2011年2月15日0時46分
「ここまで思い詰めていたのに、助けてあげられなかった」。読みながら、鈴木さんは自分を責め続けた。「最後に一言でも言葉をかけていれば、思いとどまってくれただろうか」
一度は、自分も後を追おうと心に決めた。だが、1人で暮らす母親のことが頭をよぎった。「同じ苦しみを味わわせることはできない」。命を絶つ代わりに、残された家族の苦しみを少しでも伝えようと、ペンを握った。
〈死ぬ勇気を持つ前に、生きる勇気を出して下さい。そしていま一度、誰でもいい、周りの人にSOSを出して下さい〉
それは、自分自身に強く言い聞かせた言葉でもあった。
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1月8日朝。埼玉県松伏町の関良雄さん(61)は自宅の居間でいつものように朝刊を開いた。投書が、目に留まった。
経済的に行き詰まり、追い詰められていた。不況のあおりで、経営する建築士事務所の仕事が昨秋からゼロになった。1月の光熱費を払うと、2月は生活ができない状況。預金通帳の残高は1万円を切っていた。
住宅ローンに大学生の三男の教育費……。考えるほどに追い詰められたが、妻には相談できなかった。家族を養うのが自分の義務だと、強く信じていた。
姉に手紙で支援を頼んでみたものの、断られた。頼りになるのは茨城県で働く長男(31)のみ。だが、「息子に弱みは見せられない」と、連絡先を携帯電話から削除した。母親の遺影を眺めながら、黙って命を捨てることを考えた。
「生きる勇気を」という鈴木さんの投書を読んだのは、そんな朝だった。「思い切って長男にすべて話してみよう」。電車でひとり茨城に向かった。長男は嫌な顔もせず、自分の貯金から50万円を振り込んでくれた。父親の窮状を知っていたが、頑固な性格をわかっていて、訪ねてくるのを待っていたという。