ある講演を聴いていたら、人生の究極の幸せということで次の4つを上げている人がおられるとお話しをされていた。
・・・人に愛されること
・・・人に褒められること
・・・人の役に立つこと
・・・人に必要とされること
お話しを聞いている時には「本当に、そうだな・・・」と思い、少し感激すらした。でも、なにか違和感もあった。
・・・人に愛されること・・・それは素晴らしいけれど、愛されなければ幸せにならないのだろうか? 愛するだけではダメなのか? いや、愛する人がいなくても、愛されなくても幸福には関係がないのではないか??
・・・人に褒められること・・・それは素晴らしいけれど、褒められなければ幸せにならないのだろうか? 褒めるだけではダメなのか? いや、褒めることができなくても、褒められる事ができなくても幸福には関係がないのではないか?
・・・人の役に立つこと・・・その方が良いけれど役に立たなくてもその人が生きているだけで価値があるのではないか?
・・・人に必要とされること・・・人間は集団性の動物だから必要ないという人はいるのだろうか??
確かに愛されたり必要とされることは悪いことではない。気持ちも陽気になり、活気も出てくるだろう.
でも、それはいつしか強迫観念になり、その裏返しが人を苦しめる事が多い。
・・・自分は愛されていないから不幸だ、愛されたい、愛されたい、でも愛してくれる人がいない、だから不幸だ・・・
・・・自分は必要とされないから不幸だ、必要とされたい、なんとか必要とされたい、でも自分を必要としてくれる人はいない、だから絶望的だ・・・
そんなことはないと私は思う.
愛されても愛されなくても、愛しても愛していなくても、人の幸せは変わらない。愛されるということは面倒なことだ。
褒められても褒められなくても、人の幸せには関係がない。褒められようとするとやっかいだ。
人の役に立っても立たなくても、幸福とは関係がない。
必要とされようと、誰も見向きもしなくても、人生には変わりはない。
むしろ、愛されようとすること、褒められたいと思うこと、役に立とうと張り切ること、そして必要な人材になろうと努力することのほうが人を苦しめる。
人間は愛されなくても、褒められなくても、役に立たなくても、必要とされなくても、存在するだけで価値があり、素晴らしい!
愛されたいと思う心が不幸にする。
褒められたいと願う心が負担になる。
役に立とうと思う心が重圧を呼ぶ。
必要とされようと願う心が卑屈につながる。
人間は生きているだけで素晴らしい。それは人間だけではなく、どんな生き物も生きているだけで存在だ。1人ジッと土の中で暮らす虫も、野原に小さく咲く花も、誰に愛されようと誰に必要にされようと無関係なのだ。
人間の強欲、それが何かを求め、そして不幸にする.
成績が良くなければいけないって? そんなこと無いよ。
取り柄がなければダメだって? それはウソだ.
今日一日、精一杯やれば、もしかすると明日が来る.
(平成23年1月26日 執筆)
武田邦彦
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