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【格闘技】

井岡一翔が世界王座奪取 日本最速プロ7戦目で決めた

2011年2月12日 紙面から

5回TKOで日本最短のプロ7戦目での世界王者となり、歓喜の井岡一翔(横田信哉撮影)

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◆WBC世界ミニマム級タイトルマッチ(11日・神戸ワールド記念ホール)

 井岡、最速世界王者! 元世界2階級王者・井岡弘樹のおいで、WBCミニマム級10位の井岡一翔=井岡=が同級王者オーレドン・シッサマーチャイ=タイ=に5回1分7秒、左ボディー1発でTKO勝ち、新王者になった。プロ7戦での戴冠は、元WBC世界バンタム級王者・辰吉丈一郎と前WBA世界Sフライ級王者・名城信男の8戦を抜き、国内最速記録だ。井岡は、平成生まれ初の世界王者となった。 

 神様が舞い降りた。5回、井岡の左ボディーが王者の土手っ腹に突き刺さった。以心伝心。名トレーナー・サラスの指示と同じタイミングで出たフィニッシングブロー。2回にも左フックでダウンした40戦無敗王者は体をくの字に曲げてのたうち回った。

 勝利の瞬間は人目もはばからず泣いた。父・一法氏(43)に真っ先に飛び付いて涙の抱擁。父に肩車されてからも、涙は止めどなく流れ落ちた。

 「このベルトを取るためにボクシングを始めた。みんなに感謝です」

 叔父は元世界2階級制覇の弘樹氏で、その兄である父は元プロボクサーでトレーナーの一法氏。ボクシングは身近にあった。ボクシンググローブをつけたのは、1歳のころ。父とスパーリングで遊んだ。でも、英才教育を受けてきたわけではない。

 「ボクシングを本格的にやらせてほしい」と父に直訴したのは、大阪・浅香山中入学前。しかし、父は喜ぶどころか「やめとけ」と突き放した。プロボクサーという商売がいかに過酷なものか知り尽くしていたからだ。

 でも、思い込んだら一途な性格。一翔はあきらめなかった。何度も頭を下げて、当時弘樹氏が所属したグリーンツダジムに入門を許された。周囲の反対を押し切って、ボクシングを始めたからには「中途半端なことはできない」という覚悟があった。

 大阪の名門・興国高時代は史上3人目の6冠を達成したが、東農大1年時の07年11月、北京五輪アジア予選出場権をかけた試合で僅差の判定負け。北京五輪の夢が閉ざされ、大学を2年で中退。プロの世界に身を投じた。

 童顔で自然体の21歳は、結構ビッグマウスだ。「叔父さん(弘樹氏)は、いつまでもあこがれの人。3階級制覇を成し遂げた時、超えられる」と言った後「王座決定戦とかじゃなく、重みのある3階級王者になりたい」と、3階級王者・亀田興毅をサラリとした口調でチクリ。実力とスター性を兼ね備えた平成生まれ初の世界王者が、新時代の扉を開けた。 (竹下陽二)

 

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