猫を償うに猫をもってせよ

2011-02-06 芥川賞落選第一作 このエントリーを含むブックマーク

あなたの肺気腫を悪化させます

                           小谷野敦

 二〇二×年の冬のある日のことだった。銀座の真ん中、もと服部時計店のあった斜め向かいのビルに入っている喫茶店「クォーターバック」に、五十代、六十代の男たちが、三々五々、集まってきた。いや、よく見ると、五十代半ばかと思われる、美貌の女も一人混じっていた。

 服部時計店は、半壊状態になっていたし、まだあちこちで、ビルが崩れ落ちた痕跡が残っていた。女一人を含む集団は、個室に集うと、コーヒーやレモンティーを注文しながら、思い思いに煙草に火をつけ始めた。

 個室ではない店内でも、喫煙コーナーはあって、最新の空気整流装置が、禁煙コーナーとの間を分離していた。しかし、禁煙コーナーには、今のところ、誰もおらず、店側でも、整流装置は動かしていなかった。

 「安くなったのには助かりましたな」

 一人が言った。今、紙巻き煙草は一箱が二百円である。

 「あなたは、あれですかやっぱり、九百円になった時に、やめた口でしたか」

 「ああ、いや、七百円でやめましたよ」

 片方はセブンスター、片方はキャスターを吸っていた。

 美貌の女が、口を切った。

 「あたしはねえ、手巻きをやってたのよ」

 こちらは、昔風に、煙管を吸っていたが、洋装なので何やら不思議な風情である。

 「手巻き。私もやりましたよ。九〇年代にアメリカへ留学していた時に、あんまり高いんで、あの小さな装置でね、紙に巻いてくるくるっと」

 「でも、全然うまく詰まらないでしょう」

 「いや、中には名人がいて、市販の紙巻き並みに巻けるのも、いたそうですよ」

 それにしても……と、数人が、首をひねって入口のほうを見た。

 「主賓は、まだですかな」

 「どうなんですか、あの方、何か、特別待遇とか、そういうのは…‥」

 「いや、あの、イデオロギーの方もあるし、何しろお体が弱っているしで」

 「はあ……残念ですな」

 この国は、敗戦国であった。中国とロシヤの連合軍が、新潟沖縄から上陸して、たちまち自衛隊を壊滅させ、東京に迫撃砲が撃ち込まれた。

 発端は、尖閣諸島をめぐる中国との対立が深まったためだったが、同時にそれは、二十年近くにわたって迫害を受けて来た喫煙者たちが、禁煙法の成立をきっかけに各地で暴動を起こし始めたため、かねてから喫煙に関しては寛容だった中国とロシヤが、軍事介入したのである。米国をはじめ、西欧諸国もまた、喫煙者たちの各地での暴動に悩まされており、中露は提携して、日本に侵攻することによって西欧諸国へゆさぶりをかけることを狙ったのであった。

 安保理常任理事国のうち二カ国が立ちあがったのだから、国連は既に解体したも同然であり、米英仏は、核戦争に発展することを恐れて、中露と協議を行い、尖閣諸島中国領に、北方領土をロシヤ領にして、領土問題は存在しないという決着を日本に押し付けてきた。

 ふと、ちゃりん、ちゃりんという音がしたかと思うと、個室の入口の戸が開いて、ゆらりと入ってきたのは、七十歳くらいかと思える、金剛杖を突いた老人だった。人々は、思わず立ち上がって、その老人を出迎えた。

 その老人は、髪は半ば白くなっていたが、服装は、不断着めいたズボンに、上は茶色のセーターで、その上かららくだ色のコートを着ていた。全体に、病人かと思われるような疲労感が漂っていたが、顔つきにどこか老人になりきらない若々しいものがあって、ふと見ると、神経を病んだ若者のようにも見えた。

 待っていた人々は、口々に、その老人を「先生」と呼んで、出迎えに立って行った。老人はしかし、不機嫌そうに、一通りの応接をしながら、や、や、と言いつつ、人々が指し示す席へと、ぐったりと坐り込むと、シガリロを取り出して、百円ライターで火をつけた。

 中露連合軍が、喫煙者解放を旗印に掲げたのは、軍事侵略に何らかの大義名分をつけたいからで、たまたまこの両国が禁煙の動きに西欧諸国ほど乗っていなかったところへ、暴動が起きていたのに便乗したに過ぎなかった。内閣は、中露の要求を呑むことができずに総辞職し、かつて外務省にあってロシヤとの交渉を行っていた男が、たまたま衆議院の一年生議員だったため、首班となった。この男は、ロシヤのスパイだと疑われて逮捕され、しかしその後旺盛な文筆活動によって人気を博していた。ほかに内閣は、超党派で、親ロシヤ、親中国の政治家、文化人らで構成された。

 と同時に、「極東禁煙裁判」と通称される裁判が、連合軍主導で開かれ、政治家、官僚のうち、喫煙者迫害を推進した者たちが、憲法十三条の、幸福追求権の侵害を名目として召喚され、裁かれるにいたった。禁煙運動にひときわ熱心だった国会議員の蚤山陽子や、禁煙条例などを制定した県知事も被告となった。民間からも、JR東日本、各新聞、テレビ、病院、大学などの責任者が取り調べを受けたが、世界中を驚かせたのは、自動車会社から出ていた禁煙運動のための資金が摘発されたことで、GM、フォード、ダイムラーといった米国系の会社の資金の流れが明らかにされたため、米国政府も青くなった。これをきっかけに、自動車公害を指弾してきた政治家や市民団体は、中露連合軍とこの裁判を支持する側に回った。

 いま、そこに坐った老人は、平尾龍一郎という、倫理学者である。平尾は、東大で文学博士号をとり、博士論文『カントと中庸の倫理学』を刊行して、新進の学者として一部の注目を集め、四十歳になる前に、千代田区のど真ん中にある、私立山際女子大学に助教授として迎えられ、しばしば新聞、雑誌に寄稿し、また一般向けの著作も刊行していた。

 平尾は、一日三箱は吸う喫煙者だったが、二〇〇三年に千代田区で、路上喫煙に課金するという条例が出来ると、これに反撥し、自動車会社が自動車の害から目をそらすための陰謀であると言って、地下鉄の駅から勤務先の大学まで、堂々と歩きたばこを続け、区の取り締まりの人間と路上で激しく言い争い、課金の支払いを拒んだ。既に一九九九年に、飛行機内が全面禁煙となり、海外の学会へ行ったりすることは出来なくなっており、ほかにもそういう憂き目に遭っている喫煙者の学者はいたが、みな静かに耐えるか、エッセイなどで憤懣を漏らす程度だった。平尾は、日航全日空を相手どって訴訟を起こしたが、敗れた。

 「禁煙ファシズム」と名づけられたこの動きを批判する知識人は多かったが、平尾は身をもって抵抗し、禁煙地区でも、人がまばらであれば吸い、京王や小田急のプラットフォームではしばしば駅員と口論となった。その京王、小田急東武、西武の各私鉄、新幹線を禁煙にし、続いて首都圏の駅プラットフォームを禁煙にしたJR東日本、厚生労働省などを訴えたが、すべて敗訴した。遂には、平尾が勤める女子大が、敷地内禁煙となり、平尾はそれでも歩きたばこを続け、青空の下での禁煙などは西欧でもやっていないと主張したが、新聞はみな足並みを揃えてこういった発言を載せないようにした。タクシーの禁煙、煙草の増税、飲食店を禁煙とする条例を作る県知事など、攻勢は続き、平尾はこれを批判する著作のほか、専門の著書は出し続けた。新聞やテレビがたまに取材に来ると、彼らは喫煙している姿を撮りたくなかったが、平尾は頑として、喫煙していない写真や映像を撮られることを拒んだ。新聞やテレビは、平尾を敬遠するようになった。

 二〇〇七年の夏休み、人もまばらなキャンパスへ出かけた平尾は、相変らず喫煙しながら歩いていたが、そこを、構内パトロールで回っていた女性老教授の井桁森子に見つかり、口論となった。この井桁は、キリスト教系のその大学の、理事長の側近だったから、平尾は解雇通告を受け、大学を相手どって地位確認の訴訟を起こしたが、またしても敗れた。平尾が裁判を起こしても新聞は報道せず、敗訴すると、平尾に取材もせずに、妥当な判決だ、とする小さな記事を載せた。平尾は、一切新聞をとるのをやめた。

 その後の平尾の人生は、禁煙ファシズムのために狂ってしまったようなものだった。いずれは東大教授と言われた平尾は、あらゆる大学から敬遠され、文筆で生計を立てたが、年収は三百万に達するか達さないかだった。マンションには住めなくなって二間のアパートへ移り、ほとんど外出もせずに、カネのための新書を執筆し、カネにならない論文を書いた。それらはウェブサイトを作って載せ、評価する者もあったが、あちこちに平尾を罵るヒステリックな禁煙運動家がサイトを作った。外出しなくなったのは、ほとんどあらゆる場所が禁煙になったからで、電車に乗ろうとすればプラットフォームで喫煙して駅員と怒鳴り合いになり、タクシーは禁煙だったし、平尾は自動車を運転しなかった。

 平尾は若い頃に一度結婚したことがあり、相手は才色兼備を謳われた社会学者の秦泉寺真帆子だったから、世間から羨ましがられたが、真帆子は一人娘で、父親の秦泉寺重輔が、家名を残すことに固執したため、不断はとてもフェミニストだとは思えない真帆子は、夫婦別姓論者だと主張して入籍を拒否した。いざ結婚してみたら気性の激しい女で、一ヶ月に一回は、皿を投げた。その原因は、夜十一時ころに、アイスクリームが食べたいから買ってきてと言われて、平尾が拒否したというようなことだった。同時に真帆子は嫌煙家でもあって、平尾に断煙を迫ったから、当初平尾は「禁煙外来」というところへ行った。当時はまだ、保険の適用は行われていなかったが、平尾の断煙は、四時間しかもたなかった。一年半で、離婚した。女はその後、東大の助教授になった。

 平尾が失職した頃、その女は社会格差の広がりを憂える、正義派的な論調の著作を出して人気が出て、テレビで、漫才コンビの番組にも出た。平尾は、喫煙率は労働者のほうが高いことは明らかなのに、矛盾を感じないのかというメールを出したが、返事はなく、平尾は自身のウェブサイトでその女を攻撃したが、事情を知る人々は、捨てられた怨みだと噂した。その内、女は参議院選に出馬して当選し、少子化担当大臣になり、夫婦別姓法案を通してしまった。

 五十代半ばで、平尾は病に倒れた。胸がときどき痛むのも、昔からのことなので放置していたら、ある晩、激しい疼痛に襲われ、耐えられずに救急車を呼んだ。狭心症だったが、医者は、「煙草は吸いますか」と訊き、平尾が暗い顔で、吸う、と答えると、やめたほうがいいですねえと言った。平尾はもう十年以上、医者へは行っていなかった。かつて、歯医者へ通っていた時に、どうやら親から歯科医を受け継いだらしい女医が、行くたびに、煙草をやめろやめろとうるさいので、行かなくなったことがある。歯学部なんてのはバカが行くところだ、と言いながら診察室を出たのが最後だった。

 医者は入院を勧めたが、そんなことをしたら喫煙できなくなると思った平尾は、頑強にこれを拒んで、ニトログリセリンだけ貰って帰宅した。

 何も生命を賭けてまで吸おうというのではない。煙草の数は減らしたが、ほとんど何もできなくなり、半日寝て暮らす日々が続いた。ニコチン切れを起こすといらいらするなどというのはまだ中毒が浅い。平尾の場合、全身脱力に襲われ、ほとんど病人も同然になってしまうのである。

 年に三冊ほどの著作を出すことはできた。しかし、新聞から干されているから、一切新聞書評は出なかった。六十歳を前にして、絶望のために平尾の心身は弱っていた。そんな時に、長く帰郷していなかった岩手県の父が脳梗塞で倒れたという報せがあった。しかし、帰郷しなかったのは、東北新幹線が禁煙だからである。

 平尾は、父を愛してはいなかったが、母を愛していた。おろおろ声で電話してくる母を見捨てておけず、各駅停車に乗って岩手県へ帰り、そのままそこに居ついた。三年寝付いて父は死んだが、下手に意識があるので、同居したくなかった平尾は、近くにアパートを借りてそこに住んでいた。もうその頃は、インターネットを使えばたいていの資料がすぐに見られるか入手できるようになっていたから、平尾は、時おり母の手作りの料理を食べ、アパートへ持ち帰りして、以前より豊かな食生活ができるようになった。

 「や、今度は、しばらく東京に住まわれるおつもりで」

 と一人が口を切った。平尾は、じろりとその男のほうを見て、

 「ああ、母もまあ、一人で何とかやっていけそうだし、近くに妹もいるしね」

 すると別の一人が、

 「ああほら、ずっと禁煙だか嫌煙だかの運動をして『月刊嫌煙』を出していた、あの、元自動車会社社員の田辺文章ね、連合軍に引っ張られて、結構毎日、きつい取り調べ受けてるそうですよ」

 「ふん」

 平尾は、口の端で笑ったが、目つきは相変わらず不機嫌そうだった。

 「……まあ、こういう時こそ、平尾先生に声がかかって、大臣に、とかいうことになるのが筋ですけれどねえ」

 と口を滑らせた男に、ほかの人々が、しっ、余計なことを、という身ぶりをした。平尾が不機嫌なのは、そういうことがまったくないからだ、とみな思っていたからである。

 「あのブタが総理じゃ、そんなこともあるめえ」

 平尾が、べらんめえ口調で言ったので、みな、あははは、と作り笑いをした。

 集合場所が喫茶店になったのは、平尾が、酒を呑まないからである。それに、パーティなどで、酒は飲むが喫煙はダメというようなものが、この十数年ほど存在したことで、平尾はますます酒呑み嫌いになっていた。もっとも世間では、平尾は、呑まずに管を巻ける男とも言われていた。コーヒーが届き、平尾はひと口啜った。

 「しかしどうなるんだろうねえこれから」

 といった調子で、みながてんでに口を開き始めた。平尾は、いくらか表情を緩めて、そんな連中をぼうっと見ながら、コーヒーを啜っていた。シガリロは、灰皿に置かれたまま、少しずつ、灰になっていく。

 昔の映画やテレビドラマを観ると、みんなどこでも喫煙しているのに、禁煙ファシズム時代になってから作られた、そういう時代を描いた映画やドラマを観ると、若者が集まって酒を呑みながら話しているのに、誰も煙草を吸っていない、そういう時代が、十数年続いた。昔はみなが喫煙しながら行われていた討論番組も、いつしか誰も吸わない、吸わせない時代になっていた。おじいさんが子供たちを前に昔の話をする絵本で、おじいさんが煙管を咥えているというので、抗議した者がいて、出版社はその絵本を回収してしまう、そういう時代があった。それは、終ったのか。終りはしないだろう。

 「そういえば、あの『あなたの肺気腫』だけどね」

 宮田が言い出した。みな、ああ、とすぐ反応した。

 煙草のパッケージには、昔から「吸いすぎに注意しましょう」という注意書きがあり、かつては子供や若者の間で、煙草の箱には二つの国名が書いてある、というクイズがあって、それは「日本専売公社」の日本と、「吸いすぎ」の「スイス」だというのが答えだったのだが、禁煙ファシズム時代になって、その警告文を箱の半分以上にせよという法律ができて、「喫煙は肺がんの危険を高めます」「心筋梗塞の危険を…」「周囲の人の健康を損ないます」といったものが書き込まれた。しまいには、喫煙が原因だとする病変の写真まで載せるようになった。その中に、「たばこはあなたの肺気腫を悪化させ」というのがあり、これでは、まるで煙草を購入した人が肺気腫のようだ、と言われたものだが、そういう指摘があっても、なぜか一向に直らなかった。どこか外国、日本のことだから米国あたりの警告文の語訳ではないかと思って調べた人もあったが、いずこも「肺気腫の原因になる」といった文章であった。

 宮田は、

 「あの『あなたの肺気腫』って表現が、購入者に恐怖を与えたってことで、責任者の追及が始まってるって」

 「へえ、どこ? 誰?」

 「それが分からないんだって。JTと厚労省の旧幹部が、責任を押し付け合ってるんだってよ」

 みなが、わははは、と笑い声をあげた。

 平尾も、片頬でふ、と微かに笑ったが、その笑いが収まった時、場に空白が生じた。

 「アダムよ、お前は、どこにいた……」

 平尾が小さく呟いた。一人が、え? と平尾のほうを見たが、ただ何か言っただけのようだったので、気に留めなかった。町では、ロシヤ語や中国語の本が飛ぶように売れ、人々は、別れ際に「ツァイチェン」と言い、「ありがとう」の代わりに「スパシーバ」というのが流行っていた。JTの株は値上がりを続けていた。

 「ホゲホゲ、タラタラ、ホゲタラ、ぴい……」

 平尾が、小さな声で、おかしな歌を歌い出した。さすがに、みな気づいて、平尾のほうを見た。小声で、

 「何だ?」

 「『どろろ』だと思う」

 平尾の声は次第に大きくなって、

 「お前ら、みいんな、ホゲタラ、だあ!」

 と言うと、そこにいる連中をぐるっと見廻した。それから、一人のほうを、右手で金剛杖を掴むと、あたかもその先端で指さすようにした。それは、山城女子大時代の同僚だった小菅信夫で、平尾を支持していたはずの男だった。

 「小菅、お前、遂にいっぺんも、構内では喫煙しなかったな」

 「え……」

 「聞いてるよ。小菅先生は、平尾先生を応援していても、ご自分では構内で吸ったりなさらないからいい、って言われてたのを。定年まで務め上げて、名誉教授だってな」

 「い、いや、そんな平尾さん……」

 「それだけじゃない。あの時、『平尾さんが面倒くせえ』って学生に言っただろう」

 小菅の顔が引きつった。

 矛先は、次の宮田次郎に向った。「宮田」

 「は、はい」

 「お前、大学教授になってから、禁煙ファシズム批判を始めたな。それまでは、そういうことは一切言わなかっただろう」

 「……いや、それは」

 「公の場では言わなかっただろう」

 「……え、ええ」

 吉澤久子、というのが、唯一の女性だったのだが、ここで声を挙げた。

 「平尾さん、それはしょうがないわよ。みんな、生活があるんですもの」

 平尾は、ぎろりと吉澤久子を睨んだ。

 「吉澤さん、あんた、ドイツ文学の学者だろう」

 「……え、はい…‥」

 「ケストナーはナチスから亡命せずに戦った、ってそれはケストナーがユダヤ人じゃなかったからだ。永井荷風は戦争に協力しなかった、ってそれは荷風には莫大な財産があったからだ」

 「……そうです」

 「生活に困りゃあ、ユダヤ人を密告もするわなあ」

 「誰も、密告なんて、してないじゃありませんか」

 「そうとも、誰も、密告なんてしない。それが現代のファシズムだよ。その代わり、誰も俺のように、一生を台無しにしたりはしない。それも現代のファシズムだ」

 みな、静まりかえった。

 「なんで戦争に反対しなかったの? それは、生活がかかっていたからだよ、ってな」

 いきなり、小菅が、床に土下座した。

 「すみません、『面倒だ』ってのは、言いました。この通り、謝ります」

 しかし平尾は、ゆっくりと、金剛杖を突いて、立ち上がった。

 「あんたの謝りは受けておくよ。ただまあ、もう会いたくはないがね」

 そして平尾は、テーブルの上のコーヒーをもう一口啜ると、

 「まあ、あとはあんたらで、ゆっくり酒でも呑むこったな。俺の……」

 悪口でも肴にしてな、と言い掛けて、平尾はやめ、

 「じゃまあ、ダ・スヴィダーニャ!」

 そう言って、平尾はドアから出て行った。そして、金剛杖の音を、ちゃりんちゃりんと音高く立てながら、立ち去って行った。

 残った者たちは、ほうっとため息をついた。

 定村が、泣きながら土下座したままの小菅に、

 「小菅さん、もういいよ」

 と言って立ちあがらせた。

 「しょうがないよねえ、みんな自分がかわいいんだから」

 「あの爺さんだって、あれだぜ、本当は教授の井桁と口論になったこと、ブログに書いたりしたから問題になったんだぜ」

 「おおいおい、そこまで言うのはよそうや…‥」

 平尾龍一郎が、階段を上がって、金剛杖をひょいと小脇に抱え、長めの舗道を歩いて行くと、小ぶりのダイハツミラがそこに停車していた。運転席には、五十代半ばであろうか、しかし美貌の、年相応に豊満な体つきの女がいて、平尾を認めると、手を伸ばして助手席のドアを開けた。平尾は乗り込んだ。

 「ホントにやってきたの?」

 「ああ」

 女は、クルマを発進させた。作家の田鎖朋子という、平尾の昔の愛人である。

 「ちょっと、不遇のあまり心が歪んでしまった爺さんを演じただけだよ」

 「狂人の真似なりとて大道を走ればすなわち狂人なり、でしょ」

 「まあね」

 「……ったく、狭心症の発作の時に、煙草やめたくせに、各駅停車で岩手まで行き来したとか、よく言うわよ」

 「最初の一回はホントに各駅停車だったぜ。けどこれじゃたまらんと思ってさ」

 田鎖朋子は一昨年、へヴィースモーカーだった夫を亡くしていた。

「吸うのはやめてても、ここじゃ吸えない、って思うと、耐えられなくなることがある」

 「……手をなくした人間でも、そこがかゆくなるみたいな?」

 「なんか、不謹慎な比喩だな」

 少し、田鎖朋子は黙った。

 「そいで、前の奥さんとは話がついたの?」

 「ああついた。恩賜の煙草復活で、俺が最初の奴を貰うことになった」

 「ちょっとアンタ、天皇制に反対なんじゃなかったの!?」

 平尾龍一郎は、声を立てて笑った。           (了)