きょうのコラム「時鐘」 2011年2月17日

 1968(昭和43)年8月、たまたま札幌にいて心臓移植ニュースに遭遇した記憶がある。地元紙の大見出しが衝撃だった

10日後の8月18日、岐阜の飛騨川にバス2台が転落、104人死亡の大惨事が起きた。観光ブームの走りのころで国内騒然、慌ただしい夏だった。それから43年、移植手術をした和田寿郎氏の訃報に接して、手術に関わった患者「2人」の命を思った

一方の飛騨川の104人の命を思いだすのは時間がかかった。命に軽重はないとはいえ、歴史に刻まれる命に濃淡はある。手元の日本史年表にも「心臓移植」はあったが「104人死亡のバス事故」の記述はなかった。時の非情さである

昭和43年はイタイイタイ病提訴、全共闘の安田講堂占拠、川端康成のノーベル賞、3億円事件など重大ニュースが相次いだ。この騒々しい時の中で心臓移植は行われた。患者死亡で評価が一転。脳死判定が厳密だったか、功名心ではないかの論議が起きた

長い歳月が過ぎれば、時の流れが人を動かし、事件や事故を招く風が見えてくる。功名心や医療技術だけで論じ切れない背景があるように思う。