稲荷寿司

 2011年2月8日に回転寿司に行ったら、稲荷寿司も回っていた。
 稲荷寿司はなつかしいと思った。私は、1967年(昭和42年)頃まではにぎり寿司を食べたことはありませんでした。寿司と言うと、ちらし寿司や押し寿司や稲荷寿司でした。

 愛知県豊川市の豊川いなり寿司は、B1グランプリに参加しています。
 豊川いなり寿司紹介の豊川いなり寿司図鑑を見ると、いろんな種類のいなり寿司があることがわかります。

 この稲荷寿司ですが、江戸時代の天保年間(1830年〜1843年)に尾張名古屋で油揚げの中に酢飯を入れる稲荷寿司を売ったのが、始まりと言われているのを知ってましたか?

 酢ですが、江戸時代の文化元年(1804年)に尾張半田村(現在の愛知県知多半島の半田市)ミツカンの創業者、初代中野又左衛門が世界初の酒粕酢を発明しました。

その後、江戸日本橋(現在の東京都中央区日本橋)に稲荷屋治郎右衛門が、稲荷寿司の店を出した。寿司
は一日何千個と売れた。

 油揚げに酢飯を詰めた稲荷寿司は、江戸時代から明治時代にかけて売れたそうだ。駅弁としても明治時代は売れたそうだ。

 日本全国にお稲荷さんはある。お稲荷さんの使いの者は狐で、狐の好物は油揚げなので、油揚げを使った寿司を「稲荷寿司」と呼ぶ。

 2月の最初の午の日が初午と言って、稲荷の社祭になっています。 2011年は、2月8日でした。

付録
 江戸時代の寿司
1 寿司飯のお酢は現在の半分、塩分は現在の約3倍の塩辛いものでした。
2 寿司の大きさは、現在の約2倍の大きいものでした。
3 冷蔵庫がないので、ネタは下処理がなされていました。



2011.02.10 Thu l 気象歳時記 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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