仙谷が流した涙と小沢の神頼み(2/2)
文藝春秋 2月10日(木)12時12分配信
その同じ日、仙谷は執務室に秘書官十二人を招き入れて、自らの交代を正式に伝えた。
「五カ月間だったが、支えてくれてありがとう」
短かい挨拶だったが、声はかすれ、目はみるみる潤んでいった。最後に頭を下げると、そのまま顔をあげることができず、目から溢れ出た大粒の涙が床を濡らした。政権の屋台骨として常に強気の姿勢を貫いてきた仙谷が、人目を憚らずに嗚咽を漏らす姿を初めて目の当たりにした秘書官のなかには、同じように泣き崩れる者もあった。
自らの交代を感じ取った仙谷は、後任の官房長官に元財務相・藤井裕久を就けるよう菅に進言していたが、藤井は激務の官房長官職を固辞し、新官房長官・枝野幸男を副長官として支える側に回った。仙谷は党代表代行で処遇されたが、当初、菅は「国対委員長を兼務してほしい」と伝えた。仙谷の答えはノーだった。
「菅というのは、しょせん人の感情がわからない人間なのだろう」
仙谷は周辺にそう呟いた。
■「よみがえりの道」を訪ねた小沢
自身の資金管理団体「陸山会」をめぐる「政治とカネ」の問題で強制起訴される元代表・小沢一郎は、元厚労省局長・村木厚子の冤罪事件を手がけた名うての弁護士・弘中惇一郎とともに裁判で一審無罪を勝ち取り、来年九月の党代表選に臨むシナリオを描く。
恒例となった元日の東京・深沢の私邸での新年会では、昨年よりも少ないながら百人を超える国会議員を集めて権勢を誇示した。小沢は「今年は内外ともに難しい年になるだろうが、みんなで力をあわせて乗り切りたい」と述べ、その後、秘書らを集めた新年会でも「力を合わせてがんばろう」と控えめな言葉に終始していた。秘書らは小沢が平常心でいることに安堵していた。
ところが、小沢にとって誤算だったのは、菅が年明けとともに「小沢切り」の姿勢を強め始めたことだった。
「最近、細川(護熙)さんや海部(俊樹)さんの本を読んでみた。共通するのは、首相が小沢に振り回された末に政権は迷走、やがて崩壊を招き、ズタズタにされる様だ。みんな小沢を最後は嫌気して恨み節しか残ってないんだな」
側近にそう告げた菅は、「俺は絶対に同じ轍(てつ)は踏まない。そこだけはブレないから」と続けた。
そうした菅の挑戦的な言葉が耳に入るたびに、小沢の闘争心は沸き上った。
小沢は五日に東京の湯島天神と下谷神社を参拝した。三日後の八日には、和歌山県の熊野古道に小沢の姿があった。ここは、幹事長辞任直後の昨年六月にも訪れているお気に入りの地で、「よみがえりの道」とされるところだ。再生や復活を願う参拝客で溢れる熊野本宮大社で、小沢は神妙に手を合わせて祈った。帰り際には、大きく「出発(たびだち)」と書かれた絵馬を前に立ち止り、「ああ、出発か」とつぶやいて、二度ほど大きく頷いた。
通常国会開会前日の二十三日には、地元・岩手県で市長選や県議選のテコ入れに動いた。マイクも持たずに選挙民に語りかけ、自らを鼓舞した。
「俺もね、東京にいるとあんまり気分よくないんだが、みなさんとしゃべるとまた気分が良くなって、頑張ろうという気になるんです」
小沢は昨年末には岡田執行部が求める国会の政治倫理審査会への出席に応じると表明していたが、強制起訴が近づくと出席拒否に転じた。小沢招致に失敗した岡田執行部は、強制起訴と同時に小沢に離党勧告を突きつける構えだったが、離党勧告も小沢が拒否する姿勢であることを理由に「党員資格停止」などの措置も模索し始めた。いまや「小沢切り」の最強硬派となった菅は議員辞職を迫ることも主張していたが、岡田は「選挙区の有権者から選ばれた議員の身分は重い」として、菅の意見にはのらなかった。
小沢は政権党の議員としての権力を失えば、無罪を勝ち取ることができなくなると固く信じている。師と仰いだ自民党元副総裁・金丸信がバッジを外した後に逮捕・起訴されて有罪判決を受けたことを忘れていない小沢が、自ら議員辞職や離党の道を選ぶことはない。
一方、小沢とタッグを組み、反菅の急先鋒となった前首相・鳩山由紀夫は、相変わらず、下界とは無縁の発言を繰り返している。母親からの巨額資金提供が発覚した後に鳩山が納めた約六億円の贈与税のうち、昨年末に課税時効分の約一億三千万円が還付されたとき、「宝くじの一等賞金とあまり変わらない額なんだって? (その程度なら)宝くじ、宝くじって、みんな大騒ぎすることはないよなあ」と漏らして、周辺を慌てさせた。
菅政権と対峙する自民党もいまひとつ迫力がない。一月二十三日に開いた自民党大会で、自民党総裁・谷垣禎一は「今年中に衆院解散・総選挙に追い込み、政権奪回する」と語気を強めた。自民党の支持率は回復傾向にあるが、なお谷垣の頼りなさを指摘する声が多い。党大会の会場でも、地方の代議員から「解散に追い込めなければ、谷垣さんの方が責任を問われるな」などの声が漏れた。
党執行部のなかで意気軒昂なのが、副総裁・大島理森だ。野党になった自民党としては初めての副総裁の座についた大島は、党本部四階に約一千万円をかけて副総裁室を新設し、存在感を示したが、党の台所事情は依然火の車だ。総選挙後の借入金は百億円を超え、執行部は四月の統一地方選が終わったら党職員のリストラに手をつける構えだが、簡単ではなさそうだ。
その統一選で、民主党内からは早くも惨敗必至との声が公然と出始めている。統一地方選を前に、菅が社会保障や税の協議を野党に求めても、地方で鋭く対峙する与野党の歩み寄りを期待するのは無理な状況だ。仮に予算案が年度内に成立しても、子ども手当法案など予算関連法案の成立には野党の協力が必要で、成立の目処はまったく立っていない。成立と引き換えに「菅のクビを差し出すしか道はない」という声も根強い。
ポスト菅を誰にして、そのとき小沢抜きの中連立が実現するのか――。
民主・自民の間で、既に水面下の駆け引きが始まっている。 (文中敬称略)
(文藝春秋2011年3月特別号「赤坂太郎」より)
【関連記事】
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菅・仙谷攻撃 小沢のカードは「大島」(文藝春秋2010年11月号)
民主党の中でも疑念が高まる 与謝野大臣は“トロイの木馬”?(週刊文春2011年2月17日号)
「五カ月間だったが、支えてくれてありがとう」
短かい挨拶だったが、声はかすれ、目はみるみる潤んでいった。最後に頭を下げると、そのまま顔をあげることができず、目から溢れ出た大粒の涙が床を濡らした。政権の屋台骨として常に強気の姿勢を貫いてきた仙谷が、人目を憚らずに嗚咽を漏らす姿を初めて目の当たりにした秘書官のなかには、同じように泣き崩れる者もあった。
自らの交代を感じ取った仙谷は、後任の官房長官に元財務相・藤井裕久を就けるよう菅に進言していたが、藤井は激務の官房長官職を固辞し、新官房長官・枝野幸男を副長官として支える側に回った。仙谷は党代表代行で処遇されたが、当初、菅は「国対委員長を兼務してほしい」と伝えた。仙谷の答えはノーだった。
「菅というのは、しょせん人の感情がわからない人間なのだろう」
仙谷は周辺にそう呟いた。
■「よみがえりの道」を訪ねた小沢
自身の資金管理団体「陸山会」をめぐる「政治とカネ」の問題で強制起訴される元代表・小沢一郎は、元厚労省局長・村木厚子の冤罪事件を手がけた名うての弁護士・弘中惇一郎とともに裁判で一審無罪を勝ち取り、来年九月の党代表選に臨むシナリオを描く。
恒例となった元日の東京・深沢の私邸での新年会では、昨年よりも少ないながら百人を超える国会議員を集めて権勢を誇示した。小沢は「今年は内外ともに難しい年になるだろうが、みんなで力をあわせて乗り切りたい」と述べ、その後、秘書らを集めた新年会でも「力を合わせてがんばろう」と控えめな言葉に終始していた。秘書らは小沢が平常心でいることに安堵していた。
ところが、小沢にとって誤算だったのは、菅が年明けとともに「小沢切り」の姿勢を強め始めたことだった。
「最近、細川(護熙)さんや海部(俊樹)さんの本を読んでみた。共通するのは、首相が小沢に振り回された末に政権は迷走、やがて崩壊を招き、ズタズタにされる様だ。みんな小沢を最後は嫌気して恨み節しか残ってないんだな」
側近にそう告げた菅は、「俺は絶対に同じ轍(てつ)は踏まない。そこだけはブレないから」と続けた。
そうした菅の挑戦的な言葉が耳に入るたびに、小沢の闘争心は沸き上った。
小沢は五日に東京の湯島天神と下谷神社を参拝した。三日後の八日には、和歌山県の熊野古道に小沢の姿があった。ここは、幹事長辞任直後の昨年六月にも訪れているお気に入りの地で、「よみがえりの道」とされるところだ。再生や復活を願う参拝客で溢れる熊野本宮大社で、小沢は神妙に手を合わせて祈った。帰り際には、大きく「出発(たびだち)」と書かれた絵馬を前に立ち止り、「ああ、出発か」とつぶやいて、二度ほど大きく頷いた。
通常国会開会前日の二十三日には、地元・岩手県で市長選や県議選のテコ入れに動いた。マイクも持たずに選挙民に語りかけ、自らを鼓舞した。
「俺もね、東京にいるとあんまり気分よくないんだが、みなさんとしゃべるとまた気分が良くなって、頑張ろうという気になるんです」
小沢は昨年末には岡田執行部が求める国会の政治倫理審査会への出席に応じると表明していたが、強制起訴が近づくと出席拒否に転じた。小沢招致に失敗した岡田執行部は、強制起訴と同時に小沢に離党勧告を突きつける構えだったが、離党勧告も小沢が拒否する姿勢であることを理由に「党員資格停止」などの措置も模索し始めた。いまや「小沢切り」の最強硬派となった菅は議員辞職を迫ることも主張していたが、岡田は「選挙区の有権者から選ばれた議員の身分は重い」として、菅の意見にはのらなかった。
小沢は政権党の議員としての権力を失えば、無罪を勝ち取ることができなくなると固く信じている。師と仰いだ自民党元副総裁・金丸信がバッジを外した後に逮捕・起訴されて有罪判決を受けたことを忘れていない小沢が、自ら議員辞職や離党の道を選ぶことはない。
一方、小沢とタッグを組み、反菅の急先鋒となった前首相・鳩山由紀夫は、相変わらず、下界とは無縁の発言を繰り返している。母親からの巨額資金提供が発覚した後に鳩山が納めた約六億円の贈与税のうち、昨年末に課税時効分の約一億三千万円が還付されたとき、「宝くじの一等賞金とあまり変わらない額なんだって? (その程度なら)宝くじ、宝くじって、みんな大騒ぎすることはないよなあ」と漏らして、周辺を慌てさせた。
菅政権と対峙する自民党もいまひとつ迫力がない。一月二十三日に開いた自民党大会で、自民党総裁・谷垣禎一は「今年中に衆院解散・総選挙に追い込み、政権奪回する」と語気を強めた。自民党の支持率は回復傾向にあるが、なお谷垣の頼りなさを指摘する声が多い。党大会の会場でも、地方の代議員から「解散に追い込めなければ、谷垣さんの方が責任を問われるな」などの声が漏れた。
党執行部のなかで意気軒昂なのが、副総裁・大島理森だ。野党になった自民党としては初めての副総裁の座についた大島は、党本部四階に約一千万円をかけて副総裁室を新設し、存在感を示したが、党の台所事情は依然火の車だ。総選挙後の借入金は百億円を超え、執行部は四月の統一地方選が終わったら党職員のリストラに手をつける構えだが、簡単ではなさそうだ。
その統一選で、民主党内からは早くも惨敗必至との声が公然と出始めている。統一地方選を前に、菅が社会保障や税の協議を野党に求めても、地方で鋭く対峙する与野党の歩み寄りを期待するのは無理な状況だ。仮に予算案が年度内に成立しても、子ども手当法案など予算関連法案の成立には野党の協力が必要で、成立の目処はまったく立っていない。成立と引き換えに「菅のクビを差し出すしか道はない」という声も根強い。
ポスト菅を誰にして、そのとき小沢抜きの中連立が実現するのか――。
民主・自民の間で、既に水面下の駆け引きが始まっている。 (文中敬称略)
(文藝春秋2011年3月特別号「赤坂太郎」より)
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最終更新:2月10日(木)12時12分
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