韓国の「新都市」について |
〜住宅供給を目的とした街づくり |
Council of Local Authorities |
はじめに................................................................................................................................. 第1章 新都市建設の背景........................................................................................ 第2章 新都市建設の推進........................................................................................ 1 立地選定................................................................................................................ 2 財源確保................................................................................................................ 3 開発体系................................................................................................................ 第3章 新都市の計画概要と現状........................................................................ 1 新都市計画概要............................................................................................... 2 新都市の現状..................................................................................................... 第4章 おわりに〜これからの新都市................................................................ 参考文献.............................................................................................................................. |
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はじめに 韓国は、1960年代からいわゆる「漢江の奇跡」と呼ばれる驚異的な経済成長を成し遂げ、発展を続けてきた。それにともなって生じた急速な都市化の波は、人口の集中という都市問題を引き起こした。韓国は現在首都のソウル特別市だけで1千万人を超える人口を抱え、これは全人口の約4分の1を占める数である。また、ソウルを中心とした首都圏に範囲を拡大すると、韓国全人口のほぼ半分が集中している計算になる。 この急速な人口の集中は深刻な住宅不足を引き起こし、住民の居住環境の整備が、重要な行政課題の一つとして浮上した。これに対応するため、政府は1988年に住宅建設200万戸計画を発表した。地価の安定と住宅価格の投機抑制を最大の課題とするこの計画は、1988年からの5年間で年平均40万戸の住宅を供給し、住宅不足を解消しようとするものだった。そして、この計画の中で行われたのが「新都市」の建設である。「新都市」とは、住宅の供給を目的にほとんど一から人工的につくった、文字通り新しい都市である。現在、当時つくられたいずれも京畿道(キョンギド)内の5つの新都市(城南市盆唐(ソンナム市ブンダン)、高陽市一山(コヤン市イルサン)、安養市坪村(アニャン市ピョンチョン)、富川市中洞(プチョン市チュンドン)、軍浦市山本(クンポ市サンボン))は、入居も完了し、1つの街として歩き始めている。 このレポートでは、非常に短期間で進められた「新都市」の建設手法とその現状について、5つの新都市の中で最も大きい盆唐新都市の例を中心に紹介することとしたい。 |
第1章新都市建設の背景 このレポートで取り上げる「新都市」は、主に1989年から建設が始まった人工的な都市である。いずれもソウル市近郊の京畿道にあり、城南市盆唐、高陽市一山、安養市坪村、富川市中洞、軍浦市山本の5つである。これらの都市の建設は、「住宅200万戸建設計画」の下に行われた。盧泰愚政権誕生後に政府が進めたこの計画は、1988年から1992年の間に200万戸の住宅を建設することにより、慢性的な住宅の不足を解消しようとするものであると同時に、住宅の大量供給により住宅価格を安定させようとするものであった。 1960年代以降、急激な経済の発展を遂げた韓国は、1980年代末にはソウル市への人口の集中と大家族制の崩壊に伴う核家族化により住宅需要が増え、住宅供給が不足している状態だった。世帯数と住宅戸数の割合を示す住宅普及率をみても、1989年にはソウルが50.6%、仁川が57.3%であった。さらに、盆唐新都市がつくられた城南市にいたっては、住宅普及率は44.1%と、非常に低かった。また、土地を持つ世帯の割合を示す土地保有率は、ソウル、仁川、城南の順にみていくと、それぞれ28.1%、30.1%、22.1%であり、全国的に見ても特に低いことが分かる。これは、土地が特定の階層に集中して所有されているためであり、全国平均で土地保有率の多い上位5%の世帯が全土地の65.2%を所有しているという結果も出ている(表1参照)。 |
また、1980年代末のソウルと首都圏地域では、資源利用、交通、医療保険、教育、環境問題等、全般的な都市問題が累積し、悪化していた(表2参照)。 ソウルの人口密度は全国最高を記録しており、月平均賃金は最も低く、逆に失業率は全国で最も高かった。 その一方で、仁川・京畿地域は、ソウルから工場などが移転したため製造業の数が急速に増加し、失業率は全国平均以下を示したものの、実際の賃金水準は全国平均以下であった。1人当たりの給水量で確認できるように水資源の消費量が急増し、乗用車保有台数も全国平均をはるかに上回って増加し、深刻な交通渋滞を引き起こした。また、医療施設は、ソウルを中心とした首都圏に密集していたにもかかわらず、首都圏の膨大な人口に対しては不足していた(1万人当たり病床数で釜山は39.4、大田は42.5を保有している)。また、学級当たり学生数は全国平均を大きく上回っており、一般廃棄物の発生量も全国平均よりはるかに多かった。 |
また、土地価格も、1980年から1990年にかけて継続して上昇している(表3参照)。特に1982、1983年に建築規制が緩和された影響で、1983〜1984年には土地価格が大きく上昇した。また、1986〜1988年の好景気が冷え込む1988年頃から、遊休化した資本が不動産市場に流れ込み、再び土地価格が20%を超える高い率で上昇した。 |
このように、首都圏環境の悪化に加え、激しい地価上昇が急激に起こったため、政府としては対策をとる必要が生じてきた。その結果、盧泰愚大統領は就任後すぐに、選挙公約でもあった「住宅200万戸建設計画」を推準することとなった。 |
第2章 新都市建設の推進 1 立地選定 まず、1988年に、ソウルから1時間以内の通勤距離にある郊外地域に中流層以上の居住者のためのベッドタウンを建設することを前提に、グリーンベルト地域(都市景観を整備し環境を保全するために設定された開発制限区域)を除いた首都圏全地域を対象に、100万坪以上の規模の候補地を調査した。調査の結果、城南市盆唐、高陽市一山、安養市坪村等が選定されたが、盆唐については事業計画が具体化できない状態だった。 しかしながら、1989年に入ると、土地と住宅価格の暴騰に政府は危機を感じ、青瓦台(大統領官邸)の経済秘書室と建設部で盆唐地区を共同で検討した。当時、盆唐地区はグリーンベルトに準ずる建築制限が適用されていたが、ソウル中心部から20km以内の近距離に位置し、交通が便利で環境条件も良好だったので、江南地域の住宅騰貴を沈静化できる最適地と政府は判断した。また、土地所有者の50%以上がソウル等の外部の人間で、開発がしやすいという確信があったことも盆唐を新都市開発適地に選定する条件の一つになった。 そこで土地開発公社が1989年4月12日に盆唐地区の開発草案を作成し、青瓦台、建設部に報告した。この後、4月15日から3日間、青瓦台、建設部、土地開発公社の関係者で作業チームが構成され、開発構想作業が実施された。4月20日に建設部長官が大統領の裁可を受け、4月27日、電撃的に新都市建設計画が公式発表された。結局、新都市開発構想案は着手から発表まで2週間程度の作業で作成されたものであった。このように、わずかな準備期間で発表された5つの新都市住宅供給計画は、表4のとおりである。 |
2 財源確保 このような大規模な開発を行う際に直面する、最も重大な問題が財源である。特に、短期間に行おうとすればなおさらである。そこで韓国の場合、財源をなるべく民間からの資金によって開発を行おうとした。盆唐新都市の事業主体である韓国土地開発公社は、政府からの支援や投資のない独立採算の原則をとり、事業地区内基盤施設及び地区外幹線施設等の公営開発に必要な財源を需要者である民間開発企業と入居予定者が直接調達することとした。 これには、土地先分譲という開発方式がとられた。それは、上水道等の基盤施設が設置されていない時に民間開発企業と分譲契約をして、土地代金も含めて契約時に30〜40%の代金を納入させ、4か月以内に代金の60〜70%を納入させるようにする分譲方式である。土地開発公社は先に取得した代金、すなわち需用者負担で基盤施設の開発を行うことができるのである。 3 開発体系 盆唐新都市は、土地の買収、収用が容易に行える宅地開発促進法に基づき開発が行われた。図1は、宅地開発促進法による事業施行手続きをあらわしたものである。 |
宅地開発促進法により予定地区に指定されると、韓国土地開発公社は土地の強制収用等を行えることができるようになり、強大なカを持って事業を進行させることができた。 このように、計画段階では青瓦台と建設部が、建設段階では韓国土地開発公社が中心となって事業の遂行にあたった。政府では、下記の機構をつくって事業を進めた。一方、建設部では1989年7月に新都市建設企画室を設置し、事業の計画を作り上げ、4人の担当官を置き、次の役割分担で事業を推進した。 ◎新都市建設機構 ○住宅長官会議
◎新都市建設企画室
政府が計画に対して強大な指導力を発揮していたのに対し、地方自治体は、基本的に事業施行者である韓国土地開発公社との協調及び支援を行ったにすぎなかった。 盆唐の場合、城南市の各部署で関連部門別に新都市建設関連業務を支援した。新都市のイメージを作るため、模範的団地として最初につくられた示範団地への入居が始まると、1991年7月17日に盆唐出張所が設置され、同年9月1日に盆唐区庁となった。その業務は、土地用途変更許可、一時農地変更許可、不許可建物取締、土地取引及び街路灯維持管理等であった。また、建設計画当初には、国土開発研究院が土地利用計画、施設計画作成と影響評価を担当していた。 以上の開発組織をあらわしたものが、図2である。 |
第3章 新都市の現状と成果 第1章、第2章でみてきたような背景、開発組織により、5つの新都市はつくられた。これら5つの新都市の開発目的、特徴、計画内容等をそれぞれ要約すれば、以下のとおりである。 (1)盆唐
・面積:1,894ha ・収容人口:39万人 ・開発時期:1989年4月〜 ・事業施行者:土地開発公社
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(2)一山
・面積:1,573.1ha ・収容人口:27万8,000人 ・開発時期:1989年6月〜 ・事業施行者:土地開発公社
(3)坪村 ・目的及び特性:安養市の業務中心地域 ・位置:ソウルの南側20km地点、京畿道安養市 ・面積:494.7ha ・収容人口:17万人 ・開発時期:1989年6月〜 ・事業施行者:土地開発公社
(4)中洞
・面積:543.9ha ・収容人口:17万人 ・開発時期:1989年9月〜 ・事業施行者:土地開発公社、大韓住宅公社、富川市
(5)山本
・面積:418.9ha ・収容人口:17万人 ・開発時期:1989年10月〜 ・事業施行者:大韓住宅公社
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2 新都市の現状 表5に示したように、各新都市は、共通して新都市内の消費需要を見込んだ商業機能の発達を期待していた。また、盆唐や一山ではそれだけでなく、ソウル市内に集中している機能の一部を移転させることまで考えていた。盆唐では、商業機能の発達という面では、やや過当競争の感はあるものの、百貨店や大型ディスカウントストアが10店舗近い数に達しており、また盆唐以外の地域からの客を呼び込む動きもみせているなど、商業機能は充実しているといってよい。 盆唐新都市は京畿道城南市にあり、その中の盆唐区一帯を指す。盆唐区は、特別市や広域市の中にある自治区とは異なり、一般区と呼ばれる、自治団体としての機能を持たない区である。そのため、施策の決定は全て市で行われる。特に城南市の場合には、1997年11月末現在で市全体の人口は92万1,289人、そのうち盆唐区の人口は37万9,796人である。新都市以外の居住者もかなりの割合を占め、かつ地域的にも市街地と新都市とが完全に分かれるかたちになっており(17ページ参照)、新都市を中心として施策を行うのが難しい状態となっている。 また、市街地の市民の意識と盆唐新都市居住者の意識は大きく異なっており、特に盆唐居住者の行政に対する要求水準が高い。1997年初め、一山新都市とともに独立市への昇格運動が一時期起きたが、自治団体として運営していくためには、財源調達が最大の課題となっており、その後は特に大きな動きは起こっていない。行政側としては、盆唐新都市の住民にも城南市民としての意識を持たせることが、現在の大きな課題の一つとなっている。盆唐新都市の住民には、城南市民というよりも盆唐市民であるという意識が強くあり、それも城南市政を行う上で大きな足かせとなっている。 |
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一方、政府の当初目標である住宅供給不足解消、地価上昇抑制という点からみれば、新都市は問題点ばかりでもない。韓国の人口推移(表6)をみると、ソウル市内の人口は、1990年から1995年の5年間では減少傾向を示している。逆に、新都市が建設された京畿道では、韓国全体の人口増減数を上回る数の人口増加が起きている。これは、5つの新都市ヘソウル市内の人口が移動してきたことが一因であると言えるだろう。 |
また、この住宅建設ラッシュにより、それまで過熱していたソウル市の地価や住宅価格の高騰は落ち着きをみせている(表7)。新都市への入居が始まった1991年から住宅価格は沈静化し、過熱化していた時期から少し低い価格で安定した。 これらの点からみて、住宅供給不足解消、地価上昇抑制という点では、政府の目指した目標が達成されたということができるだろう。 |
以上のように、非常に短期間に推し進められた新都市建設は、増え続けていたソウル市内の人口を近郊地域に分散させた点、ソウル市内の住宅価格の高騰を抑えた点で一定の成功を収めた。また、非常に短期間に事業を行い、人の住める都市をつくり上げた。この成功の要因は、新都市建設の際、1か所に強大な権限を集中させて事業を行ったことが非常に大きかったといえる。 |
第4章 おわりに〜これからの新都市 5つの新都市の建設は終わったが、新聞報道によれば、現在もいくつかの地域で小規模のいわゆる「ミニ新都市」の建設が予定されている(表9)。 ただし、今後も前回のようなかたちで開発が行われるかというと、当時とは様々な状況が変化している。 最も大きな変化は、地方自治制の復活である。前回は、自治団体の首長が政府による任命制であるなど、まだ完全な地方自治が行われていなかったため、国の機関に権限を集中させて行うことが可能であった。 また、地方自治制の導入にともなって、住民の声も以前に比べて大きくなっている。その点からみても、今後はむしろ自治団体が中心となって開発を進めて行くべきであろう。 この原稿を書いている時点で韓国経済は外国為替危機に直面し、IMFからの支援を受けて経済改革に官民挙げて取り組んでいるところである。失業率は7%を上回り、国、地方の税収は大きく落ち込んでいる。また、サッカーの2002年ワールドカップや仁川新国際空港の建設など、大規模事業も現在推進中である。このような状況の中、今後、どのような手法で新都市の建設が行われていくのか、期待したい。 |
参考文献 韓国都市行政研究所「1997地方行政区域年鑑」、1997年 城南市「市政概要」、1997年 全国市洞面要覧編纂会「全国市洞面要覧96年度版」、図書出版瑞英、1995年 大韓民国海外公報館「韓国のすべて」、ハンリム出版社、1994年 統計庁「韓国統計年鑑1996」、1996年 民俗建築美学研究会「18C新都市&20C新都市」、図書出版発言、1996年 |