テレビでタイガーマスクを名乗る人が「ランドセルを贈った」という話を聞いたときには心が温まりましたが、ランドセル1つが4万円もすると聞いてがっかりしました。
複雑な気持ちです。
いくら6年間は使うと言っても、子供の物ですから、1万円ぐらいで丈夫なものは作れるはずです.でも、親のみとなっては「子供に恥ずかしい思いをさせたくない」とか、もっと悪い場合は「貧弱なランドセルを持たせたらいじめられるのではないか」という心配もあるでしょう。
だから・・・(少し飛躍しますが)・・・
「貧乏は恥ずかしくない。むしろ貧乏な方が良いのだ」
ということを昔の物語を通じて、幼い児童に教えること、それはとても大切なことと思います。
小さい頃は素直ですから、まわりの大人が「貧乏は恥ずかしくないのよ。それより人間として立派になりなさい」と言ってあれば、子供たちはそう思ってシッカリした人に育つのではないでしょうか。
また、両親を尊敬し、家族が仲良く、友達とも親しく、周囲の人を大切にすることが人生を明るくすることも教えた方が、その子供にとってとても大切と思います。
いがみ合う夫婦、離婚する夫婦、兄弟が離れる家族、友達が少ない人、周囲と上手くやっていけない人・・・そんな人の多くが小さい頃、繰り返し「理想的教育=個人主義」を教えられたことを見ていると、本当に可哀想になります。
ああ、ちょっと違えば笑顔の一生を送ることができたのに!
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このような戦後の学校教育に問題があれば、それはすべて日教組の責任だとする「直結型論理」がずっと言われてきました。でも、日教組だけが悪いのではありません。素晴らしい多くの先生方もおられます.
教育には「万全」というのは無いのですから、子供の教育を担当する先生にも多くの悩みがあり、「そういわれても・・・」ということが多かったのですが、それに対して社会が「自分たちも一緒に問題を解決しましょう」という態度ではありませんでした。
また、かつて日教組の集会では赤旗が振られたり、卒業式では君が代の斉唱や日の丸の掲揚を止めたのも、多くの国民から見れば違和感があったでしょう。
そんな不幸な日本の教育にさらに打撃を与えたのが文部行政でした。公務員試験を合格しただけの官僚が、長い経験を持ち、学力、教育力ともにはるかに上の現場の先生をアゴで使ってきたのですから、ひずみが起こるのも当然です.
いわゆる「ゆとりの教育」が失敗したのも、その教育内容がわるかったというより、「日教組―自民党―文部省」という最悪の組み合わせが結果的に子供たちに被害を与えたと考えた方が良いと思います.
その点では「全国学力テスト」も同じようなものです。
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ところで、話を戻しますが、戦後の教育でもっとも大きな欠陥は、日教組も自民党も子供に「個人」を強調したことによると私は考えています。
先生方が意識していたのか、長く政権の座にいた自民党が意図的にそういう政策をとったのかはハッキリしていませんが、本当に不幸な人を多く出しました。
やむを得ず回りの人とうまくいかないとか、結婚しても離婚する人がおられますが、やはり結婚してずっと幸せな生活をする方が良いのは当然です。それができない時のことだけを教えるというのはゆがんでいると思います。
また、個人の回りには夫婦ばかりではなく、「家族、友人、学校、職場、地域社会、自治体、国家」があることもまったく教えなかったのです。教育基本法がそうなのです。
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あまりにも当然ですが、我が国の教育は
「日本人が楽しく幸福に生きる」
であって欲しい、「不幸になった時の生き方」だけを教えないでほしいと思います。その点で、「仲良く」、「意見はハッキリ、でも仲良く」、「貧乏でも質素でも幸福には関係なし」という旧来の日本の素晴らしい教育をもう一度、見直してみる必要があるでしょう。
そうすればランドセルは1万円になると私は思うのです。
(平成23年1月11日 執筆)
武田邦彦
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