103系掲示板
(国鉄・JR通勤形電車総合掲示板)

103系に関する掲示板です。日本全国どこの103系でもOK。どんどん書いちゃってください。
でも・・・みんなを不愉快にする書き込みは書かないでくださいね。
あなたは人目のお客さんです。
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[21775] 浦和区に残っていたクモハl03冷房改造車

akeyanさん、林さん、みなさん、こんばんは。

61-11改正の件ですが、日根野区の8連貫通編成(全車冷房車)が7本あったのに対し、当時、浦和区のクモハl03とクハl03-500番台の冷房改造車は6輌ずつが残っていました。そのため、6組は単純な差し替えになったのに対し、残る1編成は非冷房の6連と絡めた差し替えになったものと思われます。具体的には、MM'59が日根野区から浦和区に転属し、代替にMc77のユニットが浦和区から日根野区に転属となっています。この改正の際は、武蔵野線輸送力増強や青梅線の附属編成の8連化、先に話題になった中原へのサハl03-774転出分の補充車として、日根野区から首都圏にサハが転用されています。l5−l6の8連は6連に戻し、外れたサハが首都圏への転用対象になったのではないかと思われます。(その他、片町線7連化用に転用されたサハもあったと思います。)


ついでの余談で恐縮ですが、前にも書きました通り、JR電車編成表のモハ205・204-502l・5022の改造種車の番号は、あべこべに記載されてしまっています。l46⇒502l、l50⇒5022となっていますが、502lがMG装備車、5022がSIV装備車で、l46はMG無し、l50はMG付きですので、

l50(MG付き)⇒502l(MG装備車)
l46(MG無し)⇒5022(SIV装備車)

というのが正しいです。また、改造から日が浅いうちに、現車の車体に残っている旧番号の文字跡をチェックしており、上記の通りとなっているのを確認しています。(日時が経過した現在では無理だと思われますが。)

編成表を参考にしたと思われる出版物で、その間違いがそのまま反映されていましたので、気になりました。


投稿日 2011年02月12日(土) 22時05分 投稿者 前納浩一 [i121-115-117-114.s04.a013.ap.plala.or.jp]


[21774] 86年4月1日現在の日根野区103系編成(天方クモハ103先頭)

←天王寺 

 Mc  M   T   M   M   Tc
 13  86 106 99  151 518
 23 105   7 118 205 546
 27 112  26 148 277 504
 31 118 140 160 294 508
 32 120   8 168 319  26
 34 123 360 140 261 517
 61 163 392 272 427 554
 82 197   1 122 217 591
 95 216 312 125 226  89
109 237 317 129 238   2
110 242 278 123 220 567

・6連クモハ103編成非冷房車
 Mc  M    T   M   M   Tc
  6  79  25  82 104 534
 24 106   6 109 178   8
 26 111  65  71  71  86
 28 113   4  72  72 535
 30 117  88  95 139   6
 33 122  67  81 103 521 
 41 134   5  83 107 516
 48 145  71 112 190 536

・羽衣線用
 Mc  M   Tc
  5  78 541
117 254 545
        
   
 


投稿日 2011年02月12日(土) 21時25分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp]


[21773] 86年4月1日現在の日根野区103系編成(両端クハ103)

←天王寺

・快速8連貫通編成

Tc    M   M    T   T  M   M   Tc
15   15   15   80 361 16  16   16 
29   29  29  365 372 30  30   30 
45   45  45  260 261 46  46   46
87  108 174  285 309 132 241  96
115 190 345    3 290 191 346 116 
121 196 351  284 287 197 352 122
137 216 371  310 388 217 372 136

・6連両端クハ103の編成

←天王寺
 Tc   M   M   M   M   Tc
 17  17  17  18  18  18
 31  31  31  32  32  32
 33  33  33  34  34  34
 51  51  51  52  52  52
117 192 347 193 348 118
119 194 349 195 350 120
133 220 375 221 376 132
823 7632020 7642021 830
825 7652022 7662023 832
827 7672024 7682025 834 

・6連両端クハ103非冷房編成

 Tc   M   M   M   M   Tc
 59  59  59  60  60  60
193 296 452 297 453 194


投稿日 2011年02月12日(土) 21時03分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp]


[21772] レスです。

akeyanさん、みなさん、こんばんは。

>akeyanさん
いいえどう致しまして。また、サハ103−80とサハ103−361は仰るように同一編成に組み込まれておりました。モハ103−16は、61−11改正後も日根野に残りましたが、多少組み換えをして首都圏へ転出していたようです。また、ドアのガラスの部分に「ゆびをつめないように」の赤の楕円のステッカーを貼ってましたね。そして、首都圏へ転属後もサハ103−80は青梅線で同ステッカーを転入当初は同ステッカーを貼ってあったと記憶してます。

以下に両端クハ103編成とクモハ103編成に分けてカキコします。
参考文献:JRR編成表86年版(同年4月1日現在)




投稿日 2011年02月12日(土) 21時02分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp]


[21770] 61−11改正での103系の動きをみて思い出したこと

みなさん、こんばんは。

>林さん

詳細な動きの紹介、ありがとうございます。
ちょうどこの時期は今の職場に勤め始めたこともあって、この車両の動きはよく覚えています。
特に当時は阪和線ユーザーだったので、103系の8連貫通編成が4+4連になったことも印象深いです。
何ゆえ貫通編成をばらす必要があるのか、って当時は思っていましたが・・。

北ウラからやってきたクモハ103−129+モハ102−276は、確かに大井工保全車だったのでこういう車両もやってくるんだと喜びましたが、例えばクモハ103−118+モハ102−256の窓ゴムなんて茶色く変色していたのであまりいい状態じゃないものもあるんだなと思ったものです。

そういえば後年、東京へ出張した際に利用した京浜東北線でサハ103−309に乗車したのですが、天鉄局特有の『ゆびをつめないように』の赤い楕円形のステッカーをはがした後が残っていたのも覚えています。

ところで、8連貫通編成の和歌山方のT+M+M’が関東へ移籍しているようですが、そのうちサハ103−80とサハ103−361は確か同じ8連貫通編成に組み込まれていたように記憶しているのですが、・・・。私が気がつかないうちに組み変えされたのかな・・・。



投稿日 2011年02月12日(土) 19時07分 投稿者 akeyan [dsl042-030.kcn.ne.jp]


[21769] 秩父鉄道1009にさよならヘッドマーク

少し、掲示板の流れから外れてしまいますが、
既報のとおり、秩父鉄道1009編成(関西線色)は来週2/19にさよなら運転をもって離脱する予定です。

昨夜、熊谷22:54着1566列車を見かけたところ、既にさよならヘッドマークが取り付けされていました。
本日は名残を惜しむかの様な雪が降る中、1503→1518→1503→107→108→1527→1538→以下未確認 列車に充当されていました。

後ほど画像板に貼っておきます。

広瀬河原の奥には、昨年12月に離脱したカナリア色1012編成が辛うじて形を留めていました。(あまり見たくないのではっきり見ておりませんが、1012の前面窓や方向幕、ライトレンズなどは無い感じでした。)

クハ1201(ブルー)やクハ1209(ウグイス)を見ると、現在話題になっているクハ103−2000・2050がWAU102で冷房改造されていたらこんな感じだったのかと思います。


投稿日 2011年02月11日(金) 23時31分 投稿者 やまとじライダー1号 [121.123.113.221.ap.yournet.ne.jp]


[21768] 61−11改正での103系車両のうごき

日根野→浦和 
 M M  T
 30 30  372
 46 46  261(昭和60年度吹田特保車塗り屋根でないタイプのサハ103)
132 241 309 
191 346 312
197 352 287
217 312 388
 81 103 106(モハユニットは非冷房車、サハ103は吹田特保、グレーの塗り屋根車、鋼製ドア)
 59  59   7(モハユニットは非冷房車、サハ103は金枠式ドア)
        278(冷房のランボードは201系タイプの斜めの車両)

 
         
浦和→日根野
 Mc  M  Tc
129 276 610(クモハユニットは大井工施工の特保車)
133 282 598
132 281 616
119 257 609
127 273 602
118 256 589(転入当初モーター高音)
 77 186 590(非冷房車、転入当初モーター高音)

奈良→浦和
 M   M
227 382(ウグイスのまま)

日根野→奈良
Mc  M  Tc
13 86  518(全て青22号)
23 105 26 (全て青22号)
27 112 504 (全て青22号)
31 118  (全て青22号)  
32 120  (全て青22号)
33 122  (全て青22号)

Tc  M   M   M   M  Tc
59 296 452 297 453 60(全て青22号)

明石→豊田
Tc  M   M   M   M Tc
13 286 441 661 817 14 (全て青22号で、クハ103−13・14は吹田特保でグレーの塗り屋根車)

明石→日根野
Tc   M   M   M   M  Tc
23  486 642 487 643 24
205 309 465 310 466 206(阪和線初の第1次改良冷房車)

明石→淀川
Tc   M   M   M   M  Tc
211 300 456 315 471 212(本線明石から淀川へ転入し、捻出のクハ103−167〜が日根野へ転出)

日根野→淀川
T
290(青22号のまま)

淀川→日根野
Tc   M   M   M   M  Tc 
167 244 399 245 400 166(編成毎朱色1号)

豊田→日根野
Tc
53(朱色1号) 

森ノ宮→淀川
Tc   M   M  T   M   M  Tc
191 294 450 64 295 451 192
森ノ宮→蒲田
T
63(朱色1号・非冷房車・金枠式ドア)

浦和→中原
 Mc  M  Tc
116 253 587

豊田→中原
T
774

奈良→中原
 M   M
226 381(ウグイスのまま)

浦和→豊田
 Mc  M  Tc
126 272 99 (全て青22号)


日根野→豊田(3両とも青22号のまま)
T
80(青梅線Mc編成の3連→4両化用・昭和58年吹田特保・天井化粧板交換車・妻面「保」印あり)
140(青梅線Mc編成の3連→4両化用・金枠式ドア)
361(武蔵野線用)



投稿日 2011年02月11日(金) 22時55分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp(修)(修)]


[21765] 昭和61年11月1日ダイヤ改正の103系の動き

永尾さん、akeyanさん、ほりぽんさん、やまとじライダー1号さん、みなさん、こんばんは。

昭和61年11月1日改正で、103系の関西→首都圏への2回目の大規模な転属が行われましたが、61−11では、首都圏から関西への転属車も多く、国鉄ダイヤ改正の最後を飾るのにふさわしい改正でした。(関西→首都圏への第1回目転属は昭和59年2月改正)関西国電の吹田特保などの特徴のある車両が転属してきた改正でもありました。

同改正での103系の東西の主な動きは、昭和58年10月ダイヤ改正から阪和線103系の朝・夕方以降の環状線同様の8連編成は長駆和歌山までの運用もありましたが、運用効率が悪いという点とデータイムは4連で普通運用に朝・夕方以降は4連+4連の分割編成となり、日根野と浦和の間での車両交換が行われました。

この交換は同年6月頃から交換を開始しましたが、転属数は少なかったものの、吹田保全車が浦和転属で京浜東北線で運用されたり、逆にクモハ103−129+モハ102−276は、日根野へ転属当初は大井工の保全車のままの運用に入り、見どころ満載な転属で記憶に残る広域移動でした。

上記に同改正での転属した動きを記載致します。



投稿日 2011年02月11日(金) 22時12分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp(修)]


[21763] 天王寺駅での衝突事故 他・・・

みなさん、こんにちは。101系改造の103系の話から昭和61年11月改正の頃の話がでて、とても懐かしく拝見しています。あの頃は103系以外もいろんな動きをしていましたが、身近な103系の動きが一番気になっていました。
私が現在利用している大和路線の普通列車が103系の3連で運転されたことがあったのもこの時期だったと思いますが、そこまで編成両数を削減しなくても、って思ったものです。

>こうやライナーさん
天王寺での衝突事故は台風がやってきた日だったと思いますが、事故車両はここで話題の上がっているクハ103−2051でした。新聞でも「事故の原因は国鉄の分割民営化に際して、他の形式から改造された車両であり、ブレーキ系統が異なっていた」なんていうことが書かれていたように記憶しています。それを見ながらホントかなって思っていましたが・・・。
ちなみに、同車は事故後復旧されたものの、営業復活せずにモハ103−83+モハ102−107のユニットとともに日根野区の片隅に長らく留置されていました。(1990年に開催された花博のステッカーも貼られていたのに)



投稿日 2011年02月11日(金) 07時35分 投稿者 akeyan [dsl042-030.kcn.ne.jp]


[21762] Mc103-116編成

ご無沙汰しております。
チラッと南武線の事が出てきましたでので書かせて頂きます。

南武線初のオール非冷房となった編成は、

Mc116 M'253 T774 M226 M'381 Tc'587

でした。

TMM'が中原区に回送されて、見学させて貰った際に見た 天ナラ 表記は、マジマジ考えさせられたのが懐かしいです。

その後、総武緩行の程度のいい101系と入れ替わりに、松戸区の冷房改造予備確保で転属になりましたが、この時改造後に中原へ再転属になるのは決まっていたようです。


投稿日 2011年02月10日(木) 22時58分 投稿者 ほりぽん [ZK109073.ppp.dion.ne.jp]


[21761] Re:ご参考までに

クハ103−2000&2050、少し懐かしい話ですね。

クモハ103−79+モハ102−191+クハ103−527と編成を組んでいた、日根野区から転入したクモハ103−47+モハ102−143+クハ103−538は羽衣支線の予備車捻出(3両×3本→2本に削減)で生み出されました。前年度にクハ103−194がATS−BS併設となったのは、後のクモハ123(−5・6)投入計画を見据えてのことかもしれません。
2002・2003が冷房クモハユニットと編成を組んでいたのは、当時のちに編成を組むこととなったクハ103−538・585が冷房改造中だったので暫定編成を組んだためでしょう。その後、2002・2003はスカイブルーで転入したクモハユニットと以下の編成になりました。
 クモハ103−79+モハ102−191+クハ103−2002
 クモハ103−47+モハ102−143+クハ103−2003
一方冷房改造されたクハ2両は以下の編成になりました。
 クモハ103−31+モハ102−118+クハ103−538
 クモハ103−32+モハ102−120+クハ103−585

どことなく「その場しのぎ」のイメージがぬぐえないこれらのクハは、2051が1989年の天王寺駅車止め衝突(1982年にも油圧式導入前に発生※)以降使用停止→廃車、2000番台が207系投入で1992年全廃、2052が訓練車を務めて1993年に廃車となって消滅しました。

※余談:この時に衝突したのはクハ103−115ではなかったかな、と思います。


投稿日 2011年02月10日(木) 22時30分 投稿者 こうやライナー [softbank220017171040.bbtec.net(修)]


[21760] ご参考までに

クハ103−2001を初めて見た時(昭和61年4月7日)
クモハ103−39+モハ102−131+クハ103−2001+クモハ103−40+モハ102−133+クハ103−585
ちなみに翌日4/8には前後の順序変わり、2001が先頭になりました。
2001以外は、下記ブルー3両と共に61−3/24豊田区発で貸し出し、4/1付けで転属及び限定での運用開始。
クモハ103−79+モハ102−191+クハ103−527
この8両の回送もとれいん誌に掲載ありました。

クハ103−585は青梅線デジタル無線試験に使われた車輌。

クハ103−2003・2004を初めて見た時(昭和61年10月中旬の改正前・日付失念)
クモハ103−32+モハ102−120+クハ103−2003+クモハ103−33+モハ102−122+クハ103−2004
6連固定で使用。クモハユニットは61−10/13付けで日根野区から奈良区へ転属、ブルーのまま

クハ103−2002を初めて見た時(昭和61年11月1日改正当日)
クモハ103−31+モハ102−118+クハ103−2002+クモハ103−13+モハ102−86+クハ103−518
6連固定で使用。2002以外は61−10/28付けで日根野区から奈良区へ転属、ブルーのまま

2002・2003は冷房クモハユニットと編成を組んでおり、おや?と思ったことを覚えております。


投稿日 2011年02月09日(水) 23時44分 投稿者 やまとじライダー1号 [129.5.152.122.ap.yournet.ne.jp]


[21759] 追記

黒本のクハ103−2001の改造日ですが、吹田工場改造で昭和61年3月26日付けとなってます。


投稿日 2011年02月09日(水) 23時10分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp]


[21758] Re:クハ103−2000の改造日

>やまとじライダー1号さん
誤記、失礼致しました。私が表題の車両の改造日は、JRRの履歴表に記載されている改造日を記載しました。また、黒本で再度調べてみましたら、貴殿の御指摘の改造日になってます。先日もSatokawaさんも履歴表を修正なさったと書かれていましたが、今回のケースも誤植の可能性が極めて高いと思われます。同じJRRでも今、編成表の61−11改正号を調べました。黒本と同一日になってます。

また、クハ103−149・148の編成の中間車が首都圏への転属となりましたが、地上時代の中原区でウグイスのモハ103−226+モハ102−381が目立ちましたが、この編成はクモハ103−116他3連とサハ103(車号失念)の全て非冷房での転入で、冷房改造が主な同区では珍しい存在でしたし、JR化後は、エメグリになり松戸へ転属?(標記は東マト)でしたが、東日本の更新工事たけなわの時でもあるためか、中原へ戻っております。

そして、モハ103−227+モハ102−382はウグイスのままほんの僅かの間、京浜東北線の大船方にウグイスで関西国電特有のキャンバス止め塗ってない状態と車内の広告枠の数が少なく、蒲田の横浜線用のウグイス車とは車内の雰囲気も関西国電のままで、異彩を放ってました。

また、クハ100とクハ101が桜島線の3連運用のため、首都圏から森ノ宮に転属となった編成ですね。


投稿日 2011年02月09日(水) 23時05分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp]


[21757] クハ103−2000の改造日(正)

林さん、
度重なる指摘で失礼します。クハ103−2000の改造日は2002〜2004同一日と書かれていますが、
そうではなかったと記憶しており、当方で調べさせていただきました。
2001の改造日も違います
参考文献:JRR編成表 86年版 61−11改正号

2001 61−03/25 吹田工 参考:全検表記57−12
2002 61−10/17 大井工 参考:全検表記61−9
2003 61−08/30 大井工
2004 61−09/30 大井工

山と渓谷社 国鉄車両形式集・5 写真:広田尚敬 22頁に大井工でクハ100−94と並ぶクハ103−2004の写真があります。

自己レスになりますが、
61−10/17改造の2002は、61−10/14〜17付けで関西から下記の5両が関東に転属しています。
モハ103−226 モハ102−381 天ナラ→西ナハ 61−10/15
モハ103−227 モハ102−382 天ナラ→北ウラ 61−10/14
サハ103−63            大モリ→南カマ 61−10/17
これらが、クモヤ145に挟まれて回送されたことは、とれいん誌の写真で判明しておりますので、
このクモヤ145が関西へ帰るときに回送と推測されます。

クハ103−2003はクハ100時代大モリに在籍していました。
関東→関西→関東→関西と移動を繰り返したことになります。

ついで
本日の大モリ運用(注目編成のみです。)
クハ103−831他ブルー M31(831の表示)
クハ103−797他混色  36M
混色編成はそう遠くない時期に検査入場かも。
ちなみにウグイスユニットは前回20−7全検です。今回は要検になります。塗装変更は先日の日根野区の例からすると要検でもするかもしれません。
 



投稿日 2011年02月09日(水) 22時25分 投稿者 やまとじライダー1号 [129.5.152.122.ap.yournet.ne.jp]


[21756] トウ519・520編成

 みなさまこんばんは。

 先週に確認した内容で鮮度がかなり落ちてしまいましたが、先週中にトウ519・520両編成のサハ組み換えを確認しました。

 以上、簡潔ですが失礼いたします。


投稿日 2011年02月09日(水) 00時01分 投稿者 紅魔特快 [119-173-103-47.rev.home.ne.jp]


[21755] 大宮情報

こんばんは。構内に205系ナハ49の一部(改造クハの1204ほか)が留置されています。

通勤電車の運用
京浜東北線01B 101  2757Mしもうさ M6


投稿日 2011年02月08日(火) 23時56分 投稿者 国鉄型好き [3dcc8fc7.tcat.ne.jp]


[21754] 61-3・11改正

やまとじライダー1号さん、akeyanさん、みなさん、こんばんは。

>やまとじライダー1号さん
クハ100−92(総武・中央緩行の西局中野車)の黄色を含むクモニ83の鉄道ファンでの転属回送、当方も見た記憶があります。その時は、103系とコンビを組んで運用されるとは、現在のようにインターネット情報がなかったので、何故大阪へ回送となったのかが謎でした。また、国鉄最後の大規模な61−11改正への東西転配は、同年の6月からスタートしたと記憶しております。この件は、大規模でしたので、調べておきます。

また、私が貴殿の地元の関西線の件に触れることはおこがましい限りですが、昭和61年4月1日から豊田からのクモハ103の39のユニットと103系改造されたクハ103−2001と組み、クモハ103−40+モハ102−133+クハ103−585(クハ103−2001以外はすべて朱色1号)の他、羽衣線から、やはりクモハ103−47〜の3連と書類上は豊田からの(事実上は浦和からのクモハ103−−79、標記は北モセのまま)の車両が転属して来て、61−11改正前に朝、夜の快速に運用された時刻が編成表に記載されており、天王寺ー王寺までノンストップで、103系の高速運転を堪能したく夜乗車しました)また、昨日の書き込み修正をかけておきます。

>akeyanさん
当方が昭和61年8月に日根野区に留置されていた黄色をベースとしました113系を目撃しました時、「どの線区用なのか」不思議に感じました。まさか、これが福知山線電化用とは予想だにしなかったですし、この頃の福知山線は新三田までの電化工事中で、武田尾がまだ旧駅舎を始めとして、宝塚以遠は武庫川沿いに走っていたのが今から思うと隔世の感がありますね。




投稿日 2011年02月08日(火) 23時43分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp]


[21753] クハ103−2000・2050の配属回送

みなさん、こんばんは。
クハ103−2000・2050の計6両は、既出のとおり2001のみ吹田工場で改造されています。
参考:車内の改造銘板は昭和60年吹田工場・実際の改造は昭和61年3月末(確か25日だったと記憶)

2001の関東からの回送は黄色のクハ100−92として、吹田工場で解体するクハ101−番号不明と背中合わせで三鷹区から宮原区へ転属するスカ色のクモニ83(後にクモハ84となる車輌)と共に回送されてきました。(当時の鉄道ファンに写真入り記事ありました。)

クレクレ君で申し訳ありませんが、それ以外の5両の回送についてご存知の方いらっしゃいましたら、ご教示いただけると幸いです。一部または全て、転属する103系と共に回送されてきたと思われるのですが。
61−11改正に向けて、103系に関しては東西転配が多々あり、一部は数年前にとれいん誌に紹介されていましたが。

>林さんへ
どうせなら、103系への改造工場と年月日があればよかったかと・・・。


投稿日 2011年02月08日(火) 22時13分 投稿者 やまとじライダー1号 [129.5.152.122.ap.yournet.ne.jp]


[21752] クハ100・クハ101の103系化

akeyanさん、みなさん、こんばんは。

国鉄末期に101系→103系改造されたクハ103は、改造内容が主幹制御器やブレーキの改造と引き通し線などを103系に合わせたのみの改造でしたので、天地寸法は種車のクハ100・クハ101のままで、外観上も101系と103系の混結の雰囲気でしたね。またドアの閉まり方は、その勢いが忘れられません。

また、関西線用のクハ103−2000番台の種車とその製造日です。
クハ103−2001(クハ100−92 昭和43年3月14日東急・昭和61年3月26日吹田工場改造)
クハ103−2002(クハ100−35 昭和39年8月16日汽車会社・昭和61年10月17日大井工場改造)
クハ103−2003(クハ100−31 昭和39年9月22日川崎車両・昭和61年8月30日大井工場改造)
クハ103−2004(クハ100−60 昭和40年9月8日日本車両・昭和61年9月30日大井工場改造)

一方阪和線用のクハ103−2050番台の種車と製造日です。
クハ103−2051(クハ101−78 昭和43年2月15日東急・昭和61年8月1日大井工場改造)
クハ103−2052(クハ101−83 昭和43年2月26日東急・昭和61年8月1日大井工場改造)

参考文献:103・301系通勤型電車(エアロエージェンシー)

種車の101系で昭和42年度以降製造車は、ドアは新製時からスレンレスで天井車の荷ずれ金具も装備されており、103系が製造されていても、101系の付随車は昭和43年度末まで製造されていました。

また、秩父鉄道の1000系(元国鉄101系)のクハも後期車も多かったと記憶しており、国電リバイバル塗装も関西線色の黄色5号の警戒色入り車も引退が発表され、国電カラーとしては、京浜東北線に5本のみの一番101系としては、新性能化の応援用としての馴染みの薄い青22号が残ってますね。


投稿日 2011年02月08日(火) 01時47分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp(修)(修)]


[21751] 続:101系改造の103系など・・・

前納さん、林さん、みなさんこんばんは。

前納さん
>その時の61-11改正では福知山線用のll3系などの先頭車化改造が各地で行われており

そうでしたね、どんな車両が出てくるのかワクワクしながら雑誌等をみていたのを思い出します。
サハ103の750番代はすでにありましたが、まさか先頭車のクハ100(101)改造のクハ103が登場するとは思いませんでした。


林さん
>ドアの閉まり方も101系は乱暴な閉まり方が多かった

関東へ出張した際に101系に乗ったことがあったのですが、ドアはなかなか力強く閉まっていましたね。駆け込み乗車して挟まったらかなり痛そうな・・・。
ただ、関西で晩年まで使われていた片町線の101系はかなりマイルドだったのを覚えています。

>アーバン圏内では221系が阪和線が一番最初に目撃できなくなりました

元々阪和線用に投入されたものではなかったので、元にもどったんだなぁって思っています。
本線筋に225系が続々と投入されてくると、221系の動向も気になりますね。



投稿日 2011年02月07日(月) 23時50分 投稿者 akeyan [dsl042-030.kcn.ne.jp]


[21750] 今日の環状線異色編成は35運用

みなさん、おはようございます。

やっと撮影に来れましたが、天気が悪く真っ暗です。
今日のスカイブルー編成は京橋638発内回りの35運用でした。

昨日4運用だったから、今日は5運用と勝手な予測で大阪城公園641発を狙いに行ったのですが、京橋を出たところで、予測では環状線の外側の引き上げ線に居るはずが、中の引き上げ線にいて、まぁ、助かったと言えば助かったかな。

では。


投稿日 2011年02月07日(月) 07時09分 投稿者 永尾信幸 [EM114-51-167-243.pool.e-mobile.ne.jp]


[21749] レスです。

akeyanさん、みなさん、こんばんは。

>akeyanさん
お久しぶりです。また、早速の御返信有難うございます。サハ103−750番台はサハ101を冷房改造された車両が多かったですが、車両から受ける感じは、101系そのものでたね。

関西線用のクハ103の2000番台と昭和61−11改正でのクハ101の後期型を改造した阪和線のクハ2050番台は、クハ101の青22号と申し上げても過言ではなかったですね。また、ドアの閉まり方も101系は乱暴な閉まり方が多かったのが思い出されます。

103系に編入した101系や103系の3000番台などもございましたが、国鉄の財政もあり、苦肉の策だったのでしょうけど、今は、JRもスレンレス車が主流となり、101系と103系と似たような車両の編入もなされないと思われますし、国鉄末期からステンレス車が主流となり、また、編成単位での管理ということもあり、形式間の編入は国鉄やJR化された直後の名残となると思われますね。

追伸:阪和線も225系5000番台や223系0番台・2500番台が快速の主流となり、アーバン圏内では221系が阪和線が一番最初に目撃できなくなりましたのは、残念ですし、車種が豊富な同線ですが、快速系統は統一が図られ、時代が変わったのでしょうね。


投稿日 2011年02月07日(月) 00時05分 投稿者 林 俊宏 [i118-21-23-82.s05.a013.ap.plala.or.jp(修)]


[21748] クハl03-2000・2050台

akeyanさん、みなさん、こんばんは。

改造工場ですが、クハl03-200lのみが吹田工場での改造で、2002〜2004、205l、2052は大井工場での改造と記憶しています。関西の車輛なのに大井工場での改造も意外な感がありますが、その時の61-11改正では福知山線用のll3系などの先頭車化改造が各地で行われており、運転台ブロックを運べるクレーンを持たない大井工場は先頭車化改造には積極的には携われないので、l0l系クハの改造を担当したのかも知れませんね。


投稿日 2011年02月06日(日) 23時55分 投稿者 前納浩一 [i121-115-117-114.s04.a013.ap.plala.or.jp]


[21747] 101系改造の103系・・・

林さん、みなさんこんばんは。

101系改造のサハ103の750番代やクハ103の2000番代、2050番代は101系の特徴を色濃く残していましたね。ブレーキの音も違っていましたし、クハ103の2000番代、2050番代に至っては外観はクハ100(101)のままでしたし。そんな異端児ぶりが個人的には好きでした。

ドアの開閉も関西での工場での改造分はゆっくりと閉まるものでしたが、クハ103の2050番代はかなり力強く「バシッ!」あるいは「ドン!」と閉まるものでした。これは同車が関東で運用されていた車両で、しかも関東の工場で改造されたように記憶していますので、その特徴のままやってきたものと思っています。(後年、それはゆっくり閉まるように改良されていましたが)

今の車両では形式間で改造して運用する、なんていうことはされないでしょうね・・・。


投稿日 2011年02月06日(日) 23時25分 投稿者 akeyan [dsl042-030.kcn.ne.jp]

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