木語

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木語:九九はなぜ九九か=金子秀敏

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 かけ算の九九を書いた木簡が昨年、奈良市の平城宮跡で出土した(12月4日各紙)。

 長さ16・3センチ、幅1・5センチ。割りばし袋ほどの大きさだ。先が折れているので本来はもっと長いものだろう。

 表は9の段の一部。「(三)九廿(にじゅう)七 二九十八 一九如九」(カッコ内は欠損)の数字が読めた。

 裏は8の段。「五八(〓(しじゅう)) 四八卅(さんじゅう)二 三八廿(四)」。別の木簡に「宝亀」の年号があった。8世紀後半だ。

 九九木簡はすでに藤原京跡のほか新潟県内などでも見つかっている。今回話題になったのは、1×9の次にイコールを示す「如」の文字があったからである。中国古代の「孫子算経」と同じ表記だ。だから日本の九九の起源は中国の書物だと某紙は書いた。

 そうだろうか。一から十まで、九九に使う漢数字は中国製なのだから、九九も中国でできたことは当然だが、だからといって「孫子算経」が原典と言えるだろうか。

 中国には、春秋戦国時代から「九九歌」という数え歌があった。初期は「九九 八十一」で始まり「二二如四」で終わる。9×9、8×9……とだんだん小さくなった。それで「九九」の名が付いた。5世紀ごろから「一一如一」のように1の段までのびた。13世紀ごろから、1×1、1×2……とだんだん大きくなる今の九九になった(「百度百科」)。

 平城京の九九木簡には1がある。並べ方はかける数が上から下へ小さくなる。まさに、この時代の「九九歌」の姿そのままではないか。平城京の役人の教科書は、難しい算術書ではなく、実用的な九九歌だったと考えたほうが自然だ。

 その歌声はどんなものだったろうか。漢数字は普通は呉音で発音するので「一九如九」の「如」も呉音のニョだろう。とすると「イチ・ク・ニョ・ク」。某紙の記事は「いんくはくのごとし」と訓読みしていたが、これでは歌にならない。

 呉音は、朝鮮半島から伝わった漢字音だ。日本の九九は、中国から直接伝わったのではなく、朝鮮半島を経由してきたと言うほうが正確ではないだろうか。

 その証拠が別の木簡にある。平城京木簡より古い藤原京の木簡には、中国の六朝風書体で書かれたものが多い。中国で流行しなくなった後も7世紀末まで新羅では使われていた書体だ。天武、持統朝のころ唐との接触は少なく、新羅とは往来があった(鬼頭清明「木簡の社会史」河出書房新社)。

 小さな木簡から九九の長い旅路が読みとれる。(専門編集委員)

毎日新聞 2011年2月17日 東京朝刊

 

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