平成22年11月号
小国・日本の命運 尖閣諸島紛争の教訓 / 地政学研究家 白馬崇峰
わたしは願いました。「わたしの足がよろめくことのないように。彼らがそれを喜んで尊大にふるまうことがないように」と。 詩編 38─17敢えて暴言を吐こう。
9月7日、沖縄県・尖閣諸島で中国漁船と海上保安庁の巡視船が衝突し、中国漁船船長が逮捕されたことに端を発した尖閣諸島問題について、日本国民は中国に対して感謝したほうがよい。日本人はこの騒動から、自国が想像以上に弱体化しており、東アジアの小国と成り下がっている事、安全保障が依然として米国頼みである事、そして国内政治が不安定である事を強烈に自己認識するに至ったからである。何より、あらゆる政治権力を国民が揃って忌み嫌うこの異常な国家に対して、今日まで弱肉強食の世界の姿が何も変わっておらず、権力のみが支配する無法地帯であることを、武力衝突無しに実感させ、恐怖のどん底に叩き落とした中国の功績は大きい。国内から変わる意思の無い日本に変わる切欠を与えた、黒船来航に匹敵する出来事である。
リアリズムの議論では、国内政治の有り様は国際関係の決定的な変数として扱われない。国内政治は寧ろ国際関係に合わせて柔軟に変化していく。また、経済関係も決定的な変数ではない。日中間が如何に緊密な相互補完経済を確立しようと、中国政府がどれだけ米国債を買おうと、戦争が起きる時は起きる。単純に、経済力はパワーの構成要素である。また、国際政治が国民の性質をも変化させる。如何に第二次大戦後の日本国民が腑抜けようと、切欠さえあれば矯正は可能である。勿論、変化は少ない方が良い。変化は痛みを伴い、ついて行けない多数の脱落者を生み出すからである。小生もそれを意識して、出来るだけ現状のまま、日本がどのように進むべきかを提案したつもりである。
本稿では、尖閣諸島問題によって十分な危機感が醸成されたと仮定し、後の無くなった日本を如何に変えていくかを論考したい。まず、尖閣諸島問題そのものを解説した上で、これをヒントに日本が改めて米中と渡り合っていくために取るべき解決策を提示したい。
尖閣紛争の真の勝者は米国だ
尖閣諸島問題は国際関係上の問題である以上に、双方が国内に抱える課題に翻弄され、危機が増幅されたケースであり、その意味では国内問題である。これは比重の違いこそあれ、日中双方同じである。国内問題だからこそ、当事者間の対話による解決策はそもそも存在しない。しかし、尖閣諸島問題は日中の偶発的武力衝突が最も起き易い領域であり、その原因と悪化の過程を十分に研究する必要があろう。危機の原因は日本にある。中国漁船船長を逮捕したのが最大の過ちであり、その後の経過は日本にとって有利に働く筈も無い。
しかし、釣れてしまった。民主党代表選の混乱に乗じて、また民主党の外交手腕が未熟である事をいいことに漁船を出したものの、ここまで鮮やかに引っかかるとは中国政府中枢にとっても意外であった。日本外務省、中国外交部の双方にとって、話が違う展開となったのである。
船長逮捕直後、中国政府が一時沈黙していた事に日本は注目すべきである。この段階では新華社等主要メディアも論評を控えていた。逮捕の原因は、船長が相当無茶をしたことにあるらしいとの情報を中国政府は得ていたが、日本外務省も状況を把握出来ていない中、いつ釈放されるのか確証を得られなかった。しかし、この段階では事態の長期化は中国政府も予想していなかった。
事態が大きく動いたのは、19日に船長の拘留期間が延長された際と一般的に考えられているが、実際は13日、船長を除く中国人船員14名が帰国した時である。前日未明に丹羽大使を呼びつけ、戴秉国国務委員が直接抗議したメッセージを日本側が受け止め、慣例通り全員強制送還されると踏んでいた矢先、船長が起訴される可能性が出てきた。この事態に中南海(日本の永田町にあたる)には激震が走り、対日融和派とされる胡錦涛が対日強硬派の押しに負けたのである。尚、軍事区域に立ち入ったとされるクボタ社員4名のうち、3名のみが釈放されたのは、船長のみが送還されなかった事への報復措置である。
タイミングも最悪であった。9月18日には柳条湖事件が79周年を迎え、中国の「偏狭なナショナリズム」が最高潮を迎える国慶節も控える。予期せずして発生したこの事態に、中国政府の選択肢は限られていた。即ち、日本に対して強硬姿勢を打ち出すと同時に、公安によって反日勢力を押さえつけることである。
18日、北京の大使館と上海の総領事館前ではそれぞれデモが行われたが、本来は一部の過激分子により2005年の反日デモに匹敵する暴動が計画されていた。公安が強権を発動して押さえつけたのである。そこに、日本側は19日、船長拘留期間延長の発表という特大級の爆弾を投下した。反日世論は放置すると政権批判に発展する。慌てた中国政府は各地の公安幹部を北京・上海等の大都市に集結させて治安維持にあたり、私服警官を大量に投入して日本人学校と万博会場の警備に当たらせた。同時に、レアアースの対日禁輸、日中貿易における税関検査の厳格化といった事実上の経済制裁に加え、23日、温家宝首相に即時釈放を要求させるといった最後のカードを切り始めたのである。船長は24日に釈放されたが、この時点では胡錦涛政権も対日強硬派を抑えることが出来なくなっていた。これが後の謝罪と賠償の要求に繋がっていく。日本のメディアの一部では、強硬策を打ち出す事で日本の力を中国は見極めようとした、との意見もあるようだが、中国政府も余裕が無かったのが事の真相である。自らWTO加盟合意に反するレアアース禁輸をやってのけたり、政府の長が自分から相手国に喧嘩を売って世界中から顰蹙を買う合理的な理由は無い。
一方の日本側は、民主党政権が役に立たず、漁船を強制送還しなかったというそもそもの最悪な判断ミスもあり、政府としての意思決定能力は損なわれていた。人質に取られたクボタ社員を取り返す唯一の交渉カードであったものの、流されるままに船長を釈放したことからそれが見て取れる。民主党で唯一この事態を収拾しうる小沢一郎も、代表戦に敗れた腹いせか、菅内閣が転がり落ちるのを黙って見ているだけである。問題解決の意思も能力も日本政府は持ち合わせていなかった。政官民揃って、次々と切り出される中国のカードを指をくわえて見ているしか出来なかったのである。経済産業省はレアアース禁輸措置に対して情報収集に終始した。外務省に至っては開き直って一連の措置について「相談されていなかった」と連呼する始末である。
繰り返すが、今回の事件は双方の国内問題に起因する。日本、中国共に、国内の政策判断に整合性が無く、慣例から見てイレギュラーな行動に走らざるを得なかった。特に、政権の不安定さが常に内外から認識されている中国と違って、優秀なはずの日本側の官僚機構でさえ有効なソリューションを持たなかったことを、最悪の形で露呈してしまった。
これにより、米国は斜陽の大国ではない事を世界中に見せつけると同時に、日中双方に恩を売った。これに対し、日本は早々に米国の要求に応じてイランのアザデガン油田権益を放棄した。中国も、何らかの形で貸しを返すだろう。人民元の更なる切り上げに応じるか、実害が無いとの理由で対イラン経済制裁への賛同を示すものと思われる。
また、大国化した中国に対し、米国抜きに東アジアのパワーバランスは成立しないことも如実に示した。解決に向けた一連の動きから、日本に比べて中国は強く、中国に比べて米国が強いことを内外に周知する効果があった。
我々が学ぶべき教訓
今回の一件で得られる日本側の教訓は多い。まず、中国が繰り出すカードに対し何ら有効な対抗策を見出せなかった。つまりわが国の国力が中国に比べて大きく劣っていることを自覚すべきであり、その上でわが国が中国に対して切れるカードを棚卸しすべきである。また、それに関連し、東アジアのパワーバランスに埋もれ、米中のパシリにならない体制を目指すべきである。そして、小国日本が大国間政治で生き残れるよう、国民意識の改造が必要である。中国がとった日本叩きの手段は主に3つに分類される。効果は薄いがインパクトのある交流事業の停止、政治対話の拒否、そして最大の効果を上げた経済制裁である。経済制裁はレアアースの禁輸や観光自粛が主に取り上げられるが、最も日本企業を震え上がらせたのは税関検査の検査率を日中貿易貨物に絞って上げたことである。製品の輸出入のみならず、来料加工用の原材料、機械・電子機器の部材、製造機械の流れが一気に停滞したことで、一時的に日本の経済界は大混乱に陥った。経済産業省は影響を細かく調査したが、日本が如何に中国に依存しているかが明確になり、日本がパニックに陥る可能性もあることから、影響の全貌が明かされることは無いだろう(尚、この措置も米国の梃入れがあり数日で終了し、目立った実害は出ていない)。また、地味に効いたのが国営企業幹部を含む政府関係者と日本企業との面会自粛である。複数の大手企業で国営企業とのビジネスミーティングがキャンセルされた。恐ろしい事に、これら措置について、中国はWTOに提訴されるに足る、政府の関与を示した物的証拠を一切残していない。
一方、わが国が中国に対して経済的な制裁を加える事は現実的ではない。今や中国は日本の最大の貿易相手国であり、日本経済は甚大な影響を受ける事となる。これが事実であり、感情的に反中を唱える人士が主張する程、簡単に経済関係を解消する事は出来ない。そもそも、日本は09年度で中国の貿易総額の約10%、対内直接投資に至っては約5%程度のシェアを持つに過ぎない。日本国民が想像する程、中国にとって日本は重要な経済的パートナーではない(だからこそ、中国はいざとなったら日本との関係を切れる。繰り返すが逆は不可能である)。わが国が経済制裁を行った所で、中国のダメージはたかが知れている。また、そのような措置を行えば、証拠を残さずに日本の官僚機構がやり遂げるとは到底考えられず、WTOに逆提訴される危険すらある。
それでは、一部の人間が主張するように環境技術の提供を停止してはどうか。日本が競争から自発的に抜ける事によって、欧米企業はこぞって中国への売り込みに走るだろう。まったく意味の無い手段である。 国力は軍事、経済、領土の広さ、人口、保有資源等の総合概念である。経済でのイニシアチブを失った日本が、今後中国を国力で上回る可能性は存在しない。日本国民はこの事実を冷徹に受け止めるべきである。これを踏まえた上で、はじめて日本は自らをどのように変革するかの道筋を見極める事が可能となり、切れるカードを揃えることが出来る。但し、その変革は痛みを伴い、後述するように変化球の寄せ集めとなる。日本が如何に正攻法で国力を増した所で、中国の相対優位は変わらないからである。
日米同盟の上で惰眠をむさぼるな
まず強調したいのは、日米同盟は今後のパワーバランスに於いて中国への対抗策にはならない、ということである。 尖閣諸島問題で明らかになったように、東アジアにはパワーの不均衡が発生しつつある。日本は中国に対抗出来ないため、米国が関与の程度を増大することが求められる。しかし、あまりにもコストが高く、同盟相手国が弱すぎる為、発生した紛争に巻き込まれる可能性の高い軍事同盟は忌避される。超大国の地位に固執できなくなった米国が、同盟国の防衛を放棄し、東アジアの管理コストを中国に負担させる方向に進む可能性は十分に考慮しなければならない。要するに、日本の弱体化が進めば、中国を東アジアの盟主として認め、米国の要求によって日米同盟が破棄される事もあり得るのである。
中国が脅威となれば、日本を米国の盾として中国にぶつけ、消耗した中国を後から米国が叩きにいくシナリオも、米国は平然と実行するであろう。
しかし、中国は現時点では米国との直接対決は望んでおらず、米国も自らを賭して東アジアを守る余裕は無い。米ソ冷戦との決定的な違いは、中国が欧州の直接的な脅威とならない事にある。中国に世界の覇権を握る力と地理的環境が無い以上、パワーバランスを俯瞰する限りでは米中戦争は起こりえない。
仮に米中戦争が起こるとすれば、自信をつけた中国が現行の国際システムにチャレンジした時であろう。つまり、欧州発祥の国民国家制度を、中華思想をベースとしたアジア的なシステムに入れ替えようと試みる時である(この可能性は少なからず存在すると考える。機会があれば詳述したい)。 日本は小国としての自分を見つめ直さなければならない。これは「最小不幸社会」を目指すなどという後ろ向きの発想ではなく、曾ての台湾のように小国ながらしたたかに生きる道を模索する試みである。経済、軍事・外交、そして内政の3つの切り口から、日本をどのように変えるべきかを論じたい。
何を為すべきか —— 三つの提言
まず経済だが、日本は規制緩和を進め世界の金融センターを目指すべきである。過去に一時、金融センターとしての香港の地位が深刻に脅かされたタイミングが存在した。香港返還不安、アジア金融危機の後遺症といった原因が重なったためだが、その一つが日本の金融ビッグバンである。これが契機となり日本への海外からの投資が急増、中国政府が香港に梃入れし対中投資の拠点としての地位を確立する迄、香港は深刻な不況に陥った。現在、中国は上海金融センター構想をぶち上げ人材と投資の誘致を進めているが、その発想を借用するのである。中国は金融センター構想に併せて厳格な外貨管理制度を緩める方向だが、投機マネーの流出入を嫌う反対派の声は非常に根強い。同じ事を日本が行えば、上海よりも多くの投資をかき集める事が出来る。上海が金融センターとしての地位を確立する夢は破れるだろう。金融センターとして世界中の資本が集まれば、諸外国からの反発を恐れて中国は日本に手出し出来ない。日本には対内直接投資を国益の毀損と考える向きが多いが、世界の常識では海外からの投資・企業買収が増えるのは好ましい事である。また、海外、しかも中国の政策を借用するのは気が引けるとの意見もあろう。しかし、事ここに至っては、小国である日本になり振り構う余裕は無い。中国が日本の技術をパクるのであれば、日本も中国の優秀な官僚がデザインした政策をパクれば良い。中国を二等国として蔑む時代は終わったのである。これは韓国の国を挙げた製造業支援政策も同じである。日本の官僚のプライドは無用の長物であり、この仕事は自民党には出来ない。
また、円高に対する認識を根本から改めるべきである。円高であれば海外の資源をより安価に購入出来る。資源の乏しい日本にとって資源確保は急務であり、円高は寧ろ歓迎すべきである。競争力が失われる製造業に対しては、納税額に応じて政府がまず為替差損の一部補填を行い、競争力強化のための具体案を持つ企業に対しては助成金を支給する。これによって国内の円高アレルギーは多少なりとも軽減されるはずである。
そして、資源購入にも関連するが、総合商社の国有化も検討して良いだろう。金融センターとしてかき集めた外貨を国の機関となった総合商社につぎ込んで権益を買い漁るのである。現在の総合商社は例外無く投資家の為に極めて高いROI(投資利益率)を設定しており、リターンが望めない権益はどんなに魅力的な資源であっても手を出せない。海外インフラ案件も同じで、どんなに公益性が高く、日本のプレゼンス向上に資するプロジェクトでも入札出来ないケースは多い。
また、案件審査そのものに多大なコストをかけており、総合商社がIR(投資家への情報公開)に気を使う間、失われる国益は実に大きいのである。中国企業は国営企業を通じて海外でのプレゼンスを増しているが、資源だけを見ても多数の企業を動かしており効率は悪い。日本には総合商社という優れたプラットフォームが存在する。
日本政府が商社株を買い集めるだけで、わが国の経済基盤は劇的に向上する。
また、軍事・外交面では軍需産業の振興を目的とした再軍備も断行すべきである。中国に対する国民の危機感がかつてなく高まり、海外からの同情が得易い今が絶好のタイミングである。中国は当然反発するだろうが、台湾島の帰属問題についての政府見解見直しを含め、見返りを提供する奥の手は存在する。
そして、日本が中国と戦わない為にも、ロシアを味方に付けるのは必須である。今でこそ中ロ蜜月と言われているが、中国の大国化に伴い、中長期的に見れば国境を接する2大国に問題が起こらない訳が無い。ロシアはその強大さから、中国にとってのカナダになり得ないのである。中ロ戦争は米中戦争より遥かに可能性が高いシナリオであり、日本はこのパワーバランスのゆがみを存分に活用すべきである。勿論、その前提条件としてロシアとの講和が必要だが、将来的な日本の利益の為、北方領土問題に決着をつけるタイミングが迫っている。
以上の、経済および軍事・外交についての提案が、わが国の国内政治と国民感情を考慮すれば実現に遠い暴論であることは百も承知である。しかし、特にロシアを日中関係に巻き込むという点において、実現出来なければ日本に未来は無い。
真の敵は我々自身である
最後に、内政の課題を指摘しよう。 日本の最大の敵は、政治権力を忌み嫌う日本人自身である。政治決断が非民主的と排斥され、少しでも強権を発動すれば非難されるこの国は異常である。マスコミに踊らされているという側面はあるが、そのマスコミを生かしているのも、また日本人である。官僚も、高度成長期のように国民を上からの目線で導くことは今や出来ない。妬みによるバッシングを好き好んで受けたい人間はいないから、旨味に欠ける官僚に優秀な人材が集まらない。国民の政治に対する見方、政治権力に向き合う姿勢は敗戦を境に歪んでしまった。国民意識の改造は急務だが、安易な解決策は存在しないだろう。残るは、政治家が変わるしか無い。小沢一郎のような、強権政治と非難されようとも自らの望みを実行し、国民に対して政治権力の恐ろしさを実感させる多くの人材が日本に不可欠である。国民に強権のボディーブローを与え続け、少しずつアレルギーを解消するような人材である。
当然、民主主義のルールに則って一般人が国会議員になり得る日本で、官僚機構で実務を、中共党内で政治力を若年時から叩き込まれている中国の政治家に比肩できる人材が多数輩出されることは無いだろう。
従って、不足分をカバーするための国会議員教育が本来は必要である。大学のサークルのような「勉強会」ではなく、引退した自民党議員、それも老練な首相経験者クラスが、自らのノウハウと経験を超党派の若手議員に引き継ぐ仕組みがあるべきである。 こういった取り組みに効果が無いようであれば、日本は現状の民主主義のあり方を見直す必要があろう。 日本は崖っぷちに立たされている。空気を読み、言葉を選んだ議論をする一切の余裕は無いのである。