岡崎の移籍騒動が痛い

2011年2月13日

ご存知のように、岡崎がブンデスリーガ出場どころかスタンド観戦となっている。清水エスパルスの言い分がオフィシャルサイトに掲載された。面白いのは、過去に清水エスパルスが逆の立場でシドニーFCのプロスクと移籍交渉してトラブルになったという過去があることだ。清水エスパルスは、過去から何を学んだのだろう。一方のシュツットガルトからすれば1月末ギリギリまで待った立場。「清水さんも、もう他のクラブに移籍させる先がないでしょ?」と考えている訳だ。「明日には他のJクラブが移籍金ナシで獲れちゃいますよ、それならウチでいいでしょ」という状況なので何で移籍金支払が必要なのかと考えるのも当然だ。

私は清水エスパルスの姿勢に同感できない。ルールを盾に「移籍金を払え」と主張している。オフィシャルサイトを読むと、何が何でも移籍金の支払いを求めていくように解釈できる。岡崎を取り戻そうという気はないようだ。

要は、清水エスパルスは岡崎に対して複数年契約をする価値はないと考えているが移籍金だけは欲しい、ということだ。なんと都合の良い話だろう。移籍金が欲しければ過去に複数年契約をしておけばよかったというのに。自分は選手に金を払わないが、他のクラブからは金を欲しいと主張する、それが清水エスパルスに同感できない理由だ。

私はサッカー界の人間ではないが、私の交遊範囲でも清水エスパルスの人事の悪い話を聞くことが出来る(人づてにではなく直接。しかも、かなり優秀な人から)。そして以前の勤務先では、静岡県から西の全Jリーグクラブと仕事上の接点があったが、その担当する口の悪い同僚からは辛辣な表現を得ている。
「清水エスパルスの営業っていうのは営業っていうより物乞いに近いよ。ただ、金くれ金くれって言うだけ。」
ここでは詳細を紹介しないが、当時、特に工夫や提案なく、オマケするから__して、という手法が特に目立ったのが清水エスパルスというクラブなのだそうだ。すでに、その話を聞いてから何年も経っているので、今も同じ営業手法という訳ではないだろうが、人事の話は1年前に聞いたこと、悪い社風は、今も続いているのかもしれない。

なぜ、このようなことを書いたかというと、今回の移籍騒動では、清水エスパルスが、ただダダをこねているようにしか見えないからだ。先シーズン終了後、多くの選手たちが清水エスパルスから去っていった。そして、この騒動。これでも、有望な若い選手たちは、清水エスパルスを選ぶのだろうか。逆に、J2時代、柱谷監督(実施的にGM兼任)時代のモンテディオ山形は、J1クラブからのオファーは必ず選手に伝え、円満な移籍実現に努力するという方針で、下部リーグ所属の選手たちの信頼を集め、有力な選手たちを獲得しモチベーションを向上。遂にはJ1昇格を果たしたという例もある。

損して得とれ

清水エスパルスには再度考え直してもらいたい。そして、もし考え直すことなく、しかもシュツットガルトが移籍金を支払わず移籍話が破綻した場合には、他のJリーグクラブにあっさりと移籍金ナシで岡崎を奪われ、自らの考えの小ささを思い知ってほしいものだ。私は目先の金より、選手への正当な評価と、移籍の活発化によるフットボールの活性化を支持したい。

宮市の初ゴールに思う

2011年2月13日

オランダリーグ1部にアーセナルからレンタル移籍している(ってプロフィールだけで凄いな)宮市がデビュー2戦目にしてゴールをゲットした。しかも、このゴールが素晴らしい。さらには、宮市はウイングとして大活躍したデビュー戦で8点という破格の採点を得ている。

注目なのは宮市がウイング、しかもウイング王国のオランダの名門クラブ(といっても低迷中)でポジションを得て活躍をしているということだ。サイドバックを除くと、日本ではウイングプレーヤーがなかなか大成しない傾向にあると思う。過去を思い起こして名選手として名前が挙がるのは、杉山、奥寺。この10年で記憶に現れるのは、平野、石川、山岸・・・なかなか名前が出てこない。また、カズのようにブラジルではウイングプレーヤーとして活躍したが日本リーグでは期待されたほどの活躍ができずストライカーに転身して大ブレークという例もある。

フットボールスタイルの志向性などもあり、一概に結論付けすることはできないが、その原因の一つは日本人の心の中にあると思う。日本では、今だにセンターハーフ、トップ下、司令塔が絶対的にナンバーワンのポジションなのだ。
「サイドとか・・・。」
というコメントを聞いた記憶はある。学生時代から中央でプレーしていた選手は、監督に、その特性を見出されてもサイドでのプレーを「都落ち」かのように感じるのだろうか。

一つ期待したいのは宮市がウイングプレーヤーとして徹底的に活躍を続けること。宮市が活躍すれば日本のフットボールのポジション・ヒエラルギーを崩してくれるかもしれない。個性的な選手の出現を願い、宮市の活躍に期待する。

素晴らしき映画の中のFOOTBALL

2011年2月11日

前回、エリック・カントナが登場する映画「エリックを探して~Looking for Eric~」について書いたが、過去にもFOOTBALLが登場する映画を沢山見てきた。少し紹介しよう。

古くは「勝利への脱出」をペレ見たさに映画館に見に行った。ただ、最初に見たのは中学生の頃だったので、この映画の本質を知ることは出来ていなかったようだ。Jリーグが始まった後に見て、この映画の中でサポーターの勤める、あまりに大きな存在感に驚いたものだ。満員のスタンドが歌い上げるチャント、敵に対するブーイング。Jリーグが始まらなければ、その意味を理解することは出来なかったかもしれない。アルディレスも出演している。

FOOTBLLを主役に置いた映画も多々あるが、私の好みは、ストーリの中にFOOTBALLが登場する映画。例えば、韓国映画の大ヒット映画「シュリ」。ストーリーのクライマックスは韓国と北朝鮮両国首脳が列席するサッカー南北親善試合。会場は懐かしの蚕室。映像は韓国代表×中国代表の親善試合が使われている。

中東を舞台にした映画では「オフサイド・ガールズ」。この映画はFOOTBALLを見たい女の子が主役。プレーシーンはほとんど出てこない。舞台は日本が苦汁をなめたワールドカップ・ドイツ大会予選。観客に死人が出たことでも知られる一戦。この試合をどうしても生で見たい女の子たちがスタジアムに潜入しようとするお話し。ご存知のようにイラン国内では女性の観戦は御法度なので、観戦は至難の技。元気いっぱいに女の子たちはチャレンジする。そういえば澤選手に推薦文を書いてもらったなー。あと、今日、予告編を見直して気が付いたのだが、ブブゼラが出てくる。

欧州の映画では「グッバイ・レーニン!」。80年代から90年代を舞台に東ドイツの崩壊を、ある家族のストーリーで描いた映画。となれば、そこに登場するのは1990年イタリアワールドカップ。西ドイツ最後の優勝が重要な出来事の一つとして登場する。コメディーで、かつほろ苦さのある名画。

そして、最後に紹介するのは「明日へのチケット」。エルマンノ・オルミ、アッバス・キアロスタミ、ケン・ローチ、カンヌ映画祭パルムドール(最高賞)受賞経験のある3人の名匠3人の短編を繋いだ作品。その中でもケン・ローチのパートが、もの凄く良い。そう、ケン・ローチは「エリックを探して~Looking for Eric~」の監督だ。ローマに遠征する「セルティック」サポーター3人が夜行のインターシティの中で遭遇する事件。自分だったらどうするのだろう、と考えながら見てしまう心に訴える作品。さすがケン・ローチ。

いずれの作品も映画の中にFOOLBALLを取り入れながら巧みに、当時の社会問題をストーリーの背景に盛り込んでいる。逆に、FOLLBALLが社会と密接に結びついたモノなのだから、自然と、このような作品が成立するのだろうか。アジアカップでFOOTBALLの力を更に実感した日本でも、こんな映画が、近い将来に登場するに違いない。

エリックを探して

2011年2月6日

エリック・カントナが登場する映画「エリックを探して~Looking for Eric~」を見てきた。色物に見られそうな映画だが、監督はファーガソンっじゃなくってカンヌ受賞監督のケン・ローチ。気が付いた人も多いと思うけど、英文タイトルはKINGカントナのダジャレになっている。作品も英国流のブラックジョークが満載で前の席をカンフーキックしそうになるくらいに笑った。

しかし、この映画はコメディーではないんだな。最後には涙がだー。カントナも素晴らしいけれどフットボールは素晴らしい。そしてサポーター仲間は、さらに素晴らしい。映画が終わったら、そっと襟を立てて、夜の街に歩を進めたよ。

この映画を、もし見る人がいたら、見る前に、この記者会見について知っておいた方が良い。

「カモメの群れは、漁船を追いかける。なぜなら、イワシが撒かれると思っているからだ。以上。ありがとう」

95年のカンフーキック事件で、24時間の勾留から釈放された後の記者会見のコメントだ。スキャンダルに群がるマスメディアをカモメに例えて揶揄した、この短時間の記者会見シーンが、映画の中でも出てくる。

元日本代表の西澤は、自らが襟を立ててプレーしていた理由を「カントナがカッコ良かったから」と語っている。カントナこそがフットボール界のオンリーワンのカリスマ。久しぶりに、あのナイキのCMを見たくなった。

長友移籍を機会に名門度を調べてみる。

2011年2月5日

長友のインテル移籍には驚かされた。わずか一年前には二部落ちする日本のクラブに所属していた。ワールドカップ後にイタリアの弱小クラブに。アジアカップが終わればイタリア随一の名門のインテルだ。世界一のサイドバックを目指すというフレーズも良い。東京で左サイドを始めた時は、まったくプレーできていなかった。人並みはずれた努力が、彼のステップアップを支えているのだろう。

さて「名門インテル」というが、どれくらい名門なのだろう。セリエA5連覇中。クラブワールドカップ優勝。その戦績はユベントスに匹敵する。

獲得した国際タイトル
●FIFAクラブワールドカップ:1回
●UEFAチャンピオンズカップ/UEFAチャンピオンズリーグ:3回
●インターコンチネンタルカップ:2回
●UEFAカップ:3回

これは凄い。間違えなく名門中の名門だ。スクデットも18回獲得している。

さて、そこで、過去、日本人が所属した海外クラブの名門度(主に国際タイトル)を比較して「日本人が所属した海外クラブ名門10」を選出してみた。意外な顔ぶれもある。

1 インテル・ナショナル(イタリア)

●FIFAクラブワールドカップ:1回
2010
●UEFAチャンピオンズカップ/UEFAチャンピオンズリーグ:3回
1963–64, 1964–65, 2009-10
●インターコンチネンタルカップ:2回
1964, 1965
●UEFAカップ:3回
1990–91, 1993–94, 1997–98

2 ボカ・ジュニアーズ(アルゼンチン)

●インターコンチネンタルカップ : 3回
1977年, 2000年, 2003年
●コパ・リベルタドーレス : 6回
1977年, 1978年, 2000年, 2001年, 2003年, 2007年

3 サントス(ブラジル)

●コパ・リベルタドーレス : 2回
1962、1963
●インターコンチネンタルカップ : 2回
1962、1963

4 フェイエノールト(オランダ)

●UEFAチャンピオンズカップ:1回
1969-70
●UEFAカップ:2回
1973-74, 2001-02
●インターコンチネンタルカップ:1回
1970

5 ハンブルガーSV(ドイツ)

●UEFAチャンピオンズカップ:1回 
1983
●UEFAカップウィナーズカップ:1回 
1977

6 ボルシア・ドルトムント(ドイツ)

●UEFAチャンピオンズリーグ:1回 1996-97
●UEFAカップウィナーズカップ:1回 
1965-66
●インターコンチネンタルカップ::1回 
1997

7 セルティックFC(スコットランド)

●UEFAチャンピオンズカップ : 1回 
1967

8 トッテナム・ホットスパー(イングランド)

●UEFAカップ : 3回
1971-1972、1983-1984
●UEFAカップウィナーズカップ : 1回
1963

9 パルマ(イタリア)

●UEFAカップウィナーズカップ:1回
1992-93
●UEFAカップ:2回
1994-95, 1998-99

10 アーセナル(イングランド)

●UEFAカップウィナーズカップ : 1回
1993-94

どうだろう。アーセナルに匹敵するクラブといえば、フィオレンティーナ、ガラタサライ、ローマ、ブレーメン、サンプドリア、シャルケがある。そして、忘れてはいけないのがオリンピック・マルセイユ。ストイコビッチが所属しているときにチャンピオンズカップを優勝したのにも関わらず八百長事件でタイトル剥奪。あとはスクデットを7回(1回は八百長で剥奪)と国内ではタイトル獲得しているものの国際タイトル無しのトリノとか。逆にパルマは複数の国際タイトルを獲得しているがスクデット獲得がないため「名門」の印象は薄い。

こうしてみると、海外で活躍する日本人は長友だけではなく、かなり名門クラブに所属していることがわかる。しかし、ここまでクラブ名を挙げていくと、誰が所属していたのかわからない、ここに日本人が所属していたなんて忘れていた、というクラブも多く含まれる。さだまさしの弟さんが海外プロに進出して以来、すいぶんと沢山の日本人が海外で活躍しているのだな、と、あらためて感じる。

左サイドバックが輸出される時代

2011年2月2日

あっと驚く移籍市場の締め切り間近だった。日本代表の長友が、あのインテルに移籍。セリエA5連覇中の名門中の名門クラブ。右サイドバックは世界最強のマイコン。メンバーには各国代表選手がずらりと並ぶ。

そこに、日本代表の長友が加わるのだから驚きだ。イタリアの下位チームからの移籍。しかも、その前はJリーグの2部落ちするクラブ所属だった。大学時代は右サイドだったし、北京五輪代表も最後の最後のテストマッチで加わった。

長友にも驚きだが、そもそも日本人のウイークポイントだった左サイドバックが世界最高のクラブに移籍することが驚愕。1990年代は相馬の出現までは左は都並しかいないといっても過言ではなかった。だからドーハでは骨折している都並をオフとはメンバーに帯同させた、出場は無理なのに。他国は都並のいない日本代表が怖くなかったのだ。そして、都並に代わってピッチに立ったのは勝矢だった。センターバックが本職の選手だ(ちなみに右サイドバックも堀池で、オフトジャパンは4人のセンターバックタイプの選手を同時に起用していた)。

左サイドバックの輸出は、日本サッカー発展の象徴的なトピックスではないだろうか。

アジアカップで大人の階段上る日本サッカー

2011年1月30日

ジダンを思わせる李の見事なボレーシュートがゴールネットに突き刺さり、日本はアジア王者に返り咲いた。苦しい闘いだった。だが振り返ってみれば、これは、まさに強豪の闘いぶりだった。ワールドカップで、イタリアやドイツやブラジルやスペインが見せた強者の試合運びだった。一次リーグでは苦戦。だが、底力があるので負けはしない。そして、ファイナルラウンドでは、抜群の勝負強さを発揮する。そうだ、日本は、紛れもなく、ワールドカップでベスト16に入ったアジアの強豪国。

深夜の渋谷にチャントが響き、スクランブル交差点は騒乱状態になった。これはワールドカップではない。アジアカップなのだ。アジアの王者を決める大会が、日本全土を、ここまで熱狂の渦に巻き込んだのは92年の広島大会以来だろう。中国での大会は、確かに注目されたが、それは世間一般では、反日感情高まる中国での大会ということへの興味本位の注目だった。
日本が初めてアジア王者になってから19年が経った。それ以前の日本サッカーは本気で世界を目指していなかった。だから、やっと日本サッカーは大人になろうとしている時期だ。92年にダイナスティカップで初めて北朝鮮を破ったという報を聞いて、仲間と騒いだとこと周囲の人たちに怒られたのは、大昔の思い出のよう。でも、たった19年前でしかない。
アジア王者を祝って渋谷の街が騒乱になり、翌日のテレビ番組ではフットボールだらけ。フットボールの素晴らしさに皆が気づき、これから、日本は大人の階段を上って行く。きっと、ここから、また日本のフットボールは急速にレベルアップしていくだろう。20歳前。私たちは夢見ることができる。

松木安太郎が急に支持された理由

2011年1月18日

今回のアジアカップで株を上げたのは、テレビ朝日で解説を担当している松木安太郎だ。これまでは「うるさい」「ただのサッカーファン」「オヤジ」などとの批判が目についていたが、急にサッカーファンの支持を獲得した。

「ふざけたロスタイムですね!」
「オフサイドですよ!オフサイド!」

は名言。この松木フィーバーはなぜ起きたのか。なぜ、今になって松木は支持を広げたのだろう。松木は、ただ煩い解説者なのではない。最近は民放にしか登場しないので忘れられているが、NHKでは、もっと落ち着いた喋りをしている(アトランタの決勝では「完全にオフサイドです!」と叫んでいたが)。特に山本浩アナウンサーなど、静かな語り口のアナウンサーとはコンビが良く評価はけっして低くなかった。
そこには、相性があるのではないだろうか。今回のピッチ解説は名波。知的で的確な戦術的・技術的な解説を担当している。松木には細かな戦術的・技術的な解説が不要で、かつ、戦術的・技術的な解説を欲する視聴者は名波の解説で納得。これは、今までに多く組まされていた堀池らとは大きく違う満足度を生み出している。そして、セルジオ越後が不在により、松木が余計なボケをしなければならない場面が減少した。
さらに大きな要員としては角澤アナウンサーが実況を担当していないということがある。いわば松木は攻撃的なFWである。FWを活かすには相性が重要なのだ。あの城が大活躍したのはフリオ・サリナスがいたシーズンだ。さらに、ゴールを奪うFWからは、極力守備の負担を軽減してあげなければならない。ところが角澤アナウンサーと組むことで松木は守備に奔走することになってしまう。実況の誤りに気を使い、即座に訂正をする役割を担わなければならなくなるのだ。それでは良いシュートを撃つことは出来ない。
どうだろう、これで松木フィーバーの理由をご理解いただけただろうか。しかしフットボールは思うようにいかないものだ。「勝っている時はメンバーをいじるな」というセオリーがあるのにも関わらず、テレビ朝日はメンバーをいじってきた。角澤アナウンサーの投入だ。決勝トーナメントに入って松木フィーバーが続くかどうか、注目だ。