余録

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余録:前首相の「方便」

 「腐敗した社会には多くの法律がある」「愛国主義は無頼漢の最後の避難所だ」--これらは18世紀に史上初の英語辞典を独力で完成させた英国の文人サミュエル・ジョンソン博士の言葉である。彼は多くの警句を残したことで知られる▲伝記によれば、博士は敬神の念のあつい人だった。だが現実にはその信仰心は裏切られることが少なくなかった。ある時、信仰について知人にこうもらした。「君、地獄への道には善意が敷き詰められている」(ボズウェル著「ジョンソン博士の言葉」みすず書房)▲人生では善意が善をもたらすとは限らず、逆の場合が生じることも多い。まして利害や考えの異なる多数の人々の運命を左右する政治においてはなおさらである。だから政治では行動の意図より結果責任が重大といわれる▲だが友愛を掲げる前首相の鳩山由紀夫氏は自らの「善意」をつゆほども疑っていないようだ。でなければ米軍普天間飛行場の沖縄県外移設を断念した理由に米海兵隊の抑止力を挙げたのは「方便」だったなどという発言を、自らの責任を度外視してできるはずがない▲要は「県外移設」の約束も、それを覆した「抑止力」の必要の訴えも、その場の歓心をかうリップサービスだったらしい。ご本人は悪びれるどころか引退表明を撤回し、あろうことか「外交」に意欲を見せている。いやはや責任感なき「善意」の底知れぬ恐ろしさだ▲「方便」であしらわれた沖縄県民が怒り、日米の信頼関係がまたも損なわれる結果すら前首相は見通せなかったのか。いや、すべて計算ずくで菅政権の足を引っ張る「悪意」ゆえなら分からなくない。

毎日新聞 2011年2月16日 0時00分

 

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