鳩山氏「抑止力は方便」本紙インタビュー

辺野古回帰 理屈付け

普天間移設 戦略の欠如 陳謝

2011年2月13日 09時15分この記事をつぶやくこのエントリーを含むはてなブックマークLivedoorクリップに投稿deliciousに投稿Yahoo!ブックマークに登録
(23時間6分前に更新)

 【東京】鳩山由紀夫前首相は12日までに沖縄タイムス社のインタビューに応じ、米軍普天間飛行場の移設をめぐる政権時の取り組みや対米交渉の全容を語った。移設先を名護市辺野古と決めた理由に挙げた在沖海兵隊の抑止力について「辺野古に戻らざるを得ない苦しい中で理屈付けしなければならず、考えあぐねて『抑止力』という言葉を使った。方便と言われれば方便だった」と弁明し、抑止力論は「後付け」の説明だったことを明らかにした。

 さらに「海兵隊自身に抑止力があるわけではない。(陸海空を含めた)四軍がそろって抑止力を持つ。そういう広い意味では(辺野古移設の理由に)使えるなと思った」と語った。前首相が抑止力を後付けとする理屈を挙げたことで、あらためて日米合意の是非に関して論議を呼びそうだ。

 2009年12月上旬に現行案での決着を逡巡(しゅんじゅん)したと明かした上で、その時点でホテル・ホテル訓練水域の制限解除など、昨年5月の日米合意に盛り込まれた負担軽減策の骨格は米側から引き出せていたと指摘。「軽減策とのパッケージで辺野古に理解がもらえるか考えたが、政治的に持たないと判断し(移設先決定を)延期した」と述べた。

 日米合意の直前には沖縄、日本政府、米国の三者による協議機関の設置構想を持ち、5月の2度目の来県時に仲井真弘多知事へ打診したと明かした。知事が「知事選前にそのようなことはできない」と話したため、構想を断念したという。

 決着期限を10年5月としたのは7月の参院選の争点化を避けるためだったと明言。5月の大型連休に渡米しオバマ米大統領との直接交渉を検討していたとし、実現できなかったことを「後悔している」と振り返った。

 09年の衆院選で「最低でも県外」と掲げたことについては「民主党の沖縄ビジョンに書かれていることを言った。順序立てた見通しがあったというより『しなければならない』という使命感だった」と述べ、戦略性が欠如していたことを認めた。結果的に実現できなかったことには「詰めの甘さがあった。申し訳なく思っている」と陳謝した。

 県外の移設先として鹿児島県徳之島を模索し始めたのは09年内の決着を先送りした直後だったとし「地上部隊を沖縄に残してヘリ部隊だけを移すとなると距離的にギリギリと考えた」と説明。徳之島が自身の「腹案」だったと明かした。

[ことば]

 抑止力 軍事・外交戦略上の用語として、一般的には、部隊や武器を保有して、いつでも報復できる構えを維持することで、相手国からの攻撃や侵略を未然に抑え込む能力のことを指す。鳩山前首相は米軍普天間飛行場の沖縄県外移設を断念した理由を「学べば学ぶにつけ、海兵隊のみならず沖縄の米軍が連携して抑止力を維持していると分かった」と説明していた。

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