投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助画像・ファイルお絵描き<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
  ファイル1
  ファイル2
  ファイル3
アップロード可能な形式(各1MB以内):
画像(gif,png,jpg,bmp) 音楽(mmf,mld) 動画(amc,3gp,3g2)

 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.>まじめな話題 | 画像 ] [ 検索 ]

投稿募集! スレッド一覧

  1. 反創価学会関連リンク集(2)
  2. 池田大作「権力者」の構造(79)
  3. 池田大作破廉恥行状記(17)
  4. 池田大作亡き後の創価学会(1)
  5. 池田大作、Xデー(2)
  6. 金と権力を生む宗教の本音(5)
  7. 池田創価学会と旧後藤組長(3)
  8. 創価学会は北朝鮮宗教である(1)
スレッド一覧(全8)  他のスレッドを探す  スレッド作成

*掲示板をお持ちでない方へ、まずは掲示板を作成しましょう。無料掲示板作成

全1455件の内、新着の記事から10件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 

Re: 北林芳典氏が山崎正友に大勝利!

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 2月16日(水)21時18分54秒
返信・引用
  > No.3320[元記事へ]

> 判 決
> 東京都港区
> 控訴人   株式会社日新報道
> 同代表者代表取締役 遠藤留治
> 同訴訟代理人弁護士 平井哲史
> 同                 松井繁明
> 神奈川県厚木市
> 控訴人       山﨑正友
> 東京都豊島区
> 被控訴人           北林芳典
> 同訴訟代理人弁護士 幸田勝利
> 同                 國重 徹
> 同                 井上直治
> 主文
> 1 原判決を次のとおり変更する。
> 2 控訴人らは,被控訴人に対し ,連帯して22万円及びこれに対する平成17年4月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
> 3 被控訴人のその余の請求を棄却する。
> 4 訴訟費用は,第1,2審を通じて35分し,その1を控訴人らの、その余を被控訴人の負担とする。
>
>  何故、この判決が大勝利なのですか?
> 全く、疑問です。

2 控訴人らは,被控訴人に対し ,連帯して22万円及びこれに対する平成17年4月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4 訴訟費用は,第1,2審を通じて35分し,その1を控訴人らの、その余を被控訴人の負担とする。

 要するに罰金は、被控訴人に対し、連帯して22万円+金利と、訴訟費用は、1/35が控訴人、
34/35が被控訴人が負担するという内容です。

 これでは、大勝利ではなく、大敗北ですよ。
 

北林芳典氏が山崎正友に大勝利!

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 2月14日(月)19時43分47秒
返信・引用
  判 決
東京都港区
控訴人   株式会社日新報道
同代表者代表取締役 遠藤留治
同訴訟代理人弁護士 平井哲史
同                 松井繁明
神奈川県厚木市
控訴人       山﨑正友
東京都豊島区
被控訴人           北林芳典
同訴訟代理人弁護士 幸田勝利
同                 國重 徹
同                 井上直治
主文
1 原判決を次のとおり変更する。
2 控訴人らは,被控訴人に対し ,連帯して22万円及びこれに対する平成17年4月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は,第1,2審を通じて35分し,その1を控訴人らの、その余を被控訴人の負担とする。

 何故、この判決が大勝利なのですか?
全く、疑問です。
 

北林芳典氏が山崎正友に大勝利!

 投稿者:信濃町ボーイ  投稿日:2011年 2月14日(月)16時59分3秒
返信・引用
  平成20年12月25日判決言渡同日判決原本領収 裁判所書記官 永井邦幸
平成20年(ネ)第2795号出版物の発行差止等請求控訴事件(原審・東京地方裁判所平成17年(ワ)第7357号)
(口頭弁論終結日 平成20年9月11日)

判 決
東京都港区
控訴人   株式会社日新報道
同代表者代表取締役 遠藤留治
同訴訟代理人弁護士 平井哲史
同                 松井繁明
神奈川県厚木市
控訴人       山﨑正友
東京都豊島区
被控訴人           北林芳典
同訴訟代理人弁護士 幸田勝利
同                 國重 徹
同                 井上直治
主文
1 原判決を次のとおり変更する。
2 控訴人らは,被控訴人に対し ,連帯して22万円及びこれに対する平成17年4月8日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
3 被控訴人のその余の請求を棄却する。
4 訴訟費用は,第1,2審を通じて35分し,その1を控訴人らの、その余を被控訴人の負担とする。

事実及び理由
第1 控訴の趣旨
1 原判決中控訴人株式会社日新報道(以下「控訴人会社」という。)及び控人山﨑正友(以下「控訴人山﨑」という。)敗訴部分をいずれも取り消す。
2被控訴人の請求をいずれも棄却する。
3訴訟費用は,第1,2審とも被控訴人の負担とする。
第2 事案の概要
1 本件事案の概要は,原判決の「事実及び理由」,第2の冒頭に記載のとおりであるから,これを引用する。
原審は被控訴人の請求を一部認容したので,控訴人らがこれを不服として控訴した。
2 前提となる事実等,争点及びこれに関する当事者の主張は,次のとおり訂正付加するほか,原判決の「事実及び理由」第2の1,2に記載のとおりであるから,これを引用する。
(1)原判決の訂正
ア 原判決3頁6行目末尾の次に改行して次のとおり加える。「本件書籍は,タイトルが「再び,盗聴教団の解明」で,サブタイトルが「創価学会とその関係者による情報窃盗の系譜」である。本件書籍の構成は,「はじめに」,「第一部“白昼の暗黒劇”NTTドコモ通話記録窃出し事件(第一章ないし第六章から成る。)」,「第二部「ヤフーBB」恐喝未遂事件(一ないし八から成る。)」,「第三部創価学会による宮本邸電話盗聴事件(プロローグ,第一章ないし第八章から成る。)」及び「あとがき」から成り,全265頁である。控訴人山﨑の本件書籍の出版の意図は,上記「はじめに」中に記載があり,平成16年2月11日ヤフーBB恐喝未遂事件につき3人の男が逮捕され,そのうちの1人が創価学会幹部であり,かつ,35年前に敢行された宮本邸事件の実行犯の1人であった竹岡であったこと及び平成14年9月NTTドコモ通話記録窃出し事件により創価学会員3人が逮捕されたことを契機として,これに控訴人山﨑自らが関与した宮本邸事件に関する事実を明らかにした上で,上記の最近の二つの事件について真相の解明を行うことにより,一般国民に対し創価学会の活動の当否についての判断のための資料を提供することにあるというものである。」
イ 原判決3頁11行目の「,原告」を削り14頁16行目の「事件の中心者」を「事件の関係者」と改める。
ウ 原判決8頁7行目の「(2)」を「(3)」と,20頁1行目の「(3)」を「(4)」と,22頁17行目の「(4)」を「(5)」と,23頁11行目の「(5)」を「(6)」と,22行目の「(6)」を「(7)」とそれぞれ改める。

(2) 当審における当事者の主張
(控訴人会社)
ア 準備段階での被控訴人の関与
原判決は,被訴訴人が控訴人山﨑の下で情報収集活動に従事し、控訴人山﨑と毎日のように会って打合せをし、個人的にも親密な付き合いを』していたこと,いわゆる言論出版妨害問題の対策本部の中心であった控訴人山崎が、日本共産党の情報収集のために廣野,竹岡及び被控訴人を情報収集班とし,その任務分担として被控訴人が公警察や情報通からの情報収集を担当し,同党本部に対する盗聴を計画するようになってからは,そのための同党本部関係の情報収集活動に従事していたことを認定している。したがって、被控訴人が宮本邸事件の準備段階において日本共産党の情報収集活動に関与したことは否定しようもないにもかかわらず,原判決がこれを否定したことは,証拠に基づかず,かつ,控訴人山﨑の供述に反する事実認定である。
イ 宮本邸の情報をもたらした者
原判決は電話盗聴の対象の決定につき重要な情報をもたらした者が被控訴人であることを否定し,その根拠として,
① 廣野が控訴人山﨑から被控訴人を電話盗聴に使わないよう指示された旨述べていること。
② 電話盗聴の対象を宮本邸に変更するきっかけとなった情報をもたらした者が被控訴人以外の者である可能惟を排除することが困難であること,
③ 控訴人山﨑の記憶が資料や間接事実等から再構成されたものであること,④ 控訴人山﨑と被控訴人との間に感情的対立があったことなどを挙げている。
 ①については,電話盗聴の実行を行わなくとも盗聴への関与はできるか
ら,準備のための情報収集を被控訴人が行ったことを否定する材料にはな
らない。
②については、廣野がわざわざ控訴人山﨑に虚偽を述べる理由も控訴人山﨑が虚偽を述べて被控訴人を陥れる理由もないから,情報をもた
らした者は被控訴人であると考えるのが自然である。
③については,資料や間接事実により再構成されているのであれば控訴人山﨑の記憶の信憑性は単なる記憶よりも更に確かなものになっているというべきであり,情報収集班の中で執行猶予中であったために表立った活動のできなかった被控訴人が情報収集などのいわゆる裏方仕事を担っていたというのは自然なことであり,地方,被控訴人がアリバイを主張していないのはそれを主張で
きないからであると見るのが自然である。
④については,控訴人山﨑は創価学会の真実を暴くことを自らの使命と考えているだけであり,被控訴人個人に対する悪感情から本件書籍を著したものでないことは,控訴人山﨑が被控訴人以外にも数十件の創価学会関連の訴訟を抱えていることからも容易に推認できる。
 以上のとおり,原判決の掲げる論理はいずれも控訴人山﨑の供述の信用性を否定する材料にならず,電話盗聴の対象を宮本邸と決定するのに重要な情報をもたらした者が被控訴人であることは真実であるというべきである。
ウ盗聴器撤去時の関与
 控訴人山﨑は、盗聴器撤去の現場にいなかったから,廣野や被控訴人が控訴人山﨑に報告したのでなければ,被控訴人がその撤去の現場にいたと供述することはあり得ない。当時被控訴人が執行猶予中であったことから,廣野において将来の不測の事態に備えて控訴人山﨑に事実を報告したとみるのが自然であり,また,撤去が無事にすみ,安心した状況にあったからこそ,被控訴人も酒席で口を滑らせ事実を話したとみることができる。したがって,控訴人山﨑の供述は信用でき,この点についての証明は十分である。

エ 相当性
 控訴人山﨑が,宮本邸事件に被控訴人が関与したとみる中心的な根拠は,
①当時自ら指揮を執っていた情報収集班に被控訴人が所属し,情報収集活動に従事していたこと,
②廣野とともに被控訴人から宮本邸についての報告を受けたこと,
③盗聴器の設置及び撤去の現場で指揮を執った廣野から後に報告を受けたこと,
④後に酒席で被控訴人自身からも聞いたことである。当時控訴人山﨑が執行猶予中の被控訴人を盗聴の実行部隊に参加させることに反対していたことは争いのない事実であり,控訴人山﨑が被控訴人の関与を述べるのは,被控訴人又は廣野から聞かなければできないことであるから,控訴人山﨑が被控訴人又は廣野から被控訴人が盗聴器撤去の現場にいたとの報告を受けていたことは疑いがない。
 したがって,仮に被控訴人の宮本邸事件への関与が真実でないとしても,控訴人山﨑がこれ真実と信じたことことには相当の理由がある。また,仮に控訴人山﨑に被控訴人が宮本邸事件に関与したと信じたことに相当な理由がなくとも,控訴人会社が,被控訴人の関与が真実であると信じたことには相当の理由がある。
(控訴人山﨑)
ア 情報収集活動への被控訴人の関与
 原判決は,被控訴人が宮本邸事件の準備段階から情報収集や分析に関与し,電話盗聴の対象の決定につき重要な情報をもたらしたとの点にづいて,真実であると認めることはできないとし,その根拠として,①被控訴人の当時の具体的な行動が控訴人山﨑の現在の記憶どおりのものであることを裏付ける客観的証拠や第三者の信用し得る供述や証言は存在しないと認定し,このように認定した理由として,②被控訴人が宮本邸事件には一切関与していないと供述していること。③55年訴訟において,廣野も被控訴人の関与を否定していること,④控訴人山﨑も宮本邸事件に関して現場の実行はすべて廣野に任せていたことを認めており,電話盗聴の対象を日本共産党本部から宮本邸に変更するきっかけとなった情報が被控訴人以外の者からもたらされた可能性を排除することは困難であること,⑤控訴人山崎は,55年訴訟において,宮本邸から電話で指示が出されていることを、だれから聞いたのかを問われた際,廣野と3人で話し合ったような記憶がある旨供述しており,必ずしも明確に答えていないこと,⑥控訴人山﨑と被控訴人との間には他からうかがい知ることのできない感情的対立があること,⑦控訴人山﨑の現在の記憶が様々な資料や間接事実等から理詰めで再構成されたものであることを挙げている。
 しかし,①は明らかな誤りであり,控訴人山﨑は数多くの証拠を提出している。②及び③については,廣野,竹岡の供述の欺瞞性は裁判所の認めるところであり,55年訴訟の控訴審判決も,宮本側に電話盗聴が発覚したのではないかと懸念したきっかけについての廣野及び竹岡の供述を措信する余地はないとしている。被控訴人も廣野,竹岡らに勝るとも劣らず極めて策略的な行動を取る人物であり,宮本邸事件についての関与を全面否認した上,その後の盗聴行為についても全面否定したが,55年事件判決において,これらのその後の盗聴行為等について、控訴人山﨑及び廣野の供述に基づいて被控訴人の関与が認定されている。55年訴訟においては,被控訴人の関与については,控訴人山﨑の供述した内容だけを対象として審理が行われ,控訴人山﨑の供述が全体として信憑性ありとされた中で,被控訴人の関与についてだけは,控訴人山﨑の供述の矛眉点を指摘して認めなかったのであり,今更廣野や被控訴人がただ否定していたということを根拠にして判断することは意味がなく,誤りである。④については,控訴人山﨑が廣野を通じて得た情報をもとに計画を立てていたことは事実であるが,控訴人山﨑は廣野の下に集まる情報のルートや信憑性については熟知しており,当時控訴人山﨑及び廣野の周辺で日本共産党の情報に通じていたエキスパートは被控訴人をおいて他にいなかったのである。その被
控訴人が入手してきた情報であるからこそ,控訴人山﨑も廣野も,その入手先と内容の信憑性を確認するだけで用いることができたのである。⑤については,55年訴訟における控訴人山﨑の「私の記憶では,廣野と(被控訴人と)3人で話し合ったような記憶があります。」という供述のどこが明確でないのか理解に苦しむ。控訴人山﨑としては,事柄の重要性から,情報源と入手の経緯を問いただすとともに,行き詰まっていた計画に活路を開くものであるかについて廣野だけでなぐ被控訴人を交えて討議する必要があったことは当然であり,その故に3人で会ったのである。⑥については,被控訴人は創価学会において控訴人山﨑に対する中傷攻撃のトップバッターとして活動していたが,所詮池田大作という飼い主に命じられてほえる犬又は池田大作が敵対者を叩く棒にしかすぎない。控訴人山﨑は,その棒に見境なくかみつくような愚かなことをしたつもりはない。被控訴人が著述した控訴人山﨑に対する中傷文書は創価学会全体のそれから見れば千分の一にも満たないのであるから,控訴人山﨑と被控訴人との間に強い否定感情が存在するというのは誤りである。⑦については,控訴人山﨑の現在の記憶が様力な資料や間接事実,性格や人柄や精神状態や人生観の変化から,理詰めで再構築されたものであるという面は確かにあるが,それにしても記憶喚起作業は55年訴訟で述べた記憶内容を骨格として、それに関連しつながるものという記憶の中でなされたものであり,何もないところで理詰めで「こうあったはずだ」として,記憶にないことを述べているのではない。
 55年事件判決は,創価学会関係者の主張や供述について信憑性なしと,して排斥する一方で,控訴人山﨑の供述については信憑性を認め,これに沿った事実認定をしているが,被控訴人の関与についてだけは,日本共産党本部の盗聴が不可能であれば次に宮本邸を目標とすることはだれでも容易に考えつくことであることなどを理由として,これを否定した。しかし,その控訴審判決は,盗聴器撤去について,だれも現場で見張らないで竹岡が電柱に登って盗聴器を撤去したというのは不自然であること,宮本邸事件後の情報収集活動は,秘密裏に,不正,不当な手段を通じて相手方の情報を収集しようとしたものであって,殊更に異質なものではないとしている。原審においては、55年訴訟についての上記判決を踏まえての控訴人山﨑の主張立証について判断を下すことが肝要であるにもかかわらず,これを怠っており,そのために誤った認定を導き出している。また,原判決は,控訴人山﨑の主張を裏付ける乙44の1(原島嵩上申書),乙65(稲垣和雄陳述書),乙66(古谷博上申書)を理由も示さず不採用としておいて,他にこれを認めるに足りる的確な証拠はないとしており,極めて理不尽である。また,55年事件判決が,日本共産党本部の電話盗聴が不可能であれば次に宮本邸を目標とすることはだれでも容易に考えつくことであるとするのは、余りに皮相的で具体的な事実や状況を無視して一般的な
考えのみに基づいて誤った結論を導き出しているのであって、本件において控訴人山﨑が,55年事件判決の誤りを丁寧に指摘し,論理的かつ具体的に示しているにもかかわらず,原判決の認定も皮相的,一般的な判断に固執しているため,判断を誤っているのである。

イ 盗聴器撤去の際の被控訴人の関与
 この点について55年事件判決は。盗聴器撤去の際運転免許を有していない被控訴人を待機させたというのは不自然であるなどとしているが,控訴人山﨑は,被控訴人が盗聴器撤去時に万一発覚した場合に備えて木刀を抱えて車内に待機していたと供述しているのであり,決して,運転要員として同行させ,待機させていたと供述したわけではない。その上,その控訴審判決では,だれも現場を見張らないで竹岡が電柱に登って盗聴器を撤去したというのは合点がいかない,すなわちだれか見張りがいたはずであると認定している。廣野は運転要員であり,非力であったから,屈強で体力があり,秘密保持の点で最も信頼できる被控訴人を見張要員として車中に待機させた蓋然性は極めて強いというべきである。

ウ 宮本邸事件を公表するに至った経緯
控訴人山﨑が宮本邸事件を公表するに至った背景には,宗教上の紛争である日蓮正宗と創価学会間の抗争と,これに宗教的動機に基づき関与した控訴人山﨑と創価学会間の対立抗争という基本構造が存在したことは事実である。しかし,そのことが宮本邸事件についての控訴人山﨑の公表の内容に何らかの作為をさせたという事実はない。控訴人山﨑は,裁判において,終始記憶のままに客観的事実を述べようと努力しており,このことは55年訴訟及び原判決においても認められている。

(被控訴人)
ア 控訴人会社の主張に対する反論被控訴人が控訴人山﨑の下で情報収集活動に従事するようになったのは,宮本邸事件から2年以上経過した昭和47年11月ころ以降であり,原判決は,宮本邸事件当時被控訴人が控訴人山﨑の下で情報収集活動に従事していたとは認定していない。
(イ)控訴人山﨑は、当初から被控訴人の宮本邸事件への関与について虚偽のストーリーに基づいて供述していたにすぎず,その後その供述の矛盾について指摘されるたびに修正していったにすぎない。また,廣野は被控訴人が情報をもたらしたとは供述しておらず,廣野がそのような話を控訴人山﨑に伝えたことに基づく控訴人会社の主張はその前提を欠いている。
(ウ)廣野は被控訴人が関与したことを控訴人山﨑に伝えたとは供述してい
ないから,廣野が控訴人山﨑に被控訴人の関与を伝えたとする控訴人会
社の主張はその前提を欠いている。また,酒席の場で極秘にわたる事項
を述べる,こと自体不合理であることは55年事件判決の指摘するとおり
である。
(エ)控訴人会社は,控訴人山﨑又は控訴人会社において被控訴人が宮本邸事件に関与したと信じたことには相当性がある旨主張するが,控訴人会社は,被控訴人からの内容証明郵便により,55年事件判決において被控訴人の関与が否定されていること及び新潮事件が継続中であることを通知されながら,一顧だにすることなく本件書籍を発売した。また,控訴人会社は,控訴人山﨑の供述についてさしたる裏付けも取ることなく被控訴人が実在の人物かということを確認したのみで,控訴人山﨑の話を鵜呑みにして,平成12年の自由の砦の連載をほとんどそのまま本件書籍としたものであるから,控訴人会社に相当性があるといえないことは明らかである。
イ 控訴人山﨑の主張に対する反論
(ア)宮本邸事件当時,日本共産党書記長であった宮本が実質的な最高指導者であったことは世間のだれもが知っていたこと,変更された電話盗聴の対象は公安関係者以外は知り得ないようなものではなく,宮本の自宅にすぎないこと,一般的に自宅における意思伝達手段は電話であることからすると,被控訴人から入手したという宮本邸についての情報も極秘情報というものではなく,同党本部が盗聴不可能であれば宮本邸を目標とすることはだれでも容易に想像がつくとの55年事件判決の判示を覆すものではない。
 控訴人山﨑が実際に電話盗聴の対象の変更のきっかけになった情報を被控訴人から直接聞いていたのであれば,55年訴訟においてそのとおり直接聞いたと供述するはずであるにもかかわらず,廣野と3人で話し合った記憶があるという供述では,廣野からの情報である可能性も否定することができないのであって,被控訴人から直接情報を聞いたかとの問いに対し明確に答えていないとの原判決の評価は正当である。
 被控訴人は,昭和55年当時も創価学会員としての身分を隠し,宗教ジャーナリストとして活動していたが,その前に既に控訴人山﨑に与しないという旗色を鮮明にし,控訴人山﨑が創価学会を恐喝しているという話を聞き及び,昭和55年5月,6月ころ控訴人山﨑の悪事を明らかにする「現代宗教研究14号」を発行した。そのことによって,控訴人山﨑の正義を装った内部告発がもともと恐喝の一手段にすぎなかったことが明らかになった。控訴人山﨑は,被確訴人をこのまま言論活動に従事させておくことは自己に不利になると考え,    また、自己の意図を妨害したことを逆恨みし,被控訴人の言論活動を封殺するため,被控訴人が実は創価学会員であったという事実を暴露するとともに,盗聴犯の汚名を着せたものと考えられる。以上からすると,控訴人山﨑は被控訴人に対し,強い否定的感情を抱いていると,の原判決の認定は相当である。
 控訴人山﨑は,被控訴人の関与についての供述において,重要な部分で変遷を繰り返しており,その変遷理由に合理性を見出すことはできない。これは,もともと虚偽のストーリーに基づく被控訴人の関与の話につき,矛盾が指摘される都度,その矛盾点を解消するために理詰めで内容を変遷させ,それに伴い,更に真実とは程遠い内容になっていったのである。原判決は、控訴人山﨑のこのような悪質な供述態度を指して理詰めで再構築したと判示しているのである。
 控訴人山﨑は,原判決が原島,稲垣,古谷の上申書,陳述書等の内容を採用しなかったことを理不尽であると主張するが,これらの人物は,いずれも控訴人山﨑の言うがままの陳述書等を提出することをいとわない人物である。
(イ)控訴人山﨑は,55年訴訟の控訴審判決では盗聴器撤去の際だれか見張りがいたはずであると認定しており,屈強で体力があり,秘密保持の点で最も信頼できる被控訴人を見張要員として車中に待機させた蓋然性は極めて高い旨主張するが,被控訴人については,宮本邸事件への関与を否定した55年事件判決が確定しており,被控訴人は控訴審の当事者ではなかったのであるから,控訴人山﨑が指摘する同事件についての控訴審判決の認定はいずれも被控訴人の関与に関する判断のために判示されたものでない。
(ウ)控訴人山﨑は,宮本邸事件について公表した経緯が宗教的動機に基づくものである旨主張するが、控訴人山﨑は,自己が経営する会社の業績が悪化したため,その資金を創価学会から引き出すため、顧問先を恐喝するという弁護士にあるまじき行為を行ったが,その材料として宮本邸事件の公表をほのめかし,最終的に公表したのであり,宗教的動機に基づくものではない。

第3 当裁判所の判断
1争点(1)ないし(4)について
当裁判所も,本件記述は,被控訴人の名誉を毀損するものであり,公共の利害に関する事実に係り専ら公益を図る目的に出たものであることが認められるが,それが真実であること及び真実であると信じる相当の理由があることを認めることはできないものと判断する。その理由は,次のとおり訂正付加するほか,原判決の理由説示(「事実及び理由」第3の1・ないし4)のとおりであるから,これを引用する。
(1)原判決26頁9行目の「学部長」を「学生部長」と改める。
(2)原判決28頁19行目の「現在における」から30頁4行目末尾までを次のとおり改める。
「そこでまず,本件摘示事実のうち,被控訴人が宮本邸事件において電話盗聴の対象の決定につき重要な情報をもたらしたとの部分の其実性について検討する。
 控訴人山﨑は,日本共産党本部の電話盗聴が不可能であることが判明した際,直ちに宮本書記長宅に電話盗聴の対象を変更するという発想は出てこなかったところ,被控訴人から,宮本書記長が自宅から電話で同党本部役員に指示を与えたり,報告を受けるという事実やその自宅の警備が少ない旨の情報がもたらされたのであり,電話盗聴の対象を宮本邸に変更するについて被控訴人のもたらした情報が決定的に重要な役割を果たした旨主張する。
 そして,控訴人山﨑は,本件における陳述書(乙63,の1,2,64の1,2)及び原審供述のほか,55年訴訟における供述(乙18),別事件における陳述書及び証言(甲3,6〉において,廣野から日本共産党本部の電話盗聴が非常に困難であるとの報告を受けて新たな目標を探したが,控訴人山崎は池由大作創価学会会長周辺の厳重な警備を同党についても当てはめて推測していたため宮本邸を盗聴することを考えつくこともなく,適切な電話盗聴の対象の選定に苦慮していたこと,その際,被控訴人から公安関係筋からの情報として,同党は宮本書記長の独裁的支配下にあり,宮本書記長は,自宅から電話で指示を与えることが多いが,自宅をものものしく警備させているようなことはないとの情報がもたらされたこと,その話は控訴人山﨑のほか廣野のいる席で聞いた記憶があること,これを受けて宮本邸周辺を調査したところ被控訴人がもたらした情報どおりであることが確認されたので,宮本邸を対象とする盗聴器の取付けに着手したこと等,上記主張に沿う供述等をしている。
 これに対し、被控訴人は,その陳述書(甲29)及び原審供述において,宮本邸事件には一切関与していない旨の供述等を行い,同事件に関与した事実を否認している。
 また,控訴人山﨑とともに被控訴人からの情報を聞いたとされる廣野は,55年訴訟における証言(乙15の1,2)において,同人が目本共産党本部の電話盗聴が困難である旨の報告を控訴人山﨑に行った際,それでは宮本邸の方を調べてみようということになったが,その席に被控訴人はいなかった、控訴人山﨑から被控訴人は執行猶予中であるので絶対使うなと指示されたので宮本邸事件には被控訴人を関与させていない旨供述しており,被控訴人が宮本邸についての情報を提供した事実を否定している。
 他方,稲垣和雄及び古谷博の陳述書・上申書等(乙65,66)には,被控訴人が宮本邸事件に関与していたことを本人又は共犯者の竹岡から聞いたとの記載部分があるが,反対尋問を経ていない証拠で,その内容も具体性を欠いているというほかない。また,原島嵩作成の上申書・(乙44の1)には,控訴人山﨑が創価学会の最高幹部に宮本邸電話盗聴計画の詳細を説明した際に,控訴人山﨑から,被控訴人が公安筋の情報として宮本書記長が自宅から電話で指示を出しており,自宅の警備は手薄であるという話をもってきたと聞いた旨の記載部分があるが,控訴人山﨑からの伝聞である上,反対尋問を経ていない証拠である。したがって,上記の陳述書,上申書等の信用性はいずれも乏しく,証拠価値を認めることはできない。
 以上のほか,宮本邸事件において,被控訴人が電話盗聴の対象の変更について重要な公安情報をもたらしたことを裏付ける証拠は提出されていない。
 控訴人山﨑は,廣野及び竹岡の供述の欺瞞性は裁判所の認めるところであり,55年訴訟の控訴審判決も,宮本邸事件の顛末についての廣野及び竹岡の供述を措信する余地はないとしている旨主張する。55年事件判決においては、宮本邸事件の実行の経緯及び北條浩創価学会副会長の関与について,控訴人山﨑の供述の信用性が認められ,廣野,竹岡及び北條の供述はいずれも不自然であるなどとしてその信用性を否定されたものの,被控訴人の同事件への関与については反対に控訴人山﨑の供述の信用性が否定され,被控訴人に対する請求は棄却され,この判断については控訴がなかったので,被控訴人に対する判決は確定している。そして,その控訴審判決においては,電話盗聴の実行の顛末についての控訴人山﨑の供述と廣野及び竹岡の供述は,ほぼ全般にわたって真っ向から対立しているとした上で,廣野及び竹岡の供述はいずれも不自然であるのみならず,事実と明らかに異なる供述をする意図的なものが認められるなどとしてその信用性を否定し,北條副会長の関与や被控訴人以外の配下の者達の関与の点を含めて,ほぼ控訴人山﨑の供述するとおりの事実を認定している。そうすると,55年訴訟における控訴人山﨑の供述には,それなりの信用性があると認められるものの,そのうちの被控訴人の宮本邸事件への関与に関する部分については,同訴訟の第1審判決(55年事件判決)が判示するとおり信用性がないとみるのが相当である。
 また,控訴人山﨑は,被控訴人は,昭和44年ごろから控訴人山﨑の下で専ら日本共産党に対する情報収集に当たり,公明党を仲立ちとして公安関係者と接触して日本共産党に対する情報収集に当たり,昭和47年ごろから昭和53年ごろまで控訴人山﨑の下で情報収集活動に従事していたのであって,このように宮本邸事件の前後に控訴人山﨑の下での情報収集活動に廣野及び竹岡とともに加わっていたことが明らかであるのに,宮本邸事件のみ被控訴人の関与がないとすることは余りに不自然であると主張する。しかし,控訴人山﨑の主張する上記の事実から,被控訴人の宮本邸事件への関与を推認することは早計にすぎ,飛躍があるというべきである。
 また,証拠(甲12の1,2,甲23,24,32,乙76の1ないし7)によれば,被控訴人は,その著作等において,控訴人山﨑をペテン師にして恐喝犯,事件屋,詐欺師,拝金主義者などと罵倒し,他方,控訴人山﨑もその著作において被控訴人から聞いたという同人の閨房での振る舞いを暴露するなど,控訴人山﨑と被控訴人との間には根深い感情的対立が存することがうかがわれる。
 以上の事実を総合して検討すると,控訴人山﨑の主張及び供述によれば,被控訴人が宮本邸事件において電話盗聴の対象の変更に有用な情報をもたらしたとの事実は控訴人山﨑が被控訴人から聞いた事実,ということになるのであり,控訴人山﨑が,宮本邸事件の控訴人山﨑らの関与が発覚してから間もない昭和56年12月に行われた55年訴訟における被告本人尋問(乙18)から創価学会に対する恐喝事件による有罪判決,服役,出獄を経た後の平成17年4月に出版された本件書籍に至るまでほぼ一貫してこの事実を述べていることに照らすと,この点についての控訴人山﨑の供述は自ら体験した事実を述べたものである可能性もないではないと考えられる。しかし,控訴人山﨑の供述以外に宮本邸事件への被控訴人の関与を裏付ける証拠がないこと,控訴人山﨑の主張によっても,宮本邸事件の経緯について昭和55年訴訟当時には極めて概略的な記憶しか残っていなかったが,その後当時の資料等を見るなどして記憶を喚起し,次第に克明な記憶を取り戻したときれていることなどをも考慮すると,本件において提出された証拠によって本件摘示事実の真実性が証明されたとするには足りないというべきである。」
(3)原判決31頁14行目冒頭から32頁7行目末尾までを次のとおり改め
る。
「これに対し,被控訴人(甲29,原審供述)はもとより,宮本邸への盗聴器取付け及び撤去の実行行為を行ったとされる廣野及び竹岡も55年訴訟における本人尋問(乙15の2,16)の際,被控訴人の盗聴器撤去への関与を否定している。また,被控訴人の宮本邸事件への関与を本人又は竹岡から聞いた旨が記載されている稲垣和雄及び古谷博の陳述書,上申書等(乙65,66)については、前記のとおり,証拠価値を認めることができない。
 以上のほか,宮本邸事件において,被控訴人が盗聴器の撤去の現場に立ち会ったことを裏付ける証拠は提出されていない。
 そして,55年訴訟における判決,殊に控訴審判決において廣野及び竹岡の供述の信用性が否定されていることをもって,被控訴人の宮本邸事件への関与を否定する廣野及び竹岡の供述の信用性を直ちに否定することは相当でないこと,被控訴人が創価学会の機関紙局の一員として日本共産党に関する資料収集をしたり,昭和47年以降控訴人山﨑の指揮の下で創価学会と対立する組織ないし個人に対する諜報活動に従事したことをもって直ちに被控訴人の宮本邸事件への関与を推認することはでき奪いこと,控訴人山﨑と被控訴人との間には根深も・感情的対立が存することがうかがわれることはいずれも前記認定のとおりである。
 これに加えて,被控訴人の盗聴器取付け又は撤去の実行行為についての関与に関する控訴人山﨑の供述内容が,昭和55年12月に出版された前著(甲4)においては盗聴器取付けの隣に立ち会ったとしているのに対し,昭和56年12月に行われた55年訴訟における被告本人尋問(乙18)及び平成17年4月に出版された本件書籍(甲1,乙1)においては盗聴器撤去の際
に立ち会ったとし,本件における陳述書(乙64の1,2)及び原審供述では盗聴器の取付け及び撤去の両方に被控訴人が立ち会ったとしており,その供述内容が変遷していることが認められる。
 以上の事実を総合して検討すると,控訴人山隠の主張及び供述によれば,被控訴人が宮本邸事件において盗聴器の撤去の際に現場付近で待機していたとの事実は,控訴人山﨑が直接の実行行為者である廣野及び竹岡から聞いた事実ということになるところ、控訴人山﨑が,昭和55年12月の前著の出版から創価学会に対する恐喝事件の有罪判決,服役,出獄を経た後の平成17年4月に出版された本件書籍に至るまで,前記のとおりの供述内容の変遷があるとはいうものの,被控訴人が宮本邸事件の実行行為にも関与した事実をほぼ一貫して述べていることに照らすと,この点について,控訴人山﨑の供述は自ら体験した事実を述べたものである可能性もないではないと考えられる。しかし,控訴人山﨑の供述以外に宮本邸事件への被控訴人の関与を裏付ける証拠がないこと,控訴人山﨑の主張によっても,宮本邸事件の経緯について昭和55年訴訟当時には極めて概略的な記憶しか残っていなかったが,その後当時の資料等を見るなどして記憶を喚起し,次第に克明な記憶を取戻したとされていることなども考慮すると,本件において提出された証拠によって本件摘示事実の真実性が証明されたとするには足りないというべきである。」
(4)原判決32頁8行目の「事件の中心者」を「事件の関係者」と,23行目の
「争点(3)を「争点(4)」,とそれぞれ改める。
(5)原判決133頁11行目の「しかし,上記認定の事実によって」を「そうすると,控訴人会社は,55年事件判決で被控訴人の宮本邸事件への関与が否定されたことを認識しながら,控訴人山﨑の上記説明について,その裏付け
となる客観的な証拠等を検討することなく,上記説明に全面的に依拠して本
件記述が真実であると信じて本件書籍の出版,刊行に至ったものであるから」
改める。
2 争点(5)及び(7)について
当裁判所も,被控訴人の本件書籍の発行・頒布・販売の差止め請求及び謝罪広告の請求ほいずれ理由がないものと判断する。その理由は,次のとおり訂正するほか,原判決の理由説示(「事実及び理由」第3の5及び7)のとおりであるから,これを引用する。
 原判決33頁16行目の「争点(4)」を争点(5)と,22行目の「本件書籍のごく一部分」を「全265頁に及ぶ本件書籍中の6か所にある記述であって,そのごく一部分」と,34頁11行目の「争点(6)」を「争点(7)」とそれぞれ改める。
3 争点(6)(損害)について
 本件記述が昭和45年に発生した宮本邸事件に関するものであり,事件発生から既に38年以上の期間が経過して歴史的な事件となり,同事件に対する社会的な関心も現在に至っては乏しいと考えられること,本件記述の表現方法がおおむね客観的な事実の記述という体裁をとっていて,被控訴人に対する個人攻撃的な要素がほとんどないこと,前記認定のとおり,宮本邸事件において総括責任者として盗聴を指揮指導したのは控訴人山﨑であり,その下で実行行為を中心になって行ったのは廣野及び竹岡であるところ,本件記述においては,被控訴人が宮本邸事件において果たした役割は、当初企図した日本共産党本部の電話盗聴が挫折した後,電話盗聴の対象を宮本邸に変更するについて有用な情報を提供したこと及び盗聴器の撤去の際に現場付近に待機していたことにすぎず,その役割はリーダー格である控訴人山﨑はもとよりサブリーダー格である廣野及び竹岡と比べても,補助者的なものにとどまっている。加えて,前記認定のとおり、本件書籍は,創価学会関係者による三つの事件を紹介して創価学会の活動の当否についての判断のための資料を提供することがその出版のねらいであり,もとより被控訴人の活動に焦点を当てたものではなく,被控訴人に関する本件記述は,全265頁に及ぶ本件書籍中の6か所にある記述にすぎず,また,本件書籍は,その発行部数が3000部であり,一般にはそれほど広く流通しているものではなく,再版の予定があることも認められないというものである。
 以上によれば,本件記述が被控訴人の名誉を毀損するとしても,それによる損害は比較的軽微で狭小なものにとどまるものと認めるのが相当である。また,証拠(甲2,乙2,53の9)及び弁論の全趣旨によれば,被控訴人は,昭和43年7月の参議院選挙において発生した創価学会関係者による集団替え玉投票事件により起訴され有罪判決を受けた者であること,被控訴人は宮本邸事件の後,昭和47年ごろから昭和53年ごろにかけて、控訴人山﨑の指揮の下で,創価学会と対立関係にあった妙信講,松本勝彌,妙本寺等に対する情報収集活動に従事しているところ,これらの活動は秘密裏に,不正,不当な手段を講じて相手方の情報を収集しようとしたものであって,宮本邸事件と基本的に同質な活動であること,以上の事実が認められるのであって,これらの被控訴人の宮本邸事件以後の活動歴に照らせば,本件記述による被控訴人の名誉毀損の程度は,前記のとおり,軽微で狭小なものにとどまるものと認めるのが相当である。
 以上の事実を総合して考慮すると,本件書籍及び本件記述により被控訴人が
受けた損害に対する慰謝料は20万円と認めるのが相当であり,弁護士費用は
2万円の限度で控訴人らの不法行為と相当因果関係のある損害であると認める
のが相当である。
4 以上によれば,被控訴人の控訴人らに対する本件請求は,控訴人らに対し,連帯して慰謝料20万円及び弁護士費用2万円の合計22万円並びにこれに対する不法行為の日である平成17年4月8日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり,その余はいずれも理由がない。
5 よって,被控訴人の請求は前記判示の限度でこれを認容し,その余は朱当であるから棄却し,これと異なる原判決を上記のとおり変更することとし,主文のとおり判決する。

東京高等裁判所第10民事部
裁判長裁判官 吉戒修一
裁判官    藤山雅行
裁判官    藤下 健

これは正本である。
平成20年12月25日
東京高等裁判所第10民事部
裁判所書記官 永井邦幸



 

谷川佳樹裁判判決文要旨

 投稿者:管理人  投稿日:2011年 2月11日(金)10時31分31秒
返信・引用
  4 争点(3)(損害額)について
(1)慰謝料 30万
   前記第3の1で認定した事実,本件記事の内容,その内容には真実と認め
  られる部分も相当あること等,本件に顕れた諸事情を総合考慮すれば,本件
  記事の掲載によって原告に生じた損害として,30万円を認めるのが相当で
  ある。
(2)弁護士費用 3万円
   事案の内容,損害の認容額など本件における諸事情を考慮し,被告らの不
  法行為と相当因果関係のある損害として,3万円の弁護士費用を認めるのが
  相当である。
5 争点(4)(原告の名誉を回復するのに適当な処分の要否)について
(1)原告は,本件記事により原告が名誉を毀損されたことに対し,これを回復
  するには,金銭の支払だけでは足りないとして,謝罪広告を命ずることを求
  める。
(2)たしかに,前記のとおり,本件記事により,原告らの社会的評価は相当程
  度低下したもみと認められるが,本件記事の内容及びその真実性の評価等か
  らして,その回復のためには,金銭の支払のみで十分というべきであり,そ
  れを超える内容の処分を命ずるまでの必要性は認められないというべきであ
  る。
   したがって,原告の主張は採用できない,
第4 結論
   以上によれば,原告の請求は,主文の限度で理由があるからこれを認容し,
  その余は理由がないので棄却することとし,主文のとおり判決する。


    東京地方裁判所民事第35部

         裁判長裁判官 浜     秀 樹
            裁判官 手 嶋 あ さ み
            裁判官 味 元 厚 二 郎





--------------------------------------------------------------------------------
 

谷川佳樹裁判判決文(全文)

 投稿者:信濃町ボーイ  投稿日:2011年 2月 8日(火)17時57分51秒
返信・引用
  > No.3316[元記事へ]

(別紙1)
謝罪広告
 私どもは,株式会社新潮社発行の「週刊新潮」平成20年5月22日号(同年5
月15日発売)誌上において,「特集『矢野絢也』を窮鼠にした『創価学会』の脅
迫と誹謗中傷」との見出しが付された記事において,貴殿が,公明党の元委員長で
あった矢野絢也氏に対して,「人命に関わるかもしれない」「あなたは息子がどうな
ってもいいのか」と述べ,同氏が文藝春秋に掲載した手記について謝罪し,評論活
動をやめなければ,同氏自身やその息子など家族の生命に危害を加えると脅迫する
という,暴力団まがいの脅迫行為,犯罪行為を行ったとの記事を掲載しました。
 しかしながら,これら記載は全くの虚偽であり,貴殿の名誉を著しく毀損するも
のであります。
 よって,私どもは,貴殿の名誉を著しく毀損したことに対し,謹んで陳謝の意を
表しますとともに,今後二度とこのような誤りを犯さないことを誓約します。

平成  年  月  日
            株式会社新潮社
            代表取締役      佐藤隆信
            「週刊新潮」編集長  早川 清

谷川佳樹殿



(別紙2)
掲載条件―朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞,目本経済新聞
① 広告全体の大きさ
  縦3段抜き,横19センチメートル
② 活字の大きさ
 a 表題「謝罪広告」 5倍明朝体活字
 b 本文       2倍明朝体活字
 c 氏名・宛名    3倍明朝体活字

別紙1,別紙4の年月日欄は,判決確定の日付を記載すること



(別紙3)
掲載の条件―「週刊新潮」
① 掲載面 白黒頁
② 広告全体の大きさ 1頁の横2分の1
③ 活字の大きさ
 a 表題「謝罪広告」 62級明朝体活字
 b 本文       20級明朝体活字
 c 氏名・宛名    24級明朝体活字

別紙1,別紙4の年月日欄は,判決確定の日付附を記載すること




(別紙4)
謝罪広告
 私矢野絢也は,株式会社新潮社発行の「週刊新潮」平成20年5月22日号(同
年5月15目発売)誌上において,「特集『矢野絢也』を窮鼠にした『創価学会』
の脅迫と誹謗中傷」との見出しが付された記事について,同誌記者に虚偽の情報を
提供し,貴殿が,私に対して,「人命に関わるかもしれない」「あなたは息子がどう
なってもいいのか」と述べて,私が文藝春秋に掲載した手記について謝罪し,評論
活動をやめなければ,私自身や私の息子など家族の生命に危害を加えると脅迫する
という,暴力団まがいの脅迫行為,犯罪行為を行ったとの記事を掲載させました。
 しかしながら,これら記載は全くの虚偽であり,貴殿の名誉を著しく毀損するも
のであります。
 私は,貴殿の名誉を著しく毀損したことに対し,謹んで陳謝の意を表しますとと
もに,今後二度とこのような誤りを犯さないことを誓約します。
平成 年 月 日
                         矢野絢也
谷川佳樹殿



これは正本である。
平成23年1月20日
東京地方裁判所民事第35部
裁判所書記官 櫻井博三
 

谷川佳樹裁判判決文(全文)

 投稿者:信濃町ボーイ  投稿日:2011年 2月 8日(火)17時56分6秒
返信・引用
  2 争点(1)(名誉毀損性の有無)について
(1)雑誌の記事あるいは広告によって人の名誉を毀損したことになるか否かを
  判断するに当たっては,その記事等の意味内容が人の社会的評価を低下させ
  るものであるかどうかにつき,当該記事全体の趣旨,目的等の諸般の事情を
  総合的に斟酌した上で,当該記事等についての一般の読者の普通の注意と読
  み方を基準として判断すべきである。
   ところで,雑誌の記事中の名誉毀損の成否が問題となっている部分につい
  て,当該部分が特定の具体的事実の存在を述べる第三者の伝聞内容を紹介,
  引用する形式を採用している場合にあっても,引用事実に対する修辞上の誇
  張ないし強調の有無・程度,引用事実部分の前後の文脈,記事の公表当時に
  一般の読者が有していた知識ないし経験,引用事実部分に対する筆者自身の
  論評の表現方法等を考慮し,当該記事についての一般の読者の普通の注意と
  読み方を基準として判断すると,筆者自身が間接的ないしえん曲に引用事実
  の存在そのものを主張するものと理解されるならば,当該記事は,引用事実
  そのものについて事実を摘示したものと見るのが相当である(最高裁判所平
  成9年9月9日第三小法廷判決・民集51巻8号3804頁参照)。
  そこで,上記基準に従って,本件記事によって原告の名誉を毀損したか否
  かについて,検討することとする,
(2)前記前提となる事実及び証拠(甲1)によれば,本件記事は,被告矢野が
  創価学会員らから脅迫を受けたこと及び被告矢野が創価学会員らから脅迫さ
  れ謝罪と評論活動をやめることを約束させられたこと等につき,被告矢野ら
  への取材等を通して,主に,別件訴訟の訴状や被告矢野のコメントなどを紹
  介・引用し,被告新潮社が,論評を加えるという形式で構成された記事であ
  るといえる。
   そして,本件記述1は,原告が被告矢野に対し,「人命に関わるかもしれな
  い」,「息子がどうなってもいいのか」という趣旨の発言をして,被告矢野を
  脅迫した事実を,本件記述2は,被告矢野が,「息子がどうなってもいいのか」
  などと脅迫され,家族にまで危害が及ぶ恐怖を感じた事実,文藝春秋に書い
  た本件手記についての謝罪と,今後,評論活動は行わないと約束させられた
  事実を摘示している。
   たしかに,本件記述1の直前には,「学会青年部の幹部らによって矢野氏が
  吊し上げられた様子は,訴状にこう記されている」と記載されていることか
  らすると,被告新潮社及び被告早川は,別件訴訟の訴状を引用する形で原告
  らが被告矢野を脅迫した事実を摘示しており,本件記述2も被告矢野の発言
  を引用する形で記載され,直接的に原告らが被告矢野を脅迫したとの事実や
  被告矢野が謝罪と評論活動はしないとの約束をさせられたとの事実を記載し
  ているわけではない。
   しかし,本件記事の本件見出し部分には,「『矢野絢也』を窮鼠にした『創
  価学会』の脅迫と誹謗中傷」と大きな活字で記載され,被告矢野が創価学会
  から脅迫を受けたことを強調する表現方法を採用していること,本件記事の
  小見出し部分には,「『土下座しろ」『息子がどうなってもいいのか」-創価学
  会から脅迫と誹謗中傷を受けていたという元公明党委員長の矢野絢也氏(7
  6)。執拗な威迫による苦痛は限界を超え,身体の危険を感じて学会と訣別。
  窮鼠と化した矢野氏はついに,損害賠償を求めて提訴した。」と記載され,被
  告矢野から聞き取った原告らの発言の一部を取り上げ,被告矢野が原告ら創
  価学会員から脅迫を受けたという事実の存在を読者に強く印象付ける表現方
  法がとられていること,本件記事の大部分は,被告矢野のコメント及び別件
  訴訟の訴状の引用で占められ,その内容も創価学会員が被告矢野らを脅迫し
  たり,品性下劣な言葉で誹謗中傷をしているというもので,創価学会側の言
  い分は,本文中わずか「訴状が届いていないので,コメントできません」と
  の2行にすぎないこと,本件記事の最終行は,「追い詰めた猫が,手ひどく噛
  まれる日も近いのである」と締めくぐられ,被告矢野の発言内容が真実であ
  ることを前提とし,本件記事全体として,原告ら創価学会側を批判するよう
  な内容になっていること等に照らすと,本件各記述は,一般読者からすれば,
  筆者である被告新潮社ら自身が間接的に引用事実の存在そのものを主張して
  いるものと理解されるのが通常であり,被告矢野は原告らに脅迫され,謝罪
  や評論活動をやめさせられたことを摘示するものといわざるを得ない。
   そして,本件各記述は,本件週刊誌の発行により,一般読者の知り得る状
  態に置かれ,一般読者に対して,被告矢野は,原告らによって脅迫され,謝
  罪と評論活動はしないということを約束させられたのではないかという印象
  を与えるものであって,これにより,原告の社会的評価を相当程度低下させ
  たというべきである。
(3)なお,被告らは,本件記事は,紛争報道と言われるもので,紛争状態にあ
  る一方当事者の主張を記述しただけで,名誉毀損となるというのであれば,
  一切の紛争報道はできなくなる等と主張する。
   たしかに,社会に存する様々な紛争を一般の読者に伝えることは,民主主
  義社会において,重要なことであることは間違いない。しかし,一般の読者
  が紛争を的確に理解し判断するためには,紛争当事者の双方の言い分等につ
  いて,一正確かつ十分な情報が提供されることが前提であり,当事者の一方の
  みに偏った情報を報道するだけでは,民主主義社会において,尊重されるべ
  き紛争報道であるとはいえないというべきである。
   これを本件についてみると,前述したとおり,本件記事は,被告矢野のコ
  メントを中心として構成されており,紛争の他方当事者である創価学会側の
  主張についてはほとんど触れられていないのであって,公正中立性を維持し
  ているとはいえないのであるから,本件記事が公正中立的な紛争報道に当た
  ることを前提とする被告らの主張は理由がない。
3 争点(2)(本件記事の真実性の有無)について
(1)民事上の不法行為である名誉毀損については,その行為が公共の利害に関
  する事実に係り,その目的が専ら公益を図るものである場合において,摘示
  された事実がその重要な部分において真実であることの証明があるときは,
  不法行為は成立しないと解される(最高裁判所平成15年3月14日第二小
  法廷判決・民集57巻3号229頁,同裁判所昭和41年6月23日第一小
  法廷判決・民集20巻5号1118頁参照)。
(2)本件記事は,被告矢野が,創価学会から誹謗中傷を繰り返し受けたことな
  どに対し,創価学会らを相手取り,損害賠償請求訴訟を提起したという事実
  を中心に,その誹謗中傷の具体的内容等を認識しているものであり,公明党
  の元委員長である被告矢野と,公明党の支持団体であり,巨大かつ著名な宗
  教団体である創価学会との間の紛争について,社会に対し,広くその実態や
  問題点を提起するという目的で掲載されたものと認められるから,公共の利
  害に関する事実について,專ら公益を図る目的で掲載されたものと認めるこ
  とができる。
(3)そこで,本件記事において摘示された事実が,その重要な部分において真
  実であることの証明があるか否か(真実性)について,以下,検討する。
   なお,前述したとおり,本件記事は,いわゆる紛争報道とは認められない
  ので,不法行為の成立が否定されるためには,報道された紛争当事者の発言
  の存在そのものについての真実性が立証されるだけでは足りず,その発言内
  容等摘示された事実について真実性が立証される必要があると解すべきであ
  る。
(4)本件記述1について
 ア 本件記述1では,原告が「人命に関わるかもしれない」,「息子さんは外
  国で立派な活動をしている。あなたは息子がどうなってもいいのか」とい
  う趣旨のことを言って被告矢野を脅迫した旨記載されている。
 イ 前記1(2)ウ(オ),(カ)のとおり,本件面談において,原告は,被
  告矢野に対し,創価学会の敵であると思っていた時期があり,その疑念は今
  でもある旨述べた上で(480項),またどこかに書くのではないか尋ねると
  ,被告矢野は,絶対に書かない旨述べたので,さらに,本件手記のようなもの
  は絶対書かないか再度確認したところ,被告矢野は,書かないと述べた(4
  85項)。
   しかし,その後,原告は,「で,一方,本当に矢野さんが,学会員として
  一緒にやっていきたいというお気持ちをお持ちであれば,息子さんも頑張
  っておられるし,」(486項)と述べ,森井が,「伸ちゃん,同級生です。」
  (487項)などと述べ,被告矢野が,「息子も,まあ,息子の嫁もね,私
  の家内も,まあ,私は,あー,私のね,こういう問題のために,可哀想な
  ことしていると。これは本当にそう思ってます。・・・まあーつ,僕は,あ
  ー,皆さん方にどう言われてもいいですけども,まあ僕は,ね。その連中
  だけは,一つ。」(490項)と述べたところ,杉山が,「だからこそ,やは
  り,そのー矢野さんがきちっと決着つけて。」(492項〉と述べたのに続
  けて,原告は,「ただですね,やっぱりこれは,奥様も息子さんも,矢野さ
  んの奥さんであり,矢野さんの,息子さんなんですよ。」(493項),「です
  から,矢野さんがどうされるかってことで,それは,みんな,これはもう,
  避けられないですよ,これは。」(495項)などと述べた。
   その後,原告は,「まあ,今日ごく一部紹介させていただきましたけども,
  現実にはこの5月9日の時点の,関西青年部,明日は青年部総会なんです
  が。これだけの怒りが渦巻いてる中で,関西青年部長がですね,一人で会
  ってお前,何してきたんだと,いうことに,まあ,なるわけで。」(568
  項)と述べ,森井は,「もう,こういう声もありました。明日,あの関西青
  年部総会,やるんですけどね。関西青年部総会の会場に来て謝罪せよと,
  もっとひどいメンバーは土下座しろと。そうしないと,言葉だけだと信用
  しないと,これがみんなの,おー,おお,大きい声なんですよ。また誰も
  が思ってるんです。」(569項),「いや,でも本当にね,矢野さん,言っ
  たとおりされないと,僕は,伸ちゃんかわいそうです。子どももかわいそ
  う。僕ら関西青年部,当時みんなどう思っているかっていうのはやっぱり,
  この時は反逆者だったと,思ってるわけです。」(587項)と述べ,さら
  に,原告は,「まっ,現実のところですね,あのー,ま,全国青年部長,男
  子部長ですが。まあ,その立場で,お語をしに来ること自体が,まあ,あ
  る意味じゃ危険ていうかですね。あのー,東京の,男子部は,もう除名し
  ろっていうふうに,言ってるメンバーが数多くいまして。」(588項)な
  どと発言している。
 ウ 上記によれば,原告の被告矢野に対する「あなたは息子がどうなっても
  いいのか」という発言自体を認めるに足りる証拠は存在しない。
   しかし,前記のとおり,原告は,本件手記のようなものを絶対に書かな
  いことを被告矢野に確認した直後,突然,「息子さんも頑強っておられる」
  といって被告矢野の息子の話を持ち出し,被告矢野は,「その連中だけは,
  一つ」と述べている。原告がどのような意図で,突然,被告矢野の息子の
  話を持ち出したのかは,原告の供述によっても判然としないが,当時73
  歳である被告矢野が,海外からの帰国直後に,30代から40代の原告ら
  5人の創価学会員に囲まれ,本件手記について,逐一問い質され,本件手
  記のようなものは絶対に書かない旨述べさせられたなどの状況下であるこ
  となども考慮すれば,突然,このような話を持ち出されれば,被告矢野の
  対応次第では,息子ら家族に何らかの影響が及ぶ事態となると受け取るこ
  とは,ごく自然であり,被告矢野は,「その連中だけは,一つ」と述べてい
  ることからしても,原告らの発言から,被告矢野は,原告らの要求に従わ
  ないと,家族に何らかの危害が及ぶ恐怖を感じたことが推認される。
   さらに,被告矢野が「その連中だけは,一つ」と述べた後も,原告は,「た
  だですね,やっぱりこれは,奥様も息子さんも,矢野さんの奥さんであり,
  矢野さんの,息子さんなんですよ。」,「ですから,矢野さんがどうされるかっ
  てことで,それは,みんな,これはもう,避けられないですよ,これは。」
  などと述べており,これら発言の意図は原告の供述等からも必ずしも明ら
  かではないが,客観的には,被告矢野の家族がどうなるかは被告矢野の行
  動次第であるといった,被告矢野の不安・心配を煽るような発言であると
  いわざるを得ない。
   そうすると,原告らの発言から,被告矢野が,息子ら家族に危害が及ぶ
  恐怖を感じたことが認められ,原告が「あなたは,息子がどうなってもいい
  のか」といった趣旨のことを言って被告矢野を脅迫したという点は,真実
  であると認められる。
 エ また,被告らは,原告が「人命に関わるかもしれない」との発言をした
  と主張し,被告矢野は,それに沿う供述をしている,
   しかし,本件面談を録音したテープ(甲92の1,92の2)には,そ
  のような発言は確認できず,また,被告矢野も,どのような文脈でそのよ
  うな発言がなされたかについては,正確に答えることはできないと供述し
  ている。
   たしかに,被告矢野の手帳(乙1)には,「人命にもかかわるのもしれず」
  との記載がみられるものの,上記録音テープ等に照らしても,そのような
  発言自身が存在したことを認めるに足りる証拠とはいえず,前述のとおり,
  被告矢野が,突然,息子の話を持ち出されたことから,家族に危害が及ぶ
  恐怖を感じ,その被告矢野自身の受け止め方や不安を記載した可能性など
  も十分に考えられ,この手帳の記載をもって,原告が「人命に関わるかも
  しれない」と言って,被告矢野を脅迫したと認めることはできない。
 オ 以上のとおり,本件記述1については,原告が「息子がどうなってもい
  いのか」といった趣旨のことを言って,被告矢野を脅迫したとの事実につ
  いては,真実であると認められるけれども,原告が「人命に関わるかもし
  れない」と脅迫したとの点は,真実であることの証明がなされているとは
  いえず,本件記述1を全体としてみた場合,一般の読者の普通の注意と読
  み方を基準とすると,「人命に関わるかもしれない」との発言が,殺人さえ
  も想起しかねない印象的な表現であり,この点について真実であることの
  証明がないことからすれば,全体としては,摘示事実の重要な部分におい
  て,真実であるとの証明がなされているとまではいえない。
(5)本件記述2について
 ア 本件記述2では,被告矢野が,「息子がどうなってもいいのか」などとい
  う趣旨のことを言われ,家族にまで危害が及ぶ恐怖を感じたこと,それに
  より,本件手記についての謝罪と,今後,評論活動は一切しないとの約束
  をさせられたこと等が記載されている。
 イ 前述したとおり,被告矢野が,「息子がどうなってもいいのか」などとい
  った趣旨のことを言われ,家族にまで危害が及ぶ恐怖を感じたとの点は,
  真実であると認められる。
 ウ 本件手記について謝罪させられたとの点について,検討する。
 (ア)本件面談では,前記1(2)ウのとおり,被告矢野は,本件手記の内容に
  ついて,間違いであったと認める発言を何度か行っている。
   しかし,本件面談の機会を設けるに至ったのは,前記1(1)工及びオの
  とおり,被告矢野が,本件手記について,西口らに謝罪し,池田会長あ
  ての謝罪文を提出し,前記1(1)キのとおり,平成17年4月28日付け
  聖教新聞には,「公明党元委員長の矢野氏が謝罪『文藝春秋』(93,
  94年)掲載の手記をめぐって矢野氏“私の間違いでした”“当時は
  心理的におかしかった”と題する見出しの記事が掲載されたにもかかわ
  らず,被告矢野が海外旅行に出掛けたことから,同年5月9日付けの聖
  教新聞には,「公明党矢野元委員長が海外!?行動で示せ!口先だけの
  「謝罪」は要らぬ」と題する見出しの記事が掲載され,創価学会側,特
  に,青年部は,被告矢野が本件手記について謝罪したにもかかわらず,
  夫婦で海外旅行に出掛けたことに納得できず,原告らは,被告矢野と直
  接面談することとなったものである。そして,原告ちは,被告矢野の真
  意を確認し,訥罪させる内容を検討して,あらかじめ本件謝罪文を準備
  して,本件面談に臨んでいる。
   そして,本件面談の経緯をみても,被告矢野は,お詫びの言葉を何度
  か口にしている。しかし,原告が,「「文藝春秋」の手記についてですね。
  あの「大変な騒ぎになり・・・政教一致と受けと,とられても致し方
  ない面があるということについては,これは間違いだったということで
  お詫びをされていると。あのー,本来はそういう趣旨で書く,つもりは
  なかったんだけれども,あのー,編集部の方で,えー,そうなっていた
  と,いうことで,これは聞違いだったんだというふうに話しておられる
  ということなんですが。これは,そういうことなんでしょうか。」(39
  項)と尋ねたところ,被告矢野は,「校正の段階で,えー,最初の校正で
  も,そうなっておったんですが,最終稿で抜けておった。ですから,私
  の不注意です。」(42項)などと,校正上の手違いを詫びるなどの応答
  であったのに対し,原告は,「それから,ま,関西長にもお詫びされたこ
  とがある。けれども私たちは,あの時期に,週刊,あ,月刊「文藝春秋」
  にこの手記を出したこと自体どうなんだと。利敵行為であり,いー,同
  志を裏切る,先生を貶める,広宣流布に弓を引く,そういう行為じゃな
  いかと思ってるわけです。」(318項),「そのことについて,矢野さん
  は今はどう思われてるのか。「数ヵ所の,不注意な」ということなのかと,
  ということです。」(320項),「それが,「数ヵ所の不注意な」,その程
  度の話ですか。」(386項),「足らんと言われればじゃなくて,どう思
  われるんですか。足りていると思われているんですか。」(388項),「だ
  から,なん,何回も謝っておられると言われる,その,あや,謝罪,謝
  りが,本当に謝ってるのか,っていうふうになっちゃうんですよ。」(4
  03項)などと,被告矢野が,間違いを認め,お詫びの言葉を述べてい
  るにもかかわらず,それでは十分ではないとし,また,「数ヵ所の不注意」
  の問題ではなく,そもそも本件手記を出したこと自体が間違いであった
  として,長時間にわたって,繰り返し,被告矢野に謝罪を求めているこ
  とが認められる。
 (イ)このように,そもそも本件面談の目的は,本件手記について,同年4
  月に被告矢野にさせた,西口らへの謝罪や,池田大作会長あての謝罪文
  の提出では足りず,被告矢野に直接面談して,本件手記について,問い
  質し,謝罪させ,本件謝罪文に署名をさせることであったというべきで
  あり,実際の面談も,前記1(2)ウのとおり,本件手記の内容や,本件手
  記を出したこと自体が間違いであったことなどを繰り返し被告矢野に言
  わせるなど,あらかじめ用意した本件謝罪文の内容どおりに被告矢野に
  言わせる形で進められたと認められるのであって,これらの事実からす
  れば,被告矢野が自ら任意に本件手記について謝罪したというよりも,
  被告矢野は,原告ら創価学会側の意図するとおりに謝罪させられ,その
  旨の謝罪文に署名ざせられたと受け取っており,また,そのように客観
  的に評価することができるというべきであり,本件手記について謝罪を
    させられたとの点は,真実であると認められる。
 エ 次に,今後,評論活動は一切しないとの約束をさせられたとの点につい
  て検討する。
(ア)前記1(2)ウ(オ)のとおり,森井が,「だけど,あのとき矢野さんがおっし
  ゃったのは,「私も,最後議員引退したら,必ず地元に帰って皆さんとと
  もに戦います。」と,そうおっしゃった。その言葉を信じて,皆頑張った
  わけです,あの時。だけども,引退したあと,音沙汰も全くない。…」(3
  62項)と述べたのに続けて,原告は,「私もこれ,あのー,ちょっと読
  ましてもらったんですけれども。あのー,みんな覚えてます,矢野さん
  が,「私も議員をやめたら,皆さん,同志の皆さんと一緒になって戦いま
  す」と,切々と訴えられた。覚えてます。矢野さん覚えておられますか。」
  (363項),「実現してませんね。」(365項)と言ったのに対し,被
  告矢野は,「私は,これ,ちょっと生意気な言い方になって。お許しいた
  だきたいんです。まあ,十分,大阪へ帰って,皆さんと共に戦う。そう
  いう気持ちも,今だってありますよ。」(366項)と言いながらも,「そ
  のかわし私は,まあ本当に生意気な言い方で勘弁してほしいんですけど
  ね。これでも根性はあるつもりですし。もし仮に,私が世間から見て,
  多少なりとも客観性のあることをいう人間だと,もしもですよ。そうい
  う評価がもし,自分のカでできるものであるならば,私は,そっちの道
  を選ぼう。」(368項)と述べ,原告らが,被告矢野に対し,大阪に帰
  って地元の者と一緒に戦うことを求めたのに対し,評論活動の道を選ぶ
  旨応答しており,被告矢野は,本件面談の当初は,評論活動を継続する
  意思であったことがうかがわれる。
   それに対し,本件面談において,前記1(2)ウ(イ),(オ)のとおり,原告は,
  「この手記が,どれほど学会員苦しめたか。先生の喚問,当時の政教一
  致批判。えー,あの,関西の男子部が,まあ,怒っているのはですね,
  えー,「一生懸命支援活動に行くと。と,矢野っていう評論家が,学会と
  公明党の関係について何か言っていると。友人は,「あの人,元委員長だ
  ろうと公明党の,どうなってんだよ」と言われる。それを,私たちは一
  生懸命,説得しましたと。なんで味方のはずの人が足を引っ張るんです
  か。なんで敵に塩を送るようなことをするんですか。この悔しさは言い
  ようがありません,と。何者なんだと,あれは」と。」(298項)と述
  べて,関西男子部の被告矢野に対する怒りの声を紹介し,杉山は,被告
  矢野が「要するに,あらゆるところで評論活動をしながら,結局,いろ
  んな形で,その,元公明党の委員長でありながら,公明党のことを批判
  してる。」(307項)と指摘し,森井は,(青年部の)「「声」の中で一番
  多いのが,その矢野さんが評論活動していることそのものが,公明党の
  元委員長でありながら,第三者的な評論の,かつ,繰り返していると。」
  (372項)などと述べて,被告矢野が評論活動をしていることについ
  て,創価学会員らは,好ましく思っていない旨を述べ,原告は,青年部
  の声として,被告矢野が創価学会批判とも取れる発言をしていることに
  ついて,本当に創価学会員なのかという感想を持っていたり,政治評論
  家を名乗っているのだから笑わせるなどといった意見などがあることを
  紹介した上で(437項),原告は,「これが,会員が求めている声なん
  ですよ。矢野さんが,自分のできることをやっていく,評論家としてや
  っていくというふうにお考えかもしれませんけども,それを望んでない
  んです」(439項)と述べ,これを受けて,被告矢野は,「やめましょ
  う」(440項)と応答して,評論活動をやめる旨の発言をした。
   しかし,その後,森井が,「一切?」と尋ねたところ,被告矢野は,「ま
  あ,一切になるかどうかはね,それはー,あー,少なくとも,おー,お
  ー,いろんな週刊雑誌等の取材は,断ります。・・・急にここで一切何も
  かもやめたら,また妙な,ことになりますから。段々,もうそれこそ,
  急,急速ですけども,明日から一つも出るなよ,という意,意味で言っ
  てるわけではありません。しかし,やめます。」(446項)と,一切の
  評論活動を直ちにやめることについては明言を避けた。
   その後,弓谷が,「やめますと言ったと,そういうふうに青年部に伝え
  ていいですね。」(453項)と尋ねると,被告矢野は,「そうですねー,
  その」(454項)といった受け応えなので,弓谷は,「それは,約束し
  たら,約束したら。」(455項)と述べたが,被告矢野は,「しかしそう
  いう,そういう言う方をされると,かえってまずいんじゃないんでしょ
  うか。私は言ってもらって結構ですよ。」(456項)などと答えていた
  ところ,弓谷は,「そう決めて,そう決めて評論活動やめたんだと,そう
  はっきり言ってもらいたい。」(465項)と詰め寄ったので,被告矢野
  は,「結構です。言って下さい。」(466項)と応えたが,弓谷は,「い
  や,言って下さいじゃなくて,矢野さんとこに取材が来たら,矢野さん
  自身がそうはっきりおっしゃっていただきたいんです。」(467項)と
  述べ,被告矢野は,「言う,言う,皆さん方が言えば,私が言ったことは,
  もう天下周知になりますから,僕のとこにくるでしょうがー,そら,そ
  んなこと否定しませんよ。そう言いましたよと言いますよ。」(468
  項),「これも,まあ,まあ,自然な言い方は,俺も歳だからな,と言っ
  ておけばいいわけですよ,それはね。ね,そう,世間的にはね。」(47
  4項)と述べたところ,弓谷は,「いやいや,憶測をね,増,増幅させる
  ような,そういう中途半端なお答えは,やめてもらいたいんです。私た
  ちが言ってる,評論活動をやめるというのは,そういう次元の話じゃな
  いんです。」(475項)と反論したが,被告矢野は,評論活動をやめる
  ことを自らから積極的に公表することについても,明言を避け続けた。
   そして,前記1(2)ウ(オ),(カ)のとおり,原告は,「僕は,あのー,当時,
  男子部長から青年部長,なりましたけども。・・・その時に矢野さんがい
  た位置は,・・・明らかに敵だと,学会を売った,というふうに思ってた
  時期があるわけです。・・・だけども,あのー番大変な時に,あの手記を
  出した。敵に塩を送った,ていうか,むしろ,敵の一番ど真ん中にいる
  ような,材料を出した。ということについての疑念てのがあるわけです
  よ,いまだに。」(480項)と述べ,「ですから,こうやってお話しても,
  またどっかに書くんじゃないかとか。」(482項)と述べ,「絶対書かな
  いですね。」(484項)と詰め寄り,被告矢野に,「書かないです。」(4
  85項)と約束を取り付けた後,話は,被告矢野の妻や息子夫婦のこと
  に及んだ。
   その後,原告は,「この手記が,まあ,一つ大きな喉に刺さったトゲ,
  になってます。で,まあ,矢野さんは,ま,書いてしまったものだから
  仕方がないという言い方をされますが。いずれにしても,これがまあ最
  大の問題。で,これを,書いたこと自体間違いだという思いを持ってい
  るんだということを,やっぱり伝えない限りですね,これはもう,前へ
  進まないと思います。」(599項)と述べた後,あらかじめ準備してい
  た本件謝罪文に被告矢野に署名させることとした。そして,本件謝罪文
  には,「一,関西とのお約束は必ず果たします。」と項目が記載されてい
  た(甲50)。
(イ)以上のとおり,原告らから,被告矢野に対し,評論活動をやめること
  を求める直接的な言辞は認められないけれども,原告らは,被告矢野が
  評論活動をしていることについて,味方のはずの人が足を引っ張る行為
  であるとか,敵に塩を送る行為であるとかの青年部の意見を伝え,青年
  部で一番多い声が評論活動をしていることが望ましくないということで
  あるとか,創価学会員は,被告矢野が評論活動をすることを望んでいな
  いなどと,被告矢野に対し,創価学会員は,被告矢野が評論活動をして
  いることを好ましく,思っていない旨の発言を繰り返し,被告矢野が評論
  活動をやめると言い出した後は,それを青年部に伝えてよいかと確認し
  たり,一切の評論活動を直ちにやめるかどうかを確認し,被告矢野自ら
  積極的にその意思を表明することを求めるなどしており,また,あらか
  じめ準備していた本件謝罪文には,「関西との約束は必ず果たす」旨の項
  目が記載されていたこと,被告矢野は,本件面談の当初は,評論活動を
  やめる意思がなかったことも併せ考えると,原告らは,被告矢野に対し,
  評論活動をやめることを強く求める青年部の動向等を利用しながら,被
  告矢野に対し,同被告が原告らの求めに応じるまで,事実上面談を打ち
  切らない様相で,評論活動をやめることを迫らたものと認められ,また,
  被告矢野自身も,そのように受け取ったものと認められる。
(ウ)そうすると,本件面談における被告矢野の対応には,やや迎合的とも
  取られる言動が見受けられるけれども,本件面談が行われた場所,原告
  側関係者の人数,被告矢野の年齢,同被告は海外旅行から帰国後面談場
  所に直行することを余儀なくされたものであること,本件面談前には,
  被告矢野が評論活動をやめることを考えていたとは認められないことな
  どを併せ考えると,被告矢野が評論活動をやめると述べたのは,原告ら
  から評論活動をしていることが好ましくない旨の発言を繰り返され,評
  論活動をやめることを迫られたことによると認めるのが相当であり,し
  たがって,今後,評論活動は一切しないとの約束をさせられたとの点は,
  真実であると認めることができるというべきである。
 オ なお,本件記述2では,息子がどうなってもいいのかと脅迫され,家族
  にまで危害が及ぶ恐怖を感じ,それで,謝罪と評論活動を一切しないとい
  う約束をさせられたという構成になっている。
   そして,前記1(2)ウ(オ)のとおり,本件面談において,被告矢野の息子に
  関する話(486項)が出たのは,被告矢野が評論活動をやめるという発
  言(440項)をした後であり,論理的には,息子がどうなってもいいの
  かと脅迫されたから評論活動をやめると約束させられたという筋道は成り
  立たないようにも思える。
   しかし,被告矢野は,原告から,「これが,会員が求めている声なんです
  よ。矢野さんが,自分のできることをやっていく,評論家としてやってい
  くというふうにお考えかもしれませんけども,それを望んでないんです」
  (439項)と迫られ,「やめましょう。」(440項)と応えたものの,前
  記のとおり,その後,一切の評論活動を直ちにやめることは約束せず(4
  46項),また,評論活動をやめることを自ら積極的に公表することについ
  ても明言を避けるような応答(468,474項等)に終始していた中で,
  話は,被告矢野の妻や息子夫婦のことに及び(486項等),原告は,「や
  っぱりこれは,奥様も息子さんも,矢野さんの奥さんであり,矢野さんの
  息子さんなんですよ。」(493項),「ですから,矢野さんがどうされるか
  ってことで,それは,みんな,これはもう,避けられないですよ,これは。」
  (495項)などと被告矢野に迫っているのであり,被告矢野は,原告ら
  の意向に応じながらも,やや曖昧な形で終始しようとしていたところ,原
  告らは,被告矢野の妻や息子らのことに話を及ばせながら,被告矢野に対
  し,明確な意思表示や態度決定を迫ったものであり,被告矢野は,これを
  拒否することができず,曖昧な形にとどまることが許されず,原告らの意
  向に従わざるを得なくなり,また,本件謝罪文に署名せざるを得なかった
  ものと認められる。このように,曖昧な形で終始しようとしていた被告矢
  野は,家族に何らかの危害が及ぶ恐怖を感じて,評論活動をやめると最終
  的に確約することを余儀なくされたと評価することができる。
   また,本件記述2の掲示事実の重要な部分は,被告矢野が息子がどうな
  ってもいいのかと脅迫されたから,評論活動をやめると約束させられたと
  いう前後関係そのものにあるのではなく,本件面談における原告らの一連
  の言動の内容や,被告矢野が謝罪や評論活動をやめることを余儀なくされ
  たという事実にあるというべきであり,厳密に本件記述2における文脈上
  の細かな前後関係が異なるからといって,記述の真実性が否定されるとい
  うものではなく,本件記述2においては,前述したとおり,その摘示事実
  の重要な部分において,真実であると認めることができるというべきであ
  る。
(6)以上のとおり,本件記述2については,真実性の証明がされていると認め
  られるが,本件記述1については,真実性の証明がされているとは認められ
  ない。
(7)よって,被告新潮社及び編集人である被告早川は,原告の名誉を毀損した
  点について,不法行為責任を負うというべきである。
   なお,被告新潮社の取材に応じて情報を提供した被告矢野は,被告矢野の
  本件記事における発言部分や創価学会らに対する訴訟の提起などの事実から
  すると,報道機関を通じて,原告ら創価学会の問題性を訴えようとしていた
  ものと認めるのが相当であり,本件記事の内容も被告矢野の意図に沿うもの
  となり,被告新潮社が創価学会に対して批判的な論調の記事を掲載すること
  となることをあらかじめ予期していたものと認められる。そうすると,被告
  矢野は,本件記事の掲載につき,その内容及び結果を認識した上で,被告新
  潮社の取材に対し,本件記事にあるような発言等を行い,意図してこれに加
  担したと評価すべきであるから,被告新潮社及び被告早川とともに,原告に
  対する名誉毀損につき,共同不法行為の責任を負うというべきである。
4 争点(3)(損害額)について
(1)慰謝料 30万
   前記第3の1で認定した事実,本件記事の内容,その内容には真実と認め
  られる部分も相当あること等,本件に顕れた諸事情を総合考慮すれば,本件
  記事の掲載によって原告に生じた損害として,30万円を認めるのが相当で
  ある。
(2)弁護士費用 3万円
   事案の内容,損害の認容額など本件における諸事情を考慮し,被告らの不
  法行為と相当因果関係のある損害として,3万円の弁護士費用を認めるのが
  相当である。
5 争点(4)(原告の名誉を回復するのに適当な処分の要否)について
(1)原告は,本件記事により原告が名誉を毀損されたことに対し,これを回復
  するには,金銭の支払だけでは足りないとして,謝罪広告を命ずることを求
  める。
(2)たしかに,前記のとおり,本件記事により,原告らの社会的評価は相当程
  度低下したもみと認められるが,本件記事の内容及びその真実性の評価等か
  らして,その回復のためには,金銭の支払のみで十分というべきであり,そ
  れを超える内容の処分を命ずるまでの必要性は認められないというべきであ
  る。
   したがって,原告の主張は採用できない,
第4 結論
   以上によれば,原告の請求は,主文の限度で理由があるからこれを認容し,
  その余は理由がないので棄却することとし,主文のとおり判決する。


    東京地方裁判所民事第35部

         裁判長裁判官 浜     秀 樹
            裁判官 手 嶋 あ さ み
            裁判官 味 元 厚 二 郎


 

谷川佳樹裁判判決文(全文)

 投稿者:信濃町ボーイ  投稿日:2011年 2月 8日(火)17時50分18秒
返信・引用
  > No.3314[元記事へ]

原告 「そうですね。」
  杉山 「だからこそ,やはり,そのー矢野さんがきちっと決着つけて。」
  原告 「ただですね,やっぱりこ。れは,奥様も息子さんも,矢野さん
    の奥さんであり,矢野さんの息子さんなんですよ。」
  被告矢野 「そうですね。」
  原告 「ですから,矢野さんがどうされるかってことで,それは,み
    んな,これはもう,避けられないですよ,これは。」
  被告矢野 「そういうことです,ねー。ですから,今日,私は,皆さ
    んにお会いして,まあ,あのー,おー,言葉だけだと言われれば
    それまででしょうけども,率直にお詫びもし,それは間違いであ
    るということも,私は今日明確に申し上げた。」
  弓谷 「書いたことも間違いですと。」
  被告矢野 「はい。で,評論家活動については,すぐっていうことは
    ちよっと避けていただきたい。やっぱり,これは,あのー多少の
    経過もありますから。しかし,もうテレビにも出ないようにしま
    すよ。いや,もうね,今までだってバラエティーショーやみんな
    あんなやつはもう,断っているんです。おもしろおかしくされる
    から。でー,ま,最近は,随分。」
  (362ないし498項)
(カ)原告 「まあ,今日ごく一部紹介させていただきましたけども,現実
    にはこの5月9日の時点の,関西青年部,明日は青年部総会なん
    ですが。これだけの怒りが渦巻いてる中で,関西青年部長がです
    ね,一人で会ってお前,何してきたんだと,いうことに,まあ,
    なるわけで。」
  森井 「もう,こういう声もありました。明日,あの関西青年部総会,
    やるんですけどね。関西青年部総会の会場に来て謝罪せよと,も
    っとひどいメンバーは土下座しろと,そうしないと,言葉だけだ
    と信用しないと。これがみんなの,おー,おお,大きい声なんで
    すよ。また誰もが,思ってるんです。何度も詫びてこられたでしょ
    う。また過去にも聖教新聞にも詫びたという事実は,記事は載っ
    てた,だけど,その後,何も行動として見えてこない。ましてや,
    この間,このゴールデンウィークの閲の記事が載りましたけれど
    も,みんなの中では明確に謝罪せよと,関西青年部総会の会場に
    来いと,いうぐらいの,今,気持ちを持っているという,今の状
    況も分かってもらいたいんです。」
  被告矢野 「分かりました。」
  森井 「ですから,矢野さんの受け止め方として,本当にどうなんだ
    っていうのが,率直の,僕は,本当に言葉を聞いても,実際の行
    動を見ないと,信用できないです。」
  被告矢野 「まっ」
  森井 「当時は」
  被告矢野「そのー,土下座せよと,言われたら,私は,お断り致し
    ます。そういうことは,するべきじゃありません。」
  原告 「気持ちの問題ですよ,矢野さん。具体的に土下座するかどう
    かじゃなくてですね。」
  被告矢野 「ですから私は,それも申し上げたように。ただ,気持ち
    を申し上げても,それは言葉だけだと,私は,こ,困っちゃうわ
    けですよ。」
  原告 「まあ,あの,今日,初めてお会いしまして。今日,初めてお
    会いしまして,えー,いくつかの点について確認をさせていただ
    いて,えー,潔く,ある意味では,あー,誤りであると。この手
    記を」
  被告矢野 「ある意味もこの意味もありません,完全に,誤ってます
    から,」
  原告 「ええ」
  被告矢野 「はい,」
  原告 「この手記を出したこと自体が間違いだったと,いうお話,も
    いただきましたし。」
  被告矢野 「はい,そうです。」
  原告 「またあの,限られた時間で,海外,お帰り,お疲れのところ
    でもありますので,これを第1回にして」
  被告矢野 「はい。」
  原告 「是非何回も,お話をさせていただいて。で,ま,あー,いろ
    いろ障害もあるかもしれませんけれども,一つ一つ乗り越えなが
    らやっていきたいと。」
  被告矢野 「まあーつ,本当にあのー,おー,今更ながら,あー,皆
    さんに本当に,申し訳ないことをしたと,こう思っております。
    で,おっしゃるように言葉だけでどうのこうのちゅうことでも
    ないことも,分かっております。ですから,ま,どういう形にな
    るかは,年々,まあ,私のこれからの生き様を見ておって下さい。
    私もそんな,あー,根性のない人間じゃありませんから。これま
    あ,本当に,叱られそうだけど。」
  森井 「いや,でも本当にね,矢野さん,誓ったとおりされないと,
    僕は,伸ちゃんかわいそうです。子どももかわいそう。僕ら関西
    青年部,当時みんなどう,思っているかっていうのはやっぱり,こ
    の時は反逆者だったと,思ってるわけでず。」
  原告 「まっ,現実のところですね,あのー,ま,全国青年部長,男
    子部長ですが,まあ,その立場で,お話をしに来ること自体が,
    まあ,ある意味じゃ危険ていうかですね。あのー,東京の,男子
    部は,もう除名しろっていうふうに,言ってるメンバーが数多く
    いまして。で,まあ,あの,矢野さん地元,新宿,ですけれども。
    うー,どうやって手続するんだと,言ってるような男子部もいる
    もんですから。そこでお会いして,えー,まあ,と,今度は,ま
    あ,今になって藤原さんとか西口さんの気持ちが,何となく分か
    るような気もしますけれども,会ってどうだったんだと」
  被告矢野 「ふっふっふっふ。」
  原告 「いうふうにもなるわけですね,今度は。」
  被告矢野 「なるほど,ふっ。まあ,評論家活動,別に皆さんとか,
    やめろと言われたからやめる,と言いませんが,やめますよ。と
    にかく。」
  弓谷 「是非そうして下さい。」
  被告矢野 「これはね,やめろと言われたからやめたとか,そういう
    問題じゃない。皆さんのお気持ちが分かったと。私が自分でそう
    決心した,ということです。そうしましょう。」
  弓谷 「はい。」
  被告矢野 「でないと,話がまたややこしくなる。」
  弓谷 「そうですね。はい。」
  原告 「で,まあ,あのー,繰り返しで大変恐縮なんですが」
  被告矢野 「いえいえ。」
  原告 「この手記が,まあ,一つ大きな喉に刺さったトゲ,になって
    ます,で,まあ,矢野さんは,ま,書いてしまったものだから仕
    方がないという言い方をされますが。いずれにしても,これがま
    あ最大の問題。で,これを,書いたこと自体間違いだという思い
    を持っているんだということを,やっぱり伝えない限りですね,
    これはもう,前へ進まないと,思います。」
  被告矢野 「このー,そういう気持ちを持っておるということを,も
    し皆さん方がお伝えいただけるんであれば,是非お伝えいただき
    たい,と思います。」
  原告 「それで,まあ,やや失礼かもしれませんけれども,今日,こ
    うしてお話をし,させていただいた第1回目の,確認ということ
    で,で,まあ,あのー,確認の内容」
  杉山 「あの,私がですね,ここは,あの」
  被告矢野 「ちょっと失礼,老眼鏡かけないと。」
  杉山  「ええ,あっ,見ていただいて。是非ともここに,あの,お名
    前いただきたいと。」
  被告矢野 「はい。」
  杉山 「あの,思うんですね。えっとー,一つは,「一,全国の学会員
    の皆様に多大な,め,ご迷惑をお掛けし,心の底からお詫び申し
    上げます」と。このことは」
  原告 「で,まあ,当たり前の話ですが,「私は創価学会員です」と。」
  杉山 「やっぱりこう疑問を,本当にそうなのかっていう人は」
  原告 「いや,これ1枚だけです。で,これも,今までも,まあ,関
    西長,総関西長,おー,等に言われた内容です。」
  被告矢野 「ここにしていいですね。」
  杉山 「確認の意味です。」
  原告 「それから,あの」
  杉山 「で,えー,ー」
  被告矢野 「池田先生にも,そういうふうに,あの,お詫び状を書い
    ておりますし,何遍もこの気持ちで,書いてきておりますから,
    で,これはどこに」
  杉山 「あっ,ここに,あの日付と,お名前を。」
  原告 「おー,5月の14。ちょっと狭いですね。」
  杉山 「すいません,狭くて,はい。お名前を。」
  被告矢野 「矢野絢也でいいですね。」
  杉山 「はい。」
 〔被告矢野が署名をする〕
  被告矢野 「下手な字ですけど。」
  杉山 「いいえ。」
  弓谷 「矢野さん,恐縮なんですけど,あの,評論家,やめるってい
    う。」
  原告 「いいよ,いいよ,ま。」
  被告矢野 「いや,それはね,やめるっていうよりも。」
  原告 「それは変だから,内容が。」
  被告矢野 「そのー」
  原告 「ご自身の決意でやめられるっていうことだから。」
  被告矢野 「現象,現象としてね,やめるっていうことに,あのー,
    して下さい。あのー,いろいろ,そ,その辺は,いろんな,て,
    手続もありますし。ですから,これは私の自発的意志において,
    もちろん皆さんの気持ちを受け止めた,ていうことが大前提です
    けどね。それでやめます。
  杉山 「あの」
  被告矢野 「はい。」
  杉山 「ちょっと,確認ですけども,この間違いの点は,政教一致と
    いう批判をいただいた点と,」
  被告矢野 「これはもう,さきほどで,もう。」
  杉山 「芦屋の自宅,盗聴事件の件。それから,えー,手記に,を出
    したこと,自体間違いだった。それから,明電工事件では,多大
    な迷惑を掛けた。」
  被告矢野 「ええ。」
  杉山 「で,学会の御恩を仇で返す真似は,しませんと,これは」
  被告矢野 「ええ。」
  杉山 「関西とのお約束。これは,また今後の,矢野さんのあり方で,
    やっていただくと。」
  被告矢野 「僕は,あの,本当に,あのー,気持ちはよく,あのー,
    本当にあのー,申し訳ないという気持ちで。ただー,現実問題と
    してね,できないことをできると言ったら,いけないから。その,
    大阪へね,戻ってやるっていうことについては,あの,あのー,
    現実問題は,すぐできそうもありませんので,それはそう申し上
    げておきます。ただ,私は十分あのー,分かったつもりでおりま
    すし,将来,できればそうしたいと思いますが。ちょっと,あの
    ー,住宅の問題もありますし,それから仕事の関係も,あります
    しね。申し訳ないんですけども。」
  森井 「まあ,しかし,先ほどおっしゃった,その,評論家活動する
    こともあって東京に来られたと。じゃあ,その,もし,もしです
    よ」
  被告矢野 「はい。」
  森井 「そんな,あの,すぐとは,あれですけども,評論家,評論家
    活動をやめた時には,もう東京にいる必要もないわけですよ。で,
    もしあれであれば,東京の家も売って,本当に東大阪,地元に戻
    ってきて,最後を一学会員として戦うと,それが学会への恩返し
    だと,いう気持ちはあるんですね,」
  被告矢野 「あります。」
  森井 「ありますね。」
  原告 「じゃあ,これを第1回にして」
  被告矢野 「そうですね。」
  原告 「また。」
  被告矢野 「あのー,おー,できれば,あのー,私の方から,声掛け
    るのは,大変僭越に思っておりましたんで。」
  原告 「またあの,長谷川副会長を通じて,はい。」
  被告矢野 「まだ,あのー」
  原告 「まだ,あのー,随分用意しておりますので。」
  被告矢野 「はっはっは。まあ,あのー,あれです。あのー,ご注意
    いただくとともに。あのー,本当にねー,あのー,どうしたらい
    いんか分からないってとこもあるんです,正直言って。」
  原告 「ただ,あのー,大変恐縮な言い方ですが,そのどうしたらい
    いかは,誰かが考えるというよりも,やっぱり,矢野さんがお題
    目をあげて」
  被告矢野 「そりゃそうです。」
  原告 「考えられる以外。」
  被告矢野 「それは,もう,おっしゃられるまでもなく分かっている
    つもりです,それは。ただ具体的に」
  原告 「そうですね。」
  被告矢野 「具体的に。」
  原告 「はい。」
  被告矢野 「ね,あのー,じゃあ,一学会員として,とか,選挙の遊
    説でも行くかとかさー,ま,例えばの話ですよ。そういう具体的
    なことになると,どうしたらいいか分からない,ということを言
    っているんであってね。」
  原告 「それはもう,会長,おー」
  被告矢野 「教えていただきたいんです。」
  原告 「長谷川副会長もいらっしゃいますし。」
  被告矢野 「あのー,それであのー,おー,こうやって皆さんとお会
    いする以上は,私なりに,腹を決めて来ておるつもりですし。で,
    大変,生意気な言い方ですけども,本当にあのー,よーく腹に入
    りましたから。そのつもりで,これからもやります。で,あのー,
    大阪の皆さん,本当に,申し訳ない。」
  森井「はい。」
(568ないし664項)
 エ 被告矢野がこの時署名した謝罪文(以下「本件謝罪文」という。)は,原
  告らがあらかじめ用意してあった書面であり,そこには,「一,全国の学会
  員の皆様に多大なご迷惑をお掛けし,心の底からお詫び申し上げます。
  一,私は創価学会員です。一,私の文藝春秋手記において,次の点は間
  違いです。①「政教一致というご批判をいただいているが,確かに状況を
  みると,そう言われても致し方ない」(同誌1993年10月号)②「芦屋
  の池田名誉会長宅」(同)③「盗聴事件有罪の判決」(同誌94年5月号)
  一,文藝春秋に手記を出したこと自体が間違いでした。一,明電工事
  件では,多大なご迷惑をお掛けし,心の底からお詫びいたします。一,
  学会の御恩を仇で返す真似はいたしません。一,関西とのお約束は必ず
  果たします。」と記載されていた。(甲50)
(3)本件面談後の経過等
 ア 同月15日,公明党のOB議員である大川清幸(以下「大川」という。),
  伏木和雄,黒柳明が,被告矢野宅を訪れた。同月17目,30日も来宅し,
  被告矢野が政治家時代に重要事項の備忘などのために付けていた手帳等を
  持ち帰った。(乙2,9)
 イ 同月16日,聖教新聞に,「矢野絢也公明党元委員長が心から謝罪『文
  藝春秋手記(93・94年に掲載)は間違いでした』『創価学会員に心から
  お詫びします』」と題する見出しの記事が掲載された(乙6の5)。
 ウ 同月18日,被告矢野は,日刊ゲンダイの連載記事の打ち切りを申し出,
  その後・週刊誌の取材やテレビ出演などをやめていった(乙9)。
 エ 同年7月,週刊現代に上記手帳奪取の記事が掲載され,これを理由に,
  大川らは,被告矢野及び株式会社講談社を名誉毀損で訴えた。これに対し,
  被告矢野は,大川らに対し,手帳返還を求めて提訴した。当該訴えについ
  ては,平成21午3月27日,東京高等裁判所は,被告矢野の主張を認め,
  大川らに手帳の返還と損害賠償を命じた。(乙2,9)
 オ 平成20年5月1日,被告矢野は,創価学会に退会届を提出した(乙,9)。
 カ 同月12日,被告矢野は,創価学会から人権を蹂躙するような行為があ
  ったとして,創価学会らに対し,損害賠償を求める別件訴訟を提起した(甲
  1,乙9)。
 キ 被告新潮社らの記者は,被告矢野に取材を行い,本件記事を作成し,同
  月15日,本件記事を掲載した本件週刊誌を発刊した。「『矢野絢也』を窮
  鼠にした『創価学会』の脅迫と誹謗中傷」とのタイトル等を記載した本件
  週刊誌の広告が,同日付け朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞,日
  本経済新聞の各広告欄に掲載された。(甲1,134の1ないし134の
  5)
 

谷川佳樹裁判判決文(全文)

 投稿者:信濃町ボーイ  投稿日:2011年 2月 8日(火)17時40分3秒
返信・引用
   第3 争点に対する当裁判所の判断
 1 事実認定
   証拠及び弁論の全趣旨によれば,以下の事実が認められる。
 (1)本件面談に至る経緯等
   ア 平成5年10月号(平成5年9月10日発売)から,被告矢野は,文藝
    春秋に本件手記を連載するようになり。その中に「私たちはとかく政教一
    致というご批判をいただいているが,確かに状況をみてみると,そう言わ
    れても致し万ない面はある。」,「芦屋の池田名誉会長宅」などといった表現
    があった。(甲30,乙9)
   イ 平成17年初めころ,創価学会関西青年部は,被告矢野の本件手記の存
    在を知り,創価学会に対する重大な背信行為・裏切り行為であり,見過ご
    すことができない重大な問題と考え,森井は,弓谷に対して,その問題意
    識を訴え,同年3月,弓谷は,原告に対し,関西青年部が,被告矢野に対
    して,上記のような問題意識を持っていることを伝えた。(甲89)
   ウ その後,原告は,青年部から被告矢野のことで相談があったことを,当
    時の秋谷栄之助会長(以下「秋谷」という。)に報告した。
     平成17年4月6日,秋谷,関西の西口良三副理事長(以下「西口」と
    いう。),長谷川副会長,弓谷,森井,杉山及び原告との間で面談が行われ
    た。この席で,弓谷及び森井は,秋谷らに対し,関西青年部で被告矢野と
    面談し,本件年記について,被告矢野の認識や掲載の意図等について,直
    接確認させてほしいと要望した。これに対し,秋谷から,まず,西口と藤
    原武関西長(以下「藤原」という。)が被告矢野に会って,青年部が本件手
    記を問題としていることを伝え,謝罪を公表するこ。とについて,被告矢野
    が了解ずるかどうかを確認してくるということが提案され,青年部も最終
    的に了解した,秋谷からは,被告矢野に求める謝罪の内容について,青年
    部の方で文案をまとめておくようにとの指示があり,青年部がその文案を
    事前に用意することとなった。(甲89)
   工 同月20日,創価学会戸田記念国際会館にて,西口,藤原及び被告矢野
    との間で面談が行われた。
     西口及び藤原は,被告矢野に対し,青年部が本件手記について大変怒っ
    ていることを伝え,謝罪文を書いてほしい趣旨の発言を繰り返した。被告
    矢野は,当初反論をしていたものの,最終的には謝罪文を書くことを了解
    し,内容については,青年部の作成した文案を持ち帰って自分なりに表現
    を考える旨述べ,同月22日に持参することを約束した。(甲89,乙9)
   オ 同月22日,被告矢野は,「お詫びと決意」と題する池田大作会長あての
    謝罪文を戸田記念国際会館に持参し,西口及び藤原が受け取った。その謝
    罪文には,本件手記に間違いや不適切な表現があり,創価学会に迷惑をか
    けたことについて反省し謝罪する旨の内容が記載されていた。(甲49,8
    9,乙9)
   カ その後,被告矢野がゴールデンウィークに夫婦で海外旅行に行くという
    話が浮上し,創価学会員らの間で波紋を広げ始めた。
    同月23日,秋谷は,被告矢野に電話をかけ,間近に都議選を控えてお
    り,会員の感情を考えれば時期が悪く,旅行を中止すべきであると説得し
    たが,被告矢野は,仕事で行くのでキャンセルはできないことを伝えた。
    同日午後,被告矢野は,秋谷にあててファックスを送信し,都議選を控え
    た時期の海外旅行であることを詫びる一方で,相手方に対し,一度は断っ
    たが強い要請がありキャンセルはできず,できるだけ日程を短縮して参加
    する旨を伝えた。(甲45)
   キ 同月28日,聖教新聞に,「公明党元委員長の矢野氏が謝罪『文藝春秋」
    (93,94年)掲載の手記をめぐって矢野氏“私の間違いでした”“
    当時は心理的におかしかった”」と題する見出しの記事が掲載された(甲6
    6,乙6の1)。
     同日,被告矢野は,海外へ出発した(乙9)。同年5月9目付けの聖教新
    聞には,「公明党矢野元委員長が海外1?行動で示せ!口先だけの「謝
    罪」は要らぬ」と題する見出しの記事が掲載された(乙6の4)。
   ク 青年部は,被告矢野が本俸手記について謝罪したにもかかわらず,夫婦
    で海外旅行に出掛けたことに納得できず,改めて,被告矢野と直接面談し
    たい旨,秋谷に要望した。秋谷は,長谷川に対し,被告矢野が海外旅行か
    ら帰国後に,青年部との面談に応じるよう連絡をとることを指示した。(甲
    89)
   ケ 長谷川は,被告矢野の息子である矢野清城を通じて,被告矢野と連絡を
    とり,青年部が怒っていること,青年部に会ってほしいことなどを伝え,
    被告矢野は帰国予定の同月14日の夜に青年部との面談を行うこととなっ
    た(甲89,乙9)。
 (2)本件面談の内容
   ア 同日,被告矢野は,海外から帰国し,青年部との面談場所である戸田記
    念国際会館に向かった。戸田記念国際会館の玄関では,長谷川が待ってお。
    り,面談の直前,被告矢野は,長谷川から,青年部に冷静に対応するよう
    助言された,(乙1,9)
   イ 面談は,原告,弓谷,杉山,森井,青年部主事の丹治正弘(以下「丹治」
    という。),被告矢野との間で行われた。被告矢野の正面に原告,その左に
    弓谷,右に森井,被告矢野の左に杉山,右に丹治が座った。(甲89,10
    0,乙9)
   ウ 初めに,原告らから簡単に自己紹介がなされた後,原告らの方から被告
    矢野に質問するという形で進められ,本件面談は,約90分間にわたって
    行われた,そこでは,概要,以下のようなやり取りが行われた。(甲50,
    92の1,92の2。以下,括弧内には,甲92の2の対応する項数を示
    す。)
   (ア)原告 「で,あのー,まぁ,西口,藤原,あー長谷川副会長から伺っ
        ている点で。あのー,まあ,まず,「文藝春秋」の手記についてで
        すね。あのー,大変な騒ぎになり,まあ,あのー,平成5年,6
        年ころは,まぁ,私も青年部の幹部として,えー,もう激動の中
        にあったわけですけれども。あのー,政教一致と受けと,とられ
        ても致し方ない面があるということについては,これは聞違いだ
        ったということでお詫びをされていると。あのー,本来はそうい
        う趣旨で書く,つもりはなかったんだけれども,あのー,編集部
        の方で,えー,そうなっていた,ということで,これは間違いだ
        ったんだというふうに話しておられるということなんですが。こ
        れは,そういうことなんでしょうか。」
   被告矢野 「と言われても仕方がない面もあると。そういう見方もあ
     るが,それは違うと。そういうふうに書いたんです。」
   原告「なるほど。で,それから。」
   被告矢野 「ところが,あー,校正の段階で,えー,最初の校正でも,
     そうなっておったんですが,最終稿で抜けておった。ですから,
     私の不注意です。」
   原告 「そうすると,出た手記は,間違い,その部分は間違いだとい
     うことですね。」
   被告矢野 「そうです。」
   (39ないし43項)
 (イ)原告 「この手記が,どれほど学会員苦しめたか。先生の喚問,当時
      の致教一致批判。えー,あの,関西の男子部が,まあ,怒ってい
      るのはでずね,えー,「一生懸命支援活動に行くと。と,矢野って
      いう評論家が,学会と公明党の関係について何か言っていると。
      友人は,「あの人,元委員長だろうと公明党の,どうなってんだよ」
      と言われる。それを,私たちは一生懸命,説得しましたと。なん
      で味方のはずの人が足を引っ張るんですか。なんで敵に塩を送る
      ようなことをするんですか。この悔しさは言いようがありません,
      と。何者なんだと,あれは」と。」
   被告矢野 「私は,テレビで,政教一致だとか,学会を誹謗したよう
     な発言はしておりませんよ。」
   弓谷 「いや,誹謗してないとかじゃないですよ。」
   原告 「はっきりと,そうじやない,という発言をされましたか,テ
     レビで。」
   被告矢野 「政教一致であるとか,政教分離であるとか,はっきり言
     ってます。」
   原告 「世間で,そういうことを言われていることはおかしいと言わ
     れましたか。言えませんよ。だって手記にその,そういうこと書
     かれてるんですから。」
   被告矢野 「私は言ってきてます。テレ,テレビに限るならばですね。」
   杉山 「例えばですね。その,あの,日刊ゲンダイの「一刀両断」,ご
     ざいまずけれども,99年の段階でもこういうふうに言ってるわ
     けですよ。」
   被告矢野 「はいはい。」
   杉山 「「政権の中枢に食い込む創価学会の意図を,だ,意図を代弁し
     たと。単なる,そういう,自自公にこだわるのは選挙狙いじゃ,
     だけじゃない。」
      要するに,あらゆるところで評論活動をしながら,結局,いろ
     んな形で,その,元公明党の委員長でありながら,公明党のこと
     を批判してる。支援活動を一生懸命やっているメンバーに,どう
     なのかと。それだけじゃない。創価学会に対して,いろんな意図
     が,あるんじゃないか。それを代弁したものじゃないか。ま,こ
     ういうふうに,載ってるわけです,例えば,
      で,一事が万事で,やっぱりこういう,ことを傾向性としてで
     すね。」
   被告矢野 「はい,はい,そりゃ分かる。」
   (298ないし308項)
 (ウ) 森井 「ちょっと待って下さい。矢野さん,もう一回聞きますけども,
       これは本当に書いたこと自体が間遠いだったと,そうじやないと
       今でもおっしゃるわけですか。」
   被告矢野 「そうじやない。というのは,お詫びしてるわけですから
     ね。」
  (314,315項)
 (エ)原告 「いや。あ,今,森井が言っているのは,今の,お考えはどう
     なんでしょうと。あのー,事実の指摘を受けて,あ,それは確か
     に間違いだったと,いうことを言われてる。それから,ま,関西
     長にもお詫びされたことがある。けれども私たちは,あの時期に,
     週刊,あ,月刊「文藝春秋」にこの手記を出したこと自体どうな
     んだと。利敵行為であり,いー,同志を裏切る,先生を貶める,
     広宣流布に弓を引く,そういう行為じゃないかと思ってるわけで
     す。」
   被告矢野 「なるほど」
   原告 「そのことについて,矢野さんは今はどう思われてるのか。「数
     カ所の,不注意な」ということなのかということです。」
   被告矢野 「あのー,あれは,私は,秋谷会長に,いかようにも,こ
     の辺のところは直しますということは,申し上げております。」
   原告 「矢野さん,そうじやなくてですね,会長に直してもらうこと
     が大事じゃなくて,矢野さんがどう書かれるか,矢野さんがどう
     思われてるかっていうことを聞きたいんですよ。」
   被告矢野 「なるほど」
   原告 「こう自分で書いて,それは会長が直してきたんだと」
   被告矢野 「いや,そうじゃない」
   原告 「会長の直しだと。それは逃げですよ,それは。」
   被告矢野「いや,そういう意味じゃありません。」
   原告 「矢野さんがどう,言われてんのかっていうことを聞きたいって
     いうことなんです。」
   被告矢野 「まぁ,皆さんの,今日の気持ち,よく分かりましたし,
      私の認識が,まだ浅かったということだろうと,思うんですが。ま
     ぁ,要するに,そこでの,この新しい方の文章ですね。私は,あ
     の,そこまで皆さん方が,この文章のことでね,お怒りであると,
     という認識がなかったんだということだと思いますね。」
   弓谷 「ていうか,だから,それは要するに,要するに,これ書いた
     こと自体まずかったと,悪かったと,お思いになるということで
     すか。」
   被告矢野 「今日今,皆さんからの,痛切にお話を聞いて,悪かった
     と思います。」
   弓谷 「これ書いたこと自体まずかったと。」
   被告矢野 「思います,明確に申します。」
   (318ないし333項)
 (オ)森井 「…あの明電工の時も,本当にみんなしんどい思いをして,平
     成2年の寒い時期の2月の選挙やりました。だけど,あのとき矢
     野さんがおっしゃったのは,「私も,最後議員引退したら,必ず地
     元に帰って皆さんとともに戦います」と,そうおっしゃった。そ
     の言葉を信じて,皆頑張ったわけです,あの時。だけども,引退
     したあと,音沙汰も全くない。挙げ句の果てはこんな,手記が出
     てくる。みんな小さい頃から,苦しんでる親父やおふくろの姿を
     見てきましたよ。それでも,矢野さんまだ,この手記自体の,本
    当に当時の誤りを認められないかどうか。要するに,みんなの中
        には,矢野さんが反逆したんじゃないかと,関西の同志を裏切っ
    たんじゃないかと,その気持ちしかないんですよ。だから,これ
    だけの声が1日で上がってきたんです。」
   原告 「私もこれ,あのー,ちょっと読ましてもらったんですけれど
    も。あのー,みんな覚えてます。矢野さんが,「私も議員をやめた
    ら,皆さん,同志の皆さんと一緒になって戦います」と,切々と
    訴えられた。覚えてます。矢野さん覚えておられますか。」
   被告矢野 「覚えております」
   原告 「はい,実現してませんね,」
   被告矢野 「私は,これ,ちょっと生意気な言い方になって。お許し
     いただきたいんです。まあ,十分,大阪へ帰って,皆さんと共に
     戦う。そういう気持ちも,今だってありますよ。」
   森井 「今でもありますか。」
   被告矢野 「そのかわし私は,まあ本当に生意気な言い方で勘弁して
     ほしいんですけどね。これでも根性はあるつもりですし。もし仮
     に,私が世間から見て,多少なりとも客観性のあることを言う人
     間だと。もしもですよ。そういう評価がもし,自分のカでできる
     ものであるならば,私は,そっちの道を選ぼう。」
   原告 「なるほど,うん。」
   被告矢野 「そして,根性あるというのはそういう意味であって。で,
     本当の敵には,私は,二度でも三度でも,命捨てる覚悟がありま
     す。ただ,今おっしゃったことについては,私,弁解もしません。
     お詫びするしかない。が,しかし私は私なりの根性あるつもりで
     す。だから,私は,今おっしゃったように,大阪を離れて,別,
     別にこれ金儲けしているわけでも何でもないんです。で,これが
    いかんと,言われりゃ,それはそれまでのことで。そうでしょう。」
   弓谷 「いや,それがいかんのですよ。いかんのですよ,それ,そこ
    がそこが我々青年部が通じてへんと思ってるところなんですよ。」
   森井 「「声」の中で一番多いのが,その矢野さんが評論活動している
    ことそのものが,公明党の元委員長でありながら,第三者的な評
    論の,かつ,繰り返していると。」
   被告矢野 「まあ,それはね,だから,もちろん,皆さんもそういう
    意見があるということは,前提でね,私の考えを申し上げたわけ
    で。」
   原告 「あのー」
   被告矢野 「私はその道で。」
   原告 「矢野さんの気持ちは,そういうお気持ち。」
   被告矢野 「まあ,あの,増上慢と言われりゃそれまでの話です。」
   原告 「いやいや」
   弓谷 「「それまで」とかいうね,そういう,そういう吐き捨てて終わ
    るような話じゃないんです。」
   被告矢野 「はい。」
   原告 「あの,お気持ちかもしれませんが。まあ,あのー,この手記
    を書かれて,一番喜んだのは,山崎正友,内藤国夫。不愉快な,思
    いしたのは学会員なんです。」
   森井 「そうなんです。」
   被告矢野 「それは,よく分かりました。」
   原告 「で,世間がどう思うかもありますが,学会員がどう思うかっ
    ていうことが一番大事なんです。矢野さんを手弁当で支持してき
    た人たちが不愉快な思いしてんですよ。不愉快な,思いを。そのこ
    とについて,どう考えられてるかってことを聞きたいんです。人
    生をかけて支持してきた人たちが,不愉快な思いをしても関係な
    いんですか。」
   被告矢野 「そんなことないです。それは申し訳ないことです。」
   原告 「それが,「数カ所の不注意な」,その程度の話ですか。」
   被告矢野 「それはね,そういうふうに言われれば,もう俺も弁解の,
     言葉の言いようもないです。ね,そこで,あのー,今日のお話の
     ような趣旨を踏まえてね,書けとおっしゃれば書けます。しかし,
     私は,その文章〔秋谷に渡した手記〕で,私なりの思いを込めて
     書いたつもりです。それが足らん,と言われりゃそれまでです。」
   原告 「足らんと言われればじゃなくて,どう思われるんですか,足
     りていると思われているんですか。」
   弓谷 「今の話を聞いてどう思われてるんですか。」
   被告矢野 「えっ」
   弓谷 「今,我々が話した話聞いて,どう思っていらっしゃるんです
     か,矢野さん自身は。」
   被告矢野 「だから,もっともだと。何遍も先ほどから,申し上げ,
     悪かったと申し上げているわけでしょう。」
   原告 「ただですね,あのー,悪かったっていう,ことは,ずっと言
     われてるんですよ,矢野さん。」
   被告矢野 「言ってますねー。」
   原告 「もうね,手記を,掲載して,その月に,関西の幹部に,申し
     訳ないことしたと,こんな大きな反響が出るとは思わなかったと,
     言われるまで文春に載せることが罪だとは思わなかったと言われ
     てんですよ。そう言われながら3回連載をされて,翌年また4回
     連載されてるんです。」
   被告矢野 「契約だったんですねー。」
   原告 「契約が優先したわけですか,申し訳ない思いよりも。」
   被告矢野 「いや,いや,そうじゃなくて。これはやはり,この世界
     では,契約っていうものがやっぱり。」
   原告 「いろんなこと言われてますよ,その当時。」
   弓谷 「「この世界」ていうのは,それはですね,私たちに,い,に,
     言わせれば,要するに学会を売っちゃった,てことですよ。」
   被告矢野 「いやっ,ま,ま,言いません。はいはい,分かりました。」
   弓谷 「学会との関係の中で,党で戦ってきた矢野さんの,そのメモ
     もとにして書いてる。学会のことを売っちゃったんじゃないかと。
     違うとおっしゃるだけの論理ないじゃないですか。首横に振られ
     るだけの論理ないじゃないですか。」
   原告 「だから,なん,何回も謝っておられると言われる,その,あ
     や,謝罪,謝りが,本当に謝ってるのか,っていうふうになっち
     ゃうんですよ。」
   被告矢野 「確かにそれは,そういうもんでしょうね。ええ。」
   原告 「で,支持者が不愉快な思いしても関係ない。」
   被告矢野 「そんなことは言ってません。」
   原告 「そうですが。でも行動が,関係ない行動になってますよね。」
   被告矢野 「まあ,あのー,おっしゃられれば,そのとおりです。で
     すから,まあ,あの,まだまだおっしゃりたいこと沢山あるだろ
     うし,いくらでも承ります。あのー,お前は悪いやつだ,悪いこ
     とをした。間違いだ。私としては,まー,遅ればせで申し訳ない
     ことだけども。これは,ま,事実として残ってるわけです。」
   弓谷 「これをだから,消してもらいたいんです。」
   被告矢野 「といって,これは消えるわけじゃないんです。出てしま
     ってるわけですから。ね。」
   弓谷 「そんなことない。そんなことないです。」
   被告矢野 「これからの,これからのね,いろんな文章を通じて消す
     しかないわけでしょう,ね。これ,あのー,この」
   杉山 「だから,まず,あれですね,あのー,えー,これについては,
     この書いたこと自体は,今となっては誤りだったと。そのことは
     先ほど認められましたね。このことは認めると。」
   被告矢野 「はい。」
   杉山 「このことは,やっぱり関西はじめ,青年部に伝えても,よろ
     しいですね。これは。」
   被告矢野 「いいです。」
   杉山 「よろしいですね,はい。」
   被告矢野 「そのつもりで来ていますから。」
   杉山 「ま,ちょうど,えー,明日,あのー,関西の会合もあります
     し,いろんな意味でやっぱりきちっと。」
   被告矢野 「本当に,あのー,どう言うていいんかな。あのー,一番,
     年齢的な違い,世代の違いもあるでしょう。でも,僕は本当に,
     あのー,謙虚な気持ちで来ております。で,何も皆さん方にね,
     異論を言うとか,あー,いう気持ちもありません。
      でー,あなたおっしゃるように,えー,大阪の皆さん方が,不
     愉快だと,けしからんと。申し訳ないと。そりゃ,言葉だけだと
     言われりゃ,それまでですけどもね。そう言っておると言っても
     らって結構です。
      今,あのー,私はね,あのー,悪びれた気持ちでは来ておりま
     せんしね。しかも,こうやってお会いする以上は,まあ,あー,
     力はありませんけども,是非これから皆さん方に,教えてもらい
     ながらね,私なりに,やれることはやりたい。これは,本当にそ
     う思ってきてるんですよ。でなきゃ来ません。」
   森井 「ま,言葉お受け取りしましたけれども,要するに「一学会員
     として戦う」と,そう約束された。「一緒に自転車に乗って地元を
     走ります」と。」
   被告矢野 「そうです。」
   森井 「そうおっしゃった。」
   被告矢野 「そうです。」
   森井 「そうですね。明確におっしゃいました。」
   被告矢野 「そりゃあ事実上,もう大阪に家はありません。」
   森井 「たくさんの方がおっしゃいました。じゃあ,もう大阪には戻
     ってこられるつもりはないんですね。」
   被告矢野 「今のところは,戻れませんね。」
   森弁 「戻らない。」
   被告矢野 「はい。」
   森井 「戻れないじゃ」
   弓谷 「戻れないじゃなくて,戻らないんですね。」
   被告矢野 「戻らないですね。申し訳ないです。あのー,ただ,私は
     私なりに,そのー,うー,一生懸命,どういう形であれ。」
   弓谷 「矢野さんね,「私なりに」って言っている限りね,通じないん
    ですよ,そのお詫びが。」
   被告矢野 「いや,通じる通じないったって,通じる通じない,て言
    ったって,私には,私ができることしかないわけです。」
   原告 「そうですね。そうだと思います。」
   原告 「それでー,あの,これだけ声が来ましてですね。えー,まあ,
     関西の,男子部の率直な声,今日は,青年部の声を聞いていただ
     くってことで,紹介しますけども。
     えー,豊中の〔メンバーからの声で〕,「明電工事件による引退
    の後,私たちの前に久しぶりに登場した矢野氏は,公明新開や聖
    教新聞ではなく,テレビニュースに政治評論家の肩書きで登場し,
    公明党と創価学会の関係を面白おかしく語り,マスコミ受けを狙
    った評論を続けてきました。学会批判にとれるようなコメントを
    用いて,言葉巧みに評論する姿は,もう完全に第三者としての評
    論家でありました。個人的な感想は,「で,あんた本当に学会員な
    の」でした。選挙の際,運動員として活動したことのある知人が,
    「矢野は選挙期間中,他の候補や議員と連絡を取る際に,横柄で
    礼儀もわきまえず,大声で電話をするなど非常識甚だしかった」
        と言っていたことを思い出しました。矢野も形だけ学会員に謝罪
    し,じきにみんな忘れてしまうだろうとタカをくくっているので
    はないか,憤りをおさえられません。」,「学会から受けた恩を平気
    で忘れるような人間を,公明党OBなどと思いたくもない。「民衆
    と共に生き,民衆と共に戦い,民衆の中に死んでいく」との結党
    精神のかけらも感じられない。ましてや,あれで政治評論家を名
    乗っ,名乗っているのだから,笑わせます。以前,池田先生が言
    われていた話を,ある男子部員に訴えました。もしも,政治家が
    人間としての謙虚さや人格的強さを持っていないときは,こんな
    環境の中で本来の理想を忘れたり,信念を捨てて,捨ててしまう
    ものだ,と。矢野は,政治家になって立場を利用して,大物ぶっ
    て大げさに大風呂敷を広げて,うぬぼれているだけ。あげくに,
    都議選の最中だというのに,夫婦で海外旅行とは呆れてモノも言
    えません。もう一度,私たち一人一人がもっと賢明に,権力を監
    視し,していきたい。」これだけ来ているんですよ,声が。」
   被告矢野「分かりました。」
   原告 「これが,会員が求めている声なんですよ。矢野さんが,自分
    のできることをやっていく,評論家としてやっていくというふう
    にお考えかもしれませんけども,それを望んでないんです」
   被告矢野 「やめましょう。」
   原告 「関西の学会員は。」
   丹治 「おやめになる。」
   被告矢野 「やめます。」
   弓谷 「評論家を」
   森井 「一切?」
   被告矢野 「まあ,一切になるかどうかはね,それはー,あー,少な
     くとも,おー,おー,いろんな週刊雑誌等の取材は,断ります。
     テレビについて,例えば,今回も,まあ,聖教新開にいろいろ,
     ま,載っとって,まあ面白おかしく,また,今日も,成田で,1
     0人ぐらいの連中が束で,私を追っかけておりました。私は,も
     うノーコメントを貫きました。おそらく今帰れば,待ってると思
     います。まあ,その,言いません。ですから,急にここで一切何
     もかもやめたら,また妙な,ことになりますから。段々,もうそ
     れこそ,急,急速ですけども,明日から一つも出るなよ,という
     意,意味で言ってるわけでばありません。しかし,やめます。」
   森井 「それは以前,西口・藤原と話をされた時にも,同じようなこ
    とをおっしゃっているんです。」
   被告矢野 「すいませんねー。」
   森井 「急にやめたら,様々憶測もあるから,徐々にやめていくと。」
   被告矢野 「ですから私が」
   森井 「明確におっしゃってましたよ。」
   被告矢野 「私が,自分の名前で,このー,どっかに載っけていただ
    くと。それ〔秋谷に渡した手記〕を書いた瞬間から,私は,そう
    いう決意をしているわけです。そら,謝り方が,あー,足らない,。
    けしからん,と言われれば,はい,としか言い様がありませんが。
    どうあれ,これは,評論家,決別宣言と同じことです。」
  弓谷 「同じことというか,じゃあ,ど,あの,はっきりと,むしろ
    伝えていいですね。」
  被告矢野 「そうですねー,その」
  弓谷 「それは,約束したら,約束したら。」
  被告矢野 「しかしそういう,そういう言う方をされると,かえって
    まずいんじゃないんでしょうか。私は言ってもらって結構です
    よ。」
  弓谷 「構いませんね」
  被告矢野 「あなた方が,あのー,そう言った方がいいと言うんなら,
  原告 「あのー,私たちはですね。」
  被告矢野 「それはまずいんじゃないでしょうか。」
  原告 「私たちは,あのー,週刊誌にも,良く言われたことありませ
    んしね,いろんなことを潜り抜けてきてますから。」
  被告矢野 「いや,わたし,私の方にね,逆に「何かあったんか」と,
    来ると。私は何もコメントしませんよ,一切。」
  弓谷 「コメントしないどころか,はっきり言っていただきたいんで
    すよ。矢野さん自身の,やっぱり学会員としての信念で,生き抜
    きたいと,最後。」
  被告矢野 「ああ,そう言ってもらって結構です。」
  弓谷 「そう決めて,そう決めて評論活動やめたんだと,そうはっき
    り言ってもらいたい。」
  被告矢野 「結構です。言って下さい。」
  弓谷 「いや,言って下さいじゃなくて,矢野さんとこに取材が来た
    ら,矢野さん自身がそうはっきりおっしゃっていただきたいんで
    す。」
  被告矢野 「言う,言う,皆さん方が言えば,私が言ったことは,も
    う天下周知になりますから,僕のとこにくるでしょうがー,そら,
    そんなこと否定しませんよ。そう言いましたよと言いますよ。そ
    んな,皆さん方とここで話し合ったことをね,違うようなことを
    言うようなことはしませんよ。
     ね,ただ僕があえて言っているのは,「なぜなんだ」と,いう詮
    索がある,ということを心配しているだけのことなんです。私は,
    なにも悪びれて,未練がまししく言っているわけではないんです。
    そんな,あのー,ケチな人間じゃありません。それは。」
  杉山 「で,そのときは,あの,あれですか。その,「なぜなんだ」と
    言われたら,どのように,お答え」
  被告矢野 「俺の決意でやめたと。」
  杉山 「うん。」
  丹治 「それを,そのまま伝えただけだと。」
  森井 「今,連載中のものもありますからね。」
  被告矢野 「これも,まあ,まあ,自然な言い方は,俺も歳だからな,
    と言っておけばいいわけですよ,それはね。ね,そう,世間的に
    はね。」
  弓谷 「いやいや,憶測をね,増,増幅させるような,そういう中途
    半端なお答えは,やめてもらいたいんです。私たちが言ってる,
    評論活動をやめるというのは,そういう次元の話じゃないんで
    す。」
  原告 「あのー,ちょっと失礼な物言いになっているかもしれません
    が。」
  被告矢野 「いやいや,いいんです。」
  原告 「あのー,まだ,本当にご理解いただけてるかどうか分かりま
    せんけれども,あの,平成5年,6年,7年。秋谷会長が国会へ
    行った,参考人招致ですよね。」
  被告矢野 「はい。」
  原告 「僕は,あのー,当時,男子部長から青年部長,なりましたけ
    ども。先生の喚問,最後ギリギリのところにいって,会長の参考
    人招致がテロップで流れました,テレビに。その時に矢野さんが
    いた位置は,山友,内藤の位置なんですよ。正直言うと。私たち
    の心証はそうだったんです。先生の喚問の材料に使われたわけで
    すから,明らかに敵だと,学会を売った,というふうに思ってた
    時期があるわけです。それを長谷川副会長や,そのー,西口副会
    長,藤原さんが,「そうじゃないんだ」と,言われるんで。それは
    そうだろうなと,元委員長で先生にお世話になって,政治家にな
    った,矢野さんなんだから,そうじゃないんだろうな。だけども,
    あのー番大変な時に,あの手記を出した。敵に塩を送った,てい
    うか,むしろ,敵の一番ど真ん中にいるような,材料を出した。
    ということにづいての疑念てのがあるわけですよ,いまだに。」
  被告矢野 「分かりました。」
  原告 「ですから,こうやってお話しても,またどっかに書くんじゃ
      ないかとか。」
  被告矢野 「んなことしません。絶対に,」
   原告 「絶対書かないですね。」
  被告矢野 「書かないです。」
  原告 「で,一方,本当に矢野さんが,学会員として一緒にやってい
    きたいというお気持ちをお持ちであれば,息子さんも頑張ってお
    られるし。まあ,森井君も。」
  森井 「伸ちゃん〔矢野の長男清城の妻伸子〕,同級生です。」
  被告矢野 「あっそう。彼女も」
  森井 「彼女もねえ,明電工,ま,結婚してね,僕がほんと久しぶり
    に一年ぶりに会うたときに,大学でね。まあ,ちょうど明電工の
    事件の後でもあった。平成2年の選挙もあった。あのとき彼女,
    遊説やってたと思うんですね。女子アナウンサーとして。」
  被告矢野 「本当に,あの,息子も,まあ,息子の嫁もね,私の家内
    も,まあ,私は,あー,私のね,こういう問題のために,可哀想
    なことしてると。これは本当にそう思ってます。まあ今日も,し
    ょぼーんとしているからさ,元気出せと,言うて。まあ,ただ,
    彼女たちは,あの,身内のこと言うわけではありませんけどね,
    本当に,何があっても,学会員として,頑張っておるし,これか
    らも頑張ると思います,僕は,そうあってほしいと,願ってます。
    まあーつ,僕は,あー,皆さん方にどう言われてもいいですけど
    も,まあ僕は,ね。その連中だけは,一つ。」
  
 

谷川佳樹裁判判決文(全文)

 投稿者:信濃町ボーイ  投稿日:2011年 2月 8日(火)17時35分32秒
返信・引用
  平成23年1月20日判決言渡 同日原本領収 裁判所書記官 櫻井博三
平成20年(ワ)第13385 損害賠償等請求事件
口頭弁論終結日 平成22年11月18日
判決
東京都新宿区信濃町
原告 谷川佳樹
同訴訟代理人弁護士 宮原守男
同         倉科直文
同         佐藤博史
同         金澤 優
同         福島啓充
同         桝井眞二
同         吉田麻臣
同         成田吉道
同         大澤栄一
同         新堀富士夫
同         海野秀樹
同         小川治彦
東京都新宿区矢来町
被告        株式会社新潮社
同代表者代表取締役 佐藤隆信
東京都新宿区矢来町 株式会社新潮社内
被告        早川清
上記2名訴訟代理人弁護士 岡田宰
同            広津佳子
同            杉本博哉
東京都新宿区市谷
被告        矢野絢也
同訴訟代理人弁護士 弘中惇一郎
同         久保田康史
同         川端和治
同         弘中絵里
同         河津博史
同         大木 勇
同         品川 潤
同         山縣敦彦
主文
1 被告らは,原告に対し,連帯して33万円及びこれに対する平成20年5月
 15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
2 原告のその余の請求をいずれも棄却する。
3 訴訟費用は,これを33分し,その1を被告らの負担とし,その余は原告の
 負担とする。
4 この判決は,第1項に限り,仮に執行することができる。
事実及び理由
第1 請求
 1 被告らは,原告に対し,各自1100万円及びこれに対する平成20年5月
  15日から支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。
 2 被告株式会社新潮社及び被告早川清は,原告に対し,別紙1記載の謝罪広告
  を,朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞及び日本経済新聞の各全国版朝
  刊社会面広告欄に,別紙2記載の条件にて各1回掲載せよ。
 3 被告株式会社新潮社及び被告早川清は,原告に対し,別紙1記載の謝罪広告
  を,被告株式会社新潮社発行の週刊誌「週刊新潮」に,別紙3記載の条件にて
  1回掲載せよ。
 4 被告矢野絢也は,原告に対し,別紙4記載の謝罪広告を,朝日新聞,毎日新
   聞,読売新聞,産経新聞及び日本経済新聞の各全国版朝刊社会面広告欄に,別
   紙2記載の条件にて各1回掲載せよ。
 5 被告矢野絢也は,原告に対し,別紙4記載の謝罪広告を,被告株式会社新潮
   社発行の週刊誌「週刊新潮」に,別紙3記載の条件にて1回掲載せよ。
第2 事案の概要
   本件は,原告が,被告らに対し,被告株式会社新潮社(以下「被告新潮社」
  という。)が発行する週刊誌「週刊新潮」に掲載された記事により名誉を毀損さ
  れたと主張して,不法行為(被告新潮社に関しては,不法行為及び使用者責任)
  に基づき,損害賠償及びこれに対する上記週刊誌が発売された日である平成2
  0年5月15日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の
  支払並びに謝罪広告の掲載を求める事案である。
 1 前提となる事実(当事者問に争いがないか,証拠等により容易に認定するこ
  とができる事実)
 (1)当事者等
   ア 原告は,創価学会の男子部長,青年部長,総東京長を歴任し,現在,同会
    副会長であり,同会本部の事務総長を務める者である。
   イ 被告新潮社は,書籍及び雑誌の出版等を目的とする会社であり,週刊誌
    「週刊新潮」を発行している,
   ウ 被告早川清(以下「被告早川」という。)は,被告新潮社の従業員であり,
    週刊新潮の編集人であって,週刊新潮の掲載内容を決定する立場にある。
   エ 被告矢野絢也(以下「被告矢野」という。)は,昭和42年に公明党から
    立候補して衆議院議員に初当選し,平成5年に引退するまで衆議院議員を
    9期にわたり務め,その閥,昭和42年から昭和61年までは,公明党書
    記長,同年から平成元年までは,同党委員長の職にあった者である。
   オ 平成5年10月号(同年9月10日発売)から,被告矢野は,文藝春秋
    に記事(以下「本件手記」という。)を連載するようになり,その中に「私
    たちはとかく政教一致というご批判をいただいているが,確かに状況をみ
    てみると,そう言われても致し方ない面はある。」,「芦屋の池田名誉会長
    宅」などといった表現があった。(甲30,乙9)
   力 平成17年5月14日,東京都新宿区所在の戸田記念国際会館において,
    本件手記の内容をめぐり,原告ら創価学会員と被告矢野との間で面談(以下
    「本件面談」という。)が行われた。
   キ 平成20年5月12日,被告矢野は,原告及び創価学会ほか7名に対し,
    損害賠償請求訴訟を提起した。(当庁平成20年(ワ)第12487号損害賠償
    請求事件。以下「別件訴訟」という。)
 (2)本件記事について
   ア 被告新潮社は,「週刊新潮」平成20年5月22日号(以下「本件週刊誌」
    という。)を同年5月15日発売したが,本件週刊誌の26頁ないし29頁
    には,「『矢野絢也」を窮鼠にした『創価学会」の脅迫と誹謗中傷」との見
    出し(以下「本件見出し」という。)を掲げ,次のとおりの各記述を含む記
    事(以下「本件記事」という,)が掲載されている(甲1)。
   イ 本件記事の内容
   (ア)「土下座しろ」「息子がどうなってもいいのか」―創価学会から脅迫と
     誹謗中傷を受けていたという元公明覚委員長の矢野絢也氏(76)。執拗
     な威迫による苦痛は限界を超え,身体の危険を感じて学会と訣別。窮鼠
     と化した矢野氏はついに,損害賠償を求めて提訴した。(小見出し)
   (イ)矢野氏は5月1日,長らく信じてきた創価学会に退会届を提出,そして
     12日に学会と幹部7人を東京地裁に提訴した。学会が矢野氏に対して,
     誹謗中傷を繰り返し,言論活動の中止や莫大な寄付の強要をしたことに
     ついて,慰謝料など5500万円の損害賠償を求める訴えである。
    「3年前の4月,一とつぜん学会による私への攻撃が始まりました」
   と,語るのは値ならぬ矢野氏ご本人だ。
    「副会長に学会の施設に呼び出され,“青年部があの手記のことで怒っ
   ている。謝罪文を書いてくれ”と言われたのです」
    「あの手記」とは,93年から94年にかけて月刊誌『文藝春秋」に連
   載された矢野氏の回顧録である。(中略)
    「手記を発表した当時,学会から糾弾されることはありませんでした。
   ただ,学会と公明党は政教一致と言われても仕方のない部分があった,と
   いう私の個人的感想の部分について学会から指摘を受けたのです。不注
   意だったと釈明しましたし,単行本化したときに訂正しました。その後
   は学会から,何か言われたこともなかったのです」
    唐突に,10年以上前の手記について謝罪又を書けと要求された矢野
   氏。
   「当時,何でまた今ごろになって,あれが問題になるのかよく分かりま
   せんでしたが,そのときはケンカするつもりもなかったので,彼らの言い
   分を呑み,不適切な表現があったことを謝罪する文章を作って,彼らに送
   りました」
    矢野氏の謝罪は,すぐに学会の機関紙『聖教新聞」で大きく報じられ
   た。
   (中略)
   『聖教新聞」には,その後も立て続けに矢野氏を非難する記:事が掲載さ
   れた。
   「口先だけの反省ではダメだ,行動で示せ,などと私への批判がエスカ
   レートしていきました。ちょうどゴールデンウィークの時期で,所用で海
   外に旅行していたのですが,外国に住んでいる私の息子のところにも電
   話があったのです。今度は青年部が私に面会を求めているという。それ
   で帰国した日の夜に行くことになったのです」
    05年5月14日,矢野氏は成田空港から学会施設の戸田記念国際会
   館(東京都新宿区)に直行。学会青年部の幹部らによって矢野氏が吊し
   上げられた様子は,訴状にこう記されている。
   〈被告森井は,2回にわたり原告に対して「土下座しろ」と迫り,被告
   谷川は「人命に関わるかもしれない」「息子さんは外国で立派な活動をし
   ている。あなたは息子がどうなってもいいのか」という趣旨のことを言っ
   て原告を脅迫した〉(以下「本件記述1」という。)
   (中略)被告谷川とは,当時は総東京長で,現在は副会長の谷川佳樹氏
   である。
    学会の枢要な地位にいる幹部らが,自分達よりも信仰歴の長い矢野氏
   に敬意を払わず,口々に罵詈雑言を浴びせた。およそ宗教者とは思えな
   い振る舞いだが,さらに当時の矢野氏にとって仕事だった政治評論の活
   動をやめるよう強要した上,署名まで要求したのである。
    「土下座しろと言ってきた者には,そういうことを言うもんじゃない,
   とたしなめました。しかし,息子がどうなってもいいのか,などという趣
   旨のことを言われ,家族にまで危害が及ぶ恐怖を感じたのです。それで,
   文春に書いた手記についての謝罪と,今後,評論活動は一切しませんと約
   束させられてしまいました」(以下「本件記述2」という。)
   (26頁第1段9行目ないし27頁第2駿21行目)
 (ウ)(中略)3年前の5月14日に矢野氏が受けた不法行為が時効を迎える
   直前,提訴に踏み切ったというわけである,
   (中略)
   さて,創価学会に,矢野元委員長の提訴について見解を求めると,
   「訴状が届いていないので,コメントできません」
   (中略)
    追い詰めた猫が,手ひどく噛まれるヨも近いのである。
   (29頁第4段15行目ないし同頁第5段22行目)
 2 争点
 (1)本件記事が原告の名誉を毀損するものであるか否か(名誉毀損性の有無)
 (2)本件記事に摘示された事実が真実であるか否か〔真実性の有無)
 (3)損害額
 (4)名誉を回復するのに適当な処分としての謝罪広告の要否
 3 争点に関する当事者の主張
 (1)争点(1)(名誉毀損性の有無)について
  (原告の主張)
   ア 本件記事は,「『矢野絢也」を窮鼠にした『創価学会」の脅迫と誹謗中傷」
    とのタイトルのもと,被告矢野が,平成20年5月12日に創価学会とそ
    の幹部7名に対して損害賠償を求める訴訟を提起したとして,平成17年
    4月から創価学会による攻撃が始まったとする被告矢野の発言を記載した
    上で,「被告谷川は『人命に関わるかもしれない」『息子さんは外国で立派
    な活動をしている。あなたは息子がどうなってもいいのか」という趣旨の
    ことを言って原告を脅迫した」と記載し,被告矢野の発言として,「息子が
    どうなってもいいのか,などという趣旨のことを言われ,家族にまで危害
    が及ぶ恐怖を感じたのです。それで,文春に書いた手記についての封罪と,
    今後,評論活動は一切しませんと約束させられてしまいました」と記載し
    ている。
   イ 本件記事のタイトル,リード文,記事内容からすれば,太件記事は,被
    告末野が創価学会や原告に損害賠償を求めて提訴したとしてその訴状を紹
    介しながら,これに被告矢野が解説を加えるという体裁のもと,原告に関
    し,原告が,被告矢野に対して,「人命に関わるかもしれない」,「あなたは
    息子がどうなってもいいのか」と述べて,被告矢野が文藝春秋に掲載した
    手記について謝罪し,政治評論の活動をやめなければ,被告矢野やその息
    子などの家族の生命に危害を加える旨の脅迫をしたとの事実を摘示したも
    のである。
   ウ このように,本件記事は,原告が被告矢野に対して,要求に従わなけれ
    ば被告矢野やその家族の生命に危害を加えるという脅迫を行ったとの事実
    を摘示し,一般読者に対し,原告が暴力団まがいの脅迫行為,犯罪行為を
    行ったとの印象を抱かせるものであり,原告の名誉を毀損することは明白
   工 原告の実名を挙げて,原告が被告矢野やその家族の生命に危害を加える
    旨脅迫して被告矢野に謝罪等を約束させたとする本件名誉毀損部分は,そ
    れのみで原告の名誉を毀損する。
  (被告らの主張)
   ア 本件記事は,被告矢野が家族にまで危害が及ぶ恐怖を感じて文春に書い
    た手記についての謝罪と今後は評論活動を一切しないという約束をした理
    由は,原告ただー人の言動ではなく,森井その他の学会青年部の幹部らに
    よる言動である旨を摘示しているのであり,原告の言動・脅迫のみによっ
    て,被告矢野に文藝暮秋に掲載した手記の謝罪と政治評論の活動をやめる
    ことを約束させたという事実を摘示しているものではない。
   イ 本件記事の写真部分には,訴状の写しが掲載され,またリードにも「窮
    鼠と化した矢野氏はついに,損害賠償を求めて提訴した」とあること,さ
    らに本件記事部分には,上記の本件記事27頁の1段目の他,訴状の引用
    は本件記事27頁の3段目の3人に元公明党議員による行状に関する部分
    や本件記事28頁の2段目から3段目の何者かによる被告矢野宅近くの監
    視カメラ常設による監視や執拗な尾行の継続に関する部分等もあり,さら
    に本件記事29頁の4段目には,平成17年5月14日の不法行為に基づ
    く損害賠償請求を提訴したことが記述され,本件記事は,被告矢野が創価
    学会や原告,学会幹部を被告として提訴したこと及びその内容に触れて紹
    介したものであることがわかる。そして,提訴された被告の創価学会のコ
    メントとして「訴状が届いていないので,コメントできません」というも
    のであったことを掲載した記事である。
     つまり,本件記事は,いわゆる紛争報道と言われる記事である。名誉毀
    損訴訟において原告となる当事者との間で紛争状態にある一方当事者の主
    張を記述しただけですべて名誉毀損になるというのであれば,一切の紛争
    報道や事件報道はできなくなる。紛争報道の重要性は,民主主義社会を構
    成する個々の市民にその紛争について的確な判断を下すに足りる必要にし
    て十分な情報が提供されるということにある。紛争の原因,当事者の主張
    及びその根拠等,民主主義社会に存在する様々な紛争等について,一般読
    者に情報を提供することは極めて重要な事実である。“
   ウ 本件記事は,当事者問の紛争報道を伝えたにすぎず,しかも原告はその
    紛争当事者のム人にすぎず,名誉毀損であると主張する部分も本件記事の
    ごくごく一部にすぎないものである。
     記事全体の趣旨にかんがみることなく,当該記事のごく一部分のみを名
    誉毀損であると取り上げて,その部分のみの主張立証を行うことは,得て
    して記事全体の趣旨や文脈を無視するような結果になりかねず,極めて不
    当である。
 (2)争点(2)(真実性の有無)について
  (被告らの主張)
   ア 公共性
     本件記事は,被告矢野の提訴を契機として,巨大宗教団体である創価学
    会及び政権与党(当時)である公明党という現在の日本の行く末を左右す
    るカを持つ二つの組織が,揃って極めて異常な行動と自由な言論の封殺を
    していることを報じ警鐘を鳴らすものであり,言論の自由が最も尊重され
    なければならない公益性と公共性を持った高い価値のある言論である。
   イ 真実性
   (ア)紛争報道に関する真実性・相当性の抗弁は,当該紛争内容を正確に紹
     介したか否かが問題とされるべきである。本件記事は箪に創価学会らを
    被告とした損害賠償請求の訴状内容を紹介したにすぎない。まずはその
    訴状の内容の正確性が争点とされるべきである。
     そうすると,原告指摘部分は訴状の引用であり,かつ被告矢野が感じ
    たことを正確に記述したものであるから,真実性が認められる。
   (イ)仮に原告指摘部分の事実の存否が真実性・相当性の対象となるとして
     も,真実性の立証の対象は,原告を含む学会の枢要な地位にいる幹部ら
     によって被告矢野に対しどのような言動がなされたのか,そしてかかる
     言動によって被告矢野が家族に危害を加えられると恐怖を感じ,文藝春
     秋に掲載した手記の謝罪と政治評論の活動をやめることを約束したこと
     が真実性の立証の対象となるべきである。
   (ウ)被告矢野は,創価学会上層部の意向と創価学会の敵対者に対する苛烈
     な攻撃の実績を背景とした原告ら創価学会青年部による平成17年5月
     14日の脅迫行為により,家族にまで危害が及ぶ恐怖を感じて,評論活
     動をやめることを約束せざるを得なくなったものである。また,被告矢
     野が創価学会及び原告らを被告として,この脅迫行為を請求原因として
     損害賠償請求訴訟を平成20年5月12日に提起したことに争いはな
     いか
      被告矢野は,平成17年4月28日からの海外出張中に創価学会副会
     長長谷川重夫(以下「長谷川」という。)に連絡を取るよう被告矢野の長
     男を通じて数回にわたり伝言があったので,電話したところ,長谷川か
     ら早期に帰国することと,「青年部が強硬だ。喜怒を収めるため,帰国す
     る日の5月14日に青年部に会ってほしい。」と,強く学会青年部との面
     談を求められ,やむなくこれ,に応じることにして,同年5月14日帰国
     した。5月14日の夜6時過ぎに被告矢野が成田空港に着くと,学会青
     年部に所属すると思われる若い男性10名くらいが待ち受けていて,カ
     メラのフラッシュを浴びせ,さらに電車の乗り場までついてきた。被告
     矢野は,自宅に帰ることもなくそのまま戸田記念国際会館に直行したが,
     長谷川が玄関に出迎え,被告矢野に対し,「売り言葉に買い言葉にならな
     いよう気を付けて下さい」,「今夜は青年部に冷静に対応して下さい」と
     述べ,何を言われても逆らわないようにせよと警告した。
      被告矢野と学会青年部の会談は,同会館の2階の応接室で行われた。
     そこでは,創価学会全国青年部長(以下,肩書きは原則として当時のも
     のを表す。)杉山保(以下「杉山」という。),同男子部長弓谷照彦(以下
     「弓谷」という。),原告,創価学会関西青年部長森井昌義(以下「森井」
     という。)らが,被告矢野を囲むように座った。
      原告らの前には付箋をつけた文藝春秋の記事が置かれており,原告ら
     が,詰問口調で「『攻教一致といわれても仕方がない面もある」との表現
     をたてに,下稲葉衆議院議員,共産党畿員が,それを引用して国会質問
     で学会攻撃をした」,「しかも事務所開きに下稲葉達を招待している。グ
     ルではないか。」,「青年部において除名せよとの要求が出ている」,「われ
     われは本当に怒っている」などと言って被告矢野を追及した。被告矢野
     は,「自民党議員の発言には一切無関係だ」と反論したが,原告らは納得
     せず,まるで査問のような有様だった。
      その中で,森井は,被告矢野に対し,「土下座しろ」と2回迫った。ま
     た原告は,「人命に関わるかもしれない」とか「息子さんは外国で立派な
     活動をしている。あなたは息子がどうなってもよいのか」という趣旨の
     ことを言って被告矢野を威迫した。また,弓谷らが,強い口調で,「政治
     評論家をやめるべきだ」,「元委員長が政治評論家面をするのは許せな
     い」と被告矢野に評論活動を止めるように迫り,さらに杉山は,あらか
     じめ用意していた「文春の件を謝る,評論家をやめる。今後は書かない。
     恩返しをする」といった趣旨の文書を被告矢野に突き付けて,署名を要
     求した。被告矢野は,青年部の態度に畏怖し,またこれまで被告矢野自
     身が経験した事例からして,このような青年部の言動は,上層部の意向
     に従った組織的なもの以外のものではあり得ないことを熟知しており,
     創価学会の上層部の意向に敵対する立場に立たされると組織ぐるみの執
     拗かつ激烈な攻撃にさらされることになることを知っていたので,逆ら
     えばそのような事態になると畏怖して,この脅迫に屈し,原告らが用意
     した文書に署名し,政治評論家をやめると約束した。被告矢野は,帰宅
     後,当時使用していた手帳の5月14日の欄に成田での出来事,青年部
     の言動をメモした。
  (原告の主張)
   ア 判例上,紛争報道として紛争当事者の主張の存在そのものが真実性立証
    の対象となるのは,「紛争当事者の双方の主張について,公正中立に正確か
    つ十分な情報を読者に提供するもの,すなわち紛争報道としての公正中立
    性を維持していると理解される場合」に限定されている。
     本件記事は,見出し,記事の締めくくりからして,もっぱら被告矢野側
    の主張を喧伝する内容である一方,被告矢野が提起した別件訴訟における
    被告側の主張については末尾近くでわずか5行触れるだけであって,この
    ような本件記事は,公平中立な紛争報道に当たらない。
   イ 被告矢野との本件面談では,原告らが年長の被告矢野に対して相応の敬
    意を払いつつ,真蟄な気持ちから,あらかじめ整理していた本件手記の問
    題点について率直に意見を述べ,被告矢野がこれに答えるという形で進め
    られ,席上,被告矢野も,何でも言ってくださいと繰り返し述べた。
     原告らは,まず,これまでに被告矢野が謝罪してきたと言われるいくつ
    かの本件手記の記述について,確認の意味で質問した。これに対し,被告
    矢野は,本件手記の中の“創価学会と公明党は政教一致といわれても致し
    方ない”との記述については,これに続けて,“政教一致という見方もある
    がそれは違う”との趣旨の記述があったが,校正段階で文藝春秋編集部に
    よって勝手に削られてしまったと弁解し,削られたまま本件手記が公表さ
    れたことは自分の不注意であったと述べた。そのー方で,この記述につい
    て,当時の被告矢野自身の気持ちがおかしかったんだろうと思います,結
    果として大変なご迷惑をかけた,これは本当に申し訳ない等と述べて反省
    の意を表した。また,兵庫県芦屋市にあった創価学会の施設である関西戸
    田記念館のことを「芦屋の池田名誉会長宅」と,あたかも同記念館を池田
    名誉会長が私邸として使用しているかのように記述した部分についても,
    被告矢野は,文藝春秋編集部が勝手に記述を変更したものである旨弁解し
    たが,結論としては,弁解するつもりはございません,大変ご迷惑をかけ
    ている等と述べ,記述が誤りであることを率直に認めた。
     さらに,原告らは,被告矢野が事務所開きに招待した下稲葉耕吉議員が,
    文藝春秋の本件手記を引用し,国会で,創価学会・公明党を攻撃する質問
    を何度も行っていることなどを指摘し,創価学会や公明党に批判的な立場
    の自民党議員らと連携して創価学会や公明党を攻撃することを意図して本
    件手記を発表したのではないかと考えていることを率直に伝えた。そして,
    本件手記の本質的な問題は,個々の記述の誤りだけにあるのではなく,当
    時の政治情勢下で本件手記を発表したこと自体にあり,それは創価学会の
    同志の信頼を裏切る行為にほかならないことを指摘し,この点についての
    被告矢野の認識を糺した。これに対し,被告矢野は,自分の認識がまだ浅
    かった,皆さんの話を聞いて悪かったと思います等と自らの気持ちを率直
    に述べ,本件手記を書いたこと自体が誤りであったことを明確に認めるに
    至り,自分のそのような気持ちを関西をはじめとする青年部に伝えてもら
    いたいと述べた。
     また,原告は,創価学会員であり元公明党委員長でありながら被告矢野
    が第三者的な政治評論家として登場し,公明党や創価学会への批判ととれ
    るコメントをしていることに,同じ創価学会員として疑念を呈する声が関
    西青年部から寄せられていることを紹介した。すると,被告矢野は,自ら,
    政治評論家を辞めます,これは評論家訣別宣言と同じことです等と述べる
    に至った。原告らにとって,この発言は予期せぬものであったが,この発
    言が被告矢野の本心からのものであることを確認する意味で,このことを
    青年部に伝えてよいかと確認したところ,被告矢野は自らの決意で辞めた
    と言ってもらって結構ですと述べた。
     こうしたやり取りを経て,原告らは,被告矢野に創価学会員としての自
    覚があるのであれば,本件手記等によって創価学会員に迷惑をかけたこと
    を率直に謝罪するであろうと考えて用意していた文書を被告矢野に提示し
    たところ,被告矢野はその内容を確認した上で,快くこれに署名して原告
    らに渡した。
   ウ 被告矢野と原告らの面談の概要は以上のとおりであって,原告が被告矢
    野に「人命に関わるかもしれない」,「あなたは思子がどうなってもよいの
    か」などと言って脅迫した事実は一切なく,本件記事の摘示事実は虚偽で
    ある。
 (3)争点131(損害額)について
   (原告の主張)
     原告は,創価学会の男子部長等の最高幹部役職を歴任してきたものであり,
    各国との交流など,創価学会の行う平和・文化・教育活動を推進する立場に
    あるとともに,同会本部の事務総長として,同会の法人事務全般を統括する
    立場にある者であって,これらの活動を通じて,創価学会員のみならず,一
    般社会からも高い信用を得ている。
     その原告が,被告矢野に対して,「人命に関わるかもしれない」,「息子がど
    うなってもいいのか」などと述べて,要求に従わなければ被告矢野やその家
    族の生命に危害を加えるという脅迫を行ったとの事実を摘示し,一般読者に
    対し,原告がこのような暴力団まがいの脅迫行為,犯罪行為を行ったとの印
    象を与える本件記事を掲載した本件雑誌が販売・頒布され,本件記事のタイ
    トル等を記載した広告が朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞,日本経
    済新聞等の全国紙や電車の中吊り広告に掲載されたことにより,原告の社会
    的名誉は著しく低下したものであり,原告の損害を金銭に換算すれば100
    0万円を下ることはない。
     また,原告は,被告らの名誉殺損行為により,本件訴訟の提起を余儀なく
    され,その訴訟追行を原告訴訟代理人に委任した。原告が訴訟代理人に支払
    う弁護士費用のうち100万円は,被告らの名誉毀損行為と相当因果関係に
    ある損害である。
   (被告らの主張)
     原告の主張は争う。
 (4)争点(4)(名誉を回復するのに適当な処分としての謝罪広告の要否)につい
   て
 (原告の主張)
    本件記事の悪質性,影響力の重大性にかんがみれば,金銭賠償のみでは到
   底損害は償われず,謝罪広告の掲載を命じるべきである,
 (被告らの主張)
   原告の主張は争う。
 

谷川佳樹裁判判決文(全文)

 投稿者:信濃町ボーイ  投稿日:2011年 2月 8日(火)17時31分26秒
返信・引用
   

以上は、新着順1番目から10番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
/146