進化する音なき爆弾、対北ビラ(上)

 拉致被害者家族会の崔成竜(チェ・ソンヨン)代表と自由北韓運動連合の朴相学(パク・サンハク)代表は「ブランド品で身を包む金正男(キム・ジョンナム)氏のカラー写真。そして、一般市民は食べるものがなくて飢えに苦しんでいるのに、飽食で腹が出ている金正雲(キム・ジョンウン)氏のカラー写真。また、大韓民国発展の様子やラングーン事件(1983年10月8日、当時の全斗煥〈チョン・ドゥファン〉大統領がミャンマーのアウンサン廟〈びょう〉を訪問した際、これを狙って北朝鮮が起こした爆弾テロ)、延坪島砲撃など、北朝鮮による蛮行を記録したUSBメモリーなども入れて飛ばす」と語る。これは、両団体などが風船を使い、北朝鮮に向けて飛ばしている宣伝物の中身だ。

 韓国戦争(朝鮮戦争)を前後し、南北は互いに自分たちの体制の方が優れていると主張する印刷物、いわゆる「ビラ」を飛ばすようになった。ビラという言葉の語源については「英語の“bill”が日本語式に発音されたもの」という説や「日本語のヒラ(片)に由来している」という説などがあるが、今のところはっきりしていない。

 当時のビラには刺激的な文言や白黒の絵などが印刷され、大きさも手のひらサイズと小さかった。その後、第1回南北首脳会談が開催される直前の2000年、当時の金大中(キム・デジュン)政権と北朝鮮当局は、互いにビラを飛ばす行為を中止することで合意した。そのため当時は、ビラを利用した宣伝合戦はこれで終わるかのように思われた。ところが04年になると、今度は民間団体が北朝鮮向けにビラを飛ばし始め、これまで累計3000万枚以上という莫大(ばくだい)な数がすでに飛ばされた。また、その内容も徐々に進化している。

 04年に民間団体が初めて飛ばしたビラは、通常誰でも手に入るような普通の風船にヘリウムを注入し、A4サイズの紙を3枚か4枚付けて飛ばすだけのものだった。自由北韓運動連合の朴代表は「当時飛ばした風船は割れやすく、紙も水に濡れるとすぐに破れてしまったため、実用的ではなかった」と語る。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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