[杉本教授による講師紹介]
東京工業大学卒業後、東芝入社。東芝ルポ(ワープロ)、東芝ダイナブック(パソコン)等の開発、事業化を手がけ、数々の世界No.1シェアを達成。技術の専門家であるが、常に営業面に配慮する経営者。パソコン事業部長、パーソナル情報機器事業本部長、専務取締役を歴任。
平成15年にモバイル放送株式会社代表取締役社長に就任。“ウオークマン”的発想で、移動中等の隙間時間を利用して視聴できる持ち歩き型テレビの開発、事業化に奮闘中。
[講師自己紹介]
大型コンピューターの開発技術者として東芝に入社したが、過当競争のため大型コンピュータ開発部長時代(1978年)に事業撤退し、ワードプロセッサーやラップトップ・パソコン、ノートブック・パソコン、HDD、CDROM、DVD、デジタルTV、携帯電話等の多くのデジタル・プロダクツの開発、事業化に取り組んだ。
これまでの人生の中で3回の転機があった。
(1) 最初に入学した大学(経済学部)を1年で中退し(1958年)、翌年技術系大学に入学し直し、1963年、東芝に入社した。
(2) 大型コンピューターから撤退し(1978年)、ワープロ、パソコン等新製品の開発に取組んだ。
(3) 今回初めて衛星放送による放送メディア事業に挑戦している(2003年)。
[講義内容]
1. 新しい事業の創造
1.1 技術者が市場に自ら飛び込んで真のニーズを掴むことが重要、その際に必要な心構えは
○ 「アンテナはどこまでも高く、感度はどこまでも鋭く」
情報には鮮度があり、新鮮な情報を捉え、素早く処理をすることが重要。情報はしかかってはダメ。浜で採れた魚をすぐ食べるのが一番美味しいのと同じ。市場から発信されるニーズを、技術者が生のまま直接受信することが重要。
○ 「耳は大きく、目は鋭く、頭脳は明晰に」
自分の言いたい事は抑えても、聞く耳を持つ事が大切。そうする事により捉えた情報の価値や真贋を鋭く見分け、明快に分析し判断して、行動に移すことが重要。
○ 「あとは、足と謙虚さと身体があれば良い」
行動段階では軽快なフットワーク、「美点凝視」の謙虚さ(相手の良い点を積極的に凝視する姿勢があって始めて多くを学ぶことが出来る)、そして健康な身体があれば、抜群の行動力を発揮できるようになる。この3つは誰でも努力次第で一流になれる。
○ 「誰もがなれる人生の三冠王」
これまで5000人以上の人がプロ野球選手になったと思うが、そのうち僅か10人位しか三冠王になっていない。何事にも関心を持ち、感動する心を持ち、感謝する気持ちを人並み以上に持つことが出来れば、誰もが人生の三冠王になれる。事業開発にとってこの三冠王であることは極めて重要。
1.2 No. 1商品(超ヒット商品)創出の条件
○ 高い目標:世界市場を制覇するぞという高い目標を掲げ、リスクに挑戦
○ マーケットからの発想:市場の要求を敏感に察知すると同時に、市場は創造するものだという視点が重要
○ リスクは冒せ:あらゆるリスクをリストアップする。そのリスクをあらゆる手を尽くして、クリアしていくことである。最大のリスクは開発途上において、競合他社が同等以上の商品を発表・発売してしまうことである。このときこそ、マネージメントが冷静に分析し、軌道修正、路線変更し、他社機を圧倒する商品仕様に仕立て直し、開発、市場投入し、NO.1商品を創り出すことである。
○ 破常識:情熱が壁を破る。非常識ではダメだが、破常識は必要。
○ スピード:変化の先取りが重要。少し早く、少し安く、少し良いものを出し続けるのが市場戦略である。似た製品を遅れて出すのは全く無意味。
○ ハードワークと優秀な人材と少しの幸運があれば、No. 1商品は創出できる。
1.3 3Cの時代(Customer, Competition, Change)
○ Customer の時代:「お客様は神様」(Customer is God.)と言われるが、神様はわがままを言わない。しかしCustomer
はわがままを言う。従って「お客様は王様」(Customer is King.)と考えるべき。買っていただいた後に、いかにお客様(王様)に忠誠を尽くすかが重要。価格、機能、アフターサービス等で忠誠を尽くしておけば、買換えの時にまた選んでもらえる。
○ Competition の時代:先、先、先と手を打っていくことが必要。どんな業界にも新しいビジネス・モデルで切りこんでくるベンチャや異業種からの参入はある。日頃から危機感を持ってヒット商品を連打していくことである。
○ Change の時代:短期間で大きく変わる変化は誰でも気づくが、10年のレンジでのゆったりした変化にはなかなか気づかない。その変化を感じ取れるように感度を磨いておくことが重要。またパラダイム(枠組み)がシフトする時、シフトさせまいとする人が多いが、パラダイムは必ずシフトするものだ。シフトする側に早く立ち、新しいビジネスモデルを創り出すことが重要。
1.4 フィロソフィーの重要性
○ 事業開発、商品開発には、フィロソフィーが必要である。フィロソフィーがないとその場限りで長続きはしない。
○ 京セラ稲盛会長の「PASSION」(成功への情熱):PROFIT(利益)、AMBITION(願望)、SINCERITY(誠実さ)、STRENGTH(真の強さ)、INNOVATION(創意工夫)、OPTIMISM(積極思考)、NEVER
GIVE UP(決してあきらめない)
○ 日本電産永守社長の「すぐやる、必ずやる、出来るまでやる」
2. 新事業開拓の例
2.1 日本語ワープロ事業開発の事例
○ 昔から、東京の電気街の秋葉原にはよく通ったが、1983年秋、家電量販のロケットの江川社長との雑談の中で、「VTRが30万円以上もしているからサラリーマンは買えない。20万円を切るようになれば、爆発的に売れるようになると思う」との江川社長の一言からパーソナル・ワープロRUPO(99,800円)の構想が生まれた。当時、54万8千円のワープロJW−1が7千台売れた後、パッタリと売れなくなり、よし、安いパーソナル・ワープロを開発しようと考えていた。このようなときに、VTRが19万8千円で爆発的に売れると聞き、パーソナル・ワープロは99,800円くらいがプライス・スポットだとその場で閃いた。
先ず定価99,800円ありきで、開発をスタートし、1985年6月26日にRUPOを発表したが、爆発的に売れ、その後、巨大なパーソナルワープロ市場を創り出すことが出来た。
○ RUPOの商品フィロソイーはコンシューマー向けのワープロと言えども、本格的ワープロの機能を持たせると共に、使って楽しいパーソナル・ワープロを開発することだった。当時、出始めていたパーソナル・ワープロは単漢字変換、16ドットx16ドット漢字(鷹や酬のような字画の多い漢字は正確な漢字として書き表すことが出来ず、略字として表現するしかなかった)方式を採用しており、コストつくりのため、著しく機能、性能を犠牲にした製品だった。このようなパーソナル・ワープロが普及すると、大げさに言えば子供達の日本語教育にも支障をきたす惧れがあると思った。RUPOはかな漢字変換、24ドットx24ドット漢字方式、24ドット漢字プリンターを採用し、本格ワープロの各種機能をファンクション・キーのワンタッチ操作で使えるように工夫を凝らして商品仕様に採りいれ、文字の反転、斜体文字、白抜き文字、拡大文字、文字・記号登録、文の移動、コピーとか、楽しくワープロで文章が作成、編集できるようにした。
2.2 ラップトップPC(1985年)、ノートPC(1989年)の事業開発の事例
○ 未だマイコンキットの時代、米国では1977年にAppleUなどが登場し、8ビットPC時代が始まろうとしていた。東芝では大型コンピュータの開発を担当していた私達は、日本の小さな大型コンピュータ市場に6社も参入している事業環境を危機的に感じ、1977年秋に日本語ワードプロセッサーとパーソナル・コンピュータ市場を創り出すために、大型コンピューターのエンジニアを使って、開発を始め、ワードプロセッサーは事業化を認められ、1979年2月に、日本語ワードプロセッサーJW−10を市場に出すことが出来た。しかし、PCについては日本初の8ビットPC、T400を開発し、1978年3月、西ドイツで開催されたハノーバーメッセ、7月米国シカゴで開催されたコンシューマー・エレクトロニクス・ショウに出展し、大好評であったが、未だマイコン時代であった日本市場ではPCは理解されず、事業化は認められずお蔵入りとなった。その1年半後の1979年9月、NECが日本初のPC商用機PC8001を発売。その後、各社がPC市場に参入したがデスクトップPC市場はNECの寡占状態が続いた。
○ このようなPC市場に変革をもたらすため、何とか新しい市場を創り出すべく、技術・営業でチームを組み、米国のPCショップ、調査会社、企業等でパソコン市場調査をしたところ、誰もがデスクトップは大き過ぎると言っていた。わが意を得たりと、この真の市場の声に応えるために、PCメーカーがこれまで開発チャレンジできなかった多くの困難な克服し、世界で初めてのポータブルPC、T1100(1985年、8ビットPC)、T3100(1986年1月英国バーミンガムで開催されたWhich
Computer Showで発表、16ビットPC)を開発し、世界のPC市場に投入し、巨大なポータブルPC市場を創り出した。特に、T3100(ラップトップ型、プラズマディスプレイ、ハードディス内蔵、表面実装技術等など数多くの世界初の技術を注入)は完成度が極めて高く、その後、1年半の間、世界のPCメーカーはT3100に追従出来なかった。米国の「PC
Magazine Sept.16.1986」はT3100を「The King of LAPTOP」と評した。
○ 1989年6月に電池駆動の真のポータブル機であるノートPC「DynaBook(19万8千円)」を開発し、日本市場から世界市場へと事業展開していった。ノートPCは今やデスクトップPCを凌ぐ巨大市場に成長し、「誰でも、何時でも、何処でも」という東芝が創り出した商品フィロソフィーが世界に広まって行った。
○ 東芝は自ら創り出した世界のポータブルPC市場で、シェアNO.1を1985年から1992年、1994年から2000年まで永年とり続けた。
○ 東芝が自社開発あるいは部品・デバイスメーカーと共同開発し、世界で初めてポータブルPC(ラップトップPC、ノートPC)に搭載したデバイスや技術は
1. ハードディスク
3.5インチHDD(JVC 1986年)
2.5インチHDD(コナーペリフェラル/東芝 1990年)
1.8インチHDD(東芝 2000年)
2.光ディスク
薄型CDROM(東芝 1995年)
薄型DVDROM(東芝 1997年)
薄型DVDマルチドライブ(東芝 2000年)
3.3.5インチFDD
1インチ厚(エプソン 1985年)
薄型17mm(福井松下 1989年)
4.ディスプレイ
プラズマディスプレイ(松下電子 1986年)
TFT液晶(シャープ/東芝 1990年)
5.バッテリ
パワーマネージメント(東芝 1987年 マイコン制御)
ニッケル水素電池(三洋電機 1991年)
リチウム・イオン電池(Sony 1993年)
ACPI(東芝/マイクロソフト/インテル共同開発 1995年)
6.キーボード
メンブレン(ALPS電気 1985年)
7.筐体
マグネシウム合金(タカダ/筑波ダイキャスト 1997年)
等である。
○ 東芝のラップトップPC、ノートPCは1986年秋の米国コムデックスでPC Magazine社からTechnical
Excellence賞を受賞したのを皮切りに世界各国の新聞社、雑誌社等から200以上の表彰を受けた。
日本での代表的受賞は
1988年1月 J−3100SGT
日刊工業新聞社「1987年十大新製品賞」
日本経済新聞社「1988年日本経済新聞社最優秀賞」
1990年1月 DynaBookSS001
日刊工業新聞社「1989年十大新製品賞」
日本経済新聞社「1989年日本経済新聞社最優秀賞」
1995年 大河内記念生産賞
「ラップトップ及びノートブック型パーソナルコンピュータの開発」
1997年 平成9年度科学技術長官賞
「ポータブル型パソコンの要素技術の開発育成」
3. 新事業 ━ 新たな放送メディア(モバイル放送)への挑戦
パワーポイント資料(PDF 4.9MB)参照。
質疑応答(Q & A)
(Q)次々とヒット商品を生み出す条件は? イノベーターのジレンマはどう克服するか?
(A)(1)油断しないこと。ビジネスが大きくなれば新規参入が増えてくる。(2)切り込まれても屈しないこと。ベンチャーは100mランナーがマラソンコースを走るようなもの。途中で倒産しても、新たな会社を興すなり、他の会社に移り、新技術開発、事業化にチャレンジし、遂にはマラソンコースを完走し、事業化に成功していく。一方、大企業はただひたすらマラソンコースを自社の力だけで完走を目指すことが多いので、スピードが遅く、事業化に遅れをとるケースが多々ある。スピード、スピード、スピードで常にヒット商品を連打していくことである。(3)ちまちました改良ばかりでは必ず連作障害を起す。新しい人材(異質な人材)、新しい技術、新しいビジネス・モデルを常に採り入れ、革新を続けることである。
(Q)クリステンセンのイノベーターのジレンマを、東芝のような大きな組織ではどのように克服しているか?一つの成功体験を、どうやって次の成功に結びつけるのか?
(A)確かに東芝は大企業ではあるが、企業風土は明るく、自由な雰囲気がある。私は自らの事業部門では「早く(速く)、激しく、しつこく、明るく」更には「もっと早く(速く)、もっと激しく、もっとしつこく、もっと明るく」全社員が自らの業務に取り組むようにチャレンジしてきた。一人ひとりの勢いが、グループの勢いを作り、事業部門の勢いを作り、会社全体の勢いになる。一つ一つの商品の勢いが事業の勢いを作り、会社の勢いをつくると思っているから、勢いという言葉が好きで大事に使っている。事業を継続的に発展させるためには、事業の革新を続けるしかないと思っている。
成功体験を捨てよとよく言うが、修羅場を潜っての成功体験は貴重であり、大きな財産である。慢心は戒めなければならないが、初心を忘れず、常に危機意識を持って、ベンチャースピリットで取り組んでいけば、勝ち続けることは出来る。私は自ら率いてきた開発部門を去り、事業を担当することになったとき、工場の技術者に自著の「技術者のマーケッティング」を遺してきた。
開発のDNAとしてヒット商品の開発を続けて欲しいという願いをこの小冊子に込めた。
開発技術には5つのフェーズがある。
1) 研究 2)開発 3)製品化 4)商品化 5)収益
同程度の技術を有する会社ならば、どこも製品化までは、同じように出来るものである。しかし、3のフェーズから4のフェーズに行くところで、更に4のフェーズから5のフェーズに行くところで、大きな差がつく。製品化が済んだら後は「営業さん頑張って売ってください」なんて言っている技術者がいるような会社はダメである。技術者は売れる、商いの出来る製品つまり商品を開発しなければならない。しかし売れても収益があがらない商品ではダメで、販社も、メーカーも応分の収益があがり、何より、買っていただいたお客様が買ってほんとに良かったと喜んで頂けるような商品でなければならない。
そして又買い替えのときにも選んでもらえるような商品を出し続ける技術者でなければ、一流の技術者ではない。ヒットを連打できる開発部門を作り出すことは出来るのである。
私の座右の銘は
米沢藩主 上杉鷹山の
「成せばなる、成さねばならぬ、何事も、成らぬは、人の成さぬなりけり」である。
(Q)アンダーテーブルで予算を確保しながら社内ベンチャーを実行した体験から何を感じるか?
(A)アンダー・ザ・テーブルの開発には、通常は正規の開発予算はつかないものだ。しかし、予算がつかないからといって、開発に取り組まず、事業開発をあきらめてしまえるような開発テーマはもともとそれほどたいしたものではない。
アンダー・ザ・テーブルでも開発をせねばならないのは強い開発、事業化のミッションを感じ取っているからである。新規事業推進には、このミッション、そしてパッション、さらにアクションが必要である。ミッションは神から与えられ、会社から与えられ、自らが自らに与えるものである。
明治の初め、札幌農業学校に赴任したクラーク博士は生徒に“Boys be ambitious!”(青年よ大志を抱け)と言われ、後世まで語り継がれてきたが、最近では殆ど聞かなくなってしまった。極めて残念なことである。実はクリスチャンのクラーク先生はこの言葉の前に、“For
the glory of God,”と言われていたのが語り継ぐ間にいつの間にかこの重要な言葉を忘れてしまったのである。「神の栄光のために、青年よ大志を抱け」と、つまり生徒達に神のミッションを与えられたのである。
我々はもっとこの言葉を大事に実践しなければならないのではないだろか。
神の栄光のために、国家の栄光のために、企業の栄光のために、郷里の栄光のために、家族の栄光のために、そうすれば、企業や社会や学校での不祥事は激減するだろう。
人はよく気軽に「サポートしますよ」というが、あまり好きな表現ではない。サポートよりもアシストすることが大切。違いをサッカーで例えると、観覧席から応援するサポートよりも、本当に必要なのはグランドに出て、シュートを蹴りこむ選手へパスを出すアシストだ。
(Q)東芝はノートパソコンのトップシェアを長年確保してきたが、今は落ちている。東芝のノートパソコンの生みの親として、もし今東芝のパソコン事業のトップに残っておられたら、どうするか?
(A)どんな製品も、成熟商品だと思ってはいけない。そう思うと頭の中がサチッてしまい、イノベーションは起せなくなる。新製品を出す時は、常に世界初の技術を何個入れようと決めてやっていた。そういうチャレンジ精神が、各社とも薄くなってきたように思う。1988年頃ワープロの担当から離れた。7年後に再びワープロも見るようになって、7年間遠ざかっている間にワープロ・メーカーは各社ともほとんど進歩がなかったことを見て愕然とした。この間に、PCはラップトップPC、ノートPCという新しい市場を創り出し、またデジタルプロダクト全体に応用できる新しい多くの技術を生み出したのである。その多くを東芝のPC技術者が部品、デバイスメーカーと協力して開発したのである。
私は現在の東芝の若いPC開発技術者には、世界NO.1シェアを永年保持し続けた、また、NO.1商品を連打した技術者魂はDNAとして脈々と生きていると確信している。
(Q)営業をやっている者として技術者がここまで考えてくれていると、とても売りやすい。目標を達成したら、東芝では見返りがあったか?
(A)技術者には技術魂というものがあり、見返りを求めて仕事をする人はかっては殆どいなかった。世界初の技術とか、世界NO.1シェアとかお金にかえられないものがあった。開発には燃えるものがあったし、チャレンジ精神が旺盛なチームを作った。技術者には自己実現の場が与えられることが必要条件だ。最近は各社とも特許報奨など随分改善されてきており、技術陣にとっては益々やりがいのある時代になってきていると思う。また、真のMOTができるようになれば、日本はもっと技術立国になっていけると思う。
営業と技術のあり方は営業が苦しいときは技術がヒット商品を生み出し、技術が苦しいときは現行商品を営業力で売り、お互いがアシストし合う、また、チャレンジとレスポンスをし合う絆の強い関係を作り出すことである。いがみ合っているようでは、その事業は早晩崩れ去るのみである。
(Q)東芝ノートパソコンはNo. 1シェアをずっと維持してきたが、今はデルに負けている。これからの東芝の戦略は?
(A)私はもう東芝PC事業を離れて4年経つ。今は東芝PC戦略を語る立場ではない。
(Q)PCはモジュール化し、オープンアーキテクチャー化で、利益が出しにくくなっているのではないか?
(A)東芝PCは世界標準のPC事業の中で、ポータブルPCという新しい市場を競合他社に先駆けて創り出し、この20年、多くの利益をあげてきたことは事実である。世界標準化すれば市場は拡がり、ソフト互換を維持しながら、ハード、使い勝手、コストつくり、ビジネス・モデルなど、差異化できる要素はふんだんにあり、知恵は絞れば絞るほど出てくるものである。部品メーカーであれ、PCメーカーであれ、ソフトベンダーであれ、販社であれ、修理サービス会社であれ、PC関連事業会社にとって、毎年、1億台を超える巨大市場が世界にあるのは、携帯電話とPCくらいであり、有難い市場だと考えるべきである。
PC関連市場はまだまだ長きに亘って有望な市場である。利益を出せない企業は連作障害や事業・技術・サービス等での革新を起していないからである。
デル・コンピュータのビジネス・モデルの真髄をもっと学ぶべきである。
(Q)モバイル放送は人間にとってどういうメリットがあるのか?携帯電話ほどの必要性が感じられないように思うが。
(A)従来からのTV放送は家庭向け中心であり、アウトドア、電車・車・航空機・船など移動体の中まで放送サービスをするものではなかった。また、地方はTVもラジオもチャンネル数が少なく、都会に比べて明らかにメディア過疎地であり、メディア・デバイドを受けているように思える。又、災害が発生すると被災地は情報が入らない等の問題が直ぐ発生してしまう。モバイル放送は全国津々浦々まで、一様に、多チャンネルのTV、音声・音楽の高音質ラジオ、データ情報の放送を移動する個人、移動体にサービスする全国放送である。世界中のニュース、豊富なスポーツ実況、エンターテイメント、豊富な音楽、CNN、BBCに代表される英語放送などなど、をどこでも視聴出来ることを目指した新たな放送メディアである。
受信端末としては、日本国中の7千万台以上の車向けのホーム兼車載型の受信端末、7千万人以上のユーザが使用するノートPC向けのPCカード型受信チューナー、他にモバイル型のパームトップTV等が発売されている。更に現在、8千万人の携帯電話ユーザー向けの携帯電話一体型の受信端末を開発中である。
サラリーマンを初めとする多くの人が、一日の時間の中に隙間時間多く有しているが、このような時、ライブのニュースやスポーツ実況が聴け、月に約40万曲の音楽がオンエアされており、いつでも、いろいろなジャンルの音楽が楽しめる、更に災害時のメディアとして、あるいは地震発生時の防災メディアとして期待されているのがモバイル放送である。
(Q)中国でのビジネス展開はどう進めるのか?
(A)それは中国が決めることである。モバイル放送に大変興味を持っている中国政府機関、民間放送事業者など多くの方が見学に見えている。もし、導入ということになれば、協力したいと考えている。
レポート担当 : 源川・楊・井藤
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