2011年02月13日

ジェフリー・パーカー『フェリペ二世の大戦略』(Geoffrey Parker, The Grand Strategy of Philip II, 2000)

【レビュー】ジェフリー・パーカー『フェリペ二世の大戦略』(Geoffrey Parker, The Grand Strategy of Philip II, 2000)
 蔵原大

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The Grand Strategy of Philip II

The Grand Strategy of Philip II

  • 作者: Geoffrey Parker
  • 出版社/メーカー: Yale University Press
  • 発売日: 2000/04/012000/04/01
  • メディア: Paperback



 『フェリペ二世の大戦略』( The Grand Strategy of Philip II )は、「軍事革命」(military revolution)の研究者として高名なジェフリー・パーカーの手による、近世ヨーロッパのスペイン帝国に君臨したフェリペ二世の行政手腕を題材として大国の「戦略文化」(strategic culture)を考察した学術書です。著者パーカーは、以前 『長篠合戦の世界史―ヨーロッパ軍事革命の衝撃1500〜1800年』(The Military Revolution: Military Innovation and the Rise of the West, 1500–1800)という本を出しているので、ご存知の方もおいでのことでしょう。

 その大まかな内訳は以下の通り。
 序論:フェリペ二世には大戦略があったのか?
 第一部:戦略文化の内容(The Context of Strategic Culture)
 第二部:大戦略の構成(The Formation of Grand Strategy)
 第三部:大戦略の実施(The Execution of Grand Strategy)
 結論:人と組織(Agent and Structure)

 今回紹介本の内容はもちろん近世史(16〜17世紀の話)ですが、近現代の戦略問題を研究する諸氏にも大いに注目されるそのわけは、本書が「なぜ歴史上の超大国はどれもこれも永続できなかったのか?」という普遍的問題を探求しているからでしょう。有り余る金銀人地に恵まれていたはずのスペイン帝国が、イギリス、フランスなどヨーロッパ各国を敵に回して戦い疲れたその衰亡の過程については、ポール・ケネディ『大国の興亡』マーレーら共編『戦略の形成』でも詳しく論考されていましたが、そのいわば集大成的な存在が『フェリペ二世の大戦略』です。戦略学や近世史のみならず政治史、経営学などにも応用できる材料に富んでいることからして、邦訳が待たれる所です。もちろんゲームの領域でもお役に立つ......と思いますよ。

 ちなみに「戦略文化」とは、おおむね政策立案の思想的土壌である「一般的な信条、態度、行動の諸様式の集合」(a set of general belief, attitudes, and behavior patters)を意味しています(*1)。すこし本題から外れますが、日本における戦略研究の第一人者である石津朋之は「戦略」という誤解されやすい用語の定義として「元来、戦略は政治の領域を含んだものである」「戦略と戦争計画を混同してはならない。今日においては戦略とは軍事力を行使して(あるいは行使すると脅して)他者に影響を及ぼすことであると限定することも現実的ではない」「軍事戦略および国家戦略の領域に限っても、戦略という用語は、今日では戦争を回避するための方策、抑止、さらには戦後のより良い平和を構築する方策などを含めて語られるのが常である」と言及しています(*2)。こうした「戦略」とそれを作り出す「文化」の有様に焦点を当てているのが、今回のパーカーの研究書なのです。

 さて話を戻して『フェリペ二世の大戦略』が強調するのは、超大国が直面する戦略上のジレンマ、すなわち超大国は多くの資源、多くの利権を得てその地位を保全しているが故にその護持にやっきになって戦略上の柔軟性を欠き、ときには撤退して重要な地点に力を割り振った方がいい場合であっても、目先の利権や手持ちの資源を失うのが惜しくて負け戦を続ける、という状況の皮肉さです。書中には例えば「政策というものを組み立てる個々人は、大抵の人がそうするように物事を利点だけでなく利益と損益の観点から考察する。もっとも、人の精神は損と得とを対等に見なしはしない。逆に、大抵の人は利益を得るためにではなく損するのを避けるために大きな危険を冒しがちのようである」(*3)という一文がありますが、つまりは「ドカ貧を恐れてジリ貧になる」道を選ぶ戦略文化がなぜ正当化されるのか、『フェリペ二世の大戦略』はその問いに対する一つの答えを示しているように思えます。そこが、本書が単なる事例研究に留まらない普遍的な価値を備えている所以といえましょうか。

 ところで2008年9月、科学誌『サイエンス』にある論文が載りました。「高値の付けすぎへの理解:合理的競売を設計するための報酬に関する神経回路の活用」(Understanding Overbidding: Using the Neural Circuitry of Reward to Design Economic Auctions)と題された行動経済学者と脳科学者の合同調査報告書は、旧来の合理的観点から組み立てられた経済理論への反証として、人の行動とは「勝利の喜び」(joy of winning)ではなく「危険の回避」(risk aversion)からでもなく「敗北への恐れ」(fear of losing)によって誘導される傾向にある、と分析しています(*4)。簡単にまとめれば、競りの参加者は賞品を得たいからではなく、むしろ賞品を得るために投じたお金や時間に見合った「何か」を得たいがために、賞品本来の値打ちを上回る額の金を投じる事さえ辞さない、ということなのです。競りの参加者の脳をMRIで検査した末に導き出された結論の信頼性はともかく、歴史上の大国がどうして負け戦にこだわって戦力を逐次投入したのか、その問いにこれまた一つの答えが示唆されています。

 かつて日本帝国は中国大陸における利権を保持すべく、それに反対する中華民国やアメリカ合衆国と争って国家的破産を体験しました。そのアメリカは今イラクから撤退し、アフガニスタンでは泥沼の戦局に喘いでいます。振り返って日本を思えば尖閣諸島、竹島、千島列島などの領土問題で周辺諸国と齟齬を来たしています。大国はなんのために、どこに、どのくらい、いつまで資源を投入すべきなのでしょうか? これは経営学・地政学とも関わってくるでしょうが、中枢部の安全と周辺部の確保はどのように折り合いを付けるべきでなのでしょうか? 『フェリペ二世の大戦略』を読んでフェリペ二世を嘲笑する人は、いずれ後世に同じく嘲笑されるのでしょうか? ここから先は読者御自身が世の中に対してお答えいただいたくお願いします。

 そうそう、超大国とか戦略といえばこんな記事もありますね。
○ 戦略の迷走:『空の境界』と『キラーエンジェルズ』の場合
○ 『秘身譚』とルナー帝国(第1回)

新訂 孫子
 塗に由らざる所あり。軍に撃たざる所あり。城に攻めざる所あり。地に争わざる所あり。君命に受けざる所あり。

  ―『孫子』「九変篇第八」―



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【脚 注】
(*1) Jeffrey S.Lantis and Darryl Howlett, "Strategic Culture," John Baylis, James J. Wirtz, Colin S. Gray and Eliot Cohen(eds.), Strategy in the Contemporary World : An Introduction to Strategic Studies―2nd ed. (Oxford University Press, 2007), pp.85-6.
(*2) 石津朋之「解題―戦略の多義性と曖昧性について」ウィリアムソン・マーレ他編著、歴史と戦争研究会訳、石津朋之、永末聡監訳『戦略の形成(下)』(中央公論新社、2007)、535、536、537頁。
(*3) Geoferey Parker, The Grand Strategy of Philip II (Yale University Press, 2000), p.283.
(*4) Mauricio R.Delgado, Andrew Schotter, Erkut Y. Ozbay, Elizabeth A. Pehlps, "Understanding Overbidding: Using the Neural Circuitry of Reward to Design Economic Auctions", Science (Vol.321, Number 5897, 26 September 2008, American Association for the Advancement of Science), p.1852.
posted by AGS at 22:25| レビュー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする