山収録されている。ご自身は歌謡史が専門だが父上はご承知の通り近世俳諧研究の志田義秀博士だ。「曾良奥の細道随行日記」という短文は、戦後の公職追放で、実名では本が出せず父の名で『新註奥の細道評釈』を出したとある。詳しく書くと長くなるのでやめるが、父子の学問継承という点で興味深い一例だ。
2月2日(水曜日)
資料会に行くと、練馬の古本屋まほろばんずさんに挨拶された。市川均さんというが社会科学系や歴史・美術書などを扱う目録やネット中心の古本屋さんだ。三省堂古書館にも出店されているので、昨日の情報について聞いてみると、移転は本当で三省堂本館の四階に移るとのことだ。参加店も二、三軒は減るらしいがそれほどの変化はないという。運営も今まで通り紫式部らしい。恐らく現在バーゲンブックを置いているところに併設されるのだろうから、面積は狭くなるだろうが、客足は増えるだろうとは思う。
また、戦争俳句に関する話で恐縮だが、戦時中に新興俳句系や左翼系俳人を弾圧したのは俳誌「鶏頭陣」を主宰した小野蕪子だといわれている。蕪子は陶器研究家小野賢一郎としての方が有名である。東京日日新聞社会部長、日本放送協会文芸部長なども歴任した。小野の陶器関連の著書は古書即売会でもよく売られている。高い本はないと思うが、本日、大正十四年に中央美術社から刊行された『陶器を試る人へ』を入手した。購入したのは献呈署名本だったからで、以前からどんな字を書く人か興味があったのだ。美を愛し研究する人が、権力を傘に芸術家を弾圧する、それを敢えて矛盾とは言わないが、性格は書に現れる筈と思っている。そのペン字の書は大きな豪快なものだが、能筆とは言えない。むしろ乱暴な字だろう。宛名はかなり崩してあってはっきりとは判定できないが「龍溪先生」かもしれない。大正十四年、矢野龍渓はまだ在世しているし、同じ新聞人であり九州出身も共通している。それはともかくも蕪子の性格が少し見えた気はした。
2月3日(木曜日)
未来社のPR雑誌「未来」二月号に、後田多敦さんが「沖縄からの報告12−山之口獏文庫と沖縄県立図書館」という、とても良い文章を書いている。本誌二月号に上笙一郎先生の連載で沖縄県立図書館の初代館長に就任した伊波普猷について触れているが、同館は昨年11月に創立百周年を迎え、同県出身の詩人山之口獏文庫も開設されたとのことだ。後田多さんの文章は、県立図書館の歴史を要領よくまとめると同時に、アメリカ占領中は琉球政府の管轄だった図書館は日本復帰と同時に県立になり、琉球大学は国立になったこと、伊波の旧蔵書が図書館でなく琉球大学に入った復帰処理の不思議にも触れていてなるほどと思った。山之口文庫は娘の泉さんから図書館に寄贈されたもので、原稿類が多いようだ。11月1日に開かれた記念式典でその泉さんが、山之口獏の資料について古本屋からチラホラ話がくるようになり、自分の子供がいつか欲を出さないともかぎらないからと、ユーモアを交えて話されたらしい。沖縄での山之口獏の人気は高いが、一方で、戦時中の「アカイマルイシルシ」「オホゾラノハナ」という詩をとらえて、反戦詩人ではなく戦争に協力した詩を書いていた、というような批判もあるらしい。そのことについて、後田多さんは、「満員電車」という詩人の生誕百年記念に建てられた詩碑に刻まれた詩をつかい、「社会に生きて現役として生きていく限り、抗える範囲・限度があるだろう。」「殺戮と破壊を尽くした満員電車に乗っていた責任はあるのは確かだが、自分が同時代に生きていたとしたら、どう生きたか、自信はない。」と、極めて冷静な判断をされている。私も同感である。
2月4日(金曜日)
今日は立春、さすがに春のような陽気である。大雪や火山灰で苦しんでいる地域も多いのに青空が東京の空を覆っている。八百長相撲で驚天動地の両国の空は知らないが、八百長が取り沙汰されたのは最近ではない、遥か以前から噂はあった。お相撲さんらしく酒を飲みすぎて失敗したという話なら笑ってすむが、暴力団とからんだ問題に発展しないことを望むばかりだ。ともかく文科省も相撲への税金の優遇は止めるべきだろう。
神奈川近代文学館で、三月五日から四月十七日まで「荻原井泉水と「層雲」百周年記念展」が開かれる。「層雲」が現在も継続していたとは知らなかった。ところで、会社の机の横に「層雲」の姉妹雑誌だと思うが「俳壇春秋」の大正十三年から昭和五年までがある。「民衆藝術」を改題した雑誌で、井泉水が中心なのは「層雲」と同じ、編集人はずっと小沢武二という方で、発行所は最初、俳壇春秋社で、後に層雲社になるが、住所は麻布新堀橋三丁目でこれは一緒だ。裏表紙は常に「層雲」の広告が占めている。この雑誌の存在意義は、井泉水の伝記を読めばすぐ分かるだろうが調べていない。それはともかく、この雑誌の昭和五年一月号に種田山頭火が「別れ」という短い文章を書いている。「阿蘇山行」と題して井泉水ほか八名がそれぞれ分担して書いた紀行文である。次号には三宅酒壷洞が「旅人山頭火翁を思ふ」というこれは長い文章を書いている。山頭火が喜びそうな俳号の方であるが、先の「阿蘇山行」にも同道しており、我々が知る山頭火の姿そのものが良くうつされているが、山頭火はこの頃すでにかなり知られた俳人であったのだろうか。残念ながら山頭火が出てくる号はこの二号だけである。因みに尾崎放哉は大正十五年になくなるが、直前の大正十四年一月号にSSSの署名で(井泉水だろう)「放哉面目」という文章があるが一点きりで、その後は「大空」の広告があるばかりだ。
二月号ゲラ全部を三時に印刷屋に戻して責任校了。四時からは稲垣書店の中山さんにインタビュー。明治古典会で、中山さんに会ったえびなさんが、インタビューを受ける話を聞いて、それでは還暦シリーズなのかしらと言ったという。中山さんも還暦なのだ。お互い最初に会ったころは二十代なのに、そろそろ人生の黄昏時を迎えようとしている。
2月7日(月曜日)
「昨年の収穫」という3月号のアンケートに既に50通の回答が寄せられている。メールにアンケート用紙を添付して、書き込んで返信できるようにすると、明らかに反応が良いようだ。手書きするより楽だし、投函に外に出る手間がない。古書の購入にしても、ネットで検索して電子決済ですむなら楽なものだ。ただ、今回のアンケートでも、ネット販売の場合、商品の状態の記載の正確さや、写真の添付を望む声も多いし、売り切れ商品データの速やかな消去を上げている人もある。これについては私自身も何度も経験があるし、在庫の確認にかなりの時間を要する店もあり、待たされた挙句に売り切れていましたと伝えられるとがっかりする。予想したとおり、ネット購入が増えているが、店舗や即売会での出品の充実を望む声が却って強いことは意外でもあった。まだまだ、店舗購入の意識も冷め切ってはいないのだ。
本日の中央市も荷物が一杯だ。古書会館の3、4階は隙間がないほど古本が積み重ねられている。山の本の一口があった。中にみすず書房の『辻まこと全集』全六巻があり、入札封筒がはち切れるほど膨らんでいる。これは古書価が高いのかと思って、ネットで検索すると定価の54000円を大分割り込んでいて中には半額ほどの店もある。それなのにこれだけ入札されるのは何故か、あるいはどのくらいの金額が入札されているのか、せいぜい2万円前後の落札価になるのだろうが、数百円、あるいは十円単位の差でみな入札しているのかもしれない。創文社の『尾崎喜八全集』全十巻もあった。珍しくもない全集だが、お昼に小宮山書店のガレージセールで、この限定百部版の一巻から七巻までが出ていて、三冊500円だった。半端全集だが、バックスキン装で各巻署名がある。箱に傷みはあるが本体は普通だし、革も傷んでいない。買おうかとも思ったが置く場所を考えて止めた。
2月8日(火曜日)
今朝八時からのTBSラジオ「森本毅郎スタンバイ」で詩人の荒川洋治さんが、本誌一月号の記事「百年前」と「明治44年百年前の一月号」を題材に、現在に繋がる百年前の出版界を紹介していた。かなり詳しく紹介してくださり有り難かった。その後、ネットの雑誌販売サイト「富士山マガジン」でアクセスランキングが56位という、本誌としては驚異的な数字が出た。これだけでは売上げには結びつかないのだが、兎も角も関心を抱いてくれた方が多かったということではある。『古本屋名簿』に続き荒川さんには感謝だ。
前回の日誌に一つ間違いがあった。芥川賞を受賞した西村賢太さんが同人誌「煉瓦」に発表した作品を「どうで死ぬ身の一踊り」と書いたが、「けがれなき酒のへど」が正しく、同作品が「文学界」に転載されこれが作家への足がかりとなった。記憶で書いたので混同してしまった。大変失礼しました。
2月9日(水曜日)
毎月一回編集会議を開くが、事前に次号の目次を出席者に、といっても私を含め四人だが、送信しておくことにしている。それを見た社長から、「週刊東洋経済」最新号にも読書アンケートの記事が出ていたとコピーを貰った。1000人アンケートビジネスパーソンの「読書」の実態という。それによると、昨年読んだ本の平均冊数は18・4冊で、100冊以上は3・8パーセント。一年間に480冊読んだ人もいるという。速読術の本が売れているのがうなずかれる。入手手段の項目もあって、新刊書は大型書店とアマゾンが六割以上を占める。中古本を購入した店はという質問もあり、ブックオフが圧倒的で、購入額は平均4・2冊で1719円ということは、一冊400円だ。問題は、選択の中に従来の古書店がなく、ブックオフをのぞく中古書店に含まれてしまっていることで、ショックだった。今より読書をしたいと望んでいる人も多く72・8パーセントだが、50冊以上読む人になると、その率はさらに上がり88・7パーセントに及ぶ。読んでいる人ほどさらに読みたいと思うのは良く分かる。しかし、私は一年間に480冊も読む人に、今回の本誌のアンケート、記憶に残る三点を聞いてみたいという衝動に駆られた。本に書かれていることを正確に把握することは大切ではあるが、私はそれよりも、何かを感じることが大切だと考えている。かなり頭の良い人でも読んで全てのことを覚えていることは不可能であろう。読んでいる間にさまざまなことを考える。この考えることを継続するのが読書の醍醐味だろう。頭でなく心に感じたことは簡単には忘れないし、一つの疑問が次の読書を誘っていく。ともかく考える契機が読書だし、読んだ冊数ではなく質が問われるべきだと思うが、どうだろうか。480冊も読んだら考える暇もなかろう。
元日に亡くなった、なないろ文庫田村治芳さんに、練馬のポラン書房さんは俳句を勧めた。「彷書月刊」の日記にも時々出ていたが、今日ポランさんが、昨年八月に手書きのコピーで作られた「七癖庵五十九」という24頁の句集をFAXしてくれた。あとがきで「七癖庵六十」で会いましょう、とある。次も考えていたのだ。収録も当然五十九句だ。最後から二つ目の句「びんぼうのぼうふりまわす師走かな」。改めて合掌。
2月10日(木曜日)
愛知県西尾市の岩瀬文庫の悉皆調査は今年で十一年目に入るとのことだ。民間人による私設公開図書館という考え方、蔵書の規模内容とも優れたもので、今日の財界人には創設者岩瀬弥助の爪の垢でも煎じて飲んでもらいたい。その岩瀬文庫で開催されている中間報告展8の図録が送られて来た。今回は地誌に焦点を当てた展示だが、中に、旧足利藩士川上広樹(明治28年没)の収集した足利学校関連資料から五点が解説と共に紹介されている。維新後、足利学校の存続に全力を傾けた同じ足利藩士相場古雲の『摘翠帖』という雑記帳もある。こうした資料を通し、明治維新を迎えた足利学校の様子や訪れた人々のことが追えないものかと、調査責任者の塩村耕名古屋大学教授に連絡した。足利学校について詳しいわけではないが、岩瀬文庫所蔵資料から分かる範囲で書いてみましょうというお返事を頂いた。岩瀬文庫と足利学校、どこか共通するものもあるだろうと思う。
明日、明後日と東京も大雪の可能性があるという。祝日だが、明治古典会もあるし、書窓展もある。出てくるかどうか迷っている。世田谷美術館で佐藤忠良展もあるから、天気なら迷わず出てくるのだが。
2月14日(月曜日)
結局、土曜日が割合天気に不安がないので出てきた。書窓展で「俳句人」の石橋辰之助追悼号などを求めて、直に世田谷美術館に行ってきた。東京の美術館での佐藤忠良展は意外にも初めてのものとのことだ。第一室は札幌オリンピック時のモニュメント「蝦夷鹿」などを展示していたが、窓から外が見えるようにしてあり自然な感じがとても良かった。ただ、昨年の「橋本平八と北園克衛」展のような感動は受けなかった。全体を見ていなくとも割合日ごろから作品に接する機会も多いし、現在私自身が木彫に強い関心があるからだろうと思う。粘土で塑像を作り型を取ってブロンズで仕上げる彫刻と、木材や石材から彫り上げていく彫刻は大分違う。橋本平八が木材への切り込みを書いた下絵から受けたような感動に乏しかった。その分というのも変だが、モデルや対象との接し方には随分哲学的というか文学的というべきか、深いものがある。
今朝出社すると3月号の原稿や、稲垣書店さんへのインタビュー記事への訂正書き入れなどが届いていて、その処理や礼状(メールやFAX)に一日追われた。
東京古書組合の「古書月報」444号が届いた。4が三つも続く号だが、読ませる記事も並んでいる。田園りぶらりあ下正雄さんへのインタビュー、稲垣書店中山信行さんのなないろ文庫田村治芳さん葬儀の折の弔辞、そして理事長小沼良成氏の国会図書館長長尾真氏との対談。なかなか力の入った号である。
2月15日(火曜日)
昨夜の大雪にはびっくりしたが、今朝の電車はほぼ正常に動いて助かった。毎日毎日雪に閉じ込められている地域の方は本当に大変だと思う。
アンケート「昨年の収穫」68名分が揃い整理した。印象に残る古本三点を回答して頂いたが、購入金額はやはり千円台が圧倒的に多い。しかも五千円以下が殆どだ。また購入方法は、ネットが多いのは予想できたが、目録購入がかなり多く、また店頭購入もけして少なくないのは意外でもあった。開催が減ったことで即売会利用が減少しているようだし、オークション利用もまだまだ少数である。まずは3月号ご期待願いたい。
本日、二月号の発売日である。二月号には編集後記にあたる「談話室」欄がスペースの関係で掲載出来なかった。この日誌であらためて豪雪地帯の読者にお見舞い申し上げたい。本誌が無事届くか心配でもあるが、まずは雪おろしや道路の雪掻きで怪我などなさらぬようご注意願いたい。