日本初の心臓移植「和田心臓移植」を実施した札幌医科大名誉教授で元世界心臓胸部外科学会会頭の和田寿郎(わだ・じゅろう)さんが14日、東京都の自宅で死去した。88歳。葬儀は17日正午、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻周子(しゅうこ)さん。
札幌市出身。北海道大医学部卒業。1958年、札幌医大第2外科教授に就任し、68年8月に国内初の脳死心臓移植手術を執刀した。77年、東京女子医大教授となり、退任後の88年から世界心臓胸部外科学会会頭を務めた。
和田心臓移植は遊泳中におぼれ「脳死」とされた21歳の男子大学生から「重度の心臓弁膜症」と診断された18歳の少年への移植手術で、患者の少年は術後83日目に死亡した。
当初は「壮挙」ともてはやされたが、後に▽臓器提供者(ドナー)は本当に脳死だったのか▽心臓を提供された患者(レシピエント)は移植が必要なほどの重症だったか--といった疑問点が次々に浮上。ドナーの脳波測定結果など客観的資料がなく、レシピエントを担当していた同医大内科医師からも移植の必要性に疑問が呈されるなど疑惑は深まり、68年12月、大阪の漢方医らに殺人などの疑いで刑事告発された(容疑不十分で不起訴)。
この問題は国内の移植医療のあり方や臓器移植法(97年施行)の是非に大きな影響を与えたが、自身は著書「ゆるぎなき生命の塔を」などの執筆や「和田寿郎記念心臓肺研究所」(東京都千代田区)の設立を通じ、正当性を主張し続けた。
06年の札幌医大での講演では「日本全部を敵に回した」「(告発で)臓器移植の分野で日本は30~40年後れをとった」と当時を振り返るなど、移植医療の必要性を訴えた。
毎日新聞 2011年2月15日 12時25分(最終更新 2月15日 12時49分)