ふだん何気なく目にしている映画字幕だが、完成版に至るまで、さまざまな人の手を経て作られている。本年度アカデミー賞の呼び声も高い映画「ソーシャル・ネットワーク」の日本語字幕版について、制作を担当したソニー・ピクチャーズエンタテインメントの小澤純子さん、字幕翻訳を担当した松浦美奈さんに制作過程を語っていただいた。
翻訳者も、制作スタッフの一員
5億人ともいわれる世界最大の会員数を誇るSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)、Facebook。ハーバード大学在学中、19歳でこのFacebookを創業し、億万長者となった実在の人物マーク・ザッカーバーグと、彼をめぐるさまざまな人間ドラマを描いたのが映画「ソーシャル・ネットワーク」だ。スピーディな展開とセリフの応酬で、息つく間もない2時間の作品。字幕の総数は2,163枚、通常作品の倍近くにもなり、およそ3〜4秒に1回、字幕が出る計算になる。翻訳を担当した松浦美奈さんにとっても、2時間でこれほどセリフの凝縮した作品と出会うのは、初めてに近い経験だったという。
「恋愛コメディなどもセリフ数は多くなりますが、セリフそのものは短く、内容もさほど難しくない。『ソーシャル…』では、ひとつひとつのセリフが長いうえに、次の展開にしっかり絡んでくる。こういう作品は、訳をひとつ失敗すると、後が続かなくなる怖さがありますね」
書き込みがされた『ソーシャル・ネットワーク』の字幕台本
日本語版制作に際し、通常、配給会社では、作品を日本でどう効果的に売り出すか、ターゲットの絞り込みから宣伝方法まで、詳細なプランを立てる。翻訳者の選定も重要なポイントだ。「本作品は、SNS を題材にはしているものの、見どころは何といってもマークをとりまく人間関係。字幕翻訳も、人間ドラマをしっかり描いていただける方ということで、松浦さんにぜひとお願いしました」と、制作担当の小澤純子さんは語る。また、作品には専門的なIT用語も頻出するため、それについては監修者を立て、用語や言い回しを重点的にチェックしてもらうことにした。
松浦さんのほうでも、配給会社との打ち合せを受け、翻訳作業に入る前に資料やサイトを当たって下調べをし、オリジナル版の予告編などにも目を通す。まず、作品の雰囲気をつかむことが大事なのだという。
「作品の売りがどこにあって、どういう路線で行きたいのか。それを理解したうえで翻訳に入ります。配給会社と訳者との間でブレがあると、作品のよさが生きてこないんですね」(松浦さん)
ご自身がもともと映画輸入会社の宣伝担当だったこともあり、「字幕翻訳者も制作スタッフの一員」という思いが強い。「『私の翻訳』という意識は全然ないですね。当たり前のことですけれど、まず作品ありき。現場の方と意見を出し合って、その結果、映画に合った字幕ができればいいと思っています」
作品のキモを捉えることが大事
本作を訳すうえで、松浦さんがいちばん苦労したのは、冒頭で主人公マークが次々と学内のサイトをハッキングし、あっという間に独自のサイトを立ち上げてしまうシーン。マークのキャラクターが鮮やかに描かれ、作品全体のグルーヴ感にもつながる大事な場面だ。専門的なIT 用語もかなり出てくる。「作品のメインターゲットは、若い人たち。ネットやコンピュータに詳しい人も多いでしょう。この場面を下手な訳にすると、『何これ!』と作品から離れられてしまう。シーンのかっこよさを、いかにきちんと訳せるか――。ここがキモだと思いましたね」
冒頭のこのシーンで、見る側はあっという間に映画に引き込まれる。「脚本がとにかく素晴らしい」と、松浦さん。
「翻訳者が介在する余地がないくらい。訳していても字幕のエッセンスだけが浮いてくるような感じです。これって何が言いたいの?と悩むこともない。実際、作品によっては、そういう悩みもあるんですよ(笑)」
脚本のよさはもちろんだが、通常の倍以上のセリフを目で追いながらも作品世界に集中できるのは、一字一句まで神経の行き届いた字幕のおかげだろう。字幕の出し方、字数などにも細かな計算がなされているようだ。
映画輸入会社の宣伝担当を経て字幕翻訳者に。『アメリカン・ギャングスター』『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』『スラムドッグ$ミリオネア』『イングロリアス・バスターズ』『第9地区』『ナイト・アンド・デイ』ほか、話題作を多数翻訳。英語・仏語作品に加え、『ボルベール<帰郷>』などスペイン映画の翻訳も手がける。2月5日から『ザ・タウン』も公開中。ソニー・ピクチャーズ配給作品ではほかに『マチェーテ』など。
株式会社ソニー・ピクチャーズエンタテインメント、映画プロダクション担当。字幕翻訳の松浦美奈さんとチームを組むのは、『オール・ザ・キングスメン』(2006年)以来になる。