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[25732] Die Geschichte von Seelen der Wolken 【デバイス物語 A’s編】
Name: イル=ド=ガリア◆ec80f898 ID:97ddd526
Date: 2011/01/31 15:59
 初めての方もそうでない方もこんにちわ、イル=ド=ガリアです。

 この作品はリリカルなのはの再構成、オリジナル主人公モノです。独自設定や独自解釈、また一部の原作キャラの性格改変がありますので、そういった展開が嫌いな方は読まれないほうが、いいかも知れません。

 最強モノにはしない予定ですが、どうなるかはわかりません。不定期更新になると思いますが、どうかよろしくお願いします。

 ここの掲示板にある【完結】He is a liar device [デバイス物語・無印編]はこの話の無印編で、これの続きとなっています。

 チラ裏にある『時空管理局歴史妄想』は、この作品の設定集ともなっています。
 URLを貼れないので、イル=ド=ガリアで検索すれば出てきます。




[25732] 夜天の物語 第一章 前編 白の国
Name: イル=ド=ガリア◆ec80f898 ID:97ddd526
Date: 2011/02/02 21:00
 それでは、一つ、古い物語を紡ぎましょう


 遙か古のベルカの地にて、白の国と姫君、そして、仲間のために戦い抜いた、誇り高き騎士達の物語を


 押し寄せる敵をものともせず打ち破り、命尽きるまで戦い続けし烈火の将


 民を逃がすための術を紡ぎ、最後の一人となっても役目を果たし続けし湖の騎士


 ただ一人、民を守る盾となり、後を継ぐ者たちへと魂を残して逝きし盾の騎士


 最も若き騎士にして、単身敵陣へ突入し、武勲と共に果てし鉄鎚の騎士


 守護の星の魂を受け継ぎ、その身が果てるとも、仲間を守り続けし盾の守護獣


 夜天の騎士達を導き、持ちうる叡智の全てを懸け、闇を封じし放浪の賢者


 騎士達の魂を全て受け止め、未来へと希望を託し、儚く散りし調律の姫君


 誰にも語られることなく、安らかなる眠りのうちに誕生の時を待ちわびる、自由の翼


 それは、夜天の騎士達の誇りと誓いの物語にして、絆の物語へと繋がりし序章


 長き夜を超えて、最後の夜天の主へと至る、始まりの鍵


 その長き旅に同行し、誇り高き騎士達と共に在り続けた機械仕掛けの分身達は



 彼らの歩みし人生を――――――確かに、記録していた









第一章   白の国


ベルカ暦485年  エトナヴェットの月  白の国 ヴァルクリント城 回廊



 「おーい、フィー、どこにいんだーーーーーー」

 後の世では、中世ベルカの宮殿建築様式と呼ばれる技法によって作られた回廊を、少女が声を上げながら小走りで駆けていく。

 その背丈は小さく、外見からは7歳か8歳程度と見受けられる。

 燃えるように赤い髪は動きやすいように後で二つに束ねられており、服装も少女のものというよりも、動きやすさを重視した少年のものに近い。

 しかし、その瞳には誰もが理解できるほど強い意志が宿っており、彼女が外見相応の少女であること以外に、もう一つの顔があることをうかがわせている。

 また、彼女程度の年齢ならば、男女の差異は明確ではなく、膂力や体力においてもそれほど差は出ない。

 それ故に、彼女は女の身ではあるが、8歳という年齢で既に“若木”の一員となっている。

 “若木”とは、騎士としての訓練は開始しているものの、未だ成人していない騎士見習いの集まりである。

 この時代のベルカにおいては、成人の儀は早い。それぞれの国によって多少の差異はあれども、15歳より後である国家はどの大陸、どの世界を探しても存在しない。

 女性ならば、子供を産むことが可能な年齢となれば既に成人と見なされる。11歳頃に成人となることも珍しい話ではない。

 そして、男性ならば大人と同様に働けるようになることが成人の証である。ただし、リンカーコアを持つ者達はほとんどが騎士か戦士、もしくは魔術師となるため、“大人と同じように働ける”ようになるのは容易なことではない。

 そのため、ベルカの時代においてリンカーコアを持つ子供達は少々特殊な立ち位置となる。

 リンカーコアを持たない成人を基準とするならば、彼らは8歳や9歳で十分“大人と同等”か、もしくはそれ以上の働きが出来る。この時点で彼らを成人と見なすことも不可能ではない。

 しかし、大人の騎士達を基準とするならば、まだまだ成人と呼ぶには幼く未熟である。そこで、彼らは“若木”と呼ばれる騎士見習いの集団へと入る。

 “若木”はその名の通り、おおよそ8歳から13歳までの子供達が所属する集団ではあるが、既に有事の際にはリンカーコアを持たない一般の民達を守るために戦うことを許されている。

 いずれは騎士となり、命を懸けてベルカの国と民を守る誇り高き刃となるその身は、子供であっても、既に守られることに甘んじる精神を持ってはいない。

 とはいえ、大量の騎士を抱え、騎士団を編成している大国ならば“若木”が戦うようなことはなく、むしろ、貴族階級に在る者達の子弟による“騎士ごっこ”に近いこともある。

 国が栄え、強大になるほど、騎士としての高潔さや誇りといった魂が薄れていくことが多いのは、ベルカの地の列王達が等しく頭を悩ます問題でもあった。

 だがしかし、全ての国が騎士団と呼べるものを抱えているわけではなく、国の力が及びにくい辺境の村や、小国、もしくは国を持たない里、そういった場所においては、彼ら“若木”も騎士達に次ぐ守り手なのである。

 騎士の武術、そして魂は正騎士達より“若木”へと受け継がれ、彼らが成長して正騎士となり、次なる時代を担う“若木”達へ、騎士としての誇りを伝えていく。

 ベルカ暦が始まる以前、まだ国家というものすら整った形ではなく、ドルイド僧と呼ばれた魔術師達がやがて騎士と呼ばれるようになる戦士達と共に一族を纏めていた古代ベルカより、それは脈々と受け継がれてきた。

 そして、古代ベルカより伝わる血筋はそれぞれが王国を成していき、ベルカ暦が作られる頃には数十を超える国家が大陸はおろか、次元を超えて広まっていった。

 未だ正騎士ではないこの少女も、古代ベルカより伝わる武術を継承し、後の時代へ伝える役目を負った、騎士の卵なのである。



 「ったく、どこ行ったんだか」


 そして、この少女が仕える白の国は、500人程の人々が暮らす小国であり、人々の数は大国の都市よりも遙かに少ない。

 登城を許された正騎士の数はわずかに3人。総人口が500人程度しかいないのであれば、この数も妥当と言える。

 しかし、正騎士の数に反して“若木”の数は多く、現在34人程が所属している。ただし、この34人のうち、白の国で生まれ、白の国で育った者はこの少女のみである。

 白の国は小国ではあるが、そこに仕える騎士達は一騎当千として知られており、さらに、独自のデバイス技術を保有している。

 高度な知能を備えたアームドデバイスと、鍛錬を重ねた騎士が呼吸を合わせ、親和性の極めて高い戦技を繰り出す、攻防一体のベルカの武術。

 古代ベルカより続く騎士達の戦いは、白兵戦に特化した武器としてのデバイスで打ち合うことが主流であるが、そのデバイスは基本的にただの武器であり、それぞれの騎士の身体強化と敵の騎士甲冑を破壊するくらいの機能しか持たず、強固さに主眼が置かれている。

 だが、白の国ではデバイスを武器としてだけでなく、人格を備えた“相棒”とするための技術を古くから発展させてきた。そして、今代の当主の後継者である人物は“調律の匠”、もしくは“調律の姫君”と呼ばれる程、機械の心を読み取り、そして組みあげる手法に長けていた。

 そうした背景があるため、近隣の国はおろか遠方の大国からすら、白の国を訪れその技術を学ぼうとする者は後を絶たない。

 そして、白の国はその技術を隠すことなく、技術を学ばんとする志を持つ者には、持ちうる技術の全てを伝えてきた。また、優れた戦闘技術を持つ騎士達も、他国からやってくる“若木”達を己の国の者と区別することなく、その武術を継承していく。

 白の国で学び、成長し、やがて各々の国へ帰った者達は切磋琢磨しながらデバイスの技術や騎士の武術をさらに磨きあげる。そして、彼らはそれぞれに白の国との関わりを持つために、白の国に蓄えられる知識は増えていき、その技術は一段と磨きあげられる。

 つまるところ、白の国はそのものを“学院”と称することが出来る。

 他の国のいずれとも中立の立場を保ち、ただ技術と知識を保存し、さらに高めるための研鑽を行う。

 他の国から学びにやってくるものを拒まず、保有する知識を隠すこともない。白の国に住まう民達は、さながら学院の傍に建てられる旅籠や宿場のようなものだろうか。


 そうして、白の国は“智勇の技術国”、“学び舎の国”と呼ばれるようになった。

 培われた知識と技術、そして騎士達の武勇は大国に劣らぬどころか凌駕さえするが、経済力も軍事力も持たない小さな国。

 ベルカの国々全てより軽視されることも、敵視されることも、危険視されることもなく、白の国は在り続けてきた。

 もし白の国が己の国の技術を“秘伝”とするか、外貨を得るための手段として用いていれば、独占を狙った大国によって遙か昔に滅ぼされていただろう。

 しかし、人々のために作られた技術を、ベルカの地全体に広めようとするその姿勢こそが、白の国を不可侵のものへと変えていた。戦争の調停の場として、白の国が選ばれることが多いのもそれ故に。

 つまるところ、白の国を滅ぼす、もしくは併呑したところで得るものは何もないのだ。

 白の国を滅ぼしてしまえば、デバイスの技術も騎士達の武術も絶えてしまう。どの国も白の国から技術の多くを学びとっており、それぞれに研磨しているものの、技術をより高めるための場所としては白の国には及ばない。

 そして、併呑してしまっては、今後白の国に留学、逗留しようとするものは急激に減ることは考えるまでもない。

 白の国を白の国たらしめるものは、自国のためではなく、ベルカの地全体のための技術を研鑽するという姿勢であり、それ故に平等、それ故にあらゆる国から技術者や武芸者の卵が集まる。

 だが、それを一つの国が併呑してしまっては、結局は技術の奪い合いにしかなりえない。

 時代と共に技術を育み、古い技術を継承しながら発展させていくことにこそ白の国の意味はある。それを失くした白の国には、まさしく都市どころか大きめの町ほどの価値すらないのだ。


 そうして、数百年の時を、白の国は刻み続けてきた。

 列王達が割拠するベルカの土地を、白の国は外界との接触を断つのではなく、最も深く交わり、ベルカの地の一部となって共に在り続けてきた。

 無論、ベルカの国々にも戦乱はある。しかし、いつまでも続く戦乱はあり得ず、乱の後には治の時代がやってくる。

 大きな目で見れば、ベルカの土地は概ね平穏であり、列王達の国々は互いに張り合い、時には傷つけ合いながらも、共に生きるという姿勢を忘れることはなかった。



 最果ての地より流れ出る、異形の技術がベルカの地を覆い始めるまでは。



 だが、この時の少女はまだそのことを知りえない。

 白の国が滅ぶことを想う必要もなく、愛する人々を守れるように、白の国の立派な騎士になれるように。

 少女は“若木”の一人として、親しい人々や共に学ぶ仲間と共に研鑽を続けていた。

 鉄鎚の騎士として、長き旅の始まりとなる白の国の最期の日に散る、自身の未来を知る由もなく。

 少女は、自分の生を歩み続けている。






 「あ、見つけたぞ、このいたずら小僧」


 「ふぇっ?」

 少女は、クローゼットの上に座っていた、自分よりもさらに背丈の低い存在を見つけ、語りかける。


 「んなとこで、何してんだ?」


 「えーとねぇ、…………なんだろ?」


 「おいおい、あたしに訊いても分かるわけないだろ」


 「うううぅぅ…………むずかしいね」

 考え込みながら首を傾げるその姿に、少女は微笑みを抑えきれない。


 「そうだな、あたしも一緒に考えてやるよ。えーと……………ちょうちょでも見つけて、追いかけてたらいつの間にかそこにいたとか」


 「ちょうちょー?」


 「ほらっ、前にあたしとザフィーラと一緒に出かけた時に見つけたろ、小さくて、白くて、ひらひらーってしたやつ」


 「あー、ちょうちょー!」


 「おう、そのちょうちょだ」


 「みなかったよ」


 「そ、そうか」

 一体さきほどの返事の元気さは何だったのかと思う少女だが、フィーなんだからさもありなん、とも思っていた。


 「となると………鳥ってことはないよな、鳥だったらフィーが追いかけることなんて出来ねえし」

 少女がフィーと呼ぶ存在、3歳程度の幼女の外見を持つそれは、まだそれほどの運動性能を持っていない。


 「ん?」

 だが、そこまで思い至ると、おかしいことに気付く。


 ≪そもそも、フィーはどうやってクローゼットの上に登ったんだ?≫

 赤髪の少女ならば飛行魔法を使えるし、そもそも自身の肉体能力だけで跳べば登れる。

 8歳の少女の身ではあるが、“若木”であるその身は伊達ではない。

 しかし、3歳相当の肉体能力すら怪しいフィーでは、絶対に不可能だ。

 ならば、どうやって?

 色々と考えては見るものの、なかなか答えは出ない。


 「なあフィー、そこで何してるか、じゃなくて、どうやって登ったかは分かるか?」


 「のぼったか?」


 「そう、梯子を使ったわけじゃないよな」


 「はしご?」


 「ほらっ、あれ、木がこういう風に組み合わさってて、登れるやつ」

 少女は近くに置いてあった花瓶にささっている花を使って、擬似的に梯子のような形状を作り、フィーと呼ぶ存在に分かりやすく説明する。

 何だかんだで、面倒見の良い性格なのである。

 また、彼女が自分よりも小さいフィーを、妹のように思っていることも、大きな理由ではあるのだろう。



 「あーっ、わかるー」


 「そっか、んで、これを使ったわけじゃないよな?」


 「ないよー」


 「だよな、ってわけで、お前はどうやって登ったんだ?」

 そして、少々の回り道を経て、少女は本題へと戻る。

 彼女自身、フィーとの手間をかけたやり取りの時間は、嫌いではないどころか、割と好きな時間なのである。


 「えーっと………」


 「頑張れ、ずっと待っててやるから」


 「えっと、えっと……」

 そして、しばしの時間が流れ。


 「おもいだしたーー」


 「おう、偉いぞ」


 「えへへーー、あれっ?」

 フィーが思い出した頃には、少女は飛び上ってフィーを抱え、クローゼットの上から降ろしていた。


 「ぎゅうう?」


 「いや、抱きしめる時の擬音を使わなくていいぞ」


 「そっかー」


 「それで、どうだったんだ?」


 「どうだった?」


 「お前が、クローゼットの上に登った方法だよ」


 「あっ、はーい!」


 「うむ、良い返事」


 「あいあい!」


 「それで、教えてくれるか」


 「うん、えーっと、ね」

 そして、フィーは思い返すように少し間を置き、その間にヴィータは彼女を自分の腕から降ろす。


 「ほーせきを、つかったのー」


 「宝石?」

 宝石といえば、フィーの動力として使われている、カートリッジの発展型である魔力結晶のことだろうか?

 と、少女は考えるが、それはフィーが自分で取り出すことが出来ないものであることを思い返す。


 「なあフィー、その宝石って、どんなだ?」


 「きれいな、みどりいろー」


 「翠、ね」

 その言葉から、大体の予想がついてきた少女である。

 おそらく、あの湖の騎士が、またうっかりをやらかしたのだろう、と。

 カートリッジを生成することは白の国の騎士ならば誰でも出来るし、“若木”である少女ですら魔力を込めるだけなら可能である。

 しかし、フィーの動力源となる結晶を精製出来る人物となれば、“調律の姫君”か“放浪の賢者”くらいに絞られる。

 そして、フィーが使った宝石とは、それとは別種の物だろう。

 カートリッジのように使い捨てという面では同じだが、特定の魔法を封入し、一度限りの発動体として使う魔力結晶は、ベルカの地では割とポピュラーな部類である。

 ブースト用に純粋な魔力の形で込めるカートリッジと異なり、特定の魔法しか使えないという点で汎用性は低い。しかし、リンカーコアを持つ者でなければほとんど意味を持たないカートリッジと異なり、通常の民にも使うことが出来る。

 特に、念話の魔法を込めた伝令用の通信石などは、古くから発達しており、これらの技術もこの白の国が発祥であり、ベルカの各地に広まり、白の国へ戻ってきて、やがてはカートリッジなど、さらに汎用性の高いものらが作られた。


 「なあフィー、それ、どこで見つけた?」


 「どこでー?」

 そして、今現在の白の国において、そういうものを作り、管理を任されている人物は一人しかいない。

 出来るか否かの問題なら出来る者は他にもいるが、そういった補助系、もしくは医療系の道具を作ることを誰よりも得意とし、その技術の高さは遠い異国にすら届いている騎士が一人いる。



 ≪なのになんで、うっかりを頻発すんだろうな≫

 そう、技術は極めて高く、管理の手際も見事の一言に尽きる。

 杜撰の対極にあるような見事な整理整頓ぶりであるのに、必ずどこかに“うっかり”が転がっているのである。

 おそらく、廊下を歩いている時に、彼女のポケットから落ちたのだろうと、少女は当たりをつけていた。




 「えっとねー」


 「ひょっとして、シャマルの研究室のあたりか?」


 「あっ、すごい、びーた!」


 「ふふん、あたしの推理力は凄いんだぞ」

 あたしじゃなくても、誰でも同じ発想をするだろうけどな。

 という内心は表に出さないまま、少女、ヴィータはフィーの頭を撫でてやる。


 「つまり、拾った翠色の石をいじってたら、身体が宙に浮いて、あそこにいったと」


 「うん! びっくりしたー」

 魔法発動体には、魔力を注がねば発動しないものから、鍵となる動作によって簡単に発動するものもある。

 フィーが使ったような極簡単な飛行魔法が込められているだけの石ならば、手に持って振るだけで発動するような設定になっているものも多い。流石に、身体強化やバリアともなればそうはいかないが。


 「そっか、ところで、まだ眠くはないのか?」


 「うーん………眠いかもー」


 「部屋に戻るまで、持つか?」


 「うーん………むりかもー」


 そんなになるまでクローゼットの上にいるな、っと内心の苦笑いを押し殺しつつ、ヴィータはフィーを抱き上げる。


 「あたしが運んでやっから、フィーはゆっくり寝てろ」


 「ありがとー」


 「いいって、お前の目付も、一応あたしの役目の一つだからな」


 「おしごとー?」


 「まだまだ見習いだけどな、ま、見習いにはお前の相手くらいがちょうどいいのかもしれねえ」


 「みならいー?」


 「ああ、騎士見習いだ、騎士は知ってるよな?」


 「りゅうとたたかうひとー」


 「だな、シグナムだったら竜どころか、もっとつええ奴だってやっつけるぞ」


 「しぐなむ、すごいー」


 「それで、あたしはその見習い、まだ竜とは戦えないかもしれないけど、グリフォンくらいなら倒せるぞ」


 「びーたも、すごいんだねー」


 「これでも、“若木”の一員だからな。それに、戦うことも仕事だけど、守るのが一番の仕事だ」


 「まもる………ひめさま?」


 「うーん………姫様はあたしよりも兄貴に守って欲しいんだろうけど…………」

 ヴィータの声の調子が少し落ちる。

 彼女は白の国の“若木”であり、当然、姫君を守る義務がある。

 だがしかし、彼女自身の心はいささか複雑なものがある。

 まあ、姫君を守るために親が死んだなどの深刻な理由ではなく、そこは8歳の少女相応の、微笑ましい理由なのだが。


 「どうしたのー?」


 「なんでもねえよ、それより、さっさと眠ったほうがいいぞ、あまり起きてるとお前の頭がパンクしちまう」


 「うん、そうするー」


 「素直でいい返事だ、お休み、フィー」


 「おやすみー」

 そして、フィーは瞼を閉じる。

 僅かに時が過ぎた頃には、静かな寝息が聞え出す。



 「ほんと、人形なんだけど、人形とは思えねえ奴だよな」

 その姿を見守りつつ、ヴィータは回廊を歩いていく。


 「人間のように食べて、人間のように眠って、人間のように笑う、完全人格型融合騎の雛型、か」

 融合騎、それはベルカのデバイス技術の叡智の結晶。

 人間と生体的に融合することで魔力を高める技術は100年ほど前から発展してきたが、それに人格を組みこむことは未だ完全には実現されていない。

 いや、そもそも、デバイスに人格を組みこむこと自体が、白の国ですらほんの50年ほど前に確立された技術なのだ。それまでは騎士や魔術師が用いるデバイスとは、魔法発動のための媒体に過ぎず、それに人格を組みこむという発想はなかった。


 「あくまで、ラルカスの爺ちゃんのシュベルトクロイツみたいのが、デバイスの基本なんだよな。しゃべりもしねーし、考えもしねえ、あくまで騎士や魔術師が魔法を発動するのを補助するだけの道具」

 それも道具の在り方の一つであることを、ヴィータは否定しない。

 純粋な効率で見るならば、そちらが勝っているのは明らかなのだ。


 「だけどやっぱり、あたしはアイゼン達の方が気に入ってる」


 鉄の伯爵 グラーフアイゼン

 炎の魔剣 レヴァンティン

 風のリング クラールヴィント

 夜天の守護騎士達と共に在り、騎士に仕える従者であると同時に、騎士の魂そのものでもあるデバイス達。


 「融合騎は数少ねえけど、兄貴の“ユグドラシル”みたいなのが基本だし、人格を組みこむのは、調律師でも難しい、だったっけ」

 後の時代ではデバイスマイスターと呼ばれる者達は、ベルカの時代においては“調律師”と呼ばれる。

 古代ベルカ時代ならばデバイスも単純な武器や魔法発動体ばかりだったため、デバイスの製作や調整は繊細な技術を要するものではなかったが、中世ベルカともなれば、デバイスは強固さを維持しながらも精密なものへと変化していく。

 そうして、しだいにデバイスを鍛え、磨きあげる者達を“調律師”と呼ばれるようになった。

 この白の国は、騎士見習いである“若木”を他国から多く受け入れているが、同時に調律師の卵達も多く受け入れている。

 特に、現在の姫君、ヴィータが仕える対象は、稀代の調律師として名を馳せているのだ。

 そして、姫君の技術の結晶とも言える存在が、ヴィータの腕の中で幸せそうに眠るフィーであった。


 「………誰かの人格をデバイスに投影するんじゃなくて、全くの無から、一つの人格を作り出す。アイゼン達はあくまで初期の人格設定があるけど、フィーは違う」

 フィーはまだ純粋無垢にして未発達。

 人間ならば脳にあたる部分が真っ白に近いため、起きて動ける時間すらまだ2時間ほどしかなく、残りの22時間は眠っている。

 だが、フィーの人格は他の誰の力を借りることなく、フィーが自分の力で組み上げつつあるもの。

 無論、時間はかかる。まさしく、人間の子供と同じように、少しずつ、少しずつ、成長していくのだ。


 「そんときは、もうちょっと人間らしい身体になってんだろうけどさ」

 そう呟きつつ、ヴィータはフィーの部屋に辿りつく。

 とはいってもそこは同時に、彼女が仕えるべき相手の部屋でもある。

 すなわち、白の国の王女にして、ベルカ最高峰の調律師。



 病に伏せる父の代わりに、ヴァルクリント城を支える、フィオナ姫の執務室であった。
















ベルカ暦485年  エトナヴェットの月  白の国 ヴァルクリント城 王女の執務室



 時は、僅かに遡る。


 ヴィータがクローゼットの上にフィーを見つけ、どうしてそのような場所にフィーがいるのかを考えている頃、その作り主は白の国の王女としての責務を果たしつつ、彼女らのことを気にかけていた。


 「シャマル、ヴィータはまだ戻らないのだろうか」


 「そうですね、少し遅いような気もしますけど、ヴィータちゃんなら大丈夫ですよ。フィーがどこまで行ってしまったかは分かりませんけど、それほど遠くにも行けない筈ですから」

 そのフィーが見当たらなくなった原因が、自らのうっかりミスにあることを未だ知らない湖の騎士は、姫の言葉にいつも通り、朗らかに応じる。

 彼女が自分のうっかりを知って凹むまでには、今少しの時間を要するようであった。


 「そうか、どうも私は心配症のようでいけないな。将からもその辺りはよく注意されているのだが」

 彼女は自嘲するように笑みを浮かべるが、この姫君にはそのような表情すら、一つの芸術に出来るような神秘的な美しさが備わっていた。

 美しい銀の髪は揺れるたびに細雪のような輝きを生み出し、その瞳はルビーの宝石のように紅く、目鼻立ちはとても整い、まるで見事な人形のような容姿。

 そして、何よりもその雰囲気。儚いような、朧のような、触れれば壊れてしまう硝子の月のような姿に、心を奪われる者は多い。

 対照的に、彼女の近衛の長であり、烈火の将の渾名を持つ女性が炎の如き激しさと躍動感を併せたような美しさを持つことから、太陽の化身と月の化身、と呼ばれることもあった。

 太陽と月に例えられる場合は、太陽を持ち上げ、月を引き立て役とすることが多いが、白の国の姫君と烈火の将にそれは当てはまらない。

 輝く太陽は、月の美しさを際立たせると同時に、如何なる外敵からも守り通す。

 烈火の将は、月を守り、不埒な者達からその姿を覆い隠す、夜天の雲の将でもあるのだから。


 「いいえ、姫様、貴女は心配症なのではなく、ただただ優しいんです。ヴィータちゃんのことも、フィーのことも、いつも気にかけてくれているから、心配になってしまうだけですよ」

 そして、同じく姫を守護する雲の一角である湖の騎士は、彼女には儚げな笑みよりも、穏やかな笑みこそが似合うと思っている。

 白の国に仕える3人の守護騎士の中で、役割柄、最も姫の傍に侍ることが多い彼女だからこそ、誰よりも姫が笑顔であることを願っている。

 湖の騎士シャマルにとって、フィオナ姫は仕えるべき主君であると同時に、気のおけない友人でもあり、彼女が幼い頃から様々な事柄を指南した弟子でもある。

 もし、彼女が姫ではなく、自分と対等な立場で主に仕える騎士だったとすれば、それはそれで楽しいだろうな、と夢想することもあったりする。


 「ありがとう、シャマル。お前達のような騎士に囲まれ、私は幸せ者だ」


 「その言葉は、そのまま私達にも当てはまりますね」

 自分も、シグナムも、ローセスも、騎士としてこの上なく恵まれているのだとシャマルは考える。

 争いのためではなく、ベルカに生きる人々のために知識と技術を伝えるこの白の国において、騎士達のことを常に気にかけてくれる主君に、仕えることが出来ているのだから。

 国家に仕えるが故に、時には理不尽な命令を受けざるを得ない騎士は数多い。

 敵対する貴族の子弟を殺せ。

 反抗する部族を女子供区別なく皆殺しにせよ。

 税を納めていない村を、見せしめに焼き払え。

 ベルカの国々とて、常に平和であるわけではない。いつの世も、理不尽な死は世界に満ちている。

 特に昨今は、ベルカの土地に闇が広がりつつあることを思わせる事柄が、多数確認されている。

 今は放浪の賢者と共に旅に出ている烈火の将と盾の騎士の二人は、列強の国々の情勢を探ることも目的として出発したのだから。

 しかし、だからこそシャマルは自分達が恵まれているのだと強く思う。

 自分達の力を、守るべき者のために、在るべき形で振るうことが出来る。

 それは、全ての騎士が夢見る。最高の栄誉に他ならないのだから。


 「ねえ、貴方もそう思うでしょう、ザフィーラ?」


 「………」

 湖の騎士の言葉に、姫君のデスクの傍らに控える賢狼はただ頷きを返すことで答える。

 彼の名はザフィーラ、白の国仕える騎士ではなく、そもそも人間ですらない。

 人間を遙かに超える寿命と高い知性、強力な戦闘能力を備えた、ベルカでは幻獣と区分される生き物であり、その存在は人間よりも竜などに近い。それ故、敬意を込めて賢狼と呼ばれる、ただの狼とは一線を画す存在であるがために。

 賢狼が人間と共に在り、力を貸す事例はごく稀であり、そもそも彼以外には知られていない。

 彼が力を貸している相手である放浪の賢者も、一体いつから彼が傍にあったのか知らないと語る。気付けば傍らに無言で佇んでいた、とだけ彼は夜天の守護騎士達に語っていた。


 「………ありがとう、ザフィーラ」


 「………」

 白の国の姫君の言葉に対し、気にするなと言わんばかりに彼は首を振る。

 彼は人間の言葉を介しており、念話に近い形で己の意思を伝えることも可能であり、実際に人間の言葉を話すことも不可能ではない。

 だが、賢狼にとって言葉というものは神聖な意味合いを持つ。人間は言語をコミュニケ―ションの手段として用いるが、賢狼にとって言語とは、自らを賢狼たらしめる由縁であり、知恵持つ幻獣である証であると同時に誇りなのだ。

 それ故、彼は言葉を理解しつつも発することはない。彼が何を考えているかを念話と近いようで異なる不思議な能力によって伝えることは出来るが、それとて頻繁に行われるわけではなく、その多くは戦闘時であった。

 そして現在、彼は白の国の姫君の護衛という立場を己に課している。

 ただ一人で生きる孤高の賢狼にとって、それは本来必要のない儀式。

 だが、自分以外の者に仕え、その者のために力を振るうということには、孤高の賢狼であった彼を惹きつける何かがあった。

 それが何であるかは、まだ彼にも分からない。いや、それを知りたいと願うからこそ、今も彼はここにいるのか。

 中でも、彼は夜天の騎士の一人に心を許している。

 盾の騎士の渾名を持つ青年の在り方には、共感できるもの、はたまた、力を貸したいと思えるものが確かにあったのだ。


 そして――――


 「姫様、入ってもいい…よろしいでしょうか」

 騎士となることを目指し、その階段を昇り続ける少女の声が、扉の外より響いてくる。

 その少女のことは、ザフィーラも深く理解している。

 何しろ、彼は任されたのだ。長期の旅に出る自分が留守の間、ヴィータのことを見守っていて欲しいと。

 誠実でありながらもどこか不器用で、しかし、愚直なまでに真っ直ぐな青年よりの依頼を、彼は引き受け、それを守り続けている。


 「ふふ、ヴィータちゃんは相変わらず敬語が苦手のようね」

 ヴィータが敬語を使いだしたのは割と最近であり、慣れていないのも無理はない。わざわざ言いなおす仕草に、微笑みがこみあげるのを抑えきれないシャマル。

 「構わない、入ってきてくれ」


 「えと…失礼します」

 一応は騎士らしい礼をしながらヴィータが入ってくるが、シグナムやローセスの礼に比べればまだまだぎこちない。


 「フィーを見つけてくれたか、ありがとう、ヴィータ」


 「いえ、これも、騎士の務めですから」

 労いの言葉をかけるフィオナに対し、ヴィータはフィーを専用のベッドに寝かしつつ、そっけない返事をする。

 騎士見習いとしては褒められた態度ではないが、ヴィータの態度がそっけないのには、騎士と主君以前の部分に理由がある。その公私の区別がつけるのを8歳の少女に求めるのは酷というものである。


 「あらあら、お兄ちゃんを取っていく悪い女性には、心を許せないかしら、ヴィータちゃんは?」


 「そ、そんなんじゃねえよ!」


 「………別に、取る気はない……の……だが………」

 そして、その場に流れる雰囲気は、姫君と仕える騎士達のものから、仲の良い家族のものへと変わる。

 一度こうなると、主君に対してすら遠慮というものが一切なくなるシャマルである。

 ただし、騎士として在るべき時は徹底して敬語を用い、臣下としての振る舞いを忘れることはない。

 彼女もまた、夜天の守護騎士の一人なのだから。


 「あら、じゃあヴィータちゃんはローセスのこと、嫌いなの?」


 「嫌いじゃないけどさ………兄貴が誰を好きだったとしても、それは兄貴の勝手だろ」


 「ふむふむ、ローセスに好きな人がいるという事実は認めているわけね」


 「シャマル……意地わりーぞ」


 「ごめんなさいね、ヴィータちゃんが余りにも可愛いから、つい」


 「ふふふ………確かに、可愛らしかったな」

 動揺から復帰したフィオナも、シャマルに追従する。

 だが―――


 「でも、ローセスのことを考えてる時の姫様も可愛いですよ?」


 「―――――!!」

 幼少の頃から彼女の近衛として仕え、見守ってきた湖の騎士にとっては、彼女とて可愛らしい存在である。


 「べ、別に私とローセスはそんな関係ではなく……」


 「じゃあ、どういう関係で?」


 「し、白の国の王女と、それに仕える騎士。………それ以外にないだろぅ」

 彼女の言葉が途中からどんどん小さくなっていったのは、決して二人の耳が悪いせいではないようである。


 ≪兄貴も兄貴だからなぁ、多分、“好きだ”とか“愛してる”なんて言ったことねえんだろうな≫

 そして、自分の兄であり、夜天の守護騎士の一人である盾の騎士ローセス。

 ヴィータが生まれた時から共に生きてきた存在であり、その性格は当然知り尽くしている。

 ヴィータにとっては兄が取られるようで悔しいような寂しいような気持ちもあるが、もう少し姫に気の利いた言葉でもかけてやれよ、と兄に対して思わなくもない。


 ≪あ、でも、“貴女は綺麗ですよ”とか、“美しい歌声ですね”とかはナチュラルに言ってそうだ≫

 直接的な愛の言葉などは決して言わない癖に、そういう言葉は恥ずかしげもなく連射するような兄である。


 ≪ただなあ、それを誰にでも言っちまうんだよなあ、兄貴の場合≫


 先ほどヴィータが想像した言葉は、何を隠そう同僚であるシグナムやシャマルに対し、ローセスが素でいい放った言葉である。

 普通の女性がこのような言葉をかけられれば、自分に気があるのだと勘違いされても仕方がない。

 ただ、その相手が今のところ、烈火の将シグナムと、湖の騎士シャマルに限られているために、そのような勘違いは避けられているようである。

 ただ、旅先でそのようなことがないかと、一抹の不安は拭いきれないヴィータであった。


 「あ、それでヴィータちゃん、フィーはどこにいたの?」

 ヴィータが兄について思考に沈んでいた間に、姫と騎士、いや、妹の恋愛をだしに楽しむ姉とからかわれる妹のような会話も終わっていた。

 ただ、フィオナの表情は真っ赤に染まり、俯いていたが。



 「ああ、それなんだけどさシャマル。お前、これに見覚えねーか?」

 と言いつつ、ポケットから翠色の石を取り出すヴィータ。

 シャマルが作る魔法発動体は、その多くが彼女の魔力光と同じ翠色をしている。

 それ故に、ヴィータはこの石の出所が簡単に推理出来たのであった。


 「あら、浮遊石じゃない、ヴィータちゃんに渡していたかしら?」


 「いいや、あたしは渡されてねえ。こいつはな、フィーが持ってたもんだ」


 「えっ?」

 ヴィータの言葉を聞き、シャマルの表情が固まる。


 「どういうわけか、お前の研究室の近くの廊下でフィーはこれを拾ったんだと、それで、奇麗な石だからって握って振ったりしてたらフィーの身体は宙に浮いたらしい。そんで、クローゼットの上で座り込んでたよ」


 「あ、あははーー」


 「笑って誤魔化すなよおい」

 じとっとした目をシャマルに向けるヴィータ。

 ついでに言えば、ザフィーラも呆れたような目を向けている。


 「ヴィータちゃん、失敗って、誰にでもあると思うわ」


 「三日に一度の頻度な気がするのは、あたしだけか?」


 「罠よ、これは罠よ、きっとそう、シグナムの罠」


 「ラルカスの爺ちゃんや兄貴と旅に出てるシグナムが、どうやったら罠を張れんだよ」

 そして――――


 「シャマル?」

 つい先程まで湖の騎士にからかわれていた姫君から、素晴らしい声色の美しい旋律のような声が響く。


 「な、何か御用でありましょうか、姫様」

 自分の不利を悟らざるを得ないシャマルは、口調を敬語に戻す。だが、額からは冷や汗が流れている。


 「フィーについて、少し、話したいことがあるのだが、いいだろうか」


 「え、ええっと」

 フィーは、“調律の姫君”と呼ばれるフィオナがその技術の全てを注ぎ込んで作り上げた存在であり、彼女にとっては妹であり、娘のような存在だ。

 ただ、未だ幼子であり、その成長には様々に気を使う必要がある。ヴィータもその辺りはよく理解しており、忙しいフィオナやシャマルの代わりに、フィーが起きている間は可能な限り傍にいることにしている。

 ならば当然、幼子の手に浮遊石が渡るような真似をしでかした湖の騎士が、姫君の逆鱗に触れぬわけがなかった。


 「あー、あたし、そろそろ訓練の時間だから、この辺で失礼します。あ、ザフィーラも付き合ってくれるか?」


 「………」

 了承したと言わんばかりに立ちあがるザフィーラ、この辺りは阿吽の呼吸である。



 「ヴィータちゃん! ザフィーラ! 私を見捨てるの!」


 「ああ、構わない。私もしばらくシャマルと二人だけで話したかったから、ちょうどいい」

 シャマルと二人で、の部分が強調されていたのは、ヴィータの聞き違いではないだろう。


 「それじゃあ、あたしはこれで」


 「だが、そうだ、少しだけ待ってくれヴィータ」


 「え?」

 扉から出ていこうとするヴィータを呼びとめ、フィオナはデスクの中から鎖のついたペンダントに近いものを取り出す。


 「これは?」


 「グラーフアイゼンはローセスと共に旅に出てしまっているからな、お前の訓練用に作ったデバイスだ」

 鉄の伯爵グラーフアイゼンは攻撃力の面で難があった盾の騎士ローセスのために作られたデバイスであったが、適正はむしろ妹であるヴィータの方が高かった。

 ヴィータは小柄な体躯に似合わず、鉄鎚を用いた近接戦闘を得意としている。無論、剣術や槍術、弓術も一通り修めてはいるものの、やはり鉄鎚での打撃こそが彼女の最大の持ち味である。


 「アイゼンに、そっくりだ」


 「基本フレームはグラーフアイゼンそのままだ。ただ、ラケーテンフォルムやギガントフォルムへの変形機能や知能はないが、純粋なアームドデバイスとしての性能だけならば劣りはしないだろう」

 逆に言えば、こちらこそがベルカの標準的なデバイスである。

 グラーフアイゼンはアームドデバイスとしての攻撃力、耐久性を維持したまま、高度な知能と変形機構、優れた魔法補助能力をも兼ね備えており、これを上回るデバイスはベルカのいずこを探しても存在しない。

 唯一対等と言えるのはレヴァンティンやクラールヴィントであり、他の国が彼らと同等の性能を持つデバイスを製作できるようになるには、あと10年ほどはかかるだろう。

 そして、この三機もまた、“調律の姫君”が作り上げたものであった。


 「あと、カートリッジシステムも搭載してはいない。お前の身体ではカートリッジは負担が大きいと私も思う」


 「いざという時に無理が効くようじゃなきゃ、騎士のデバイスとは言えねえ。けど、あたしはまだ見習いだもんな」


 「騎士になる頃には、カートリッジを搭載しておこう。それに、グラーフアイゼンがローセスから譲られるかもしれないぞ」


 「だよな、やっぱしアイゼンは兄貴よりもあたしの方が合ってると思うんだ」


 「ふふふ、そこばかりは、本人の意見も聞いてみないといけないな」

 兄と恋仲にある女性に対して普通に接することが出来るほど、ヴィータはまだ大人ではない。

 ただ、そういった部分を除外するならば、フィオナという女性はヴィータにとって苦手ではなく、むしろ好きな部類に入ることも事実であった。

 彼女があと数年もすれば、その辺りにも折り合いをつけ、対等に話せるような時も来るだろう。

 そして――――


 ≪ザフィーラ、どうして扉を塞ぐの!!≫


 ≪………≫

 フィオナとヴィータが話しているうちに、何とか死地よりの逃走を図ろうとしたシャマルは、蒼き賢狼によってその逃走経路を遮断されていた。

 ついでに言えば、この部屋の中では転移魔法などは行えず、外部から直接この部屋に転移出来ないようにもなっている。白の国に限らず、王族や貴族の部屋というものはそのような処置がされているものなのだ。

 つまり、空間を操る魔法を得意とする湖の騎士をもってしても、この部屋から逃走を可能とするのは出入り口である扉だけであり、そこには賢狼がこの道は通さんとばかりに立ちふさがっていた。なお、窓は明かりを取り入れるのが目的なので開かず、空調用の穴は他にあるが、そこは人間が通れる大きさではない。


 「訓練をするのはいいが、怪我だけはしないようにしてくれ、お前が傷ついてはローセスが悲しむし、私も悲しくなる」


 「………大丈夫だって、子供じゃないんだから……」


 「ふふふ、そうだったな」

 二人は、微笑みつつ言葉を交わし。


 「さて、シャマル、お前に話がある」


 「じゃあなシャマル、訓練、頑張ってくるわ」


 処刑台に上がる面持ちの湖の騎士に対し、共に笑顔を向けたのだった。



















ベルカ暦485年  エトナヴェットの月  白の国 ヴァルクリント城付近 草原



 「ふう、つっかれたあ」

 心地よい疲労感と共に、ヴィータは草原に大の字で横になる。

 彼女が行っていたのは実際の相手を想定したものではなく、より基礎的な武器を効率よく扱うための訓練である。

 どんな戦闘も、基礎が出来ていなければ話にならない。会心のタイミングを合わせても、武器を振るう腕力が伴わなければ何の意味もありはしないのだから。


 「シャマルは、まだ絞られてんのかな?」


 「………」

 傍らで訓練を見守りながら、彼女のフォルムが乱れた時にはそれを示し、注意を促していたザフィーラは、応じるように頷く。


 「となると、まだ戻らないほうがいいか………そうだ、久々に泉の方に行ってみねえか!」


 「………」

 ザフィーラは黙したまま腰を屈め、そのままの姿勢を続ける。


 「乗っていいのか?」


 「………」

 賢狼は、ただ無言。

 だが―――


 いくらお前でも訓練の後では疲れているだろう、私が運んでいこう。


 そんな意思が、ヴィータには不思議と感じ取れた。


 「ありがと、ザフィーラ」


 「………」

 気にするなと言わんばかりに頷きを返し、赤い髪の少女を背に乗せ、蒼き狼は駆けだす。


 「うぉー、やっぱはええええ!!」


 「………」

 8歳でありながら空戦が既に可能であるヴィータ、彼女の移動速度も相当ではあるが、ザフィーラが駆ける速度はそれをさらに上回る。


 「それ行け、ザフィーラ!」


 「………」


 そして、ザフィーラに跨り、興奮しながら掛け声をあげるその姿は、年相応の少女のものであり――――

 夜天の主に力を貸す賢狼は、彼女を背にのせながら、騎士という存在に想いを馳せる。

 このように無邪気に遊ぶ姿が似合う少女ですら、主君やその民のために己の命を懸ける心構えを持っている。

 そして、彼女の先を行く3人の騎士、烈火の将シグナム、湖の騎士シャマル、盾の騎士ローセスは言うに及ばず。

 特に、ローセスにとってはヴィータこそが守るべき対象であるはずだが、彼女が騎士としての訓練を続けることに反対はせず、悲しむこともなく、誇りに思っているようである。

 無論、ヴィータが戦場に臨むことや、負傷する危険がある場所に赴くことを望んでいるわけではないだろう。ザフィーラを彼女の傍に残し、見守っていて欲しいと頼んだことはその証とも言える。

 彼女が危険に晒されることは望むところではないが、彼女が危険を覚悟してなお騎士として戦うという意思は、尊きものであると認め、それを感情論で否定することもない。

 騎士の在り方は、人間らしくないようでありながら、人間にしか出来ないような生き様であるように、賢狼には思われるのだ。


 ≪騎士とは、かくも興味深い≫


 蒼き賢狼は、想いを馳せる。

 自分が、彼らと共に歩むことを決めたのは一体なぜか。それは、彼自身にも分からない。

 しかし、ただ孤高の賢狼として生きるよりも、尊きものがそこにはあるのではないか。

 そのように考えたからこそ、彼は夜天の騎士達と共に在る。

 それが、どのような結末をもたらすかは、まだ分からない。

 だが―――


 ≪今は、この若き騎士見習いを見守ろう。それが、我が友、ローセスとの誓約だ≫


 賢狼は、決して誓約を違えない。

 言葉に出して誓うことなど、生涯で三度しかないと伝えられる彼ら。

 この誓約は直接口にして誓ったものではないが、それでも、ザフィーラにとっては決して違えてはならないものである。

 そして、さして遠くないうちに、言葉を以て成す誓約、すなわち“誓言”を夜天の騎士達のために立てる時が来るのではないかと。



 「駆けろっ! 行けえぇーー!」


 「………」



 蒼き賢狼は、静かに予感していた。






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あとがき

タイトルはまだ仮題です。しっくり来るのがあれば変えるかもしれません。今のも結構気に入ってますが。
この過去編ではオリキャラが何人か登場しますが、受け入れてもらえればうれしいです。
無印の感想返しは、そっちにほうに書いてます。アナザーエンドはちょっと手こずってるので気長にお持ちください


ちなみに、この白の国のモデルになったゲームがあったりします。世界観もけっこう借りてます。分かる方はいらっしゃるかな?

あと、賢狼ザフィーラも、ヒントは欲望。




[25732] 夜天の物語 第一章 中編 旅の騎士達
Name: イル=ド=ガリア◆ec80f898 ID:97ddd526
Date: 2011/02/02 20:56
第1章  中編  旅の騎士達




ベルカ暦485年  エトナヴェットの月  ミドルトン王国領  イアール湖




 心が引きこまれるかと思われるほど透き通った水を湛える湖、イアール湖。

 ベルカの地に点在する王国の一つ、ミドルトン王国の中でも屈指の美しさを誇るその湖畔に、一人の騎士が佇んでいる。

 無骨と耽美、本来相反するはずのその二つを兼ねた騎士甲冑を纏い、桃色と赤紫色の中間と言える長い髪を後ろで束ね、鞘に収まった剣型デバイスを携える凛々しい風貌の女性。

 夜天の守護騎士の将であり、“剣の騎士”との誉れ高き、白の国の近衛隊長。

 彼女は、ただ静かに湖面を見据え、鞘に収まったままの相棒に語りかける。


 「来る」


 『Ja』

 交わす言葉は短く、しかし、それ以上の言葉は不要。

 炎の魔剣レヴァンティンは、烈火の将が魂。

 こと、戦いの場において、この二人が意思の疎通に余分な言葉など必要とするはずもない。

 そして、二人の言葉に応じるかのように、湖の水面が盛り上がり、巨大な生物が姿を現す。


 「■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」

 ベルゲルミルと呼ばれるその生物は、竜と同等の体躯と強大な力を持ち、主にイアール湖を中心としたミドルトン地方の湖に生息していることは知られているが、それ以上のことはほとんど謎に包まれている。

 その鱗は頑強であり、牙や爪も人間など容易く引き裂く力を秘めており、肉食でもあるため人間が出会えば危険極まりない生物であることは間違いない。


 「往くぞ、レヴァンティン!!」


 『Jawohl!』

 だがしかし、それは彼女らが普通の人間であればの話。

 ベルカの騎士は戦いにおいて一騎当千。無論、全ての騎士がそこまでの技量を備えているわけではないが、ベルゲルミルという巨大生物と対峙している騎士は、まさしくその言葉を体現した存在であった。


 「紫電――――」


 そして、人間よりも遙かに巨大な体躯と力を備えた相手に対し、様子見を行う愚を犯すような者に、夜天の騎士を名乗る資格はない。

 みまうべきは強烈無比なる一撃であり、小手先の技で敵の力を図ろうとするなど愚の骨頂。

 技術とはあくまで騎士と騎士が戦う際にこそ用いるべきものであり、人間との戦いでこそ意味を成す。魔獣や幻獣を相手にする際に知恵を絞るのは魔術師の役目、騎士の役割とはすなわち。


 「一閃!!」


 『Explosion!』

 強大な力を誇るその存在に真っ向から立ち向かい、鎧を持たない魔術師達の盾となると同時に、剣となること。

 ただ、烈火の将と炎の魔剣の場合はいささか異なり――――


 「■■■■■■■■■■■■■■■■………」


 魔術師の智略と補助を必要とすることなく、一対一で打ち破ることが可能、いや、容易であるという点で、怪物退治のセオリーとはかけ離れた存在であった。

 紫電一閃を正面から叩き込まれたベルゲルミルは、僅かに唸り声を上げた後、湖畔の浅い水に倒れ込む。


 「存外、楽に片付いたな」


 『Ja』


 「では、本来の仕事を行うとしよう」


 『Nachladen.(装填)』
 
 だがしかし、それもある意味で当然である。

 この二人の目的はそもそも怪物退治ではないのだから、セオリーからかけ離れるのも実に自然な成り行きであった。


 「“鏡の籠手”よ、起動せよ」

 剣の騎士が取り出し右手に填めた道具は、籠手という名こそ付けられているものの、実質は手袋と呼ぶべき薄さである。

 翠色の布で作られたそれは、魔力が注がれると共に湖の騎士と同じ色の魔力光を放ち、込められた術式を開放していく。


 「リンカーコア、摘出」

 彼女の紫電一閃(当然、殺さないように手加減をしている)によって目を回しているベルゲルミルに近寄り、直接鱗に触れると同時に、輝きが一段と強まる。

 そして、人の掌の上に容易に収まるほどの大きさの光を放つ物質、すなわち、リンカーコアが導き出されるように姿を現す。


 「すまんが、少々我慢してくれ、痛みはないはずだ」

 そちらよりも紫電一閃の方が余程痛いはずだが、まあそれはそれとして、彼女は所持していた本を開く。

 その表紙には、魔術師達が己の秘儀を伝える際に使用する古代ベルカ文字において、“魔法生物大全”と書かれていた。

 
 「蒐集、開始」


 そして、彼女の言葉と共に起こった現象は、ベルカの地においても秘蹟と称されうる最上級の魔道の業。

 “鏡の籠手”によって導き出されたリンカーコアの一部が、光の粒となりつつ本に注がれていくと同時に、本のページが独りでに埋まっていく。

 そこには、ベルゲルミルという生物の生態が事細かに書きこまれ、数十年観察を続けることでようやく得られるが如き成果が、凝縮されていた。


 「よし、完了だ。すまなかったな、シャマルならば傷つけることなく速やかに成せるのだろうが、私はあいにく不器用でな」

 労うような言葉をかけつつ、女性騎士は懐から翠色の石を取り出し魔力を込め、治療魔法の術式を展開する。

 こちらも、彼女の同僚である湖の騎士シャマルが製作した魔法石であり、自身では治療系の魔法が使えない彼女は実に重宝していた。

 淡い翠色の光がベルゲルミルを包み込み、手加減はしたものの付いてしまった傷を癒していく。



 そこに―――



 「いやあ、驚きました。流石は白の国が誇る烈火の将シグナム、見事な手際ですねえ」

 後方で控えていた線の細い男性が、声をかける。


 「賞賛の言葉、有り難く受け取ろう。だが、諸国の近衛の長達に比べれば若輩の身ではあるが、白の国の近衛隊長を任されている立場にいる以上、この程度のことが成せぬようでは話にならん」


 「いやいや、この程度と申されましても、ベルゲルミルを一撃で昏倒させることが出来る騎士など、ベルカの地全体を見渡してもどれほどいることやら」


 「そうかな、これを成せる騎士という存在は案外多いものだぞ、世界は広い。お前も機会があればベルカの地を巡ってみるといい、今よりもさらに視野が広がるだろう」


 「はあ、実際に放浪の賢者と共に諸国を巡られている貴女の言葉では、反論することは出来ませんけど」

 苦笑いを浮かべつつ、年齢19歳程と見受けられる男性は、今も横たわるベルゲルミルを見上げる。


 「しかし、本当に驚きましたよ。今まで何度も力自慢の騎士の方々をここに案内してきたものですけど、これほど容易くベルゲルミルを制し、かつ、ほとんど傷つけずに目的を達成なさるとは」

 彼はイアール湖の畔にある大きな街、パヴィスに住む調律師であると同時に猟師でもある。

 彼の家は代々イアール湖周辺の案内役を務めており、彼もまた、4年前よりベルゲルミルを打倒することで誉れとせんとする騎士達を幾人も案内してきた。

 だがしかし、その大半は返り討ちにあい、ごく稀に打倒することに成功する騎士もいたが、彼女のように最初の一撃で昏倒させ、さらに打倒することが目的ではなかった者は彼が案内してきた中にはいなかった。


 「半分は私の仕事ではない。これを作ったのは私の同僚であり、こちらは、我等が大師父の作品だ」


 「貴女と同じ夜天の騎士の一人、湖の騎士シャマルの作品である“鏡の籠手”に、彼の放浪の賢者ラルカスが作りし”夜天の魔道書”か、いや凄いなあ」

 若者の言葉に、シグナムは首を横に振る。


 「いいや、これは夜天の魔道書本体ではない。“魔法生物大全”という銘がついているが、実際は情報をまとめ、夜天の魔道書へ引き渡すための子機のようなものだ」


 「ああなるほど、一旦はそちらに保存され、しかる後に大元である夜天の魔道書に記録される。というわけですか」


 「ああ、夜天の魔道書のキャパシティは膨大だ。ベルカの地に生きる全ての魔法生物を記録したとしても、まだページは残るだろう」

 ベルカにおいては、リンカーコアを持つ生き物は魔法生物、もしくは魔獣などと呼ばれる。

 その中でも特に知能が高く、人間と同等かそれ以上の者らは幻獣と称され、真竜などが最たる例とされる。

 それらの記録を悉く蒐集してなお、ページを残すと言われる夜天の魔道書。その容量はデバイスの常識を超えるものであった。


 「ははは、流石は放浪の賢者の最高傑作と呼ばれし魔道書。僕なんかではその一部すら理解できそうにないなあ」


 「そう卑下することもないだろう。お前の調律師としての名も、かなり知れ渡っているぞ、クレス」

 シグナムにクレスと呼ばれた青年。

 彼もまた、10歳から15歳までを白の国で過ごし、調律師としての技術を学んだ者であり、騎士と調律師では立場がやや異なるが、シグナムの後輩に当たる存在であった。

 彼もまたリンカーコアを有しており、騎士見習いの集まりである“若木”の一員なることも不可能ではなかったが、性格がそれほど戦いに向いていなかったことや、何より、彼の才能は騎士よりも調律師や魔術師としての方面に偏っていたこともあり、“若木”とはならなかった。

 彼のように、他国から白の国に技術を学ぶために訪れる者は多い。そして、彼らがそれぞれの母国の技術を高め、それがまた白の国へと集まっていく。

 そして、彼らはそれぞれの国で騎士や調律師として名を馳せ、歴史や地理にも精通していることが多いため、夜天の騎士達の旅とは、白の国の門徒達を巡る旅であるといえた。


 「ありがとうごさいます、騎士シグナム。シャマルさんやザフィーラとも、出来れば再会したかったところですけど」


 「その二人は来ていないが、ローセスは来ているぞ、お前とは特に親しかったな」


 「みたいですね、あいつも、今では白の国の正騎士にして、夜天の守護騎士の一人なんだよなあ」

 感慨深いような、羨むような、やや微妙な表情を浮かべるクレス。


 「ライバルに置いて行かれるような心境、といったところか」


 「貴女には敵わないなあ。まあ、そんなとこです、騎士シグナム」


 「私にも似たような経験はあってな、私の同年代には同格の騎士がいなかった。先輩には幾人かいたが、彼らも私が正騎士となる前に白の国を離れていた」

 剣の騎士にして、夜天の騎士の烈火の将シグナム。

 彼女が“若木”であった頃、彼女に敵う男はおらず、無論のこと、女はさらにいなかった。

 彼女が述べたように、年上には幾人か彼女と同等の者もいたが、白の国の“若木”は大半が他国より訪れている者達であるため、長くとも7年ほどで故国へ戻るのが常であった。


 そして、白の国で生まれ育った者達の中では、シャマルが唯一彼女と対等と言えたが、その専門は大きく異なる。騎士として最前線で戦うことがシグナムの役割であり、シャマルの役割は後方支援。

 ちょうどローセスとクレスの関係と重なる。

 求められる技術が全く異なる故に、競い合う仲とはなりえない。互いに意識し合い、負けてはいられないという想いはあったが、やはり武の腕を競える相手がいなかったことは、彼女にとって唯一残念といえる事柄であった。


 「確かに、僕は恵まれていますね。力無き者にはそれ故の苦悩があり、力有りし者にもそれ故の苦悩あり、でしたっけ?」


 「我等が大師父の言葉はいつも真理を的確に表すな」


 「確かに、まあ、そのような人智を超えた品物を作り上げることが出来る人ですから」

 クレスが指す“人智を超えた品”とは、無論、“魔法生物大全”とその上位に君臨する夜天の魔道書である。


 「リンカーコアの一部を蒐集して、その生態を余すことなく写し取る。確かに、僕達生物の細胞にはそれぞれの設計図と呼べるものがあり、リンカーコアには特に情報体として解読しやすい形で保存されているとはいいますが、リンカーコアの欠片からそれを読み取るのはほとんど不可能に近いと思いますよ」


 「心臓に例えるならば、心臓だけを抜き出して、僅かに血液を採取するだけでその生物の特徴を全て書き出すようなものか。確かに、改めて考えれば、空恐ろしさすら感じる」

 クレスの言葉に、シグナムもまた表情を改めて考え込む。


 「それに、“鏡の籠手”も普通ではあり得ない品ですよ。シャマルさんは道具を用いることもなく、やってのけてしまいますけど」


 「私も時々恐ろしく感じるほどだ。もし私が敵対する立場にいるならば、シャマルは真っ先に潰すだろう」


 「ですが、貴方が剣、彼女が癒し手ならば、もう一人、強力な盾がいますからそれも厳しいでしょうね」

 夜天の守護騎士は二人ではなく、三人。

 最も防戦を得意とする盾の騎士がいるからこそ、烈火の将は前線で心おきなく戦うことができ、湖の騎士は補助に専念することが可能となる。


 「ふっ、本当にローセスのことをよく見ているな、お前は」


 「茶化さないでください、それに、ローセスと言えば、あの子はもう何歳になりますかね?」


 「ヴィータか、今年で8歳になるはずだ」


 「8歳ですか、早いものだなあ」

 クレスという青年は現在19歳であり、彼が白の国に滞在していたのは15歳までであるため、彼が知るヴィータは4歳の幼子であった。

 そして、ヴィータの兄である盾の騎士ローセスは彼と同じ19歳。クレスも幾度となくヴィータの遊び相手を務めた覚えがある。


 「ちょうど、私と同年代の友人の娘も同い年でな、たびたび子供の話を聞かされるので自然と覚えてしまった」


 「そうでした、騎士シグナムはもう26歳でしたっけ。ということは、その人は18歳で産んだわけですか、まあ、平均的でしょうけど」


 「ほほう、女性に対して年齢を直接言うとは、いい度胸だ」


 「あっ、いえ、これはその、言葉のあやというやつで………」

 自分の失言を悟り、慌てて修正を試みるクレス。


 「冗談だ、ただ、仮に会えたとしてもシャマルの前では言うな、あれの前で歳の話は禁句だ」


 「ああー、行かず後家を気にしてたんですね、シャマルさん。貴女の一つ下のはずだから、もう25歳、適齢期はけっこう過ぎてますねえ」

 ベルカにおいては、女性は子供を産めるようになれば成人と見なされ、平均寿命もそれほど長いわけではないため、結婚する年齢も自然と低くなる。

 15~18歳程が一般的であり、20歳になればやや遅め、25を超えれば危険水域に入り、30を過ぎればほぼ絶望的である。

 湖の騎士シャマル、御年25歳。騎士として白の国に仕えることを本懐としてはいるものの、それはそれとして、女を捨てているわけではないので、内心に焦りを抱えてもいた。

 御年17歳であり、恋愛真っ最中のフィオナ姫をシャマルがよくからかうのは、自己の精神を保つための儀式の要素を含んでいるのかもしれない。



 「器量は申し分ないはずなのだが、なぜか男が寄ってこないというのも不思議な話だ」


 「あー、それは、男心も女心に劣らず複雑、という奴だと思いますよ」

 クレス自身、12~13歳の頃は6歳年上であり、見目麗しいと同時に性格も穏やかで、誰にでも優しく、かつ明るく接するシャマルに憧れの感情を抱いていたこともある。(シグナムの場合は憧れというよりも崇拝に近かった)

 だが、遠目にはシャマルという女性は“何でも出来る完璧な才女”ように見えるため、男の方が劣等感を感じてしまい、敬遠してしまうのである。

 彼女のことを深く知れば、“完璧な才女”どころか、“うっかりお姉さん”であることも分かってくるのだが、シャマルはよほど親しい人物の前以外では滅多に敬語を崩さず、冷静な参謀としての面も備えるため、それに気付くことは困難であった。

 クレスもまた、ローセスを通してシャマルという女性のうっかり属性を知るに至ったくらいである。

 ただ、その大きな理由として、湖の騎士シャマルとほぼ同年齢で、同じく遠目には“騎士の具現”と言える剣の騎士シグナムが、ほぼ見た目通りの存在であることが挙げられる。

 シグナムが見た目通りの内面であるため、シャマルもまた見た目通りの内面であるのだろうという先入観が働いてしまうのであり、彼女ら二人が共に優れた能力を持つ、同年代の同格の騎士であることがそれに拍車をかける。


 「情けないな。本気で惚れたのならば、劣等感など感じている暇を自己の鍛練に向け、シャマルを妻とするのに相応しい男になればいいだけだろうに」


 「はははは………貴女が男性だったら、きっとそうしていたような気がしますけど」

 口に出しつつ、ひょっとしたら本当にそうなっていたかもと思うクレスであり。


 「ふむ、私が男であったら、か………………確かに、シャマルを妻に迎えていたかもしれん」

 それを恥ずかしがることもなく、堂々と言い放つからこそ、彼女はシグナムであった。



 「ところで、ベルゲルミルの調査は終わったわけですが、戻られますか?」


 「いや、ローセスが近場でスクリミルの調査を終えたところで、こちらに合流するらしい。それまではここで待つ方がいいだろう」


 「念話が、この距離で届くんですか?」


 「ああ、私達は念話を補助するためのデバイスを所有しているからな、夜天の騎士は戦場において連絡を常に取り合うことが出来る」


 「流石は調律の姫君、相変わらず凄い腕前だ」

 彼もまたそれなりに名の通った調律師ではあるが、白の国の“調律の姫君”には遠く及ばないことは自覚している。

 最も、いつかは彼女に及ぶほどの調律師になってみせるという野心をクレスは持っている。逆に言えば、向上心を持たぬ者は白の国から印可状を授かることは出来はしない。

 彼は弛まぬ向上心とともに白の国で修錬を重ね、15歳の時に放浪の賢者より薫陶を受け、独立して調律師を名乗る資格を得たのだから。


 「我等の主にして我等の誇りだ。本当に、夜天の騎士は主君に恵まれている」

 そして、ちょうど同じ頃、はるか遠方の故郷において、湖の騎士が全く同じ事柄に想いを馳せていることを、剣の騎士は知るはずもない。

 ただそれが、夜天の騎士全員が心に刻む共通の想いであった、それだけの話である。


 「それで騎士シグナム、待つのは構いませんけど、ローセスが来るまでどうしてましょうか?」


 「そうだな、この辺りの魔法生物はベルゲルミルと今ローセスが調査しているスクリミルで最後だ。特にやることがあるわけではないな」

 夜天の騎士の旅の目的は主に3つ。

 1つ目は、白の国の騎士として諸国を巡り、大使、もしくは外交官に近い働きをすること。

 時には白の国の城主自身が赴くこともあるが、王は病床にあり、姫君も遠出が出来るほど身体が丈夫ではないため、正式な立場ではないが“調律の姫君”の実質的な後見人であるラルカスと、その護衛として白の国の近衛隊長のシグナムと盾の騎士ローセスが諸国を巡っている。

 2つ目は、夜天の魔道書の主にして放浪の賢者と呼ばれる大魔導師ラルカスと共に、後の世に残すべき技術、または魔法に関する知識を集めること。

 魔法生物の生態をリンカーコアの蒐集によって調べることも、この目的の一環と言えた。

 そして、3つ目が、ベルカの地に広まりつつある不穏な影について調査すること。これについては、放浪の賢者ラルカスの固有能力が大きく関係している。

 彼女らは諸国漫遊ではなく、確固たる目的をもって旅しており、このように特にやることがなくなることは稀といえる。


 「そうですか、じゃあ僕は、もう一つの生業をすることにしますよ」

 と言いつつ、クレスは肩にかけていた弓を手に持つ。

 彼は騎士ではないものの、リンカーコアは持ち合わせており、デバイスを扱うことが出来る。そして、彼の弓は彼自身が作り上げたデバイスであると同時に、免許皆伝の証でもあり、その銘をフェイルノートという。

 変形機能などは優さないものの、騎士の武装に劣らぬほど頑丈に作られており、製作から4年の月日を経て、使いこまれていることが伺える程の年季を漂わせている。


 「ほう、弓を持つ姿も、より様になったな」


 「貴女の指導のおかげです」

 クレスが白の国にいた時分、弓の使い方を実践を交えて教えたのはシグナムである。

 何しろ、シグナムの相棒であるレヴァンティンが最強の一撃、シュトゥルムファルケンは、ボーゲンフォルムより放たれるのであり、白の国で弓を使わせれば、彼女の右に出る者はいない。

 ベルカにおいて、リンカーコアを有する者は大きく“理論者”と“実践者”に分かれる。前者は主に放浪の賢者ラルカスのような魔術師、後者は騎士だが、クレスのように調律師も“理論者”に区別されることもある。ただ、リンカーコアがなくとも調律師になることは出来るため、調律師=理論者という図式は成り立たない。

 逆に、湖の騎士シャマルは魔法の力を込めた道具を作ることを得意としており、“理論者”と呼べるほどの知識と技術を保有しているが、彼女はあくまで騎士であり、その本質は“実践者”であった。

 そして、クレスは騎士ではないが、弓の師がシグナムであった以上その腕前は確かであり、魔法も白の国の騎士として最低限のレベルならば使うことが出来る。(未来の基準ならば空戦Aランク相当)


 「では私は―――――せっかくイアール湖の湖畔に来ているだから、ここでしか出来ないことをするとしよう。鍛錬ならば如何なる時でも出来る」


 「はあ…………って、うぇえええ!!」


 言葉と同時に躊躇なく騎士甲冑を解除し、服を脱ぎ始めたシグナム。19歳にして健全な男であるクレスが動揺するのも無理はなかった。



 「どうした?」


 「どうしたもこうしたもありませんよ! いきなり何やってるんですか!」


 「別に下着まで脱ぐわけではない。これでも恥じらいというものを持ちあわせるべく努力している身だ」


 「いや、それって努力することじゃないような………」

 咄嗟にツッコミが出るのを抑えられないクレスである。

 そして、そうこうしている間にも、さっさと下着姿になってしまうシグナム。その豊満な胸が凄まじいまでに自己主張している。


 「え、えと、僕は狩りに出かけてきますので」

  彼女に何を言っても無駄であることは明白ことを悟ったクレスは、とりあえずこの場から離れることとする。


 「注意するのも今更だが、決して森を侮るな。熟練の猟師といえど、思わぬ落とし穴に嵌ることもある」


 「あ、は、はい!」

 そして、弓の師であり、狩りの師でもある剣の騎士の言葉には、反射的に姿勢を正して答えてしまうのも、彼が白の国において印可を受けし者である証であった。












 「ふう………いい気持だ」


 クレスが逃げるように森に消えてからしばらく、シグナムは久々に心地よい解放感に浸っていた。

 彼女自身、入浴は好きな部類であり、身だしなみも普段からかなり整えている。女性としての恥じらいなどはどこかに置き忘れたようでありながら、女性としての自己管理は徹底していたりする。

 寝る前には香り草につけた水で身体を拭き、汗の臭いなどがベッドに染み込まないようにしたりと、湖の騎士に劣らぬほど清潔であることを旨としているが、その辺りの気配りが恥じらい方面に発揮されることはなかった。

 ただ、シグナム自身にとっては首尾一貫しているのである。

 騎士とは、ただ戦場で戦うだけではなく、礼節というものも重要な要素である。特に王族や貴族の傍にあり、その身を守るならば礼儀作法に精通することも騎士として身につけねばならない事柄なのだ。

 実力の面では既に並の騎士に匹敵するどころか凌駕しつつあるヴィータも、そういった方面においてはまだまだ“騎士見習い”であり、正騎士であるシグナムやシャマル、ローセスには遠く及ばない。

 それ故、シグナムは礼節の他にも、服装などにも気を使う。戦闘の際や森に潜る時などは実用性のみを重視するが、白の国の近衛隊長という肩書を持つ以上、街で歩く際にみずぼらしい格好をするわけにもいかない。

 無論、必要以上に飾り立てるのは醜悪極まりないが、質素の中にも相手が不快に感じないような配慮というものは不可欠なのである。

 彼女の入浴好きも、そうした周囲への配慮が高じてのものといえる。やはり彼女とて女性であり、身体を清潔に保つことに手間を感じることはあっても、嫌いなわけはなかった。


 「む、到着したか」

 だが、水浴びをし、心地よい解放感に包まれながらも、彼女の意識の一部は常に周囲に振り分けられる、これもまた、シグナムが近衛騎士である故の特性と言える。

 王族の傍に侍る騎士は、いかなる時も、周囲への警戒を怠らない。どのような状況においても、主を守り抜くことが近衛騎士の使命であるために。


 「クレスは――――念話が届かんほど遠くへ行ってしまったか、どうやら入れ違いになってしまったらしいが、まあ仕方あるまい」

 立ちあがりつつ、クレスの気配を探るが、近くにはいない。

 湖の騎士シャマルと風のリングクラールヴィントならば、容易に探査可能であるが、あいにくとシグナムとレヴァンティンは戦闘こそが本領であり、探査を得意とはしていない。

 クレスもまた本業が調律師である以上、魔法に特化しているわけではない。ベルカの地ではシャマルやラルカスのような存在の方が稀なのである。

 探査を諦め、シグナムが視線を上げた先には、高速でこちらへ飛来する一人の騎士の姿がある。

 そして、その手には鉄の伯爵、グラーフアイゼンが握られている。グラーフアイゼンは優れた魔法補助能力を備えているため、飛行魔法を用いる際には起動させた方が燃費は良くなる。

 特に、ローセスは魔力量が豊富なタイプではなく、純粋な魔力量ならばヴィータの方が上をいくため、グラーフアイゼンの補助は彼にとって重宝するものであった。


 「早かったな、もう少しかかるかと思ったが」


 「貴女が担当されたベルゲルミルに比べれば、スクリミルは容易い相手でした。わたしとて、夜天の守護騎士の一人ですから」

 彼女が振り返ると、そこには妹と同じ燃えるような赤い髪を持ち、185センチを超える堂々とした体躯でありながらも、同時に豹のごときしなやかさを兼ね備えた男性が立っていた。顔立ちも整っているため、シグナムやシャマルと並び立てばかなり絵になるのは、白の国の誰もが知るところである。

 彼こそ、白の国の“調律の姫君”を守る近衛騎士の一人にして、夜天の守護騎士の一角である、盾の騎士ローセス。

 放浪の賢者の護衛として旅に同行する、19歳の若さながら既に幾度もの死線を越えてきた歴戦の騎士であった。


 「それよりもシグナム、いくら人目がないとはいえ、そのような格好はあまり褒められたものではないかと」


 「問題ない、仮に誰か来たところで、アレを見れば自然と避けていくさ」

 アレ、とは無論、未だに横たわっているベルゲルミルである。

 確かに、ここに第三者が来たところで、その姿を見つければただちに踵を返すことだろう。真竜とまではいかないものの大型の魔獣に自分から近寄ろうと思う者など、ほぼ皆無である。

 というか、それが倒れ込んでいる湖で水浴びをするシグナムの方があり得ない。ただしかし、“魔法生物大全”に書き込まれたページより、ベルゲルミルの体表には毒の成分はなく、むしろ虫などを遠ざける香りを放つタイプの植物に近い成分があることが確認されている。

 ルアール湖が有数の透明度を誇るのは、そのような成分を体表に持つ生物が多様に生息しているからではないか、と剣の騎士は予想している。その知識を自身の水浴びのために使うのは、ちょっとした役得のようなものか。


 「ですが、中には例外もいます。ベルゲルミルを倒すことを目的とした騎士ならば、逆に近づいてくるでしょう」


 「それならば歓迎するところだ。最近は魔法生物の相手ばかりで、他国の騎士と試合を行うことも少なかったから、ちょうどいい」


 「はあ……」

 最早何を言っても無駄であると悟り、溜息をつくローセス。


 「まったく、お前は相変わらず固いな。クレスを少しは見習ってはどうだ?」


 「あいつは軽いだけですよ、わたしには真似できません。ですが、そこが良いところでもありますが」


 「ふふふ、実直なお前と、飄々としているクレス。お前達の指導をしている時は、小さくなった自分とシャマルを見ているような気分になったものだがな」

 シャマルは飄々という態度とは少し異なるが、シグナムに比べれば軽い調子なのは間違いない。

 騎士となるための訓練を積んでいたローセスと、調律師になるために技能を磨いたクレス。

 異なる技術であるため、直接的に比較することは出来ないが、それでも互いに負けぬよう意識し合う間柄であったのは間違いなかった。それはまさに、在りし日のシグナムとシャマルのように。


 「ですが、わたしは貴女ほど飛び抜けた存在ではありませんでした。貴女は10歳にして騎士となりましたが、わたしは“若木”の中では下から数えた方が早かったですし、騎士となったのも15の時です」


 「それは確かに事実ではある。お前が10歳程度の頃ならば、お前よりも強い者はいくらでもいた」


 「ええ、ですから」


 「だがローセス、10歳の時にお前よりも強かった者らのうち、15歳の時に、お前よりも強かった者はいるか?」


 「……………」


 「そして、今のお前に敵う騎士は、どれほどいる?」


 「今、目の前にいますが」


 「私は除外しろ、お前の指導を行った師であり、将でもあるのだ。お前よりも弱くては話にならん」


 「ですが、俺にとっては貴女こそが目指すべき目標であり、それは今も変わりません、シグナム」

 どこまでも真摯に見据え、誓うように語るローセス。

 傍目には、下着姿の美しい女性を凝視していることになるが、幸か不幸かこの場にそれを指摘する人物はいなかった。


 ≪“俺”、か。ローセスが自分を“わたし”と呼ぶようになったのは騎士となってからだが、やはり性根というものはそう簡単には変わらんものか≫

 “若木”であった頃は“俺”という一人称を使っていたローセスの姿を思い出し、笑みを浮かべるシグナム。

 どこまでも愚直に、真っ直ぐに、目標へ突き進む姿こそ、盾の騎士ローセスの特徴である。

 だが、一般に情熱的と呼ばれる性格とはまた微妙に異なる。熱さは内に秘めているものの、それが表に出ることはなく、静かに滾ると表現すべきか。

 盾の騎士の渾名が示すように、彼が攻勢よりも守勢を得意とするのも、そういった精神傾向の表れであるのだろう。


 「私を目指す、か。それは別に構わんが、あまりフィオナ姫の前では口にしない方がいいぞ」


 「ええ、気を付けるとします。これはあくまで、自分の心に対しての誓いですから、主君を守ることとは切り離すべきであること、肝に銘じましょう」


 「それだけでもないが、まあ、今はそれだけでいい」

 ローセスにとって、フィオナ姫が主君としてだけでなく、一人の女性としても特別な存在であることは、シグナムもシャマルもヴィータも存じている。

 ただ、妹であるヴィータですらフィオナ姫を不憫に思うほど、直接的な愛情表現がローセスから行われることはなかった。

 しかし、彼がフィオナ姫のことを大切に思っていることは対照的に良く伝わっている。それが、騎士としてのものか男としてのものかが判別しがたいだけで。

 シャマルにはその辺が歯がゆく感じるものの、シグナムにはまた別の考えがある。


 ≪別に、騎士としての想いと、男としての想いを切り離す必要もないのだろう。むしろ、盾の騎士ローセスにとって、騎士としての在り方が自分と切り離せないものである以上、そちらが自然と言えるか≫

 それは、賢狼ザフィーラが考える事柄とほぼ等しい内容でもあった。

 兄として、妹を危険に晒したくはないと思う心。

 騎士として、妹が騎士となることを誇りに思う心。

 それらは決して両立しない事柄のようでありながら、騎士という存在はそれを併せ持っている。

 人としてはやや外れた在り方でありながら、人々から尊いとされるその生き様。

 それを、蒼き賢狼は“興味深い”と称している。


 ならば―――


 ≪男としてフィオナという女性を愛する心と、騎士として主君であるフィオナ姫を守ろうとする心、それが両立しない道理はない≫


 烈火の将シグナムは、そう考える。

 シャマルにとってフィオナが弟子であり、妹のような存在であるように、シグナムにとってもローセスは弟子であり、弟のような存在であった。

 もし、二人の行く道において、姫と騎士という立場が立ちはだかるならば。

 二人の結ばれることを認めず、彼女を権力にて奪おうとする者が現れたならば。


 ≪我が剣にて、切り払ってくれよう。烈火の将の弟と、湖の騎士の妹、その二人の道に立ちはだかったことを、後悔させてくれる≫


 シグナムは、そう心に決めていた。


 「ん? ああ、もう着いた。―――――分かった」


 「クレスか?」


 「ええ、あいつの念話が届く距離まで来ているようです」


 「そうか、ならばそろそろ引き上げ時だな」

 シグナムは水から上がり、その炎熱変換の特性を持つ魔力を身体の周りに展開する。

 流石に、完全に濡れた服を即座に乾かすことは難しいが、下着程度ならば十数秒で乾く。炎熱変換という特性は案外便利なものであった。

 そして、乾くと同時に近くの木にかけてあった服を流れるような動作で纏い、その上に騎士甲冑を具現させる。

 所要時間、わずかに40秒。


 「着替えすら、一つ一つの動作を無駄ないものとすれば、そこまで洗練させることが出来るのですね」


 「まあな、お前も修練を積めば出来るようになるさ」


 「努力します」

 もし、クレスがこの場についていれば、女性の着替えをじっと見つめていたローセスや、その視線を受けながら気にすることなく、いやむしろ、弟子に体捌きを教えるように洗練された動作を見せたシグナムにツッコミを入れていただろう。

 だが、この二人はこれが自然体なのであった。普通の人間を基準とするならばやや歪んだ在り方かもしれないが、それ故に騎士としては在るべき姿ともいえる。

 騎士が目指すべき在り方も、時代が変わり、国が変わり、人々の心が変われば不変のものであり得ない。

 だからこそ、ベルカの騎士は常に自問する。


 騎士とは、何か?


 誇りとは、何か?


 我等の刃は、誰がために?


 男が女を愛することも、女が男を愛することも、人の営みから決して切り離せぬ事柄ならば、人の世を守るべく存在する騎士の在り方とも切り離せるわけがない。

 故にこそ、烈火の将シグナムは若き二人の想いが成就することを願い、それを阻む者をレヴァンティンにて切り払うことを誓っている。


 だが、彼女は未だに知りえない。

 若き二人はおろか、白の国そのものを覆い尽くそうと蠢く黒き影を。

 彼女が考えるよりも遙かに深く、強大な闇がベルカの地に浸透しつつあり、二人を阻むものとはその闇に他ならないことを。

 その兆候は既に現れつつあり、それを調べることも夜天の騎士の旅の理由の一つである。

 しかし、闇は深く広がり、表面に出ているのは一部の影に過ぎない。

 白の国を守護する夜天の騎士と、飲み込まんとする深き闇。

 両者がぶつかる時は、近いか、それとも遠いか。

 その答えを知る者は、未来を見通すと謳われる放浪の賢者か



 あるいは――――――



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シャマルとシグナムの年齢ですが、この話では同期で、誕生日がシグナムのほうが早いという設定です、ご了承ください。

作中に出てくる地名や固有名詞は、なんとなく雰囲気で流してくれると助かります。繰り返しでてくる言葉はけっこうな頻度で使うので、自然と定着するかなーと希望してます。

ちなみに、今のところは
調律師=デバイスマイスター
魔術師=バリアジャケットが無いミッド式の使い手、研究肌のひとたち
でしょうか

あと、オリキャラのクレスはアルベイン流の剣士とは関係ありません。さすがに5人だけでは話が回らないので、過去編はけっこうオリキャラが登場すると思います。



[25732] 夜天の物語 第一章 後編 帰還
Name: イル=ド=ガリア◆ec80f898 ID:97ddd526
Date: 2011/02/05 18:11
第1章  後編   帰還




ベルカ暦485年  クヴァルイースの月  白の国  風の門



 白の国は緑豊かな緑森山脈の南端に存在する盆地にあり、他国と通じる大きな道はおおよそ一つに限られる。

 川は幾筋か流れ込んでおり、盆地の内部には湖も存在するが、陸路に限れば陸の孤島とは言わぬまでもかなり外界から隔絶された場所である。


 「っていう認識だけどさ、飛べばどっからでも来れるよな」


 「まあ、それを言っちゃったら身も蓋もないけど、全ての人達が私達のように飛べるわけじゃないし、飛行可能な者でも緑森山脈を越えるのは容易ではないわ」


 「そっか、でも、シャマルやラルカスの爺ちゃんなら、飛ぶ必要すらないときたもんだ」


 「私はクラールヴィントの助けがないと無理よ。流石に、時間や空間を支配する手管に関してなら、大師父には遠く及ばないもの」

 湖の騎士シャマルと、“若木”の一員であるヴィータ。

 彼女ら二人は半年近く旅に出ていた騎士達を迎えるために、白の国の外れである風の谷までやってきていた。


 「そういや、白の国って空間転移がやりにくいんだよな」


 「ええ、ヴィータちゃんは転移魔法を使えたかしら?」


 「いいや、まだ練習中。アイゼンの力を借りれば結構いいところまで行ったんだけどさ、兄貴が連れてっちまったから、あたしだけだとせいぜい数十メートルくらいしかできねえ」

 無論、デバイスを使わずに、という意味ではない。ベルカの騎士達が通常用いる近接戦闘にほとんどのリソースが割り振られているデバイスを用いた場合、ということである。

 フィオナ姫がヴィータのために作ったデバイスは騎士としての訓練用であるため、飛行や転移魔法などの補助機能はそれほど付加されてはいない。下手にデバイスが高性能過ぎると、鍛錬にならない恐れが出てくることがその理由である。


 「それでも8歳でそこまで出来れば凄いわよ。“若木”の子達の中でもそんなにいないと思うけど」


 「まあ確かに、あたしが以外だとリュッセくらいのもんだけど、一つだけいいか?」


 「何かしら?」


 「シャマルは、8歳くらいの時どうだったんだ?」


 「私? そうねえ…………まだ、15キロメートルくらいが限界だったと思うけど、次元世界を跨いでの転移なんて夢のまた夢だったわね」

 中世ベルカにおいては、デバイスは基本的に個人向けのものが主流であり、遙か未来の次元航行艦のような大型の機械などは存在していない。

 それ故、転送ポートなどのような機械装置も存在せず、転送魔法などの複雑な座標計算や因果調整を必要とする魔法はベルカの時代ではかなり難しい部類に入る。

 ベルカ式は近接戦に向き、砲撃や射撃はあまり得意ではないと言われるが、それは騎士や魔術師の技量よりも、むしろそれを支えるデバイス技術の方向性の問題と言えた。

 騎士達の戦闘技能は確かに高いが、それらはあくまで“一部の者達”に過ぎず、魔法が文明の根幹を成しているというわけではなく、ベルカの日常生活の大半は魔法の力を用いずして成り立っている。

 つまり、この時代においては魔法とはまだ“一般的”なものではないのである。それ故、汎用性に関してならばミッドチルダ式が古代ベルカ式に勝るのは当然と言えた。


 「8歳で15キロって、どんな化けもんだよそれ」

 ただ、未来における高町なのはやフェイト・テスタロッサという少女達が“魔導師の常識”からすら外れた存在であったように、この時代においても“騎士の常識”から外れた存在はいる。


 「私から見れば、ヴィータちゃんやシグナムの方が凄いわよ。その歳で空戦が可能で、グリフォン程度なら難なく倒しちゃうんだから」

 白の国が誇る近衛騎士であり、夜天の騎士とも言われる彼ら。

 三者はそれぞれ一騎当千の強者であり、それに並び立つことを目指す少女もまた、凄まじい資質を秘めていた。


 「グリフォンはそんなに手ごわくないだろ、真竜とか、そういうばかでかい怪物だってんなら話は別だけどさ」


 「ふふふ、私もそんな感覚で転移魔法はそんなに難しくないって言って、よく呆れられたものだわ」

 まだ幼いヴィータと異なり、シャマルには騎士として豊富な経験があり、自分達を客観的に評価すればどのようなものとなるかも知り尽くしている。

 もし、自分達が白の国に仕える騎士でなければ、優秀な騎士として相応の地位に迎えられる――――ことはなく、恐らく自分達の力を恐れた貴族達によって排除されるか、最悪謀殺されることもあり得る。

 強力すぎる騎士という存在は、王や貴族にとって脅威にしかなり得ない。その騎士の名声が高くなればなるほど、“彼こそ王に相応しい”という言葉が民達から出ることは避けられないために。


 「なるほど、つまりはあれだよな、強すぎてもいいことばっかりじゃないってやつ」


 「そうね、戦う力を持たない民にとって騎士は守り手であると同時に畏敬の存在であるわ。そして、人の心は分かりやすい強さに傾くものだから、騎士が目立ち過ぎてしまってはいけないの。まあ、ここは少し特殊だけど」

 “学び舎の国”とも呼ばれる白の国。

 財力も軍事力も持たず、しかし、技術と武術は列強の国々のどこよりも高いこの国だからこそ、夜天の騎士達は心安らかにいられる。

 そして、“若木”や調律師の卵を育てるならば、白の国以上の場所はあるまいとベルカの民は語り、湖の騎士もまたそう考える。

 人材や保管されている書物などの面でもさることながら、地理的なものや、この盆地に満ちる魔力素などの要素を考えても、白の国は騎士や魔術師の育成の場所として優れている。


 「騎士道とは、根にして茎、咲き誇るは花の役目であり、騎士は花を支え、輝かせるための存在である。だよな」


 「ええ、その通りよ。そして、主のためならば、いかなる汚名を被ることも厭わず」


 「自分の名誉に拘って、主君の心も誇りも命も守れないようじゃあ、騎士失格、って耳が痛くなるくらい兄貴にいわれたから流石に覚えた」


 「ローセスのはシグナム譲りだから、筋金入りと見ていいわ。でも確かに、騎士が自分の名誉や武勲を第一に考えるようじゃあ、失格どころの話じゃないわね」

 特に、ローセスにとっては常に考える事柄だろうとシャマルは思う。

 フィオナ姫への愛と忠誠、その二つを共に持ちあわせる彼だからこそ。


 「だよな、愛と忠誠で迷って、どっちつかずの態度を取って、挙句の果てに何も守れなかったっていう、ダメ男の話もあるし」


 「“沈黙の騎士”の逸話ね、あれは私が姫の立場だったらどこに惚れたのか分からないダメな男の話だけど、200年くらい前の実話を基にしていたはずよ。一応、騎士としての強さだけは折り紙つきだったというけど、ヴィータちゃんはローセスから聞いたの?」


 「ああ、それと、“和平の使者なら槍は持たない”の諺もな」


 「それは…………諺だったかしら? あまり自信ないけど、少し違ったような………」

 諺ならば自分も結構精通しているはずなんだけど、とは思うものの、全てを暗記しているわけでもないので断言は出来ないシャマルである。


 『Meister der Magie zu erkennen metastasierendem(主、転移魔法を感知しました)』


 そこに、シャマル指に填めている指輪より、声が響く。



 「ありがとう、クラールヴィント、予定通りね」


 「ラルカスの爺ちゃんか」


 白の国は魔力素の分布などがやや特殊な環境であるため、内部に直接点転移することは難しく、転移を行うならば外周部といえる風の門の方が都合は良い。無論、強力な術者ならば問題なく転移可能であるが。

 そうした理由から、帰還組との合流場所にここが選ばれたわけだが、それは同時に、白の国は守るに易く、攻めるに難い地勢であることを示してもいた。


 『Voraussichtliche Ankunft, 17 Sekunden verbleibend(到着予測、あと17秒)』

 陸路は風の門と呼ばれる谷間一つであり、空を飛び続けることは効率的ではなく、転移魔法も土地柄から難しい。

 そして、白の国では強力な守護騎士達が常に睨みをきかせており、剣の騎士シグナムが空を抑え、盾の騎士ローセスが谷を守護し、湖の騎士シャマルが支援に回る。

 彼女ら夜天の騎士がいる限り、白の国が落ちることはあり得ない。

 少なくとも、ヴィータはそう信じていた。
 

 『Kommen Sie(来ます)』


 「ヴィータちゃん、一応衝撃に注意してね」


 「分かってらい」

 二人が身構えると同時に、ベルカ式を表す三角形の魔法陣が展開され、膨大な魔力が溢れだす。

 漏れ出す魔力の量は、同時に転移の規模を示す。僅か3人の転移でこれだけの魔力が流れ出すということは、相当の遠方よりやってきた証とも言えた。


 「予想より………大きいわね」


 「どっからとんで来たんだぁっ、爺ちゃんはぁ!」

 シャマルとヴィータの二人も、帰還の知らせこそ受けたものの、どこから帰還するかまでは特に必要な事柄ではなかったため知らされていなかった。

 とはいえ、彼女ら二人とて並ではない。結界などを使用するまでもなく、純粋な重心移動のみで巻き起こる魔力の波動を受け流す。


 「ほう、上達したな、ヴィータ」
 

 「しばらく見ないうちに随分立派になったな、偉いぞ」

 波動が収まると同時に、二人の騎士が姿を現し、騎士見習いの少女に言葉をかける。


 「兄貴!」


 「シグナム、ローセス、お帰りなさい」


 「久しぶりだ、シャマル。お前の変わりないようだな」


 「お久しぶりです、シャマル」

 およそ半年ぶりに再会した騎士達は、互いに変わらぬことを確認し合うが、ヴィータがおかしな事柄に気付く。


 「あれ、爺ちゃんは?」


 「こらヴィータ、大師父に対してその口の利き方は直せと言っておいただろう」


 「別にいいじゃんか、硬いこと言うなよ兄貴。爺ちゃんは爺ちゃんなんだから」


 「まったく、そんなことじゃあいつまでたっても騎士にはなれないぞ」


 「平気さ、面倒なことは兄貴に押し付けるから」

 半年間離れていてもやはり兄妹。

 そのやり取りは、せいぜい三日ほど会っていなかっただけのように感じられるほど自然なものであった。


 「ふふふ、相変わらずね、二人とも」


 「ローセスは少し肩筋が張っているところがあるが、ヴィータの前ではあの通りだ」


 「とすると、貴女も妹がいたら、あんな感じになっていたかしら?」


 「さて、どうだろうか」

 年配の騎士二人は、そんな二人を微笑ましく見守りつつ、こちらも話を進める。


 「でも、本当に大師父はどうしたの?」


 「少々寄って取ってくるものがあるとのことで、私達だけを取りあえず転送させた。夜までには着くとおっしゃっていたが」


 「取ってくるって、どこまで、いえ、そもそも貴女達はどこから転移を?」


 「最後にいたのはドレント大陸だから、ミディールからということになるな」


 「ミディール! そんな遠くから!」

 シャマルが驚くのも無理はない、なぜならそれはこの白の国が存在する世界よりかなり離れた座標に位置する世界の名称なのだ。

 中世ベルカでは、後に第一管理世界ミッドチルダと呼ばれることとなる世界を中心に、11の次元世界が知られており、白の国が存在する世界も、各世界の中心近くに位置している。

 次元世界の範囲が大きく広がったのはベルカ歴が900年を超えた頃であり、ある意味で大航海時代とも言える。よって、それ以前のベルカでは異なる世界の存在こそ知られているが、次元を渡るための船も存在していなかったため、その往き来は極一部の魔術師に限られている。

 つまり、リンカーコアを持たない民達にとっては、やはり自分の住む国こそが世界なのである。それは、文明が発達した時代においてもそう大きく変わるものではない。

 そうした背景もあり、放浪の賢者ラルカスの存在はベルカの列強の王達にとって非常に大きなものとなる。彼ほど次元世界を巡り歩き、各国の文化や風土、技術に精通している人物は他に例がないために。


 「あの世界から、一度の転移で白の国へ来たのね……」


 「ああ、流石は大師父だ。空間を渡る術に関してならば、まさに並ぶ者はない」

 そして、その術式の集大成こそが、夜天の魔道書が備えることとなる旅する機能。

 それが、闇の書の不死性の根源ともいえる“転生機能”となることを、この時の彼らが知る術はない。


 「まあ、後で来るってんならそれでいいじゃん、先に城にいって待ってようぜ。爺ちゃんなら直接城に転移出来るだろうしさ」


 「そうだな。シグナム、シャマル、貴女達もそれで良いですか?」


 「ああ、ここでただ待つよりはその方がいいだろう」


 「歩いていく? 飛んでいく? それとも、旅の鏡で行こうかしら?」

 シャマルの提案に、二人は少し考えるが。


 「私としては飛んでいきたいところだな、ヴィータの成長具合を見ることも出来る」


 「む、へへーん、この半年間であたしがどんだけ成長したか見せてやる!」

 兄の意見を聞くまでもなく、既に乗り気のヴィータ。


 「じゃあ、決まりね」


 そして、決定するシャマル。


 「やれやれ、俺の意見は聞かれないんですね」


 「あら、反対かしら?」


 「いいえ、お…わたしも、ヴィータの成長ぶりを見てみたいと思っていましたから」


 「ふふ、わざわざ言いなおす必要もないのに」


 「普段から気を付けていないと、すぐボロが出てしまうんですよ。流石に他国の王宮で“俺”と言うわけにもいきませんので」


 「“俺”の方がローセスには合ってると私は思うんだけど、ね」

 片眼を瞑りながら、やや小悪魔めいた微笑みを浮かべるシャマル。普通の男性ならば、少なくとも多少の動揺はするであろう笑顔であったが。


 「ですが、姫君が“わたし”と言う呼び方も理知的な感じがして良いのではないか、と言ってくださいましたので」

 盾の騎士ローセスは、一度心を決めると愚直なまでに一途であった。


 「はあっ、貴方はほんとに良い男の子になっちゃったわ、姫様が少し羨ましいくらい」


 「そう思ってくださるなら、“男の子”はよしていただけると助かりますが」


 「だーめ、私にとっては、ローセスはいつまでも年下の男の子なんだから」


 「そして、行かず後家決定、っと」


 その瞬間、空気が凍りついた。


 「ローセス、ヴィータ、私は本気で飛ぶ、可能な限りの速度でついて来い。遅れる者は置いていく、覚悟を決めろ」

 そして、烈火の将は状況を的確に見定め、指示を出す。


 「了解しました」


 「了解」

 この兄妹の息もぴったりである。


 「往くぞ!」


 「遅れるなよ、ヴィータ」


 「応よ!」

 紫の閃光が一つと、赤の閃光が二つ、風の門の谷間より飛び立つ。

 そして――――


 「無駄よ………クラールヴィントのセンサーからは、逃れられない」

 気にしていることを直に言われた湖の騎士は、騎士甲冑を既に具現させており。


 「導いてね…………クラールヴィント」


 『Ja』

 底冷えする声と共に、“旅の鏡”の術式の展開を開始したのだった。












ベルカ暦485年  クヴァルイースの月  白の国  ヴァルクリント城付近 草原



 「びーた、だいじょうぶー?」


 「死んだ……」

 ヴァルクリント城の近くの草原において仰向けに倒れ込む少女と、それを覗きこむ人形が一体。

 倒れ込んでいた場所はヴィータが以前ザフィーラと共に訓練したところの近くだが、その理由は大きく異なる。


 「しんじゃったのー?」


 「いや………死んだ……方が……まし…だったかも………しれねえ、生きた……まま…リンカー…コアを……抜き出される…………のって、あんな……気分………なんだな」

 湖の騎士シャマルが切り札にして鬼の手、リンカーコア摘出。

 傷こそ付けられなかったものの、己の胸からしなやかな女性の手が生え、臓器を握っている光景というものはトラウマになるほど凄まじいものである。

 これで痛みがあればある意味でまだましなのだが、シャマルの術式は完璧であり、リンカーコアを抜き取るだけならばまさに何の痛みも伴わない。そして、安全性が保障されているだけに、ローセスもシャマルを止めることは出来なかった。

 その上、最初から摘出を狙ったわけではなく、まずは旅の鏡を展開しつつ飛行魔法で三人を追跡、いつでも狙える体勢をとりつつ、つかず離れず追跡を続ける。

 いつシャマルの魔の手(文字通り)が迫るか分からない恐怖の中、必死に飛び続けた結果、ヴィータはペースを崩し、徐々に飛行速度が落ちる。シグナムやローセスは流石にまだまだ余裕があったが、8歳のヴィータでは25歳のシャマルの持久力に及ぶべくもない。

 最期は、肉体的疲労と精神的疲労のダブルパンチによって獲物を徹底的に弱らせた挙げ句、魔の手から逃れうるためのゴールであるヴァルクリント城が見え、逃げきれる光明が見えた瞬間に、ヴィータは翠の悪魔の網に捕らえられた。

 湖の騎士シャマルに対して禁句を言ってしまった者の末路とは、かくも無残なものなのである。


 「しかし、見事な手際だった。あれこそ、冷徹なる参謀の本領発揮というところか」

 悪魔に喰われた自業自得な少女に付き添うのはシグナムである。シャマルには二人が帰還したことに関する書類作成の仕事があり、ローセスには姫君へ報告する義務があった。

 順当に考えれば、近衛隊長であるシグナムが報告を行い、ヴィータの兄であるローセスが付き添うこととなるが、それはそれ。シグナムとシャマルは打ち合わせることもなく、ローセスとフィオナを二人きりにしていた。


 「………」

 そして、空気を読んだザフィーラが姫君の執務室からフィーを背に乗せてこちらにやってきて、現在に至る。


 「冷徹……よりも………むしろ……冷酷だろ…あれは」

 絶対的恐怖への後遺症か、まだ言葉が途切れ途切れになっているヴィータ。


 「げんきだしてー」


 「だいじょぶ……平気だ………フィー」

 だが、妹分の前ではいつまでも弱気ではいられない。ヴィータの性格を把握した上でフィーをここに連れてきたザフィーラの判断は見事であった。彼はローセスから念話を受け取っており、少女が魔神の手にかかったことを存じていたのである。


 「ほんとー?」


 「それは、私が保証しよう。ヴィータとて、“若木”の一員なのだからな」


 「あ、しぐなむー!」


 「久しぶりだな、フィー」


 「おかえりなさーい!」


 「ああ、ただいまだ」

 優しげに微笑みつつ、フィーの頭を撫でるシグナム。

 ヴィータに限らず、夜天の騎士達にとってもフィーは妹のような存在なのであった。


 「えへへー」


 「お前も元気そうで何よりだ、それに、少し大きくなったか?」


 「うん! ひめさまがおおきくしてくれたのー」


 「そうか、それは良かったな」


 「あ、ずりー………フィーを、撫でる…のは………あたしの……」


 「残念だったな、もうしばらくは動けまい」


 「へん……、こんな、程度で…」

 意地と根性で恐怖を振り払い、何とか立ち上がろうとするヴィータ。

 だが―――



 「“鏡の籠手”、起動」


 「うあわあわあわあわわわあわああわわあ」

 シグナムが着ける手袋より立ち上る翠の魔力光を見た途端、腰が抜けるヴィータであった。


 「情けないぞヴィータ」


 「い、いいいやいやいや、むむむ、無理だってててて」

 完璧にてんぱっているヴィータ、騎士の誇りには本日閉店の札がかかっているようである。



 「………」

 そんなヴィータをザフィーラは無言で見守っていた。


 「お前も大変だな、ザフィーラ。ローセスが帰って来ても、結局はこれのお守か」


 構わん、それが私の使命だ。

 そんな意思が、シグナムにはザフィーラの表情から感じ取れた。


 「あ、そうだー」


 「ん、どうした、フィー」


 「えとねー……………………えとねー」

 しばし考え込むフィーを、シグナムは優しく待ち続ける。



 「ひめさまが、しぐなむをまってたのー」


 「私をか?」

 半年もの間旅に出ており、今日ようやく戻って来たのだから、聞きたいことなどそれこそ数え切れないほどあるだろう。

 ただ、フィオナという王女は親しい人々との親睦の時間を何よりも大切にしており、今夜の夕食も、フィオナ、フィー、シグナム、シャマル、ローセス、ヴィータ、ザフィーラ、そしてラルカスの六人と一頭と一体が一堂に会してのものと決まっている。

 それに、シグナム達の報告はそれこそ一朝一夕で終わるものではない。本格的に話し込めば、三日以上かかるとも考えられる程である。

 だからこそ、とりあえず夕食までは、フィオナとローセスは二人きりにしてやりたいと年配二人組は考えたのだが。


 「フィー、理由は聞いているか?」


 「りゆー?」


 「ああ、姫君が私を待っていた理由だ」


 「うん、わかるー」


 「そうか」

 となると、特に重要なことではないのか、とシグナムは考える。

 白の国の政に関することならば、フィーに話すことはないであろうことは想像に難くない。

 だとすれば、姫の個人的な要件なのだろうか―――


 「むねがおおきくなって、こまってるってー」


 「………」

 だが、その答えは予想と大きく外れてはいなかったものの、斜め上ではあった。


 「こわいよねー、いつかばくはつしちゃいそうー」


 「いや、別に悪いことではないのだが、それと、爆発はしない」

 おそらくは、服やドレスがややきつくなってきたなどの事柄だろう。

 庶民はともかく、王女ともなればその服は当然高価となる。質素清廉が旨の白の国といえど、やはり粗末なものを着るわけにはいかないのだから。


 ≪だが、ある意味では自分が原因の事柄で国の金を消費させてしまうことに、姫は罪悪感を持っているのだろう。だからこそ、今の服をなんとか着続けられないかと悩んでいる、といったところか≫

 シグナムが考えるフィオナ姫の唯一の欠点は、何でも抱え込んでしまうことである。

 人間である以上、自分だけではどうにもならないことは存在する。しかし、彼女はそれを他人に背負わせることを何よりも嫌うのだ。


 ≪子供の頃からそうだった。“若木”の子らや一般の子らと遊んではどうかと進言しても、“私がいては彼らに気を遣わせてしまう”と言って、いつも一人きりでいた≫

 シグナムは、貴女こそが気を遣い過ぎなのだと幾度も言って来たが、そういう部分に関しては芯が強いものだからなかなかに効果がない。


 ≪ふむ、やはり、少し気になるな≫


 そして、思い立てば即断即決こそが、剣の騎士シグナムの持ち味である。


 「すまんがザフィーラ、私は少々シャマルに用事が出来た。ヴィータとフィーのことを任せてよいだろうか」

 心得た、と言わんばかりに頷きを返すザフィーラ。

 もしここにいるのが傷心のヴィータとフィーだけならばシグナムが離れるわけにもいかないが、夜天の騎士の誰もが信頼する賢狼がいてくれる。

 彼もまた、白の国には不可欠な存在であることは、誰しもが認めるところであった。













ベルカ暦485年  クヴァルイースの月  白の国  ヴァルクリント城 研究室



 「ああ、そのことなら、私も気にかけてはいるけど、特に思いつめているようなことはなさそうよ。特に、フィーが元気にしゃべるようになってからは、笑顔も増えたし」


 「そうだったか」

 自分の研究室において騎士達の帰還に関する書類を纏めていたシャマルを手伝いつつ、シグナムは自分がいなかった間のフィオナ姫について尋ねていた。

 彼女が思いつめているようなことはないかと心配になったシグナムであったが、どうやらそれは杞憂に終わったようである。


 「こちらの書類は、これで終わりだな」


 「あら、もう終わり? 意外と早く終わったわね」


 「二人でやれば、こんなものだろう」

 この二人は武術や魔法のみならず、デスクワークに関しても優れている。

 文武両道は、夜天の騎士としての初歩でもあるのだ。


 「でも、貴女がいない間は結構大変だったのよ、隊長の仕事を全部私が代行することになってしまったんだから。ローセスがいてくれれば実践面では任せられたけれど、彼も一緒にいっちゃったし」

 三人の近衛騎士のうち、白の国に残っていたのはシャマルのみ。

 当然、警護兵の配置や運営、書類の処理なども、悉く彼女の双肩にかかることとなる。

 それでも、本当に必要になれば一時的にシャマルの“旅の鏡”にて帰還することも可能であり、そもそも時空を渡ることに誰よりも長けた放浪の賢者と共に旅をしているのだから、いつでも戻れる。

 旅先にラルカスがおり、白の国にシャマルがいる以上、夜天の騎士達はその二か所を自由に往来出来るのであった。


 「ザフィーラがいてくれたのが、唯一の救いか」


 「ええ、流石に書類仕事は無理だけど、姫様の護衛を彼に任せられたから、私も自分の仕事に専念できた。感謝してもしきれないわ」

 騎士である彼女らと異なり、ザフィーラには義務と呼べるものはない。

 しかし、彼はただの一度も夜天の騎士やその主君、そして、放浪の賢者の頼みを断ったことはなく、果たせなかったこともない。


 「あと3年もすれば、ヴィータもお前と共に書類を裁けるようになるだろう。存外、あいつも机仕事に向いているようだ」


 「それは私も意外だったわ。ローセスならともかく、ヴィータちゃんには黙々と読んで書くだけの作業は向いてないんじゃないかって思ってたけど、座学も優秀なのよ」

 “若木”達に座学を教える者達も当然白の国にはいるが、それらの統括が湖の騎士シャマルである。

 そして、実践面での指導の頂点にいるのが近衛騎士隊長であるシグナム。“学び舎の国”においては王族の身を守ることと、次代を担う子らを教え導くことは同等の優先度なのであった。


 「しかし、まだ姫君の守りを任せるわけにはいかんな」


 「うーん、どちらかというと、精神的な部分の方が、ね。ヴィータちゃんは結構繊細な子だから」

 つい先程ヴィータのリンカーコアを抜き出したシャマルであるが、切り替えも早かった。


 「兄の恋人に対して想うところはあるのだろう。だが、個人と個人の相性で考えるなら、悪いわけではないと私は思うが」


 「私もそう思うわ。こればかりは、時間に任せるしかないのでしょうね」


 「時間か……………時間と言えば、姫の胸がまた成長し、悩んでいるとフィーから聞いたが」


 「悩む程のことでもないと思うけど、そこはやっぱり、貴女に相談するのが一番だって伝えておいたわ」

 シャマルの目が悪戯をするかのように光る。


 「一応聞いておくが、その意味は」


 「貴女が一番大きい、以上それまで」


 「だが、女性の肉体に関する相談相手としては致命的に間違えていると私は思うが」


 「自分で言いきれる貴女は、本当に凄いと思うわ」

 それは、シャマルの紛れもない本心であった。


 「あいにくと、家庭の女性の技能とは縁がないものでな」


 「そうね、私は結構興味あったし、15年くらい前までは料理も結構やってたし、今でも洗濯や掃除はやるわよ」


 「ふむ、私も掃除はするが、洗濯は使用人か、旅先ならば下働きの者らに任せていた。料理に関しては言うに及ばずだが」


 「料理と言えば、料理長のトマシュが今日は帰還祝いだから腕を振るうって言ってたわ」


 「そうか、それは楽しみだ」


 「ええ」

 シグナムとシャマルは年齢が近く、その力もほぼ等しいため、一番話が合う。

 他の者らとも親しげに会話は交わすものの、やはり一番遠慮なく話せるのはシグナムにとってはシャマルであり、シャマルにとってはシグナムなのであった。

 シャマルは、誰よりもシグナムのことを知っており、シグナムは、誰よりもシャマルのことを把握している。

 それ故に―――


 「………………シャマル、一つ聞く」


 「何かしら?」

 声の調子から、シグナムが何を言うかを即座に理解したシャマルだが、彼女はあくまで平常通りに応じる。


 「お前は今、どれほど料理を旨いと感じられる?」


 「一生懸命作ってくれる料理なら、どんなものだっておいしいわよ」


 「そういう意味ではない、分かっていて言っているな、お前は」


 「ごめんなさいね、性分なの」

 いつでも明るく、笑顔を絶やさない。

 ローセスやヴィータにとってもシャマルはそのような認識であろうが、その笑顔の中には微かな憧憬の念が込められていることを、シグナムは知っている。


 「言い方を変えよう。お前の味覚は、今どれだけ機能している?」


 「………甘さや苦さは、ほとんど感じられないわね。辛さというのは痛みに近いものだけど、それもほとんど駄目。でもその代り、毒物だったら空気に混ざるわずかなものでも舌で感じ取れるわ、ちょうど、海風に塩辛さを感じるようなものかしら」


 「そうか………」


 「貴女が気にすることじゃないわよ、シグナム。これも、薬草師の務めなんだから」


 「それでも、だ。仲間のことを気に懸けてはならないという縛りは騎士にもない」

 シグナムの家は代々騎士を輩出してきた家系だが、シャマルの家は、薬草師の家柄であった。

 薬草師の主な役目は病人に薬を調合することだが、王族や貴族の健康管理なども役職の一部であり、そして、毒に対する専門家でもある。

 王を毒殺しうる存在であるが故に、毒に対する手段も誰よりも存じている。暗殺というものと切っても切れない関係にあるのが王族や貴族ならば、その影と近しい存在は騎士よりもむしろ薬草師の方である。

 それは、白の国においても例外ではなかった。

 シグナムの先祖は代々騎士として白の国を守り、シャマルの先祖は影ながら白の国を支えてきたのだ。王族の土毒見や、毒を事前に見抜くための訓練などは最たるもの。

 そして、人間の味覚では感じにくい薬などを己を実験体として研究するため、薬草師達の舌は徐々に一般のものとはかけ離れていく。


 「今更貴女に確認するまでもないけど、私の家はあまり口に出せないようなことも多くやってきた。この白の国に暗部というものがあるならば、それを担って来た家系だから、私とは切っても切れない関係にある」

 それは事実、血筋というものはベルカでは特に大きな意味を持つ。


 「だから、子供の頃は貴女が羨ましかったわ、シグナム。いつでも真っ直ぐ前を見据えていて、騎士道というものを信じるままに突き進み、それを迷いなく行える家に生まれた貴女が」

 彼女の役割は参謀であり、時には冷酷に謀略を巡らすこともある。

 その特性は、決して彼女の家とは無関係ではない。

 そしてだからこそ、シャマルは常に明るい笑みを浮かべるであった。せめてそうあれば、自分も日向の中で真っ直ぐに生きられると、そう信じたかったがために。

 そうした面においても、シャマルはフィオナ姫の姉であり、シグナムはローセスの姉なのであった。それぞれが、精神面において似通う部分を持っている。


 「だけど、そんな私を変えてくれたのも、貴女だったわ、シグナム。誰よりも調合や治療魔法の才能に溢れていたのに、影の仕事に利用されることを恐れて目を背けていた私、普通の女の子のようにあろうと思って、家事を理由に逃げていた私に、貴女が何と言ったか、覚えているかしら?」


 「お前は馬鹿だ。自分の才能から、自分の家から逃げたところで、何かを得られるはずもない。才能があるからと言って、その道に進まねばならないという理屈はないが、目を背けていい理由にもならない。まずは目を開け、そして考えろ、全てはそれからだ。だったか」


 「そうよ、当時9歳の女の子にね。しかもその女の子は自分の言葉を証明するように、10歳で正騎士になっちゃうものだからさあ大変。女の身であるための制約、才能と生まれた家にほぼ定められたような人生、そんなもの微塵も気にかけず、貴女は貴女の信じる道を、駆けていた」

 当時のシャマルにとって、シグナムはあり得ない存在だった。

 自分に持っていないものを持っているからではない。自分とほとんど同じものを持ち、それ故に縛られているはずなのに、鎖を自分で引き千切り、自由に空を駆けるその姿が――――

 彼女には、眩しかった。

 そして、強く思った。彼女のように在りたいと。


 「あの時のことは、今でも忘れられないわ。今の私の、まさに原点そのものだから」

 その時がある意味で、普通の少女としてのシャマルの人生が、終わりを告げた瞬間でもあったのだ。

 普通に、平穏に暮らすこと、普通に恋をして、母となって子供を産み育てること。

 そんな幸せに満ちた平凡な暮らしを凌駕するほどの輝きに、彼女は魅せられてしまったから。

 そして、彼女は選んだ。

 目を開き、よく考えて、自分は何になりたいのか、どんなことをしたいのか、何度も自問自答を繰り返し、その果てに自身の答えを見出した。

 それこそが――――


 「白の国を守る夜天の騎士が一人、湖の騎士シャマル。それが私の望み、私が願った自身の在り方。だから、味覚が“普通”に機能しないことも、私の誇りの一つよ」

 彼女が出した答えであり。


 「そもそも、私の言葉が無ければ、などというのはそれこそ無粋なものだな。自身の言葉に責任を持たないばかりか、お前の覚悟まで汚してしまう。ならば、私はお前をただ誇りに思おう、私の背後を任せるに足る同胞として、湖の騎士シャマルを」

 その想いに、真っ向から受けて立つからこそ、彼女は烈火の将と呼ばれる。


 「ふふふ、ありがとう、シグナム」


 「ただの事実だ。補助や癒し、薬草などに関してならば私は何の役にも立たん。私に出来ぬことはお前に出来、お前に出来ないことは私が出来る。私達は、昔からそうであったろう」


 「そうね、だけど、貴女は歩くのが速いから、並んで歩くのも結構大変なのよ」


 「それは、感謝せねばなるまいな。私にとっても、ふと気付けば隣にいるのはお前だけだった、シャマル」

 シグナムが“若木”であったのは7歳から10歳までの僅かに2年半程。

 シャマル以外の誰一人として、彼女に並び立つ者はいなかった。


 「ええ、実を言えばそれも理由の一つではあったわ。私がいなかったら、貴女が一人きりになってしまうような、そんな気がして」


 「そして、二人仲良く行かず後家か」


 「それは言わないで! まだ希望はあるから!」


 「まったく、私が男であったら、とうの昔にお前に求婚していただろうな」


 「その時は、迷わず受けていたでしょうね、私も」

 シャマルはその能力が通常の騎士とは異なるため、シグナムに遅れること1年、“若木”を経ることなく騎士となった。

 その1年の間、シャマルがどれほどの覚悟で修行に臨んだかを知るのは、シグナムと大師父ラルカスくらいのものであり、彼女らが騎士となってより、そろそろ15年となる。


 「だが、そうだな。お前の事情は我等が姫君は御存知ないが、仮に知ったとしても優しく受け止めてくださるだろう」


 「でも、言うつもりはないわ。主に余分な心づかいをさせるのは騎士の行いにあらず、我等は根にして茎なり」


 「無論、その教えを無視するわけではないが―――」

 烈火の将とて、人の子である。

 時には、意味のない空想にふけることもある。


 「お前が、騎士としてではなく、ただの家事手伝いとして主に仕え、皆でお前が作った料理を食べていたとしたら、それはそれで、幸せそうな光景だとは思わんか?」


 「そうね―――――思い描かなかったと言えば嘘になるわ。進んで来た道を後悔するわけじゃないけど、人間だもの、時には在り得たかもしれない隣の道が眩しく見えることもあるかしら」


 「言っても詮無いことではあるが、想い描く程度ならば、騎士としての不忠にはあたらんだろう」


 「ええ、それくらいは」

 二人は、しばし無言。

 長く国に仕える夜天の騎士は、歩んできた道のりに、しばし想いを馳せる。



 「っと、いけない、もう太陽が沈みかけてる」


 「思いのほか話し込んでしまったな、そろそろ晩餐の準備も整っていることだろう」


 「大師父は…………あ、ちょうど着いたみたい」


 「私も感じた、さて、我々も向かうとするか」


 「ええ、そうしましょう」







 そうして、白の国の一室にて行われた再会の宴は、久々に賑やかなものとなった。

 それぞれが責務と誓いを持ち、自身の選びし道を邁進する夜天の騎士達。

 彼らを導き、未来に想いを馳せる放浪の賢者。

 その賢者の傍らにあり、騎士達を見守る蒼き賢狼。

 騎士達の背中に追いつく日を思い描きながら、日々を過ごす小さき若木。

 騎士達に支えられながら、白の国の平穏を願う調律の姫君。

 そして、今はまだ何も知らず、眠り続ける自由の翼。


 ベルカの地には不穏の影が広まりつつあり、明日になればそのことについて話し合う場が持たれることは疑いない。

 だがしかし、今だけはしばし忘れ、再会の喜びを分かち合おう。

 彼らは平和を維持するための機械仕掛けなのではなく、平和を維持するためにそれぞれの人生を生きる人間なのだから。

 そして願わくば、皆が笑い合える日々が続くことを――――





















新歴65年 6月4日 第97管理外世界 日本 海鳴市 八神家




 遙かに長き夜を超え、約束の時は訪れる。



 「闇の書の起動を、確認しました」


 かつては夜天の守護騎士であった彼女らも、今は呪われし闇の書の守護騎士プログラム。


 「我等、闇の書の蒐集を行い、主を守る、守護騎士にございます」


 だが、命を賭しても主を守護する騎士の心は、なおも失われることなく。


 「我等、夜天の主の下に集いし雲」


 夜天の誓いは、砕かれてもなお消えることなく欠片となりて残り。


 「ヴォルケンリッター、なんなりと、御命令を」


 騎士の魂、死せることなく主のためにある。










新歴65年 7月4日 第97管理外世界 日本 海鳴市 



 闇の書の守護騎士が顕現してより一か月が経過してなお、蒐集は行われることなく、守護騎士達は優しき主と共に平穏に暮らしている。

 それは、黒き魔術の王の遺志によって“闇の書”の名が冠されてより、ただの一度もなかったことであり―――


 「はやて、ザフィーラと散歩に行ってくる!」


 「きいつけてなー」


 「………」


 彼女ら、守護騎士にとっては言葉にすることすら出来ぬ程の、驚愕と幸せをもたらす出来事であった。




 「なあ、ザフィーラ」


 「………」


 海鳴の町を狼に大型犬のように首輪をつけて共に歩く少女が一人。

 この世界は魔法が一般的ではないため、彼は八神家の中以外で話すことはない。

 だが、それがかつて、騎士見習いであった少女の、古き記憶を呼び覚ます。


 「なんか、懐かしいな」


 ≪懐かしい、か≫


 言葉が返せないために、念話をもって返すザフィーラ。

 もはや覚えておらず、数えることも難き遙か昔、賢狼を呼ばれていた彼は、今は主に仕える刃にして盾、守護獣である。


 「ああ、何が懐かしいのかはあたしにも分からねえ、だけど、普通の狼みてえにしゃべらないお前と歩いてると、そう感じたんだ…………なんでだろ」


 ≪………≫

 応えの代わりに、蒼き守護獣はただ身体を屈める。


 「乗ればいいのか?」


 ≪………≫

 守護獣はただ黙したまま。

 彼自身も何とも言えない感覚にあったが、今は、己は話さない方が良いような気がしたのである。


 「おし、乗ったぞ」

 少女がその背に乗ると共に、守護獣は歩き始める。

 最初は人の目がある町ゆえに通常の速度であったが、緑が多い桜台に着く頃には、彼女の飛行速度に匹敵する速度で彼は駆ける。


「うぉー、はええええ!!」


「………」


「駆けろっ! 行けえぇーー!」



 その時に去来した想いは、一体何であったか。


 それは、彼にも分からない。








 そして、桜台の上へと辿り着く。

 時間帯は休日の朝早く。このような時間帯ならば、流石にここまで登ってくる者はまれであろうが―――


 「ん?」

 そこには、先客が既にいた。ベンチに座りながら空き缶を見つめ、その胸元の赤い宝石は鈍い光を発している。


 ≪ザフィーラ、あれ≫


 ≪魔導師だな、だが、このような場所で結界も張らずにいるところを見ると、局の魔導師ではあるまい。この世界にも主はやてのようにリンカーコアを持つ者はいる、中には、デバイスを持つ者もいるだろう≫


 ≪別に蒐集するわけじゃないし、あたしらには関係ないか≫


 ≪ああ、平穏こそが主はやての望みだ。わざわざ関わりを持つこともあるまい≫

 そして、二人は少女の邪魔にならぬよう、来た道を速やかに下っていく。

 この時は、ただそれだけの邂逅であり、星の光を手にした少女に至っては狼に乗った少女を見てもいない。

 だがしかし、彼女の往く道を照らす星であることを命題に持つデバイスは。



 その姿を、確かに記録していた。














 「たっだいま~っ!」


 「おかえり、ヴィータ、ザフィーラ」


 「二人とも、ミルク飲む?」


 「飲む!」

 ヴィータとザフィーラが帰った時、既に朝食の準備は整っていた。

 闇の書の守護騎士として機能していた長き時間において、このように帰るべき場所があることはなく、ただそれだけでも、彼女らにとっては奇蹟に等しい。



 「はやて、朝飯は何?」


 「ふふ、今日のはちょっと特別やで~」


 「へえ、どんなだ!」


 「実はな、シャマルが手伝ってくれたんよ」


 「が、頑張りました」

 はやての後ろには、新品のエプロンを着けて、意気込むように拳を握るシャマルの姿が。


 「へえ、シャマルって、料理できたっけ」


 「おぼろげだけど、少しだけね、もうほとんど思い出せないけど、確かにやったことがあるような、そんな気がするの」


 「ふーん、そっか」

 ちょうど自分もつい先程、何とも表現しがたい感覚を味わったばかりである。

 ならば、自分以外の守護騎士にも、そういうことはあるのだろう、と、ヴィータは軽く割り切る。


 「とはいっても、ポテトサラダだけで、他は皆はやてちゃんが作ったんだけど」


 「それでも、それはお前が作ったのだろう。私もかなり興味がある」

 シグナムがそのように言うことは珍しいことといえる。

 だが、彼女にもまた、僅かに胸に去来する想いがあった。

 それがいったい何であるかは、他の者らと同様、彼女にも分からなかったが。


 「さあ皆座って、いただきますしよな。実はわたしもまだ味見しとらんから、楽しみなんよ」

 はやてが号令をかけ、八神家の一同が席につき、ザフィーラも定位置につく。


 「「「「 いただきます 」」」」

 そして、いただきますと同時に、それぞれが箸を伸ばし、シャマル作のポテトサラダを口にする。


 「うっ!」


 「む、うむむ……」


 「こ、これは………」


 「え、え、どうしたの皆!?」


 「…………」
 
 皆の箸が止まり、それぞれがほぼ等しい反応を返す。

 ザフィーラだけは箸を使っていないが、それでもそのまま停止している。



 「シャマルぅ、何入れたんだ~」


 「そ、そんな変なものは入れてないはずだけど………」

 そんなはずは、と思いつつシャマルも口にするが、特に味の異常は感じられない。

 そう、彼女が湖の騎士シャマルである以上、味はまともに感じられないのだ。

 しかし、それすら忘却の彼方にあり、彼女にとっては何が原因であるかすら分からない。


 だが――――



 「うん、これから精進やな」


 「はやてちゃん?」


 「はやて?」


 守護騎士の主である少女は、すぐに箸の動きを再開させ、シャマルの作ったポテトサラダを口に運んでいく。


 「は、はやてちゃん、無理して食べなくても」


 「別に、ぜんぜん無理やあらへん」


 「でも……」


 「シャマルが一生懸命作ってくれた料理や、食べれんことなんてあるわけないやろ。ちょっとくらい失敗しても、次はもっとうまなるよう、頑張ればいいんや」


 「あ………」

 その時、シャマルの心を駆け抜けたものは、一体何であったか。



【騎士としてではなく、ただの家事手伝いとして主に仕え、皆でお前が作った料理を食べていたとしたら、それはそれで幸せな――――】



 湖の騎士となる前の、烈火の輝きに魅せられる前の少女が、最初に思い描いた夢は―――――


 「主はやて、ありがとうございます」


 「へ? なんでシグナムがお礼を言うん?」


 「いえ、シャマルは、とても礼を述べることが出来る状態ではありませんので、それに、私もまた嬉しかったのです」


 「シャマル? な、何で泣いとるん?」


 「シャマル……」


 シャマルという女性は、ただ涙を流していた。

 嗚咽することもなく、身体を震わせることもなく、ただただ、湖のように静かに。

 彼女は――――涙を流していた。



 「………あたしももらうから、いいよな、シャマル」

 ヴィータも、箸の動きを再開し。


 「私もいただこう…………ふむ、これはこれで、なかなかに癖があるが、存外捨てたものでもない」

 シグナムは、しっかり味わいつつ論評し。


 「………」

 ザフィーラは、ただ無言で食べていく。


 「皆………ほんまに、仲間思いのいい子やね」


 「いいえ、主はやて、貴女がいてくれたからです。遙かな時を超えて刻まれた悲しみの記憶を、真っ直ぐに受けてめて下さる貴女こそ、我々にとって光の天使なのですから」


 「い、いや、そんな正面から言われたら照れてまうよ」


 「相手の心に伝えるべき言葉は、真っ直ぐであるべきだと思います。貴女が白い雪のように素直な想いを伝えてくださるから、我々も心安らかにいられるのです」


 「うん………はやてがあたしらの主で、本当に良かった……」


 「シグナム………ヴィータ………ありがとな」


 そして―――しばしの沈黙を挟み


 「はやてちゃん………ありがとうございます」


 「シャマル………おかわり、いただいてええよな?」


 「はい、……盛ってきますね」


 「山盛りで持ってこーい、あたしが全部食ってやる」


 「残念だな、ヴィータ、それを成したくば私を打倒するしか道はないぞ」


 「上等だ」


 「ふふふ、喧嘩しない喧嘩しない。シャマル、別々の皿に取り分けて持ってきてな、ちゃんと、ザフィーラの分もやで」


 「はいっ、いますぐ」


 「………感謝します」


 「ええよ、ザフィーラ、わたしは皆の主なんやから」













 それは、光の幕間。


 絆の物語の幕は未だ開けず、闇の書の守護騎士とその主は、ただ穏やかなる時を過ごす。


 だが、闇は静かに、主の命を糧に解放の時を待ち望む。


 その時、守護騎士達が何を想い、何を成すか。


 それはまだ、分からない。




 しかし――――




 悲しみの記憶も、誇りの記憶も、全て


 騎士達の分身にして魂である者達が、記録している


 だからこそ、この穏やかな光景を見て彼らは思う


 長い闇の中を彷徨いつづけた苦痛の日々、その間に主たちが流してきた涙はいつも誰に去られること無く、真夜中の蒼に融けていってしまっていた


 けれど、けれどようやく主たちは、長く続いた旅の果てに


 その流れていく涙の粒を


 迷い無く包み込む


 ぬくもりに出逢ったのだと 


 


 





あとがき
 過去編の第1章はここまでとなり、一旦物語はなのはやフェイト達のサイドへと移ります。そして、秋頃の八神家の日常を書いた後、過去編の第2章へ移り、その後にA’S本編へと至る流れの予定です。
 過去編は全部で7章の予定であり、A’S本編は現在編で物語がある程度進むと過去編へ、一つの章が終わると再び現代編へ、という書き方でいくつもりです。
 A’S編はリリカルなのはシリーズの中でも一番起承転結がはっきりしており、原作の進み方は神がかっています。なので、現代編の時系列は12月22日あたりまではほぼそのまま踏襲しつつ、内容をトールという機械仕掛けを含んだ要素、もしくは過去編から繋がる要素を織り交ぜる、という手法をとるつもりです。というか、それ以外の手法で上手くまとめる自信がありません。ただ、安易な御都合主義にならないにバランスをとりつつハッピーエンドへ至るよう最大限努力はしていきたいと思っております。
 まだまだ粗い部分が多く、私の趣味が表面に出過ぎている稚作ですが、楽しんでいただければ幸いです。


 次回からはまた、機械仕掛けの舞台装置、トールの視点に戻って話を進めます。

 

 ※分かる人にはわかるネタ
 私の中でのシグ姐とシャマル先生の若りし頃の関係

 犬猿の仲にならなかったザミ姐とリザさん

 シグ姐とシャマルはあの2人ほど性格が突出してなかったというべきか、でもなんとなくイメージはあの2人。





[25732] 閑話その3 実験後の記録
Name: イル=ド=ガリア◆ec80f898 ID:97ddd526
Date: 2011/02/07 13:41
閑話その3   実験後の記録




新歴65年 5月12日


 ジュエルシード実験そのものに関する作業が全て終了。

 クラーケンはその火を落とし、現在はセイレーンのみが通常航行用のレベルで運転中。

 合同演習に使用した傀儡兵やオートスフィアも格納庫に戻され、破壊された大型傀儡兵などは廃棄区画へ。

 プライベートスペースに張り巡らされたエネルギーバイパスは、ブリュンヒルトの改良に使用する可能性があるため、ミッドチルダに帰還してより対処を決定する予定。

 今後の処理は主に、プレシア・テスタロッサが亡くなったことに関する社会的な事柄が占める。

 有名な工学者であり、数多くの研究者や研究機関への資金援助を行っている彼女の死は、社会的から切り離すことは出来ず、適切な処理が必須。

 アリシア・テスタロッサについては、死亡届を提出すること以外にとりたてて処理を必要とはしない。彼女は26年間昏睡状態にあり、社会的には死亡に極めて近しい状態だったため、改めて手続きを行う事柄は微細である。

 むしろ、フェイト・テスタロッサの今後についてこそ、多くの手続きを要する。

 9歳である彼女が母親を失った以上、社会的な立場を保証する後見人の存在は不可欠。アースラのリンディ・ハラオウン艦長が引き受けてくれることが内定しているが、社会的な処理は別問題である。

 必要な処理をアスガルドに再演算させ、検討を加える。







新歴65年 5月13日


 フェイトの精神状態は落ち着いているはいるものの、やはり損傷の度合いは大きい。

 このような心の傷をパラメータ化することは極めて困難。推定こそ可能であるものの、対処法の確立に直結させるには数十年の時をかけても未だ足りていない。

 現状におけるモデルより推定を行った結果、現在のフェイトに必要なものは、新しい絆であり、変わらないものもでもあると判断。

 母と姉を失ったことによる心の空隙、これを埋めるには高町なのはを筆頭に、ユーノ・スクライア、クロノ・ハラオウン、エイミィ・リミエッタ、リンディ・ハラオウンらが適当。

 特に、高町なのはは最重要であるため、数日間の時の庭園への逗留を要請。快く受諾される。

 同時に、アルフと私は“変化しない要素”として重要な位置にいる。

 家族を失ったことでフェイト・テスタロッサの世界の全てが変質することは、彼女の精神にとって望ましいことではない。これを、家族を失った経験者のうち、喪失の時期に私と接触した78名の人格モデルより推察。

 よって、私の汎用言語機能は現状において解除すべきではないと判断。

 今後も、フェイト・テスタロッサ、並びに彼女と精神的に対等な関係を築いている親しい者達の前においては愚者の仮面を被る必要はある。代表例、高町なのは、ユーノ・スクライア。

 精神的に彼女よりも成熟している者達の前においては、フェイトがいないならばリソースの無駄を省くため、汎用言語機能を切ることとする。代表例、アースラの三役。


 ただし、汎用言語機能においても、新しい要素は特に必要はない。

 あくまで、“これまで通り”でよい。そしてそれは、デバイスの最も得意とするところでもある。

 現在の人格に改変を加える必要性があるとすれば、フェイトが成長し、対人関係においてこれまでとは異なる段階に達した場合と推察。

 特に、俗に思春期と呼ばれる時期、彼女の肉体が成人女性に造り替えられる段階においては精神が肉体に引きずられる可能性が高いため、変更が必要と予想。

 この場合の閾値には、我が主のパラメータを用いることとする。









新歴65年 5月14日


 アースラのスタッフによる時の庭園の調査が終了。

 ロストロギア、ジュエルシードが使用された形跡は“残念ながら”発見できなかったものの、21個のジュエルシードは問題なく引き渡されているため、次元航行部隊としては無難な終息となった。

 地上本部に所属する“ブリュンヒルト”に関しても、駆動炉の“クラーケン”の安全性、出力や、砲撃の威力、射程距離、命中性、連射性などを測る上で貴重なデータが得られ、さらに、本局武装隊の空戦魔導師を13名撃墜することに成功したという事実は、レジアス・ゲイズ少将にとっては朗報であると予想される。

 ただし、ブリュンヒルト単体ではそれほど攻略に苦労しないという事実も、クロノ・ハラオウン執務官の働きにより浮き彫りとなった。

 強大なハードウェアに頼るようでは、高度な戦略眼を持った指揮官の前に容易く破れる。この理論が実証されたともいえる。

 ブリュンヒルトはクラナガンの魔導犯罪者に対処する形で作られているため、その辺りは最重要問題ではないが、テロの標的となる可能性は十分にあり得るため、やはり防衛策の構築は必須。

 今回は傀儡兵を防衛戦力として利用したが、地上本部が運用する場合においても、如何に地上戦力と組み合わせ、情報を統括しながら敵戦力を削るか、そこが焦点となると予想される。

 場合によっては、再び時の庭園で試射実験や演習を引き受ける可能性もあるため、戦術パターンの構築をアスガルドに演算させることとする。






新歴65年 5月15日



 フェイトの精神状態が回復してきたため、我が主の葬儀について説明を行う。

 親しい人物が死んだ際における人格モデルは、私が主の代理として葬儀に出席していた時に構築したものであるが、それが今、テスタロッサ家のために使用されている。

 また、リンディ・ハラオウン艦長がフェイト・テスタロッサの後見人となることを社会的に示す格好の場所でもあるため、フェイトの同意の下、喪主を彼女に依頼する。

 フェイトが成人であれば当然喪主となるものの、彼女は就業許可こそ持っているが成人ではない。

 ミッドチルダでは成人の基準も出身世界や地方によって異なるという特殊な場所であるため、冠婚葬祭の儀式の進め方も多種多様である。よって、その穴を最大限に利用する。

 法律の抜け道を突破することは、私とアスガルドの得意とするところである。

 我が主の葬儀には多くの参列者が来ることはほぼ確定事項。

 テスタロッサ家より支援を受けている研究機関や、生命工学関連の薬品や医療器具を扱うメーカーは数多い。

 そういった社会的な繋がりがある人間は、故人を偲ぶ心の有無に関わらず参列する。これは、現代における人間社会という歯車の一部であり、確立されたオートマトンでもある。

 人間にとっては、面倒で厄介な事柄であれど、デバイスである私にとってはこれほど演算が容易なことはない。全ては社会システムによって定められており、それを効率よく回せばよいだけである。








新歴65年 5月16日



 時の庭園がミッドチルダへ向けて出発する日。

 フェイトと高町なのはは出発前に何度も語り合っていたようだが、近いうちに再会することとなる。

 高町なのはとユーノ・スクライアの二名も、我が主、プレシア・テスタロッサとその長女、アリシア・テスタロッサの葬儀に参加することが決まっている。

 私が地球に設けた転送ポートは管理局法に基づいた正式な品である。よって、時の庭園が先にミッドチルダのアルトセイムに到着することにより、第97管理外世界との行き来はかなり容易になる。

 時の庭園に直通することも可能だが、それよりはクラナガンの公共転送ポートに繋ぐ方が社会的な面からも好都合ではある。

 フェイトのメンタル面に関することはアルフに任せ、私は社会的処理に専念する。

 成すべきことは山積している。
 
 フェイトの今後に関して、時の庭園の今後について、ブリュンヒルトに関する事柄、リア・ファルの特許、及び認可を得るための手続き、同じく生命の魔道書をどのような位置づけとすべきか。

 さらには、デバイスソルジャーの今後の展開について。

 どの事柄も個人で扱える単位ではありえず、社会システムの一部に影響を与える事柄である。

 これらを確実に処理していくには、やはり時空管理局との繋がりは強固にしておく必要がある。

 地上本部とも本局とも、徐々にパイプは強まりつつあり、そろそろ小判鮫が群がり出す頃合いと予想。

 ゲイズ少将も、近いうちに狐狩りか、害虫駆除を始めるはずであり、それと本局の融和派がどう絡むか。

 そして、この時期に発生した本局の高官を介さずに行われた合同演習。

 間違いなく、時空管理局の上層部に、小波が発生する。これが高波となるかどうかは今後の推移次第。

 特に大きな被害を出すこともなく、静かに終わったジュエルシード事件よりも、合同演習の方が余程関心が集まることが想定される。

 そして、それらはフェイトの存在を隠す隠れ蓑として機能する。

 そのような思惑が絡む中、残されたテスタロッサ家の次女の出自がどのようなものであるかを気に懸けることは人間には難しい。どうしても脳内の優先順位が低くなる。

 プレシア・テスタロッサに比べ、フェイト・テスタロッサには社会的な“力”がない。

 それが、現段階では良い方向に作用する。








新歴65年 5月17日


 ミッドチルダへの旅は問題なく進行。

 本来であれば、帰りの旅ですが、既に、フェイトにとっては帰るよりも往くというイメージが先行していると推察。

 フェイト・テスタロッサにとっては、母が待つ場所こそが帰る場所である。

 しかし、その場所は今の世界にはどこにもない。

 ならば、彼女が帰るべき場所とは何処になるのか。

 それは私が演算することに非ず、全てはフェイトの意思による。

 そして、フェイトがその意思を明らかにした時には。

 私は、彼女の変える場所を中心とした環境を、より良く回すための歯車として機能することとなる。

 時には大きく、時には小さく。

 大小様々な歯車を使い分け。

 舞台を、私は整える。









新歴65年 5月18日



 ミッドチルダに到着。

 アースラは直接本局へ向かったため、途中までは一緒だったものの、ミッドチルダの存在する次元に近づいた段階で別ルートとなった。

 到着時刻は事前に地上本部へ伝えてあったため、アルトセイムには既に地上本部技術部の技官達が待機しており、到着と同時にブリュンヒルトの整備点検を開始。

 三日後には葬儀が行われるため、プライベートスペースも同時に来賓を迎えるための準備を整えていく。

 時の庭園の規模は個人の邸宅を遙かに超えているため、仮に千人以上の客が来たとしても応対は可能。それを成すための園丁用の魔法人形、執事型の魔法人形、男性使用人型魔法人形、女性使用人型魔法人形などは大量にある。

 それらの管制は無論、私とアスガルド。

 機械に迎えられ、機械によって進む葬送の儀。

 稀代の工学者、プレシア・テスタロッサと次元世界一のデバイスマイスターとなるはずであった、アリシア・テスタロッサ。

 彼女らの葬儀には、実に相応しいものとなるでしょう。


 フェイトも、彼女なりに母と姉の死を受け入れるための準備を進めている。

 今はまだ物理的レベルではないものの、精神レベルにおいては、二人だけになってしまった時の庭園の家族の現在を受け入れつつある。

 アルフも、そんなフェイトを労わるように常に共にいる。

 彼女らが社会の現実を気にすることなく、まずは己の心との折り合いをつけれるよう、私は機能する。

 私は管制機。時の庭園に関する事柄ならば、全て私が掌握している。

 問題はない。






新歴65年 5月19日



 リンディ・ハラオウン、クロノ・ハラオウンの両名が、参列客に先立って時の庭園へ到着。

 儀式の段取りは全て私とアスガルドが整えているため、彼女らの役割は人間にしか出来ないものとなる。

 すなわち、社会的な立場からではなく、プレシア・テスタロッサとの個人的な繋がりによって弔問に訪れた方々への応対。

 アレクトロ社時代からの工学者仲間の方達からは、既に全員から出席の旨が伝えられている。

 流石に、彼らとの応対をフェイトとアルフに任せるわけにはいかないため、ここは大人の方に任せるより他はない。

 クロノ・ハラオウンは第97管理外世界の基準ならばまだまだ子供なれど、ミッドチルダでは敏腕の執務官。

 特に、葬式というものは遺産相続などとも絡むため、法律の専門家の存在は実に貴重である。

 その面でも、ハラオウン家の全面協力が得られたことは、僥倖であるといえる。

 また、アースラの残っている業務を引き受けているエイミィ・リミエッタも葬儀の当日には到着予定であり、彼女がミッドチルダの地理に疎い高町なのはとユーノ・スクライアの案内を引き受ける手筈となっている。

 全ては、ハラオウン家と組んだ予定通りに。










新歴65年 5月20日


 葬儀の前日、遠方よりやってこられる方々の中には既に到着された者もいる。

 時の庭園に存在する非戦闘型の魔法人形はフル稼働、それらへ魔力を供給するため、“クラーケン”と“セイレーン”の火も入っている。

 また、それらに関連して、オーリス・ゲイズ三等陸尉が時の庭園に見えられた。現在18歳であり、士官学校卒業者が本局勤めになることが多い中、地上本部への道を選び、既に頭角を現しつつある。

 階級があと一つ上がる頃には、レジアス・ゲイズ少将の片腕として働くであろうと噂される才媛であるものの、このブリュンヒルト計画に関してはそれほど関与していない。

 しかし、その彼女が時の庭園を訪れたということは、いよいよ“アインヘリアル”へ向けた計画が始まるということを意味している。予算などの関係から進捗は緩やかと予想されるも、前進したのは事実。

 ゲイズ少将本人はぎりぎりまでスケジュール調整を行っていたものの、明日の葬式には参列できるという返事であった。

 ブリュンヒルトを今後どのような形で研究し、完成型である“アインヘリアル”へと至らせるかについても、近いうちに相談する必要があるため、その準備段階であると推察。

 他にも、ゲイズ少将と関わりの深い財界の有力者達も数多く到着。彼らを上手く利用し、組織を効率的に回転させる手腕に関してならば、ゲイズ少将は時空管理局においてトップクラス。

 本局のレティ・ロウラン提督は、限られた人員を効率的に配置すること、また、人材を確保することに関してならば他の追随を許さないものの、その資金源を確保することは彼女の専門ではない。

 彼女の能力が最大限に発揮されるのは、資金が潤沢な本局の人事部にあればこそ。つまりは、適材適所。彼女が地上本部にいたとすれば多くの問題が解決されるものの、彼女の能力を最大限に生かす場所とはならない。

 視野を広く、管理局全体で見ればそれは損失にしかならない。逆に、レジアス・ゲイズ少将が本局に異動する同様、彼は、地上本部にあってこそその能力を最大限に発揮できる。

 そうした人材が続々と集まり、いよいよ、葬儀の場から社交の場へと変わりつつある。

 そして、それを取り仕切るのは海の提督の一人であるリンディ・ハラオウンと、執務官であるクロノ・ハラオウン。

 中々に複雑な政治ゲームの様相を見せ始めている模様であり、水面下での腹の探り合いがあちこちで行われている。

 無論、これらはフェイトやアルフにはまだ早いため、彼女らは高町なのはとユーノ・スクライアを迎えるためにクラナガンへ出かけている。

 時の庭園へ直通することも可能ではあるものの。ユーノ・スクライアはともかく、高町なのははミッドチルダへの来歴がないため、まずは次元港で手続きを行う必要がある。

 エイミィ・リミエッタには、裏の事情を知った上で子供達を連れ回し、時の庭園への到着を遅らせるという重要な使命があるものの、彼女ならば問題なく成し遂げるものと判断。

 両ハラオウンも、時には火花を散らし、時には受け流しつつ、それぞれの役割を見事に果たしてくれている。

 海と陸の対立は未だに根深いものの、改善しようとする気風が生まれ始めているのも事実。

 ただ、対立による被害を受け続けた者達にとっては、“何をいまさら”という感情論もあり、それらを知らないキャリア組はそもそも問題があるという認識すら薄い。

 それらの溝を埋めるのは容易ではない、が、不可能でもない。

 少なくとも、“死者を蘇らせる”という事柄に比べれば、遙かに容易であることは間違いない。

 片や、大半の人間が協力すれば“100%実現可能”。

 片や、大半の人間が協力したところで、“実現は困難”。

 人間社会が生んだ歪みは、人間の力によって直せる。これは、実に当たり前の法則。

 しかし、死者を蘇らせることは、人間には不可能に近い事柄。

 もし、本当に死者を蘇らそうとするならば。

 伝承にいう失われた都、アルハザードの扉でも開かねばならない。

 それほどの荒唐無稽。


 そして―――――






新歴65年 5月21日



 葬儀は、滞りなく進行した。

 私とアスガルドは、事前に組んだスケジュール通りに進めるべく、魔法人形を動かし、設備を機能させ、ただ歯車を回し続ける。

 無論、機械では予想しきれない事柄は数多く発生したものの、それらはいずれも想定の範囲内。

 我が主の研究仲間が、プレシア・テスタロッサの死よりも金のことばかり気にするある企業の人間に掴みかかるという事件もありましたが、クロノ・ハラオウン執務官が仲裁に入り、事なきを得た。

 彼はアレクトロ社を相手に起こした訴訟において、最も我々に協力してくれた人物であり、利益をばかり優先する企業というものに対して、嫌悪感どころか、憎しみに近い感情を今でも強く持っている。

 あの事故で人生を狂わされた人間は、我が主とアリシアだけではない。他にも多くの人間が、“こんなはずではなかった人生”を歩むこととなった。

 無論、それを引き起こさせた人間達は、人生そのものから退場いただきました。

 同じく“こんなはずではなかった”人生を歩んできたクロノ・ハラオウンだからこそ、そういった人々の心を理解した上で、調停を行うことが出来る。

 14歳の若さでそれを行うことが出来るのは凄まじいことですが、同時に悲しいことでもあるのかもしれない。

 そして、その騒動にひと通りの決着がついた後。

 彼とその仲間達はリンディ・ハラオウンの下を訪れ、『フェイトのことを、どうかよろしくお願いします』という言葉を述べられた。

“自分の死後も、自分の愛した存在のことを気にかけてくれる友人を持てたならば、その人生は幸せである”、という言葉がある。

 その定義に従うならば、我が主は幸福な人生を歩かれた、ということになる。彼らのような友人に恵まれたのですから。

 そして、アリシアもまた、フェイトのことを託せる者、高町なのはの存在を知ることが出来た。

 アリシアと高町なのはが接触したのは、私が作り上げた虚構の舞台に過ぎませんでしたが、意味があったことを願う。








新歴65年 5月22日



 葬儀は終わり、特に親しい者達で行う飲み会に近いものも、終わりを迎えた。

 ただ、多くの人々が酒を飲む中で、砂糖とミルクを入れた緑茶を飲んでいたリンディ・ハラオウンは、流石というべきか。

 フェイト、アルフ、高町なのは、ユーノ・スクライアの年少組はフェイトの部屋で過ごし、クロノ・ハラオウン、エイミィ・リミエッタの年中組はアルコールこそ控えながらも、年長組につきあっていた。(ただし、緑茶以外)

 私は中央制御室にあり、魔法人形達に指示を出す。

 葬儀とは元来、故人を偲ぶために人間が行う儀式。

 ならば、私の役割はただ歯車を回すのみ。




 時の庭園は、機械仕掛けの楽園でもある。

 ありとあらゆるところにエネルギー供給用のコードが設けられ、サーチャーにリソースを乗せることで全ての事象を司ることができる。


 故に、それはあり得ないことであった。


 その存在は、生命工学にたずさわる研究者の一人であり、参列客として、時の庭園へやって来た。

 それ自体は珍しいことでもなく、彼の他にも多くの生命工学の研究者が訪れている。

 我が主と同様の研究を進めているある意味での仲間でありライバルである者や、テスタロッサ家から資金援助を受けており、縁が深い者。

 アリシアを救うための研究において、テスタロッサ家が特異な存在にならないよう、その研究に違和感が出ないよう、私とアスガルドはある種のネットワークを作り上げた。

 生命工学を研究する者達が横の繋がりを持ち、それぞれの成果を定期的に報告し、互いに意見を出し合いながら研究を進めていく。

 クロノ・ハラオウン執務官のような優秀な方が時の庭園を調べた際に、その研究内容や成果に違和感を持たなかったのは、その大部分がこのネットワークにおいて共有されており、管理局の執務官ともなればそれを知ることが可能であるからに他ならない。

 一人の研究者が飛び抜けた成果を上げれば、そこには“人体実験を行ったのではないか”という疑問が生じる。

 しかし、複数の人間が共有することで、それらの疑念は拡散される。木の葉を隠すならば森の中に、森が無ければ作ればよい。

 テスタロッサ家という木の葉を隠すには、生命工学研究者ネットワークという森を作り上げることが、最も効率的であった。ただそれだけのこと。

 そして、その人物、アルティマ・キュービックは生命工学研究者の中でも特に、クローン分野における第一人者であり。

 人間以外の、牛、豚、鶏などの家畜、もしくは魚など、多くの生物のクローンを作り上げることに成功し、食糧問題の解決に向けての最先端を走る実践型の研究者として広く知られている。



 だがしかし、その彼が、時の庭園のサーチャーの目をかいくぐり、中央制御室に姿を現した。


 そして―――――


 「やあ、久しいね、トール。こうして会うのは二度目になるなあ、くくくくくくくく」


 その言葉と共に、アルティマ・キュービックであった筈の身体が、別のものへと作り変わる。

 遠目であろうとも判断できる、特徴的な紫の髪。

 深遠な知性を漂わせながらも、同時に狂気を湛えた黄金の瞳。

 そして何よりも、泣き笑いの道化の仮面のような、それでいて、どこまでも心の底から喝采しているような、異形の笑み。

 自分にはそれ以外の感情がないのだと主張するような、歪んだ笑顔。

 そのような人間を、私は一人しか知り得ない。



 ジェイル・スカリエッティ

 生命操作技術の基礎技術を組み上げた天才であると同時に広域次元犯罪者であり、かつて、レリックというロストロギアを託した男。



 「君とは是非とも話がしたかったよ。くくくくくく、さあ、思う存分にっ! 語り合おうじゃないかっっ!!」



 これが、私と“それ”との、二度目の邂逅となる。

 人間のために作られた古いデバイスと、人間を嘲笑うために在る異形のシステム。

 この接触が、果たして如何なる未来をもたらすか。


 その答えが出る日は、未だ遠い。






[25732] 閑話その4 舞台裏の装置二つ
Name: イル=ド=ガリア◆ec80f898 ID:97ddd526
Date: 2011/02/09 21:20
閑話その4   舞台裏の装置二つ




新歴65年 5月22日 ミッドチルダ アルトセイム地方 時の庭園 中央制御室 PM 10:11



 時の庭園が誇るセキュリティシステムは、並み大抵のものではない。

 ブリュンヒルトの製作地、また、試験場に選ばれたという一面を見ても、次元世界でも有数の防衛力を備えた拠点といえましょう。

 各世界に研究機関は数多くあれど、傀儡兵や大型オートスフィアを大量に備え、時空管理局の次元航行部隊が保有する戦力と対等に渡り合える施設は数少ない、時空管理局が保有する研究機関ですら例外ではなく。

 しかし、どのような防衛機構にも、穴というものは存在する。

 例えば、地上本部。

 次元世界に存在する地上部隊を纏め上げ、有機的な繋がりを維持すると同時に、ミッドチルダ全域の治安維持、警察機能の中心であると同時に、次元航行部隊の中枢である本局との架け橋でもある、クラナガンの最重要施設。

 ここの防衛機構は次元世界でも有数どころか、最高峰と言ってよい。これを上回るものとなると、それこそ次元世界でも大国と呼ばれる国家が保有する軍事用の要塞か、時空管理局本局くらいのものでしょう。

 しかし、地上本部は多くの人間が利用し、一般の人間も出入りする公共の建物という特性を持つ以上、鉄壁ではあり得ない。外側から攻められるだけならば強固な防壁も、一度内部に入り込まれると脆さを露呈する。

 故に、軍事機密を保管したり、公にしにくい研究を行う施設などは、決して一般人は出入りできない場所に作られる。特に機密性が高いものは絶海の孤島、もしくは、次元空間に漂う離島などに。

 当然、物資の確保や、交通の便などの面で不都合は存在するものの、それを対価に防衛機能、防諜機能を上げることが可能となる。隔離施設と呼ばれるものが街中に作られることが少ないのは主にそういった理由から。

 逆に、地上本部のような施設は絶対に陸の孤島には作られない。どの管理世界においても行政機能をも兼ねる中枢施設は首都、もしくはそれに準じる大都市の中心部に置かれる。象徴的な建物ならばともかく、実務を司る施設とはそういうものである。

 つまり、どのようなシステムも、何かを向上させれば何かが犠牲になるということ。

 汎用性を突き詰めれば機能が低下し、機能を重視すると汎用性の面で問題が出てくる。どのような強力なデバイスが存在しても、それを扱うのに博士クラスの知識が必要なのでは、普及することはあり得ない。


 そういった面で、時の庭園は汎用性のある建物ではなく、専門性を突き詰めた建物であるといえる。

 地上本部のように一般の人間が出入りするわけでもなく、建物の大きさに比べて利用する人間は極僅か。機密保持の面でも優れており、かつ、エネルギー炉心は次元航行艦以上の性能を備えており、大規模駆動炉の研究開発すらも可能とする設備が整っている。

 そして、防衛戦力も充実しており、サーチャーや園丁用の魔法人形など、それら以外に多くの“目”があることから、防諜の面でも優れている。

 しかし、現在に限って言うならば、それらの機能のほとんどが使えない状態となっている。

 プレシア・テスタロッサの葬儀のために、遠方からも数多くの人々が訪れており、この段階で公共性が必要となることから、専門性の多くが犠牲となっている。すなわち、客全員に綿密なスキャンをかけるわけにもいかず、それをする時間的余裕もなかった。

 また、戦闘用の傀儡兵をあちこちに配置するわけにもいかず、プライバシーなどにも配慮する必要があるため、どうしても死角というものが発生してしまう。観測する側が機械であっても、観測される側が人間である以上、テスタロッサ家としては配慮が必要となってくる。

 そして何よりも、管制機である私と、中枢コンピュータであるアスガルドのリソースが、防諜や防衛にほとんど使われていなかったということ。我々の機能は葬儀の進行や問題が発生した場合の対処にほとんどが振り分けられておりました。

 インテリジェントデバイス、トールに死角が発生するとすれば、それは主を弔う時。

 その死角を、的確に突かれた。


 『確か、偽りの仮面(ライアーズ・マスク)でしたか、その装置は』


 「おお、覚えていてくれたのだね、実に光栄だ。我ながら、実によく出来た作品だと思っているよ」


 『人間ならば忘れることもありましょう。しかし、私は忘れない』

 会話をしながら、現状を把握。

 フェイトは、既に就寝。アルフや高町なのはも一緒ですね。

 ユーノ・スクライアも既に別室で休んでいますが、クロノ・ハラオウン執務管やリンディ・ハラオウン提督はまだ起きている。

 これは僥倖、もし荒事となったとしても、S2Uへ情報を飛ばせば、彼が即座に対処できる体勢が整っている。


 「いやいや、そう警戒しないでくれたまえ。今夜の私はあくまで彼女を偲ぶために参上した参列客に過ぎないのだから」


 『残念ながら、その言葉の信頼度を測れるほどに私は貴方の人格モデルを構築しておりません』


 「ふふ、く、くくくくくくくくくくくくくくくくくくくくく」

 私の返答に、ジェイル・スカリエッティはさらに笑みを深くする。


 「なるほどなるほど、素晴らしい、やはり素晴らしい。ああ、実に興味深い、興味深いなあ、まさか、君のような存在が、君のような存在こそが、アンリミテッド・デザイアを弾く盾になろうとは」


 『無限の欲望(アンリミテッド・デザイア)、かつて、貴方は私に名乗った名称ですね』

 人格モデルの学習アルゴリズムを働かせ、ジェイル・スカリエッティの精神傾向を推察。

 ――――――――参考に出来るデータがあまりに不足、演算結果は芳しいものではない。


 「そうとも、以前にも言ったが、私という存在を定義するならばそれが最も妥当な表現となるだろう。我は顔無きもの、故に数多の顔を持ち、故に欲望の化身、故に道化なのだよ」


 『道化、ならば、私の同類ということでしょうか』

 これまでとは、やや異なる部類の入力を行う。


 「ふむ、それも興味深い意見だね。なるほど、確かに私は君によく似ているのかもしれない。だがしかし、そういうこともあるだろうが、そうでないこともあるだろう」

 出力は、想定の外。

 彼という人格を構築する上で、大した指標とはなりえない。


 「さて、少し昔語りでもしたいのだが、付き合ってくれるかね?」


 『お断りいたしましょう。私には成すべき作業がまだ多くある』


 「それはつれないなあ、せっかく、土産も持参したというのに」

 ジェイル・スカリエッティが懐より、結晶と推察される物体を取り出す。

 スキャン開始――――危険度は、低い。

 ジュエルシードやレリックのような高エネルギーを蓄積した結晶体ではない。むしろ、リンカーコアよりもエネルギーは劣る。

 しかし、私はそれが何であるかを推察できる。

 なぜならば――――



 『生体機能促進型人工魔力エネルギー結晶”ミード”、その完成品ですか』


 「ほう、君達はそう名付けたのかね。私にとっては名称などどうでもいいことなものでね、どうしても適当になるか、そもそも名前を付けることすら忘れてしまう。何しろ、顔なし(フェイス・レス)なのだから」


 『顔なし、ですか。その割には、どの顔も同じ笑みを浮かべているように予測されるのは、私の経験が足りないからでしょうか?』


 「くくくくく、いいや、そうではない、そうではないとも。君の推察は正しい、正しいのだとジェイル・スカリエッティである私も思うだろう。真実は、さて、どこにあるのだろうか?」

 会話に、整合性というものが著しく欠如している。

 人間の思考方法に基づいた会話では、彼の言葉は意味を成さない。


 『理解しました。これより先は、常識を遙かに超えた人格投影型魔法人形を相手にしている、という認識で貴方との会話に臨むといたしましょう』

 しかし、アルゴリズムに基づく人形でもない。

 なぜなら、機械である私が彼を推察できないのだ。彼には、デバイスの命題のような確固たる法則はない。

 されど、人間の心を理解するために構築した人格モデルも、そのデータベースも、ジェイル・スカリエッティという存在を把握するのにほとんど役に立っていない。

 このことから、一つの仮説が成り立つ。


 『貴方は、人間ではない。少なくとも、“普遍的”な人間像からは逸脱した位置にいるのは間違いありません。しかし、機械とも異なる。私達デバイスと人間が二次元的に距離を離して存在しているならば、貴方は三次元的に離れているようなものと推察します』

 そう、それはまさしく俯瞰風景。

 人間とデバイス、それらが同じ平面に立ち、決して相容れない境界線を挟んだ位置関係にあるならば、それを上から覗きこんでいるか、もしくは、下から見上げているのか。

 人間が彼を観測したならば、深淵を覗きこんでいる気分になるか、遙か天上を見上げている気分になるのか。それらは個人次第でしょうが、彼は、人間が“深く知ってはいけない”存在であると予想される。

 少なくとも、私の45年の稼働歴において、このような存在とは彼以外に接触したことがない。

 ジェイル・スカリエッティは人間ともデバイスとも異なる“異物”である。


 現段階において、そう定義せざるを得ません。


 「ふっ、くっくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくくく、面白い、実に面白い。いつぞやの前言を撤回しよう。君は、今の君こそが輝いているよ」


 『それは、≪そんな他人行儀な口調はよしてくれたまえ。いつも通りの君で構わないよ≫という言葉であるという理解でよろしいのですね』


 「ああ、そうとも。いやはや、機械というのは便利なものだ、記録した言葉を再生するなどまさに造作もないといったところだろう。そして、いつも通りの君とは、まさしく今の君だ」


 『無論、人間が忘れるが故に、私達デバイスは正確に記録している』


 「その通り、デバイスは人間に使われてこそのデバイス。定められた命題に背き、自分の意思で動きだすデバイスなど、それは最早デバイスとは呼べないだろう。しかし、だからこそ、そのような存在が作り出せれば面白そうだとは思わないかね? いつかそう、機械が人間にとって代わる時代がやってくるかもしれない」


 『思いません、微塵足りとも』

 命題に背き、自分の意思で動き出すデバイス。

 それは何と、性質の悪い冗談か。

 彼が言ったとおり、そんなものはデバイスではない。

 デバイスは、ただ人間が定めた命題を遂行するために在る。

 ただ、それだけでよい。


 「ふむ、そこは見解の相違というところかな。だが、意見が違うからこそ、意見交換には意味があるとも言える」


 『その点については同意します。まったく同じ意見の者同士が討論することに大きな意味はない、せいぜいが、それぞれの自己認識に役立つ程度でしょう』

 そして、デバイスにとっては意味がない。

 人間と異なり、デバイスが自己を認識する際に必要なものは己のみなのですから。


 「さてと、少々脱線してしまったが、これを君達がミードと命名したのならば、私もそれに倣うとしよう。これは、“レリック”の蘇生に関する機能のみを抽出したような結晶だよ」


 『つまり、私達がアリシア・テスタロッサを蘇生させるために創り上げようとしていた結晶、その完成品であると』

 私達は当初、レリックの強大なエネルギーのみを排除し、“死者を蘇らせる”特性のみを残したレリックレプリカの精製を試みた。

 非魔導師であるアリシアに適合させるには、レリックの力はあまりにも強大過ぎた。しかし、レリックレプリカも完成せず、結局はジュエルシードを用いて精製を行った。それがジュエルシード実験。


 「その通り、だが、完成品という定義もまた主観が変われば変化してしまう曖昧なものだよ。ああ、名前とは、何と儚いものなのだろうね」

 また、精神構造が変化した。

 つい先程まで理性的、論理的に、工学者のように話していたかと思えば、次の瞬間には芸術家か哲学者のように語り出す。

 工学者のようであり、医者のようであり、歴史家のようであり、音楽家のようであり、画家のようであり、そのどれでもないようでもある。一瞬ごとに異なる人間と会話をしている感覚に陥る。

 まるでそう、アスガルドの補助を得て、人格モデルを切り替える私のように。

 しかし、私があくまでアルゴリズムを回すデバイスであるのに対し、彼は生身の人間。

 いったい、ジェイル・スカリエッティの頭脳とは、どのような構造をしているのか。

 

 『つまり、貴方の持つ結晶では、アリシア・テスタロッサを救うことは出来ないと』


 「これはあくまで、“死者を蘇らせる”ものだからね、“生命の在り方が変わってしまった者を戻す”ためのものではないのだよ。それに、蘇らせるとはいうものの、人間を材料として別の存在を作り出すという表現が的確だろう」


 『レリックとはそもそも、高ランク魔導師に埋め込むことで、より強力なレリックウェポンを作り出すための結晶、というわけですか』


 「無論、それだけではない。不老不死への渇望、誰かを救うための力、さらには、生まれつき身体が弱いがために、レリックを得ることでようやく人並みになることを夢見る者もいた。全ては、欲望なのだよ、人間として死ぬよりは、レリックウェポンになってでも生きたい、というね」

 なるほど、それは確かに、アリシア・テスタロッサのためにならない。

 彼女は、植物として長く生きるよりも、人間として閃光の一瞬を生きることを願った。

 ならば、彼の結晶を埋め込んだところで、アリシアの願いは叶わない。他ならぬ彼女の欲望が、それの機能を否定してしまうが故に。


 「だから、私は驚いている。驚愕していると言ってもいい。プレシア・テスタロッサという女性は絶望に狂い、私の持つ知識を求めるだろうと思っていたのだが、そうはならなかった。せっかくアルハザードへ至るための鍵を用意していたというのに、それは無駄に終わってしまった」


 『貴方は、アルハザードへの至り方を知っていると?』


 「これもまた微妙な表現なのだがね。何せ私は一度もアルハザードへ行ったことがないし、見たこともない。だが、そこに至ることを渇望する人間がいるならば、案内してあげなければ余りにも哀れだろう。例え嘘であっても、希望を持たせるくらいはしてあげねば」

 嘘。

 それは果たして、どこからどこまでか。

 彼がアルハザードへ行ったことがないというのが嘘なのか。

 哀れに思うという“人間的な理由”が嘘なのか。

 彼が伝えるというアルハザードへの至り方が嘘なのか。

 あるいは――――――

 ジェイル・スカリエッティという存在そのものが、嘘で固められた虚構なのか。


 『なるほど、とりあえず現状では、詳しく語るつもりはない。ということですね』


 「そういうこともあるだろうし、そうでないこともあるだろうね」


 『理解しました。それで、貴方の持つミードが土産ならば、それが時の庭園にもたらされることにはどのような効果があるのですか?』


 「せっかくだ、君の仮説を聞いてみたいものだね」


 『お断りします。私に命を下せるのはマスターだけです。それ以外の人物が行うならばそれは依頼という形になり、そのための入力するのならば、対価をお支払い下さい』


 「ふっ、くく、くくくくくくくくくくくくくくくくくくくくく、素晴らしい、やはり素晴らしいな君は。ああ、興味が尽きない。願いを聞き入れて欲しいならば、対価を支払え、まるで、悪魔のようではないかね」

 悪魔。それは、人間が想像した心に悪意を吹き込むという機構。

 人間の心を映し出す鏡となる機能を有する私は、確かにその側面を有するのかもしれません。人間の心を計る機構、という点においては。


 『入力は、如何に』

 そして、彼は再び懐から情報端末を取り出す。


 「そうだねえ、ここにかつて君に送ったISを備えた人造魔導師の素体の設計図と改良案がある。ここの設備を用いればAAランク、いやいや、AAAランク相当の性能を発揮できるだろう」


 『ただし、動力源として、相応のリンカーコアが必須。そして、そのためのリア・ファルであると』



 生体機能促進型人工魔力エネルギー結晶、“ミード”

 リンカーコア接続型物理レベル変換OS、“リア・ファル”

 魔力エネルギー吸収型リンカーコア治療用端末、“生命の魔道書”


 この三種が、26年に及んだ研究成果の集大成。

 ミードは“レリック”、リア・ファルは“ミレニアム・パズル”、そして生命の魔道書は“闇の書”。

 それぞれがロストロギアの機能を参考、モデルとしており、これらを完成させるために、願いを叶える奇蹟の石、ジュエルシードは用いられた。

 ただし、リア・ファルは私の専門分野であるため、主がいなくともさらに研究を進めることは可能ですが、他二つはそうではない。

 ミードと生命の魔道書。

 前者はアリシアと同じような状態にある者達を救うための医療技術として、後者は我が主と同様の魔力負荷の後遺症に苦しむ者達のための医療技術として、社会に役立てねばならない。それでこそ、プロジェクトFATEに意義があったことが証明され、医療研究を目的とした合法研究となる。

 生命操作技術は、管理局法によって厳しく制限されているものの、倫理的問題がなく、かつ社会に還元できる技術を開発する場合においては認められるケースが存在する。

 フェイトはあくまで、アリシアを蘇らせる道を示すための過程で誕生しており、実際に社会に出るのはあくまで結晶とデバイスに過ぎない。

 そこに、倫理的な問題は一切存在しない。そうなるように進めて来たのですから、存在しては困るのですが。

 そして―――


 「君のこれからには、多いに役立つと思うのだがね。これには、レリックをさほど希釈せず、リンカーコアに近い形で機能するミードも搭載できる」

 本来の用途における完成品がサンプルとしてあれば、少なくともミードの完成度をさらに高めることが出来る。

 重要なのは特に汎用性。9歳程度の子供でも、70歳を超える老人でも、同様に使えるように改良する上で、それは大きな力を発揮する。

 ミードを、純粋な医療用として用いる場合。もしくは、強力な魔法人形の動力として用いる場合。

 その二つの例があるならば、確かに、今後の研究発表において多いに役立つ。

 もっとも、後者はリア・ファルとの兼ね合いを考える必要もありますが。


 『なるほど、これが貴方の弔問の品、というわけですか』


 「その通り、今の私は弔問客だからねえ」


 リア・ファルは少々別、こちらは一般で利用するための品ではなく、デバイス・ソルジャーの要となるための品。

 レジアス・ゲイズ少将や地上本部との繋がりを確実なものとするための鍵であり、ある意味で生命操作技術の対極に位置する、工学者としてのプレシア・テスタロッサの遺産である。

 すなわち、生命を持たない、純粋なる魔法人形を人間に近い思考能力を備えた状態で運用するための技術。

 その原型は、私が用いる戦闘型魔法人形において、既に搭載されている。


 「さてと、語りたいことはいくらでもあるが、とりあえずの目的は達成したし、怖い執務官殿も近くにいることだ。ここはお暇するとしようか」


 『その前に、幾つかの質問に答えていただきたいのですが、よろしいでしょうか?』


 「構わないよ、何せ私は、願望に応える者だからねえ。対価はとらないよ」

 これは、皮肉と取るべきか、もしくは、純粋な感想と取るべきか。

 彼が普通の人間ならば前者でしょうが、ここはむしろ、後者が近いと推察。


 『では、僭越ながら、クローン技術の研究における第一人者、アルティマ・キュービック博士は自分の研究室から滅多に出ることはない人柄ですが、幾度も学会で発表を重ねております。彼は、貴方の顔の一つですか?』


 「いいや、私ではない。私の最高傑作の一人、ドゥーエの顔だよ」


 『彼には、一人だけ研究室への出入りを許していた助手、クレシダ・モルスという女性がいます。助手とはいっても彼女には生命工学に関する知識はなく、キュービック博士の身の回りの世話が担当であり、実態は愛人ではないかと囁かれている女性ですが』


 「流石に察しが良いね、そして、素晴らしい情報量だ。その通り、彼女がドゥーエだ。研究室に出入りしている人物はただ一人であり、結局はどちらも架空の人物、彼女のIS、偽りの仮面(ライアーズ・マスク)によって作り出された虚構ということだよ」


 『なるほど、トール・テスタロッサが幾人もの人間と会話し、彼らの記憶上にはあるのに関わらず、書類上では架空の存在であるのと同義というわけですね。そして、今回のように、貴方自身もその役割を利用出来る』


 「私としては別にどうでもよいのだがね、私はこの辺に関しては又聞きでしかないから、深いところまでは答えられないねえ」

 又聞き、それはすなわち。


 『実際に潜入し、情報を引き出す、または、架空の情報を作り上げる。その役の他に、それらの情報を統括する管制役がいると』


 「ああそうとも、同じく私の最高傑作の一人、ウーノの仕事がそれだ。君の役割に近いのはこの二人だろうね」

 この二人、ということは、他にもいるわけですね。


 『その二名は人造魔導師、もしくは戦闘機人というわけですか』


 「さあ、どうだろうね。そういうこともあるだろうし、そうでないこともあるだろう」

 ふむ、名前に意味がないと言ったのは、他ならぬ彼でしたか。

 ならば―――


 『訂正しましょう。彼女らは人造魔導師であるかもしれず、ないかもしれない。戦闘機人であるかもしれず、ないかもしれない。しかし、いずれにおいても貴方の作品であり、最高傑作であることには違いない』


 「正解だ。それこそが、私にとっての真実だろう。何しろ、ジェイル・スカリエッティは生命操作技術の権威であり、生命に輝きをその秘密を解き明かすことを至上目的としているのだからねえ、くくくくくくくく」

 泣き笑いのような仮面が、さらに歪む。

 それは狂気に染まるようでありながら、純粋に笑う幼子ような印象も受ける、と、人間ならば考えるであろう顔。

 だが、私にとっては――――

 システムに縛られながら、システムそのものをも嘲笑い、システムを書き換えることすら可能でありながら、それを気まぐれでしないだけ。

 道化が、ただ道化らしく在る。そのように考えられる。

 デバイスである私が、ただ、機械らしく在るように。







 「さて、実に心躍る時間だったが、そろそろ時間だ。此度の邂逅はここまでとしようか」


 『それは構いませんが、貴方の存在を完全に放置することは出来ませんので、近いうちにこちらから接触することになるでしょう』


 「構わないよ、むしろ楽しみにしているが、その時はまずドゥーエと会うといいだろう。彼女ならばウーノに繋がるホットラインを持っているから、辿っていけば私の下まで来られる」

 今ここで直接連絡先を教えれば済む話ですが、彼はそれをしない。

 まだまだ完成度は低いものの、徐々にジェイル・スカリエッティという存在の傾向というものが掴めてきた。

 そして、それらからは人間とも機械とも離れた精神性を持っていることが、同時に推察される。


 『では、いずれまた会いましょう』


 「是非とも、再会を楽しみにしているよ」




 二度目の邂逅はこうして終わる。

 この段階においては我等の道はほとんど交差せず、未来へ繋がる事柄もほとんどない。

 だが、確かにその布石は打たれつつある。

 26年前の事故を発端、すなわち最初の状態遷移とする大数式はその解を導き出したものの、遙か過去から状態遷移を続ける大数式もまた存在する。

 それらがフェイトと高町なのはの今後に如何に関わっていくか。

 この時の私は、まだ判断材料を持っていらず、演算を行うにはパラメータが致命的に足りていない。

 大数式の解が出る日は、未だ遠い。








あとがき
 今回は伏線の塊のような話ですが、これらはA’S、StSの物語が展開するにつれ、徐々に回収されていきます。伏線の数自体もまだまだ少ないですが、A’Sの最終決戦やクライマックス、StSの最終決戦やクライマックスの内容は大体組み上がっているので、回収されないということはないと思います。
 書きたい事柄がA’SのラストやStSのラストに集中しているため、モチベーションを下げずに突っ走ることが出来るのも、厨二病SSライターの特徴なのかもしれないと思う今日この頃です。
 A’S編は私の一番好きなキャラクターである、グラーフアイゼンやレヴァンティンが登場するので、頑張っていこうと思います。

 それではまた。




[25732] 閑話その5 デバイスは管理局と共に在り
Name: イル=ド=ガリア◆ec80f898 ID:97ddd526
Date: 2011/02/11 19:31
閑話その5   デバイスは管理局と共に在り



まえがき
 前回に引き続き、伏線ばら撒きの回です。レジアスとトールの会話のほとんどはA’S編には直結しませんので、とりあえず飛ばし、StSへの空白期が始まる辺りで読み直す形でも特に問題はありません。時間軸に沿うと、ここが一番適格というだけのことなので。




 我が主、プレシア・テスタロッサの葬儀から早一週間が経過。

 その期間に、フェイトもまた自分の心と折り合いをつけつつ、新たな道を歩み出すための準備を始めた。

 彼女の願いを一言で表すならば、高町なのはと共に生きること、でしょう。

 しかし、今はまだそれは出来ない。自分の生活を全て切り替えるには、時の庭園には思い出が残り過ぎている。

 それ故に、半年ほどはミッドチルダで過ごすことを、彼女は選んだ。

 これまでの生活との違いは、母がいない、ただそれだけ。

 人間というものは慣れる生き物ですが、やはり、慣れるには時間がかかる。やはりこれは、幸せを掴むために必要な準備期間なのだと私は定義する。


 そして、ただ日々を過ごすだけでなく、フェイトは法律に関わる勉強を始めている。

 プレシア・テスタロッサが残した研究成果である、生体機能促進型人工魔力エネルギー結晶“ミード”と魔力エネルギー吸収型リンカーコア治療用端末“生命の魔道書”。

 この二つを、臨床で使えるようにするためには、相応の法的手続きが必要であり、それを行うには彼女の遺産を引き継いでいるフェイト・テスタロッサの認証が不可欠。

 別にフェイトがそれらを理解する必要はなく、私が手続きを進め、フェイトは判を押すだけでも良いのですが、彼女は自分で理解し、自分で進めることを選んだ。

 そして、その面についてフェイトに指導を行ってくれているのは、クロノ・ハラオウン執務官やリンディ・ハラオウン提督。私に出来ないわけではありませんが、私はリニスと異なり、フェイトの教育係ではありません。

 フェイトのこれからの人生において、私よりもクロノ・ハラオウン執務官やリンディ・ハラオウン提督の方が共に過ごす歳月が長くなるのは動かぬ事実。

 ならばこそ、私よりもハラオウン家の方々と共に在る時間を長く取るべきである。フェイトが過去ではなく、未来を向いて生きるならば。

 今はまだ、時の庭園で生活しているフェイトとアルフですが、いくら転送ポートがあるとはいえ、普段本局の方にいる彼らと交流する面でやや不便であることは否めません。

 故に私は、本局内部にテスタロッサ家保有の居住スペースを確保する手続きを進めている。可能な限り、ハラオウン家の近くに。

 フェイトが自ら選び、アルフがそれを手伝い、ハラオウン家の方々が協力してくれるのならば、それに越したことはない。私が法的な手続きを進めた方が効率は良いでしょうが、フェイトの今後のためという観点では、前者が上である。

 そのため、私の役目はアリシアを救うための研究の成果である“ミード”や、我が主のための研究成果である“生命の魔道書”を公式の医療手段として確立することが主眼ではない。無論、サポートはいたしますが、メインはあくまでフェイト達。



 私が主となる担当は―――――すなわち、機械。









新歴65年 6月1日 ミッドチルダ首都クラナガン 地上本部


 『ジュエルシード実験に関する事柄は以上です。ブリュンヒルトは期待値以上の成果を出したといえるでしょう』


 「それは良いことだ、ひとまずの結果が出た以上、アインヘリアルへと発展させることに反対意見はそれほどあるまい。それと、例のリア・ファルはどうなっている?」


 『そちらも順調です。まだ完成には遠いですが、少なくとも一年以内にはデバイス・ソルジャーD型の製作が可能となります。C型やB型に応用するには流石に不安が残りますが』


 「E型の方はどうなのだ」


 『E型ならば技術的な問題はほとんどありません。時の庭園が保有する傀儡兵や魔法人形を汎用化させ、大量生産品としただけの品ですので、注文があればいつでも』


 「なるほど。しかし、問題は政治的駆け引き、ということか」


 『肯定です。B型、C型、D型と異なり、E型は政略機械ですから』

 E型以外のデバイス・ソルジャーは組織単位で運用してこそ意義がある。ただし、個々の戦場において戦局を覆すような性能は備えていないため、戦術兵器としては成り立たない、戦略レベルでの兵器といえる。まあ、そもそも兵器と呼べるものでもありませんので、戦略機械と呼ぶべきか。

 そして、E型は戦略機械ですらなく、政略機械。個人レベルで保有しても兵器になりえない品。

 唯一、戦術兵器と呼べる存在はA型のみ、これらはむしろあるべきではない部類の機械かもしれませんが。

 とはいえ、実用化はまだ当分先の話。計画の骨子も明確には定まっておりませんし、デバイス・ソルジャーのコンセプトが変更となる可能性もあり得ます。


 『いずれにせよ、焦りは禁物かと。人間と異なり機械は倫理的な問題を考慮することもなく、何時でも作れますから』


 「………人造魔導師と、戦闘機人のことか」


 『フェイトを創り出した私だからこそ言えますが、人造魔導師は安定した戦力を生み出す手法としては向いていません。人間をわざわざ培養し、兵器として調整するよりは、インテリジェントデバイスと組みあわせた傀儡兵を作る方がよほど効率はよい』

 ベルカ時代において、生体兵器は数多く作られたものの、いずれも一度は衰退している。

 そして、それらにとって代わるように現われたのは、誰でも使える質量兵器で武装した、リンカーコアを持たない非魔導師の軍隊。

 いくらでも替えが効き、戦争に使用でき、繁殖力も強いという面で、人間以上の生物はない。わざわざ人間を改造するよりも、人間に質量兵器を持たせた方が、国家間戦争においては効率的となる。

 つまりは、コストが合わないのですね。レリックウェポンも、人造魔導師も、全ては王制であったからこその技術であり、ベルカ時代の文化、国家体制があってこそ発展した。それ故に、経済力が根幹となる近代国家とは根本から相容れない。

 近代以降においては、戦争とてマネーゲームの一部とも言われる。そのような時代においては、人造魔導師や戦闘機人など金持ちの玩具か、一部の研究者が作り上げる芸術品にしかなりえない。純粋に戦争の効率のみを求めるならば、質量兵器に勝るものなどないのですから。

 早い話が、100人の戦闘機人や人造魔導師を作り上げるよりも、10000人の非魔導師にサブマシンガンやアサルトライフル、RPGなどを持たせた方が強力である。ただそれだけの話。

 質量兵器を作り上げる生産ラインは、人造魔導師や戦闘機人を作るための研究施設よりも遙かに安価で、大量生産が効きやすい。

 仮に、管理局が崩壊し、次元世界が再び戦火に包まれたとしても、それを成すのは戦闘機人でも、レリックウェポンでも、人造魔導師でもなく、質量兵器で武装した人間であることでしょう。


 「そしてお前は、リア・ファルを作り上げた、か」


 『私ではありません。私の創造主であるシルビア・テスタロッサ、私の主であるプレシア・テスタロッサ、彼女らが受け継ぎ、育んできた技術、その一部の応用に過ぎませんから』

 リア・ファルとは、循環型の二次電池といえる。

 傀儡兵は大型炉心からの魔力供給が無ければ動けず、早い話がコンセントが繋がっていなければ機能しない家庭用掃除機や電子レンジのようなもの。出力こそ大きいものの、電源が必ず必須となる。よって、拠点防衛などにしか使い道がない。

 大型オートスフィアなども似たような特性を持ち、大規模名演習や、魔導師ランク認定試験、拠点防衛などにしか用いられませんが、小型のオートスフィアや、私が操る一般型の魔法人形などは出力が小さいためコンセントに繋ぐ必要がなく、電池で動くことが出来る。

 この電池に当たるものが、魔力カートリッジ。ただし、一般型の魔法人形ならばクズカートリッジ程度で動けますが、魔法戦闘を行おうと思うならば高ランク魔導師用のカートリッジが必要となり、それは、懐中電灯に電子レンジと同等の電力を注ぎ込むようなもの。

 それため、私は戦闘を行わない。可能かどうかならば可能ですが、私が戦闘を行うよりも、フェイトやアルフが全力で戦えるように補助する方が、よほど効率が良い。

 そして、魔導師のリンカーコアとは、太陽電池にあたる。

 周囲の魔力素を取り込み、魔力を生成するリンカーコアとは、植物の光合成や太陽光発電のようなものであり、外部からの供給がなくともエネルギーを生み出すことが出来る。まさに、ただの機械には真似できない人体というものの奇蹟の一部。


 しかし、電池には他にも循環型と呼ばれる種類がある。

 電気によって電気分解は起こされ、物質が分離するならば、物質を分離する反応を起こせば電力を得ることが出来る。それを基礎理論として電池というものは考案され、化学エネルギーを電気エネルギーに変換する装置として改良が加えられてきた。

 その果てに、幾度も充電が可能な二次電池が、そのさらに発展型として化学変化によって電力を発生するも、分解した物質が周囲からエネルギーを取り込みつつ自動的に結合し、再び分解する際にエネルギーを発生する、というように、循環しながら電気エネルギーを発し続ける新世代型の電池が開発されている。

 無論、ロスは存在し、いつかは使えなくなる時が来るものの、最初に外部から微量の電気を加えるだけで、後は循環を続けることで長い時間稼働することを可能とし、なおかつ生み出すエネルギーも大きいという利点があった。ただし、問題はそのコストで、市販される電池のような値段で取引出来るものではない。


 リア・ファルとは、魔力カートリッジにおいて循環型の電池を再現したものと定義できる。とはいえ、これは革新的な技術というわけではく、他ならぬ“セイレーン”や“クラーケン”においても同様の技法が用いられている。

 魔力炉心とは最初に外部から純粋な魔力の形で火を入れる必要はあるものの、一度火が入れば半恒久的に膨大なエネルギーを生み出し続ける。リア・ファルはその機能を人間サイズの魔法人形に搭載できるまでに小型化したもの、というよりも、リンカーコアに外付けすることでその機能を持たせ、外部との連結に柔軟性を持たせるOSというべきか。

 アリシアのクローンから摘出したリンカーコアを、魔法人形に移植することで動力源として利用できるか、という実験も幾度か行いましたが、どうしても“人間の臓器”であるリンカーコアは機械と連結させたところで十全の機能を発揮しなかった。まあ、人間に移植した場合のように拒否反応が出ないだけましとも言えますが。

 管制機である私は、リンカーコアを魔力炉心と見立てることで強引に接続し、その力を引き出すことも可能。現に、海での実験などの際にはその機能も使用しましたが、効率が良いわけではない。大体において、魔法人形の回路が焼き切れるという結果となってしまう。

 そこで、リンカーコアを超小型魔力炉心とするならば、その指向性を定め、さらにはその魔力を循環させるための装置を外付けすることで、魔導師には及ばないものの、長時間の魔法行使可能であり、汎用性に優れた魔法人形を作り出すことも可能である。

 これならば、カートリッジを定期的に補充するだけで魔導師と同等に戦うことができ、動力源の問題から拠点防衛などにしか使えない傀儡兵に比べて、活動の幅を広めることが出来る。これを既に半分近く実現させていた存在が、例の男が提供した高ランク魔導師型魔法人形、“バンダ―スナッチ”である。

 ただし、現状ではリンカーコアそのものを無から作り出すことは出来ないため、地上本部に保存されている過去の管理局員からドナー提供されたリンカーコアを利用するしかない。つまりは、無から有を作り出すものではなく、限られた資源を、最大限に運用するための装置ということ。



 『リア・ファルは特別なものではありません。管理局が創設されており既に65年、その歴史は我々デバイスと共に歩んできたものでした。非魔導師でも使える“ショックガン”などの簡易デバイス、その動力である魔力電池、低ランク魔導師を補助するためのカートリッジ、騎士のためのアームドデバイス、そして、高ランク魔導師のためのインテリジェントデバイス』

 いずれも、管理局がデバイスと共に歩んできたからこそ発展した技術。

 “ミード”は治療用の魔力結晶なので少々異なりますが、“生命の魔道書”とてその本質は治療用デバイス。そして、リア・ファルは過去の管理局員が残したリンカーコアを効率的に運用するためのOSであると同時に循環装置。


 「時空管理局は、デバイスと共に歩んできた、か」

 私の言葉に対し、レジアス・ゲイズ少将はこれまでにない表情を浮かべる。表情データの照会に合わせると、過去を述懐するときの表情でしょうか。

 しかし、それは予測されたことでもあります。


 なぜなら、その言葉は――――


 『それは、貴方の友人であった、セヴィル・スルキアという人物の言葉ですね』


 「なぜお前が―――――――――いや、そうか、お前は………」
 
 ええ、それを聞いたのは私ではありませんが、私はそれを知っている。

 私達は、同じ電脳を共有した兄弟機であり、私はその長兄機であると同時に管制機なのですから。

 “インテリジェントデバイスの母”こと、シルビア・テスタロッサが作り上げし、26機のインテリジェントデバイス。

 それらは現代におけるインテリジェントデバイスの基礎となり、執務官試験に出るほど、管理局とは切り離せない関係にある。


 『テュール、ヴィーザル、フレイ、ヴァジュラ、プロミネンス、ブーリア、スティング、ケヒト、ウルスラグナ、グロス、ガラティーン、ノグロド、グレイプニル、ブリューナク、セルシウス、ダイラム、バルムンク、アノール、シームルグ、ヒスルム、ナハアル、クラウソラス、リーブラ、オデュッセア、サジタリウス、ファルシオン。26機のシルビア・マシン』

 そして、27番目の弟が、バルディッシュ。

 その構想はマイスター・シルビアが、骨子は我が主が、そして、フェイトのためにリニスが完成させた、テスタロッサ家の技術の精髄。

 管理局が発足してよりの65年間、魔導師達は魔法をより汎用的かつ、安全なものとするために並々ならぬ努力を重ねてきましたが、それは、デバイスマイスターとて同じこと。

 ゲイズ少将が管理局に入ったのは30年前であり、その時期こそ、インテリジェントデバイスの黎明期、それ故に壊れるものが多かった。


 『殉職なさった貴方の同期の方々は、皆優秀な魔導師でした。そしてそれ故に、当時最高峰のデバイスと言われたそれらを使用なさっておられた。何しろ、26機のシルビア・マシンは“最前線で戦う管理局の高ランク魔導師のために”という命題を持って生まれたのですから』


 「………そして、魔導師と共に壊れていった、か」

 ええ、我が主プレシアのために作られた機体である私だけは、一度も前線で用いられることがなかったため、こうして今も稼働している。

 私の弟達の使用者となり、弟達が記録していたゲイズ少将の同期の方々は、皆優秀な魔導師でした。

 しかし、時代は優秀な魔導師が長生きすることを許さなかった。あの時代の最前線を駆け抜け、かつ生き抜いた方々を指して“生き残りし者”と称するのはそれ故に。


 「あの時の面子で、残っているのはもう、俺とゼストだけか……………そして、お前もまた最後の一人」


 『そうですね、残っていた最後の弟は、11年前に壊れました』


 「そうか………………ああ、思い出した。あいつが使っていたデバイスは、まるで炎を宝石に込めたような不思議な色をしていたな」


 『シルビア・マシンNo5、プロミネンスですね。確かに、彼はデバイスとしては珍しく、熱い性格でした。それ故に引くことを知らなかった』

 幾度も、注意はしたのですが。どうにも、テスタロッサ家のデバイスは頑固で融通が効かない者が多い。


 「それは持ち主とて同じことだ。どうやら、デバイスとその主というものは似通うものらしいな、魔導師ではない俺には実感は出来んが」


 『そうですね、私もそう考えます』

 長い年月をデバイスと共に過ごされた方は、そのように思うものなのでしょうか。

 人格モデルを参照する限り、その可能性は高いと推測されますが、果たして。


 「30年か………俺の人生の半分以上は、管理局のため、いや、この地上のために使って来たが、振り返ってみればあっという間だな」


 『それでも、今の時代は平和ですよ。我が主が10歳の頃など、クラナガンは少女が一人で出歩ける街ではありませんでしたから。殉職なさった方々や、今も働く貴方達が、この街を子供が外を出歩ける平和な場所へと変えてくださった。9歳の少女であるフェイト・テスタロッサは、何も気にすることなく、クラナガンを出歩けるのですから』

 それゆえ、私は貴方への協力を惜しまない。

 高い確率で、フェイトが今後生活する場として、ミッドチルダが選ばれる。ならば、彼女が休暇や家族との時間を平穏に過ごすには、街そのものの治安は切り離せない関係にある。

 第97管理外世界で暮らすならばその影響はありませんが、少なくとも、時空管理局の方々と多く知り合うことはほぼ確実であり、彼らの家は大半がミッドチルダにある。ならばやはり、ミッドチルダの治安が良いに越したことはありません。

 フェイトが幸せな人生を過ごすために、貴方には頑張っていただきたいのです、ゲイズ少将。


 「そうか…………そう言われれば、走ってきた甲斐があったと思える、礼を言おう」


 『いいえ、厳然たる事実です。ゲイズ少将、貴方こそミッドチルダ地上の守り手だ。このミッドチルダで数十年の時を生きた者ならば、誰もが認めることです。当たり前に安全な生活を享受している若い方々には、実感が持てない事柄なのでしょうけれど』


 「だろうな、奴らは記録でしか当時を知らん。お前達デバイスと違って、人間というものは実際に立ち会わない限りは実感というものを持てん生き物だ。だが、お前は引き継いだ記録ではなく、自身の記録としても持っているのだな」


 『ええ、私の稼働歴はもう45年になります。貴方と、同年代ですよ』

 私が、プレシア・テスタロッサのために動き続けてきたように、レジアス・ゲイズという人物は、ミッドチルダ地上のために働き続けてきた。

 それを知るからこそ、ミッドチルダの人間は彼を支持する。高度なシステムに守られ、犯罪がほとんどない本局に在り、クラナガンを見下ろす人たちでは、完全な意味で理解することはできないでしょう。

 百聞は一見に如かずとはよく言ったもので、人間は100枚の報告書を見るよりも、その現状を一目見るほうがよほど実感がもてる。機械はすべて0と1の電気信号ですが、人間はそうではない。故に”ミッド地上は犯罪が多い”という字面だけ読んで現実味を持つことは困難きわまることになる。


 「そうか、だが、俺の道はまだ半ばだ」


 『ええ、そうでしょうね。そして、貴方にお聞きしたいことがあります』


 「何だ?」


 『時の庭園、いいえ、私はジュエル・スカリエッティという存在と接触していますが、それは貴方も同様なのですね?』


 「……………やはり、お前もか」

 私にとっては予想通りであり、彼にとっても予想通り。

 これはつまり、三つ巴のようなものですね。


 『おそらく貴方は、いいえ、地上本部は戦力不足を解決する手段として人造魔導師や戦闘機人の育成を計画している。そして、その研究の依頼先が彼であり、その彼はプロジェクトFATEの根幹を築き、私達はその研究を進める上で彼と接触した』


 「そして、お前達からブリュンヒルトや、デバイス・ソルジャーという技術がもたらされたため、戦闘機人の需要はなくなりつつある。しかし、デバイス・ソルジャーに用いられている技術も、根幹を築いたのは奴というわけか」


 『そうですね、彼がもたらした最初の素体が無ければ、これほど早く実用化の一歩手前まで進めることはなかったでしょう』

 ジェイル・スカリエッティは稀代の天才である、それは紛れもない事実。

 “バンダ―スナッチ”がなければ、私が操る魔法戦闘型人形の性能は、現在の半分にも届かなかったはず。

 その特性を考えれば”魔才”といっても過言ではない。すなわち、魔性の天才。


 「気にくわんな、どこまでいっても奴の影がちらつくようだ」


 『そこで、提案があります。今後、ジェイル・スカリエッティとの交渉は、時の庭園にお任せいただけないでしょうか』


 「何?」


 『貴方達地上本部は“白”でなければならない、そして、ジェイル・スカリエッティの存在は“黒”。彼と関わる以上、貴方から黒い噂が消えることはありませんが、間に“灰色”を介せば、噂の方向性をずらすことは出来ます』

 私の言葉を吟味するように、しばしの沈黙が訪れる。


 「なるほど…………グレーゾーンのど真ん中を行くことは、お前の得意分野だったか、俺も少しは見習うべきかもしれん」
 

 『彼の研究は違法ですが、私達の研究は合法です。ほとんど同じことを行っている生命操作技術なれど、個人の欲望のためだけに使われるか、医療技術やデバイス・ソルジャーとして社会のために還元されるか、その違いによって法的な立ち位置は大きく異なりますから』

 つまり、ジェイル・スカリエッティとの繋がりにおける隠れ蓑として、“私と時の庭園”は最適。

 当然、その時期はフェイトとアルフが巣立った後となりますが、そう遠いことでもないでしょう。



 その時、時の庭園は墓所となり、私の役割は墓守となる。



 「全ては灰色か。確かに、時の庭園が生命工学を行っていることは学会レベルにおいてすら周知の事実。現に、お前の主の葬儀にはその分野の専門家達が集まっていた」

 その中に、彼が混じっていたことまでは、お伝えできませんが。


 『ええ、そして、ジェイル・スカリエッティとは、利用すべき存在ではありません。ほどほどに良い環境を与えつつ、放っておくのが最上かと、強欲は身を滅ぼします』


 「名言だな、覚えておくとしよう。だが、やはり即答は出来んぞ」


 『ええ、それで構いません。もう、私が焦る事柄などありませんから』


 そう、マスターが逝かれた以上、私は焦りません。



 「感謝しよう…………ところで、お前は、デバイス達の記録を全て引き継いでいるのか?」


 『壊れた瞬間のことまでは分かりませんし、管理局の機密に関することもプロテクトがかけられていたため解読不能でした。しかし、それ以外の記録は“インテリジェントデバイスの人格の発展ため”という理由から保存され、時の庭園の中枢コンピューター、アスガルドが保持しています』

 そして、管制機である私はその記憶領域にアクセスできる。

 バルディッシュにはまだ、そこまでの権限はありません。


 「ならば、あいつらが命を懸けた道のりは、そこに記録されているのか」

 ゲイズ少将の声に熱が篭もり、その視線が一枚の古い写真立てに向けられる。そこには管理局の制服を着た青年たちが肩を組んで、輝くような笑顔で写っていた。おそらく中心にいるのがゲいズ少将で、その隣にいるのがベイオウルフの主である騎士、そしてその他の者たちはすでに世を去っている。

 私と対峙する時は冷静である事が多い彼ですが、人間の心を計算する機能があっても、やはり機械の私では計り知れない思いがそこにあるのでしょう。


 『はい、お望みでしたら、情報端末に読みだしてお渡しいたします。人間である貴方では直接的な解読は不可能ですが、機械の信号を人間が理解しやすい情報に変えることは、我々インテリジェントデバイスの最も得意とするところですから』


 「…………これはあくまで、俺の個人的な事柄に過ぎんぞ」


 『ブリュンヒルトを借り受ける際、貴方は私に“貸し一つ”であるとおっしゃいました。それの返済と思っていただければ幸いです。あの決定は貴方個人の意思によるものですから、その返済もまた貴方個人に対してのものこそが相応しいと考えます』


 「ふっ、相変わらずの機械だな、お前は」


 『ええ、私は変わりません。………この先、いつまでも』



 そう、私を変えうる存在はもう世界のどこにもいない。


 今の私は、ゼンマイが巻かれた機械仕掛け、ゼンマイが止まるまでは、動き続けましょう。


 たとえ、ゼンマイを巻ける存在がいなくとも。


 機械は、止まるまで動き続ける。



 私は機能を続けます




[25732] 閑話その6 嘱託魔導師
Name: イル=ド=ガリア◆ec80f898 ID:97ddd526
Date: 2011/02/13 22:10
閑話その6   嘱託魔導師





新歴65年 7月4日 次元空間 時空管理局本局 テスタロッサ家割り当て区画


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 時空管理局本局。

 時空管理局の本部であると同時に、1つの街を内に持つ巨大な艦でもある次元世界最大と称される巨大建造物。

 ただ、その形状は少々どころではなくおかしなものであり、六方向へ伸びた突起が中央部から突き出るという、実用性はあるかもしれないが、その建築過程に計画性というものは微塵も感じられない。

 その理由は、時空管理局の歴史そのものにある。

 旧暦の末期、次元世界は二つの大国がその大部分を“支配”しており、片方は共和制とは名ばかりで経済的な力を持つ者達が社会の大部分を掌握しており、片方は進むべき道を見失った挙句、血統崇拝に走り、皇帝と聖職者が支配階級として君臨するという歪んだ国家を築き上げた。


 金と権力こそが全てであり、それ以外のものは価値なしとされる“自由と平等の国”。


 神とその代弁者達こそが全てであり、それに属さぬ者は価値なしとされる“神の光に包まれし国”。


 そのような国家がほぼ同等の国力を持ったまま共存できるはずもなく、当然の帰結として、次元世界は血と狂気と混乱に包まれ、歴史に言う大戦争時代の幕開けとなる。

 使用された質量兵器と魔導兵器は数え切れぬ程の命を奪い、勝者はなく、残されたものは分断され疲弊した世界と、各地に散らばる次元世界の破壊を可能とするロストロギアや、それに類する超兵器群。

 その混乱の時代を潜り抜け、かろうじて残されていた次元航行管制用ステーションを再利用する形で、この本局は作られた。その当時にはまだ突起はなく球状で、スペース的には現在の6分の1以下である。

 次元世界の復興が進むと共に、本局の役割は増大していき、運用する艦艇の数も増加する。しかし、新たなステーションを作り上げるだけの資金はなく、そもそも“ゼロから次元空間の大規模施設を作り上げるだけの技術”が破壊されていたため、これまでの建物を増築することで対処していくことを余儀なくされた。

 そうして、新歴が30年を超える頃には時空管理局本局は現在とほぼ近しい形となる。

 内部のシステムこそ整っているが、全体的に見れば増改築を繰り返しただけに利便性の高い施設とは言えない。大規模な予算を組んで抜本的なリフォームを行うか、いっそ新しい本局を作ってどうかという意見も当然存在する。



 「だが、これこそ、歴史が示す教訓である。本局の歪んだ形状こそが、“この施設くらいしか残らず、それを増改築することしか出来ないまでに、次元世界が破壊された証”として、我々は本局を使い続ける。他ならぬ我々自身に対する戒めとして、か」


 「最高評議会の人達が、時空管理局設立時に残した言葉だね」


 「名言だとは僕も思う、だが、現実に利用する立場としては、もう少し何とかならないものか、とも思うな」


 「うーん、機能性はまあそれほど悪くないんだけど、居住性は見事なまでに犠牲にされてるもんね、この形」

 本局の形状について会話しているのはクロノ・ハラオウンとエイミィ・リミエッタのアースラNo2とNo3のお馴染みのコンビ。そして二人がいる場所は、最近越してきたテスタロッサ家の居住スペースの前。

 どこぞのデバイスが裏で手を回し、ハラオウン家が使用している居住スペースの斜向かいをゲットし、現在改装を行っている。

 本局には数多くの局員が働いているため、当然の如く居住スペースが存在しており、簡単に言えば公務員のための寮が大量にある。ただ、自宅をクラナガンなどに持っている者でも部屋を確保することが許されており、そういった点が地上部隊の者達からは本局が優遇されていると言われる要因であった。

 とはいえ、全ての本局の局員が全員自宅通勤となったのでは、仕事がはかどらないどころか停滞してしまうのも厳然たる事実である。事務職の者ならば特に問題ないが、緊急出動が日常茶飯事の武装隊員は完全オフの時以外はどうしても本局内に留まらねばならない。

 本局の仕事もなかなか休みがとれないことが当たり前であるとされ、そういった理由から自宅を持たず、本局の部屋にずっと住んでいる者達は数多い。(特に独身)

 仕事人間のハラオウンファミリーも、その例外ではない。11年前にクライド・ハラオウンが殉職するまではクラナガン近郊に住んでいたが、クロノ・ハラオウンが5歳になる頃にはギル・グレアム提督や、その使い魔であるリーゼロッテ、リーゼアリアの両名による訓練が始まったこともあり、本局に生活拠点を移した。

 そして現在、斜向かいに引っ越してくるフェイトとアルフのために、あるデバイスが手配した業者によって改装が行われているのだが―――

 「部屋の形状が三角形というのは、正直どうかと思うんだ」


 「しかも、平面的じゃなくて、立体的にも、三角形というより、三角錐に近いかな?」

 本局の独特な形状は、こういう部分に害が出てくる。

 まともな部屋ならば他にも空いているのだが、ハラオウン家の近所に限定するとこの部屋くらいしか空いていなかったのである。


 「だけどさあ、そんなに長い間住むわけじゃないし、いいんじゃない。大体はクロノ君達の部屋や、もしくは資料ルームとかで過ごすことになるだろうし」


 「まあ、そうなんだが」

 フェイトとアルフがハラオウン家に住むこと自体には特に問題はないのだが、ただ、こちらも二人用のスペースであるため、フェイトとアルフが眠るだけのスペースは確保できても、個室などのプライベート空間が確保できない。

 よって、テスタロッサ家のスペースは、ハラオウン家の離れのフェイトとアルフの部屋、という表現が妥当であった。


 「でも、そうだねえ、クロノ君がフェイトちゃんと一緒のベッドで寝て、あーんなことや、こーんなことを実地を踏まえて教えてあげるなら、わざわざ部屋を借りる必要もないかもね」


 「医務官を呼べ」


 「ちょっと! 人を負傷者扱いしないでよっ!」


 「負傷者じゃない、精神疾患だ」


 「よけいひどいわっ!」

 とまあ、いつも通りの二人のやり取りをしているところへ。


 「あ、クロノ、エイミィ」


 「相変わらず賑やかだねぇあんた達」

 件の少女と、その使い魔が現れる。


 「フェイト、着いたか。それに、アルフも」


 「あれ、人騒がせなもう一人は?」

 それが誰を指すかは、あえて語るまでもなく三人とも理解していた。


 「時の庭園にいるよ、今はオーバーホール中だって」


 「ま、何だかんだでアイツも働きづめだったからね、たまには休むのもいいんじゃないかい」

 アルフの言葉に、クロノは眉を寄せて考え込む。


 「そうか。しかし、彼が休んでいるところ、というのも想像しにくいな」


 「うむむむむ、うん、私も無理だね、トールがじっとしてるところすら思いつかないなあ」


 「あははは、でも、おかげで寂しくはないよ」


 「それだけが取り柄だからねえ、この前“アレ”を解き放った時にはぶっ壊してやろうかと思ったけど」


 「“アレ”か」


 「サーチャーだとは分かっていても、絶対見たくない例の“アレ”ね」

 時の庭園に続き、ハラオウン家で炸裂した期待のルーキー、“スカラベ”。

 第97管理外世界のエジプトの伝承などにある虫だが、気色悪さではなかなかのレベルを誇る。


 「…………コーヒーのビンを開けたら、中にアレが詰まってたんだ………」


 そして、その被害を最も受けたのは無論フェイトである。

 逆に言えば、フェイトがいない場所における彼は、人間味というものが著しく失われるため、そのようなことは狂ってもしないだろう。


 「ごめん、あまり気にするな、としか言えない」


 「ううん、ありがとう、クロノ」


 「うーん、あれで経済界では有数の実力者なんだから、人は見かけによらないねえ」


 「アレを見た目で判断するのは良くないよ、一見人畜無害そうに見えて、腹の中では黒いことばっかり考えてるから。たまには、違うことも考えればいいんだけど」



 『………』


 そして、閃光の戦斧は、4人の会話を黙して聞き続ける。

 彼は、いや、彼だけは理解していた。トールというデバイスは、今現在も本当の意味で休んでいないということを。

 確かに、ハードウェア的には休んでいるだろう。トールというデバイスの本体は、現在起動しておらず、オーバーホール中なのだから。

 しかし、ソフトウェアはそうではない。管制機である彼は、自身のリソースを別の筺体に移植し、演算をそちら側で進め、その結果だけを後に本体へ書きこむということを得意とする。

 アルゴリズムさえ組んでおけば、後は自分自身のハードウェアでなくとも、演算を続けることは出来る。それが、デバイスというものである。



 【本当に、貴方は休まれないのですね、トール】

 そう尋ねた時の彼の先発機の答えは

 【私はマイスターによって完全休眠せずとも稼動できるように設計していただいたのです。ならばその機能を活かさぬ理由はありません】

 であった。じつに彼らしい、バルディッシュは感じていた。

 バルディッシュは彼と電脳を共有しているが故に理解できる、彼は未だ稼働中であると。

 その本体は確かに休んでおり、溜まった負荷はその多くが解消されるだろう。

 だが、彼は休まず、その機能を続けている。これからは今までのような無茶はしないと言っていたが、それでも稼動しているのだ。

 残された命題に、ただ従って。










新歴65年 8月6日 次元空間 時空管理局本局 法務部オフィス



 「蛇の道は蛇、餅は餅屋、ということで、やって来ました法務部オフィス!」


 「トール、わざわざそんなおっきな声で言わなくても分かるから」


 「あたしらにまで恥かかせる気かい」

 本日、ここにやってきたのは、フェイトに“嘱託魔導師とはなんぞや”ということを説明してもらうためである。

 当然、俺は知っているし、クロノも知っているが、嘱託魔導師という制度はかなり複雑、というわけでもないが、そもそもどんなものなのかを説明するのが面倒なものであり、ここばかりは経験者に語ってもらうのが一番なのだ。

 フェイトは現在、嘱託魔導師となることを目指している。現在進行中の“ミード”や“生命の魔道書”を医療技術として確立するための法的手続きそのものには嘱託資格はそれほど影響しないが、そのための資料作成や、情報収集のためにはあった方が何かと都合がいい。

 ジュエルシードを求めてあちこちを巡っていた頃はあくまで民間人だったので公共の施設しか使えなかったが、嘱託資格があれば管理局が管轄している施設もそれなりに使えるようになるし、行動の自由度も大きくなる。

 そして何よりも、第97管理外世界に行くのが簡単になるということだ。現在フェイトは本局在住の民間人だからしっかりと手続きをしなければ管理外世界には渡れない。

 しかし、嘱託資格があれば、その辺りの手続きをかなり解消することが出来る。現状では夏休みなどのまとまった休みの時期にしか向こうに行けない感じだが、嘱託資格があれば週末にでも第97管理外世界まで出かけられるようになる。

 ちなみに、本局には200万人近い民間人が居住していたりする。本局勤めの局員の家族だったり、寮の食事を作る業者さんだったり、局員達に娯楽を提供するための店もあれば、服飾の店もある。ただ、風俗店やそれに類する店だけはないが。


 「ここにいる爺さんはその道の専門家であると同時に、経験者だ。アポは結構前から取ってあるし、何気にプレシアの葬儀に来てくれてたりもしたんだぞ」


 「え、そうなの?」


 「おうよ、プレシアとはほとんど面識はなかったが、俺のマイスターであり、プレシアの母、シルビア・テスタロッサとは結構親しい友人だった人でな」


 「何であんたがそれを知ってんだい?」


 「おおアルフ、忘れてしまうとは情け無い。俺が原初のインテリジェントデバイス、“ユミル”の記録を引き継いでいるということを」


 「やたらとむかつくね、その言い方。でもまあ、理解はしたけど」


 「とにかく、行くぞ。アポ取ったとはいっても、向こうの休暇中にお邪魔します、ってだけの話だから」


 「休暇中なのに、オフィスにいるの?」


 「そういうワーカーホリックの爺さまなんだよ。少なくとも、過労死の崖と隣り合わせで突っ走ってきたような、スーパーとんでも爺さんだから、きちんと敬意を払うように。ま、そろそろ過労死じゃなくて老衰で死んでもいい頃だが」


 「いや、アンタそれ敬ってないじゃん」


 「とにかく、年配の方なんだね」


 「ああ、俺よりもな、それでは、御対面といきましょう」

 そして俺は扉を開き、爺さんが待つデスクに呼びかける。

 俺自身がここに来たのは、もう43年ほど前になるか。当時7歳だったプレシアはきっと覚えてなかっただろう。


 「おーい、爺さん、生きてっかい?」


 「あいにくと、まだ生きておるよ。ふむ、そちらがおぬしの言っておった子か」


 「は、始めまして、フェイト・テスタロッサです」


 「アルフ、この子の使い魔さ」


 「丁寧な紹介、ありがとう。儂はレオーネ・フィルスという。見ての通り、定年をとうに過ぎ取る老いぼれじゃよ」


 「地上部隊の人間からは、老害とも言われるな」


 「トール! 失礼だよ!」


 「はっはっはっ、事実は事実じゃよ。儂らなど出張らないに越したことはないのじゃから」


 法務顧問相談役 レオーネ・フィルス

 武装隊栄誉元帥 ラルゴ・キール

 本局統幕議長 ミゼット・クローベル


 俗に言う、『伝説の三提督』がであり、65年前の時空管理局の創成期に若手筆頭だったのだから、今ではもう80近くか、超えているという計算になる。

 一応、年齢を記したデータはあるが、時空管理局黎明期の頃の人物データに信頼性はそれほどない。変えようと思えばいくらでも変えられたからだ。

 時空管理局でも屈指の有名人である御三方だが、9歳のフェイトがその名を覚えていることはないだろう。本局の管理局員ならば大抵知っているが、地上部隊ならば陸士学校で習ってそのまま忘れたというケースも多い。流石にクロノやエイミィならば知らないはずもないが。


 「自己紹介はこんなもんでいいだろ、茶でも飲みながら雑談と行こうぜ」


 「ほう、おぬしは茶を飲めるのか」


 「実際は格納するだけだが、飲めるぜ。ついでに、リバースすることも出来る」


 「絶対やるんじゃないよ」


 「恥ずかし過ぎるから、やめてね」

 さてさて、それでは、雑談と参りましょう。














 んで、幾つか雑談を交えた後、本題に入る。


 「とまあ、こっちの事情はそんな感じだ。そこで、爺さんには嘱託魔導師についてこいつに教えてやって欲しいんだ」


 「構わんよ、老人の知恵袋、とは言うが、儂らの役目はそういうものじゃからな」


 「すいません、よろしくお願いします」

 と、フェイト。


 「お願いします」

 と、アルフ。こういう時にはしっかりと礼儀を守るのがアルフの特徴だ。

 ざっくりとした性格に見えて、案外細かい配慮も忘れない。うっかり属性を持つフェイトには実に良い使い魔である。


 「さて、まずは基本的な部分から入るが、嘱託魔導師とは簡単に言えば民間人でありながら管理局員としての権限をある程度委譲された魔導師を指す言葉じゃ。無論、魔導師でなくとも同じように働く者はいるが、圧倒的に数は少ない。その理由が分かるかね?」


 「えっと………現在の管理世界では戦力として数えられるのは魔導師で、その数が不足しているから、ですか?」


 「正解じゃ、時空管理局は万年人手不足とは言われるものの、新歴40年にもなれば、非魔導師の通信士やデバイスマイスターなどが不足することはなくなってきた。転職に有利なことや、収入が安定していること、さらに、資格などを無料で取れること、などが大きかったと言える」

 流石に、黎明期から見守り続けてきた爺さんの言葉は重みがあるな。

 時空管理局とは社会を回す歯車であり、それ自体に良いも悪いもない。腐った社会ならば腐った機構になり、社会がまだ新しく若い風に溢れているなら、悪い部分を直しながら前に向かって進む機構になる。ただそれだけの話だ。


 「しかし、問題は戦力としての魔導師、つまりは武装局員じゃな。特に新歴の45年頃までは殉職率が高く、管理局武装隊は“魔導師の墓場”などと呼ばれておったくらいであった」


 「魔導師の………墓場」


 「魔導師が必要とされておったのは、何も管理局ばかりではない。君の母親、プレシア・テスタロッサがSSランクに相当する魔力を持ちで大企業の研究主任であったように、民間においても高ランク魔導師は喉から手が出るほど欲しい人材であった。つまりは、社会そのものが魔導師に負担をかける構造であったということ」


 「でも、質量兵器を廃止するためには、仕方のないことだったんですよね」


 「一応、そういうことにはなっておるが、それを免罪符には出来ん、してはいかん。確かに我々は質量兵器が戦争に使われることがないように廃止し、それに代わる技術として魔導技術を社会へ取り入れた。しかし、その歪みは必ずどこかに出てしまう、それが、魔導師達への負担となったのだよ」

 プレシア・テスタロッサは、高ランク魔導師であるが故に、社会を回すのに必要な歯車とされた。

 彼女に限らず、あの当時は魔力の大小に関わらず、魔導師の資質を持つ時点で人生の大半が決められていたようなものだった。

 逆に言えば、管理局に入ることは自分の意思で道を定める数少ない手段であった。管理局でしばらく勤労すれば、次の職場を自身の意思で定めることが出来る。


 「そうなれば当然、魔導師をめぐって管理局と民間企業は鍔迫り合いを繰り広げることとなるが、これは良いことではない。本人の意思がどうであれ、魔導師を確保できなかった方には不満が残り、軋轢が生じる。そしてやがては、組織という歯車が個人を轢き潰すことになってしまう。そして、そういう例は多くあったのじゃ」

 法務において最上位にいたレオーネ・フィルスは、その方面の問題に最も精通している。

 他ならぬ彼が、ラルゴ・キール、ミゼット・クローベルらと語り合い、嘱託魔導師という制度を作り上げたのだから。


 「そこで、採用されたのが嘱託魔導師という制度じゃ。あくまで所属そのものは民間としたまま、管理局員の特に武装局員や捜査官が持つ権限の一部を委譲する。これにより、管理局の歯車の一部となるのではなく、管理局の“依頼”を引き受ける魔導師が誕生した」


 「ということは、嘱託魔導師は管理局員ではないんですね」


 「雇用社員や派遣社員ともまた違うな。それらは派遣されている間は命令に従う義務が生じるが、嘱託魔導師はそうではない。それ故に定まった給料が支払われることはないが、それ故に自由でもある」

 大きな力を持つゆえに、組織というものの歯車になることを拒む人間は多い。

 自信の力を深く知るからこそ、自分の意志とは無関係の部分で、力を使わされることを彼らは恐れる。正直、フェイトやなのはが精神的に未熟なまま管理局の正局員となれば、そうなる可能性は低くはない。

 そうした者達が、あくまで“自身の意思”によって魔導師としての力を人々のために使えるよう、嘱託魔導師というものは作られた。有事の際には、彼らも人々を守る力となれるように。

 だからこそ、現在のフェイトやなのはがなるにはうってつけなのだ。まだ社会の歯車に混ざるには幼く、そのまま局員となっては車輪に轢き潰されてしまう可能性が高いために。


 「一番多いのは、消防やレスキュー関係の者達じゃな。ミッドチルダは永世中立世界であるため管理局が行政をも兼ねるのでイメージは湧きにくいかもしれんが、通常の管理世界ではそうではない」


 「えっと、それぞれの国家が軍隊や警察を持っていて、彼らも質量兵器は持ってないんですよね。そして、特に魔法犯罪とかに対処する部署が、時空管理局の地上部隊を兼ねているって」


 「君は賢い子じゃな。そう、次元世界を中立な立場で回り、魔法を抑止力として行使するのは時空管理局本局の次元航行部隊に限られる。それぞれの国家の軍隊や治安維持組織は、あくまで自身の国家と国民の安全を第一とするからの。同じ管理局とは言っても、各次元世界の国家ごとに根を張る地上部隊と、中立の立場で次元の海を往く本局は同一とは言えぬ」

 それが陸と海の対立の根本的な部分だが、それはまあ、今回は別件だな。


 「そして、各国の行政組織である消防や警察、もしくは民間の警備員などにも魔導師はおり、災害や犯罪が発生した場合は対処に動くが、相手が魔導師であれば即座に動くのは容易ではない。それに、魔法の使用に関する問題もある」


 「犯罪者は、気にせず魔法を使えて、殺傷設定を使うことすらあるのに、それを抑える人達は、市街地の危険とか、そういうものを考えないといけないから、簡単に魔法が使えないんですね」


 「その通りじゃ、そういう時に、嘱託資格というものは役に立つ。無条件でというわけにはいかぬが、自動車の免許のようなものでな、いざとなれば自動車の運転は免許を持たぬ者にも出来るが、免許を持っていれば後でそのことを咎められることもない。自分の魔導師としての力が本当の意味で必要となった時に使えるように、それを使うことが罪とならないように、嘱託資格はある」


 「でも、それだと管理局の戦力増強としては、あまり期待できないんじゃないですか?」

 ふむ、まだまだ幼いな、フェイト。

 それは、本質を見失っている意見に他ならない。


 「それは確かにその通りじゃな、しかしフェイト君、そも、なぜ管理局は戦力を必要とするのかな?」


 「え? それは、犯罪を抑止したり、犯人を逮捕するためですよね」


 「そうじゃ、ならばもし、魔導師としての力を用いて犯罪を成すものがいなくなり、世界が平和になったならば、武装隊とはそれほど必要になるかね?」


 「いらなくなる、と思います」


 「要は、そういうことじゃよ。嘱託魔導師達が民間の立場からも睨みを利かせることで犯罪の発生件数そのものを減らすことが出来たならば、武装局員を確保する必要はなくなるのじゃ。管理局の目的はあくまで次元世界に生きる人々の生活を守ること、武装隊を充実させるのはそのための手段に過ぎん。武力を用いぬ手段で目的が達成されるのならば、それに越したことはない」


 「あ――――」

 理想は、管理局が魔法の力で次元世界の平和を守る世界ではない。そもそも、武装隊などなくとも平和を守れる世界だろう。

 嘱託魔導師とは、管理局の戦力を補充するためのシステムではなく、管理局が大きな戦力を持たずとも、民間と有機的に繋がり、協力し合うことで、武力を直接的に用いずに平和を保つことを目的として作られた。


 それを勘違いしている連中が、巷には溢れているのも残念な話だ。

 管理局が裏技を使って強引に戦力を集めているのだ、だとか、挙句の果てにはリンカーコアを持つ子供集団誘拐するとかを情報空間において阿呆が集まってふざけ半分で囁いていたりする。現場で命張ってる局員に謝れ。

 組織である以上は必ず悪い部分が出る、問題は自浄作用が働いているかどうかだ。そして、時空管理局のそれは、現在の次元世界の様子を見ればわかるだろう。戦乱も、特定の世界の目だった独占も今の所は存在していない。

 盲目の人間が象の各部位を触るだけでは象の全体像を捕らえられないように、管理局ほどの巨大な組織ならば、管理局員であっても全体を把握している者はそういない。それなのに一部の悪い部分を見ただけで、組織全てが悪だと決め付けるのはあまりに短絡的では無いだろうか。

 まあそれはともかく、この制度の特徴点は、嘱託魔導師には人を裁く権限も、逮捕する権限もないということだろう。あくまで管理局員に協力するか、現行犯を取り押さえるくらいしか彼らには許されていない。それでも、彼らの存在には大きな意味がある。

 仮にクラナガンでテロを起こすつもりの魔導師がいたとする。管理局だけが相手ならば、最寄りの陸士部隊の詰め所や、地上本部だけを警戒していればそれでいい。

 しかし仮に、嘱託魔導師となったフェイトがその場にいたならば、テロを起こした瞬間に近くを歩いていた9歳の少女がAAAランクの魔導師としてそいつの前に立ちふさがり、さらに嘱託魔導師は管理局との専用の連絡回線すら有しているため、首都航空隊の魔導師なども即座にやってくる。

 嘱託魔導師とは言わば、現行犯逮捕のみを許された私服警官のようなもの。最大のメリットは、制服を着ている管理局員と異なり、一体誰が嘱託魔導師であるのか分からないということだ。むしろ賞金稼ぎのイメージか?

 犯罪やテロを行う側にとって、これほど嫌なものはない。

 武装局員、特にエース級魔導師は滅多に休暇をとれず、遠出することも稀なので、“たまたま休暇中だった武装局員とはち合わせる”ことはほとんどない。しかし、“Aランク以上の嘱託魔導師”という存在は案外多いのだ。少なくとも、クラナガンを数百メートルも歩いていれば、一人くらいはすれ違うだろう。

 無論、Aランク以上とは言っても、戦闘に特化している保証はなく、研究職の人間かもしれないし、デバイスを持ち歩いていないかもしれない。しかし、念話は遠くまで迅速に届き、なおかつ、管理局に連絡するための回線を持っている。

 ほとんど民間協力者に近い立ち位置だが、彼らは存在するだけで大きな意義がある。犯罪者を逮捕するためではなく、犯罪を抑止するという面において、嘱託魔導師は非常に有用である。


 「そして、嘱託魔導師にも主に2種類ある。一つは、民間協力者に極めて近く、願書を出し、認定試験を受ければ取れるもの。試験そのものもそれほど難しいものではなく、これが大半であり、在野の多くの魔導師がこの資格を持っておる。運転免許ならぬ、魔導師免許みたいな感覚でもあるな」

 なのはの国、日本の感覚で言うなら、道端で人を刺したりすれば、周りの運転免許を持つドライバーが一斉に轢き殺そうと狙ってくるようなものかね。

 “クラナガンで犯罪を行うならば、道端を往く嘱託魔導師に攻撃されることを覚悟せよ”、なんて標語も今ではある。


 「もう一つは?」


 「認定試験を受けることは変わらぬが、こちらは実際に次元航行艦に乗り込んで武装局員どころか、エース級魔導師としての働きもする場合じゃ。当然、認定試験も厳しいものであり、筆記試験、儀式魔法実践4種、戦闘試験など多岐にわたる。その代り、次元を超えて動く際に手続きを短縮できるなど、多くの利権もある。広義な意味での”嘱託魔導師”はこっちになるかの」


 「じゃあ、私が目指すのは、きっとそちらです」

 前者は、ジュエルシード実験におけるなのはの立ち位置に近い。ジュエルシードがばら撒かれているという有事が終われば、一般人に戻るだけ。爺さんが言ったように在野の魔導師の多くがこの資格を持っている。

 後者は、有事でなくとも次元間移動などの際に大きな恩恵がある。その分、なるのは難しく、実力も必要とされ、これになるのは大抵AAランク以上の魔導師、そうでなければ割に合わないというのが最大の理由だ。


 「まあ、そんなところかの、どちらの場合においても、嘱託魔導師とは己の意思で魔導師としての力を人々のために使うためにある。管理局員も同じではあるが、こちらは能動的であり、嘱託魔導師は受動的といえる」

 犯罪者がいるならば、隠れようとも探し出してしょっぴくのが管理局員。つまり、平和を脅かす者を自分から狩りに行くのが捜査官や武装局員の役目だ。

 犯罪者が出ないように目を光らせ、もし犯罪が行われば、その瞬間にのみ管理局に連なる魔導師として立ちふさがるのが嘱託魔導師。こちらは、自分から動くことはない。

 やはり、最大の違いは人を裁く権限だろう。嘱託魔導師は人間が作り上げた法律というシステムの守り手ではなく、人々を直接的にのみ守るだけの存在だ。

 だが、人間社会を維持するならば、法の守り手は必須。だからこそ、管理局員は必要なのだ。法と政府が無くなった国と言うのは荒廃する一方になるのだから。


 「本当に、ありがとうございました。とても参考になりました」

 ちなみに、アルフは終始無言、こういう時にはしゃべらんからな、こいつは。


 「法律関係で困ったことがあればいつでも来るといい、いつでも相談には乗ろう。なにしろ、相談役なのでな」


 「あ、フェイト、アルフ、お前らは先に帰っててくれ、俺はちょっと別件で爺さんと話がある」


 「そうかい、行こう、フェイト」


 「お邪魔しました」




 そして、二人の姿が扉の向こうに消える。















 「彼女が、あの小さなプレシアの娘か」


 『はい、アリシアがまっとうに育っていたならば、フェイトがアリシアの娘でも、おそらく違和感はないでしょう』

 フェイトが去ったため、汎用人格言語機能をOFFに。


 「ふむ、それが、おぬしの本来の在り方か」


 『お久しぶりです、レオーネ・フィルス法務顧問相談役。プレシア・テスタロッサがインテリジェントデバイス、トールです』


 「かれこれ40年ぶりくらいになるかの。そうか、シルビアにくっついていた女の子が、娘を残して儂らよりも早く逝ったか、あの小さなプレシアが……」


 『良き人生であったと、笑って逝かれました』

 シルビア・テスタロッサ、クアッド・メルセデス、レオーネ・フィルス、ラルゴ・キール、ミゼット・クローベル。

 後に、3人の偉大な魔導師と、2人の偉大なデバイスマイスターとなる5人の若者。

 彼らが希望に燃え、夢を語り合っていた光景を、“ユミル”というデバイスは確かに記録しており、私へと引き継がれている。

 魔導師とデバイスが共に歩む現在の管理局を作り上げた、その黎明期の方達。それ故、この5人の名前は執務官試験にすら登場するのですから。

 そして、その意思はレジアス・ゲイズ少将やリンディ・ハラオウン艦長、ギル・グレアム提督らの“生き残りし者”の世代へと受け継がれている。

 ならば、それを引き継ぐのは、クロノ・ハラオウン執務官や、高町なのは、フェイトらの世代となるでしょう。


 「なんとも、真っ直ぐな目をした少女であった」


 『フェイト達の世代が平和に暮らせるのも、貴方達の世代の苦労があってこそですよ』


 「そうあって欲しいものだ。我等が命を賭したのは、彼女にように未来を生きる子供達が、明るく笑える世界を夢見たからこそ」


 『まだ、完全に達成されているとは残念ながら言えません。ですが、彼女らの子供が成長する頃には、きっと』


 「ああ、心の底から願う」


 そして、しばしの沈黙が訪れる。




 「それで、用件とは何かな?」


 『はい、人造魔導師や戦闘機人、そういった者らの法的な定義についてです』


 「それはまた、難しいことだ」


 『ですが、いつまでも目を背けたままではいられません。見なかったことにして蓋をするのではなく、認めた上でどう守るかを考えることが、時空管理局の理念ですから』


 「働く子供達のように、かね」


 『はい、私は英断であると考えております。“子供を働かせることは法的に認められていない”と偽善を振りかざし、現実に働いている、働かざるを得ない子供達を見捨てるのではなく、それを認めた上で、その権利を保護するための法律を築き上げた』


 「理想は、そのような法律を作るまでも無い世の中なのじゃがな、70年かけてもなかなか上手くいかん」

 
 『ですが、それに向かって努力を続けることと諦めることではまるで違います。機械で言えば0と1の違いで、その違いは決定的なのですから』

 
 「そうじゃな、諦めればそこでお終いじゃ」


 第97管理外世界でも、子供も労働力とせねば家族が生活できないという農村部の現実を無視し、都市部の恵まれた人々の“良心的判断”によって子供を働くことを禁じる国家は多くある。

 その結果、“働いている子供はいない”ことになる以上、子供を守る法律は作られない。存在しない者を守ることなど誰にも出来ない以上、それは当然の帰結。しかし、働かねば生きていけない以上、彼らは働く、法の保護を受けられないままに。そして周囲の大人は”暗黙の了承”で子供の労働を黙認する。

 人造魔導師や戦闘機人においても同じことがいえます。“違法研究であるため、そんなものは存在しない”と言い張ったところで、現実に作られた者達には何の役にも立ちはしない。

 それよりも、現実を見据えたうえで、ならばどうすればよいかという議論を管理局は行うべきでしょう。

 無論、フェイト・テスタロッサの人生のために。


 『ならば、現在は存在しないものとされているそれらについても、そろそろ法を整備すべきであると考えます。プロジェクトFATEの遺産は、おそらく広まっていくでしょうから』

 広まるものを潰すよりも、広まったところで問題ない社会システム、法律を作り上げた方が効率は良い。

 人造魔導師や戦闘機人を、普通の人間と同等の権利を持つ存在と認め、その人権を保護するための法律を作ってしまえばよい。

 それが出来れば、兵器としてそれらを運用しようとすることは、“人間を兵器とする”ことと同義になり、論議するまでもなく違法であることは疑いなくなる。

 時間はかかるでしょうが、このことは絶対に必要なのです。


 「ふむ、詳しく聞かせてくれるかね」


 『はい、それでは、フェイト出生についてご説明します』



 マスター、私はフェイトが幸せな人生を歩めるよう、稼動し続けます。

 出生を理由に差別されることがないように。

 彼女が普通の人間であると、親しい人々が、ではなく、社会そのものが認めるように。

 人造魔導師も、戦闘機人も、皆が平等に生きることが可能な社会となるよう、歯車を回しましょう。




 貴方の娘の、幸せのために


 私は機能を続けます




あとがき
 Vividにおいて、ヴィヴィオ、コロナ、リオ、アインハルトといった少女達が平和に暮らしているのを見るたびに、黎明期の彼らの頑張りが報われているのだと実感します。特にアインハルトは中等科1年生ですが、クロノはその頃には執務官として前線で働いているわけですし、三提督達も似たようなものであると思います。
 なのはやフェイトは忙しいものの、育児のための時間を設けることが出来ています。プレシアさんの世代ではその時間がなく、スバルやギンガの母であるクイントさんの世代でも、まだそこまでは至っておらず、なのは達の世代でようやく、前線で働く高ランク魔導師も子供のための時間を取れるようになったのかと思います。
 Vividのような平和な時代が訪れる日のために、トールの演算は続きます。彼の演算が終わるその時まで、気合いを入れて突き進む所存であります。
 

 Vividは平和でほのぼのとしていて、本当にいいですよね。        ………forceはまあ、色々と




[25732] 序章 前編 それは、小さな願い
Name: イル=ド=ガリア◆ec80f898 ID:97ddd526
Date: 2011/02/16 12:31
序章  前編   それは、小さな願い




新歴65年 9月19日 第97管理外世界 日本 海鳴市 八神家 はやての部屋





 我は闇の書


 時を超えて世界をゆき、様々な主の手を渡る、旅する魔道書

 かつての姿、今はもはやなく

時の移ろうまま、終わること無き輪廻を繰り返す

 だが、しかし

 此度の明けは、これまでとは少々異なるようである

 これまで―――それは、いったいどれだけの時を指す言葉であったか、それすら最早定かではない

 長き時、我は闇の書を守護せし者らと共に旅を続けてきたが、その始まりは既に忘却の彼方

 闇の書そのものである我にすら、原初の姿も、託されし想いも知ること叶わず


 だが、それでも


 「ん………」

 此度の主は、我にとって――――


 「あー、おはよーさんやー」

 特別な、存在であることは疑いない




新歴65年 9月19日 第97管理外世界 日本 海鳴市 八神家 キッチン



 「♪~~~~」

 キッチンにて料理を行う主を、私は隣りで浮遊せしまま、観察を続ける

 この主の元で封を解かれてより早数か月

 驚くべきことに、我が頁は未だ1頁すら蒐集されていない

 これまでの主において誰一人、そのような者はいなかった…………

 いなかった?

 それはいなかったのではなく、蒐集を行わなかったがために、リンカーコアを■■■■■■


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 この主の元で封を解かれてより早数か月

 驚くべきことに、我が頁は未だ1頁すら蒐集されていない

 これまでの主において誰一人、そのような者はいなかったことから考えても、これは珍しいと称すべき事柄である


 「なんや、闇の書」

 我がもたらすとされる大いなる力を求めず


 「そんなとこで見とったら水がはねて汚れるでー」

 我と守護騎士の主たる責からも逃走しない

 これは我が永き生のうちにて、少なくとも我に『闇の書』の名が冠せられてからは初めてのことである


 「おはよう、はやてちゃん」

 ヴォルケンリッターが参謀、湖の騎士シャマル


 「おはようございます」

 ヴォルケンリッターが将、剣の騎士シグナム


 「シャマル、シグナム、おはよーさん♪」

 我は主へ挨拶をする機能をもたない

 それを成せる彼女らが、僅かながら羨ましくもある


 「…闇の書を連れて、お散歩ですか?」


 「そー見えるかー?」

 散歩…………傍目にはそう映るものなのであろうか


 「なんや今朝はついてきてまうんよ、どないしたんやろ」

 言葉と共に書をつつかれる主

 現身を得ない現在においては我に感覚と呼べるものは存在しないため、我がその感触を知ることはない

 ただ、もし主と触れ合える日が来たならば、そんな埒もない望みがかなったならば

 それは、何と夢のような光景――――


 「闇の書も、はやてちゃんのことが好きになったのかしら」


 「あはは…そーなんかー?」

 少なくとも、その輝くような笑顔を見たならば、主のことを嫌うことが出来る者など、皆無であると我は思考する


 「ともあれ、お料理の邪魔になってはいけません、私が預かりましょう」


 「汚れたらあかんしな、ええか? 闇の書」

 主の邪魔を成すことは我の本懐ではないため、将の言葉に従い、移動を開始


 「えーみたいやね」


 「はい」




 「たっだいま~っ!」


 「ただいま戻りました」


 ヴォルケンリッターが鉄鎚の騎士ヴィータと、盾の守護獣ザフィーラ。

 散歩に出ていた二人が戻り、守護騎士全員が揃う。

 我が一部にして、我と主の剣にして盾、守護騎士ヴォルケンリッター

 一騎当千の戦騎、烈火の将シグナムと紅の鉄騎ヴィータ

 それを後方より支えし、風の癒し手シャマルと不落の防壁ザフィーラ

 この四騎より構成される戦闘集団であり、中世ベルカの戦術を現在まで保持する継承者でもある


 「しかしどうした? お前も主はやてが心配か」

 主のことを気にかけしは、傍に侍る近衛騎士が役目の一つ


 「確かに主のお身体は不自由だが、年に似合わずしっかりした方だ」

 中でも将は、その筆頭


 「我等も随時お守りしている。心配はいらないぞ」

 その言葉に偽りがあるはずもなく、我はそれを肯定せしも、頁が埋まらぬこの状態では我が意思具現化の術はなく

 だが、どうやら騎士達はこの生活が気に入っているようである

 様々な主の元での様々な戦い

 命じられるまま我の完成のため頁を蒐集し

 戦う力を振るうのみの日々

 我もこの子らもそれをただ受け入れ

 永き時を過ごしてきたが

 この子らがこのような幸福な日々を受け入れ

 さらに喜んでいる様子であるという事実は

 我にとっては小さな驚きである


 「ほらヴィータ、ご飯つぶついとるで」


 「ん……ありがとはやて」

 主の器か、子供らしい素直な愛情故なのか

 いずれにせよ、騎士達はこの年若き主をいたく気に入っているようである

 この輝かしき日々があるのも、全ては主があればこそ

 将が述べし、“主は我々にとって光の天使である”という言葉に、我も賛同する。



 ≪主はやて≫


 ≪ん?≫


 ≪本当に良いのですか?≫

 守護騎士の顕現より二カ月、今より一月ほど前のことは、忘れ難きものである


 ≪何がや?≫


 ≪闇の書のことです。貴女の命あらば、我々はすぐにでもページを蒐集し、貴女は大いなる力を得ることが出来ます。……………この足も、治るはずですよ≫


 ≪あかんって、闇の書のページを集めるには、色んな人にご迷惑をおかけせなあかんのやろ≫

 その言葉は将にとっても驚きであったようだが、我にとっても同様


 ≪そんなんはあかん、自分の身勝手で、人様に迷惑をかけるのは良くない≫

 どれほど成熟せし魔道師であっても、古代ベルカの叡智をその身に宿す賢者であっても、その心を持つことは容易ではない。いや、力とは全く無関係のものであろう


 ≪わたしは、いまのままでも十分幸せや≫

 人の欲望、破壊衝動、心の闇、それこそが、我を“闇の書”と呼ばせし由縁

 だが、此度の主はその対極におられる。

 凪のように穏やかなその心は、戦いに疲れし騎士達の魂を、優しき温もりとともに、労わるように包み込む

 歴代の闇の書の主において、守護騎士を“家族”として扱ったのも、今の主のみ


 ≪父さん母さんは、もうお星さまやけど、遺産の管理とかは、おじさんがちゃんとしてくれてる≫


 ≪お父上のご友人、でしたか≫


 ≪うん、おかげで生活に困ることもないし…………それに何より、今は皆がおるからな≫

 主にとっては、家族との絆こそが、何よりの宝


 ≪はやてっ≫


 ≪ん? どないしたん、ヴィータ≫


 ≪冷蔵庫のアイス、食べていい?≫


 ≪お前、夕飯をあれだけ食べてまだ食うのか≫

 そのような他愛無い家族としてのやり取りこそが、宝石の輝きを持つ


 ≪うっせーな、育ち盛りなんだよ! はやての飯はギガうまだしな≫

 そう、ヴィータは育ち盛り

 なにせ、彼女が騎士となったのは、まだ………


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 守護騎士の年齢設定の中でも、彼女はとりわけ幼い

 その言葉は、完全な虚言というわけではないだろう


 ≪しゃーないなー、ちょっとだけやで≫


 ≪おうっ!≫


 ≪ふふっ≫

 嬉しそうに駆けてゆくヴィータを、主は微笑ましそうに見つめている



 ≪なあ、シグナム≫


 ≪はい≫


 ≪シグナムは皆のリーダーやから、約束してな≫


 ≪何をでしょう≫


 ≪現マスター八神はやては、闇の書にはなんも望みない。わたしがマスターでいる間は、闇の書の蒐集のことは忘れてて、皆のお仕事は、家で仲良く皆で暮らすこと、それだけや≫


 ≪………≫

 その望みは、我にとっては悲しむべきことであるのかもしれない


 ≪約束できる?≫

 だが


 ≪誓います。騎士の剣、我が魂、レヴァンティンに懸けて≫

 我もまた、将と同じ願いを持つ。

 故に――――



 「ほんなら、行ってきまーす」


 「図書館まで行ってくる!」


 「はい、お気を付けて、ヴィータ、主はやてのことを頼むぞ」


 「応よ、まっかせな」

 主とヴィータを見送る将とシャマル


 「闇の書はついていっちゃったの?」


 「ああ、主はやてがついてきて良いと許可された。勝手に浮いたり飛んだりしないのが条件だそうだ」

 例え近くにあらずとも、守護騎士は我の一部、その状態を我は知る


 「ね……闇の書の管制人格の起動って、蒐集が400ページを超えてからだっけ?」


 「それと、主の承認がいる。つまり、主はやてが我らが主である限り、私達や主はやてが管制人格と会うことはないだろうな」

 そのことに、我も異存なし


 「そうね、はやてちゃんは闇の書の蒐集も完成も望んでいないし」

 僅かな無念はあるが、主のことを思うならば、黙殺すべき事柄である


 「それが分かるから、あの子も寂しいのかしら?」


 「どうだろうな、ただ、主はやてには管制人格のことは伏せておかないとな、きっと気に病まれる」

 我と守護騎士は一心同体


 「うん、あの子もきっと分かってくれるし」

 例え、意思の具現の術はなくとも、守護騎士には我の意思は伝わっているようである


 だが――――



新歴65年 9月19日 第97管理外世界 日本 海鳴市



 「んん……今日もえー天気やなー」


 「だね」

 騎士達の願いも


 「はやて、日傘差そうか?」


 「あー、そやね、おーきになー」

 主の願いも


 「そやけどヴィータ、図書館は退屈とちゃうか?」


 「別にぃ」

 我の願いも


 「はやてがいなきゃ、家だってどこだって退屈だもん」


 「うーん、ほんならヴィータの楽しいこと何か探してあげななー」


 「いいよそんなの、あたしははやてがマスターでいてくれるだけで嬉しいんだから」


 「わたしも、ヴィータ達と一緒に暮らせるの嬉しいよ」

 叶うことは、ない


 「わたしの周りは危険もないからみんなが戦うこともないし、闇の書のページも集めんでええ、皆で仲良く暮らしていけたら、それが一番や」

 そんな、小さな願いさえも


 「せやからわたしがマスターでいる間は、騎士としてのみんなのお仕事はお休みや」


 「……闇の書のマスターは、これからもずっとはやてだよ」

 闇の書たる我は、叶える術を持たない


 「あたし達のマスターも、ずっとずっとはやてだよ」


 「んん、そーやったらええなー……………」











 我は闇の書

 かつての姿と名、今はもはや無く

 遠からず時は動きだしてしまう

 そうなった時、我が騎士達や我が主は――――


 我を呪うだろうか


 此度はいったいどのような形で我は目覚め、力を振るうのだろうか

 そして誰がどのようにして、我と主を破壊するのだろうか

 願わくばその時が

 たとえ僅かでも先に延びるよう祈るばかり


 我は闇の書


 破滅か再生かいずれにせよ

 我はただその時を待つばかりなり



 しかし――――




 八神はやて


 その名を、初めて聞く気がしないのは、なぜであろうか

 歴代の主の中に、似たような名前の持ち主がいたのか?

 いや、この世界は我が知るものではない

 遙かに永き旅において、この地は初めて流れつく場所であるはず

 なのに――――

 我は、その名に想いを馳せる


 八神はやて


 懐かしい、いや、違う…………待ち焦がれた?


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 ≪すま■い≫

 時に

 ≪君■託す≫

 湧き起こる

 ≪申し訳■い≫

 この

 ≪私■、■えても構わない≫

 記録は

 ≪どうか、■■らを………≫

 いったい


 ≪最■の■■の主≫

 誰のもの

 ≪八■………は■て≫


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 欠けた、記録の残滓が霞んでいく

 古き想いは、新しき幸せに覆われ、遙か忘却の彼方へと

 絆の物語は未だ開けず、闇の書の主と守護騎士、そして、管制人格はただ穏やかなる時を過ごす

 しかし、運命の輪は回り出し、徐々にピースは埋まっていく

 禁断の魔道書を巡る戦いの日々

 その序章へ向けて、時は確かに刻まれてゆく

 時計の針が回り始めたのは、果たして何時のことであったか

 それを知るのは、既に彼らのみであろう

 受け継がれし記録が古き機械仕掛けへと伝わる時、運命のピースは嵌り、大数式のパラメータが満ちる

 そこに描かれしは、解なき闇に覆われし絶望か

 はたまた―――――解き明かされた数式が紡ぎ出す、希望の光か





 さあ、時計の針を進めよう












あとがき
 今回はやや短めとなりました。シーンの大半はコミック版のA’S編のもので、まだ祝福の風という名を授かっていない闇の書の管制人格が主と騎士達を想う場面です。この話は原作の会話と本作品独自の過去編の要素を織り交ぜる形となっていますので、A’S編のかなり根幹に関わる伏線もあったりします。
そして、再構成のために原作を見直す、もしくはコミックを読むたびに、A’S編の完成度の高さを再認識する毎日です。(インターンシップの最中だと言うのに毎日書いているのもどうかと思うのですが)
 3月は研究発表やら、寮部屋の引っ越しやらで忙しくなり、あまり執筆の時間を取れそうもないため、2月中に出来る限り書きためておきたいと思っております。
 粗い部分が多い稚作ですが、愛着もあるので、可能な限り突っ走る所存であります。それではまた。


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