正式団体名 宗教法人 白光真宏会 立教 1949(昭和24)年
開祖・教祖 五井昌久(ごい・まさひさ) 現指導者 西園寺昌美(さいおんじ・まさみ)
聖典・教典 「神と人間」(白光出版) 本拠地(聖地) 静岡県富士宮市
崇拝対象 信徒数概算 50万人以上(?)
関連団体 WPPS (The World Peace Prayer Society) 関連リンク 唯一会
五井平和財団 白光出版
教団の特色
「世界人類が平和でありますように」(May peace prevail on earth) のプレートを見たことがある人はいるでしょうか?これは WPPS という団体が「Peace Pole Project」という活動の元に設置しているもので、日本のみならず世界各国でみることができますが、オリジナルは白光真宏会(びゃっこうしんこうかい)の創始者・五井昌久先生によるものです。

五井の祈りは、

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命がまっとうされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます

というもので、この祈りを祈るところには大光明が輝き、個人の幸福と人類の平和に大きな効果があるとされています。WPPS は五井の祈りの最初の1行だけを、人類共通の祈りとする平和運動団体として設立されました。五井平和財団も非宗教の平和活動団体ですが、その名の通り、ルーツは五井昌久にあります。

教団の発祥からいって大本生長の家の流れを汲むため、霊の存在を重視するところが特徴です。

教団の発祥
五井昌久
五井昌久(1916-1980)は、東京浅草に生まれ育った。父親が病弱で気位が高かったため、幼少の頃より生活上の労苦を嘗めて育ったという。父親の体質を受け継いだため五井自身も病弱で、そのため性格は内向的であったという。戦後、世界救世教に入信、その後は生長の家の講師となった。この頃を境に心霊研究に没頭することになるが、昭和24年のある日、五井が河原の土手で昼寝をしていると突然空から一つの声が振りかかってくる感覚と同時に、大きな意志の力が自らの体に宿ったことを知ったという。この「神我一体」の神秘経験以降、五井は霊能者として独自の観念に基づく宗教活動を開始する。当初は「五井先生讃仰会」という、五井の信奉者が組織した任意団体だったが、昭和30(1955)年2月、宗教法人白光真宏会となり正式に発足した。

五井は神界の代理人として例の“平和の祈り”を唱えるが、この祈り(ただの祈りではなく、祈りに込められた神の分霊の本性を顕現する)は五井と神界との約束事であり、この祈りを世界人類が続けていれば必ず救世の大光明が輝き、すべての人類の救済および世界平和のために絶大なる力が発揮されるという。いわく、

「人間は本来、神の分霊(わけみたま)であって、業生(ごうしょう)ではない。常に守護霊・指導霊によって守られているものである。この世のすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたるまでの誤てる想念が、その運命と現れて消えていくときに起こる姿である」

だそうだ。教団のHPにはこの続きの文章も掲載されているので興味ある方はこちら。勉強が足りないので私にはなんのこっちゃであるが、業生(人間は生まれ持っての罪を背負っているとするキリスト教的な思想)を否定しているところは大本−生長の家の教義と共通する。
大本系共通の思想として、霊界の存在を重視するところもまた白光真宏会に引き継がれている。手持ちの資料によれば「昭和43年、霊派によって宇宙の神と自由に語り合う研究機関「宇宙子科学研究所」を設立、ここで、世界の救済のため働く科学の神“エンジェルスカラー”との交流を重ねた」とあるが、この宇宙子科学研究所について現在どうなっているのかについては、教団のHPにもその情報はない。

五井は85歳まで生きると公言していたが、63歳で突然この世を去った。教団は、神界のコンタクターとして五井が必要なため、予定より早く天界へ召し上げられたのだと説明している。
五井のあとを次いだ西園寺昌美(琉球王・尚氏末裔。五井の養女)は、20億円の資金を投入し富士の裾野に「富士聖地」を建設した。昌美先生(信者はそう呼ぶ)の夫・西園寺裕夫(さいおんじ・ひろお)氏は白光真宏会の外郭団体「五井平和財団」「WPPS」理事長である。

五井の教えの一端を我々にもわかるように説いているホームページがある。白光真宏会から分かれて設立された団体「唯一会」のホームページである(ここ)。興味のある方はぜひ一度このページを訪れてみるといいと思う。

参考リンク
The World Peace Prayer Society 五井先生資料館 五井先生大好き♪
世界人類が平和でありますように 掲示板「PEACE PRAYER」 百万遍道場