2011年2月10日
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生活保護費の全国の支給総額が年3兆円を突破した。日雇い労働者の街、大阪・釜ケ崎では3人に1人が受給者になった。「日銭1億」といわれた労働者の賃金が街を潤す光景は消え、代わってもたらされた「生活保護マネー」が、この街のかたちを変えつつある。
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「ヤミ金長屋」
マンションや雑居ビルが立ち並ぶ釜ケ崎の一角に、そう呼ばれる路地がある。「××商事」「○○企画」。マンション1階のテナントに数軒の貸金業者が連なる。普段は閑散としているが、生活保護費が支給される月末になると人の出入りが激しくなる。
昨年11月、多重債務者を支援する「大阪いちょうの会」(大阪市)のメンバー3人が一軒のドアを押した。「おたくのお客さんから相談を受けて来ました」。神棚を飾る奥からカウンターに出てきたのは白髪頭の年配の男。「なんであいつが直接来んのや」とぼやいた。
「客」とは、近くの文化住宅で生活保護で暮らす男性(77)のことだ。借金の担保に保護費が振り込まれる銀行のキャッシュカードを押さえられていた。
一昨年夏、居酒屋のママに金を無心され、業者から5万円借りて工面した。金利は法定上限の年率20%を大幅に上回るトイチ(10日で1割)。月末に保護費約12万円が入ると業者からカードを受け取り銀行で引き出し、金利1万5千円と一緒に返す。その繰り返しだった。
別の業者からも借金し、利払いと家賃を差し引いて手元に残るのは5万円。とても元本は返せない。1日1食の米と梅干しで過ごし、2年前に55キロだった体重は38キロに減った。たまらず「いちょうの会」に駆け込んだ。