日本語ワードプロセッサの利用〜初代日本語ワープロを開発された森健一先生
日本語ワードプロセッサの利用〜初代日本語ワープロを開発された森健一先生高校の情報技術科の授業で「日本語ワードプロセッサー」の開発者、森健一先生(元東芝、現東京理科大学教授)の開発者の精神論と技術論の話をして、大変好評だったので、ブログをご覧の皆さんにもご紹介したいと思います。東芝で、初めて「かな漢字変換」を開発され、1978年、その機能を搭載した日本語ワードプロセッサ「JW-10」を発表、現在の日本語ワープロの源流を作られた森健一先生です。私が今まさにこうやってパソコンに日本語入力できているのも、森先生のお陰というわけです。東大教授を経て現在は、東京理科大学MOTで「新産業創出論」という授業を担当されていて、学生から高い人気を集めておられます。 「最初は東芝で、文字の読み取り機の開発を担当していました。そして、機械で漢字の文字が読み取れるということがわかったのが1971年のことです。ところが、1文字ずつ読み取れても、その意味がわからなければどうしようもないわけです。つまり、文字は単独で存在しているのではなく、前後の文字との関連性があって、ひとつの意味を成し得ています。そこで、"意味がわかる"ということはどういうことかということを研究しようということになりました。私はこれを"意味理解"と呼んでいます。その応用例が"機械翻訳"で、英文から日本文、日本文から英文への翻訳できる機械を開発しようと考えたのです。 ところが、その前提条件として、日本文の良い入力装置がないことに気付きました。もちろん、当時、邦文タイプライターというものはあったのですが、 3,000字の配列を覚えないと使えないという代物で、誰でも使えるものではありませんでした。日本人であれば、誰でも簡単に使える日本語入力装置の必要性を感じました。 当時の「邦文タイプライター」私もこれで幾つかの学会論文を清書しました そこで、さっそく、誰でも簡単に使える入力装置というものは、一体どのようなところで求められているのか、理想的な日本語タイプライターにはどういった機能が必要か、ということを明確にするためにリサーチを開始しまして、色々なところを訪ね歩きました。 当時、もっとも日本語入力に対する問題意識を持っていたのが、新聞社、雑誌社、そして官庁でした。特に官庁では、国民の氏名や住所をコンピュータで処理しようとしていましたが、それには漢字入力が必須だったのです。また、生命保険会社では、名寄せ帳を作ろうとしていましたが、同じ"いとう"でも"伊藤"もあれば、"伊東"もあるわけで、きちんと漢字で入力したいといったニーズがあることがリサーチによってわかっていったのです。 例えば官庁の場合、計算機室長などに面会をして、"現在、どのような処理をしていて、今後、どのようなものが欲しいですか?"と聞き歩いたわけです。製品というものは、ひとりの人の意見だけを聞いて作ると偏ったものができてしまうので、とにかくできるだけ大勢の人から聞くようにしました。そのことによって、多くの人に共通の潜在ニーズを見つけることができるのです。 そしてわかったことは、 (1)誰でも手書きより速く入力ができ(2)ポータブルで(3)どこからでもアクセスして検索できること--という3点の機能が求められているということでした。そしてこの3つが、ワープロの基本コンセプトとなったのです。中でも、最初に実現しなければいけないと感じたのは、手書きよりも速くどうやって漢字を入力できるようにするかということでした。また、3つ目のコンセプトに関しては、今で言えば、インターネットなどのネットワークでしょうが、当時の私たちはファクシミリをイメージしていました。 ファクシミリは当時、ある程度、日本でも普及し始めていまして、夜間でも受信することができました。メイン電源は切れていても、サブ電源さえ入っていれば、受信したことを知らせる信号を感知して、メイン電源が自動的に入り、受信可能状態になり、受信が終わると、メイン電源が切れるという仕組みがすでに備わっていたんです。それと同じことを3つ目のコンセプトではイメージしていました。つまり、こちらの機器と相手の機器が電話線などでつながれていて、しかも、単なるファイルの電送ではなくて、相手の機器に電源が入っていなくても、こちら側から信号を送ると、相手の機器の電源が入り、受信可能状態になり、ファイルを電送し終わると、勝手に電源が切れるというイメージでした。 初代日本語ワープロ「JW-10」 そして、7年後の1978年、初代の日本語ワープロ「JW-10」を発表したわけですが、その時はまだ3つのコンセプトのうち、(2) ポータブルで(3)どこからでもアクセスして検索できる、という2つのコンセプトは実現できていませんでした。発表日当日、私は、その席上で、「数年後、この機械はポータブルになります。また、ファイルの電送ができるようになります」と言いました。その時、会場には多くの新聞記者が来られていましたが、唯一、電送について書いてくれたのが朝日新聞の記者でしたね。当時、ポータブルについては比較的わかりやすかったのでしょうが、電送については、なかなか理解していただけなかったのでしょうね」 「また、ポータブルワープロの大きさは靴箱をイメージしておりまして、机の引き出しの中に納まらないといけないと思っていました。値段に関しても、何百万円もしては一般の人は買えませんから、15万円程度と考えていました。日本語ワープロ『JW-10』の記者発表のときに、記者の方から、"ポータブルにした場合、値段はいくらくらいになりますか"といった質問がありましたので、"電話機くらい"と答えました。当時、固定電話機を引くためには15万円くらい必要でした。 さらに、ポータブルであるためには、記録媒体は回転するものであってはいけないと思っていました。1971年当時は、磁気ドラムや9インチの磁気テープの時代でしたから、回転するもので、フロッピーディスクのような小さなものが出てくるとは思っていませんでしたから。ですから、回転するものでは家に置けませんし、ましてや持ち歩くことなどできないと考えたのです。でも、実際には、1978年に『JW-10』を発売した頃には8インチのフロッピーディスクができていたので、『JW-10』ではそれを採用しています。 具体的には、記録媒体としては、今で言う SDメモリーカードやメモリースティックなどのカード型の半導体メディアを想定していました。そういったカードをワープロ本体に差し込んでおき、抜いて人に渡すこともでき、会議の際には、会議室に設置してある機器にそのカードを挿すと、ディスプレイにその内容が映り、会議が終われば、カードを抜いて自分のところに持って帰ってきて使うといったことを考えていたのです。ですから、そうなれば、会議の度に分厚い資料を全員分、コピーして配るといったことは必要なくなるだろうと考えていましたね。実際、当時の社内には、フラッシュメモリの研究・開発を行っている部署があり、そういった記録メディアができる可能性があったんです。 その研究者には、いつも"実売価格2,000〜3,000円で売れるようなものを早く作って欲しい"と頼んでいました。ここ数年で、やっとそういう時代になってきましたが、1971年当時からそういったものを想定していたということなんです。もちろん、カード型の半導体メディアなんてものは誰も見たことはありませんでしたが、今後、必要になっていくだろうということは、色々な人と議論を重ねる中で出てきたんですよ。 ですから、人間の能力は大変素晴らしいと思いますし、誰もが持っている能力だと思いますね。ひとりだけでは考えられないことや思いつきもしないことでも、人と話しているうちに具体的なイメージが湧いてくるんですよ。それは"発見"なわけです。"3人寄れば文殊の知恵"ということわざがありますが、まさに、コラボレーションによって、その時代より10年も20年も先を読むことができるというのは、非常に不思議なところです。それは、人間が喋ることでお互いを刺激し合うからこそできることであって、ですから、私は発見や発明は決してひとりではなし得ないものだと思っているんですよ。
: また、『JW-10』では8インチのフロッピーディスク以外に、本体の中に12インチ、10MBのハードディスクが入っていましたが、ちょうどその頃、LSIを作る技術が出てきていたので、本体の中のエレクトロニクスをさらに小さくすることは可能だろうと思っていました。ただ、これをポータブルにするには、ブラウン管をどうしても液晶モニタにする必要がありました。 そのため、液晶のディスプレイの研究・開発を行っている部署の研究者には、"40字 ×2行の液晶モニターを早く作って欲しい"とお願いしていました。そして、液晶モニターの試作品ができたというので、それを使ってさっそく作ったのが、このポータブルワープロ『TOSWORD(トスワード)』です。プリンターは、外に持って出掛けるときには必要ないということで、分離型にしてあります。本当は本体を1kg以下にしたかったのですが、1kg以下にはなりませんでした。一応、ワープロ機能は全部装備しているんですよ。本体の中には、仮名漢字変換のチップ、メモリーのチップ、伝送のチップの3つが入っています。 TOSWORDのTOSは東芝のTOS 『TOSWORD』を商品化したものが、1985年7月に発売した『東芝RUPO』です。デスクトップとポータブルとでは商品名を分けようということになり、議論した結果、ルポライター、レポートといった軽快な感じがするということで、この名前になりました。 初代東芝Ropo |
懐かしいですねえ。この大きなワープロは学校にあった覚えがあります。でもその数年後に三行のワープロが出来、その数年後にはモニターで出来るようになり、さらにその数年後にはワープロよりもPCが主力になって…ホント月日は早いものです。
2008/6/15(日) 午後 8:18
すずさん、コメントありがとうございます。私自身はこのデスクタイプのJW−10は見たことがありません。東芝Rupoには大変お世話になりました。東芝Rupo→東芝Dynabookの流れでパソコンユーザーになりました。
2008/6/16(月) 午前 11:54