トップページへ 15(2003)/2/11 反町隆史 黒柳「反町隆史さんですよくいらしてくださいました。トークはあまりお出にならないということでこの前でていただいてから他所もどこも出て? 反町≪出ていないですね(笑) 「そうですかどうもありがとうございます。この前アレなんですよね出ていただいたあと10日後にご結婚ということだったので。これが放送になる前にご結婚のこと発表しないでがくださってどうもありがとうございます。 ≪いいえ。 「まああの生放送じゃないとそういうところが時々心配あったりするんですけども。この前は利家とまつで信長をなさいました大変魅力的な信長で。私は全編拝見いたしました。全編というのかすべてのドラマを拝見致しました。よかったんだけども、あなたはあの中で私びっくりしたんですけども私みんなよりも年上のような気もしていたんですけども1番若かったぐらいなんですってあの中で? ≪そうですね大河のメンバーの中で1番僕は下ですね。 「ね。利家よりも本当は、実年齢は下でいらしたんですってね。 ≪唐沢さんより大体僕はどのぐらいだろう?8個ぐらい 「8個ぐらいした。唐沢さんは若くお顔が見える方だから若々しいところからやってらっしゃるから突然あなたがでてらした時にまあ随分年長のように思えたんですよね。もちろんポジションが上の、そういう気遅れみたいなものはありませんでした役をなさるときに? ≪そうですね役に入っていないとやれちゃいますよね。みんな先輩方がいますので、その他にも松平さんとか萩原さんとか出ているじゃないですか。 「そうですよね ≪時代劇に慣れている方が。こっちが役としてビシというものがなかったら現場の雰囲気も若干そういう雰囲気がありますからね。 「でもよくあなたあそこでビシとおやりになれたと感心したんですけども、あれはおやりになる前にずいぶん何かいろいろなんですかね時代物お勉強とかあったんですって? ≪はい。まあ信長がやったであろう馬とかお茶とかあと舞ですよね。そのへんの稽古と。だいたいどのぐらいかな3カ月か4カ月ぐらい自分のものにとりあえずして 「着物のきたときの立ち居振る舞いとか。 ≪所作ですよね。なかなかぼくたちは着物を着る機会がないじゃないですか。着物を着ている時でも何か違和感を感じている自分がいるんですよね。それが慣れるのがなかなか 「でも3カ月ぐらい ≪そうですね34カ月やって。撮影に入る前に。 「でも随分違いますよねそこでいきなりやるのと比べれば。それからやっぱりその間に信長という人のご研究を随分のなさったと思うんですけども。その間に信長に近づいていけるという。でもやっぱり信長の勉強はずいぶんなさいました? ≪はい。もともと僕はすごく好きだったんですよ。 「信長が。 ≪はい。信長さんが。それであの前やりたかった役というかだったのですごく自分の中ですごくうれしかったというか。 「そう。そうですよねああいういってみればカリスマ、というようなものを持っているといわれていますよね。 ≪男だったらああいうのあこがれますよね。 「そうでしょうね。それと一言おっしゃるたびにみんなが「ハハー」ってねいうわけなんで。でもあれのあの時に「あるか」ですか。 ≪であるか(ドラマの中の信長の口癖みたいなもの) 「でもあれは台本に書かれてあったことなんですか? ≪そうですね。あの本をもともと作家さんの方がそれをちょっとつけて”であるか”というの特徴にしたいというのである 「あったんですか。それはすごく効果的でしたよね。いろんな意味がおっしゃり方でその時にずいぶんいろんな意味になりましたものね。 ≪微妙に違いますからね。 「それにしてもあなたが今足袋だの何だのはいていらしたがいらっしゃらないか知らないけどもあまりよく見ていなかったけども下の方は。足袋なんかはあまりはいていらっしゃらないような感じでね ≪いやいや 「足袋ははいていらしたんですか。履いてらしたんでしょうけども野性的なところが非常に知的なところがあるんだけどもちょっと野性的なところもあるじゃない。あれでもってズズズと入ってくるとウワー怖いなっていうところがちょっとあってそこがみんなが恐れたところなのかなってそこがよく出ていたように思ってね。いま評判はすごくよかったと思うんですけども。顔も皆さんあんなにカツラが似合うとは思ってらっしゃるだったかもしれないぐらいだと思うんですけどもよくお似合いでしたよね。 ≪あの僕はちょと半カツラにしたんですよ。わざと。 「そうなんですかご自分の毛も使って。 ≪全くかつらだと自分も違和感があるじゃないですか。 「そうそうこう言う生え際のところがどうしてもノリで貼ってあったりするとね。 ≪だからそこだけそうさせてもらったんですけどね。 「じゃあご自分の生え際はご自分の毛で、あのこの方はご自分のカレンダーがあるので、ご自分のカレンダーって変ですけども全部があなたのカレンダーがあるんですが2003年のカレンダーでちょっと見ていただくと(写真)こういう感じでしたね。とても若々しい精悍な、やはりいろんなことを考えている人に見えましたよね。ずいぶんいろんなこと考えて、いろんな見方はあると思うんだけどもやっぱり3人いる、家康信長秀吉の中では皆さんがやりたい役だと思いますよね。カラーのもあるのでついでにちょっとカラーの方もおみせして。こういうカレンダーて作ってらっしゃるの? ≪毎年何か作っているんですけどね会社で。今回は信長をテーマにした 「全部をね全編信長だけども本当に魅力的だと思いました。でもこれこの役をできたのは、まあそうひげをはやしてらっしゃるのでちょっとね。そこが大人といい、あなたがまさか最年少だとは思わなかった。やっぱりあなたが出ていらっしゃる時にはちょっと威圧するようなものもあったし。それから最後に炎の中に消える時ってめったに私泣いたりはしないですけどもあの時は本当に泣きましたね。 ≪そうですか。 「あなたもあのとき涙出ていなかった? ≪はい 「出ていたところありましたね。あれは本当に信長の涙といってもいいかしらと思って見ていたんですけどもどうでしょうかね? ≪そうあの台本にはなかったんですよあの話。泣くという芝居はですね。で何かその自分の自分のというかその役で信長の気持ちになったときにおれの人生もまんざらじゃないなと言って振り返ったんですよ。そのときに自然とうれし涙なんですけどね。悲しい涙ではなくて。 「でもあの最後の時に刀のところに利家がちょっとうつるじゃないですか。で利家もあっちの方で戦っていてちょっと見るとあなたがこううつるじゃないですか。どうってことないんだけどもセンチメンタルなんだけどもちょっとああいうところで胸にくるものがあってね。あなたも炎の中で人生50年といってずっといらっしゃる時に本当にうんいろんな思いがあったなって、誰もあそここのところ見ていたわけじゃないだろうけどもあそこのところはだいたいいつもああいうふうになっていますよね。あの火はですねどの辺まで本当の火があったのか?。 ≪あれば全部本当ですね。あれは全部本当の火です。 「私見ていてねずいぶん上手。あまりといえばあまりにもねその火の中にちゃんといらっしゃるように見えたのででもあれだけ火をつけたちゃったりするとみんな心配しちゃうだろうなと思って。本当の火 ≪でもずいぶん、全部そうですね。 「本当に。 ≪最後に振り返ってさらばじゃというところがあるんですよ。あそこだけはねえちょっと合成なんですけどね。 「そうでもほとんどわからないわね。 ≪それまでは全部舞っているところは本当です。 「じゃあ随分熱かったでしょう? ≪暑いですね。けっこうこの辺で火花が飛んでいたいとか 「それまでもNHKも大胆な、今はCGとかも使える時代ですけども。粉がちったりとか、火の粉が飛んだりしてるところを見ていて随分本当みたいだなと思っていたんですけども。じゃあかなり1発本番、1発本番って変ですけども(笑)あれもう1回やり直してできないですものね。 ≪でも何回かはやり直しさせていただきましたけどね。ちょっと違うなって僕の方もあったので。舞っているときにちょっと違うなというのがあるじゃないですか。微妙に違ったのでもう1回やらせてくださいと言って結構やらさせてもらって、2回ぐらいやらしてもらったかな。 「そう。じゃあもう1回火をつけて。うまくいきましたね。 ≪そうですね。 「あれはやっぱりみんなの中に忘れられないシーンとして残るだろうなという感じがしてご自分でも本当にやったぞという感じが多分あったんだと思うんですけども。偶然なんだけども信長の子孫という方をテレビで見たことがあるんですよテレビで私。そういう方がいらっしゃって。でも本当にねとてもすてきな方で見てらっしゃる方はちょっとアレですけどもとてもすてきな方で大きな会社やなんかにお入りになるのがいやで友達とマンションみたいなところで仕事をやっていらっしゃるんですけどもあなたに似ている感じの方で。 ≪どこに住んでいるんですか? 「どこに住んでいらっしゃるのかな。それはちょっと東京みたいですねでも分からないけども。会いにいらしたら? ≪いいですね。 「とてもすてきな方でしたよ。 ≪ああそうですか。 「ただでテレビであのその秀吉の子孫とかね信長の子孫とかいろいろな・・・の子孫という方がお出になったシリーズがあったんですそれがとっても面白くて。見ていたの。やっぱり本当にね偶然なんですよ。いろんなことがあってその方になっているんだから直結じゃないんだけどもそういうふうに見えるじゃない。とてもすてきなの。でも本能寺だけは絶対に入らないとおっしゃいました。今でも。なんとかして入ってくださいとテレビの人が頼んだけども本能寺だけは本当に冗談ではなくて必ず中に入るとケガをして転んだりとか骨を折ったりするので入るなというのが家の代々いわれていることなので本能寺だけは入らないんですって。本当にすいませんといって本能寺はお入りにはなりませんでしたよ。お寺の外で。 ≪へえーすごいですね。 「その方は何となくであなたに似ている方の感じでしたよ。顔の感じとか全体が。お会いになってみたら面白いかもしれない。 ≪ぜひとも。 「でもその方私の記憶だと秀吉の方は秀吉の子孫という感じの方なんですけどもを2人で話してらしたの。2人とも学習院なんだけどもいやだったねというが信長のところと秀吉のところは歴史の先生がちょっと飛ばすんですって。何をしたとかいうのはちょっとで信長のしたことはいいことばっかりじゃないわけだからそういうの。あそこが嫌だったねって2人で話してらっしゃいましたよ。面白かったけど。だからそういう方がいらっしゃるんですよね。そこで森蘭丸のご子孫の方もいらっしゃいましたよ。(笑)。 ≪いるんですね。 「そうなんですよテレビって面白いなと思いました。春日局の方もいらしてねこの方も本当に春日局の子孫といってこの方も本当に春日局の子孫といってそのものという感じでいらっしゃいましたよ。女性の方だったけどもすてきな方でしたけども。ほんと信長の方にお会いなってみればねテレビ局の人がすぐに探してくれると思いますよ。すぐに。 ≪そうですね 「(笑)面白いと思いますよ ≪わかりました。 「でもまあいってみればあなたはいろんな役をすごい役をおやりになるんだけども信長のこう魅力が非常にあって男の人が好きになる男の人。だけどちょっとクールなところがあるという。ああいうものはやってごらんになりたかったでしょうねきっと。 ≪そうですね。 「じゃやれたのはよかった。 ≪嬉しかったです。だから大体撮影が終わってですねあの何が残るかといったら思い出と充実感補なんですよね。芝居が終わったといってどれだけ自分がそれだけ気持ちをついやせたとか。やっぱり充実感なんですよね終わったときの気持ちというのは。でもあの何かね不思議と僕の役をやって終わったときに何が残ったかというとすごいさびしい気持ちになったんですよ。 「それは珍しいこと?あなたにとって ≪初めてですね。ああなにかもうこの役をやらないんだなと思うと長かった部分もあるんですけどもそれだけ何かで自分の中でなんだろうな思い入れがあってやっていましたけどね。 「役というのは不思議なもので終わるとその人はいなくなっちゃうわけですからね、それが寂しいというのはわからないものでもないという感じはありますよね。そうですか。でもいろんな役をおやりになった中で信長はやはり印象に残るみんなの心の中にも残ったと思うので。でもあれは全体がみんな若々しくてよかったですよね。 ≪そうですね 「私とても好きでした。で何かトイレに信長の肖像画を張っておきになったというんですけども。トイレにというと変ですけども1番こう静かに見られるところですものね。 ≪そうですね。 「で何回も。 ≪ずっと見ていると何かいろんなことを想像したりとかするんですよ。 「そうですねそんなにいっぱいはないでしょうけどね。信長の肖像画って。だけどこういう人だったんだなって。いつもそこに見るところにあるというのがわからないものでもないかと。じゃあまあ打ち込んだ1年という。 ≪そうですね。 「本当に良かったですねおめでとうございました。ところがその次にびっくりたまげるような役をまたなさってもいるんですけども全然見ていてもあの私反町さんって聞いていないと絶対に分からないなっていう役もなさっているんですけども。あなたお蕎麦を打ったりもおできになるんですって? ≪うん、上手ではないですけども打つのは結構好きなのですよね。まあラーメンも作ったりとかはするんですよ。 「昔はラーメンさんに勤めていたことがあったとしちゃいましたね。 ≪そうそうそうそう。(笑) 「アルバイトで。 ≪結構好きなんですよそういう集中してもの作ったりとかやるというのがとても僕は好きで 「そのお蕎麦も食べたりはなさるわけ? ≪うん、時たまつながってますけどね。 「ああ(笑)でもまあ美味しいですかね自分で作ったのって。そうですか釣りもしてらっしゃるんですよね。 ≪釣りも好きですし。アウトドアが好きでやってますけども。 「そうですかちょっとコマーシャルですまだ続きますけど。 ≪ 黒柳「この前こちらにいらして下さった時はエベレストに上ったというお話しもありましたけども。それからは山に登っていらっしゃる? 反町≪ないです 「ない。小さいときは漁師になりたかった(笑)かわいいんですけども漁師になりたかった。それからサッカーの選手も。 ≪サッカーをやっていましたのでね 「でおやりになった時に出たでしょうすごいユース ≪はいはいはいはい。 「なんとかというのに。 ≪でもだめだと思いましたね。自分よりうまいレベルのやつが全国から集まってくるとやったためだなこれと思いました。 「ご自分たちの中では結構いいと思ったでしょ。 ≪僕は僕で自信満々で行くんですよ。それは小学校の時なんですけどね。 「もう小学生の時に。ジュニアユースというのにお出になったときですよね試合にはお出になれたんだけども地元じゃ結構できると思っていた。 ≪そうなんですよね。でも全国に行ったらダメでね、だけでそれでもあきらめましたね。 「まあそういうことってありますよね ≪ありますよね。 「私のミュージカルやりたいと音楽学校出て芸能界入ってすぐに「何がやりたいですか?」といわれてミュージカルをやりたいですと言ったんですけどももうものすごく初期に私アメリカに行って偶然ですけども前フェアレディーのオリジナルを見ちゃったんですよ。見た瞬間にあらあらだめだわ。それから私は一切ミュージカルをやりたいと、ずいぶん見ましたけどもやりたいといったことは1度もないですね。これはできないと。わりとすぐに簡単にあきらめちゃったんですけども。でも何かをやるんだったら1番になってやるぞというのはあったんですってご自分の中に ≪うん。その何かというのが若いときには10代のときにはねだれでも持っていることだと思うんですよ。 「そうですね。何かやってやるぞ。 ≪ただその何かというのが見つからないだけでそういうふうに何というのが心の奥にそういうもの思っていたなって今思い出しますけどね。 「でモデルとかお友達の紹介でだんだんだんだんなっていらっしゃったとおっしゃりましたよね。それでその後に俳優になったんだけどもまあそれからオーディションでほとんどうからなかったあって本当なんですか? ≪うんあの、ある番組でオーディションに呼ばれたんですけどもやっぱり芝居を出来ないんですよ。当然芝居をやったことはないですからね。それで当然落とされるわけですよ。 「やっぱり。 ≪なんでこんなに難しいんだろうなと思ったんですよ。そこで。 「セリフを読まされたりなんかして ≪うん。何でこんなに難しいんだろう、何なんだろうなとそこで興味というかわいてきたんですよね。 「なるほどね。でも本当はセリフというのはいつも自分たちでしゃべっているわけだから読んでもできそうなことだと思うんですけどもそう簡単にはできないんですよね。 ≪やっぱりそこに感情を移していくという作業がやっぱり難しいですよね。すごく最初はあのセリフを入れてもこなすのが精いっぱいだったりするじゃないですか。うーんそこに今の自分の感情を乗っけていくという作業がなかなかやっぱりできないなというのがありましたね。 「でもそんなふうにオーディションにいらっしゃって落ちたりなんかしてする。そういうときにはあきらめないで ≪落ちたら落ちたものはしょうがないだと考えていましたし、次頑張ろうというふうに思いましたけども。 「何回もありましたかそれは? ≪そうですね。オーディションはありましたけども受かったことないですね(笑) 「そうなんですってね。(笑)私びっくりしましたね。そのとき頭の毛ってどんなふうにしてらしたの ≪どんなだったかな。ちょっと覚えていない。 「オールバックとかそんなの。そういうのじゃないの(笑) ≪(笑)覚えてないですね。 「覚えていない。でもまあとにかくをモデルをやってらしたのが素敵に決まっているんだけども。 ≪いえいえ 「でもその時に目標にしていこうかなというのはありました?俳優というものにある程度できるまでに ≪だからそれは自分がパット受かってパットこなせたらやっぱりつまらないものじゃないですか。 「そうですね。 ≪だけどなかなかできないときの自分の悔しさと言ったら自分次第ですからね。あそこでまぁなんとか頑張ってやっていこうかなと思ったんですけどね。 黒柳「まあ最近はとてもうれしいことのひとつに反町さんアメリカのサンダンス映画祭にいらっしゃった 反町≪はい。 「それでご自分のお出になったやつが出品された。13階段という映画なんですか。その時のVTRがありますのでちょっと皆様にご覧いただきたいと思いますとても有名な映画祭ですよね。〜VTRスタート〜場所はそんなに大きいところじゃないんですか。 ≪そうですねでもやっぱり 「売り切れて書いてありますね。 ≪ここに集中して集まってくるんですよね。 「そうでしょうね ≪作品が。 「まぁお出になった13階段がここに。おおエンジョイマイフィルムと言ったらみんな笑っていますね。下にずっと英語で(字幕)出るんですね。終わったところ。何か随分皆さんの拍手も反応よかったんですね。 ≪あのアメリカ人って字幕を読むことはないじゃないですか。 「普段ね。〜VTR終了〜 ≪ 「あの方たちはそうですよねだいたい英語でやってくれてるわけだから。 ≪そうですよね。だから面倒臭いというんですよその字幕を読むというのが。現地の人が。サンダンス映画祭って他に映画祭が・・・いやいや映画がいっぱいやっていますから 「出品されている。 ≪ええ、つまらない映画を見るほど退屈なものはないと。10分でそのキャパシティーが300人でやっていたら100人になってしまうことがあるらしいんですよ。 「どんどん減っていってしまう。 ≪その現地の人になんだよと言われてね監督もプロデューサーも「ええ〜」という不安がちょっとあったんですけども最後までいてくれて本当によかったなって思いましたね。 「それはよかったですね。 ≪うれしかったですね。 「そうですかなるほどね。見られていない英語で読まなければならないというが面倒だって ≪そういうのがありますよね。やっぱり 「ちょっと面白くなかったら帰っていってしまう。なるほどね。1月の22日から26日まで行われている。だけどまあエンジョイマイフィルムで皆さん笑ってくださってとてもよかったんですけども。これはあなた私拝見したんですけども本当にこれは信長とはあまりにも対照的な、まあ信長と比べるのもおかしいんですけどもわりとずっと長かったのでね信長が。全くあなたとはちょっと一瞬思えない。ずいぶんあれはあれで役作りなさったんだと思うんだけども。皆さんこれはちょっとご覧くださいませこれが反町さんのとはちょっと思えないと思いますよ。〜映画VTRスタート・終了〜 ≪(拍手) 「(笑)ほんとほんと。いやこれあなただけども監督がそうなのかあなたも全然ちょっとあなたってをうかがっていないと一瞬わからないような感じがして。他の方たちも山崎さんとかは分かるんですけどもあと鶴瓶さんはちょっとわかったんですけども他の方は全部わからなかったです。拝見していると誰が誰だかあのぐらいみんなそんなには扮していないんですよ。だけどちょっとのことでその方だっていうことがわからなかったです。すごい。だからとても信憑性があるというか、本当の話みたいでで面白かったですけどもちょっとコマーシャルですけどもこれはハッピーエンドでねそんなに怖くはないですよ皆さん。私が見たぐらいですから。私怖がってねとても怖いのはダメなの。でもこれは全然大丈夫でしたから ≪はい 黒柳「この13階段は今公開中なんですけども、これは江戸川乱歩賞を取った原作 反町≪はい 「タカノカズアキさんという方がお書きになったものですけどもサスペンスなんですけども、とても不思議な話ですよね。 ≪そうですねでもちょっとイメージ的に13階段というとちょっとその怖いかなというイメージがあるかと思うんですが 「ハッピーエンド ≪ええハッピーエンドでエンターテインメントですからこれは。 「そう。不思議な2重構造になっていて ≪なっていてね。人間の心情があったりとかそこにはサスペンスがあったりとかエンターテインメントになっているのですからぜひ見て欲しいなと 「そうですよね、それからあなたも冤罪といってもいいような感じで3年間の刑が終わって出たあなたにあの山崎努さんが一緒にえん罪の人のことを調べてほしいと頼んで2人でずいぶんなさるんですけども。山崎さんと一緒になさってどうでした? ≪すごく勉強になったのは当たり前なんですけども。どこが勉強になるかというと僕がその山崎さんの現場の立ち姿を見ているのがすごく好きで。その凄く重みのあるものとあのこう魂入れて芝居をしているなというのが感じましたね。 「そうですか。これは信長のイメージでご覧になると全然違う、本当にでも何か複雑な人間が出ていましたね。翌年。他の方たちもみんなそれぞれが面白いまあご覧ください13階段です。 ≪13階段。四谷怪談じゃありません。 トップページへ 15(2003)/2/12 植村公子 黒柳「よくいらしてくださいました。あの冒険家私たちに勇気とかは元気とかいろいろなものを与えてださった植村直美さんがに姿を消して19年ということでございまして。今日は植村さんのお誕生日。 植村≪はい 「ええと姿を現してくださっていたら ≪62歳です。 「62歳。で奥様にまあ今日はおいでいただいたんですけども43歳の時に消息をおたちになってということになるんですね。で奥様はテレビにお出になるのは初めてだそうでございますけどもよろしくお願いいたします。あの何かインタビューのようなものにはお出になったかもしれないんですけども。そして25年前にずいぶん前になるんですが植村さんにこちらに来ていただいたときのVTRはずっと消息をお立ちになったということで放送を追悼とかはしていなかったんですけどもその封印をしていたVTRもあの今日はちょっと皆様にごらんいただければと思います。奥様にも辛いかと思うのですがいろいろお話しを伺いたいと思うのですが。この19年間は奥様にとってはどういう19年間? ≪そうですね。時間がたってしまうと何とも言えないんですが遊びに出たきり帰ってこないかなという感じがいたします。 「もしかしたらどこかで帰ってらっしゃるかもしれないというお気持ちもどこかに ≪そうですね。 「そうでしょうね。多分そうだと思います。ご自分では皆が冒険家というといや冒険家ではない放浪家だと自分ではおっしゃっていたそうです。植村さんは皆さんご存じのように世界初をたくさんなさいましてなんといっても5大陸の最高峰に登頂なさったことも成功。これは大変なことでしてヨーロッパのモンブラン、それからアフリカのキリマンジャロ南米のアコンカクア、それからアジアではエベレストそして北米のマッキンリーそしてエベレストは日本人初の登頂だったそうでございますけども。これはご結婚の前? ≪はいそうです。 「だったんですね。ま冒険家でいらっしゃる植村さんのひとめぼれで。何屋さんでお会あいになったんでしたっけ? ≪とんかつ屋さんです 「とんかつ屋さんでお会いになったのが最初だったんですけども。それから北極圏犬ぞり12,000キロ。これはご結婚? ≪してから。 「だったんですね。それを送り出すときのお気持ちはどんなだったでしょう? ≪何でもいいから無事に帰ってきてほしい。 「そうでしょうね。でもメソメソするとかなさらないで元気に送り出していらっしゃったんですか? ≪はい。でまたすぐに帰ってくるからねと言って1年半ぐらい帰ってこない。 「その時は1年半帰っていらっしゃらなかった。そうかそういうことがあるとこの19年前のマッキンリーの時もまだ帰ってくるかなということできっとお待ちなってらして19年だと思うんですけども。それから北極圏犬ぞり12,000キロの後今度北極点到達。そしてグリーンランド縦断、単独で犬ぞりというこの時もご結婚していらして。でまあいろいろあるんですけども最後になったのが北米マッキンリー。そして冬に真冬に登頂してご成功になったのは世界で ≪初めて 「初めてだそうですね。それで消息を絶ったあとその登頂をなさった証拠に日の丸の旗があって登頂をなさったまでは。あのときみんながね雪洞の中に荷物が残っていたていうことで。その時雪洞の中に残っていたカメラの中にご自分でセルフタイマーでお取りになった写真が残っていてそれをあとで現像なさった。 ≪はい。 「そのお写真もありますので本当に真冬のマッキンリーだったんですけどもその時のお写真もありますので拝借できましたのでご覧いただければと思っております。元気いっぱいの写真ですよね。いつもそんなふうに犬ぞりの時もそうでしたけどもご自分でビデオでも何でもおとりになっていつでも単独でやっていらっしゃったので。(写真)ちょっとこれは暗いんですけども真冬のマッキンリーに登頂なさって成功なさったんですけどもこの写真は雪洞に残っていたということはこれから登頂なさる前だった。 ≪そうだと思います。 「登頂なさったことまでは日の丸があるので確かなんですけどもその後がどうなったかというのがはっきりしないということなんですけども。2月12日真冬ですね成功なさってそれで15日・・・13日には交信があって。 ≪はい 「14日に ≪その後16日の日に捜索隊の方が手を振っているのを見えたと言って下さいましてその後もうそれで終わりでした。 「なるほどね。お元気。それでまあ43歳の誕生日の日に登頂成功ということなんですけども。25年前にわ徹子の部屋に出ていただいたんですがその後それは奥様もまた帰って来るかもしれないというお気持ちだったので封印してあのお見せしないようにしていたんですけども今日はお誕生日だということもありますしお若い25年前の植村さんのVTRを皆様にもごらんいただけいればと思います。お辛いかしらね。 ≪大丈夫です。 「大丈夫ですか。ちょっと皆様にもごらんいただいて本当に魅力的な方だということがよくわかりになると思います。まあその消息を絶ったあとマッキンリーの方にいらっしゃってマッキンリーをご覧になったんですって? ≪ええ、いい山だなと思いました。 「じゃ植村はいいところにいるんだなって ≪思いました。 「そういうことなんですけどもその前の非常に元気な時の徹子の部屋においでになったときの話なんでちょっとグリーンランドその北極点を成功なさったお一人でというグリーンランド縦断ですねそしてもう極点までに到達その後のお話しなので植村さんってこういう人だったんだということごらんいただければと思いますではご一緒に。 *********************************** 黒柳「おかえりなさい。本当によかったですねおめでとうございました。でも今回はお顔も凍傷のようなものも直りが早い。 植村直己≪あの寒かったのは3月ごろでしてでして5月以降になりますと気温もマイナス二十度から0度前後になりましてずっと前のことなのですっかり取れちゃっています。 「でその凍傷の時はだいたいどれぐらいですか? ≪ええと-50度-40度30度そのあたりが毎日続いておりました 「マイナス50度40度というと寒いというと寒いってどのぐらい寒いでしょうね。 ≪どうなんですかねやっぱり針でさされるような痛みを感じます。 「とても毛皮、あれは何の毛皮ですか? ≪あの白熊のズボンだとかトナカイの防寒着ですね。そういうのをおおっています 「それでもやはり寒い。 ≪それでもというか顔だけはどんなに寒くてもおおうことはできませんのでいつでも外気にさらしています。 「ああいうマスクみたいなものもすると余計に良くないですか? ≪マスクしますと今度吐く息ですねすぐに凍ちゃってですねかえって悪くなります。 「そうですか。でも何かをやっていらっしゃっても寒いのはやっぱり寒いでしょう。 ≪そうですね寒いです。-30度過ぎますと何を着ていても寒いです。 「ねえ、その北極点にお立ちになったときはどのぐらいの気候の時に ≪もう−20度、4月29日のことだったんですけどももうあったかくてですね生あったかいという感じで 「もう慣れてしまうとマイナス20度でも生温かい(笑)。そしてまあ随分前からの目標でいらしたそうなんですけども北極点にお立ちになったときというのはやっぱり御気分はどうなんです? ≪まあそれほどのものでもありませんでした。なんといいますかただ使命を果たしたというそういうような感じでしたね。 「はああ。初めのころのこの若かったころのこの目標のいってごらんになりたいというのと、訓練とかいろんなものを乗り越えていらっしゃった時の感じが ≪いやそういう点では自分では精いっぱいやってやっとこう自分の目標を達成したというね気分ですね。それは満足感はありました。 「景色はどうなんです?北極圏て。 ≪なんといいますかね出発したとき当地とですね北極圏とまったく変わりないですね。ただ氷が1面敷き詰めていてあたりに凸凹の氷、ナンピョウがに広がっているという。 「空はあるんですか? ≪空はもちろん青空が1面に広がっているという。そういったことでまったく変わりない氷原であるという。 「今度の中で1番の大変だったというのはどういうことですか? ≪まあ大変といいますか死ぬ思いをしたというようなことが2つあります。あの白熊に襲われた時のこと、それからもうひとつは氷が割れて今にも落っこちそうになって逃げ場を失ったときのこと。この2つがあります。 「この前のあの北極圏の時にはあのアレでしたでしょう白熊が来たけど遠くだったとおっしゃったでしょう少し離れて ≪以前は犬がね白熊が来たらみんな一丸となって白熊をいやしてくれたりさらにですね白熊に対して闘争心が非常に強くてですね全然怖くなかったんですね。そんなもんで8ミリに白熊がやってくるところを取ったりしていたんですけども今度の場合は実は出発して間もなくテントで寝ている間にですね白熊が来たときに犬は主人をおっぽり出してですね逃げてしまったんです。だから気づいたときには白熊がこうテントのそばに来てですねばりばりこう寝ているところをかき始めている 「わああ!!大きいんでしょう。シロクマって ≪でっかいですよ。牛ぐらいあります、子牛ぐらいあります 「それからこう立ってきたんですか ≪立ってはきませんけどもこう四つんばいになって寝ているテントの中に 「入ってきたんですか? ≪入ってはきませんけども。ところにきてねているテントを爪でひっかき始めたんです。 「でどうなったんですか? ≪なるがままにですねしていたんですが結局白熊はは私を見つけることはできませんでして、あのすぐ近くにあった私のアザラシの肉だとかそういった犬の肉を食べて腹満腹になってですねそして去っていきました。私を見つけることはできませんでした。 「あなたは何かに潜ってらしたとか隠れたんですか? ≪しらふの中でですね寝袋の中で死んだふりをしてきっとこう息をひそめていたんですけども。 ************************** 「37歳の植村さんだったんですけども。どんな感じがするんですか? ≪若くて楽しそうですね。 「本当にね。いいですか?本当にじゃ奥様としては悔いがないという感じがありますか? ≪はい 「この19年間随分いろんなことお考えになったと思うんですけどもいつか帰ってくるんじゃないかとさっきフラッとに帰ってくるんじゃないかと思いになっていたというけどもやはりあの方の人生が幸せだったろうと ≪と思います。うんと幸せだったと思います。 「まあそこへ到達されるには随分おつらかっただろうと思いますけども。でもなんて優しくて魅力的な方だろうと思います。でも実際にも優しい方だったですね。 ≪はい優しいところもありましたけど 「でもいっちゃう事はいっちゃうのね ≪そうです。 「コマーシャルをはさみましてもう少しVTRをご覧いただきたいと思います。笑顔の本当に美しい方でしたらちょっとコマーシャルがございますのでコマーシャルです。 ≪ 黒柳「奥様はやっぱり若かったとおっしゃった。やっぱり若い感じが? 植村≪はい 「でもいつも思い出の中には若い植村さんが ≪そうなんですね。ずるいですよね。向こうは若くて。 「この徹子の部屋においでくださったときは37歳。まあこれの5年後か6年後かに消息を絶ちなるということですからそういう不安みたいなものは一切なくて。本当に明るい感じてお話しをしてくださったのでちょっと続きをご覧ください。おやさしいお話が続きます ****************************** 黒柳「植村さんはいつも単独で行動なさるんだけどもやっぱり単独というのは寂しい? 植村≪いや全然寂しくありません。気ままでいいです。自分の気持ちが全部こう通ってしまうから人に左右されなくていいですよね。そして純粋な犬がいますでしょう人よりも純粋でよろしいですよ。犬が仲間がいて。 「そういう相談相手(笑)でも話なんかをなさるのか? ≪唯一のあれですから仲間ですから人と話す以上にいると話しているんじゃないかと思いますけども(笑) 「じゃああなたがとてもうれしそうにとにかく北極圏におつきになったということは犬たちもわかったようでしたか? ≪やっぱりこちらが気分が爽快ですとね犬もそれとなしにみんな分かってくれたようです。 「ウワーかわいいのね(笑)今度は17頭でご出発でしたか?その走行中に赤ちゃんが生まれ大もいるんですて今度。 ≪今度も出発してですねまもなく-40度30度越していましたですね40度近くの時にです。寒い中にやっぱり行こう赤ちゃんが生まれてですねそれをですねえもうテントの中でうまして。 「何頭? ≪9頭。 「へえそんな寒い中で9頭も ≪だからもうですから最初はですね最初生まれたのはテントの外で生まれましてですね他のオス犬どもが食ってしまいましてですねあわててテントの中でうましたんですけども。 「テントの中で。この前の時はねやっぱり生んだだけども今度は経験ずみでいらっしゃるからすぐさまテントの中に。それで9頭が生まれたんですか。 ≪はい。それをちゃんと四頭だけ生き残りましたですけども。育ったんですけども 「じゃあお母さんの役目も ≪いや生命がこう生まれるそういうものに対して何かこう父親というのが気分を味わいましたですけどね(笑い) 「そうでしょう。テントの中でこうやって小さい犬を抱いて ≪そうですねとにかくかわいいですね。しかもマイナス40度ぐらいあるでしょう。でやっぱり行動している中でしょうソリの上に積んで母犬と一緒に積んでおっこちないようにしてあったかくしてやって。大変だったですけども世話をやかせればやかせるほど子犬がかわいかったです。 ****************************** 「 ≪(笑) 「若いご主人、自分よりもかなり若いご主人ですけども今おっしゃっていたのはお一人で判断してあの氷の中を物凄い氷の中ですよね。よくいらっしゃいましたねといったらどうしていきたかったんでしょうねとおっしゃっていたけどもやっぱりなぜいきたかったというのはわからない ≪わからないですね。 「よくそこに山があるからと皆さんおっしゃるんですけどもこんなにこれから皆さんにご紹介するお手紙植村さんからの手紙がたくさんあるんですけどもそれを全部を読みになってもなぜいきたかったのか分かりにならない? ≪(うなずく) 「あそこのマッキンリーで消息を絶ちにならなければもしかしたら今日は62歳の誕生日でおめでとうございますなんてやっていらっしゃったかもしれないと思いになるとやっぱりねなぜって。でもマッキンリーをしたからご覧になってここにいるのがあってそれはまあよかったのでしょうかね奥様としては。 ≪はい 「さてあの植村さんの持ち物そして最後の雪洞に残っていたものそういうものは植村さんの記念館が板橋にあるんですね。あの冒険館というんですが。そしてもう一つは兵庫県の日高にも植村さんの冒険館があるんですけどもそちらの方にお渡しになったんですが植村さんが奥様にお出しになった手紙、全部でずいぶんあるんですね。何通でしたっけ? ≪280通ぐらいあったと思います 「280つうぐらい。まあギリギリのところでも手紙を奥様にを出してらっしゃるんですねそのお手紙でそれは人に見せないでくれとおっしゃっていたんですって。 ≪はい。 「でもそれはご自分のものだからということで冒険館の方にはお上げにはならないでご自分でずっと持ってらしたんですけども19年間もってらして今度植村直己さんのお手紙ということで本をお書きになりましたよね。妻への手紙という。これはどういうお気持ちで。 ≪何かあの長生きして私が長生きしちゃったからだけなんですけども。はい。 「できることならば1週間ぐらい前に死んじゃって ≪先に植村よりも行って1人ってこんなに寂しいのよって思いを味あわせたかったんですけどもはい。 「それから19年もたってしまったということですけどもやはりこれだけの冒険家ご自分では放浪家とおっしゃっていたそうですけども奥様にお出しになったお手紙が280通もあったのでは植村さんはあんまり人に見せないでほしいとおっしゃってらしたんですけどもまあそういう中でも人間というものはこういうお手紙をがお書きになれるんだということで。10年間結婚をしてらしてだいたい一緒に大角なったのは何年ぐらい ≪5、6年ぐらいですか。 「半分ぐらい。本当にこのお手紙を、本を拝見致しますといつもご自分のことよりもあなたのことを気遣ってらっしゃるんですよね寂しくないかとか風邪をひかないようにとか寒くしないようにとか直子ちゃんでしたっけ?ご親戚のあなたの姪御さんに泊まってもらいになってとかね。いろいろあんなすごいところにいらっしゃってもあなたのことを心配してらっしゃるお手紙なんですけども。ああいう風に絵もお書きになって大変な状態でもいろんなすばらしいお手紙をお書きになってらっしゃるんですね。それをやっぱり私たちが読むとこんな素晴らしい冒険家の方がどんなふうに冒険をしたかというのがずいぶん詳しくどんなことがあったか。またその奥様に対しの気持ちこれは中でもとてもいいお手紙なんですけどもそれは帯の最後の方に書いてあるこれは本文の中からということですけどもちょっとご紹介してよろしいですか? ≪(うなずく) 「”いつだって新しいこと危険なことをやる前にまず君のバックの忠告を守りそして私を支えてくれる多くの人たちを思いそして決行している。はっきり言って厳しかった旅がここまで無事にできたのは本当に君のおかげである。君の寿命を縮め、結婚してから迷惑ばかりをかけているが一体君にこの償いは何ができるのだろうかとふと旅中思ったりする。私は君と一緒になれたことの幸せは神に感謝しなければならない。”まあそういうお手紙がたくさんこの中には封じ込まれたというか今でもその出してごらんになるとどういうお気持ちです? ≪あまり出さないですね、あまり見ると癪にさわっちゃうから(笑い) 「それはそうですよね。この時だって帰ってくると言ったじゃないか。最後の時もちょっと行ってくると言う感じでマッキンリーにいらっしゃって最後のお手紙もあるんですけども 黒柳「この植村さんから奥様にあてた手紙の中に本当にあの子供がお母さんに説明しているようなところがいっぱいあってとかくじっくりと安全にやるから何ひとつ心配はいらぬからどんなことがあっても時間は人間に関係なく過ぎていって必ず帰ってくるからというふうに本当に何回も何回も繰り返していらっしゃるんですけども。でも優しいことを書いても行っちゃうと奥様はおっしゃっている。 植村≪はい 「そう何もかも置いていってしまう。 ≪あったかいものを全部をおいて出掛けられるんだから。 「じゃあ帰ってきたときはどんななんですか? ≪「終わったよ」って行って帰ってくるんです。 「終わったよって。じゃ奥様にどんなに大変でも、お手紙がそこにきているだけどもどんなに大変だったかという話をなさるんですか? ≪しませんね。 「しません ≪終わったよといったころにはもう次のことが頭の中にあると思います。 「じゃあちょっと悔しいでしょう ≪はい。 「ねえ終わったなら終わったよって帰ってきたら少しはゆっくりしてそんなに優しい気持ちを持っているならもう少しゆっくりしていてもいいじゃないかと。じゃ帰ってきたときは次の冒険を考えている ≪と思いますね。 「でも口に出しておっしゃらないですよね次はどこに行くとか ≪はい 「でも植村さんがそういうふうに考えてらっしゃるということは奥様にはわかる? ≪わかりますね。何でいっしょになっちゃったんでしょう(笑) 「ん? ≪なんで一緒になっちゃったんでしょう。 「でもやっぱりそういう運命だったと思うんですけども。でも中の手紙には君がここにいたらいいのになんていうのもありますよね。 ≪はい。 「お誘いになったことはないですか?奥様をどっかに行ってみようと。 ≪ないですね。 「まあちょっとで肉体的に大変ですからね。やっぱりしょっちゅう先の方から風邪を軸だとか寒くしないようにとか。でもあの方はとても臆病なところがおありになって日本に帰ってらっしゃるときに夜中になって音がしたら大変だったんですって?どんな時。 ≪猫がこうガチャンと音をさせても怖がりますし寒がりですし。すごい寒がり。 「どうしてじゃあの人はああいう所に行くとできるのかとそう思いになったでしょう。 ≪そうですね。 「ああ怖がり。奥様は猫じゃないという感じなんだけどもあの方は何だ何だ今のことは何だっていうふうに ≪ひとよりも人様よりも怖がりだといってあたしは思うのですが 「でもそういうものがそれまで本当に臆病で細心だったから成功したとも言える ≪そうですね。 「でもそんな憶病な方がよしオレがいってみてやるということはあまりない ≪ないですね(笑) 「本当に怖いのなんて寒いだなんて。面白いですねあんな零下40度零下50度のところでね何とかやってきましたとおっしゃっていたのにおうちにいらっしゃると寒がり。じゃご一緒にいらっしゃって面白い方でしたかしら? ≪そうですね。 「でもこういうご性格の奥様でいらっしゃるのでわりと安心して彼は出ていったとも思いますよね ≪そうですか。 「あまりメソメソしたりとかあのどうしていっちゃうのとかそういうふうにおっしゃらなかった ≪なんで行きたいの?とは言いましたけども 「そうすると彼は何て言ったの? ≪俺はこれしかやることがないという感じで。変な理由をつけては 黒柳「まあ19年たってこれは文芸春秋から出してる文芸新書というところの種類の本の中に植村直己妻への手紙ということなんですけども。もし植村さんがどっかでそれを見てらしたらなんておっしゃるでしょうね手紙? 植村≪それはないよっていってると思うんですけども。今でもごめんなさいと思うんですけども。 「今でもこのお手紙をご覧になるとあまりさっきそんなに出してみることはないとおっしゃってらしたけどもやっぱりつらさみたいなものは奥様のつらさみたいものは変わらないのではないかしらと思うんですけども。どういう風かしら ≪手紙ではつらい、つらかったときもあったでしょうしそう思いますけどもあの動いた映像を見てますと楽しかっただなと思って。 「じゃご主人が楽しかったんならいいやっていう ≪はい。そう思います。 「でも遭難ていう言葉をお聞きになったときは初めてのことだったんで定めしびっくりなさったと思いますけども。 ≪人様に迷惑をかけてしまったと思いましたけど。 「でもやっぱり今度どこかでお会いになったらやっぱり報告はすることはたくさんおありになる ≪はい。 「じゃ奥様がお元気でニコニコして生きてらっしゃることを植村さんは望んでいらっしゃるでしょうかね。 ≪(うなずく)はい。 「ね。まあ本当に今日はお辛いこともあったと思いますけどもお目にかかれて本当によかったですありがとうございました。植村公子さんでした |