奈良漬屋の商売は、とんとん拍子に儲かっていった。
50歳になると、祖父は土地の名士の仲間入りをしていた。
名誉職が、あれこれついてきた。
町会議員にもなった。
お祭りには、ご祝儀をはずむので、だんじりが店の前に、歩みを止めて「ジャカジャン、ジャカジャン、チンチン、ジャカジャン」と囃し立てながら、前足を上げるようなしぐさで挨拶した。
祖父は、少し、調子づいていたかもしれない。
名誉職のひとつに「信用組合の組合長」があった。小さな金融機関、今でいえば信用金庫だろうか。
祖父の店の使用人が、金庫番だった。
ある日、その金庫番が金庫の金を全額持ち逃げした。
そのうわさはたちまち町内にひろがり「取り付け騒ぎ」が、起こった。寝耳に水の出来事だった・・・
40畳敷きの大座敷は、100人以上の債権者でいっぱいになった。
「金を返してくれ」「この始末は、どうしてくれるんや。」
たちまち、昨日の友が敵になった・・・
床の間を背中に立ち往生した祖父のもとに、祖母のシカは、歩み寄った。
「みなさん、○○ ××(祖父の名前)は、大バカ者でございます。」
わいわいがやがや殺気立っていた人々は、びっくりして、シカを見つめた。
シカは、今度は夫の方に向き直った。
「あんさん、あんさんが、しっかりしはらへんさかい、こんなことに、なったんだす。」と、夫を叱りつけた。
なにが、起こったのか、債権者は、あっけにとられた。
おもむろに、向き直ると、シカは丁寧に挨拶した。
「ここは、私に免じて、お引き取りください。どんなことがありましても、みなさんの大事なお金は全部おかえししますよってに」
「おシカはんが、あないいわはるんや。今日のとこは引きあげよか」
こうして、騒ぎは収まった。
このページの上の写真は、祖父が昭和10年ごろに建てた洋館である。
持ち逃げされたお金を返済するために、一家は2年間、経費のかかるこの家を閉じ、小さな借家に移った。
食べ物商売のありがたさ、こうして、2年間の節約生活のあと、負債は完済した。
このことが、祖父と祖母の信用を絶大なものとした。
大きな成功には、必ず、こういった躓きがある。
つまずきなしに成功だけを追うことは、不可能だと知らなければならない。
※人気ブログランキング(エッセー部門)に参加しています。
♪クリック,お願い♪→ http://blog.with2.net/in.php?924365
|
英雄さん
自分のブログでは政治の話は、そこそこにするつもりなの。どうか、話題を戻してください。
あの件は、あっちでやりましょう。
ここには、あんまり持ち込みたくないことは、分かってもらえると思います。(*^^)v
2009/12/4(金) 午前 7:21 [ かぐやひめ ]
良いお話です。
続き楽しみにしています。
傑作
2009/12/4(金) 午前 10:24 [ 敬天愛人 ]
頑張って成功された御祖父さんは立派だ。仕事の成功は人生の目的の一つだから。成功しないとわからないことや、金があって理解する事も多いからね。金で解決できることはなおさら多い。信用組合の理事長までされたのなら事業では成功ですよ。昔からね人を使うのが一番難しい。まかしても裏切られるのが相場だよ。番頭が金を持ち逃げするのは当たり前だったんだよ。使用人はね、なかなか、今でも監視が要ると言えば悲しいけどね。各種組合でも会社でもね、いくら名義貸しなどで役員とかなってもね、法的責任はかかってくるからなったらだめなんだよ。 他人の子供は育てられないというのと同じでね人の仕事は引き受けるのは覚悟いるよね。 借財を返されたのは見事です。なかなか出来ないことですよ。偉い御祖父さんとおばあさんですよ。
2009/12/6(日) 午前 0:37 [ 英雄 ]
祖父母の事は、子孫は皆、尊敬しています。
人を使うのは大変な苦労だけど、当時は、「言葉はなかったけど」リーダーシップとフォローシップが、社会の中で確立していて「人の道」あるいは「天道精神」があって、皆おてんとう様に恥じない生き方をしようとしたから、今よりはましだったよね。身分相応という言葉があったから。
祖父の使用人は、すぐに警察に捕まったけど、お金は戻らなかったと聞いています。
2009/12/6(日) 午前 4:43 [ かぐやひめ ]