余録

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余録:大きな魚を取った漁師が家に帰って…

 大きな魚を取った漁師が家に帰って、妻にフライにするように言うと妻は「油が値上がりして家にない」と言う。ではトマト煮にしろと言うと「トマトが高くなって買えない」。なら焼けばいいと言うと「ガスの値上がりでボンベが空」▲怒った漁師が魚を海に投げ返すと、水に戻った魚が叫んだ。「ムバラク大統領万歳!」。--「ノクタ」とはこの手のアラブの風刺小話である。その最大の産出国といわれるエジプトの反政府デモの拠点タハリール広場では、ノクタの掲示板ができて人々が群がった▲チュニジア大統領の亡命を迎え入れたサウジアラビアの国王らしき人物が腕時計を見ながら「ムバラクは遅れているのか」とつぶやく図は、その掲示板に張られていた。土壇場での「遅れ」はあったが、とうとうムバラク大統領は首都を離れ、その辞任が発表された▲「ホワイト革命」とは欧米メディアでのこの政変の呼び名である。30年に及ぶ独裁を倒したのはこの地域で繰り返されたような次代の独裁者の野心ではない。ネットを介した多彩な民衆のしなやかでしたたかな連帯だった▲言論抑圧に笑いで抵抗するノクタは、また権力の前で無力なエジプト人の屈託を表していたという。だが今回は、カフェでとっておきのノクタを披露しあうような民衆相互の言葉のネットワークが強権を足元から掘り崩した。独裁者は「裸の王様」だと暴いたのだ▲チュニジア、エジプトと続く変革のうねりはどこまで及ぶのか。民衆の新たなネットワークは民主的な秩序を作り出すことができるのか。その先の光景はまだ誰も見たことのない世界史の波頭である。

毎日新聞 2011年2月13日 東京朝刊

 

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